俺はフショウの高橋だ 作:後味のらーな
つま先から頭まで観察するように俺へ目を向けると、少尉殿はそう言って部屋へ顎をしゃくった。
おとなしくその流れに従い、部屋に入る。部屋の隅には、あの剥製屋が目を吊り上げて少尉を睨みつけていた。
「貴様は、なぜ自分がここへ呼ばれたか理由は分かっているか?」
「いいえ」
部屋の中央奥に置かれた書斎机を挟み、向こう側で腕を組む鯉登少尉が険しい顔をする。少尉殿は落ち着かない様子で続けた。
「まるで見当がつかんという顔だな」
「はい」
「これを見ても思い出さんのか?」
胸ポケットから何かを取り出して、音もなく机にそれを置いた。顎を引く。
「見覚えがあるだろう」
少尉が置いて見せたそれに、背を伸ばしてのぞき込む。たしかに見たことのあるものだった。
写真の中で鶴見中尉が俺に微笑む。以前捨てたものとまったく同じ姿の中尉がそこにいた。
「マ、マダ持ッテイマシタヨ高橋サン!」
剥製屋が背後から悲鳴のような声で俺を呼ぶ。
「捨テテクダサイ!」「ズルイ!」「早クシテクダサイ!モォ!」「高橋サァン!」と何度も肩を揺するようにわめくが、俺は驚いてそれどころではなかった。
「捨てたはずなのに…」
「やはり貴様のしわざかぁ!!!」
心の内を小さく口にすると、聞き逃さんとばかりの勢いの鯉登少尉殿が歯をむき出して叫んだ。
机がなければ、再び突き飛ばされていたところだろう。
「隠しておいた写真が連日消えていくと気づき、まさかとは思ったが…おのれ、貴様どういうつもりだ」
「消えると不都合が……?」
「あるから怒鳴っとるのだぁ!」
なるほど、どこかで俺は誤解をしていたらしい。
鯉登少尉にとって中尉の写真は大事なものだったのだ。
「俺はてっきり少尉殿が他の兵から没収した写真かと思っておりました。よもや少尉殿が個人的に中尉のお写真を好んで収集しておられたとは思いませんでしたので」
「どちらにせよ中尉のお写真を勝手に処分するな」
「はい…」
中尉はご存知なのだろうか、こうやって鯉登少尉殿が自身の写真を何枚も所持していることを。もし中尉が写真のことを知ったらどうするつもりなんだろうか。それとも中尉は黙認されているのか。
「まったく…どうして貴様は、写真とはいえ中尉の姿をぞんざいに扱えるのか……私には分からんな」
少尉は置いてあった写真を手に取ると、それこそ婦人が水晶のはまった装飾指輪を眺める時の、あの眼差しを写真に向けていた。
「写真ですから」
「写真でも中尉は中尉だ」
「中尉は中尉でも写真です。それにお慕いしているなら直接仰ればよろしいじゃありませんか」
「簡単に言うなっ」
そう言って俺を睨む少尉の顔は、たちまち紅潮していく。どこに気が障ったのか分からないが、今のでひとつ確信する。
俺は鯉登少尉殿を怒らせやすい。
「申し訳ありません」
「鶴見中尉はご多忙な方だ、それ故に己の成果を逐一報告してはご迷惑だろう。何より自分を売り込むような真似できまい」
「なるほど」
「そうであるのに、」
どんと、机に右手を打って少尉は一段と大きな声で続ける。
「貴様といったら…!薬指を捧げ、あろうことか鶴見中尉殿にせっせっせっ」
「接吻にも薬指にも事情があるんです」
「やかましい高橋上等兵!事実は事実なんだろう!」
「僕、初耳デスヨ高橋サン!?接吻ッテ!本当デスカ!?」
軍刀を抜いた少尉、眉間に深くシワをつくる剥製屋。その双方が左右から同時に俺へ詰め寄った。
「どういうことか説明しろ!」
「ドウイウコトカ説明シテクダサイ!」
「………」
二人の勢いに気圧されて、ごくりと固唾を飲んだ。
剥製屋の勢いもさることながら、少尉の問い詰め方は凄まじかった。
たかだか下士官の戯れでこんなに取り乱されるとは、鯉登少尉の忠誠心より鶴見中尉の人心掌握術が恐ろしく感じる。
「あー……そうですね、まず中尉殿が俺を」
「待て!やはり言うな高橋ぃ!」
どっちなんだ。
「お聞きになられないのですか?」
「よい、もうよいから言うな」
「しかし話せといったのは少尉殿…」
「いいと言っておるのだ!聞くに耐えん!!」
面倒臭い方だな。
詰め寄った時の気迫はどこへやら。少尉殿は眉間に力を入れて首を振っている。
「お言葉ですが、俺はまだ何も言っておりません」
「聞かずとも何があったかおおかたの見当はつく。どうせお前が鶴見中尉に無理矢理迫ったのだろう」
おおかたも何も、明後日の方向に見当をつけられているようだった。
「本当デスカ高橋サン!?」
お前まで入ってくるな、ややこしい。
「違います、俺は鶴見中尉に誓う忠誠心を、左薬指を断ち、靴への接吻することで示したのです。断じて邪(よこしま)な思惑で関係を迫った訳ではありません」
俺は両指を広げ、少尉の握る軍刀を制した。
少尉の視線が俺の左の薬指に移る。
その双眸がいっそう鋭く光る。
俺もその指のつけ根へ目を向けた。
その指だけが成長を止めて乳児のままであるような、不自然な小ささ。断面は薄い紫と黒のとぐろを巻いて、自分を見ろと言わんばかりの存在感。
傷は戦地では珍しくなかった。俺にも服の下には変色した傷跡があった。
対峙するこの青年将校の顔色をもう一度うかがった。改めて見れば見るほど気品と華のある、整ったお顔をされていた。
俺の指は、少尉殿の目に不気味な異形として映る、そのはずだ。
「すみません、お目を汚しま」
「私なら…」
重なった言葉を止め、俺はとっさに鯉登少尉殿の歪んだ口元を見た。
「私なら何本だって切り落とせる」
「…………」
あまりに純粋な顔で言ってのける。
きっと鶴見中尉殿の命令となれば簡単に命も差し出すのだろう。まとう雰囲気は、まさに青年将校特有のもの。どれだけ将来の地位を約束されていたとしても、命令を遂行する。どれだけ自分の命に価値があり、どれだけ悲惨な事かも知らずに。
守らねば。
そう思った自分に、俺は驚いた。ごく自然にそう思ったのだ。少尉殿をお守りせねば。
「少尉殿、お言葉を返すようですが少尉殿にそのようなことする必要はまったくありません。少尉殿は充分俺より鶴見中尉殿から信頼を置かれているではありませんか」
「そ、それは本当か高橋!!」
「はい」
少尉殿の表情は瞬く間に明るく、期待をこめた目で俺を見た。
羨ましいほど綺麗だ。浅く頷いて、続ける。
「俺がこのように指を切ったのは、中央と第一師団の間者と疑われたからであります。俺は疑いを晴らすため、指も接吻も捧げたのです。
少尉殿はその才と力量を見込まれています。今回だって中尉殿はわざわざ小樽へお呼びになって、お側に置いておられる。比べるのも失礼な話ですが、私とは真逆の状況であられます。
少尉が指を切る必要などあるはずありません」
「フフ」
不思議なことに少尉殿は愉快そうに頬を緩めた。俺の言葉がよほど気に入ったらしい。「ンフフ」と、大きな弧を描く唇の隙間から声が漏れる。
「高橋上等兵…貴様よくわかっているではないか」
毒気の抜けた物言いだ。組んでいた腕も解かれ、荒立っていた心中も穏やかだろう。
「ありがとうございます」
「たしかにお前の言うことも一理ある。鶴見中尉に期待されているとあらば、指など失う必要はないな」
「はい、充分に期待されております」
「ンッフフフフ」
少尉がより大きな音で喉を鳴らす。
普段の、あの眉ひとつ動かない凛とした表情が嘘のようだ。
俺は少しくらいは信用されたのだろうか。
「アカラサマニ持チ上ゲテマスヨネ高橋サン?」
ゴチャゴチャとうるさい剥製屋をそのままに、そんな期待から「ですので」と続けて、口を滑らせる。
「あのような写真も必要ないでしょう」
「それは違う」
手で写真のありかを指し示すが、その手はすぐさま弾かれた。
目には再びあの炯々(けいけい)とした眼光が宿る。
「鶴見中尉に見込まれていようといるまいと、写真を持ち歩くのは変わらん。お写真は私の生命線だ。たとえ罪に問われようと、私はこの写真を離さんぞ」
鶴見中尉に知られても関係ないと言っているも同然だった。上官に逆らわず生きているような少尉殿にも、意外な一面があったものだ。
「なるほど。それなら、俺は誰にも言いません」
俺は共犯になることにした。決断というほどのこともなく、ごく自然にそう選択した。
俺は姿勢も若干伸ばしてみて、深く頷くと、少尉殿はその態度に納得した様子であったが、ハッと目を見開いたかと思うと、次に怪訝そうな表情で俺を睨んだ。
「…………貴様は誰に聞いた。誰かが噂しているのか」
少尉殿の目がいっそう鋭くなる。
「貴様が今指さした棚、よく考えればあそこに写真をしまったのは今朝だ。誰にも分かるはずがない」
俺の手を払った時に気づかなかったのだろうか。
そう、俺が『あのような写真』と呼んだのは、剥製屋が「捨てろ」と朝一番に俺へ訴えた、あの写真だった。
「いや……よく考えれば、ここ数日しまった場所はすべてあばかれている。私しか知らないはずの、写真の隠し場所だ。まるで私を監視でもしていたかのような正確さ。貴様……一体どこから私の様子を聞いた?まさか月…」
コンコン、戸を叩く音が言葉を遮った。
俺も少尉殿も戸のほうへ意識が向く。向こうからほどなくして名乗り出す。
「月島であります、入ってよろしいでしょうか」
鯉登少尉が息を呑む音がこちらにまで聞こえた。俺と戸の向こう側とを交互に見つめ、やがて警戒した様子で少尉は静かにつげる。
「…………………入れ」
「失礼します」
扉を開けた軍曹殿の目に映ったのは、さぞかし異様な光景だっただろう。警戒の色を露骨に浮かべる鯉登少尉と、通常いるはずのない俺が向かいに立っているのだから。
「なぜお前がここに?」
月島軍曹殿が不審感をにじませた口調で尋ねる。
「少尉殿に呼び出しを受けたので、食後こちらに参りました。申し訳ございません、俺は一旦外へ出ます。扉の外で待機しておりますので、終わったら申しつけください」
言いながら俺は踵を返す。
しかし扉へ向かう肩はすぐ軍曹に掴まれ、俺は思わず軍曹殿の顔を見た。
「………いや席を外さなくていい。まあ、お前も関係はある話だ。ここにいろ」
思い当たる節はあった。ついさっきまで鯉登少尉殿が追求しようとした、中尉殿のお写真の件だ。
俺が勝手に中尉殿のお写真を捨てていたことを、もし月島軍曹殿がご存知なら、そのお咎めがあるだろう。
「し、写真を処分したのは、兵から没収した品だと判断したからであり、決して悪気があったわけでは……っ」
「なんの話だ?」
俺の消え入る声を聞いて、軍曹殿はいかにも話の意味がわかっていないという顔をしていた。俺は恐る恐る尋ねる。
「鶴見中尉のお写真を捨てたこと、ではないんですか?」
「貴様捨てたのかっ!?写真を!?」
一転したその表情で、言わなければ知られずに済んでいたことを悟った。月島軍曹殿は血相を変え、少尉殿の方へ視線を移す。
何も言わずに少尉は首を横へ振った。
「私が懐に隠したものをのぞいて、全滅だ。すべて高橋の手によって、中尉殿をめちゃくちゃにされた……」
お写真の話である。
鯉登少尉の目にはうっすら涙が浮かんでいる。誤解のないよう、俺は声に出して念をおす。「写真の話ですよ」。「写真でも中尉は中尉だ!」と荒んだ声が返ってきた。
「お前よくそんなことができたな…」
素直に驚いた様子の月島軍曹殿が言った。
それを聞いて少尉殿がキッと月島軍曹殿を睨みつける。
「月島ぁ…貴様が高橋に写真の隠し場所を漏らしていたのだろう。私が腑抜けることを危惧して、写真を渡したそばから高橋に処分させる魂胆だったのだろう!そうだろう!」
「違います」
鯉登少尉殿の気迫を物ともせず、月島軍曹殿がキッパリと言い切った。
「ぐぬ……だがお前が教えなければ、高橋が隠し場所を知るはず無いではないか」
「そもそも腑抜けるのを危惧していたならば写真など渡しません」
そんな回りくどくて面倒くさい事をするわけないでしょう、と付け足す軍曹殿。その言葉はもっともで、鯉登少尉も納得して口を閉ざす。けれども少尉殿の表情はまだ晴れずにいた。
「少尉殿、お写真はまたいつでも差し上げますからこの話は終わらせましょう」
「本当か月島ぁ!」
「本題は、今夜の偵察です。そろそろ獲物が餌に食いつく頃でしょう」
たちまち顔を晴れやかにする少尉殿をかたわらに、淡々と月島軍曹殿が話を進める。手にしていた洋紙を卓上へ広げた。鉛筆の線で描かれた図は、おそらくあの賭博場の内部の造りだろう。
「先日鶴見中尉から仰せつかった作戦だな?」
「はい。作戦は今晩から始めるそうです。数名に別れて賭博場に潜伏、監視します。現在、具体的に奴が来る日は読めていませんが……これまで稲妻が起こした事件から考えるに、奴はおそらく夜が更ける前に賭博場へ押しかけてくるでしょう。派手に暴れたところを見計らって、騒ぎに乗じ、奴を捕獲するそうです」
「いよいよ人皮狩りが始まるのだな」
待ち望むように空(くう)を見た少尉殿は、そわそわと落ち着きがない。
机を覗き込む俺の影が、図面の賭博場を覆うように落ちていた。以前訪れ、いくらか愉快な気分になったその場所を、自分の手で荒らすのだ。俺は影が図面に被らぬよう、そっと身を机から離した。
「俺はいつ頃潜入するればよろしいでしょうか?」
「今日から5日間だ。二階堂と何人か日替わりで兵を連れて行け」
月島軍曹殿の言葉に背筋が伸びる。考える間もなく、俺は問いかけていた。「二階堂も?」月島軍曹殿の表情は変わらない。
「二階堂も問題なく今では働くことができる。本人も足を引っ張るつもりはないと言っていた。お前と二階堂が数日の間潜入を先導しろ。周辺の監視は俺が先導し、それぞれ日替わりの兵が同行する」
「分かりました」
二階堂が連日外へ出歩くのが不安ではあるが、与えられた勤めは必ず果たすと固く心に決めていた。鶴見中尉の信頼を勝ち取るためだ。
その一方で、少尉殿が話に割り入る。
「私はどうすればいい月島」
「少尉殿は奴が現れるまでじっとしていてください」
「しかしっ!」
「現れればちゃんと呼びますから」
「そうか分かった」
快諾する少尉の顔は晴れやかなものだった。
朝から少尉殿は不安が尽きない様子だったが、月島軍曹殿と一緒であるとそんな表情が若干少なくなる。
「詳しい内容は今晩ここを出る前に話す。それから今日出る者には、一度玄関近くの空き部屋へ集まるようあらかじめ俺から伝えておく。高橋」
「何でしょう?」
月島軍曹殿はわざと声を低くして続けた。
「同じことは繰り返すなよ。分かったな」
この前の鶴見中尉が脳裏をよぎる。
尻餅をついて倒れた俺に、鶴見中尉が左手を差し伸べる光景。右手には短刀を持ち、「さあ」と微笑むあの方は、俺を微塵も信用をしていない。
「もちろんです」
すべて完璧にこなしてやる。そうすれば信頼され、この先の居場所には困らないだろう。