目の腫れが引いた降谷さんとぶらぶらデパートの中を歩く。化粧品はまあまあ安くて私の肌に合っているものを買っているし、ネックレスなどの装飾品は着けていると違和感しかないのでさして興味がなく、シンプルなイヤーカフや髪留め程度。正直なことを言えばデパートで買いたいものは全くない。
降谷さんも私がファッション等のブランド区画に興味がないことはすぐに分かったのだろう。ブランド区画をスルーして向かったのは地下の食料品売り場。各ブースがクリスマス限定商品に彩られ、お土産物だろう海苔巻きナッツすらクリスマスカラーの箱に入れられている。
「主菜はもう下拵えしてあるんです。おかずを買って帰りましょう」
「了解しました」
クリスマスだから主菜は鶏肉だろう。ローストチキンとか鶏のピラフ詰めとかそういったのがメインだとすればおかずに鶏肉は止めた方が良さそう……というわけで買ったのはサーモンと玉ねぎのマリネ。
「何か買うためにとりあえず買いました」と言わんばかりな買い物だ。降谷さんは私の買い物に付き合うつもりだったのだろうが、残念ながら私の物欲は薄い。それを瞬時に見てとった降谷さんが万能過ぎて震える。
ショッピングにかかったのは移動時間を含め一時間。デパートの滞在時間は二十分弱。予定ではショッピングに三時間を振り分けていた――計画を立ててくれた降谷さんにはとても申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
――だが本当に、何も買いたいと思うものがない。
良く考えてみてくれ。降谷菩薩にしてフルヤ=キリストたる降谷零(隣人ではない方)以外に金を使う必要性があるのかどうか。
信者としてみっともない格好はできないから、身だしなみと清潔感は大切だろう。それらを満たすためにかかるお金は必要な出費だ。
だが、イン◯タ映えが主目的なカフェ巡りやホテルの宿泊は、フルヤ=キリストへの奉納にならない。つまり必要経費ではない――もし誰かがポアロ安室さんフィギュアを持ってナイトプールに行き、上手い具合に写真を撮り「ナイトプールにポアロが出張したようです♡」などとコメントを付けて投稿したならば、私は今すぐイ◯スタをインストールしてハートを押しまくるから誰かやってほしい。
もちろん、これならば必要経費となる。
だが悲しいことに私にはカメラスキルもセンスもない。イ◯スタに神を降臨させられない。よってそれらのオシャンティーで女子パワー溢れる行為は私の出費対象外となる。
食費も大事だ。健全な精神は健全な肉体に宿るもの。フルヤ=キリストを健全な精神で崇め続けるためには良く食べ良く働いて良く寝る! 胃が弱いため胃薬が常備薬だが、なかなか健康的に信者生活を送れているのではないかと思う。
ちなみに嗜好品はどうなのかといえば、頭痛がするためタバコは吸わず、チューハイ一缶でハッピーになれるだけの(消化)能力の持ち主のため酒代はさほど掛からない。飲み会の割り勘はいつも損した気持ちになる。この世はワクに優しくできている……。
ネサフと漫画とアニメ以外に趣味はないし、月に一度一人カラオケをする以外の遊興費は公式グッズと同人誌、すずとのデート代。
はっきり言おう。コナン以下漫画やアニメと関係ない物にさっぱり興味が湧かない。だから買わないし、買う気すら起きない。物欲がないのではなく一極集中型なだけなのだ。
ただ、何かを買いたくとも買えない状態であることは否定しない。今月の私は金に餓えている。
先ずはすずとのデート代に一万五千円は確保。そして今日の予算に一万円の支出を考えていたが三千円くらいしか減っていない。――とりあえずこれで二万五千円。そして毎月のフルヤ=キリスト貯金に五万、自動積立定期に毎月一万円。この時点でもう八万五千円。そして食費水光熱費アパート代その他……今月の給料は数百円しか残らないだろう。自転車操業ながらギリギリ生きていける、そんな状態だ。
だが、生きていけるにも関わらず、私はフルヤ=キリスト貯金から高額出金した。
出金の理由は一つ。今月、かなり高額な買い物をしてしまったからだ。――いま私の横でRX-7たんのハンドルを握っている日本の至宝へのクリスマスプレゼントを買ったからだ。
プレゼントが何かと言えばキャタ◯ラー社の超頑丈SIMフリースマホである。なんと降谷菩薩の身長の高さから落としても割れないタフさを誇るナイスガイで、カメラにサーモグラフィーの機能までついている。まさに降谷さん向けなスマホだ……素晴らしい。
考えてみろ、サーモグラフィーなんだぞサーモグラフィー! 浪漫だろう燃えるだろう!! まじでサーモグラフィー! サーモはサーモでもブレ◯サーモではなくサーモグラフィー機能付き! これはやばい!
このスマホを知ったとき、毎月おばちゃんが届けてくれたチャ◯ンジの付属――金属に先端を触れさせたら音がなるオモチャや、鏡の屈折を利用した曲がり角の向こうを覗ける筒のオモチャを思い出した。チャレ◯ジの封を開くときのワクワク感が再来し、気付けば歓声をあげていたほどだ。
サーモグラフィーが必要か、いつその機能を使うのかなどどうでも良いし、そんな無粋な質問をするのは止してほしい。それが心を熱くするから、買う。それだけのことなのだ。
ときめきはいつもプライスレス。
アパートに帰り、キャタピ◯ースマホことキャタピーたんを入れた紙袋だけ取りに部屋に戻った。天井近くの掛け時計は短針がまだ3と4の間を指していて、どう考えても夕飯には早すぎる。
映画でも見れば二時間は時間を潰せるよな……そう考えたのは私だけではなかった。
「まだ夕食には早いですし、映画でも見ましょうか」
準備の良い降谷さんの手にはレンタルDVD、そのタイトルはヘアスプレー。クリスマスらしいアメリカンな家族映画や恋愛映画ではなく、トラボルタの肉襦袢踊るヘアスプレー。私は万歳をもってそのチョイスを歓迎した。
警察学校では同期から「K(声が良い)5」と呼ばれていた。花男かよと笑ったのは萩原で「顔が良いのKじゃないのは俺がいるからか?」と少し傷ついた顔をしたのは伊達、松田は「俺に耳元で囁かれたいやつは一回一箱で受け付けるぜ」とタバコの箱を振り、あいつはどうでも良さげに肩をすくめた。
周囲からそうひとまとめにされてあだ名をつけられるくらい、俺達は親しくつるんでいた。
ところで、警察学校の学生にとって一番重要なプリントは何かと言えば外出申請書、これに限る。パチンコ、食い道楽、買い物やデート――外出の目的はそれぞれ様々だが、俺達K(顔も良い)5は月に一、二度カラオケに行っていた。
なにせこのK(格好つけ)5は全員が天まで届くプライドの持ち主、いつか出来るであろう彼女とのデートや部署の二次会三次会で「声は良いのに音痴で残念」などと言われるのは許せなかったのだ。
よってカラオケの室内は罵声で溢れた。
「耳が腐るやばい耳が腐る」
「音程が外れすぎて逆にすごいわ」
「この美声を前にひでぇ言い様だな!?」
「誇れるのは声質だけ、はっきりわかんだね」
「あーん耳が死んだ! この人でなし!」
「疲れたから帰って良いか?」
「降谷ァお前も歌うんだよォ!」
スパルタ式罵声訓練はなかなかの成果を生んだ。聞くに耐えないジャイアンはそこらの音痴に、微妙な音痴はまあまあ上手い程度に、普通は上手に進化した。
だがそこで止めておけば良いものを、K(考えなし)5の一人が「新人の間は所詮脇役だろ。上司の歌声を盛り上げるためのスキルも必要じゃないか?」などと言い出したことで流れが変わる。公平なじゃんけんにより伊達と萩原がマラカス、残りは全員タンバリンとなった。この時点で既に五人の脳みそは沸騰していたようだ。
――そして、K(こだわりが強い)5各人は不断の努力により無駄に無駄なほど高度な盛り上げスキルを身につけた。これこそ若さゆえの過ちというものなのだろう。
「せっかく皆で練習したのにな、機会を逃したよ」
鞄に突っ込んでいたタンバリン。思ったより安かったからと雑に扱い、地面に投げたり机を叩いたり伊達や松田を殴ったりしたせいで表面は傷だらけだ。ところどころ欠けたりもしている。
俺のタンバリンはK5にしか披露できていない。今では誰一人として俺がタンバリンを叩くことを知らない――K5は一人を残して全員死んだ。
K5なんてあだ名がつくくらい俺達は親しくつるみ、仲が良かった。一人は幼馴染みの腐れ縁だが、他の三人とも生涯の友になるのだろうと漫然と思っていた。たとえ十年会えなくとも十五年会えなくとも、再会すれば肩を組んで酒を呑みに行ける友であるのだろうと理由もなしに信じ込んでいた。
だが、もう、誰とも再会できない。四人の顔も声も思い出も記憶の海に沈んでいくばかりだ。
「お邪魔しまーす」
荷物を置いてくると言ってつい五分前に別れた鼎さんが、のほほんとした声と共にうちのドアを開けた。
手にはさっきまではなかった紙袋がある。訪問の手土産だろうか? そんなものなくとも良いのに……むしろこちらが何か奉納するべきだと言うのに。
強い、立派だ、頭一つ二つ抜きん出ている、そう評価されてきたし、そう評価されるよう心がけてきた。だが今日、彼女に「翼が傷だらけだ」と指摘されて、肩の強張りが緩んだ。
見えない振りをしていたが、顔とボディーを庇っている両腕はボロボロだった。整備の行き届いた広い路だと思い込もうとしていたが足元は舗装されていない穴だらけの隘路で、脛は砂埃にまみれていた。
それをみっともないと言うわけでも可哀想だと言うわけでもなく、ただ「傷だらけになっても掴みたいものがあるんだね」と俺の歩き方に頷いただけの行為がどれだけ嬉しかったか、きっと彼女は知らないだろう。
静かな肯定がどれだけ救いになったか、きっと彼女は知らないだろう。
「まだ夕食には早いですし、映画でも見ましょうか」
何かあったときにと用意していたレンタルDVDを見せれば、彼女の表情はぱっと輝き満面の笑みが浮かぶ。タイトルを知っていたのか一度見たことがあるのだろう。無事お気に召したようだ。
コーラを用意してソファーに並んで座り、リモコンを操作する。
警察学校生時代、寮の娯楽室で借りてきたDVDを五人で見た。今はワンルームのセーフハウスで、借りてきたDVDを二人で見る。
全てを終えたら、気の置けない仲になりたい。十年や二十年会わないままでいても「俺達は友人だ」と胸を張って言える仲になりたい。
ああ……今日が終わらなければ良いのに。