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天を覆う『内行花文鏡』が友奈ちゃんの手によって砕かれていく。神樹様による『大満開』とも呼ぶべき力と、私たち『勇者』の力。きっと何一つでも欠けてしまっていたら成し遂げられなかった今の状況に、私の心の内は様々な感情がひしめき合っていた。
「友奈ちゃん……」
戦いは終わった。全てが終わったのだ。私たち人類の『未来を生きたい』という願いが神様たちに聞き届けてもらえたのだと、空がガラスのように砕けていく様子を視て理解する。それと同時に頰に熱いものが流れ出ているのを自覚した。
それは涙。喜びと安堵と、そして哀しみの涙が頬を伝う。うっすらと唇に残る彼女の感触がそれらを強く自覚させて溢れるように涙が流れ出ていく。
あの子は──ゆうちゃんはやり遂げたのだ。自分の役目を、願いを、選択を。その短い生涯を賭して見事に成し遂げてみせたんだ。
「……っ、ぁ」
不意に身体がふらつく。ここに来るまでの道のりは決して楽ではなかった。『タタリ』に死の寸前まで蝕まれて、ゆうちゃんを守るために『優しい勇者』から力を借りてバーテックスからの猛攻を凌いだ。それらの反動が今、身体に降りかかり倒れそうになったところで──
「……大丈夫? わっしー」
「そのっち……」
──私は倒れることなく、かつての相棒に支えられた。視線をそちらに向ければそのっちがいつものように微笑んでいる。身体は私のようにあちこちボロボロだ。それが数年前のあの時を彷彿とさせるので、私は薄く苦笑を浮かべながらその肩に身を預けるように傾けた。
二人で同じ空を見上げる。
「終わったんだね。全部」
「うん……友奈ちゃんたちが…やって、くれたよ」
「はぁ〜…凄いなぁゆっちー。世界を救っちゃったんだ。あははー…」
「でもそのっちたちがいなければ、こうはならなかったと思う。風先輩に樹ちゃん。夏凜ちゃんだって……」
「私なんてなんにも出来なかったよー。にぼっしーたちがすーごく頑張ってくれたおかげだね」
みんなが力を合わせて乗り越えて、それで勝ち得た『未来』。謙遜してるがそのっちだって色々と裏で立ちまわってくれたんだ。本当に……尊敬できる人だと私は思う。
「タタリは消えた?」
「ええ、痛みも何事もなかったかのようだわ。ただ、疲労はあるみたいで足腰が少し……重くない?」
「ぜーんぜん。もっとこっちに寄り添ってくれてもいいんよ?」
なんてやりとりをしながら覚束ない足取りで前に進もうとするが、中々前進しないことに気がつく。隣のそのっちが困ったように笑っていた。
「あはは。私も実は足がガクブルなんよ……にぼっしーとイっつんとで張り切りすぎちゃったっぽい」
「…そうなの?」
「わっしーの前でカッコつけたかったけど、無理だったー。どうしよっかー……すぐ行きたいでしょわっしー」
「うん。だから少しずつでも進むわ。友奈ちゃんに早く会いに……いかないと……!」
「わわっ…!」
言葉とは裏腹に足は思うように動かず、支えてくれていたそのっちも足をもつらせて転倒しそうになってしまう。
でも……、
『───まったく、二人はいっつも無茶するよな。そこは昔から変わっちゃいないってことか』
そんな私たちを支えてくれたのは────一人の少女だった。
「──……えっ?」
『須美のやるぞーって時の視野が狭くなるのは相変わらずだなぁ。それに園子も……ああいや、身体は大きくなってるか、ははっ』
「な、なん……で? み、ミノ…さん?」
私たちがかつて『三人』で御役目を担っていた時の最後の一人。欠けてしまった一人が確かに────私たちの肩を支えてくれていた。
『おっす、久しぶり──って言うのもおかしいか。三ノ輪銀、ちょっと
過去であり、もはや『記憶』の中でしかないはずの笑顔が……現実に存在していた。足はもちろん止まって言葉を失う私たち。え、どういうことなの……?
これは夢? 妄想の類い?? そのっちも目をパチクリして驚きを通り越して驚愕していた。
そんな状態なのに、私たちの反応を見た銀はしてやったり……! と悪戯が成功した小さな子供のようにくつくつと笑っていた。
『驚いてる驚いてる。いやーそのリアクションが見たかった!』
「か、揶揄わないで! え、その……本当に銀…なの?」
「私の妄想が現実になったーとかじゃなくて?」
『おう。正真正銘モノホンの三ノ輪銀様だぞ! といっても正確には少し違うけどな』
「どういう……ぁ」
彼女に言われて違和感に気がついた。もし、彼女が当時のあの時のままならば私やそのっちを物理的に支えられないはずだ。肉体もそうだけど体格的にも。なのに目線はほぼ同じでその理由を考えた時、先に理解したのは隣にいるそのっちだった。
「その勇者服……もしかしてにぼっしー?」
「か、夏凜ちゃん? あ、言われてみればそんな面影が……でもどうやって…」
『さっすが園子大正解! 実は三好夏凜さんにお願いして一時的に肉体を借りてるんだ。どーだー! 凄いだろー! これも神樹様のおかげだぞ!』
「そんなことが、可能なの…?」
『……まぁ、それでも今だけこの限りのキセキだけどな。辺りに昇る光が視えるか? 理屈はどうかまったく分からないけど、今は『魂』の在り方? んや、境界線?? 的なものが曖昧になってるから出来てる芸当なんだとさ』
「神様たちの神力がぶつかった影響なのかな? ぼわぁーって」
『いやーそんな緩くないけどまぁそんな感じ。とにかく少しだけこの世に居られる時間をくれたんだ。だったら真っ先にお前らのところに行かないと、だろ?』
「───っ!」
目頭が熱くなる。もう会えない人との再開と言葉。色々と話したいことがあったはずなのに、うまく喉奥から出てこない。時間がない……と銀は言った。その変化は確かに現れていて、間借りしている夏凜ちゃんの肉体から光の粒子が漏れ出ていた。
『──二人を探すのに時間掛かっちゃったからなぁ……大口叩いたところ悪い。もう時間が近づいて来てる。このまま歩きながら行こっか。今回の一番の功労者のところに須美たちを案内させないといけないからさ』
「ミノさん……っ。あ、あのね……私…」
『ああ、わかってる。でもアタシから先に言わせてくれ園子……ごめんね。何も言えずに逝っちゃってさ』
「う、うぅ……わた、私の方こそごめんねミノさん。あの時私が弱かったからミノさんにたくさん…いっぱい苦しい思いをさせて」
「私もよ…銀。ほんとはあの時一緒に……行きたかったのに…不甲斐ないばっかりに…!」
『お、おいおい二人とも泣くなよ。いいんだよ、アタシがあの時ああして身体を張ったお陰で二人が生きててくれたんだからさ。喜ぶことはあっても悲しむ必要はまったくないぞ』
嗚呼、紛れもなく彼女は三ノ輪銀だ。今日はよく涙が溢れてしまう。止まらない……ううん、止められないよこんなの。
一歩、また一歩と前に進む。三人で……足を揃えていつかのように。ボロボロなのも同じ。散々神様に対して罵って来たくせに、今は都合よく神様に感謝してしまっている。私は天に昇っていく光の粒子たちを見つめながら呟いた。
「…ねぇ、銀。このあと人類はどうなっていくのかな」
『そうだなぁー…戦いは終わったし。これからすぐに神樹様があの炎の世界を消して元の世界を取り戻してくれる。そしたら後は人間の自由だと思うぞ。これからも人は何にでもなれる。何処にでもいける。アタシたちみたいな人が武器を取る必要もないし、バーテックスみたいな化け物どもと戦う必要もない。当たり前だった日常をみんな謳歌できるんだ』
「…でもそこにミノさんが居ないのは寂しいよ」
『それは……うん、本当に悪いと思ってるけど…でもね、そうやって二人が先の「未来」を進んでいくんだなーって思うと自分のことのようにすげー嬉しくてさ。アタシや先代の人たちのやってきたことは無駄じゃなかったんだなぁって……欲を言えばアタシも二人の隣で見てたかったけど、そりゃもう仕方ないって割り切れてるしなー…うん!』
「銀……」
きっと彼女は背中を押してくれている。昔のように、私たちの手を取って連れ出してくれる。例えその先に自分が居なくても。銀ははいつだってそういう人だったから。
それはそのっちも理解している。だけどごめん……ごめんね銀。泣いちゃうものは泣いちゃうのよ。強くなっても、ちょっとやそっとで挫けなくなっても……溢れてしまうのものが私たちにはあるの。
啜り泣きながら、それでも足は一歩ずつ止まらず進んでいく。私たちの『終着点』へと着実に。
────そして、ついにその刻は訪れて……。
『──あの丘の先にいるから。ここからは須美と園子…そして夏凜さんと行くんだ。アタシは……ここまでだ』
たった数十メートルの移動距離だった。無限に続いていきそうな錯覚を抱く奇跡の時間に終わりを告げられる。今は先程よりも身体は動かせる。銀はそっと担いでいた私たちの肩から体を離していく。
私とそのっちは堪らずその手を握りしめた。
「銀っ!」
「ミノさん…っ!! 本当にお別れ…なの?」
『あぁ、時間だよ。もうこの世に留まれそうにないや……だからここで
銀からも手を強く握られる。気持ちは三人一緒だ。離れたくない、もっといたい、話をしたい。けれどそのわがままを通せるほど現実は甘くはなかった。ううん、今でさえ『奇跡』と呼べるほどの邂逅を果たしているのだから…。
『園子』
銀はそのっちに話かける。俯いていたそのっちはゆっくりと顔をあげて視線を交える。目元は涙のせいで真っ赤に腫れていた。
『毎日のように墓参りに来てくれてありがとう。お供物も美味しく食べさせてもらったぞ。それに沢山話を聞かせてくれてこっちもサンキューな。勇者部……居場所や友達がいっぱい出来たみたいで安心した。それと……須美のこと、よろしく頼むよ。ずっと、いつまでも仲良くするんだぞ』
「ミノ……さぁん。私も…ぐすっ。私もいっぱい…いーっぱいありがとう。うん、うん…っ! わっしーと仲良しさんでいるから。私たちズッ友だから……だから、安心してお空で私たちのこと見守っててね」
『ああ。ずっと見守ってるから──それと、須美』
泣きじゃくる園子の頭を撫でながら視線を私に向けてくる。その顔を見るだけで視界がぼやけてしまう。唇を固く結んで一生懸命堪える。
『…たはは。そんな顔するなよ、こっちまで泣いちゃうだろ?』
「無理よ。だって銀が私とそのっちを泣かせるんだもの」
『悪かったって』
握っていた手を離して私の頭も撫でてくれる。そういえば最後に撫でてもらったのって遠足以来だったかな。すごく…心地がいい。
『園子にも言ったけどさ、二人仲良くな。喧嘩やぶつかることがあってもちゃんと最後には仲直りするんだぞ?』
「…うん」
『須美はたまに周りが見えなくなっちゃうから、あまり暴走しすぎないこと』
「……うん」
『…………後はそうだな…ありがとう。須美たちと過ごしたあの時間はアタシにとってかけがえのないものだった。大変だったことも多かったけどそれ以上に楽しいことも沢山あったし、そんで最期にはこうして須美と話すことができてアタシはもう思い残すことがないぐらい今は嬉しいよ』
「私も……同じ。銀が居てそのっちも居てくれたから私はここまで来れたの。『友達』だって言ってくれて嬉しかった。楽しかった……銀には感謝してもしきれないぐらい沢山のものを私にくれたから。だから私の方こそありがとう、銀」
当時だったら恥ずかしくて言えなかったであろう言葉は、いつの間にかスッと口にすることができた。銀と過ごした日々は私の人生の奥深くで色濃く根付いている。優しくて力強く、折れることのない大切な『
銀は私の言葉を聞いて頷き、サッパリとした、
「────。」
倒れそうになる夏凜ちゃんを二人で支えて空を見上げる。目の錯覚か、私たちの願望かは分からないけれど確かに『魂』のカタチは銀の姿を象ってこちらに振り返っていた。
────二人に出会えて良かったよ。須美、園子。
「…っ! 幸せになるから! 銀…! 私もそのっちも銀が不安になる必要のないくらい幸せに生きていくから……だから本当にありがとう。また会いに来てくれて…!!」
「うん、わっしーの言う通り! ミノさんは安心してお空から見ててよ……!」
相変わらず涙は止まらないけど今や悲しみに濡れただけではない。つっかえていた胸の内が、一つの心残りが払拭されたんだ。
銀の『魂』の残滓が雲のように白く溶けていく。これが本当の最期。『鷲尾須美』から続いて来た私たちの三人の勇者の最期の幕引き。
────
『またね』を果たしてくれた彼女のお別れの言葉。その慈愛に満ちた微笑みと共に彼女の『魂』は本当の意味で天に還っていった。まるで暗雲の切れ目から覗く光の道筋に溶けていくように。
『天の神』を見事退けた勇者たち。
そして『鷲尾須美』という勇者の物語の終幕。