西暦から神世紀に変わり5年の月日が経過した。天の神との交渉により、人類はバーテックスの侵攻という恐怖から解放された。しかしそれは表向きであり、名を改めた組織『大赦』では秘密裏に勇者システムの改良を進められている。たとえ何年かかろうと、自分の代ではなくても、世界を取り戻すために。
その大赦に務める一人の青年の一瞬を切り取った話。
大赦に務める
それ故に、彼は自力で大赦という山を登り続けた。勇者や巫女という存在が現れ、大社が表舞台に出たあの年から。当時小学生だった彼を相手する者などいなかった。だが、勇者システムの研究から始まり、伊予島杏の考察を元にした研究を進めるなど、彼の努力は実を結んでいた。その結果、地位には見合わぬ大きさの発言力を得ることに成功する。
「あ、雨が止んでる」
休憩がてらに部屋から廊下に出た彼は、突き上げるように両腕を上げて体を伸ばし、それが終わってから天気が変わっていることに気づいた。部屋には当然窓もあるのだが、作業中に気づかないことはいつものことだ。
大赦で働き、所属する部署の終わりのない研究を一旦頭の隅に追いやる。雨が止み、雲間から日光が差し込む。その景色は視線を集め、彼はそれが神々しいものだと感じていた。
「達哉」
「……若葉様」
名を呼ばれ、そちらに目を向けると、勇者として戦い続けた乃木若葉がいた。長い髪を後ろで一本に纏め、意志の強さが伝わってくる真っ直ぐな瞳。鍛えている関係もあるが、細く引き締まった体と高めの身長があいまり、美しく格好良い存在である。
世間では、彼女は英雄とも言われ、生きる伝説として絶大の人気と信頼を得ている。それには功績だけでなく、人柄も影響している。気品があり誠実である彼女は、驕ることなく何事も真摯に向き合う。勇者になる前からも、その毛色が見え隠れしていたため、それが彼女の素なのだと分かる。だからこそ彼女は親しまれているのだ。女性で構成されたファンクラブも存在してるとか。
そんな大物は大赦内での発言力が最も高い。並ぶのは彼女の幼馴染にして巫女である上里ひなたのみだ。
「そう畏まらないでくれ……」
「ご冗談を」
僅かに眉を下げた若葉は、達哉の下へと歩み寄る。達哉は若葉へと向き直り、姿勢を正して言葉を返した。
「若葉様は勇者様です。私は大赦の一員というだけ。畏まらないなど烏滸がましいというもの」
「旧知の仲なのにか?」
「そうですね」
踏み込んだ問い。それを達哉は即答した。たとえ旧知の仲であろうと、口調を崩すことなどできないのだと。顔色も表情も変えることなく、当然のことだろうと言うように。
「そうか……。今思えば、あの日達哉が修学旅行に来なかったのも、実は予測をつけていたからじゃないかと疑ってしまうな」
「いえ、それは肺炎で生死の境を彷徨っていたからです」
「両親のことを考えれば納得もいくな」
「解釈違いです」
一人でうんうんと納得してしまっている若葉に、達哉は呆れてしまっていた。勝手に一人で考察するのはいいが、答えは違うということを聞いていないのだから。
若葉と達哉は同じ小学校に通っていた。人数がそう多くない学校だったとはいえ、1年生からずっと同じクラスになり、ひなたの足元には及ばないとはいえ、若葉とそれなりに話す仲だった。不器用な性格の若葉の数少ない友人の一人。それが達哉だ。達哉は休み時間を他の男子たちと遊んでいたが。
「達哉……。昔のようにはできないか?」
「先程も言いましたが、それはできません。
強調された単語が若葉の中で反芻する。鈍感な時もある若葉だが、今の言葉を理解できないほど疎くはない。勇者である若葉と、ただの職員である自分では差が激しいのだと。砕けた調子で話せるのは、それこそ並び立てるひなただけなのだ。
「ならば──」
「お話中失礼します。若葉様、会議のお時間が迫っております」
折衷案を提示しようとしたところで、横槍が入る。遮られた言葉を言い直そうかと一瞬悩んだ若葉だが、状況を考慮して言葉を飲み込んだ。
「すぐに行く。達哉は?」
「その会議には呼ばれてませんので。私もこれで失礼させてもらいます」
「そうか。ではまた」
大赦の別の人間とこの場を後にする若葉の背を見送る。その背を見て痛感させられる。これが自分と若葉の差だということを。背負ってきたもの、そして今もなお背負っているもの。それに潰されることなく自分を貫けるのが若葉だ。
「達哉さんは頑固ですよね」
「心臓に悪いので後ろから声をかけないでいただけますか?」
「驚かれてるようには見えませんが?」
「装っているだけです。それよりも、会議に出られないのですか? ひなた様」
後ろへと振り返り、驚かせてきた犯人に問いかける。腰まで伸びる長く美しい黒髪。ぱっちりとした丸い瞳にグラビアアイドルかと思わされる容姿。乃木若葉の幼馴染にして巫女のまとめ役の上里ひなた。
若葉が出席する会議で、ひなたが出席しないものはない。言外に、「時間がないから早く行くように」と達哉は促しているのだが、ひなたは柔らかく笑って返した。先に用事を済ませると。
「……私に何か?」
「えぇ。ちょっとしたお誘いです」
妖しく微笑むひなたに達哉は気を引き締め直した。若葉とは違い、ひなたとは以前から何度か会っている。さらに、小学生時代のこともあり、達哉はひなたが持ち込む話を警戒する癖がついてしまっている。可愛らしい見た目とは異なり、腹の探り合いなどには、一切の容赦がないのがひなたなのだ。そして達哉相手には無茶振り寸前のことを何度か要求してきている。
「今回は大変なお願いはしませんから」
「以前もそう言ってましたね。おかげで終わった時には過労で4日間眠り続けましたよ」
「それは……はい。ごめんなさい。ですが、今回はお仕事でのお願いではないので、ご安心ください」
「……安心できません」
「あら?」
前科持ちの人間の話は信用しにくい。そういうことなのだが、これ以上のやり取りをしていては遅刻してしまう。ひなたは1枚の紙片を取り出し、それを達哉の手に握らせる。怪訝な表情をする達哉だが、ひなたは質問を受け付ける時間の余裕がない。身長差でどうしても見上げることになるが、それを少しでも縮めるためにつま先立ちになる。達哉もひなたに合わせ、少し姿勢を下げる。
「若葉ちゃんと腹を割ってお話をしてあげてください」
耳元でそう囁かれ、達哉はそれに承諾した。声色ではたしかにお願いではあったのだが、囁いた後のひなたの目が有無を言わさないほど鋭かったから。
「ひなた様」
「はい?」
会議に向かうひなたを呼び止め、彼女の耳元で達哉は伝えておかなければいけないことを囁いた。伝え終えた達哉は、休憩を終えて部屋へと戻っていく。
「……まったくもう。ズルい人ですね。不器用なところは若葉ちゃんに似てますけど」
❀❀❀❀
指定された時間に間に合うように大赦を後にした達哉は、ひなたに渡された紙片に書かれている場所へと来ていた。場所を間違えていないかをその場でも確認し、時間に間に合っているかも確認する。確認を終えると、ドアを開けて中へと入っていった。
どうやらそこは大赦御用達の店なようで、洒落ているが落ち着いた雰囲気を醸し出すバーだった。店は貸切状態になっているようで、他の客どころか従業員の姿すら見えない。この部屋にいるのは、今入ってきた達哉とその前からいた人物だけだ。
「若葉様……」
「達哉?」
ほんのりと顔を赤くした若葉がカウンターに座っていた。一人で飲んでいたのかと疑問を抱いたが、達哉はそれをすぐに自分で否定した。若葉は一人で酒を飲むようなタイプではないと考えているからだ。
それなのになぜ若葉はすでに飲んでいるのか。タイミングを見計らったように届いた連絡がその答えを示した。
『私は先に帰りますので、若葉ちゃんのことをお願いします』
ここまでがひなたのお膳立て。達哉相手に腹を割って話させるために酒の力を借りる。口実としては、飲みに付き合ってほしいという定番のもの。あまり自分の要求をしないひなたからの誘いを、若葉が断るわけもない。そうして飲み始め、時間を確認して達哉と入れ替わるように席を外した。
全てを把握した達哉は、自分の分の酒を用意し、若葉の隣へと腰を下ろした。軽く酒を飲み、グラスを置いて若葉に視線を向ける。
「ひなたの気遣い、か」
「そうでしょうね。腹を割って話せって昼間に促されましたし」
「そうか……」
ひなたが両者と接して感じていたことは、両者はお互いに不器用で話さないのがいけないということだ。努力は当然であり、その過程を自慢するどころか話すこともしない。目標を達成してから話す。達哉はその傾向が特に強い。そして若葉は、そもそも達哉が大赦で働いていると知ったのが最近なのだ。
ひなたが仲介役をしてもよかったのだが、大赦の体制を整えることが最優先だったために話をできなかった。さらに達哉の話を聞いていたために、若葉には黙っておくことにしたのだ。
そして、今日の昼に達哉と若葉が話しているのを見て、黙っておく必要がなくなったと判断し、こうして動いたのである。
「ひなたにここまでされておいて、何もしなかったら怒られるな。…………知っているとは思うが、勇者は私一人ではなかった」
「……そうですね」
「諏訪を一人で守っていた白鳥歌野。常に希望を信じ前を向いていた高嶋友奈。ムードメーカーで活発だった土居球子。インドア派だったが策略家で精霊の危険性にいち早く気づいた伊予島杏。ゲーム好きで誰よりも勇者であることに誇りを持っていた郡千景。私の他に5人いたんだ」
今上がった名前を達哉も知っている。勇者のパレードだってあった。テレビやネットでも勇者の名前はよく出ていた。知らない方が珍しい。しかし、それしか知らない。勇者たちが戦い、命を落としてしまったことしか知らない。若葉が彼女たちをどう思っていたかも。何もかも。
「皆、大切な私の仲間であり、友人だった。白鳥さんにはついぞ会うことができなかったが、それでも彼女も大切な友であり、ライバルだった。……私は彼女たちを忘れることなどない。一緒に過ごした日々も戦いも、忘れない。……だが、事実は受け止めなくてはならない。
「……っ!」
「だから、素直に嬉しかった。達哉が大赦にいると知った時、まだ私には友がいると、そう思えた。だが、達哉が言うことも尤もだと思ってな」
一瞬、乾いた笑みを浮かべ、若葉はグラスに入っている酒を飲む。若葉がグラスを置くのを待ってから、今度は達哉が口を開いた。若葉が話したのだから、自分も話さないとフェアではないから。
「私が大赦で働くようになったのは、勇者様の存在を知ってからです。ご存知の通り、私はあの日は肺炎で生死の境を彷徨っていました。峠を超え、落ち着いてから完治するまでに時間もかかりました。……バーテックスの存在を知った時も、それからですよ」
「……それもそうだな」
「両親が大社に努めていたことも知らなかった。しかし、おかげでアプローチはかけやすかった。若葉様が勇者様だと知った時に、大社ならサポートできると思いましたし」
子供だから全然相手にされませんでしたけどね。自嘲気味に呟く達哉に、若葉は何も返さなかった。子供だから選ばれて戦った若葉と、子供だから相手にされなかった達哉は、正反対なのだから。
「大社に席を置けるようになってからしばらくしたら、世界が変わりました。若葉様とひなた様が大赦へと改革し、配属も変わりました。それから5年、やっと上層部に顔出しができるようになりました。目標に一歩近づけたと実感しましたよ」
「目標? 達哉は何を目指しているんだ?」
「明確な地位ではないですよ? 私が目指してるのは、若葉様たちを直接サポートできる力を手に入れることです」
「それはだいぶ上というか……ん? それって……」
引っかかりを覚え、それを確かめるために達哉へと視線を向ける。達哉はそういうことです、とそれに頷いた。
「ははっ、達哉は真面目だな」
「若葉様が言いますか……」
若葉たちを直接サポートするということは、若葉たちに並ぶ、あるいはそれに近いまでの立場になるということ。そしてそれはつまり、立場の差がほぼなくなるということだ。そうなれば、旧知の仲ということもあり、当時のように話すことができる。友人として接することができるようになるのだ。
話し合ってみればなんてことはない。すれ違いでもない。ただ言葉が足りていなかっただけなのだ。見惚れさすような笑顔を浮かべた若葉は、グラスを持って達哉に向け、達哉もグラスを持つ。
「私は待っているからな。いや、ひなたも言わないだけで、ひなたも待っているはずだ。だから、二人で待つ。必ず上り詰めてこい」
「もちろんです」
グラスをぶつけ合う音が店内で小さく鳴った。