その壁は薄かった   作:充椎十四

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 婚活案内事件から本郷さんと顔を会わせることはなく、気付けば一月半が過ぎていた。コナンのジャンルも映画による盛り上がりがだんだん落ち着きを見せ始めている。

 

 特に盛り上がったのは夢界隈だろう、今回の映画では安室の女が大量生産されたから。でも腐だってもちろん負けず劣らずで、多くの作者方が雄み溢れる安室を右にしたり左にしたりしていたようだ。――でもフルヤ=キリスト信者な私には安赤だろうが赤安だろうが降新だろうが安コだろうが縁がなかったし、もちろん夢小説ともなかった。

 

 何故ならばフルヤ=キリストこそ神の子。恋なんて俗っぽい想いを抱くことが出来るわけもない、いと貴き存在。だからフルヤ=キリストが舐めるべきは怪我で血が伝う自分の腕であって野郎の一物などではない。そんな展開はお呼びではないのだ。去れ悪魔! 私はパンだけ食べて生きていくから問題ないんだ!

 例えばだけれど、想像してみてほしい。口の端に血の跡を付けたフルヤ=キリストを。色気が大爆発やばい神すごいやばい涙が溢れて止まらないレベルもはや怖い。語彙力に足が生えて逃げた。

 素晴らしい音楽や美術で泣いてしまう人がいるように、私はフルヤ=キリストが動いて喋るだけで泣ける。存在自体がもう神々しくて平伏したくなる。スクリーンに映るビーストモードはもうそのまま初号機に乗って新世界のアダムになれる間違いない文法も逃げた。にほんごわからない。

 

 まあ、つまりだ。敬虔な信者たる私がすべきなのはフルヤ=キリストを崇め奉り賽銭を投げて逃げることなんだと思う。彼に毎朝起こされたくて寿司ざんまいしたら肌が荒れた。原因は野菜不足。

 

「まろやか野菜ジュース」

 

 風呂場にトマトジュースを持ち込み飲みながら、「ぽぴー!」と野菜ジュース洗脳ソングを歌う。ここ二週間ほど、ク◯白ぶどうを泣く泣く止めて野菜ジュースを飲んでいるけれど、肌の調子はまだ戻らない。

 

「野菜ジュースだけじゃなくてDHAの野菜酵素とかも飲んだ方が良いのかな?」

 

 荒れた頬を揉みながらそう呟いて、はっと気付いた。

 

「DHAじゃなくてD◯C……」

 

 似ているから仕方ない。仕方ないったら仕方ない。

 

「ラヴィ!」

 

 面倒が起きた時はラブ◯ヴィッツかはっ◯隊に頼ることにしている。今回はラブラ◯ィッツ。言い間違いなんて無かった。無かったのだ。

 きみ死ねはゲームとしては面白かったけど、実際に男が「君に振り向いてほしいから金魚のんだり吐いたりします!」なんて言い出したら迷わず縁を切る。たとえ少し気になる相手だったとしても即切る。金魚を取り出した瞬間にほのかに暖かな愛は失せる。

 

 最後に懐かしいゲームの歌繋がりでピク◯ンを静かに歌い、また明日の仕事と戦う気合いを込める。

 

「ガンダ◯、いきまーす!」

 

 嵐の日の波打ち際を思わせる勢いの良い水音を立てて風呂を出た。ガン◯ムは宇宙だからこんな音はしないけど、まあ雰囲気で。

 

※※※

 

 セクハラ課長による先輩へのセクハラが腹立たしい。先輩は課長のサポートも担当しているから逃げるに逃げられず、昼食まで一緒させられているのだ。昼時の先輩はいつ見ても表情が死んでいる。

 セクハラする暇があるなら働けば良いのに。仕事に心砕いて愛を囁いていれば良いのに。

 

「働け働け働け働け」

 

 終わらない就活中でへとへとになっていた時、高校の部活でお世話になった先輩から届いたライン。URLで飛ばされたのはY◯uTube、「就職しや◯れ」だった。キレた私が送り返したのは「パノプテ◯コン労働歌」と「労働◯M」。返事は「うるせぇ!」。それ以降、彼との交流は途絶えた。

 今なら先輩の気持ちも分かる……二つとも耳に痛い。でも私は悪くない。謝らない。

 

「一万円札は、ただの紙!」

 

 でもそのただの紙、紙ならぬ神の絵姿と交換できるんだ。諭吉の顔より降谷零の顔の方が好きだから後悔なんてないこともない。

 

「風呂入って速攻寝る計画ゥ!」

 

 ――課長を責めるつもりの選曲は自分の心を傷付けた。なにげないマンボがサンバ師匠の心を傷つけた。

 最後は自分に優しい歌を歌って終えた。

 

「うん、大空を雄々しく駆ける鷲も、時には羽を休めることが必要なんだよ。問題ない」

 

 今日は気合いを入れてお風呂を出るのは止めよう。出たらすぐ寝て、朝になったら体調不良ということにして仕事を休み二度寝するんだ。

 

 

 壁を一枚挟んだ場所で疲れたように目を覆う男の存在なんて、私が知るよしもない。

 

※※※

 

 今日はネタ曲を歌おうと決めていた。

 

「大きな林檎の木の下で」

 

 ヒソカは高橋広◯が当たり役、ミュージカルを見れば誰の目にも明らかだ。この曲自体は変態チックではないのだけれど、ねっとりとしたヒソカの歌声や笑い声のせいで「どこで歌っても恥ずかしい変態の歌」と化している。

 

 ――私は基本的に変態キャラが好きだ。私に変態キャラへの愛が芽生えたきっかけは、キャラ崩壊キャラソンとして伝説を持つあの曲『クフフのフ~◯と契約~』。あれで目覚めた。

 中学の時だ。友達が「これ無理……彩子にあげる……」と押し付けてきたキャラソンCDは格好付けたキャラクターが描かれたジャケットで、アニオタの彼女がはっきり「無理」と言いきるような物には見えなかった。そんな評価を受ける代物にがぜん興味を引かれた私は鞄に忍ばせていたウォークマンで再生し――教室内の全員が振り返るほどの大音声で爆笑した。

 

 酷かった。本当に酷かった。でも、この酷い曲で、暇潰しでしかなかったアニメが、正直に言ってどうでも良かった敵キャラが、鮮やかに色づいたのだ。

 これをきっかけに、私は変態キャラと変態キャラのキャラソンに嵌まった。今ではキャラソンに限らずネタ曲が大好物だ。

 

「社交期の終わり間際夢も終わる」

 

 背骨の後ろの裏と中というのはどこのことを指すのだろう。

 

「よっしゃ、いくぜ! ワンツーサンシ」

 

 まさに大事件でした。え、元歌は低音の方だろう何を言い出すんだ。かっこ錯乱かっことじる。

 

 でも、何故だろう。私の勘が「最強◯×計画」や「乳をもげ」は歌うべきではないと訴えているのだ。今までこういう勘に逆らって良い結果を得られたことは一度もないし、今回は止めておくべきだ。

 

 

 壁一枚隔てた隣の浴室に、腹筋をブルブル震わせながらタオルに顔を埋めて声を抑えている男がいることなど、私が知るはずもなかった。

 

※※※

 

 天気予報にも予測ができない霧雨が降った金曜日。全身しっとりとしてアパートに戻った私は、だいたい二ヶ月ぶりに隣人と顔を会わせた。神に愛されし御子・降谷零が受肉したような見た目の本郷さんだ。フルヤ=キリストに似ているから顔が良くて声も良い。素晴らしい。

 

「こんばんは」

「こんばんはー」

 

 悲しい事故からももう二ヶ月。元々お見合いパーティーには重い腰を引きずって参加していたこともあり、あれで私の心は折れた。

 結婚はご縁ですよ、ガツガツ求めても縁がなければどうにもならんのです。偉い人はそれが分からんのですよ! 解約ボタンぽちー。

 

 今回もまたエレベーターの開ボタンを押して待ってくれていた本郷さんにお礼を言いつつ乗り、微かに聴こえる彼の鼻歌に気付いた。

 横目で見れば物凄く機嫌の良い彼。つい鼻歌しちゃうとか可愛いじゃないか。我が神の子もそういう可愛いげがあるんだけど、それは気心を許した仲間の前でだけ見られるレアシーンなのだ。こんな気軽にホイホイ私が聴けるようなものではない。ふぇぇぇ見たいよぉ同期組と一緒にいて鼻歌してるフルヤ=キリストが見たいよぉ!

 

 私の渇望は横に置いておくことにして、本郷さんだ。彼のことだから鼻歌しているのはメジャーなヒット曲に違いない。耳をダンボにして曲調を聴く。

 ふんふふんふん、ふんふふんふん、ふんふふんふん。……ふたりはプリ◯ュア? 私が昨晩熱唱したばかりの曲だ。何という偶然があったものか、昨晩のプ◯キュアはフラグだったのだ。

 

 それにしてもだ。こんないかにもリア充ですと言わんばかりな容姿の本郷さんにもオタクの気があったとは……なんともオタクに住みやすい世の中になったものだ。昔は幼馴染みのお姉さんがひっそり西遊記で便箋作ってたり、その影響を受けた幼馴染みが小学生ながら西遊記のラミカ作ってお姉さんとオンリーに参加していたり、その横で私はストー◯オーシャンの連載を追って「ジョリーン頑張って!」なんて平和に過ごしていたり……私のことは横に置いておいて、とりあえずオタクというものは影の存在だった。

 アニメ◯トもかつては魔界の雰囲気を醸し出していて、連れていってくれたお姉さんを見上げたら戦士の顔をしていた。魔界に連れ込まれる私は売られていく子牛の気持ちを味わい、お姉さんの戦利品であるいち*◯キは普通の本屋では置いていないと聞いてまた恐怖を感じた。異世界の本を買いに来てるんだ、と。今考えるとピュアな子供だった。

 

 それが今ではアニ◯イトは普通の本屋さんのような明るさがあり、出入りのしやすさも段違い。こそこそ隠れるようにして入った当時の面影はない。世の中も変わったものだ。

 

「お休みなさい」

「お休みなさい」

 

 本郷さんがオタクと分かって一気に身近に感じられ、部屋の前で手を振って別れた。何故か彼の顔色は青かったのは風邪だろうか?

 

「腹切れ貴様!」

 

 ノリノリで歌う壁の向こうで頭を抱えしゃがみこむ男がいるなんて知っていたら、もっと酷い曲を選んでいただろうに。

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