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自宅に帰ってきた私はすぐにバスルームに足を運び制服を脱いだ。
制服のシャツも、下着も汗でびっしょりだった。とても気持ちが悪かった私はそれらを洗濯カゴに投げ込み、その勢いで浴室に入りシャワー口から水を勢いよくだす。
冷ややかな、この季節には少しきつめの冷水が初めに出てくる。でもこの冷水は今の私には思考を冷やすのに最適だ。次第にぬるま湯にそしてお湯へと変わる中でも私はボーっと目の前の鏡を見つめていた。
(逃げちゃった。私……やっとみんなと同じ場所に立てると……思ったんだけどな)
霞む視界は立ちこめる湯気のせいか滴り落ちる水滴なのか────その中で私は自分の胸元に指先を這わす。
『刻印』はあの『腕』と同じように赤黒く脈動している……ように見える。『刻印』の存在を意識したらじりじり、と中心に痛みが伝わってきた。
────痛い。
けれど……私はみんなの前から逃げちゃったことの方が
でも仕方がなかったんだ。もしあの場に留まり続けていたら、またあの『腕』のようなモノが何をしでかすか分からなかったから。
私は湯船に浸からずシャワーだけを済ませて浴室を出る。身体を拭く際にタオルが擦れるとそれだけでもズキリと痛みが溢れてきた。あまり良い兆候ではなさそうだ。
パジャマに着替えて私は友奈ちゃんの母親にお風呂を使ったことを告げてから部屋に戻り、そのままベットに身を投げた。
「……はぁ」
天井を見上げてため息を漏らす。直後に持っていた端末から『牛鬼』が現れ部屋の中をふよふよと漂い始めるが、上の空の私は特に気にすることなく思考に耽ける。
(この刻印……やっぱり東郷さんを助けたときについていたものと同じものだ。あの世界にいた『敵』が私を逃がさないように刻んだもの)
音のない灰色の世界で東郷さんを救出した際に、焼かれた『幽体』にこの刻印を刻まれた。身体の変化を知ったのは病院で目覚めた時にすぐだ。
あの時と比べて『刻印』の大きさが変わっている。きっとさっきの部室での出来事が起因しているはずだ。
(それにあの『腕』────私の大事な『熱』を奪っていった。東郷さんからもらったものを……っ)
『真実』を話すことをやめて東郷さんから引き剥がした『腕』は、消える間際に掴んで私を形成する『熱』の一部を奪い去ってしまった。
だからなのか先ほどからシャワーを浴びたばかりなのに必要以上に寒い。いや、これも肉体というより精神よりのことなのかもしれない。
一種の警告を受けたような感覚だった。
これ以上余計な真似をするとどうなっていくのか、それを現実として突きつけられた。
目覚めた時に東郷さんがくれたたくさんの『熱』。勇者部のみんなと過ごしていくうちに自然にもらっていた『熱』が爪で裂かれたように、喪失感となって私の心に裂傷を与えている。
きっと『敵』は私がどういう存在で、何を原動力として活動しているのか理解しているのだ。だからその大事な部分に楔を打たれてしまった。
「それにあの御役目……あれも私に引き継がれたみたい。だから今の私は
自己嫌悪に陥って今度こそ取り返しのつかないことをしてしまう可能性がある。せっかくみんなが揃って集まることができたんだ。
こんな『呪い』なんて私一人が引き受けていればいい。ただ肉体にまでダメージがいってしまうのは友奈ちゃんに申し訳が立たないのが本音である。
本当のことを言ってしまうと刻印の『呪い』が影響を及ぼす。私の正体を話そうとしただけでこうなんだし、恐らく御役目の部分も同様の結果を与えるのにはすぐに理解できた。
(……バチが当たったんだ。きっと、そう)
うつらうつらと眠気を漕いで私は疲労感に呑まれて眠りについた。
◇
何もない、暗闇の世界があった。
『私』はここから生まれて、ここから始まった。世界の中心には揺らめく『熱』がある。それは私の『心』。でも今はか細くなり、それは『呪い』のせいだと認識していた。今は消えることはないけど、果たしてこの『熱』はいつまで揺らいでくれるのだろうかと思わずにはいられない。
消えてしまえばもうそれまで。再び灯ることはないと思う。その最期までに『わたし』を取り戻して返してあげられればそれでいいと私は考えていた。
私の『時計の針』は歪になり始めている。
この暗い世界は『寒い』。雪国にいるわけでも、寒空の下にいるわけでもないのにひたすらに寒いんだ。
『私』は自分自身を暖める手段を持ち合わせていない。だからジッと身を丸めて耐えるしかない。寒い。『心』に付けられた傷口が冷たい。
────誰か、だれか、ダレカ。
呼びかけに応えてくれるモノはなにも無いのに。知ってしまったから思わず手を伸ばしてしまう。縋ってしまう。あの人に。
その辺りからか……ふっと意識が浮上していく。
私は夢の始まりと終わりをある程度認識してしまうので、「あ、今から起きるんだ」ということが分かる。
そうして、
「───んっ。」
「あ、起きた」
目が覚めてみれば天井────のはずが、どうしてか目の前に東郷さんの顔が映っていた。仰向けの態勢は変わりないが後頭部に肌の柔らかさを感じる。そうして一つ一つを意識していくにつれて私自身の意識も覚醒していく。はて、なぜ東郷さんが私の部屋にいるのだろうかという疑問が浮かび上がってきた。
「東郷……さん? どうして家に──?」
「急に飛び出して行っちゃうから鞄とかの荷物部室に置きっぱなしだったでしょ? 様子を見に来たのと届けに来たの」
「あー……ごめんなさい。うっかりしてて────手、握ってくれたの?」
「苦しそうに手を伸ばしていたから。友奈ちゃんの手冷たいわ……温めてあげる」
「東郷さんは温かいね」
「……大丈夫?」
「うん、東郷さんのおかげで楽になった……ね、もう少し握っててもらってもいい?」
「もちろん。友奈ちゃんに言われなくても握っちゃう」
ベットに腰かけている東郷さんの膝枕に頭を預け、冷え切っていた両手を彼女の手のひらが包み込む。
手のひらから伝わる『熱』に私の冷え切った世界は少しづつ融解していく。
「………みんな驚いちゃったよね」
「ちゃんとフォローしておいたから安心して。友奈ちゃんのことだもの……理由なしであんなことしないのは分かってるから」
「────ごめんなさい」
「謝ることないよ。あなたにいっぱい助けてもらったんだから。せめてこれぐらいでも恩返しができるならいくらでもするから…………ね」
「ううん、私こそ恩返しなんていらない。助けたいから助けたんだもん。お礼のためにやってきたんじゃないよー」
「友奈ちゃんがそう言うのはわかってるけど……やっぱり私自身が納得できないの。だから私に出来ることなら遠慮しないでなんでも言って!」
「東郷さん……」
たまに何やら言いたげな視線を受け取っていたのは分かっていたけど、そんなまでに考えていてくれたとは思いもしなかった。
律儀だなぁと思う。でも私が好きな人はそんな人だったと再確認した瞬間だった。
数舜の沈黙を挟み、私は口籠りながら言葉を発する。
「────じゃあ。東郷さん……今日は一緒に寝て欲しいです」
「うん、もちろんいいよッ!!」
「す、凄い笑顔だね」
「そうかしら?」
即答だった。しかも満面の笑みを添えて。
そんなにあっけらかんとされちゃうと少しだけ残念だ。もうちょっと慌てたところを見たかったんだけどね。
私は握ってくれたおかげで氷のように冷えていた身体が温まり、調子もよくなってきた。その勢いで私は東郷さんに抱き着いて彼女を半ば無理矢理寝転ばせる。
今度はポカンと呆けた顔をしていた。
「……え、えっと。友奈ちゃん? もう寝るのかしら?」
「うん……今がいい。ダメ……?」
「だ、ダメってわけではないけど……ほら、夕食も食べてないでしょ? 友奈ちゃんお腹とか空いちゃうし」
「食欲がないの。それに東郷さんといればお腹空かないから問題ないよ」
「栄養面で問題なんだけど……はぁ。でもそうね。なんでもするって言ったのは私だものね」
「私が寝るまででもいいから……もっと東郷さんを感じていたいの」
「か、感ッッ!? そ、そう?」
「うん。ね、東郷さん……ぎゅってして?」
「え、ええ。こ、こうかしら?」
お互いに向かい合わせに寝転がり、東郷さんは頬を赤らめながらも私の身体に腕を回した。
ああ、安心する。東郷さんの温もりと匂いに包まれて私は目を細めながらこちらも腕を彼女に回す。
「は、恥ずかしいから友奈ちゃんが寝るまでだからね」
「ありがとう。嬉しいなぁ……ん~♪」
「ひゃん!? くすぐったいわ友奈ちゃん」
「よいではないかーよいではないかぁー」
「もぅ。困ったさんね……よしよし」
撫でてくれるその手が気持ちいい。
私の軽口にも戸惑いながら受け止めてくれる。本当は私に訊きたいことはたくさんあるはずなのに、訊かないでいてくれた。
それがよくないことなのは私がよく知っている。でも、今は……今回の件だけはその優しさに甘えさせてください。そうしていればみんなにこの『呪い』の影響を受けることはないから。