卒業式を欠席した「私」――。

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待つってば、だから。

 待つのが嫌いだという人間は少しだけ時間の使い方が下手なのかもしれない。何かを、または誰かを待っている間に出来ることはたくさんあるんだから、もう少し工夫してみればいいと思った。そのことを学校のベランダで道古先輩に話したら鼻で笑われたので、思いっきり手すりの汚れを磨いてやった。

 まあ、それでもいいのだろう。軽く笑われるくらいが仲のいい証拠だ。

 それから数時間後、待つってば、だから……と、先輩と私は人が変わったように夜の道を歩いていた。

「待つってば! だから早く行ってきなよ! 私も怖いんだから」

 夏が終わった途端肝試しをしたいと言い出した道古先輩に連れられ、近所の神社までやって来たのだが、私はトイレに行きたくなったと同時に先輩が先に帰ってしまうのではないかと不安になった。幽霊が出ても責任は取りません――。狛犬がそう言っているようだった。

「もう少しで漏らすところでした。便座に大きな蒙古斑が」

「トイレの便座に蒙古斑? 子供?」

「赤ちゃんのが写ったんでしょうね。くっきり深緑でしたしまだ新しいと思われます」

 そんなわけない、と先輩は笑い出した。静けさの中におかしな要素が加わった。

 卒業式当日、先輩は私の家を訪ねてきた。

「卒業したくないから行きませんから」

「そう、じゃあ行かなくていいよ」

 先輩は冷え切った体を温めようと石油ストーブ前を陣取った。我が家は土間に一つ、駐車場に一つストーブを置いている。

「二人で卒業式ぶっちしますか」

 さっきまで寝ていた兄はにやけ顔で車のキーを指で回す。私たちが何をしたいのか分かっているらしい。

 学校は事実上卒業していない。だって卒業式に出席していないのだから。私は分かっていた。学校を卒業する前にまだやることがたくさん残っている。だからそれをやり終えるまで、校長先生にはうまい時間の使い方をして私たちを待っていて欲しい。

 きっと今頃校長室ではこんなことを言っているはずだ。

「待つってば、だからおいしい煎茶を入れてくれ。ティーポットは洗ってある」

 

 

 

 

 

 階下の兄が身支度をしている間、先輩は落ち着かない様子でエントランスから外を眺めていた。取材中のカメラマンがマンションの駐車場前で話している。街を散策する芸能人を撮影中らしい。

 先輩が部屋からなかなか出てこないので、心配になった私は地下一階の衣装室へ向かった。住民全員の服を一括に管理するなんて贅沢だなどと愚痴を言いながら、自らの生活水準と比べて肩を落とした。

「道古先輩? まだ着替え終わらない?」

「ご、ごめん! もうちょっと待ってて」

 苦しそうな声でいった。後ろのチャックが閉まらないのだろう。

「俺が閉めてやるから。開けるぞ」

 兄は引き戸を間違えて前に押す。ドア前で唸っていた先輩は内心びっくりした様子だったが平静を装っている。それより兄と先輩が付き合っていたことをさっき知り、まだ信じられない。

 少し目を離したすきに衣装室の床に先輩が四つん這いになっていた。ドレスのチャックが閉まらなかったわけではなく、ヒールが床を突き破ってしまったらしい。

「お願い引っ張って! もうなんで床が抜けるの?」

「最近太ったからじゃない? ほら」

 兄は先輩を引き起こしながらまずいことを言ったなと反省する。しかし先輩は気付いていない。

 すべてを捨ててここにやって来た。車椅子の面影を懐かしく思い出す兄は頭を振った。あの子のことは忘れよう。自分と別れて正解だったはずだと、実の妹に。

 誰かを支えることの大変さを知れただけ良かったと無理矢理納得しようとしているらしい。目の前の先輩を見ていると、その苦しさが半減したように表情が穏やかになった。パーティーに参加するためドレスに身を包んでいる彼女は未来の花嫁を想像させる。と妹の私が実況してやりましょう。

「そろそろ行かないと間に合わないよ」

「もうそんな時間? 髪セットしてないのに」

 衣装係の慌てようを無視し送迎車に乗り込む。宮崎市から南に進み、パーティー会場に向かう。このまま行けば間に合うと兄と私は安心したが、送迎車は路肩にハザードを出し止まった。

「ここで降りてください。これ以上は近寄れないのです」

「どうしてです? 私たちは招待客でしょう!」

 運転手は黙ったまま昇降口を開ける。先輩も訳が分からず硬直している。

「私たちはあなた方と違って一般人ですから。それにほら、ちゃんと説明しましたよね?」

 先輩が持っていた招待状を手に取り裏返す。

「ここに書いてあるように覚醒中の人間には近寄れない人間がいます」

 覚醒中とはヴァーチャル世界に居ない人の事を指す。兄と私は現実世界、先輩と運転手はヴァーチャル世界に居て、今普通に会話しているのはすべて機器を介しているためまったく自然に感じる。もしヴァーチャル世界の住人が覚醒中の人間に近寄れば命を落とすと言われている。兄と先輩が大丈夫なのは二人だからで、大勢の群集だと体から放出される覚醒派によりバーチャル世界を維持している人間と端末に悪影響を及ぼす。

「仕方がない、歩こう」

 兄が招待状を奪い取り送迎車から降りる。彼女はドレスを引きずりながら運転手を見つめた。私たちとまったく同じに見えるのになんでだろうと首を傾げた。

灼熱の歩道を歩くのにドレスは重荷に過ぎず、何度も休憩しながら会場に向かう二人を置いて送迎車は走り去った。送迎車のマフラーが甘いような、苦いような煙を吐き、速度を上げた。すぐ先の信号機で引っ掛かり兄は「ざまあみろ」と言い放った。

「招待してくれたのはいいけど、あの人って強引よね。仕事を休んでも来てほしいだなんて」

 先輩が言うあの人とは、兄の古い知人である西郷の事だ。新発売の化学調味料の発表会をするから来て欲しい、ただそこに居るだけでいいから。いわゆるサクラのお願いだ。

 人を無理矢理集める必要があるほど、その商品は知られていない。それを思い出した私は足から力が抜けていくのを感じた。体を酷使してまで行く価値を見出せなかった。

 ヒッチハイカーが段ボールを掲げている。マジックで「京都まで」と書いてあるがここは宮崎県宮崎市だから、直通で行くのは難しいだろう。兄がいらぬおせっかいで忠告しようとしたため先輩が小声で止めに入る。

「あの人は好きでやってるんだから放っておきましょう」

「でもさ、あのままだと灼熱地獄でご臨終だぞ?」

「それもいいじゃない。故郷がどこかはしらないけど、旅の途中で死ねるのなら幸せでしょ」

 なんで、と兄が訊ねると予想外の答えが帰って来た。

「だって旅は死ぬためにするものでしょ」

 兄は「あほだこいつ」と誉め言葉のつもりで言った。しかなぜかし私の心にささくれ立った矢が刺さる。かえしもあってなかなか抜けそうもない。傷つきやすさを知っていて言ってしまったことに、半ば自責の念を覚えたか知らないが、ちょっと辛い。傷つく方が悪いんだ、別に人格的否定をしたわけじゃないだろうと弁解するんだろうな、と兄を性格を思い出す。

「もっと優しく言ってよ。天然なのね、とか」

「そこまで会話に時間かけらんないって。あほだこいつは、この人は天才と同じ意味だ」

 取ってつけたような論理を自信満々に言う兄に、この人実は馬鹿なんじゃね? と先輩の素の性格が露呈した。

 意外にも会場は徒歩五分ほどのところにあった。受付を済ませホールに入ると人で賑わっていた。

 西郷の姿は見当たらない。受付嬢に訊いても知らないという。主役はどうも脇役として扱われているらしいと先輩は苦笑した。

「そういうことで、また後で」

 友人を見つけた兄がにこやかに会話していた。私は一人取り残され何も出来ずにいる。仕方なしに周囲をぐるりと見渡すと、巨漢の西郷がのっしのっしと歩いてきた。

「来てくれたんだね。嬉しいよ」

 本気で涙を流している。私に抱きつこうと腕を広げたので、慌てて回避する。拍子抜けした西郷は前のめりのまま言う。

「飯だけ食って帰ってくれていいからさ」

 兄が「もちろんそのつもりだ」と言い放ち、トイレに向かった。

 西郷の隣に小柄な女性が立つ。昨年彼と籍を入れた真由子だった。

「紀道さん、あの人は本当にお友達なの?」

「そ、そうだよ」

 明らかに焦っている西郷は真由子から視線を外した。

 トイレから戻ってきた兄は彼の心境を察した。奥さんから疑いの目を向けられているのは最初から分かっていたし、ここは自分がなんとかしてあげようと身を乗り出す。

「彼とは腐れ縁でね。俺は信弘っていいます。よろしくお願いします」

「それはそれはご丁寧に。失礼ですがお仕事は……」

「アスレチックのプロデュースをしています」

 もちろんそんなことはない。現実世界では何もしていない。バーチャル世界では小人を集めるリーダーをやっていた、と適当に話した。

 そこで大きなスピーカーからアナウンスが流れる。

「道古静さん、波野信弘さん、波野一穂さん、至急校長室まで来てください」

 私はすぐに分かった。出席していなかった卒業式のための呼び出しだ――。 

 

 

 

 

 ●高宮聡 TAKAMIYA SATOSHI●

【note】https://note.mu/sattaka

【Twitter】https://twitter.com/satalonade


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