その壁は薄かった   作:充椎十四

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 焼きたてのローストチキンピラフ詰めをテーブルの真ん中に置きアルコール度数の低いシャンパンで乾杯してプレゼントも交換し――何故か降谷さんからのプレゼントは最新式のル◯バだった――そして、彼が引っ越すことを知った。

 

「年が明けてすぐ、ですか」

「はい。突然ですが……仕事の都合でして」

 

 三が日が明ければ引っ越すという。私は六日まで年末年始休暇を貰っていて実家に五日まで滞在する予定だから、休暇前に挨拶すればそれがさよならになる。

 

 会えるとすれば二十八日の晩か二十九日の朝が最後。

 

「寂しくなりますね」

 

 きっともう、会えないだろう。二次元の存在と交流できるなど普通ではない。ファンタジーやメルヘンじゃないんですから。

 

「しばらく身の回りがゴタゴタするので連絡ができないと思いますが、落ち着いたらこちらからメッセージ送らせてもらいますね」

 

 微笑みながらそう言う降谷さんに「連絡待ってますね」と答えた声は震えてなかっただろうか?

 

 喫茶店のソファー席で、苦しげにすずが言葉を吐き出す。

 

「だから、数年は会えないの」

「そっ……か……」

 

 すずの見合い結婚が決まった。相手はオタ活が嫌いな人で、取引先の幹部だという。その彼にデータ上の同人誌は構わないがグッズは止めてくれと言われたそうだ。

 彼はこの三月末からドイツの支社で数年勤めたあと帰国し支社長になる予定で、先に籍だけ入れてしまい結婚式は向こうで上げるらしい。

 

 情熱を傾けたグッズだから、かなちゃんに貰ってほしい。そう言われれば受け取らないはずがない。段ボールで郵送されてくると聞いて少し腰が引けたけれど、考えてみれば私の持つグッズも段ボールで三箱はある。実家に帰れば倍の数はある。おかしいところは一つもなかった。

 

 寂しいが重なって、苦しい。

 

 年末年始の実家生活を終えアパートに戻れば301号室に名札はなく、電気がつくこともなく、しんとしていた。線香がいつの間にか燃え尽きるように、降谷さんはひっそりと消えた。

 彼との唯一の接点だったアパートから私自身も三月の始めに引き払い、今より少し駅から離れる単身者用アパートに引っ越した。駅から離れたお陰でアパート代は据え置きながら二平米広くなった新居は、引っ越しからまだ二週間も経っていないが、もう既に私の城らしくなっている。

 

 会えなくても生きていることを知っている。すずとも連絡が取れている。だから平気だ。――寂しいけれど。

 すずも降谷さんも生きている。だから問題などない。寂しいだけで。

 

 次の入居者などいないから、と貰ったあのアパートの鍵は、まだ私のキーケースに入ったままだ。

 

 ――だが、あのアパートへの新入居者はいないが、うちの支部にはそろそろ新入職員が増える。ということで年度末の書類だけでなく退職者のあれこれとか机の片付けとかにも終われていた三月下旬、桜がつぼみを膨らませる二十二日の金曜日のことだ。

 

「ふぁっつ?」

 

 休日出勤で祝日などなかった我々職員が重い足を引きずりながら出社した、その目の前で。事務所の入るビルが消防車に囲まれ、勢い良く放水を受けていた。支部長が次々に出社する私達職員に「事務所で火事が起きた」と説明する横で主任が無表情でスマホを操作し、職員グループラインに投稿される写真とコメント。

 

『バーガーキ◯グも驚きの直火焼き。本日わが支部はお休みです帰れ』

 

 職場のオタ友……といえるほど親しくはないが、ボカロオタクな先輩の一人が「バーニンバーニンッバーニンバーニイェエ」とリリリリバーニング◯イトを歌い出したのに合わせて私も口を開く。まさかの火事によりこの場のほとんどの人間の思考回路がおかしくなっていて、それは私も例外ではなかったのだ。

 歌いきれば上がる拍手と歓声。

 

「ブラボー!」

「アンコール!」

「アンコールッ!」

「はーい職員さん達頭おかしくなってるのは分かるからおうちに帰りましょうねー既にネットでニュースになってるからねー」

「火事よ、火事よ、火事なのよー♪」

「うるせーそんな細かいこと言ってたらてめーの尻穴に麦藁突っ込んでふーふー膨らませるぞ!」

「そうだそうだ、蛙みたいに破裂させてやろうか! それかお前の保険控除額を倍にしてやろうか!? ええ?」

「この火事を味わわせろ! テイスティングしなくちゃ離せやめろ私はあの火を味わうんだ」

 

 全員まとめて警察署に保護されて説教を受けた。パソコンで警官に見せて貰ったついったとネットニュースサイトのトップ記事が「共済職員ら火事で頭が沸騰」とか「バーニングナイトは半日後にお宅でどうぞ」とか「理性も共に炎に消ゆ」書かれていて私達の顔が写った現場写真まで載っていた。

 騒ぎの中心にいた私はその場で支部長から半月の謹慎もとい休養を言い渡され、同僚のボカロオタと麦藁ふーふー窓際係長とテイスティング同期も同じだけの休養を命じられていた。ほとぼりが冷めるまで引っ込んでろということらしい。

 

 次の日警察の調べで分かったことには、火事の原因はネズミによるガス漏れ。毎朝七時に設定してあった空調によりガス爆発が起きたそうだ。

 

「マジかゼロシコ見直そ」

 

 ガス爆発と言ったらゼロシコだろJK、そろそろ次の映画が来るし予習は大事。万歳三唱して引きこもり生活を開始した……のは良いが、同時平行で片付けのため開いたグッズ段ボールをひっくり返しても見つからないものがあった。

 純黒のセブ◯限定初回限定盤缶バッジ、あれが見つからない。アイェェェェ見つからないナンデ!? 缶バッジ見つからないのナンデ!? 缶バッジ見つからないショックで泡吹いて倒れそう!

 

「えー、あっちにあるのかな……」

 

 ほんの三週間近く前まで住んでいたアパート、あの部屋のどこかに隠れているかもしれない。これだけ探しても見つからないと言うことはあっちにあるに違いない。面倒だが探しに行かねば。

 

 既に夕方だったため、次の朝に前のアパートへ向かった。駐輪場にはバイクも自転車もなくがらんとして、まだ引っ越しから一月もしていないのに寂れた古い空気が漂っている。

 一歩アパートに踏み入れた瞬間、手の中のスマホが震えた。本郷さんからのライン通知――トークを開けば未読コメントが二十通近くあり、一番古いものが二週間前。

 

「お久しぶりです。やっと身辺がどうにかなりまして、連絡できるようになりました^^また会えませんか……ね」

 

 組織を壊滅させて、後処理も終えたのかもしれない。長年心に秘めてきた復讐を果たせたのだろう。だけどそれを喜ぶより先に、別のことに納得した。

 

「やっぱり、この扉がクローゼットだったのか」

 

 ナルニアへ訪れるための扉はクローゼットで、コナンの世界と繋がる扉はこの扉だった。

 私に不思議な力などなくて、不思議な力を持っていたのはこのアパートの、この扉だったのだ。

 

 スマホを見下ろしトークをスクロールさせれば、嘆願のようなコメントが何通も続いている。トークを見てくれ、君はどこに消えてしまったんだ、会いたい、どうして既読がつかない。

 それらを無視してコメントを入力する。

 

おはようございます。

大変なお仕事を終えられたようですね、お疲れ様です! 本郷さんは元気にしておられますか? 私は元気です^^

どうぞお体を大事になさってくださいね!

 

 会えるとか会えないとか、そういうことは一言も書かずにメッセージを送信する。そしてラインを閉じて階段を登り、もう懐かしさすら感じる302号室の鍵を開けてがらんどうの室内を探索する。

 

 どうせ時間はたっぷりある。見つからなければ見つからなかったでまた段ボールを一から探せば良いだけだし、気楽に大声で歌いながら先ずは窓を開ける。

 

「れりごーれりごー」

 

 隠した記憶も既に朧気なへそくりを見つけたくらいで、バッジは全く見つからない。やはり新居で行方知れずになったのだろうか?

 

「抜け出してって抜け出してって」

 

 猟奇的な描写が少しキツかったアニメの歌を歌っていた、その時だ。

 

 パニック映画のようにドアが外へ弾けとんでいった――いや、外から勢い良く引かれて外れたのだろう。どんな怪力だ。

 

「奈落を抜け出した先に……もうあいつらはいないのに。君は、それを歌うのか」

 

 肩で息をする降谷さんが、ドアの向こうに立っていた。もう見ることもないと思っていた相手に飾らない疑問が口をついてでた。

 

「なんでいるんですか」

「ラインを送ってきたでしょう」

「送ってからまだ三十分くらいじゃないですか」

「あなたが大好きなRX-7を飛ばしてきましたからね」

 

 そうじゃない。

 

「なんでいるんですか」

「会いたいと思うのに理由が必要ですか」

「ただの隣人でしょう」

「そうでないことをあなた自身が一番ご存じのはずだ」

 

 靴のままずかずかと部屋に上がり、腕を引いて立たせられた。それでもそびえる身長差に見下ろされる。

 

「俺が大切に思っていた人はみんな奪われていって……もうこの世に一人もいない」

 

 腕を掴む手にぎゅっと力が込められる。

 

「……本郷さんがその人達を忘れない限り、思い出だけは誰にも奪われないと思います」

「は、綺麗事ですね。その思い出の一人になろうとしておいてよく言えたものだ」

 

 私の言葉を嘲笑うように吐き捨てられた台詞に頭が沸騰した。

 

「そうだよ綺麗事だよ、それの何が悪いの? 私は異邦人なんだよ! 元々出会うはずがなかった、出会ってしまっても思い出にならないといけない存在! だからさ!」

「ハァ!? 君が異邦人だなどと誰が決めた!! 君が天女なら羽衣を燃やすし天使なら翼を捥いでやる。穢れが必要ならこの場で犯す! 俺は手放したくないんだ、もう!」

「はぁ!? 犯すぅ!? 梓さんと乳繰りあってれば良いじゃないですか公式! あむあずなら許容範囲内だから彼女とやってろ!」

「なぜここで彼女が出る!? 公式!? 彼女は妹みたいな存在であって、俺が失いたくないのは、大切なのは、誰よりも君なんだ!……どうして通じない」

 

 怒鳴りあって、降谷さんが頭を抱えた。

 

「私も本郷さんが大切だよ。でも離れる。二度と会えなくても幸せを祈り続けるよ」

「大切だから側にいてほしい。二度と会えないなんて死別とどう違うんだ」

 

 悲痛な表情の彼に、真剣に答える。

 

「希望がある」

「心配しかない」

「未来もある」

「知らない間に死ぬかもしれない」

「想いがある」

「伝わらなければ意味がない」

「……リアリストだね、本郷さん」

「ああ。そして君はロマンチストだ」

 

 悲しそうで苦しそうな表情が可哀想で切なくて、腕をあげ胼胝の出来た手を取った。

 

「……それじゃあ、少しだけ、貴方に大切な人が出来るまで付き合うよ」

 

 何故か、元の世界に帰れるという自信がある。私の言葉に降谷さんの表情がみるみる明るく輝きだす。

 

「とりあえず半月くらい」

「短い。もう一声」

「じゃあ一月でどう」

「一年だ」

「育児休業かそれは」

 

 どうにか交渉して二月に収めたが、満面の笑みの降谷さんを見ていると「最初からそのつもりだったのでは」と疑いが頭をもたげる。

 五月になりアパートの取り壊しが始まり慌てた私に対し、降谷さんはくすみ一つない輝く笑顔でこう宣った。

 

「これで天界へは帰れませんね!」

 

 ――待て、天界とはなんぞや?

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