その壁は薄かった   作:充椎十四

21 / 27
20/23

 一階のポスト前で待ち合わせてアパートを出て、マツダのRX-7たんで向かったのはさっぱり見覚えのない名前のカラオケ屋――品の良い店のロゴマークからして、安さとある程度のサービスを提供するチェーンとは一線を画していることが分かる。

 まだ築五年内だろう新しいビルの五階から七階が店舗ということでエレベーターに乗り、着いた受付では「予約の本郷です」で直ぐに部屋に案内される。

 

「し、シアタールーム……!」

「こちらのタブレットからお好きな映画や番組をお選びになりますと、正面のスクリーンでご視聴頂けます」

「ひょえー」

 

 もちろんカラオケもお楽しみいただけます、などなどと説明を終えてドアが閉められる。

 予定を組む際、何故かカラオケに行きたがる降谷さんを説得しきれず、歌うのは三時間までと話をつけた。こんな部屋を予約するとはじめから知っていれば六時間でも七時間でも良かったかもしれない――アメコミ映画ならリア充も見るだろうし。運悪く映画館で見るのを忘れた奇妙なドクターやアメージングな蜘蛛男など、一緒に見て楽しめるだろう映画がいくつか思い浮かんだ。勿体ないことをしたぜ。

 

 このスクリーンが何インチなのかは分からないが、底辺は二メートルほどありそうだ。スクリーンのある正面の壁がだいたい四メートル、ドアからスクリーンまで……奥行きは五メートルほどあるから部屋の広さは二十平米前後だろう。二人だけで使うような部屋じゃないと思うが、置かれている椅子――皮張りの一人掛けソファーは二脚しかない。テーブルもソファーに腰かけた時にちょうど良いあたりの高さ、そこにフードメニューが置かれている。

 

「何か注文しましょうか――フライドポテトのディップはケチャップ、バジルマヨネーズ、明太子マヨネーズ、チーズソースの四種類から二つ選べるようですよ」

 

 降谷さんは自分の上着や鞄のみならず私のコートなどもサクサク壁のフックにかけてしまい、私は気付いたらソファーにはまりこんでいた。エスコートスキルがカンストしておられる……ハニトラで身につけたのだろうか? 流石です!

 ケチャップとバジルマヨに決めタブレットで注文、ドリンクは私がカルピスで降谷さんがエスプレッソだ。

 

「先にどうぞ」

「あー……では有り難く」

 

 デンモクを渡され頭を下げる。降谷零はリア充……リア充にはアニソンらしい曲は明らかに悪手、後◯園ゆうえんちでは僕と握手。この今日を迎えるために考えてきた曲は、そう――!

 

「走り疲れて倒れたまま」

 

 いかにも「格好良さで選びました」的な雰囲気を醸し出す傷だらけのツバサだ!

 初めて好きになった声優はうえだ◯うじ、ハーメルでタケシだ! ちなみにフルートはカスミ、よってハーメルンのバイオ◯ン弾きを見れば自動的にタケシとカスミのカップルリングが楽しめるのだ! でもAmaz◯n prime videoでは検索しても入ってなかった! 何故だ! 坊やじゃないんだぞ!

 

 気持ち良く歌いきり降谷さんを振り返れば、何故か涙ぐんでいる彼の姿があった。どうした何があった、その涙の理由を私に教えてほしいこの世の醜さに絶望したならば美しい物だけを貴方に伝えたい。

 

 ――例えば、地平線に沈んだ夕陽を受けて橙に輝く厚い雲と濃紺の空のグラデーション。まるで本人の姿は影に隠れようともその輝きと美しさは闇を照らすことを表しているようで、降谷菩薩の存在そのものだ。美しくて涙が出る。

 例えば、四季折々に表情を変える街路樹。若葉が芽吹き華やぎ、黄緑に近かった葉は成長と共に深みを増していく。夏が過ぎ秋が終わる頃には紅葉した落ち葉が歩道を縁取り、子供らの宝物になる。幼い少年が淡い初恋と別れを経て成熟し、その成果が子供らの笑顔を守っている降谷菩薩の人生そのものだ。その考えに至ってからは街路樹を見るだけで感動するようになった。樹というものは降谷菩薩という存在はなんと尊くて素晴らしいのか。

 例えば、しとしとと雨の降る七月。雲間から差す光の筋や水玉を体中に散らした紫陽花、湿った土の匂いがするアパートの植え込み。薄ぼんやりと暗い世界に突然現れるそういった発見は、良く知っているもののはずなのに何故か目新しい。同様に、何度も漫画を読み返してアニメも映画も繰り返し見ているのに、立ち上がる気力すら失せてしまった時に聞こえてくる降谷菩薩の声は宵闇の光だ。渇れた唇に水を浸してくれる。お陰で憂鬱だった梅雨が好きになった。

 例えば、朝食のために切ったグレープフルーツ。包丁を入れた瞬間に部屋を満たす爽やかな香り、皮を剥けば弾ける瑞々しさ。酸っぱさの中に感じる甘さは癖があるがハマる。私はこのように毎日新鮮な気持ちで降谷菩薩への信仰と親愛を深めている。そして全ての食材には感謝を。

 

 世界は美しい。その全てに降谷菩薩の姿を垣間見ることができるからだ

 

「どうしたんですか、ふぉん郷さん」

 

 やばい降谷さんって呼びそうになった。

 

「いえ、なんでもありません」

「何でもないわけがないでしょう。泣くようなことがあったんですか?」

 

 絨毯の床に膝を突いて見上げれば、潤んだ淡い青空から雫が小麦色の畑を滑り落ちていった。

 

「恥ずかしながら、感動しただけなんです。素晴らしい歌声と歌詞に」

 

 歌ってください、と頼まれて歌わない私ではない。その期待に応えねばなるまい。

 

「特に何も望むことなんてない」

 

 アニソンっぽくないアニソンその2。最近の日本のミュージックシーンでは少なくなった歌詞が深い歌だ。かつてはモ◯娘。に憧れブロマイドを集め、友達と「だーぶるゆーでーす」を真似したものだ。あの頃は歌詞に意味がある時代だったと思う。最近そういった曲が少ないように思うのは気のせいではないはずだ。

 

 降谷さんを見たら声も出さずボロボロ泣いていた。大丈夫なのかこれは。もしかして私が泣かせたのか? すずには上手いと言われているが、「音痴すぎて泣けた」とかそういうことだろうか。まさかそんなバナナ。降谷菩薩はそんな失礼な方ではない。たとえ酷い音痴が相手でも拍手してくださるのが降谷菩薩だ、解釈違いは自分の沼に帰ってください。

 

 どう声を掛けたものかと手をうろつかせたところで届いたポテトとドリンク。ドアを開けて店員さんが現れたと思えば降谷さんの顔に涙はなかった。

 あ……ありのまま、今起こったことを話すぜ! 俺は降谷さんが泣いている姿を見ていると思ったらいつの間にか普段の降谷さんだった。幻覚だろうか? 今キメてるドラッグは降谷零という名前の視覚聴覚に影響するドラッグだが、幻覚は見ないはずだ。何が起きた。

 

 店員さんが去ったと思えばまた潤みだした瞳で見つめられ、こう乞われた。

 

「歌ってもらえませんか……貴方の歌をもっと聞いていたい」

 

 そんなことを言われたらもう歌わないわけにはいかない。降谷菩薩がお望みであれば叶えるのが筋というものだ。

 

「いつもそばにいる人の」

 

 ターちゃん、なんで声優をあれにしたんだ。

 

「世界中の大好きを集めても」

 

 子供の頃、気張るときはギップルの真似をしていた。今でも時々うっかり口から出る。

 

「愛に気づいてください」

 

 これのせいで友達にゲロシャブというあだ名を付けたくて堪らなかった。

 

「キミは何を望むの?」

 

 どんな格好良い能力よりも何よりも、相手をメガネ好きに変える能力が一番好きだった。

 

 だが、何故かはさっぱり理由が分からないが、降谷さんが泣いている。号泣している。ここは笑わせて差し上げなければ……ならばこれだ。

 

「エブリバディイート牛丼!」

 

 ドイツの科学力が世界一ならば日本の米は世界一ィ! 食らえ紫外線お前もおしまい。

 

「ふっ、ははっ……なんて曲だ……!」

 

 目元を腫らしても美しさに陰りのない降谷さんが吹き出した。

 

 私はずっと歌い続けていたし、降谷さんは泣いていた。揚げたてだったポテトは冷めカルピスはとっくに胃に消えた。端から見て変な状況だろう。

 ――泣くとストレスが解消すると言う。降谷さんは泣いてすっきりできた。ポテトは残念だがきっとこれで良かったのだ。ポテトは残念だが。

 

「ちょっとトイレ行ってきます」

 

 受付で冷たい濡れタオルを頼み、トイレに行って戻れば保冷剤を包んだフェイスタオルを渡された。部屋に戻ればぼんやりとした表情の降谷さんがいる。

 ドアの前でその儚い姿を目に焼き付ける。降谷さんはどんな様子でも美しく尊い。まるで嵐を待つ彼岸花のようだ。

 

「どうしました?」

「――いえ、何も。受付で濡れタオルを貰ってきましたよ」

 

 目元を冷やす降谷さんはいつになく無防備に見えたが……きっと目元が隠れていたための勘違いだろう。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。