オルキスに薬を飲ませ、アダムの案内で王宮の厨房で料理をしていたところに、オーキスと黒騎士の二人が戻ってきた。どうやら二人は無事仲直りを果たしたようだ。黒騎士は普段通りの仏頂面だったがオーキスのどこか満足そうな表情から結果を察することはできた。
「……ご飯出来た?」
オーキスはとてとてと駆け寄ってくると尋ねてくる。
「もうちょっとで出来るから待っててな」
「……ん」
こくりと頷いたオーキスは、しかし立ち去らずにちょいちょいと手招きしてきた。手を止めて屈み込む。
「……アポロ、可愛かった」
「……それを俺が聞いてどうしろと?」
なんの話し合いをしていたのか非常に気になったが、深く突っ込むのはやめておこう。なんだろう、戻れなくなりそうな予感がする。
「……アポロは可愛い。覚えといて」
「あ、ああ」
それを覚えてどうしろと言うのか。戸惑いしかなかったがまぁいい。気にしすぎても仕方がない。今は料理に集中しよう。
ということで、俺の作った料理をアダム含む四人で囲み、その後で俺特製ドロドロに煮込んだ栄養満点スープを眠るオルキスに飲ませてやった。薬もあるし多少目覚めるのが早まるといいんだけどな。
その後、俺は客室を借りて泊まることになった。
流石に王宮だけはあって部屋数が半端ない。その上この間まで誰も住んでいなかったのだからほとんどが空き部屋となっている状態だ。
しかし、だだっ広い部屋というのは落ち着かない。
しかもベッドも俺が大の字に寝たってはみ出さないような大きさのモノが置いてある。腰かけると柔らかく沈むのに反発があって心地良く身体を包んでくれる。
雨の中の路地であっても寝られる俺ではあったが心地良すぎて寝れなさそうと思ったのは初めてだ。逆にこの寝心地を知ってしまったらあの頃に戻れなくなりそう。まぁ戻る気はさらさらないんだが。
身体を少し疲れさせてから寝ようかと筋トレしようと思っていた頃で、部屋の扉がノックされた。音の出所からしてオーキスじゃないな。黒騎士かアダムか。
「私だ」
と思っていたら黒騎士だった。
「どうぞ」
こんな時間になにか用なのかとは思ったが、心当たりもないのでとりあえず話を聞こうと思う。俺の声が聞こえたのかがちゃりと扉が開いて黒騎士が姿を現す。白いノースリーブシャツに黒いズボンという格好である。寝間着用なのかズボンは柔らかい生地で肌にぴったりしている。上のシャツも薄く、軽い素材で出来ているのか盛り上がった胸部のせいで腹部が少し見えていた。
「少し、いいか?」
「ああ」
珍しく殊勝な態度だ。俺の都合を聞かずベッドとかにどかっと座るイメージがあったんだが。
しかも緊張しているかのように少し部屋の中へ視線を彷徨わせた。そしてベッドに腰かける俺の隣に座る。
「……んんっ。話というのはこれからのことだ」
どうやら気のせいではなく緊張しているらしい。緊張とは無縁なヤツだと思っていたが、余程の話なのだろうか。
「お前は何日かしたらここを発ち、一人で旅をするのだろう?」
「ああ。色々やりたいこともあるし、思うところもあってな」
「そうか」
「これからのことっていうことは、お前の話か?」
俺のこれからは既に話している。選択肢としてはオーキスかのどちらかになるのだが、オーキスのこれからのことだったらオーキスも含めて話した方がいいだろう。わざわざ二人で話したいことと言うなら、合っているはずだ。
「そうだ。知っての通り私は七曜の騎士。真王仕える全空最強の騎士の一人だ。問題はこの『真王に仕える』という部分でな。帝国との一件で私は真王に背いたと見なされ、狙われる可能性が出てきた」
「ほう?」
「言ってしまえばもう七曜の騎士である必要はないんだがな。元々オルキスを取り戻すためには力が必要だったからそうしただけだ」
「ふむ。で、お前はどうする気なんだ? その話の流れだと、七曜の騎士の座を真王に返還するか、追っ手を警戒してここを離れるかのどっちかになりそうだが」
「ふっ。流石にお前は察するか」
微笑む様子から、多少緊張は解けてきたとわかる。
「一先ずは後者にしようと思っている」
「その心は?」
「一つ。真王に背いた影響で私は瘴流域を超えることができない」
「そういや、真王の許可がないと瘴流域を突破できないとか言ってたな」
「ああ。つまり、真王のいるアウライ・グランデ空域に出向くことができないということになる」
なるほど。それは仕方ないか。こっちの理由じゃなくて対外的な要因だし。
「もう一つ。お前の騎空団に入るならこのままの方が都合がいいだろう。戦力としてな。……七曜の騎士でなくなった時私がどの程度戦えるかは微妙だが」
「なるほどな。だがそれってつまり、俺達と旅してる間も真王に狙われる可能性が高いってことだろ?」
「そうなるな」
「いやいや……七曜の騎士の残り六人に襲われたら流石に無理だろ。厄介事の種はできるだけ消しておきたい性分なんだが」
予測された襲撃を回避できるならするべきだ。
「そうなると私は死ぬしかなくなるな」
「……」
平坦な声音でそんなことを言ってくる。……ああ、クソ。卑怯なヤツだ。
「……はぁ。わかったよ、追っ手が来ても問題ねぇように頑張ればいいんだろ」
「ああ、頼んだ」
「けどまぁ一生追われ続けるのも面倒だし、いつか決着つけに行きたいところはあるよな。真王の暗殺とかって難しいと思うか?」
「……ふっ。私のように他の空域に出ている者もいるが、常に真王を守っている七曜の騎士はいるぞ」
「だよなぁ」
「ああ。特に、真王の懐刀とされる白騎士はヤツから離れない」
「ふぅん。名前的に黒騎士と対になるからお前ならなんとかなったりしねぇ?」
「どうだろうな。……いや、私だけでは勝てない可能性が高い」
「へぇ? お前が断言するなんて珍しいこともあるもんだ」
つまりそれだけの相手ってことか。
「よく考えてもみろ。同じような強さを持った騎士が全空から集まっているようなモノだぞ? 私のように真王への忠誠心が欠片もなくともなれるんだぞ? 最も信頼できて、最も強い者を傍に置いておくに決まっているだろう」
「なるほど、納得」
「もう一人、真王に心酔するバカな女がいる。黄金の騎士だ。あいつは私とも因縁があるから、戦うことになるなら私が引き受けてやろう」
「オッケ。じゃああと四人か」
「お前も会った緋色の騎士バラゴナは、真意の読めない男だ。だが真王に絶対の忠誠を誓っているわけではないだろう」
「あいつか。あいつはお前と比べてどんなモンだ?」
「さぁな。優れた武人であることは間違いない。剣だけなら私より上と思った方がいいだろう」
「そういや帝国にいたんだっけな。結局ルーマシーで会った時以来出てこなかったが」
「あの男の思惑など私の知ったことではない。だが帝国に思い入れがないのは確かだ」
まぁそれは今の状況が示しているよな。
「あとはあいつ、リーシャの父親もいるか」
「ああ。碧の騎士ヴァルフリート。空域を跨いで存在している現在最大規模の騎空団、秩序の騎空団の頂点に立つ男だ。あの小娘を見ればわかる通り、戦いに関しても強い。本人が真王をどう思っているかは知らないが、ヤツは空域を跨いで各地の秩序を守るために奔走しているようだ」
リーシャがあの歳であの強さだからな。その才覚の元になっている人物なら相当な実力を持っていてもおかしくない。
「というか、お前一応リーシャのこと認めてたんだな」
妙に小娘とか呼んで突っかかる癖に。
「才能があるのは私も認める。だが精神的な脆さが目につきやすい。その上父親に憧れていると来た」
「ちょっとわかる」
そこはリーシャと違って「父親なんてクソったれ」という意見で俺達が一致しているところでもある。
「話を戻そう。残りは、紫の騎士か。七曜の騎士一の変わり者だな。ハーヴィンだ。真王の命令には忠実なため、立ちはだかる可能性は高い。最後緑の騎士については……知らん」
「あ? 同じ七曜の騎士なのに知らないなんてことがあるのか?」
「ああ。ヤツと面識が全くないわけではないが、何者かは知らないな。男女も、種族も。ハーヴィンでないことは確かだが」
「ってことは多めに見て六人全員の七曜の騎士が敵対する可能性があるってことか」
ちょっと戦力的に厳しいな。真王は思ったよりも厄介かもしれない。できれば黒騎士の力を損なわせないで真王を始末したいんだが。
「……真王の座って奪えねぇのかな」
「とんでもないことを言うな、お前は」
「いやだってそれが一番いい結果になるし」
「まぁ、確かにな。だがそんなこと考えてもみなかったから、私には可能かどうかもわからん」
「そうか」
不確定な考えは一旦隅に保管しておくか。
「まぁ七曜の騎士が六人とは言ったが、ヴァルフリートは最悪リーシャ人質に取ればなんとかなるだろ」
「……最低の発言だな。というかついてくるのか?」
「ああ。……まぁ、なんつうか、色々あってな。吹っ切れたらしい」
「そうか」
多少言いにくかったが、深くは聞いてこなさそうなので助かった。……と思ったのが間違いだったのか。
「遂に貴様に告白でもしたか」
「……っ」
「それ紛いのことはしたようだな。……帝国を倒したからと言って浮かれすぎではないか? オーキスと言い、あのナルメアと言い、小娘と言い、ジータと言い」
「少なくともジータは外してやってくれ」
「ふん、どうだかな」
げんなりとして言うが、鼻を鳴らされてしまう。……ん? そういや、今俺の呼称が変わらなかったか?
「『伊達と酔狂の騎空団』団長でも見本にしたつもりか?」
「俺は別に千人だか五百人だかも口説く気はねぇよ。実際、オーキスのだけでもいっぱいいっぱいだ」
「そうは見えないが?」
「そう振る舞ってるだけだよ。俺はそんなに器が広いわけじゃねぇんだ。なにより……」
「?」
「俺がそんな、人に好意を寄せられるようなヤツだと思わねぇ」
ドランク以外の前で弱さを見せたのは初めてかもしれない。……そう、それが俺の本心だ。まぁ好かれて、正直なところ悪い気はしない。
「自己過小評価だな」
「そんなんじゃねぇよ。俺は、俺がそんな誰かから好かれるような善人じゃねぇってのをわかってるってだけだ」
薄々思ってはいたが、俺はなんだかんだ自分のことが好きじゃないみたいだ。そうするしかなかったから生きてきたってのが嫌なのか、根本的な原因は俺自身よくわかってはないんだが。なんか、好きになれないんだよな。
「……それは、おかしいな」
しかし黒騎士はそう呟いた。どういう意味なのかと顔を向けると、アポロはベッドに手を突いてぐっと身体と顔を近づけてくる。そして近い距離で俺の目をじっと見つめてきた。
「――私はお前のことが好きなんだが?」
「…………」
なんだが? じゃねぇよ。という言葉すら出てこない。今、なんて言った、こいつ?
「…………は、ぁ?」
しばらく間を取って、ようやくそれだけを口にした。
「聞こえなかったか? いやしかし、何度も言うのは少し恥ずかしい気がするが……」
ほんのりと頬を染めて言いつつ、咳払いをしてからまた俺の目を見て口を開き、
「私はお前の――」
「わかった聞き間違いじゃないことはわかったから!」
全く同じ文言を繰り返そうとしてきたアポロをなんとか止める。
「そうか? ……しかし本人に告げるのはなかなか心が締めつけられるモノだな」
「……」
……なんだろう。アポロが乙女に見えてきた。
「反応が薄いな。なにか間違ったか? 生憎と人生初でな。一般的なモノがわからん」
「……そうかい」
ああもう。こいつら揃って掻き乱してきやがる。不意打ちが多いのは狙ってやってんのか?
「さっきの話じゃねぇが、なんでかって聞いていいか?」
「それがわからないお前ではないと思うが、まぁいい。簡単だ、客観的な事実だけを述べてやろう」
なんで俺にそんなに、とどうしても思ってしまう。こいつらのことを信じてないわけじゃないんだが。
「心が折れて生きる目的を見失った女に、優しい言葉をかけて寄り添う」
「あー……」
超納得。理解した。
「わかったか? その後もあったが、あれが一番最初にして最大のきっかけだろう。それまで異性に興味はなかったが、あれは反則だと身を持って知った」
「そうか、あれがあったなぁ」
「ああ。心を閉ざしもうなにもかもがどうでもいいと思っていたはずなのに、いつの間にか少しずつ心が漏れていった。……このまま二人で過ごしてもいいと、そう思ってしまうほどにな」
「そっか」
それはおそらく、俺があの時ナルメアとの生活に抱いていたモノに近い。確かにあの時ナルメアにしてもらったように接しようとは思っていたんだが、まさかそこまで返ってくるとはな。
「……言っとくが、俺は人に好意寄せられても答えは出せねぇぞ?」
「わかっている。オーキスとのことも有耶無耶にしているくらいだからな。だが問題はない」
俺のヘタレ発言にも取り合わない。横目で見ると、
「お前が私を好きになるまで好きでいるだけのことだ」
「っ……」
陰りのないやけに柔らかな笑顔をしたアポロがそこにはいた。不覚にも、見蕩れてしまう。
「生憎と私は誰かを想い続けるのが得意だからな。一つの想いだけで十年過ごしたくらいだ」
「……重いわ。でもまぁお前の大切なモノが増えた今なら、俺だけってことはねぇか」
「ああ。それに私は、諦めの悪い性分でな」
「知ってるよ、ボス」
「ふっ、だろう? だからお前は勝手にしていればいい。私がお前を惚れさせればいいだけのことだ」
男前かよ。いや、俺なんかよりも余程。
「さて。では早速最初のアピールといこうか」
「もうかよ。俺の頭は割りといっぱいいっぱいなんだが」
「思い立ったらすぐに行動する性質でな。なにより、
「あ……?」
悪戯っぽい笑みを浮かべた黒騎士の言葉を一瞬考え込もうとしたところで、素早い動きでベッドに押し倒されてしまう。
「お、おい」
覆い被さるような体勢になったアポロに声をかけるが、俺の身体を押さえる手の力を緩めることはなかった。
「オーキスは言葉で伝える代わりに行動で示しただろう? 実にいい手だとは思わないか?」
「いや、いくらなんでも飛びすぎっつうか、俺が言うのもなんだか不純じゃねぇか?」
「特定の誰かを作っていたなら浮気になるが、特定の相手がいないなら既成事実を作ってしまった方が早い」
その発言に俺は、そういやこいつ割りと単純思考だったなと思い返す。
「……お前はそれで、いいのかよ」
「ここまで来て聞くことでもないだろう。私はお前に好きになってもらうと決めている。そして、知っているだろうが私は負けず嫌いだ。オーキスにいつまでも上から見られるのは気に食わん。なにより、お前と一番進んだ関係なのが私であるという確証が欲しい」
むしろ晴れやかな笑顔で断言されてしまった。……はぁ。ホント、厄介なヤツに好かれたもんだな。
「……わかったよ。つっても一応言っておくが俺は初めてだぞ」
「安心しろ。私も初めてだ」
「知ってる。……ったく。次オイゲンに会ったら『お義父さん』とでも呼んでやるか」
「ふっ、それは面白そうだな」
「……ホント、物好きなヤツだよ。まぁでも、気持ちは嬉しいよ、アポロ」
「……貴様狙ってやっているのか?」
「うん?」
苦笑して言うとアポロの顔が翳っていてもわかるくらいに赤くなった。
「いや、いい」
「そうか? じゃあ始めるとするか」
言って、アポロの背中に腕を回す。なんだかんだ言って初めての影響なのか身体を硬くするのがわかった。
「ああ、そうだ」
思い立ったように言って、できるだけ優しく笑いかける。
「ありがとな、アポロ。俺を好きになってくれて」
これだけは言っておかなければ。偽りない気持ちを言葉にして伝えてから、俺は回した腕で抱き寄せるように、更に自分から顔を近づけていった――。
まぁ、年齢的には二十五歳ぐらいなのでアポロさん。オーキスと同じようにはなりませんよね。