俺はフショウの高橋だ 作:後味のらーな
※ご指摘ありがとうございます、助かりました。
【第七師団:小樽の兵舎】
「ここの師団には慣れてきたか、高橋上等兵」
横目にそう問われた男は、猫背をいっそう深く丸めるように頷いて敬礼をした。
「はい。鶴見中尉の御配慮と御厚意により実りある生活を送っております。身に余る光栄で、なんと感謝を申せばよいやら」
「そこまで賢まらなくていい。それに背も丸めすぎだと毎回言っているだろう。もっと己に自信を持ち、胸を張りなさい」
男は若干丈の足りていない軍服の端を少し握った。緊張するのも当たり前で、今日わざわざ小樽での鶴見中尉の将校部屋へ呼び出されたのだ。男は失礼のないよう細心の注意を払いつつ、ゆっくり背を伸ばして、敬礼の手に力を込めた。
「………やはり大きな。いくつだったかな?」
「はい、六寸(189cm)程です」
「それは頼りになる。私の見込んだ通りだ。これからまた大きい戦がある、期待しているぞ高橋上等兵」
「はい、精進いたします」
微笑む中尉の顔を男は複雑な面持ちで見下ろしていた。「それで本題だが……」中尉が言いかけ、男から窓の外に目を移した、その時だった
コンコンッ、ノック音が響き鶴見中尉の首が風を切ってそちらへ向く。
「いいところに来たようだ」
ドア越しに何か見えるのか、目を見開いたままニヤける中尉。高橋はまだ状況が飲み込めず、敬礼をする手に変な力が入る。
「月島であります。入ってよろしいでしょうか」
「入りなさい」
中尉の言葉を受け、月島がきびきびと無駄ない動きで鶴見中尉の前へ来る。その際、目は合わせないものの高橋の方を横目で見ていた。
「二階堂の様子はどうかね月島軍曹」
「はい、有坂閣下からいただいた義足に終始手間取っていましたが、最近は慣れてきているようで、動きに目立った異常はありません。例の油問屋への突入作戦も問題ないかと」
「よしよーし。やはり二階堂の恐れ知らずの特攻無くてして、この作戦の成功は見込めん。二階堂には一刻も早く戦力として復帰して貰わねば」
何度も大きく頷く中尉だったが、穏やかに言葉を言い切ったところでピタリと口を閉じた。
「ところで、まだ病院の紛失物が絶えないようだが?」
「はい、モルヒネが少々」
緊張の糸が張り詰める、より低い声でその言葉は交わされた。高橋には分かっていた、それが全て自分に聞かされているものだと。
「困った。それは困った。モルヒネは貴重な薬品だ。そのように度々盗まれるようでは他の兵に回す分がなくなってしまう。非常にまずい、そうは思わんか高橋上等兵」
「……………はい」
やはり来た、と振られる事を覚悟してはいたものの、中尉の眼光に冷や汗がにじみ出る。身長こそ高橋の方が圧倒的に勝っているものの、その重圧は頭上から大きくのしかかるようだった。
「高橋上等兵は、脱走後の二階堂に会ったことがあったかな?」
「いいえ」
「会ってみるといい、彼もお前に合えば少しは正気に戻るだろう」
「それは、」
言葉が続くのを遮るように、中尉は高橋との間合いを詰める。
「お前への怒りでなぁ」
「…………」
中尉の瞳がすぐ目の前まで迫っていた。
「もう一度あの日の質問をしよう。お前はあの日、尾形と二階堂が脱走する現場を発見した時、何か言葉を交わしたか?」
「いいえ」
「本当か?一言も?一緒に脱走しようとも言われなかったのか?」
「いいえ、俺の存在に気づいた尾形上等兵が威嚇射撃をしてきたため、そのような余裕はありませんでした」
「そういえばそうだったな。何度も聞いてすまなかった。お前が偽りなど言うはずがなかったな。むしろその誠実さと剣の腕を見込んで、上官へ昇格させたのだから。疑うまでもなかった」
「………昇格の件は身に余る光栄と思っております」
「それならもっと胸を張りなさい」
トンと中尉が朗らかに高橋の背を叩く。そして見上げた笑顔を一瞬沈めて言った。
「そのほうがブチ抜きやすい」
高橋は自分の頭からつま先まで冷え切るのを感じた。中尉の笑顔はすぐに戻っていた。しかし凍てついた部屋の空気はそのままであり、中尉がスッと息を吐こうが緩むことはなかった。
「なんちゃって、冗談だ高橋上等兵。驚いたか」
「冗談ですか」
「そうだ。軍事連絡と戦意の鼓舞を兼ねた高等な洒落だ。参考にしなさい」
「分かりました参考に致します」
「鶴見中尉、あまり高橋で遊ばないでください。ただでさえ高橋は冗談が下手であると評判なのですから」
苦い顔で月島が口を挟むと、中尉は驚いたように目を見開いた。
「なに!それは本当か高橋上等兵!」
「はい」
恥ずかしながら、と小さい声で付け足し、高橋の目の色が沈んだ。責め立てるように一層大きい声で
「なぜお前は面白くないんだ」
「分かりません」
「迷宮入りということかね高橋上等兵」
「その通りです」
「それはいかん!!月島軍曹、何か面白いことをしなさい」
「………………………………」
月島は自分の目の光が消えていくのがわかった。なぜ俺なんだ、という思いと、これは命令だ、という言葉がせめぎ合う。かろうじて平静を装い、月島は言った。
「………面白いこと、ですか?」
「そうだ。高橋上等兵の手本になり、一刻も早く彼の不名誉な評価が覆るよう、手を貸しなさい」
「そういうことでしたら、兵士共に礼儀を正すよう指導をする方が確実かと思います」
「違う違う!それでは根本的に解決せんだろう!それでは一生高橋上等兵は口下手のままだ。貴様は高橋上等兵が恥の上塗りを繰り返しても平気なのか!」
「申し訳ありません」
なぜ謝っているのか、考えては負けだと心が訴えている。
「しかし、恐れながら私も面白いと自負しているわけではありません。他人を指導するほどの技量があるかどうかも分かりませんし、第一私を面白いと評した者は今までおりませ…」
「月島は面白い」
「いえ面白くありません」
「一発芸なんかが得意だったかな?」
「え?いえ……全然まったく面白くありませんし、一発芸などもやったこともありませんが」
「ならば死ぬ気になってやりなさい、今すぐ」
月島はとっさに高橋の姿を仰ぎ見た。コクリと頷く高橋。その目は純粋に輝いているようにも見えた。期待と重圧が月島の逃げ道を塞ぐ。先ほどから月島の冷や汗は、尋常じゃないほど吹き出していた。
「………僭越ながら、ひとつ芸をやらせていただきます」
「楽しみだなぁ。なぁ高橋上等兵」
「はい」
期待の眼差しを向けられる中、月島は意を決した面持ちで空を見た。
「では…」
○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○○
午後6時前、休憩時間といえど上等兵には週番、日番という当番の仕事や他の雑務が溢れているため、ほとんどあってないようなものだ。
内務班の監督もほどほどに、俺は呼び出された場所に急いで向かった。指定の6時まで間に合いそうではあるが、鶴見中尉の呼び出しのため気は緩まない。それに、今から会うであろう男を思うと胃が締めつけられるようだった。
「………」
呼び出しをうけたのは、病院の医務室に隣接する休養室だ。
廊下の突き当たりにあるそこは、階段を上がって廊下に出れば入り口はすぐ確認できる。俺が階段を上がれば、入り口には誰か立っているらしい事が分かった。背格好から月島軍曹だろうと察し、駆け足で向かえば、振り向いた男はやはり月島軍曹であった。
「昨日の今日で呼び出して悪かったな高橋上等兵」
「いえ、休憩時間といえど恥ずかしながら俺には時間を潰す友も少ないですから」
「そう暗いことを言うな。それより、また背が曲がっているぞ高橋。正せと言われただろう。もうすぐ鶴見中尉がお見えになる。服装の乱れも正しておけ」
「は、はい」
ぎこちなく背を伸ばし、窮屈な軍服の襟を整える。そうしていると、休養室のドアから視線を感じた。
「ああ……………」
三島がドア越しに、ドアの窓から俺を見ていた。最近やたら視線を感じると思ったら、だいたいが三島で、またお前かとうんざりする。
「どうかしたか?」
「いいえ。それより、服装はこれで問題ないでしょうか」
「ああ」
「ではひとつ一発芸も確認していただけますか、軍曹殿。先ほど考えたばかりの物が…」
「いやいい」
即答する月島軍曹に俺は深く頭を下げた。
「どうしても見てほしいのです、お願いします爆笑王」
「だめだ、あと変な異名をつけるな。俺に笑いは分からん。確認したいのなら他を当たってくれ」
「そうだぞ高橋上等兵」
そう言いつつ颯爽と現れたのは、コートに身を纏った鶴見中尉だった。俺は敬礼をし、姿勢を正す。
「高橋、貴様は昨日の月島を見ても、まだ爆笑王と呼ぶのか?ん?」
「はっ、昨日の軍曹殿は俺には到底できない爆笑をかっさらっていきました」
「笑っていなかったようだが?」
「俺の口角は意に反して上がりにくいのです。実はあの時、内心笑い死にしそうな状態でありました」
「それならよかった!なぁ月島」
「………………………………はい」
俺は月島軍曹のあの一発芸を思い出していた。あれは誰にも真似できない偉業であった。
「一応手記に残しておるのですが、」
懐に忍ばせておいた物書きを取り出して、見せながらそう言えば、月島軍曹は顔色を悪くして言った。
「………手記に?」
「ええ。また詳しくあの芸のやり方をお教え願えますでしょうか月島軍曹殿。できることなら、あの妙義、己の芸に還元したいのです」
「還元しなくてよろしい、忘れなさい」
「忘れられません。せっかく面白かったのに」
「俺は面白くない」
「月島軍曹ほど面白い人は他にいません」
「怒るぞ」
「なぜですか」
目を丸くする私に、中尉殿が言う。
「月島、高橋、世間話もここら辺にしなさい。あまり騒ぐと病人にさわる。軍医の先生も中でお待ちだ」
「はい」
穏やかな笑みで中尉殿は頷いた。いよいよアイツと会うことになるのか。いっそう気が重くなり、目を伏せる。中尉殿と目があった。
「怖いか?高橋上等兵」
「………」
何も答えられずにいると、間を作ることなく中尉は俺に詰め寄る。
「お前があの日脱走する二階堂を止めておけば、奴はこんな重傷で帰ってくることはなかった。三島に到っては尾形を追わせたことにより、亡くなったのだ。どうして三島は死なねばならん。考えてみなさい、お前があの日脱走をうまく引き止めていればどうであったか」
「申し訳ありませんでした」
「二階堂は左の頭の皮、両耳、右足が無い。三島は運ばれてすぐ二階堂の隣のベッドで亡くなったそうだ。この病院の医務室で。これから入るのが楽しみだな高橋上等兵」
「はい」
「よ〜し、よ〜しいい返事だ。まるで嫌味が分かっとらんな貴様。では入るとしよう」
俺は中尉の姿を見下ろして、じっと黙った。後ろには、亡くなった三島がまだ未練がましく俺を見る。かわいそうに、三島は俺のせいで死んだのだ。俺は三島の姿を横目にいれて、また医務室の扉に向き直った。開かれた扉、その先へと中尉と軍曹の後ろに続いて入っていった。