俺はフショウの高橋だ 作:後味のらーな
【杉元の回想】
「だめだな。酔っ払った」
「いやどこがぁ!?」
表情が依然として変わらない彼が言うものだから、俺は本気で焦った。俺ですら、ぐらぐらと視界が揺れているというのに、男の背は微動だにしていないように見える。涼しい顔で次の酒を注ぐもんだから、よけいに恐ろしい。
「せっかく連隊長殿がくださった酒だというのに、もう無くなりそうだな」
「祝い酒なんだ。これぐらい早く減ってるのが景気が良いんだよ」
周りには酒で潰れて机に伏せる者、床に丸くなる者など様々だった。だが潰れていない者といえば数えるほどしかおらず、今のところまともな話し相手は高橋しかいない。
「なあ杉元、俺はどうしたら面白くなれると思う?」
「うん~~~……」
首をひねるが出てこない。酒をもう一杯あおってから、また考えてビシッと男の顔に指を向けた。
「まずはその無表情をどうにかしないとなぁ」
「そうか…自分ではめいいっぱい動かしてるつもりなんだが」
「人間ってのは相手の顔と同じ顔して喋るもんだろ。あんたが死人みたいに冷めた顔してたら、相手だってそんな顔になるのも仕方ないよ」
「相手が死人みたいな顔だったらどうしたらいい?」
「それは相手に問題があるから気にしなくていい」
どちらにせよアンタ気にしすぎだって、そう肩を叩いても何やら考え込んでいるようで言葉はしばらく返ってこなかった。あまりにも高橋が黙り、沈黙が長引くものだから、しびれを切らして俺から話を振った。
「…どうして笑わせることにこだわるんだ?」
「笑ってないと、死んでしまうぞ」
「………その答えが笑えないんだよなぁ」
「そうか。なるほど。ここは面白い冗談で返すべきだったか。すまないがもう一度同じ台詞を」
「恥ずかしいからやだ」
もし言ったところで、洒落た返し言葉が言えるのかも怪しいのに。そんな本音は飲み込み、「で、どうなんだ?」と俺は高橋の目を見た。
「どうと言われても、これだけ面白くない事が評判になってしまうと気にするだろう?」
「誰でもそうだろうね」
「それに」
「それに?」
「……」
言い淀む高橋。心なしか顔に赤みが差しているようにも見えたが、見間違いでもおかしくないほど薄い。いや、本人の肌自体が元々青いのでわかりにくいんだろう。あまりに渋るもんだから、俄然口を割らせたくなる。
「言ってくれよ、大戦を生き抜いた同志のよしみでさ」
「……そうだな」
頷きながら、高橋の視線は俺からはずれ、隣の席の上に止まった。時々だが、高橋は喋っている相手から微妙に視線を外す。
「昔、笑ってほしい人を笑せられなかった。その記憶がまだ心の傷みたいになって、自分に自信が持てなくなったんだ」
「笑ってほしい人?」
聞き返せば高橋は小さく顎を引いて続けた。
「実は俺の祖母は……巫女のような陰陽師のような『胡散臭い芸』ができる人でな。俺は5〜6歳ぐらいからずっと、その祖母の助手として地方を連れまわされた。両親の反対を押し切って連れ回すもんだから、ばあさんは俺以外味方が居らんようでな。そのころは同情半分で、東京やら大阪やら祖母と一緒に転々とした」
「巫女のようなって、具体的にどんな事だ?」
「簡単に言えば幽霊と話をする仕事だと。祖母はそれを俺に継いで欲しいらしかったが、あいにく幽霊は実際見たことも聞いたこともなくてな」
「そうだな。前にアンタ、幽霊なんていないと断言してたもんな」
「そうなんだよ。ばあさんには悪いが、俺は幼い頃から幽霊に縁がなかった。だからばあさんの仕事に付き合わされるのは、苦痛に思った事が多い。特に移動ばかりなもんだから、親しい友人はできないし、親とも満足に会えん。話し相手は野次馬か祖母だけだったな」
「それは幼子にしちゃ、辛いだろうね」
「でもな、たまに良いことも巡ってくるもんで、行く先々で美人に出会えることが多かった。ありがたいことに」
「ふーーーーーん?全然羨ましくないけどぉ?それでぇ?」
「その中でも、神戸の肥鵯(こえひよどり)に呼ばれたとき出会った子は格別だった。一目惚れだったな。黒髪のおさげが美しかった。毎晩毎晩、祖母に隠れて会っては明け方まで話し込むこともあった。彼女は一言も俺と言葉は交わせなかったが、それでも会えるだけで嬉しかったんだよ。会って、俺の話にこっくりこっくり彼女が頷くだけで幸せだった。
「フハ、惚気かい?」
「ああ惚気だよ」
真顔返すもんだから、俺は一瞬面をくらって固まった。一切表情の動かない語りだが、声は微妙にまどろんでいた。確かに酔っているようにも見えなくはない、ようやくこの人から自分達に似通った人間らしさを感じて、酒をまた一杯つぐ。
「ありがとう杉元」
「いーや。それよりその初恋、実ったのか?」
「それがな、」
ついだ途端に酒はぐいと高橋の喉に消えた。あっけなく無くなる酒に目を奪われる。
「まったく。気持ちを伝えることもなく玉砕したさ」
「気持ちを伝えずって、どういうことなんだよ」
「俺が次の土地に移らにゃならなくなった晩、俺は確かに気持ちを伝えようとした。だがその前に、彼女の声を聞いてみたかったんだ。言った通り、彼女は俺に言葉を返してくれない。相槌は打ってくれるんだが、いつも澄ました顔でクスリともしないんだ」
「変わった女だ」
「奥ゆかしいと言ってくれ。とにかく俺は最後の晩こそ、彼女の声を聞きたかった。あわよくば彼女の笑顔が見れたら、と」
「本音は?」
「やりたかった」
「真面目に答えるなよ」
その答えがこの話の中で唯一笑えたところだった。
「そういう心意気で、俺は何度も渾身の笑い話を話した。何度もオチを強調して。何度も何度も…」
「な、何度も…」
「しかし彼女は冷めた目をしたままだった」
「地獄だな」
「彼女は…冷たかった……」
「お前のしつこさにも罪はあるだろ」
「何と言っても最後だったからな」
高橋は深いため息をつくと、もう空になった酒ビンに手を添えて続けた。
「結局どうしようもなくなって、苦し紛れに『俺の話は面白かったか?』と聞いたんだ。それから、もし面白かったなら、と続けようとした。続けようとしたんだ。だが彼女は俺の手をぎゅっと握ると、初めて口を聞いたんだ」
「な、なんと言ったんだ」
「『友に』と、小さい声で」
はああああ……大きな大きなため息がまた高橋から出た。こういう時になんて言えばいいのか困る。がつがつし過ぎてドン引きした彼女が、会っていないが目に浮かんだ。『無理です笑』と言われたようなものだった。
「友かぁ……」
「友だとよ…」
「寝るどころじゃなかったね」
「そうだなぁ」
「そのあとどうなった?」
「驚くことにすぐ祖母が飛び出してきてな。こっそり後をつけられていたらしい。彼女から俺の手をうばって、情けないからやめなさいと……そう叫びながら…無理矢理……手を引かれて……俺は…俺は……泣きながら帰った」
「そりゃ泣くわ」
そろそろだめだ、と視界の揺れで察した。話を聞いている最中も酔いが回ってくるのは感じていた。胃がムカムカして気持ち悪い。限界が近かった。
「悪い、俺、もう」
「だいぶ飲んだからな」
突っ伏す俺に仕方ないと頷いているにも関わらず、高橋の方は全く潰れる気配がない。本当にそう思って言っているのか怪しいが、疑うほど器用なヤツじゃないことは、この数日で嫌という程わかっていた。単純に相手を想っての言葉だろう。
「しっかり眠ったほうがいいな杉元は。三輪と山田はまだ起きてるつもりか、強いなぁ」
「…………………は?」
落ちかけた意識がふと覚める。冷や水をぶっかけられたような気分だった。しかし高橋は何でもない様子で、卓上に転がっていた猪口を2つ並べた。
誰もいない正面の席へ。
「みわとやまぁだ?」
「杉元無理するな、もう呂律回ってないぞ。2人も心配している」
「ふざけんな」
眠気の波がまた寄せて返ってくる。のみ込まれそうになる最中、なんとか重い舌を動かして高橋を責めた。
「おまえみたよなぁ。ふたりは、しんだ」
帰り道、高橋の笑えない冗談を聞き過ごしたあと。そのすぐ後だった敵の地雷が連隊の一部を吹き飛ばしたのは。すぐ目の前で、あっけなく死んでいった仲間たち。その姿を否が応でも見せつけられたのは俺だけではなく、当然高橋もしっかりその目におさめたはずだった。
そうであるのに、高橋は変わらない無表情のままケロリと俺に言った。