その壁は薄かった   作:充椎十四

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本編全23話。番外編いくつかでお送りします。


その壁は薄かった
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 日本人のほとんどは、よほどの風呂嫌いでなければ、風呂に入ると解放される。機嫌良く歌う者、寝る者、カップラーメンを啜る者、本を読む者……私はその中でもポピュラーな、風呂場で歌う者の一人だ。

 

「コーンに生まれたこの命」

 

 シャキッと◯ーンの懐かしいCM歌を楽しく歌い上げたあとはやはり懐かしい強麺で謝りまくり、からすの子を途中から英語で歌う。最後にうめーっしゅで締めて浴槽を出た。

 

 ――風呂の薄い壁一枚隔てた向こう、作りが左右逆な部屋に暮らす男が笑い声を殺して腹筋を鍛えていると知らずに。

 

※※※

 

「お? 今週末も晴れか。うむうむ、執行日和ですなぁ!」

 

 今週末に三度目の礼拝を予定している映画のタイトルは零の執行人。最後辺り「顔が良い」「風で乱れる髪が良い」「溢れでる雄み有難うございます」しか考えられなくなる降谷零全力プッシュ映画だ。私は腐女子だが赤安も安赤も安コも読まない派で、かつ夢女子だが降谷零に恋なんてそんな煩悩に満ちた想いは抱いていない。分かるか、降谷零はアイドルであり、エンジェルであり、神の依り代なのだ。人間ではない。よって貴く尊い。

 つまり私が降谷零に抱く感情は恋ではなく信仰心、あむぴっぴとか恐れ多くて言えるわけがない。申し訳なさ過ぎてまじで震える。

 

 最近は天気予報を確認するだけのでかい板と化しているテレビのスイッチを切り、いそいそ風呂に入る。

 

 あー、本部へ郵便物あるんだったわ今思い出した。明日出勤したら即切手貼って郵政課にパスだな。でもその程度の事で私のわくわくは止まらない! やめられない止まらない!

 

「やめられないやめられない」

 

 ギャンブルはしてないけど、迎え酒は数えきれないほどしてきた。ちなみに男漁りに片思いと横恋慕はしたことがない。ぴっかぴかの処女でーすひゃっほー!

 

「はー……この年で処女守ってんのか……」

 

 気持ち良く歌い上げた後、どっと押し寄せてきたのは無力感とか疎外感とかそう言った感情の波。

 ため息は思いの外低く大きく響いた。

 

 結婚したくない訳じゃない。女が多い職場だから男はすぐに指輪持ちになっていくし、私もお見合いパーティーに行ったりマッチングサイトに登録して男性と会ってみたりしているんだけど、交際には至らない。

 早く両親を安心させたいという義務感だけで相手を探しているから、ってだけが原因じゃないことは分かってる――他人と一緒に暮らすのが無理だからだ。いくら好きになった相手だとしても、誰かと一緒に暮らすのは気が重い。

 

 大学は私立。滑り止めだったから家から微妙に遠く、寮費が安かったのと寮生活に憧れて入寮した――そこが酷かった。二段ベッドで区切られた二人一部屋は頻繁にプライバシーが犯され、夜遅くまで終わらない大声の電話や音楽に物音。何度注意しても寮母さんに怒ってもらっても効果はなく、最終的に私は寮を出た。

 他人の呼吸が聞こえると寝られない、なんていうトラウマだけ身につけて。

 

 あと、結婚するなら公務員が良い……警察とかね。制服萌えなんだよ言わせるな。給料が安定してるのも魅力的だし、警察がダメなら海上自衛官あたり希望。ずっと船に乗ってて欲しい。亭主元気で外に出ててほしい。男は船、女は港でいたい……時々なら帰って来てくれても構わないけど、毎日一緒にいるとかは生理的に無理。

 

「別居婚許してくれる結婚歴なしで認知すべき子供もいない、低くても良いから年収が確実な警察官、どこかに転がってないかなぁ」

 

 ぼそりと呟いたけど、そんな公務員がいたら飛び付く自信がある。でもいるわけないよね、そんな最高な要素を詰め込んだ同世代の男って。前うちの受付にやって来た警察の幹部(35歳)だって、顔はよかったけどバツイチこぶ付きなのに新人女性警官(22歳)と付き合ってるって噂だ。若い子が好きってことじゃんこのスケベ! 変態!! 女も女で見る目がない! あ、いや、もしかして顔だけで選んだ……? それなら仕方ないか。

 顔は大事だよね。顔が良ければだいたいの欠点はカバーできるし。

 

 私だってアラン・リックマンの顔した男に迫られたら心が揺れる自信がある。性格がスネイプ先生でマッチョだけど腰が細くて山奥の学校で先生なんてやってて結婚しても同居期間は一年に一ヶ月もないようなセブルス・スネイプがいたら迷わず結婚する。

 高望みしすぎ? 知ってた!

 

 ――止めよう。せっかくのお風呂タイムなのに、気が滅入るようなこと考えてたらダメだ。もっとワクワクするようなこと考えないともったいない。元気になれる曲にしよう。

 

「ババンババンバンバン」

 

 いい湯だなを熱唱して湯から上がった。

 

 ――薄い壁の向こう。浴槽に肩まで浸かった男が、笑えば良いのか嘆けば良いのか分からないと言わんばかりの微妙な表情を浮かべているなんて知らずに。

 

※※※

 

 執行されてお値段の高いご飯食べて帰って来たアパートのロビー、だいぶ表面が白く曇った金属製のポストが並ぶそこで会ったのは、なんとお隣さんだった。

 数時間前にスクリーンで拝謁したばかりの神の御子フルヤ=キリスト――彼にそっくりな容姿のこの人は本郷昇さんという。甘く優しげな造作はそこらの芸能人なんて目ではないレベルで整っていて、高身長なんだけど見下ろされてる威圧感を感じさせない柔らかな雰囲気が親しみやすさを感じさせる。安室さんがリアルにいたらこんな感じなんだろう。最高かよ。

 本郷さんは実は声もフルヤ=キリストそっくりで、こうして会って挨拶する度に神が降臨してときめきが止まらない。録音させて貰えないかな……常識的に考えて無理か。

 

「あっ、こんばんは!」

「こんばんは」

 

 ぺこりと頭を下げた私に本郷さんも軽く頭を下げてくれ、車の鍵を手の中で遊ばせながらポストを確認した。届いていたのは葉書と封筒が一通ずつだ。

 私もその隣のポストを確認し、婚活パーティー企画会社からのA4封筒を見つけて目が死んだ。

 

 既に一度目と二度目の執行でグッズを買いきってしまった今日の私は何ら買い足す物はなく、おしゃれ優先の小さな鞄一つしか持っていない。つまり、婚活会社の封筒を鞄に突っ込むこともできず手に持ったまま本郷さんとエレベーターに乗り、部屋の前まで歩かねばならないということだ。

 

 封筒には流麗な筆記体でクリタ・マッチング・サポートと書かれているうえ、会社の標語なんだろう『~生涯を共にする二人を結びつける~』とかさ、本当にさ、今は止めてほしかった。

 こんな女性なんて選り取りみどりなイケメンの横で、一目で婚活パーティーの案内と分かる封筒を手に持って歩くとかさ、まじ無理……。地獄かな。すごく足が重いや。

 

 扉を開けて待っていてくれた本郷さんに頭を下げてエレベーターに乗り込み、十数秒で一番上の階に着いた。開閉ボタンを押してくれている本郷さんにまた頭を下げながらお礼を言って我が家、302号室にそそくさ入った。封筒は靴箱の上に投げ捨て、よそ行きの服も財布とスマホしか入ってない鞄もベッドに放り投げて下着姿になり――風呂に直行した。

 

「あーこの世界はー! ぁあ゛ーっ! あーなったの色になるーっ! ぅんがーっ!」

 

 怒鳴るように歌いながら風呂の自動ボタンを押して浴室の椅子に腰掛け、化粧を落とす。すっぴんになったところでお湯張りの案内が「残りおよそ五分でお風呂が沸きます」ってアナウンスしてくれたから、今日の服をベッドでから回収し下着もネットに入れて洗濯機に突っ込む。

 

 ふっと見た洗面所の鏡に映るのは全裸の女で、みっともない体型ではないとはいえツルーンストーンで涙が出そうだ。食べても太らないことを羨ましがられたのは昔の話、脂肪が付く部位は腹だけじゃない。

 長く重いため息を吐いてがっくりと項垂れてからノタノタ浴室に入る。ちょうど音声案内が「お湯張りが、完了しました」って言ったから「はいはい了解しました、ありがとう」といつも通りお礼を口にして、風呂桶で湯を掬い頭から被った。

 

 湯船に浸かれば始まる私のオンステージ、歌詞がうろ覚えだから歌うのを控えていた零を熱唱する。今日の私はひと味違う、風呂場にクリアファイルに挟んだ歌詞(ネットからのコピー)を置いていたのだ!

 

「真実はいつも一つでも」

 

 ふぇぇ、ましゃ格好いいよぉ。

 

***

 

 降谷零には密かな楽しみがある。

 

『酒がのめるのめるぞー』

 

 施工の段階で不備があったのか、それとも経年劣化によるものか。隣の浴室の音がこちらの浴室に響くのだ。

 

「女性が歌う曲じゃない……!」

 

 たっぷりお湯を張った湯船に浸かりながら、背中を丸めて笑いをこらえる。四季折々、毎月酒をのむ理由を挙げていくこの歌の前は天国に行って帰って来た酔っ払いの歌で、それもまた降谷の腹筋を試してくれた。

 

 ここは降谷零でも安室透でもない、また別の偽名『本郷昇』名義で借りたセーフハウスは、飛び降りて逃げるにも隣接する建物まで跳んで逃げるにも便利なアパートだ。他人を巻き込みにくいという点からロビーのポストに部屋番号と住人の名字が明記されていることも気に入っている。

 ――だから、単に『逃げやすい』安心感のあるセーフハウスでしかなかったのだ。始めは。

 

 四日から五日に一度利用するだけだったこの部屋の違和感に気付いたのは、ここを借りてから三週間目。なにやら風呂場から声が聞こえてくるような……まさか訳有り物件だったのだろうか、と頭痛を覚えながら風呂場を覗いた降谷の耳に届いたのは、やけにテンションの高い歌声だった。

 

『オッケー! 俺についてこい』

 

 降谷でも知っている、世界的に有名な黄色いネズミモンスターの曲だ。そしてオッケーと歌い続けたと思えば一瞬で反省会が終わる悪役の歌、そして何故かンパカンパカと番組が変わり、んばばんばばファイヤーで終わった。

 ザバリと湯船を出る音と『あーらよっ出◯一丁!』という訳が分からない掛け声がし、浴室の扉を開けて閉める鋭い音が聞こえたあと静かになった。降谷は顔を押さえながら浴室の扉にもたれかかっていたが、しばらく後、頭を振りリビングに戻った。

 

「ポケ◯ンで統一しろ……」 

 

 何を言えば良いのだろう。何か言うべきだと思い口にした言葉は、全くどうでも良いことだった。あと歌や物真似が上手いのに腹が立つ。

 

「いや、うちの風呂から変な物音はしたことないけど……」

「ここ古いアパートだけど、防音設備はしっかりしてるよ。横から音聞こえたことなんて一度もないし」

 

 ――降谷は階下の二部屋201号室と202号室の二人に話を聞きに行ったが、どうやら302号室の元気な歌声が聞こえるのは301号室だけらしい。

 301号室だけこれほど大きく聞こえるのはおかしいのではないか、もしや前の住人が隣室の住人のストーカーだったのでは。降谷がそう考えるのも当然のことだったが、調べてみればきちんと原因があった。

 302号室との間に貼られた防音ボードの糊が剥がれ、落ちていた。

 

「……うん。このままで良いな」

 

 剥がした壁紙その他は元通りに直し、降谷は一人頷く。防音ボードを直すつもりはない。悪趣味であるとは分かっているが、その時既に隣人の歌声は降谷の楽しみと化していた。

 あの無駄に上手くて選曲が古くて突っ込みどころ満載な歌声を聞く度、幸福感を覚えるのだ。平和な世界に生きている人がいる、その平和を守っている自分に満足感を覚えるのだ。




 でも降谷さんそれ犯罪ですよ。

 降谷の偽名はアムロ・レイの名前がつけられる前の仮名「本郷東」と、古谷さんの別名義から。
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