俺はフショウの高橋だ 作:後味のらーな
○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○
谷垣は少し距離を置いて杉元たちの後ろを歩いていた。
杉元が新聞を読む姿を遠目に、谷垣はかつての高橋の顔を浮かべていた。
「タカハシのことが気になりますか?谷垣ニシパ」
「そうだな…」
懐の読めないインカラマッではあったが、これは純粋に気になって聞いたようだった。
しかし後方に尾形がいるのが気がかりで、聞かれていると考えると、言葉を選んで答えるしかなかった。
「高橋とは本当に短い間しか生活を共にしなかったが、悪いヤツではなかった」
「谷垣ニシパは高橋のこと好きだったの?」
「どうだろうな……」
チカパシの見上げた顔に、谷垣は何度か瞬きをする。好感を持つ、と意識する相手ではなかった。もちろん、周りに疑い持たれているヤツではあったので、心を許したというほど入れ込むことはない。
それでも高橋が『身の上話』を打ち明けた時、高橋への先入観は消え、いくらか温かみのある情が湧いた記憶がある。
「高橋と一番仲が良かったわけではないが、身の上話ぐらいは聞いたことがある。その話を聞いた時、本当は真面目で情に厚い男だと感じた。あれは意外だった」
「充分深い仲ではありませんか、妬けますね」
「男同士だぞ……」
インカラマッの冗談に苦々しく眉間を寄せつつ、谷垣は繰り返して思った。
一番仲が良かったのは、三島だった。俺じゃない。皮肉にも最も疑いをかけていた男が、高橋を最も気にかけた。
おそらく三島本人もその自覚があった。高橋の方は、三島の複雑な心境を察することは最後までなかったようだったが。
○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○
【谷垣の回想】
俺がまだ鶴見中尉に忠誠を誓い、二十七連隊の一員だった時。小樽の臨時兵舎ではなく、本部のある旭川の兵営で生活していた。
日露戦争終戦すぐの為、兵営全体にくたびれた雰囲気が漂う。
しかしその中でもいっそう覇気のない男がいた。
「おっと…」
廊下の角でぶつかった自分の肩と相手の腕を見る。
「あ、申し訳ありません」
噂の男の第一印象は大きくて暗い、だった。
「こちらもあまり注意せずに曲がってしまった、すまない」
「気をつけます。では」
顔を見上げれば、男はまるで天井を背負っているようだった。猫背の男はさらにその背を深く沈めて会釈をすると、大股で廊下の先に消えた。
「…あれは………」
三月頃に日本へ帰ってすぐ、第一師団からここ第七師団へ移ってきたその男は和田大尉のお墨付きということでもっぱら話題になっている。しかも男の剣の腕が立つこともあり、今や師団では下士官から将校までもがその名前を口にした。
「噂の男は無愛想だな谷垣」
「三島」
背中越しにかけられた声に振り向くと、三島がそこに立っていた。三島はまだ高橋の消えていった廊下へ目を向けていた。
「ぶつかりそうになっておいて会釈だけとは」
「普通だろう」
「どうだろうか、舐められとるのかもしれんぞ」
「……………」
もちろんその男の所属先である二十七連隊でも例外なく話は男で持ちきりになった。もっとも、その内容は決して歓迎や興味だけで終わらない。むしろ身元を怪しみ、警戒する者が多かった。高橋に良い印象を持つ奴は少ない。
「鶴見中尉からの伝言だ。探れ、と」
「高橋と内務班が一緒であるというだけで、ヤツが心を開くとは思えないが」
「やってみないと分からないじゃないか」
何か考えがあるのか、三島の顔には自信ありげな笑みが浮かんでいる。
軍には内務班という枠組みがある。内務班とは各中隊ごとに複数班で分けられたもので、一班一部屋二十名から十名程度で衣食住を共にする。その班が、三島と俺は高橋と同じであった。
ただし勤務や教練(※訓練)は内務班で行われるわけではなく、むしろ全員が散り散りの中隊で行うことは珍しくない。
つまり、寝泊まり部屋が一緒だからといって、高橋の心を開かせる時間が長い訳ではないのだ。
「下手に近づいても怪しまれるだけだぞ」
しかし三島は、そんな俺の忠告を受け流し、さっさと歩いていってしまった。
三島は所謂美男子とまではいかないが、曲がったところのない素直な性格がそのまま表れているような、実直な顔つきの男だ。
ただその真面目さが最近になって、良い方向に向いているのかは分からない。仲間内から裏切り者を探すことに三島は躍起になっている。その徹底した働きぶりは、温厚な三島の印象をどんどん薄くしていく。
「………」
曲がり角でそんな思案に暮れていると、尾形上等兵がすれ違い様横見で俺を見ていた。
何も言わず、高橋と三島が消えて行った方へ同じく歩いて行った。
「…っ、………」
あの人も鶴見中尉の手足であるが、その腹の裏は誰にも読めない。そんな男に目を向けられてはいたたまれなかった。
自分も用事のために、その場から去る。
○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○
【第七師団:小樽の兵舎】
将校室の前で俺は立ち尽くしていた。
小樽の兵舎は部屋数に余裕あるため、下士官でさえ一人部屋があてがわれる。その中でも少尉殿の部屋となれば格別いい部屋が用意されており、扉も引戸でなく西洋的な、押し引きで動く扉であった。
しかしながら、その部屋の高尚さに気圧されて俺は部屋に入れずにいる訳ではない。その扉から上半身を飛び出させて、語りかける者がいたからだ。
これがそういう造りの扉でないことは察している。
「そこをどいてほしい」
「マタ『例ノアレ』ヲ隠シテイマシタヨ、高橋サン」
扉の取っ手付近から、芋虫のように上半身だけを浮き出しているこの男は、あの剥製屋だった。連日の呼び出しの際にも現れては、こうして部屋の壁や扉から半身を飛び出させて話し掛けてくる。
常に興奮気味に話すので真面目には面倒くさく、取り合わないのだが、今日はいつにも増して早口でまくしたてるので口をきいてやるしかなかった。
「例のあれ?」
「鶴見サンノブロマイド!デスヨ!」
なんでそんなことも分からない、とうんざりして剥製屋が鼻息を荒くする。
「処分し残していたのか。少尉殿の部屋にあるものは、以前清掃の際に処分したはずだが」
「新シイモノヲ懐カラダシテ、一番高イ引キ出シノ奥ヘ入レテイタンデス!」
「まだ持っていたのか」
「早ク捨テテクダサイ!キーッ!」
剥製屋が甲高い声で叫ぶ。しかしその剥製屋の態度には疑問が湧いていた。
「中尉の写真が憎いのか?」
「ソンナワケアリマセンヨ!ムシロ僕ガ欲シイクライデス!」
「しかしお前、捨てろとさっき言っただろう」
「アノ兵隊サンガ持ッテイルノガ許セナインデスヨ!ナンデソンナ事モ分カラナインデスカ高橋サン」
頬を膨らせて訴えられるが、その理屈はまったく理解できなかった。そもそもあの中尉殿の写真が、少尉自身の趣味で集められているはずはない。
「何枚も同じようなものがあることから、おそらくそのお写真は少尉殿が兵士から没収されたものだろう。あんなもの中尉の目に触れたら、気を悪くされかねないからな。鯉登少尉殿は中尉殿に気を配ってそのように隠しておられるんだ。おおかた後日まとめて処分するつもりなのだろう」
「本当ニソウデショウカ?僕ハシッカリコノ目で見マシタガネェ!アノ、ウキウキシタ男ノ顔!スキップモシテ、浮カレテイマシタヨ!」
「すきっぷ?」
「小躍リノ事デス」
「あの少尉殿が?冗談か?」
頭上に少尉殿が目尻を下げ、ブロマイド片手に跳ね回る様を思い浮かべてみた。しかしそれはあまりに現実離れした光景で、首を振って想像を払う。
「ありえないな」
「本当デス!僕ガ嘘ヲツイテイルトデモ!?ツクナラモットマシナ事ヲ言イマスヨ!『高橋サンガ面白イ』トカ」
「待て。俺が面白いのは将来確定事項だ、嘘にするな」
「ハハ、ソンナ訳ナイデスヨ」
「静かに首を振るな」
「トニカク!!アノ男ガ隠シタブロマイドヲ捨テテクダサイ!早ク!!アノ男ノ手元ニ鶴見サンガ居ルト思ウト気ガ狂イソウナンデス!」
声量を増す怒声は、やがて頭痛となって俺に響いた。なだめて収まる癇癪ではなさそうであるし、これ以上話が長くなってもたまらない。こめかみに力を込めて、なるべく穏やかに語りかける。
「だから、誤解だ剥製屋。中尉殿のお写真は兵士から没収したものだろう。きっと鯉登少尉殿の持ち物じゃない。毎度俺が破棄せずとも、いずれ鯉登少尉殿自ら処分するはずだ。安心しろ」
「話ノ分カラナイ人ダナ高橋サン、ソレハ違ウッテ言ッテルンデス!」
「鯉登少尉は陸士(陸軍士官学校)を出たばかりとはいえ、中尉も信頼を置く優秀な方だぞ。そんな方が、私情で何枚も中尉の写真を集めるわけ…」
ないだろ、と否定する前に、わめく剥製屋の体が後ろに下がって消えた。扉がふいに開いたのだ。もちろん、内側から人が出て来たという事であり、その人物は話題の鯉登少尉殿であった。
「きさんっないごてこけおっ!?(※貴様なぜここにいる!?)」
扉の前で鉢合わせると、鯉登少尉はすぐさま手を軍刀に伸ばす。なんと言ったかはまるで分からないが、とにかく礼儀として俺は敬礼した。
「少尉がお呼びであると伺いましたので、遅れながらこちらに参りました。すぐに入ろうと思っていたのですが、申し訳ありません」
「……………そうだったな」
納得したように言いつつも、目にはまだ鋭い光が差している。