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光の粒子が雨粒のように内側に吸い込まれていく。
ブラックホールの空間を抜けたと思われるこの場所に辿り着いた直後に、私は友奈ちゃんの肉体をこの目でとらえた。
『これは……一体?』
意識を失っているのかぐったりとしている肉体に手を伸ばしてみたら淡緑色の腕がチラリと視界に映る。
どうやら今の私の腕らしい。淡い光を纏うこの腕────いや、私の『幽体』とも言うべきものはどうやらこの空間に侵入したときに肉体から切り離されたようだ。
友奈ちゃんの肉体からまるでへその緒のような一本の光線が今の私の幽体と繋がっている。まるで命綱のように。
『……あれはっ!?』
不意に背後から嫌な気配を感じ取る。振りむいて粒子の流れる先に視線を向けた直後に赤黒い、あの灼熱の世界と同じような熱量が私を襲った。
熱い。痛い。苦しい。苦悶の表情に染まっていく。
『ぐっ、うぅ……意識が────砕けちゃいそう』
じわじわと腕や腹部に焼けた痕が刻まれていく。
これってもし私が砕けてしまったら友奈ちゃんの肉体はどうなってしまうのだろうか。まさかずっとこの空間に取り残されたままということも充分に考えられる。
進むしかない。光の粒子の流れに合わせて私もその先に進むことを決意した。
泳ぐように、奥へ奥へと進む。その間にも私の意識は焼かれ続け、それでも私は気合で意識を繋ぐ。一直線に、あの光の終着点に。
その途中で少しだけ変化が起きる。粒子に紛れて泡のような水滴がいくつも点在していた。
『あっ! 東郷さん?!』
水滴の
壁、破壊。溢れ出てくる星屑バーテックス。その壁際で相対する東郷さんと私────いや、友奈ちゃんの姿があった。
これは東郷さんの記憶の一部……? 感情も流れ込んでくる。葛藤、嘆き、絶望。負の感情に紛れて大切な人を守りたい感情が入り混じりぐちゃぐちゃになった東郷さんの気持ち。嗚呼、こんなにも大変な出来事が『私』が生まれる前にあったんだ。
『これは……そのっちさんと……東郷さん?』
今度の映像は姿がとても今の彼女たちから比べたら幼く感じる。これって東郷さんが鷲尾須美だった時の記憶……?
戦いに傷つき、倒れこんでいる東郷さんとそのっちさんを一見してもう一人の少女がニッコリとほほ笑んでいた。
────またね。
薄れる意識の中で東郷さんは手を伸ばすけれど、目の前の少女に届くことなく彼女は跳び立って行ってしまった。
場面が切り替わる。棺の中で安らかに眠る先ほどの少女の姿。そこに花を添える東郷さんとそのっちさん、そしてあれが安芸さんなのだろう三人。
となるとこの中で眠る少女は『三ノ輪銀』さんということになる。
…………。
……。
様々な東郷さんの記憶の断片が私に流れ込んでくる。壁に穴を開けたせいで天の神の火の勢いが増したこと。火の勢いを弱めるには『奉火祭』しかない。それを行えるのは巫女だけ……東郷さんにも素質がありその代わりができるということ。
自分が御役目を引き受けたことを知ったら私たちが探してしまう……そうならないように彼女は神樹様にお願いしていたことを私は知る。
『そういう理由だったんだね東郷さん……やっぱり優しいな』
生贄は他にも候補がいたようで、東郷さんはそれを聞いて自分がやると進言していた。償いでもあると。
でもね、いいんだよ東郷さん。あなたはもう十分に償ったから。
世界は大事なのかもしれない、人々の安息の地を守る御役目も理解できる。でもそこにあなたの『幸せ』はどこにあるの?
こんなことになって、自分を犠牲にした果ての世界にあなたの『幸せ』はどこにもない。それは三ノ輪さんも望んでいないと思う。
だからこんな終わり方はダメ。こんな形で終わらせるなんて私は許さない。
『ぐっ……東郷さんが居なくなったら友奈ちゃんが悲しむ。それだけは……私はさせたくない!』
焼かれ、侵食された幽体に鞭うって私は前方を睨みつける。すぐそこに光の渦が見えた。
手を伸ばして私は突き進む。幽体の半分以上が焼かれてしまったその手で私は先を目指した。
『────っ。ぁ……』
視界が暗転する。とぷん、と波紋を広げて私は天から落ちる。
上も下も、右も左もわからない色あせた灰色の空間。音もなく、無音無重力のその場所に私は到達した。
遅れてへその緒で繋がれた友奈ちゃんの肉体もこの空間に辿り着く。よかった……どこも怪我はしてなさそうだ。
ジクジクと尾を引く痛み。痛むけど辛抱する。ざっと見渡してみると私は何処か既視感を覚えるが、それも一瞬のことですぐに意識は目の前の存在によって塗り替えられた。
────一枚の円盤鏡。そしてその鏡に東郷さんが捕らえられていたから。
『東郷さん! 東郷さんッ?!!』
鏡の前まで急いで向かうと、やはり間違いはない東郷さん本人だった。安堵するも束の間、彼女は私の呼びかけに応えてくれない。ぐったりと衰弱しているようだ。
『んんーー! 動か、ない!? なんで』
引っ張り出そうとするが幽体のせいか思うようにいかない。私は東郷さんの頭上に磔にされている同じ幽体に意識を向けた。
進行形でその幽体は炎によって焼かれ続けている。私は同じ幽体ならば助け出せると信じて彼女の前に立つ。
『絶対に助ける────ぐっ……! あぁ”!!?』
躊躇いなく私は炎の中に手を入れる。直後に激痛が身体全体に伝わり腹の底から強制的に痛声が吐き出される。
ここに来るまでに焼かれた箇所も含めて追い打ちをかけるように炎は私の身を喰らい始めた。
痛い。泣きたいほど熱くて痛い……でも、東郷さんを助けられない方が心が────もっとずっと痛いから。
想いが届いてくれたのか分からないけれど、少しづつ東郷さんの身体を引きずり出す感触をつかむ。
私は全力で引っ張り続けて、幽体を引き寄せていくと鏡に捉えられていた肉体も徐々に動き出す。あと少し────
『これが私の──勇者のぉ……根性だぁぁ!』
記憶の欠片で見た三ノ輪さんの言葉を借りて喝を入れる。そして私は完全に東郷さんを引き出すことに成功した。
鏡から肉体も取り出され私と同じようにへその緒で幽体が繋がれる。
『よかっ、た……。おかえりなさい東郷さん』
肉体を抱き寄せて久々の彼女の感触にホッとため息が漏れた。
か細いけど息はしてる。あとは、戻るだけ……。
『く、ぅ……はぁ。はぁぁ』
幽体の八割近くが赤黒く変色し胸の辺りに『黒い太陽』のような紋様が浮かび上がっていた。それは樹ちゃんに占ってもらっていた内容の一つに似ていた気がしたが、うかうかはしていられない状況。
私は落ちてきた天に昇る。
『きつい、な……あはは。気を抜いたら消えちゃいそうだよ……』
今もジリジリと削られている。でも私でよかった。こんなこと友奈ちゃんや先輩たちにやらせるわけにはいかないからね。
そんなことを考えていると、空間が崩壊を始めた。きっと東郷さんを助け出した影響なのだろう。私はブラックホールの次に到達した場所に戻る。出口までもうすこし。来た時にはなかった光の道が視えた。きっとあそこだ、と直感で察する。
「ふっ、くぅ……もうすこしっ!」
光に近づくにつれ幽体と肉体の距離が縮まる。出口付近まで到達する頃には肉体と精神は重なり私は『わたし』の手で東郷さんを抱え込んだ。
背後では逃さまいとする闇が近づいてきていた。
「──ゆっちー!」
「……! そのっちさんー!」
「友奈ぁー助けに来たわよ! 東郷は無事!?」
「友奈さん!! 手を伸ばして下さいぃー!」
「遅くなってごめん友奈!」
「み、みんな……!」
ああ、そのっちさんの言う通り勇者部全員が来てくれた。みんなが一斉に手を伸ばして私を待ってくれている。
頑張れ私。みんなの思いを『熱』に変えて進み切れ。
「手を……手を伸ばしてゆっちー! 早くっ!」
「っあ……ああぁ────ッ!」
それでもどうにもならないこともあるようで。
謂わば流れに逆らっている私には吸い込もうとする闇に負けそうになっていた。あと一手足りない。気力やその他諸々限界まで削られた私もそれ以上は進めなくなっていた。
あとすこしなのに……。あの光の先にみんなが待っているのに。
私はチラリと東郷さんをみる。だったらせめてこの人だけでも……。
「────っ?!」
しかし遅かった。闇が私たちを呑み込む方が早かったのだ。光の道が遠くなる。
ごめんなさい。友奈ちゃん、東郷さん、みんな……。せっかくここまで来たのに……私って本当にダメダメだな。
…………。
……。
────いや、ここは頑張りどころだろ。諦めるな。
声が聞こえた気がした。幻聴? 頭の中に言霊が響いた。
色のない、完全な闇の中。そこに落ちていく私の背中に暖かい何かがそっと触れられる。
────勇者はどんなときも諦めない。
語り掛けてくる言霊はそう言ってグッと私の背中を押してくれる。浮上していく意識に私は無意識に「ありがとう」と言葉にしていた。
手を再び前に伸ばした。これでもかってぐらい強く。そうした先に私の手のひらは掴まれた。
四人分の手。温かいその手たちに私と東郷さんは闇の中から救い出してくれた。
「ゆっちー! 良かった……よかったよぉ~」
「友奈生きてる!? 生きてるわよね……はぁー安心した」
「友奈さん……おかえりなさい!」
「まったくこんな無茶ばかりして……心配したんだから」
「そのっちさん、夏凜ちゃん、樹ちゃん、風先輩────ただ、いま。結城友奈……東郷さんを無事救出しま…した」
私の言葉を聞いて全員に抱きしめられた。苦しいよぉ。
でも、この苦しさは嫌じゃない。達成感が込み上げてくる。この腕の中には確かに救いたかった女の子がいて、その温もりや感触は現実のものとして私に教えてくれたんだ。
(ありがとう、みんな……ありがとうございます────さん)
薄れゆく意識の中で、私は私の背中を押してくれたみんなにお礼を告げてからゆっくりと瞳を閉じていった。
『私』は東郷さんを救い出す。
しかし原作以上に彼女の『幽体』にダメージが蓄積される。
刻まれた『アレ』は健在。ここから────。
最後に背中を押してくれた彼女はもちろんあの人で間違いないでしょう。