その壁は薄かった   作:充椎十四

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 今年二度目の八月一日は昨日の話。木曜日の勤務を終えた私に敵などいない。あとは明日だけ働けば素敵な土日が待っている。

 でも今月の十一日、山の日が土曜日ってどういうことなんですか!? 振替されるのは日曜日だけなんですよバンバン! だいたい「休日」が法律的には日曜日だけというのはふざけていると思う。日本人は働き過ぎなのだから週の休日は四日にして土曜と日曜は完全な休日とし前半後半の二チームに分かれ、水曜日を引き継ぎ日にしたら良いのではないか。それが嫌ならそういう勤務形態ではない職や会社を選べば良い。

 それか定時を十五時にしてそれ以降は残業代を出してくれ。

 

 生きるのが辛いのがいきつらなら、仕事するのが辛いのはしごつらだろうか?――死後もなお辛いの略にも聞こえるから止めよう。仕事したくない気持ちを込め、いつものように浴室で高らかに歌い上げる。

 

「はたらきたくないでござる」

 

 正直なことを言えば外にも出たくないでござる。風呂と布団を往復して布団の中でも浴槽の中でもアニメを見て合間にご飯を食べ、部屋を出ることがあればゲーセンとアニメ◯トとら◯あなゲー◯ーズまんだ◯けヨド◯シカメラを巡り帰宅すればあ◯あみとプレミアムバン◯イを検索し、コンビニのお弁当宅配にジャ◯プサン◯ーマガ◯ンも一緒に持ってきてもらえるようにお願いして引きこもりたい。

 それで給料がほしい。ボーナスもあると嬉しい。

 

「ま、無理ですよね! 知ってた!」

 

 欲望しかない乙女の祈りを投げ捨て、スラックス派なのに白くない脚を浴槽の縁に掛け湯の中に頭まで沈む。簡単他殺死体の出来上がりだ。

 耳の穴は空気の塊がお湯を防ぐが、鼻にはウォールマリアもファイヤーウォールもないのでまさに進撃のお湯。ボコボコと鼻から調査兵団もとい息を吐き出して息苦しくなったところで体を持ち上げた。

 

 先輩は好きだ。同期も好きだ。後輩は一部を除いて可愛いし、尊敬できる上司も一人二人いる。だからこれは子供じみた我が儘なのだ――辞めたいなど。

 自分で望んで今の職場に入った。まさか入れるとは思ってもいなかったから、なんてラッキーなんだろうと思ったとも。

 

 恵まれた身分だ。給料は良く、ボーナスもしっかり出る。安定した仕事だ。準公務員で、年に一度昇給する、良い職場なのだ。

 

 だがここは……顧客の自殺や、事故死の話が頻繁に聞こえてくる。「心を病んで辞めていったならまだマシ」などと思うようになってしまう仕事内容に、どんどん心が磨耗していく。

 

 ナントカさんが自殺したと聞く度に頭や肩が重くなり、埋葬料支払いの関係データと同じフォルダに「お悔やみの手紙」のテンプレートが保存されているのを見る度に心と体がぎゅうぎゅうと押し潰されていくような感覚が襲ってくる。事故死した、職務中に殺された、大怪我を負い仕事ができなくなった、心を壊して出勤できなくなった……そういう話を聞く度に頭がぐらぐら揺れ、椅子から立ち上がる気力すら失せる。

 私の心は低反発クッションだ。始めは時間経過で元の形に戻れたとしても、何度も繰り返すうちにへたってきて元の姿に戻れなくなる。

 

 ガムのように柔軟で強い心だったなら、こんなに疲れることもなかったろう。

 

「ほんと……まじで辞めたい」

 

 それか、他の部署に変えさせてほしい。宿泊関係とか。要望はあげているが、上司の表情を見るに来年の配置替えも期待薄だ。

 

「一秒目をつぶって空を見た」

 

 よっこらせっくす!

 地元に就職する友達が、就職前に行った最後のカラオケで歌ってくれた。私が歌うものじゃないのかと聞いたら――「この歌詞みたいな気持ちになれるほどあんたの心は強くないじゃん」と全くその通りなことを言われた。仰る通り元気になれてません。現在進行形で大丈夫じゃない。

 デンモクを差し出しながら「返事は?」と聞かれたから、泣きながら宇宙戦艦ヤ◯トを熱唱した。さらば地元よ愛する人よ。

 

 顔も知らない相手のことでいちいち凹んでたら疲れちゃうよ、と何度となく先輩に肩を叩かれてきた。分かっている、理解っているが辛いのだ。他人と自分の境界線が曖昧で、どこまで踏み込んで良いのか踏み込まずにいるべきなのか、さっぱり感覚が掴めない。

 感情移入し過ぎて訳が分からなくなることなどままある話。どうにか身につけた防衛方法は「誰かと親しくなろうとは考えない。相手に踏み込まない相手から踏み込ませない」。

 親しくなくともこんなに辛いのだ。もし親しい相手であったなら、恥も外聞もなく泣いてしまうに違いない。だから親しくならないように気を付けているのに……心は毎日重だるい。

 

「神様は忙しくて今手が離せない」

 

 歌の力で強くなれたら良いのに。

 頬にべったりと貼り付いた髪をぐしゃぐしゃに掻き回し、ため息を吐いた。

 

「犯人はあなたです!」

 

 殺人事件の犯人を追い詰める福井県の海岸のような音をたてて風呂を上がり、あまり暑いので下着のみの姿でドライヤーを掛けつつ風呂の残り湯を洗濯機に回す。水を吸い込む機械とドライヤーの音が騒がしい。

 

 ――数年前の今頃のことだった。まだ私が新人で、窓口対応も覚束ない頃の事だった。うちの支部で受け持つ人達の中で亡くなった人が出たと部署がざわついた……自殺だった。独身の四十代男性で、部下から慕われる真面目で正義感に溢れた人だったらしい。

 そんな話を聞くともう駄目で、少し涙ぐんでしまった私に、当時は同じ部署だった先輩はこう言った。

 

「泣くならね、生きてる人のために泣くの。死んだ人のために泣いたってもう本人には伝わらないのよ」

 

 言葉の重さよりも先輩の格好良さに感動して流れかけていた涙が引っ込んだ。先輩は苦笑を浮かべながら言葉を続ける。

 

「なーんて、これうちの祖母の受け売りなんだけどね!」

 

 ハハと短く笑って、「でも」と自分の言葉を否定する。

 

「これって親しい人との別れの時に言えることなんだよね。今回亡くなられた方なんてぶっちゃけ名前はもとより顔すら覚えてないような相手だし、こうして何年もこの仕事やってるとだんだんそういう感情が麻痺してきちゃって、『あ、またか』みたいに思うようになっちゃうのよね。だから、私はそうして泣ける鼎が凄いと思うし素敵だとも思うよ」

 

 先輩、今は別の部署で上司のパワハラで目が死んでいる先輩。先輩はそのうち慣れると言っていたけれど、いつまで経っても人の死に慣れてきた気がしません。先輩への上司からのパワハラみたいに毎度毎度ダメージを受けて心は瀕死、やる気を何度チャージしてもパンクしたタイヤは膨らみません。わーい仲間!

 

「あー、くそ」

 

 乾いた頭を振ってドライヤーと浴槽に突っ込んでいた吸水装置のスイッチを切り、洗剤と柔軟剤を目分量で入れて洗濯機のスイッチを押した。首回りがダルダルになったTシャツと膝上の短パンを穿いてのったりもったり洗面所を出る。

 

 窓から差し込む日光の死角にあり日焼けしない場所に安置した、ゲーセンで七千五百円かけてゲットしたポアロ安室さんフィギュア。その前に立ち、柏手。

 ただひっそりと手を合わせるだけでは仏様――死者になってしまうため祈り方は手を組むクリスチャン式か神道式でやっている。隣の家にご本尊が御住まいになられているとはいえ、本人に向かって柏手を打つのは憚られるし、本人と知らなかった間にかなり脳内で罵っている。しばらく顔を合わせるようなことは避けよう。

 

 ――そう思っていたのだが。

 

「アムサンドには……勝てなかったよ……」

 

 即墜ち2コマか。十回は断ったというのに「作りすぎてしまったので」と押し付けられるように渡されてしまったアムサンド。神の手によるアムサンドだぞ気楽にヒョイパク食べられるわけがあるか美味しい! 美味しい! 美味しくて涙が出ちゃうだって女の子だもん。

 

 ところで、アムサンドを貰う時に降谷菩薩から暖かく優しい目で見守られていた気がするのは何故だろう。全く解せぬ。

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