その壁は薄かった   作:充椎十四

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 もう過ぎたと思っていた月曜日が、後ろ歩きで引き返してきた。一歩進んだはずが二歩下がっていたことに気付いたときのような気分だ。面倒でござる! 面倒でござる! 仕事したくないでござる!

 とはいえ、それでおちんぎんを銀行のお口に挿入れてもらっている立場。重い足を引きずり仕事に行き日が沈んだ後に家に辿り着けば……隣室、本郷さんのお宅は真っ暗だ。

 

 ドアを開け部屋に入り、靴を脱ぎ捨ててスーツも投げ捨てる。浴槽に栓をし自動湯張りボタンを押す。録音が「お湯張りします」とアナウンスする。

 

「うん」

 

 決まったアナウンスに返事をして、ぼんやり天井を仰いだ。

 

 ――隣人・本郷さんはフルヤ=キリストだった。輝けるご尊顔は仮設ポアロではなく常設ポアロで笑顔を振り撒き、鍛えられた肉体は魅せるためではなく戦うため、後味にふわりと甘さを感じる声は確かに彼本人のもので、体格の良さを誇る欧米の血も流れる国産狼は国のため人のため牙を研いでいる。

 見た目がいい。顔が良い。声も良ければ信念も素晴らしい。存在がもう尊く、つまり例えるならば人々を救わんがため現れる弥勒菩薩。拝まないなどありえない。半跏思惟像ポーズなどされてみろ、五十六億七千万年後の世界というのは今だと確信が持てる。憂き世は浮き世からの嬉き世となって春爛漫、除夜の鐘はビートを刻みポックリ寺参りは不要になる。つまりフルヤ=キリストは降谷菩薩でもあったのだ……!

 六道巡りは光の速さで終了、堕ちてそして巡った結果待っているのは解脱。悟りを開き第三の目が開かれ額から溢れるチャクラ、だが忍術は使えないし文殊も生み出せない。Dam it!!!!

 

 ちなみに私がいと尊くして貴き存在・降谷をキリストと言ったり菩薩と言ったりするのに何故イスラムで例えないのか謎に思うかもしれないがイスラムでは偶像崇拝禁止だ! 説明は以上だ!

 

 話は戻って降谷菩薩だ。彼の信念と言えば、まさに死をも厭わぬ覚悟。大のために小を切り捨て、その小に自分を含んでも構わないという決意! これでは菩薩というより帝釈天の方が相応しいかもしれないが救世主としての面を強調したいので降谷菩薩だ。

 ――自分すらも切り捨てているということは降谷菩薩はフルヤ=キリストであり、そしてフルヤ=キリステでもあった?……語感が悪いうえ悲しくなるから止めよう。

 

 つまりだ。降谷菩薩は「この身は既に覚悟完了」であり、その決意を翻させる手段はこの世に存在しない。殴って止められる立場の人間は全員死亡、泣いて止められるだろう家族は未登場つまり既に鬼籍の可能性ふぇぇ泣いた……。

 我が身を賭して救世のため働き続ける降谷菩薩、彼の心を占めるのは愛だ。愛あってこそのひたむきな献身。友愛に親愛、家族愛、愛国心……そして温かく優しい初恋は先生に捧げられ、それら全ての愛は色とりどりに美しい宝石となった。

 

 結晶化すればそれの時は止まる、琥珀のように。分かるか分かるよな分かってくれたか友よ、だから降谷菩薩の心の時間は既に時を刻んでいないのだ。

 ――「同じ釜の飯を食った仲」というものは、それを経験したことのない人々が想像するより固い。大学で寮に入った際、同室者とは合わなくて絆など深まる余地はなかったが、二つ隣の部屋にいた同学年の子とは寮を出てからもずっと交流が続く親友になった。残念ながら趣味は合わないけれど、同じ目線で肩を組んで歩ける同志だ。あいにく私にはそんな相手はいないが「同じ病院で生まれ同じ幼稚園と小学校に通った隣家の幼馴染み」とほぼ同等といえる絆を結んでいるのではないだろうか。

 つまり馬の合った同じ寮の相手というものは兄弟姉妹であり、双子であるというわけだ。

 

 だから彼は、大切な人を失う度に、心が前に進むために必要な動力を宝石にしてしまって――きっとこれから大切な人を作らないのだろう。私はそう思っている。

 

 つまり私が何を言いたいかと言えばだ。降谷菩薩は尊い。言語化できないほど尊い……。

 

 そんな尊い存在が隣の部屋に住んでいるなどと誰が想像できるだろう。ただ似ているだけの他人と思うのが普通だ。似ているがゆえに憎く思えてしまうのは仕方のないことだ。

 

 ところでナザレのイエスの弟子ペトロは鶏が鳴くまでに三度「私はイエスなど知らない」と答えたが、初代ローマ教皇とされている。そして仏の顔も三度までなら有効だという。

 つまり私は大丈夫だ。確か二度しか罵っていないから。

 

 大丈夫だ、問題ない。……嘘です許してください何でもしますから!

 

「お湯張りが、完了しました」

「ど畜生ありがとよ!」

 

 顔を覆ってしゃがみこんだ。

 泣きたいつらい。

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