その壁は薄かった   作:充椎十四

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 壁越しの歌声を聞きながら思う。彼女の持ち歌はどうなっているのだろう、と。

 

『マジカルぬこレンレンっ!』

 

 五つの声音を使い分け、掛け合いすらも完璧にこなす彼女の無駄なスキルに顔を覆う。

 先日は危険な登り棒の歌を歌い、その前にはひたすらニャしか言わない息継ぎのない歌を息の続く限り歌っていた。だがニャニャニャニャ歌った後に何故Sexy, sexyを選ぶのか。当時のN◯Kは子供向けにしては対象年齢が高めのアニメを流していた記憶があるが、たとえ高学年だとしても、子供が口ずさむには問題がある歌を何故エンディングにしたのだろう。

 

『もすかーう』

 

 懐かしい。が、懐かしすぎる。いくつだお前は。

 

『オープンカーで海辺飛ばしたら』

 

 本当にお前はいくつだ。もしかして世代という概念がないのか? 一昨日の一曲はSi si cia◯なんていう世代以外にはマイナー極まりない歌だったし、緑の中を走り抜けていくのがポルシェではなく深紅な車という紅白版も先日聞いた。かと思えばラッキークッキー八代◯紀に鼻毛真拳の使い手、次代魔王の座を争う子供達とその相棒やらと八十年代後半から九十年代キッズなアニソンが続くなど、本当に訳が分からない。

 

『ふんぬらば!』

 

 勢いの良い水音と共にアメフトを思い出す掛け声があがり、吸水機とドライヤーの騒がしい音が響きだす。

 

 浴槽の排水口側にある小窓の外は真っ暗で、ガラス越しにひんやりとした気配が漂う。

 ――暦は十一月の後半。もうあと数日もすれば月を跨ごうとしていた。

 

※※※

 

 誠に不本意であるが、日本国内で今まで好き勝手してくれていたFBIと手を組むことになった。各国の首脳陣と顔の利く工藤夫妻……特に工藤優作氏に説得されたためであるが、これまでの数々行われてきた事前事後問わず申請のなかった違法行為に関してまで水に流したわけではない。後で正式に謝罪と賠償――色々と便宜を求めることは確定している。

 FBIの者達は「仲間になったらそれ以前の確執は無くなるもの」などとアメコミ的思考回路をしているかもしれないが、奴等のせいで被った日本の国家的損失は億でも足りない。仕出かしたばかりならまだ億で済んだろうに、こういうネガティブな影響というものはトイチで複利、雪だるま式に負債が膨らんでいくものだ。

 

 ――二十年のあいだ心に燃やし続けた復讐は、あと半年もすれば灰へと変わる。やっとだ。やっと終わらせることができる。

 恩師を友人を仲間を罪なき人々を無造作かつ一方的に搾取し浪費してきた組織を、叩き潰してやれる目算がようやっとついた。俺の心の中に今もなお存在する、幼い頃の俺が、俺を見上げて笑う。

 

『おせーぞ! でも、これで先生や明美を連れてったヤツラ、やっと懲らしめられるな』

 

 青臭く真剣な正義感を瞳に灯し続ける少年がいなければ、ここまでひたすらに走ることはなかったろう。ただ前だけ見て走ることはできなかっただろう。

 

 少年は時に俺を怒鳴りつけ、時に俺の背中を力強く押し、時に泣き喚いた。どうしてあいつらはのうのうと生きていて、先生は死んだんだ。どうしてあんなヤツラがいるんだ。どうしてこんなにも奪われていくんだ。どうして俺の大切なものをなにもかも奪っていくんだ。ふざけるな! 奪うな、俺から奪うな!

 嘆きはいつも彼の怒りの点火剤で、まろい頬を激情の涙に濡らしながら声を響かせる。

 ヤツラを許すな。ヤツラを生かしておくな。ヤツラを人骨で出来た玉座から引き摺り下ろし、全ての罪状を白日の下に晒せ。愛と思いやりに満ちた微笑みを穢し汚泥で塗り潰した人型の獣共に、平等の女神による正義の裁きを下せ。

 

 その声こそが薪であり、ごうごうと燃え盛る炎自身だ。止まりそうになる脚を動かし萎えそうになる心を奮い立たせる、俺が俺である原動力だ。

 電気を付けていない暗い室内で、ベッドに腰掛け部屋の隅――闇を見つめた。銀色の長髪が、金に波打つ髪が、その闇にちらついている。それに腕を伸ばし、握り潰す。

 

「そのためなら、なんだって出来るさ……!」

 

 憎しみを押し殺すことなら慣れている。足音と気配を雨に消し、白刃を奮う隙を待ち続ける辛抱強さはあるつもりだ。息を低め、身を屈めて目と耳に全神経を集中させ、命を賭け金に組織の壊滅を狙う。

 

 スマホが九時半を知らせる。スライドでアラームを止めて風呂場に視線をやる――今日はやめておこう。

 

 だが、やめておこうと考えていたのに微かに聴こえる歌声に釣られて浴室のドアに肩を寄せた。

 

『重い荷物を枕にしたら』

 

 公安として、復讐者として大量の重荷を背負っている自覚は確かにある。組織の紡ぐ悲しみの連鎖を終わらせようと望む俺への、彼女からの静かな応援歌だろうか?

 しかし初代平成ライダーとは、やはりまた懐かしい。 

 

『シャバドゥビダッチヘーンシーン!』

 

 待て、それは別のライダーだ。

 

 ドライヤーの音を聴きながら片手で顔を覆い、こらえきれず肩を揺らす。彼女はいつも、どんな時も俺に元気をくれる。組織に立ち向かう原動力は悔し涙だけではないのだと、人の笑顔を幸福を守りたいと願う愛情もなのだと教えてくれる。

 

 守りたい。守ってみせる。だから――このセーフハウスから引き上げる。

 俺がこのセーフハウスを頻繁に使っていたことなど、組織には既にバレている。ほぼ毎日帰っていたのだから当然だ、馬鹿か俺は。

 彼女や他の住人に迷惑を掛けてしまう前に離れるべきだ。……なに、たった数ヵ月別れが早まるだけさ。何度も何度も背中を押してもらっておいて、最後まで背中を押していてほしいと望むなどみっともない。恥ずかしいじゃないか。

 

 年末を前にさよならをしよう。

 クリスマスパーティーなんてしたら……彼女は来てくれるだろうか? 最後の我が儘だ、叶えてくれるかもしれない。

 

 ラインでクリスマスの予定を聞けば確実に夜遅くまで仕事だといい、イブはと聞けば昼から女友達とデートだという。けんもほろろで泣けてくる。世間一般の女性なら友達より俺との予定を優先するだろうに、よりにもよって「デート」などと言うのだから、いっそ清々しいほどに俺へ興味がないことが窺える。

 

「冷たすぎないか……」

 

 そう溢した直後、届いたメッセージは『23日なら空いてます』。

 十二月二十三日、少し早いクリスマスパーティーが決まった。

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