俺はフショウの高橋だ   作:後味のらーな

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※修正は明日に行います、読みづらくて申し訳ありません。


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「んなっ」

 

唐突に肩を掴まれたことで声が漏れた。

頭で思考をめぐらせているところでの不意打ちだった。

高橋が大股で足を俺の前に放り出し、詰め寄る二人のうち、右手側に立つ男の距離を詰めた。同時に半円を描くように拳を振り上げたかと思うと、そのまままっすぐ頭上に拳を突き落とした。

ゴッという嫌な重低音がした。前のめりになって男が崩れ落ちる。「ヒグッ」とうめいて静かになった。高橋の腕がビュンと風を切る。唖然とする左側の男の首に、その拳がめり込んだ。室内の敬礼(※体の上部を十五度傾けた状態)の格好のまま男は殴られた方向に倒れ、雪の上で小刻みに痙攣していた。

それにあっけにとられていると、高橋はすでに三島の方にズンと歩み寄っていた。狙いはその奥にいる低身長の男だ。

俺はとっさにその体ごと引き止める。

 

「殺す気かっ!」

 

振り向く高橋の表情は、ちょうど逆光で見えなかった。

 

「そうですよ」

 

その抑揚のない声だった。

 

「お前…」

 

本当に人か。そう問いかけそうになった。

だがこちらが訊くより早く口を開いたのは高橋だった。にこりともせず、

 

「冗談です谷垣殿。しかし、反撃しなければこちらが殴られますよ」

 

と言い放った。

確かにその通りではあるが、限度というものがあり、まさに高橋の反撃は一方的な力の爆発だった。けれども高橋は依然として他人事を語るように冷静である。その態度を前にして返す言葉を失った。寒気が体中を走り抜け、麻布に身を包んだような心地になる。

 

「行くぞ」

 

強引に片腕を掴んだのは三島だった。その動きからすぐさまこの場を離れるようとしているのを察した。三島は声を潜めて「見られている」と俺の背後を顎でしゃくった。

ハッとして酒保の窓を向くと、人を食ったような表情でこちらを見る尾形上等兵と目が合う。

つい数分前入り口を横切る際に、窓に身を寄せるこの人の姿が脳裏をよぎった。

三島に引きずられるように俺と高橋はその場をあとにしたため、わずかな時間しか視線が合わなかったが、さらに俺の肝を冷やかしたのは言うまでもない。俺と三島が高橋と結託している、と誤解を生んだかもしれない。

いよいよ動揺を隠せられず固唾を飲むと、そんな俺の気を案じてなのか三島がまた小さく耳打ちをした。

 

「心配するな、上等兵殿には事の旨はあらかじめ伝えてある」

 

『事の旨』というのは恐らく高橋を懐柔する企みのことだろう。それならばひと安心かと、心許ない安息に胸を撫で下ろす。

 

「なぜこうも遠慮なく殴れるのか、お前は」

 

三島は今度は大げさにため息を吐いてそう言った。高橋に投げかけた言葉だとすぐ気づかず、眉を寄せる。横を見れば、三島を挟んで向こう側に同じく三島に腕を引っ張られながら眉を寄せている高橋がいた。

 

「殴ったのは殴られそうだったからだ」

 

高橋は俺に言ったことをまた口にした。しかし口調はいくらか乱暴な、良く言えば砕けたものだった。

 

「お前が変なことを口走らなければ殴られずに済んだはずだ」

 

「そんなことない」

 

真っ向から突っぱねられる三島を見て、不安が募った。「飼いならしてやる」と意気込んだ割に高橋からまったく従順さを感じない。

 

「それに…それを言うならお前のせいだろ三島。お前が入ってこなければあの場は丸く収まっていたのに」

 

「どこがだ」

 

三島は腕から手を離し、呆れ顔で高橋を見上げる。

 

「お前な、背の低い者に対して気を回すのは嫌味に決まってるだろう。お前みたいな図体がでかいヤツが言えばなおさらだ」

 

「そんなわけない」

 

「そんなわけあるんだ」

 

むしろ高橋は三島に対して鬱陶しさを滲ませた態度であった。

三島、お前よく俺に向かって「見ていろ」と言ったものだ。見てられない。

 

「冗談のつもりで言ったとしても愛想がなけりゃ笑えないだろう」

 

「愛想はある、俺だって」

 

「ないから言っとるんだ高橋」

 

素っ気なく三島は言葉を返して営庭を横目に、自分たちの部屋のある兵舎の方へ歩き出した。

追いかけるように高橋が後を歩く。

 

「舐めてもらっちゃこまる。こう見えて日々努力してるんだ」

 

「嘘だろ」

 

思わず口をついていた。ようやく喋った俺の方へ高橋と三島の目が向く。

 

「谷垣もそう思うよな」

 

「ひどいですよ谷垣殿」

 

 

二人の様子に違和感を覚えつつ、先ほどの猟奇的な光景が薄らいでいった。

 

「ほら高橋、いっかいやってみろよ。愛想笑いでも」

 

「よしきた」

 

快諾するとは思ってもいないので、「嘘だろ」とまた困惑するのも束の間、高橋はピクリとも笑わずに言った。

 

「ふっふっふっ」

 

「………」

 

気色悪い。

 

「それは何なんだ、どこから声をだしてる?」

 

同じく反応に困った三島が訊いた。

 

「腹式呼吸を知らないのか?」

 

「誰が呼吸法を使って笑えと言った」

 

「息を止めて笑えというのか?」

 

「普通に力を抜いて、口の端をあげればいいんだ口の端を」

 

言われるままに、高橋はクィッと口の端をあげて俺たちを見た。あがったのは片方だけだった。

 

「………」

 

「両方あげろ高橋。お前気味の悪さに拍車がかかっとるぞ」

 

「無理に決まってるだろ」

 

「なんで無理なんだよ」

 

できるだろ普通は、と呆れ顔で三島が高橋を見る。

 

「それと愛想笑いっていうのは、間合いが大事なんだ。お前は人が苛立つ間合いで相槌を打つからダメなんだ。普通は相手が気持ちよく喋ったあとに『ハハハ』と、ひかえめに口角を上げて愛想笑いをするのが良いのだ。わかったか?」

 

「ハハハ」

 

「違う、今じゃない」

 

その後結局、内務班の部屋へ着くまで俺たちは「あーでもない」「こうでもない」と高橋の言動に茶々を入れて歩いた。

最初こそ手のつけられない冷血漢と思われた高橋だったが、三島の言葉にムキになる様子は子供じみていて、なんだか別人のように見える。

そんな二面性がやはり薄気味悪いとは感じるが、悪いヤツではないのだろうと心のどこかで思っていた。そしてその思いは予期せず、早くに確信へ変わることになるのだった。

 

 

○○○○○○○○○○○○○○○○○○○

 

 

【谷垣の回想:旭川の兵舎】

 

廊下で目があった高橋が、こちらに歩み寄ってくる。

 

 

「谷垣殿、三島を見ませんでした?」

 

小樽に向かう日が近づいていた。あと2週間。

落ち着かない雰囲気の中、三島は病院に向かっていた。

鶴見中尉の前頭葉がまだ完治していないというのは周知の事実だったが、面会するのはごく限られた人物であり、その人選はひとえに鶴見中尉に委ねられていた。三島が呼び出されたのには意味があるようだった。

 

「わからない」

 

口先に任せて答えると、あからさまに高橋は肩を落とした。

 

「そうか…」

 

「急用か?」

 

「そう言うわけじゃないんだが、」

 

高橋があらたまってこちらを見る。最近は俺ともよく声を交わすようになり、高橋はしばしば砕けた口調になっていた。しかし完全に敬語が抜ける訳ではなく、この時も態度こそ変わらないが、よそよそしさが見え隠れする。

 

「三島が最近外へ呼び出されているでしょう」

 

「……」

 

まさか、と思った。

世間話と肩の力を抜いていた矢先に、緊張の糸が張る。高橋に『計画』のことを勘づかれたのでは、そんな最悪をも予想した。もしそうならば今この場で持って口封じをするしかない。密かに懐の短剣に手を伸ばす。

 

「帰るとき、こう…思いつめた面もちで。ため息をつく日もありますよね」

 

「そうだな」

 

「余程のことがなければ人間、ため息なんぞ吐きませんよね」

 

「そうだな」

 

「しかも連日ため息をつく。ということは呼び出された内容は非常に厄介なこと、ということですよね」

 

「そうだな」

 

「ということは、俺が手を貸してもどうすることもできない、しかしそれでは三島が気疲れしたままですよね」

 

「ああ…そうだな」

 

俺は剣から手を離した。

フッと張った肩から力が抜ける。

 

「つまり三島に何か景気づけることでもしてやりたい、ということだな高橋」

 

「…はい」

 

高橋が浅く頷く。けれど顔つきは少し戸惑っているように見えたのは、あながち間違いではないだろう。

コイツの表情がこの頃少し読めるようになってきた。

 

「俺が何をしてもどうにもならないだろうが…せめてこの前、店に連れ出してもらった恩ぐらいは返したくて」

 

「大袈裟だなお前は。三島はそこまで気にしていないだろ?」

 

もちろん連れ出したのは、こちらに引き込む魂胆があったからだ。

今になって効くとは思わなかったが。

 

「……けれど近頃のあいつはずっと辛気臭い顔だ。死人みたいな」

 

「言い過ぎだ。それよりお前でも人の顔色を気にするんだな、意外だ」

 

「そうだな…別段、誰か個人の顔色なんて気にしたことなかったのに。なぜだろう」

 

高橋の方も首をひねっている。俺はしばらく共に廊下を歩きつつ、その横顔を見ながら言葉を待った。

自分でも考えたことが無かったらしく、高橋は「んー」と唸っていたが、やがて自分たちの内務班の部屋が見えだした頃に「あ」とこちらを見た。

 

「三島は口うるさくて鬱陶しいけれど、突然おとなしくなったから気になるんだけな、きっと」

 

「言っている意味はわからなくないが…」

 

三島の本来の目的を考えれば、『鬱陶しい』と思われていたことは本人にとって非常に不本意だろう。しかしよくいえば高橋の気を引けているのだから、本人には複雑だ。

それより、高橋の変な意地の張り方がおかしく思えていた。

 

「高橋。そこは素直に心配だと言えないのか」

 

「そこまで心配してない。あいつは偉そうに俺の世話を焼くのが常であったから、急に静かになると何かあったと思うだろ。だから別に、特別気を揉んでいるわけでもなく、少し気になるってだけで」

 

「じゃあそういうことでいい」

 

「谷垣殿、誤解しないでもらいたい」

 

「俺は何も言ってないぞ」

 

「その顔は『なるほど、実は二人はそういう感じの関係か』と解釈した顔だ」

 

「いや、それはお前の思い込みだ」

 

「そして二人の有る事無い事を噂にし、流す魂胆なんでしょう。そうなんでしょう」

 

「いや、それもお前の思い込みだ」

 

「嘘をついても無駄です、その胸毛を見て俺が騙されるとでも?」

 

「いや、胸毛関係ないだろ」

 

「冗談です」

 

「お前ずっと真顔だったぞ?」

 

「ははは、まさかまさか」

 

少しだけ笑ったが、やはりそれは微々たる変化だ。それでも最初に見せた下手な愛想笑いより好感の持てる笑いだった。

 

「谷垣殿は面白い人ですね」

 

そう言いながら高橋は内務班の戸を開けた。

 


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