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朝目が覚めると東郷さんは隣に居なかった。私よりも早起きしたのであろう彼女は毛布がかけ直されて身体が冷えないようにしてくれていた。着崩れていたパジャマを直し、その際に昨夜脱がされた羞恥心に今更ながら悶えつつも私は左目に手を添えた。
(…少し、景色が綺麗に映るかな)
霞んで見えていた左目の視界も幾らか抑えられていて、『紡ぎの種』の効力に感心する。これなら東郷さんには期待の持てる効果を発揮してくれていることだろうと肩を撫で下ろす。まさか彼女にも『タタリ』の影響を受けていたことには驚いたが、私よりも軽傷のようだったので良かったと思う。
「──あら、おはよう友奈ちゃん。もう少し寝てても良かったのに」
「おはよー東郷さん。遅刻するわけにはいかないからね」
リビングに足を運んでみれば東郷さんの姿があって嬉しくなる。彼女の顔色は幾らかすっきりとしているように思えた。母親にも挨拶を交わして東郷さんの作ってくれた料理に舌鼓を打ちつつ朝の時間を過ごしていった。
「じゃあ一度家に戻るわ。また後で家の前に集合だからね」
「うん、行ってらっしゃい」
「行ってきます──待っててね」
「……! う、うん。えへへ」
去り際に頭を撫でてくれる。手を振って見送ってから私も準備を整えることにした。
◇
それから暫くして。
私と東郷さんの二人で久しぶりの通学路を歩んでいる。しばらく間を開けていた学校も既に冬休みに入っており、道行く学生の姿は見られない。そんな中を制服で歩いてみればまるで世界に私と東郷さん二人だけになってしまったかのような、そんな錯覚を抱かせてしまう感覚になっている私は果たして浮かれてしまっているのだろうか。
「お休み中って人も少なくなってくるから、こうして二人で歩いてるとなんだか私たちだけって気がするね友奈ちゃん」
「……えへへ。うん、そうだね!」
「…? みんなに会うのが楽しみ?」
「ううん。あっ、それもそうだけど……やっぱりなんでもないです」
「えー…気になるわ。教えてくれないの?」
「なーいしょ!」
私がニコニコとそう言えば、首を傾けて疑問を抱く東郷さんがいて。ああ、まだこの人の隣に並んでいられるんだと実感が湧いてくる。なんてことのない会話でも、それが何よりも嬉しくて、私の心をくすぐってきた。
みんなとも早く会って、『私』を知ってもらいたい。今まで黙ってきた分怒られたりしてしまうかもしれないけれど、ちゃんと私が前に進むためにもケジメをつけていきたい。手前勝手なのは重々承知してるけどね。
そんなことを考えていると、不意に私の右手に温もりが包まれる。顔をそちらに向けてみれば東郷さんが私の手を握ってくれていた。
「…………東郷さん?」
「考え事してたでしょ? ちょっと歩調が早くなってたし、前を見て歩かないと危ないよ」
「あ、ありがとう。気がつかなかった」
「もう、ならこうしていないとまた同じことしちゃいそうね」
「……いいの?」
「私が友奈ちゃんにしてもらったように、私もしてあげたいの。だから平気」
「ありがと……」
「大丈夫だよ友奈ちゃん。早く顔を見せてあげて安心させてあげようね」
「うん」
東郷さんと手を繋いで私たちは学校に向かう。連絡は既に済ませているようでみんな部室で待っているようだ。
こうして讃州中学に到着した私は今扉の前に立っている。中では喋り声が僅かに聴こえてきて人の気配を感じられた。
右手はここまでずっと東郷さんと手を繋いでいるので私は感覚の薄い左手を持ち上げて取っ手に手をかけた。緊張する。久しぶりの部室の扉はどうにも重く感じた。
ガララ、と扉を開けてみたら中にいるみんなの視線が一斉にこちらに向けられた。
「……友奈?」
「は、はい。ゆう……友奈、ただいま戻りました……風先輩」
おずおずと話していたら目尻に涙を溜めて私のところに走って抱きついてきてくれた。次いで樹ちゃん、夏凜ちゃんと私の元に来てくれる。
「無事で良かった!」
「アンタ……! どうして何も言わないでどっか行っちゃうのよ! 心配したじゃないっ!!」
「私の…わがままだったんです。すみませんでした、風先輩、夏凜ちゃん」
「本当に良かったですぅ……友奈先輩」
「うん、心配かけてごめんなさい樹ちゃん」
「うんうん。これで勇者部全員集合だね、わっしー」
「そうねそのっち。安心したわ……ひとまずはだけど」
二人で何かを確かめ合うのを私は視界の端で捉えた。あぁ、そうだ。問題はまだ終わっていない。私は風先輩から離れてみんなに向き直った。
「あ、あの……私、みんなに伝えなきゃいけないことが……あって」
「伝えたいことって……前に言ってたやつ?」
「はい」
胸の前に手を握り不安を押し殺す。喉の奥がカラカラと渇きを覚える。
「……友奈ちゃん。先輩たちはちゃんと受け止めてくれるわ」
「東郷さん……」
「私は友奈ちゃんに嘘は言わないよ」
東郷さんが横で安心させるように微笑んでくれる。実際に私の心は落ち着きを取り戻してきているのは事実で……深呼吸をしてから言葉を続けた。
「私は……本当の『結城友奈』じゃないんです……ずっと、っ……『私』は『結城友奈』としてみんなに黙って過ごしてきたんです」
話していく。私がずっと秘めていたことを。
自分でもちゃんと伝えられてるのか分からない。ずっとこの人たちに黙っていたんだから『否定』されても仕方ないと思っている。でも、言うと決めた私は視線だけはみんはから逸らさないように見つめ続けた。逃げ出したくなるけどグッと拳を握って耐え忍ぶ。
みんなは驚いていた。言葉はない……恐らくなんて声を掛けたらいいのか分からないのが正しいのかもしれない。でも、そんな中で夏凜ちゃんがいつになく真剣な表情で問いかけてきた。
「…ねぇ、それってぜんぶ本当なの?」
「……は、はい」
「いつ頃から?」
「私が初めて目覚めた時は病院でした。隣には東郷さんが居て、声が聞こえたんです」
そして語りかけてくる彼女の言葉を聞いた。一人ぼっちの勇者の物語を。その中で東郷さんの慟哭を聞いて私はこの人の涙を拭ってあげたいと切に願い、そしてそこから私は『始まった』。
「……病院っていうとつまり入院してた時よね?」
「──『散華』の影響から解放された時ですよフーミン先輩。私たちが身体の機能を回復したように、きっと『彼女』の精神も同じようになったんだと思う。私はその時の戦いに参加してなかったから分からないけど、きっとゆっちーの精神が入り込んでしまうほどには、以前の『彼女』はとても無茶してたんじゃないかな?」
「確かに友奈は変身が解けた状態から『満開』とかしてたけど──乃木……アンタは知ってたの?」
「何となく予想は立ててあって、こうしてゆっちーが本心を打ち明けてくれたおかげですっぽり収まった感じかなぁ。ゆっちーもえらいえらい。よくみんなに話せたね。不安だったでしょ」
「そのっちさん……」
頭を撫でられながら私は驚いていた。この人はどこまで事を把握しているのだろうかと。でもだからこそ彼女の言葉には説得力があってみんなもそのっちさんの言葉をちゃんと聞き入れてくれている。
そこまで話をしたところで風先輩は「はぁ…」とばつの悪そうな表情を作っていた。
「なるほどね……こうまで言われちゃうと色々と納得のいくことばかりだわ。仲間の変化にちゃんと気がつけないなんて部長失格ね」
「そんなことないです! 元々は私がもっと早く言っていればよかっただけで……みんなは何も悪くないんですよ」
「えぇそうね。確かにもっと早く言ってくれればって思うけど……でもまずは謝らせてもらうわ友奈……でいいのよね?」
「はい。友奈、です」
「ごめんなさい。友奈自身も巻き込まれた身なのにこうして私たちのことを気遣ってくれて。よくよく考えてみればタイミング的にも良かったのかもしれないわ。あの時はまだバタバタしてたしね」
「こちらこそ、今まで黙っていてすみませんでした」
「ん、許す! ちゃんと話してくれてありがと、友奈」
お互いに頭を下げあって顔を上げると、風先輩は以前のように頭を優しく撫でてくれた。心地よさに目を細めつつも私はその次に樹ちゃんに向き直った。
「
「あの時はやっぱり聞き間違いじゃなかったんですね……私の方こそ、気がつかなくてすみませんでした。で、でも私にとって友奈さんは友奈さんですっ! 私の大切な先輩なのは変わらないです。なので今まで通りに接してください!」
「……ありがとう、樹ちゃん。また、よろしくね」
「はいっ!」
手を握り合って可愛らしく微笑んでくれた。そして、夏凜ちゃんを見る。
「──あー……あの、さ」
夏凜ちゃんは視線を泳がせながら頰をかく。何やら言葉を選んでいるように見えるがそれもすぐに元に戻すと、
「…夏凜、さん?」
「大体言いたいことはみんなと同じだから……えっと、今度は隠し事は無しだからね」
「は、はい。分かりました」
「それと敬語なんて要らない」
「は……うん。分かった」
「よし。じゃあ、後は───はい」
言いながら少しだけ頰を染める夏凜ちゃんは手を差し出してきた。それはまるで握手を求めるかのような動作で思わず目を丸くしてしまう。
「これって……」
「あ、改めて……私と『友達』になってくれる? この手はその証っ!」
「──っ! う、うん夏凜ちゃん! よろしく……よろしくお願いしますっ!!」
「まったく。敬語は要らないって言ったで──しょぉ!? こ、こら急に抱きつくなぁ!」
「だって、だってぇー!」
感極まった私は勢いで抱きついてしまう。けれど夏凜ちゃんはしっかりと受け止めてくれて嬉しかった。
「夏凜が……あの夏凜が自分からあんなこと言って…! ほんと成長したわね」
「こらそこ! バカにしてんの!?」
「あはは〜♪ にぼっしー顔真っ赤だねぇー」
「う、うるさいっ! 赤くなんてなってない!」
「私だって友奈先輩と仲良くしたいです! えいっ!」
「樹ちゃん!」
「二人で抱きついてくるなぁ!?」
「──!! 見た乃木、東郷!? 樹が自分から行ってるわよ──!」
「風先輩。樹ちゃんはもう立派に成長してるんですから」
「そうそう。イっつんの女子力は姉をも凌駕しようとしているんよ」
「なぬー!? そんなことになったらあたしには一体何が残るのよぉー!」
『うどん』
「ハモんなぁー! でもあながち否定できないわぁぁ……」
「てかアンタらコントしてないで助けなさいよぉー!?」
床に崩れ落ちる風先輩の横でそのっちさんと東郷さんがくすくす笑う。夏凜ちゃんは私と樹ちゃんに抱きつかれながら狼狽するも、その表情はとても爽やかに感じる。東郷さんの言った通りだった。
「……むぅ。でも夏凜ちゃんってば友奈ちゃんにくっつき過ぎだわ」
「お、わっしージェラシー感じちゃってる〜?」
「そんなんじゃ…………ない、けど」
「ゆっちーは
「──? それってどういうことそのっち?」
「わっしーって……わっしーだよねぇ。ミノさんも呆れちゃうよ〜?」
「ど、どうしてそこで銀が出てくるのよ……?」
「私もにぼっしーに抱きつく〜♪」
「あっこらそのっち話を……もう」
そう言ってそのっちさんは私たちの中に混じって抱きついてきた。東郷さんは困ったようにため息を吐くと、不意に私と視線が重なった。
「───っ!」
「…友奈ちゃん?」
さっと視線をそらして私は熱くなった頰の熱を逃すように顔を俯かせる。意識を傾けていたせいかそのっちさんとの会話が丸聞こえだったのだ。というかそのっちさん本当に何者なのー! って叫びたくなるのも無理もないよね? 当の本人はニマニマとしてきてるし…。
何となく顔を合わせづらかったので私は夏凜ちゃんとスキンシップを取ることに集中することにした。