俺はフショウの高橋だ 作:後味のらーな
また、原作に登場しないモブキャラの描写が多く出てきます。申し訳ありません。
【小樽の兵舎:鶴見中尉の将校室】
空は墨が水に滲むようにゆっくり闇が濃くなり始めていた。部屋の中も同様で、すでに夜の肌寒さが漂う。
静かに部屋に灯りを灯す中尉。その背中に、将校部屋の物書き机のそばで直立していた男が言葉を投げかけた。
「まだ信用できませんよ、高橋は」
「………昨晩何があった、二階堂一等卒」
淡々と切り出した二階堂は、表情を変えずにヘッドギアに縫い付けられた耳へ手を添えた。
「洋平、どうする?言った方がいいかな?いいよね?言っちゃおうか?どうしようね?やめちゃおうか?」
「その耳をちぎって放り投げられるのと、今すぐ話すのどちらがいいかね二階堂」
「昨晩の作戦はおおむね問題ありませんでした」
黒目だけを鶴見中尉に向けボソボソと二階堂は初日の潜入について報告した。
潜入というのは、例の偽物人皮を流した賭場で稲妻を待ち伏せるというものである。
この潜入には二階堂のほかにも、選ばれた何名かの兵がその任務にあたっていた。しかしこの時報告される対象は賭場の様子や任務の進行状況でなく、いまだ疑いの絶えない高橋の様子についてである。
「高橋は言いつけ通り油問屋に入り、自分の正体も明かさず、一瞬の隙も見せずに朝まで待ってた。結局あの稲妻が来ることはなかったけど、店主以外の周りのヤツらに自分の身元を匂わせるような下手は打たなかった。だよね洋平…」
「律儀な男だな。まるで『誠実』が人の形をしているようだ」
月島軍曹からも定期的に監視の報告は届いていた。常に変わらず従順な高橋の様子には感心する。けれどそんな中尉へ二階堂は「でもね」とすかさず断りを入れた。
「変なヤツがいました。そいつが高橋とよくしゃべってた……ねぇ洋平」
「変なヤツだと?」
「変なヤツだよねぇ」
二階堂は耳に語りかけている。おうむ返しに中尉が尋ねても、語りかけるのはあくまで手元の耳だ。
「あの変なヤツ、占い師の弟子って言ってたね、あのオッサン。たしか口寄せが得意だって偉そうにね。高橋がそれは本当かって疑ってたけど、そいつは態度を変えなかった。『それじゃぁ、あなた、アタシが口寄せして占ってさしあげましょうか』って。ヘラヘラしてたけど自信がありそうだった『高橋先生に教わったんだから、当たりますよぅ。アタシの口寄せは』って言ってたね」
高橋先生、とその名を耳にするとたちまちに中尉の顔は険しくなった。こちらには目もくれない二階堂の顔をしばらく見つめ、やがて「高橋は高橋でも……」と独り言のように呟いた。
「高橋先生と呼ばれたのは……もしやかの有名な『横浜の父』、高橋黄衛門(きえもん)のことだな?たしか今は隠居生活で北に移り住み、北海道炭礦鉄道の社長をやっているらしいが…」
「そのひとが小樽に来てるって新聞でもいってたねぇ」
将校室の書斎机には数十部の、小樽に限らず札幌や釧路などの地方新聞がきっちり整えて重ねて置かれている。中尉は迷わずその束から一部の新聞を抜き取って、灯りのもとに晒した。
『第七師団ノ食言(しょくげん)』という見出しの文だ。(※食言:嘘をつくこと)
第七師団をなじる、過激な批判の声に眉を寄せつつ、順を追って上から下へと目を走らせる。
「派手にやってくれるな、食言とはどちらのことか…。あの狸爺めが」
人皮狩りに取り込み中の今、正直なところあまり本筋から離れたところに手を出すのは避けたかった。
「軍に紛れこんだ己の孫を探すため、小樽にまで足を運ぶとは。泣かせる話でどうも嘘くさい。どちらにせよ私のところへ訪ねてくるのも時間の問題か…」
けれども、高橋の面会を断るのは不信を買いかねない。
というのも表舞台では敵対している第七師団と高橋であるが、実のところ密に関わりを持っているのだ。うまい具合に世論を煽ぎ、街の反乱分子を一挙にまとめ、自身に都合良い形で鎮圧する。要は庶民の味方のふりをして最後は背中から刺し捨てるのが高橋の常套手段らしい。情報将校の鶴見中尉はもちろんここまですべて知っていた。
しかしそんな中尉でも『孫』の存在は耳にしたことはなく、いまだにその言い分が訝しく思えてならないのだった。
「口寄せと高橋黄衛門ってなんか関係あるのかなぁ?」
「高橋黄衛門は口寄せを使って成功してきたことで名高い事業家だ。だからやつの胡散臭い言動も侮ることができんのだ。ヤツは世の流れを口寄せで見極める。口寄せがよく当たるので、日清戦争と日露戦争の占いが報知新聞や国民新聞なんかにも掲載されたほどだ。そしてその占いがまた当たっていたものだから、一時期中央が高橋の話題で持ちきりになった。今でも中央で高橋を本物の予言者と言う者も少なくない」
つまり高橋の持つ中央、ひいては軍への影響力はそれなりに大きい。面倒であってもないがしろに扱うことは危険だった。
「たしか高橋黄衛門の信条は『占いは売らない』。商売として占いをやるつもりはないらしが……とは言ったものの弟子は何人かいた。身分性別問わず、その才能のみで門入りを決めていたそうだが……」
「じゃああのオッサンが高橋の弟子っていうのはホントかもね」
「まだ断定できない、可能性は半々と言ったところだ」
そう言いつつ中尉は手元の新聞をたたんで、そっと束の上に乗せる。
「ところでその自称高橋黄衛門の弟子は、結局こちらの高橋になんと占ったんだ?」
二階堂はすぐには答えなかった。記憶をじっくり呼び起こすように、照明にたかる羽虫を目で追う。
盆が近いと言っても夜は肌寒い北海道。虫の数は二、三ほど。動きもはたいた塵が舞うかのごとく鈍かった。
「『3日後、あなたの待ち人が来るぞ』と」
「3日か」
鶴見中尉は言葉を含み、二階堂に背を向けて新聞の文字を睨んだ。
当たるかどうか怪しいのが占い。しかも言いふらしたのは自称高橋黄衛門の弟子。ほとんど信用に値しない情報だが、中尉自身どこかで予感をしていた。
今日から2日後に稲妻強盗夫婦は来る。
「ご苦労だった二階堂。よくやった。もどっていいぞ」
二階堂のほうへ振り返る。二階堂はこちらを見向きもしない。
「わかりました……戻っていいって洋平」
そう耳へ微笑みかける二階堂の様子を見ていたが、中尉はふと「これは余談だが」と言葉を繋げた。
「高橋上等兵も口寄せができるそうだが」
二階堂はその言葉に、ぼんやり口を開けたが何も言わなかった。
喋らないことを見こし、言葉を誘うように中尉は語りかける。
「……もしかすると高橋上等兵こそが高橋黄衛門の捜し求める『孫』なのかもしれんな」
「違う」
瞬き一つせず、こちらをうかがう。中尉は黒目を細くして、見返した。しばらく部屋の音は風がガラスを叩くものだけになった。
「違うというのはどういうことだ?」
「あいつは口寄せなんてできない」
「ほぉ」
「『あいつの』は、口寄せなんてもんじゃない」
口寄せのくだりに気を留めたのは予想外だった。しかし高橋の『口寄せ』はすでに妄言と見受けている。だろうな、と本心からうんうん頷く中尉。
だが二階堂の後の言葉、
「ただ死人に振り回されてるだけですよ」
と、そのひとことに首を止めた。
固まる中尉をそのままに、二階堂は「これから任務があるので失礼します」とその場を後にして出ていった。
ギキィという木製扉の軋む音が、兵士の悲鳴を思い起こさせる。
まれに見せる高橋の焦点の合わない瞳。その双眸はじつに死人と瓜二つ。二階堂洋平や江渡貝弥作の振る舞いも否定のしようがないほど似通っていた。
まさか本当に死んだ人間が居るのか、と冗談半分に勘ぐってドアを見る。
「……」
足音もない静かな扉の向こうを睨む。
ドアの外には間違いなく人の気配があった。
「誰だ」
「………月島であります」
「入りなさい」
白状した男が部屋に入ってきた。敬礼をする顔にはなんとも居心地悪そうな表情が浮かんでいる。
「おや……鯉登少尉も居たのか」
続いて部屋に入った人影も同じ表情であった。
人影は頷いたあとに頭を突き出すような敬礼をして、おずおずと言った。
「死人に振り回さるっとはどげんこっなんやろう?」
「わからんぞ鯉登」
「月島ぁ!」
「死人に振り回されるとはどういうことなんでしょう?と言っています」
「………なにかの隠喩に違いない」
毅然とした中尉の言葉に、ですよね、と鯉登少尉は顔を綻ばせた。
「そうでしょうか」
割って入るように呟いたのは月島だった。
「もし言葉のままの意味だとするなら…」
「死者が存在するとでも?」
そんなわけないだろう、というニュアンスを含んだ中尉の言葉。ふ、と軽く笑って中尉は言った。
「確かに死んだと思っていた者が生きていたことはある。銀行を襲ったあの悪霊のことは忘れもせん」
いまだ肉体を保ち、生きはばかる幕末の英雄を皮肉で亡霊呼ばわりするならまだしも、真面目な顔で幽霊を語るのはよっぽどのことだ。そうそうする事ではない。正直、月島軍曹自身もそう考えていた。
しかし今朝の件がどうにも気がかりだったのだ。
「高橋上等兵は、二階堂を始め、私や他の兵が警戒して四六時中見張っています。以前から申し上げている通り、一見不審な動きはどこにもありません。そうであるのに、妙なことを言って、それを言い当てることがあるのです。まるで実際に盗み見たかのように正確に、身辺のことを言い当てます」
「そうかそうか。ますます『口寄せ』の信憑性が増してきたな、面白いぞ」
中尉が茶化すのも無理はなかった。その反応も当然だと思い直す月島軍曹、その横で中尉と同じく鼻で笑う鯉登少尉の姿があった。
「考えすぎだぞ月島」
顎を斜めに構えて少尉は言った。
「先ほども言いましたが、やはり高橋が(写真の)隠し場所を言い当てる事の説明がつきません鯉登少尉殿」
「フッ、だからと言って幽霊の力を借りたというのか?」
「その可能性も考えられる、と」
「限りなく低い可能性だ」
そう言い切った鯉登少尉に中尉も同様の反応だった。そして「そんなことを月島が言うとは」と意外そうに声を漏らす。
らしくないという自覚が月島軍曹にもあったが、それにしても釈然としない。一方、鯉登少尉は緩やかな笑みを据えたまま肩をすくめて言った。
「高橋は狐か狸に摘まれているのか、我々をおちょくっているだけだ。背も高いと態度もでかくなる…。私のことを舐めてかかっているに違いありません。私が必ずあの舐め腐った根性を叩き直してみせましょう……って言え月島ぁ」
「もう聞こえてるぞと言え月島」
左右から板挟みにされる。
「………」
もう何も言うまい、そう静かに月島軍曹は心に刻んだ。