現実世界にポケモンをぶち込んだらサバイバル系B級パニック物になってしまった   作:ケツマン

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今回ちょっとグロいです。苦手な方は注意。


閑話2『O』

 

 

刃が欠けた。魂が折れたのだ。

 

 

 

最期の狩りに相応しい大物だった。

通常の個体からは考えられないような岩山と見紛う巨体を誇るギガイアスとの対決は、彼が率いる群れ全員が参戦する激戦であった。

幼さの残る若き戦士達が羽虫のように蹴散らされ、群の全滅すら覚悟せざるを得ない死闘。

だが配下達の献身もあってからどうにか手負いの状態にまで持ち込み族長である彼、キリキザンとギガイアスとの一対一の決闘の形にまで持ち込んだ。

 

全身全霊。身体中の刃を惜しみなく使い、あらゆる剣技をその大岩の鎧に幾度と無く叩き込んだ。死闘は長かった。陽は落ち月が顔を出し始めた。

そして、遂に。相打ち覚悟で『アイアンヘッド』をぶちかましギガイアスの巨体を大きく仰け反らせて僅かに怯ませた。その瞬間。

急所に向けて放たれたキリキザン渾身の『辻斬り』が炸裂。

 

激しい火花が迸り、金属同士が擦れ合う甲高い音が響き渡る。

ぐらりと揺れた、と同時にギガイアスの巨体が轟音を立てて大地に沈んだ。

その重量に大地が悲鳴をあげるようにひび割れ、激しい砂煙を巻き起こす。

 

強い北風が吹いた。やがて沈黙。

群のボスである歴戦の勇者が、今までに無いほどの大物の討伐を果たした。

だというのに、五十を超える群の雄たちは一匹たりとも声をあげない。

それもその筈。キリキザン族の魂の象徴、その頭上から生えた大きな刃。

それが最後の特攻にて大きくヒビ割れ、砕けてしまったのだから。

 

 

 

 

今ここに、一匹のキリキザンの刃が折れた。

 

そして族長としての。戦士としての魂が。

 

静かに折れたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

群れを離れた元族長のキリキザンは、燃え尽きた灰となった。

目的も無く、あても無く。それでもただひたすらに歩き続けて日々を過ごす。

いっそのこと自決の文字が脳裏を過ぎったが、それは誇り高く生きてきた自分への侮辱になると察して思い直した。

 

既にこの世を去っているが、彼には深く愛した連れ合いもいた。

その子供達がさらに子供を産み、さらにその子供が子供を産み、戦士として群に貢献する程に。

その程度は長く生きて来たこの生涯に悔いなど一片も無い。

誇り高き一生の最期に汚れをつけるような真似だけはしたくなかった。

 

だが戦いへの熱意、そして族長としての責務。

それら全てから一気に放り出された彼は残された余生をどう過ごせばいいのか、全く理解が及ばなかった。

野を超え、山を越え。湖畔を超え、砂漠を超え。

幾度も月や太陽を見送った。

 

腹が減ったら適当な獲物を切り刻んでは血肉を貪る。そして死んだように眠る。

やがて静かに目覚めては、また途方に暮れながら歩みを進める。

そんな永劫に繰り返される、虚無一色に染まった灰色の日常。

 

『ソレ』が起きたのは、そんなある日の事だった。

 

 

 

まず気づいたのは喧騒だ。悲鳴、怒号。そして咆哮。

ふと顔を上げれば、そこには数え切れないほどの種族のモンスターが入り混じり、好き勝手に暴れまわっていた。

雪山にしかいない筈のマニューラも、砂漠にしかいない筈のワルビアルも。湿った沼地が生息地のトリトドンも。

まるで虫カゴに閉じ込められたように、様々な種族が混ぜこぜになりながら大混乱を起こしているのだ。

 

そして次に目に入ったのは人間だ。

モンスターボールなる捕獲武器を用いて我らモンスターを捕獲する事に夢中な筈の下等種族が、どうした事か唯々やみくもに逃げ回っているのだ。

ゴローンに潰され、ダゲキに殴られ、オンバーンに攫われていく人間達。

一方的に刈り取られていく彼はの様子は、キリキザンが知っている種族人間とは違う生態の生き物のように見えた。

 

阿鼻叫喚。

まさにそんな言葉がぴったりの地獄絵図の中。

キリキザンは観察を終えると、またゆっくりと当てもなく歩身を進めた。

 

どうでもいい。

 

彼の心に巣食った虚無感はこの混沌染みた戦場においても居座ったままだった。

もし彼が現役の戦士だったら、群れを率いる族長だったなら。

刃を鳴らしながら視界に入った全ての者が肉片になるまで虐殺を行ったであろう。

だが今の自分は違う。刃も、心根も、魂も。

ひび割れ、砕け、ポッキリと折れたただの残骸だ。

 

溜息を一つ。

キリキザンは暴れまわるモンスターも逃げ回る人間も無視して真っ直ぐ歩き続けた。

中には無謀にも襲いかかってくる異種族達もいたが、殺気に反応して反射的に振るわれた一刀のもとに、全て骸と化す。

やがて周囲のモンスター達も格の違いを察したのか、彼を避けるようにして方々に散っていった。

まるで足跡のようにして、キリキザンの歩いた路には屍と血痕だけが残された。

 

 

もう、しばらく歩いただろうか。

あの喧騒が嘘のように静まり返り、辺りには倒壊した建物や人間の死体ばかりが目立つ。

改めて観察すれば、キリキザンが本来生息していた世界と建物の構造が大きく違っていた事に気づいただろう。

だが彼の興味を引いたのは崩れ落ちた瓦礫の山などでは無い。

 

目の前に立つのは女だった。

年若い、縁の黒い眼鏡をかけた黒髪の少女だった。

 

水兵服にスカートを合わせた奇妙な制服。確か、セーラー服と言っただろうか?

ベッタリと血に染まった制服を着る少女は、鋭い刃を纏いてらてらと輝く血化粧や贓物の破片で身を飾ったキリキザンの前に立つ。

恐怖の表情で脅えるわけでも無い。玉砕覚悟で攻撃をしかけてくるわけでもない。

 

唯、彼の前に立ち止まって。じっくりと、異形の姿を観察するだけだった。

 

 

「綺麗。ですね」

 

 

しばらく経ってから、少女はポツリと呟く。

キリキザンは初め、その言葉の意味が分からなかった。

だが鉄仮面のような無表情のままに、瞳の奥だけを器用に蕩かせる少女の表情その様から、ようやく己を賛辞しているのだと気づいた。

 

 

「血に染まった刃が。本当に、本当に綺麗です。素晴らしい切れ味なのでしょうね」

 

 

つらつらと詩を吟じるように語りキリキザンの目の前までゆったりと歩くと、真っ赤に染まる右腕の刃に誘われるようして、少女は病的なまでに白い人差し指をつうっと滑らせた。

当然、その柔肌はぱっくりと肉が裂け、花咲くように真っ赤な雫が滲み出る。

それでも顔色一つ変えず、瞳だけで惚けたように己を褒め称える女の姿に。キリキザンは異種族ながらも異様だと悟った。

 

切り刻もうと思えば一瞬。一瞬で済むだろう。

この少女が死を自覚する刹那の暇すら与えず細切れになる事だろう。

 

だが眼鏡越しにこちらを覗く眼球の奥底から。

どろどろと濁り、それでも烱々と輝く狂気的な瞳を見ていると一切の殺意が沸かなかった。

むしろ何処か心惹かれるものを感じる。

仄かに甘く、優しい感情。

 

そう、これはきっと安堵だ。

 

 

「着いてきて下さい」

 

 

虚無感に支配されていた己の心に僅かな綻びが生まれた。

その事実に驚き、固まっているキリキザンの腕を優しく掴んだ少女は死体が散乱するコンクリートの上を振り返って歩き始めた。

彼女はキリキザンを先導しながら静かに語り始めた。

 

 

「私は人の縁に恵まれた幸運な人間でした。溺れる程の愛情を与えてくれた両親に祖父母。皆が羨むような恋人。明るい幼馴染。それから、沢山の友達……」

 

 

キリキザンに聞かせるというよりも、まるで少女自身に言い聞かせるようなこの語りは声量こそは小さいものの、静まり返った死の街では存外によく響いた。

 

家族の事。友人の事。恋人の事。

日々の生活。学校という施設内での日常。

心に残った景色や、思い出の場所の事。

抑揚の無い静かな声の少女の語りは心地良く、いつまでも聴いていたくなるような妖しい魅力があった。

 

 

「こんなに素晴らしい人達に囲まれ、沢山の想い出を手に入れた私は。きっと」

 

「きっと、幸せ者。なんでしょうね」

 

 

問いかけるようにして締めくくられた言葉と共に、少女の脚が止まる。

目の前には古風な一軒家。広い庭と縁側が美しいこの家が、彼女の家なのだろう。

 

 

「どうぞ上がって下さい」

 

 

引戸を静かに開ける少女の言葉に従って家内に入る。

石造りの広い玄関。上質な木材で造られたであろう奥行きのある廊下。

室内は、無音。そして嗅ぎ慣れた潮と鉄の混じった、あの香り。

 

 

「紹介しますね。彼氏の祐一君です」

 

 

少女が指差した先には、廊下の壁にもたれかかるように座る男の姿があった。

 

 

「彼は本当に良い人なんですよ。この間も、付き合った記念日だからってプレゼントをくれたりして」

 

 

「私は忘れていたんですけどね」と無表情のまま語る少女は静かに屈むと、恋人の頰に優しく触れた。

蝋のように白い女の細い指がヌルリと滑り、赤く染まる。

『全身を穴だらけにされ、顔面を構成する全ての部品をそぎ落とされた』青年だったものは、少女の手に触れるとバランスを崩したのか首をガックリと落とした。

 

 

「始めに、首を刺しました。血がタラタラと流れて、祐一君は凄く驚いた顔をしてて。何だかソレが可愛く見えて」

 

「脚、腹、腕。次は背中だったでしょうか。とにかく用意した刃物を全部使ってたくさん刺しました。その後、倒れ込んだ祐一君の上に私は乗りました」

 

「耳を切りました。鼻を削ぎました。目を抜きました。舌を抜きました。それから最後に」

 

 

立ち上がった少女は青年の股座の部分を指差した。

釣られて視線を向けてみると、目の前の死体からは雄としての象徴が切り取られている。

 

 

「『体や首を持って逃げるわけにはいかないので。一番思い出の多いところを切り取っていったのです』」

 

 

そう言うと少女はキリキザンの様子を伺うようにジィッと見つめる。

しばらくそうしていると、何か納得したのか小さく頷いた。

 

 

「阿部定。なんて知りませんよね。ええ、ごめんなさい。なんだかあなたとのお話は、凄く楽しくて。私、少し浮かれてるみたい。口が軽くなってますね」

 

 

ドロリとした瞳を一層濁らせ、キリキザンの顔を覗き込みながら少女は言う。

お話。と彼女は言うが、キリキザン自身は鳴き声どころか頷きすらしていない。

 

だが、それでも構わないのだろう。

少なくとも少女の中では、目の前に立つ刃の化物と言葉を交わしているつもりなのだろうから。

 

 

「次は家族を紹介しますね」

 

 

少女は何かに満足したのか、ゆっくりと背を向けると再びキリキザンを再び先導した。

 

鋼の異形が歩みを進める度に、薄茶色の床材が小さく悲鳴をあげている。

木製の廊下が滑らかに光を反射するのは果たしてニスの光沢故か、それとも未だ乾かぬ多量の血液か。

ギシリギシリと足音だけが沈黙の中に響く中、ゆっくり歩く間も少女の独り言は途切れない。

 

 

「母は私によく料理を教えてくれました。女の子なら花嫁修行は早い方がいいのよ。なんて微笑みながら。きっと、私は将来、祐一君のお嫁さんになると思っていたんでしょうね」

 

「父はとても優しい人で、怒ったところを見たことがありません。でも逆に母や祖母にもっと男らしくなりなさい、なんて怒られたりもしてました」

 

「祖母は私に御着物の着付けを教えてくれたり、祖父は私に剣道の稽古をつけてくれたり。きっと、理想の家族っていうのは、私たちみたいな事を言うのかなって。思ったりします」

 

 

やがて少女は大きな障子張り戸の前で立ち止まると、滑るように戸口を開いた。

スッと音立てて開けた大きな和室の中には、キリキザンが想像した通りに。少女の家族と思わしき者達が勢揃いしていた。

面頬のような金属製のマスク越しに、キリキザンの嗅覚が反応する。

多量の鉄臭さの中に、ほんの少しだけ藺草の香りが混じっているのが特徴的だった。

 

 

「父は一番体力があったので迷わずに心臓を刺しました。母は私の行動にビックリして固まってしまいましたので、頭を調理器具で殴打しました」

 

 

中年で痩身の男が、腹に大きな穴をぽっかりと空けた状態で畳の上に倒れている。

胸の膨らみから辛うじて女だと分かる死体が、腫れ上がった歪な顔をして座り込んでいる。

 

 

「私は色々試してみたかったので、次に祖父の首を延長コードで締めました。意識は直ぐに無くなったのですが、実はまだ生きていて、結局は祖母の後にもう一度締め直さなければなりませんでした」

 

 

「私はリバーサイドキラーには向いていないようです」そう続ける少女の視線を追うと、目玉をひん剥いた老人が、苦悶の表情のまま事切れている。

よほど苦しかったのだろう。種族の違うキリキザンにもその必死の形相から翁の苦痛が伝わって来た。

 

 

「祖母は一番小さくて軽かったので、少し変わった方法を試してみました。溺死、ですね」

 

 

祖父の遺体と横合わせになるように、小さな老婆の骸が転がっている。

外傷が殆ど見当たらないせいか、他の死体よりも心なしか穏やかな顔をしているようにも見えた。

 

 

「本当は浴槽に沈めるのが楽だったのですが、お湯を張るのに時間がかかってしまいますので。昔、使っていた大きなたらいに水を入れて、その中に沈めました」

 

 

「火事場のなんとやら、でしょうか。とても暴れて大変でした」と、平坦な声で語り続けた少女は少し間を置いた。

そしてモルグのように静まり返った和室を一通り眺めると、思い出したようにポツリと一言呟いた。

 

 

「『殺人は息をするのと同じ事だ』。ええ、確か。ヘンリー・リー・ルーカス」

 

 

何やら思考に耽ける少女から視線を外したキリキザンは改めてこの部屋を観察した。

畳独特の鮮やかな若草色に栗色の木材で統一された家具の数々。本来なら調和のとれた芸術的な美しさを持った室内だったのだろう。

ちゃぶ台の上には丁寧に切り分けられた内臓が展示され、天井からリースのようにして腸が飾り付けられていなければ、さぞ見事な部屋だったに違いない。

 

ぽとり。と音立ててキリキザンの右肩に滑った粘液が落ちてきた。

天井を見上げると毒々しいピンク色の贓物がてらてらと光り、血混じりの粘液をとろとろと滴らせている。

腹の減る光景だ。キリキザンはそう思った。

 

ぼんやりと腸を見上げていた時。突然、聴きなれないメロディが響いた。

目覚まし時計のアラームのような音の発生源を探して隣室に入るとそこは厨房だ。

和のテイストの室内からは些か浮いている真新しいオーブントースターがメロディを鳴らしている。

甘辛く、食欲をそそる香りがキリキザンの鼻をくすぐった。

 

 

「お昼、ちょうど焼き上がったみたいです。良かったら、ご一緒にいかがですか?」

 

 

断る理由もない。まるで幽霊のように気がついたら自分の隣に立っている少女に肯定の意を示す為、キリキザンは初めて自分の意思で頷いた。

 

 

黒髪の少女はちゃぶ台に乗せたてあった血塗れの内臓達を宝物でも抱えるようにして両手で丁寧に抱え上げ、空いている座布団の上に場所を移す。

生臭い赤色の面積が室内に更に広がり、むせ返るような鉄臭さが思い出したように匂い立った。

 

自身と向き合うように座るキリキザンの前に手慣れた手つきで食器とお椀を並べると、少女は豊かな胸の前で軽く手を合わせて「頂きます」と食前の挨拶を唱えた。

その動作と言葉の意味はキリキザンには覚えが無かったが、どこか尊い行為のような気がしたので、形だけ真似をして軽く頭を下げた。

 

だが、いざ食事が始まってからが問題だった。

長い二つの木の棒。少女は箸を使って綺麗に食事を進めるも、鋼と刃の身体を持つキリキザンとしては全く未知の道具だ。

普段の食事のように手掴みするのもどうにも品が無い。かといって向かいに座る少女を観察しながら見よう見まねで箸を握ってみるも、ボキリと鈍い音を立てて折れる始末。

 

鋼の異形が、たかが棒切れ二本に悪戦苦闘する様をぼんやりと眺めていた少女はおもむろに席を立つと彼の隣に膝をつく。

そして困惑しているに彼に向かい、少女が手ずから箸で食事の世話をし始めた。

 

 

「口を開けて下さい。遠慮はせずに」

 

 

種族が違うとは言え、自分より明らかにひ弱で幼い女に世話をやかれるのはどうにも気恥ずかしい。

だが結局、少女の視線の圧に負けてキリキザンは彼女に食べさせて貰うことにした。

 

鼈甲のように輝く肉の焼き物は甘辛く、美味ながらどこか懐かしい風味だった。

柔らかくジューシーな肉質は昔狩ったポカブに似ていた。

人間の料理とは興味深い。しっかりと味わいながら黙々と咀嚼した。

 

やがて一人と一匹が食べ終わると少女は小さな声で「ご馳走さまでした」と頭を下げた。

キリキザンも真似をすると、少女はおもむろに席を立ち、隣室に消えていった。

しばらくして戻って来た少女の腕には風呂敷に包まれたハンドボール大の丸いものが抱かれている。

 

 

「では、私に着いてきて下さい」

 

 

短くそう言って少女は居間を出て行った。

特に従う理由は無いが、拒否する理由もない。キリキザンは大人しく彼女の後ろをついて行く。

 

 

「私の家は、歴史のある旧家なんだそうです。一度家系図を見せて貰ったのですが、長すぎて覚えきれない程でした」

 

 

少女は会話という独白を垂れ流しながら長い廊下を渡り、裏口へ。

ゆらゆら揺れるお下げ髪を追いキリキザンが外に出ると、そこには随分と古めかしい小さな蔵があった。

 

 

「今は亡き祖父は数少ない刀鍛冶師でした。世に出すには未熟と判断した作品などをあの蔵にしまってあるんです」

 

 

「祐一君やお父さんを刺した刃物も彼処から頂戴したのですよ」と語る少女は古びた閂に手をかけた。

ギリギリと鼓膜を揺らす耳障りな音を立てながらも引き抜くと、分厚い鉄板の門がゆっくりと開く。

 

蔵の中は薄暗く、埃まみれだった。壁に立て掛けられた無数の刃物、床に散乱する鍛治道具。

そしてその場に似合わぬ、パイプ椅子に縛り付けられた小さな人影。

耳をすまさずとも、すすり泣く声が狭い室内に切ないくらいに反響している。

 

 

「紹介しますね。幼馴染の由紀ちゃんです。家が隣ですから、産まれた時からの付き合いでして。今も同級生なんですよ」

 

 

キリキザンは拘束された茶髪の少女を観察した。

言われて見れば、目の前で縛られた娘は自身を案内して来たお下げの少女と同じ服装をしている。

人間は服装を統一する事によって所属しているグループを示すと風の噂で聞いたあるキリキザンは、二人の少女は同じような組織に所属している縁の深い存在なのだろう。と解釈した。

もっとも、今の両者の立場の違いは語るまでもなく明確であろう。

 

 

「彼女、暴れたんですよ。祐一君の死体を見た時。それで、泣き叫んで、私に掴み掛かって来たものですから。ちょっとだけ手荒な真似をしてしまいました」

 

 

茶髪の娘の両脚は脛の辺りからぼっこりと赤く腫れ上がり有らぬ方向にひん曲がっている。

後ろ手に縛られた両腕もよく見れば肘より先のところで奇妙な曲がり方をしてるのが分かった。

鈍器か何かで殴打されて、へし折られたのだろうか。

 

 

「痛かったですか。長い間、放っておいてしまってごめんなさいね、由紀ちゃん。お詫びと言っては何ですが。これ、お土産です」

 

 

キリキザンの隣に立っていたお下げ髪の少女は拘束された彼女の前に立つ抱えていた荷物の風呂敷をするすると解いた。

そして露わになったお土産をすっと茶髪の娘の前に突き出した。

拘束された娘は目の前に差し出された『ソレ』の正体に気付いた瞬間、口枷越しのすすり泣きすら忘れ、大きく目を見開いた顔からはさあっと色が消えていく。

 

 

「妹さんの真由ちゃんですよ。姉妹の感動の再開ですね」

 

 

ヒクッヒクッとカエルが痙攣したような耳障りな音が室内に響いた。

その音が目の前で縛り付けられている娘の喉から鳴っていると気付いたお下げ髪の少女は、今思い出したと言わんばかりに手早く口枷を外してやった。

 

 

絶叫。

血を吐くような絶叫。

 

 

最早、言語と化していない獣のような慟哭が空気を震わし爆発した。

傍で佇むキリキザンが辛うじて聞き取れたのは「何故? 」「どうして?」と言った疑問符ばかりだった。

果たしてその疑問は目の前の妹の成れの果てについてなのか。それとも仲の良かった筈の幼馴染の突然の狂行に対してのものなのかキリキザンには分からなかった。

だが、長い付き合いである犯人には目の前の娘の言葉を理解できたようで小さく頷くと、静かに顔を伏せてその表情を隠した。

 

 

そして一拍の間。

 

少女が再び顔を上げた次の瞬間、キリキザンは目を見開いて驚愕した。

 

 

何故なら今まで鉄仮面のように表情が変わらなかったお下げ髪の少女の顔面に、輝くような美しい笑みが浮かんでいたからだ。

まるで大輪の向日葵のような笑顔は見る者全てに元気を分け与えてくれる、とても魅力的なものだった。

先程まで人形のように無表情だった少女と同一人物とはとても思えない。

驚き固まるキリキザンを他所に、変貌を遂げた黒髪の少女は弾むような明るい声色で語り始めた。

 

 

「皆、私が素晴らしい人間だと褒め称えます。家族は自慢の娘だと褒め、祐一君は笑顔が素敵な魅力的な女性だと恥ずかし気もなく語りました」

 

「由紀ちゃんも、困っている時にいつも助けてくれる心の優しい頼り甲斐のある親友だと笑いかけてくれましたね。覚えていますよ。ええ、だってみんながみんな私を素晴らしい人間だと笑顔で言うのですから」

 

「困っている人がいたら率先して手助けしました。人からの頼み事は決して断りませんでした。辛そうな人には親身になって話を聴きました。少しでも誰かの力になれるように微力を尽くしてきました」

 

 

キラキラと輝くオーラを放ちながら楽しそうに語る少女の言葉はまるで呪文だった。

聴いているだけで心に染み入るような、前向きになれるような。

見る者の心を癒し、力を分け与える天使の笑顔から放たれる旋律は不思議な魅力を持った魔性の呪文だった。

 

 

 

 

 

「でもね」

 

 

瞬間、変貌。

少女の笑顔が消滅した。

 

いや、仮面を捨てた。もしくは擬態を解いたというべきか。

輝かんばかりの笑みは人形の如き無表情に戻り、鈴の音のように美しい声はまるでロボットが台詞を朗読するように平坦で無機質なものに変貌する。

 

 

「本当の私は、とっても、とっても」

 

「悪い子なんですよ」

 

 

少女の瞳の中に。どろどろとした薄汚い淀みがぐつぐつと音立て煮え滾っている。

キリキザンの目には蠢く闇が確かに見えていた

 

 

「本当に不思議でした。ええ、今になっても不思議だなと思う事が多すぎるぐらいです」

 

「物心ついた時から、周りの人間が幸せそうにしていると、心の底から燃え上がるような憎悪が沸いてきて、どうにかしてその顔を歪ませたくて仕方なかったのです」

 

「家族や友人の笑顔を見る度に。私を愛し、慕ってくれる人達を見る度に。私は、あらゆる言葉を尽くして罵詈雑言を浴びせたくなるのです」

 

「実のところ幸福という言葉の意味がずっと曖昧なのです。だって、周りの人達が幸せそうな顔をしているのを、いくら真似しても、何にも感じないのですから」

 

 

幼馴染の異様な変貌ぶりに先程までの慟哭をすっかり忘れたのか凍りついた茶髪の娘の前に一歩一歩と近付きながら、少女は抑揚の無い声で、まるで経を読むかのように語り続ける。

 

 

「由紀ちゃんの家で前に飼っていた愛犬のマロンが亡くなった時。ええ、酷く落ち込む由紀ちゃんに私は一晩中つきそい優しい言葉をかけていましたよね。覚えてますとも」

 

「だって本当はあの時。マロンの死体を掘り起こしてバラバラにして辱めた物を」

 

「由紀ちゃんの目の前に撒き散らしてやりたいという強い衝動に駆られて。それを抑えるので必死で。本当に、本当に必死だったのですから」

 

 

一歩。

 

 

「祐一君は私の笑顔が好きと言って愛を告げました。鏡の前で試行錯誤しながら生み出した、周りに同調する為だけの、顔面の筋肉を引きつらせた薄っぺらい仮面を褒めていました。私は笑顔という言葉の意味が、また少し、分からなくなりました」

 

「愛の言葉を囁きながら彼は何度も私を抱きました。その度に私は懸命に腰を振る祐一君の首筋にナイフを突き刺す妄想に浸っていました」

 

「愛の営み。なんて素敵な別名がつく、恋人との性行為の最中に。愛する女に刺し殺されて驚嘆の顔を晒す男の最期が。気になって、気になって仕方なかったのです」

 

 

一歩。

 

 

「家族は私にこう言いました。『人に優しくしなさい。人の痛みを知りなさい。人を幸せに出来る人になりなさい』だから私は演じました。優しく、慈愛に溢れ、愛情深い少女を」

 

「顔も、声も、仕草も。全て鏡の前でたくさん練習して身につけました。私が理想の女の子という、本物の私とは似ても似つかない偽物に近づけば近づく程に。周りの人達は私を褒め讃え、慕い、愛してくれました」

 

「その度に私は必死で我慢をしてきました。私に愛していると囁く両親の首を絞めてやりたかった。優しい祖父母の肉を少しずつ削ぎ落としてやりたかった。友人も、視界に写る全ての人間を苦痛に歪めたかったのです」

 

 

また一歩。

 

 

 

「人を傷付けたくて仕方ないのです。叩いて、殴って、燃やして、沈めて、縛って、突いて、刺して、切って、削いで」

 

「私は悪い子なんです。悪い事がしたくて堪らないのです。あらゆる凶行を、あらゆる悪事を、悪行を、悪虐の限りを尽くしたいのです」

 

「ねえ。由紀ちゃん。私、ずっと、ずーっと昔から」

 

 

目を見開いて震える娘に、あわや口付けでもせんとばかりに顔を近づけた歪んだ少女は瞳に病的な殺意を孕ませながら。

一字一句、噛み締めるようにこう結んだ。

 

 

「人を。殺したくて。仕方がなかったのですよ」

 

 

蔵の中を再び重く、冷たい沈黙が覆った。

それは数秒の僅かな間だったのか、それとも分単位の時間だったのか。

安物のパイプ椅子がかたかたと軋む音だけが小さく響く。茶髪の娘は震えながら幼馴染の顔を見上げていた。

その視線はもはや人に向けるものでは無い。化物を眺め絶句する娘からは怒りの色も慟哭の音も消失している。代わりに浮かぶのは未知への恐怖と嫌悪。

足元から幾千の蜚蠊が這い上がるような、絶望的な嫌悪と破滅的な恐怖が体中を這い回り纏わりつく。

未だかつて見たことの無い怪物への純粋な恐怖だけが、拘束された娘の表情に張り付いていた。

 

 

「でもね」

 

 

ぽつりと黒髪の少女は呟いた。

無様に震える娘から無言で視線を外した彼女はキリキザンの方をゆっくりと振り返る。

生気の無い、下手すれば幽霊と見間違うかのような真っ白な喉が微かに振動する。

 

 

「私、分かっていたんですよ。自分が、本当に悪い子だから、この気持ちは抑えなきゃいけないって。例え何があっても押し殺さなきゃいけないって」

 

「少なくとも私は、周りの人から見れば幸せ者なんだろうなあ。と悟れるぐらい、清く優しい、善性に満ち溢れた人々に囲まれて生きて来たのですから」

 

 

キリキザンは悟った。

己にふらふらと近付いてくる目の前の少女の瞳は、濁ったままで表情は鋼の如く不変だ。声色も同様だ。

だがこちらに虚ろな眼差しを向ける歪な少女が、ほんの少しだけ。

迷子の幼子のように、誰かに必死で縋りつくような。そんな脆さを僅かに孕んでいる事を。

 

 

「だから、決めてたんです。死のうって。高校を卒業したら、それを区切りに真っ先に自決しようって。本当に、決めてたんです」

 

「だって、そうでしょう? 毎晩毎晩、人の死に顔を夢に見て、うっとりする私みたいな異形が」

 

「異常で、非情な。そんな人でなしは、この世界で生きてはいけないって。私のような獣はこの平和な世界に存在してはいけないと。本当に、そう、覚悟していたのです」

 

 

歪な少女はそこまで語って口を噤み、静かに俯いた。

そしてまた、薄暗い室内が沈黙に包まれた。

 

 

 

「fufufu」

 

 

羽音がした。少なくともキリキザンはそう思った。

 

ミツハニーやスピアーの羽音に似た、独特な音が唐突も無く聞こえたように感じた。

 

 

「ufufufufufufu」

 

 

そして音の発生源に目を向けたところで、ようやくキリキザンは気付いた。

人間の。いや、生物の喉から発生したと思えないこの機械的な振動音が。

 

 

「うふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ」

 

 

血走る眼球をドロドロと濁らせた、歪な少女の嗤い声だと。

 

表情は相変わらずの虚無だった。

ほんの僅かに口元を引きつらせ、器用にも喉の筋肉だけ痙攣したかのようにブルブルと震わせている。ただそれだけだ。

凡そ、正気な人間の笑い方では無いソレを見た時。キリキザンはようやく納得した。

目の前にいる生粋の悪タイプは、我らで言うところの『色違い』に当たるのだと。

 

 

「でも、仕方ないじゃないですか。世界はこんなにも私に都合良く壊れてしまったんです。耳をすませば悲鳴、息を吸えば仄かに甘い贓物の芳香。見渡せばうっとりしてしまうような死体の数々。嗚呼、なんて素敵な理想郷」

 

 

種族にもよるが、モンスターは群れを作る。

そして群れは同調を強いる。そして異形は排他される。

稀に産まれてくる『色違い』が良い例だった。

 

他の同族とは体色が違う彼らは産まれた時から差別の対象だ。

種族によって異なるが、その大半は産まれた直後に捨てられるか、殺されるか。

良くて群れの中の最下層の者として、ストレス発散の生きたサンドバッグになるのが殆ど。

稀に群れを追放された個体が生き延びる事もあるらしいが、大概が目立つ配色のせいで周りのモンスターから真っ先に狩りの獲物として襲われる事になる。

そんな産まれた時から四苦八苦の障害が確定された、哀れなる異形。

 

 

「だから私は止めました。我慢するのを止めました。私を偽るのを止めました。産まれてこの方十六年、煮詰めに煮詰めた醜い衝動に身を任せて。脳髄の奥に刻まれた本能のままに生きることを決めたのです」

 

「両親を殺した時に私の胸には言い様の無い『安堵』が浮かびました。祖父母を殺した時は小さな『歓喜』が。恋人を痛めつけて殺した時には蕩けるような『幸福』を感じたのです」

 

 

目の前の少女もそうなのだ。人間という種族に生まれた異形なる色違いの個体。

それが偶々カクレオンのような擬態を得意とする、夢のような特性を持っていた為に、今日この時まで生き残ってきた。

 

そして今。自分の存在を、個性を、幸福を。

全てを偽ってきた哀れな異形が、こうして己を解き放ったのだ。

 

 

「ねえ」

 

 

キリキザンがふと気づいた時には少女の膝の如く黒ずんだ眼が目の前に広がっていた。

微かに温かい吐息が当たり、もう半歩踏み込めば口付けるコンマいくつの距離で、目の前の色違いはキリキザンの右腕の刃を蝋の如き白い人差し指つうっとなぞった。

 

 

「貴方の、その、美しい刃で」

 

 

抑揚の無い声に。欲望を滲ませて。

か細い指を刃からふわりと浮かすように放し、振り返りもせずに静かに後ろを指差して。

 

 

「由紀ちゃんの身体。バラバラに」

 

 

こちらを覗く、黒い眼差しが。

 

 

「切り刻んでくれませんか?」

 

 

脈打つように澱んで燃える。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「由紀ちゃん。まだ生きてますか?」

 

 

薄暗い蔵の中はムワッとした鉄の匂いで満ちていた。

真っ赤なペンキをぶちまけたように広がる血液は、積もった埃と泥のせいで赤黒くますますグロテスクな色彩を帯びている。

その中心で色違いの少女が、椅子に『辛うじて立て掛けられている』茶髪の娘の顔を覗き込む。

プルプルと震える歪な肉塊はコヒューコヒューと酸欠になった金魚みたいに口をパクパクさせながら、目玉をギョロギョロと見開いている。

滑らかな四つの切断面からどろりと血が落ちる度に、その顔色は悪くなっていくというのに必死の形相で何かに耐えているかのようだった。

 

 

「良かった、まだ生きてますね。由紀ちゃんにどうしても伝えたい事がありましたので」

 

 

パイプ椅子の隣には女の四肢だったものが崩れた積み木のように乱雑に重ねられている。

およそ生き物としてマトモとは言えない成りにされたと言うのに、未だ必死の形相で生にしがみつく種族人間にキリキザンは僅かな驚きと大きな哀れみを覚えた。

 

右腕、左脚。左腕、右脚。

色違いの少女の指示通り、キリキザンは拘束されていた女の肉体を解体した。

 

別に彼女の言葉に従う義理などサラサラ無かった。

彼はトレーナーと名乗る人間達に捕獲、調教されては闘奴のように扱われるモンスター達の事を軽蔑していた。

どういう理由か定かではないが、トレーナーに従い戦いを重ねると効率よく強くなれるという情報は、キリキザン族を含めた世に蔓延るモンスター達全てが知っている常識だ。

 

だが、彼から言わせてみれば手下が居なければ自分で自分の身も守れない。そんな下等種族である人間の力を借りなければ強くなれない者など、恥以外の何物でもない。

そしてそんな愚物を手足のように使って悦に浸るトレーナーの事も心底嫌悪していた。

 

だが、こうしてキリキザンは目の前にいる女のお願いに従っている。

その理由は彼自身も、実のところハッキリとは理解していなかった。

 

ただ、彼女の、あの黒い眼差しが。

この世の悪意を煮詰めて固めたような悍ましい本性が。

癪気のように吹き出すドス黒い威圧感が。

それら全てがキリキザンに刃を振るわせる切欠となったのは確かだろう。

 

 

「昔、アルバート・ハミルトン・フィッシュ。という人が居ましてね。沢山の人を殺して食べてしまった有名人なのですが、こんなエピソードがあるんです」

 

 

達磨と化した死にかけの幼馴染の頭を軽く撫でると色違いの少女は彼女からゆっくりと離れながら語り続けた。

 

 

「ある幼い少女を誘拐した氏は絞殺し、その肉を細切れにして調理したんだそうです。そしてソレを9日間じっくりと味わって食したそうです」

 

 

少女は床に転がっていた妹の生首をゆっくりとした動作で拾い上げ、軽く埃を払い人形を弄るみたいにして、乾いた血で固まりつつあるショートカットの髪を手櫛で整えた。

 

 

「その味を、氏は笑顔でこう評したそうです」

 

 

再び達磨女の前に戻った少女は両腕に生首を抱え、瀕死の女の眼前に見せつけるように突き出した。

隙間風のような、か細い呼吸で喘ぐ達磨女の耳元で悪意に陶酔した少女は鼓膜を舐め回すような粘着質な声でこう言った。

 

 

「『美味かったよ』」

 

 

その言葉の真意を理解したのか、達磨娘はビクンと一度跳ねるように痙攣させたかと思うと、そのまま呆気なく絶命した。

無言のまま肉達磨を眺めていた黒髪の少女は何を想っているのか。暫くそのままボンヤリと立っていた。

 

 

「『藤 きり』です」

 

 

唐突にポツポツと口にした単語にキリキザンは思わず首を傾げた。

ゆらりと振り向いた少女のどす黒い瞳を見た時、ようやくそれがこの姦人の名前だという事に気付いた。

もう随分と長い時間を共に過ごして来た気になっていたが、未だ自己紹介すらしていないほどの短い付き合いだという事に、わずかな驚きを覚える。

 

 

「行きたい所があるんです。私みたいな、悪い子が、お友達を募集しているようでして」

 

 

大事に抱えていた生首をゴミのように放り投げた少女、きりは真っ赤に染まった制服のポケットから小さな機械を取り出して、キリキザンに見せてやった。

スマートフォンの液晶画面が写すのは性別がハッキリとしない、きりよりも幼い人の子の姿。

それから、その横に浮かび悪意に満ち満ちた笑みを浮かばせるゴーストタイプのモンスターだ。

同じ種族のモノと過去に何度か対峙した事があったので見覚えがあった。確か、種族名はジュペッタだったか。

 

 

「彼は、世界征服をしたいのだとか。私はあまり、政治の事には興味はありません。ですが、きっと。その過程で、沢山の人を傷つける事が出来ると思うのです」

 

 

羽音のような笑声を時おり漏らすきりの瞳にはぐつぐつと闇が蠢いている。

愉しくて仕方ないのだろう。きっと、この少女が正気の笑い方を思い出していたならば、蔵の中を揺らす程の大笑いをしていたに違いない。

 

 

「ですので。もし、良かったら」

 

 

キリキザンの前に細く、白く。赤く、汚れた右手が差し出された。

ふと顔を上げれば、黒い眼差しが吸い込むようにしてこちらを見つめている。

 

 

「一緒に。来て、頂けませんか?」

 

 

その言葉を聴いた時、キリキザンの背筋に百足が這い周るような寒気が走った。

蠢めく闇の向こうから、深淵の底から。

何かが自分の心を覗き込み、そしてそのまま取り込もうとしている。

嫌悪と恐怖。それから僅かばかりの興奮が綯い交ぜになったこの感覚は非常に危うく、魅力的である。

 

だが産まれながらの戦士にして、数多の死線を潜り抜けた彼からすれば簡単に抗える程度の稚拙な誘惑だった。

 

 

「嗚呼。良かった。私、一目見た時から、貴方には縁を感じていましたので」

 

 

だからこそ、キリキザンは頷いた。

あえてその誘惑を受け入れる事にした。

 

目の前の色違いはこれから数え切れないほどの悪業を成すだろう。きっと数え切れない程の同族を虐殺するのだろう。

だが擬態を解いた色違いが長生きできる筈がない。

ましてや生き急ぐどころか死に急ぐような生き方では尚更だ。目を離せばこの少女は直ぐに骸を晒す事になるだろう。

 

自分は存分に生きてきた。存分に戦ってきた。最早この一生に悔いなど無い。

ならば最後に。最期の最後に、この生粋の外道に付き従うのも酔狂だ。

鋼の身体と悪の本能を持つコマタナとして生まれ、研ぎ澄まされた刃の如き戦士であるキリキザンとして生きて来た自分だ。

惰弱な人間に従うなど考えた事もなかったが、この世の悪意を煮詰めたような生粋の大悪党である目の前の姦人の刃となるのも悪くは無い。

 

 

「あの。貴方のお名前が聞きたいのですが。もしかして、名前。無かったりしますか?」

 

 

きりが思い出したように尋ねると、キリキザンは静かに頷いた。

彼らの種族は名前というものをつける習慣がなかった。

特に彼の場合は族長として長く生きて来た為に、『ボス』や『長』という呼び名が半ば彼の固有名詞と化していた。

 

 

「でしたら、僭越ながら私が名前をつけてもよろしいですか? きっと、これから長い時を一緒に過ごす仲になるでしょうから」

 

 

特に否定するものでも無い。キリキザンは肯定の意をもって再び頷いた。

 

 

「では、しっかりと考えて名付けなければいけませんね。幾つか候補はあるのですが……その前に」

 

 

きりはゆっくりとした動きで死体と化した肉達磨の前に歩を進めると、些か乱暴な手つきで元幼馴染の茶髪を鷲掴みにした。

 

 

「新鮮なお肉も手に入りましたし、御夕飯でも如何ですか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やがて蔵の中には誰も居なくなった。

 

暗闇に残ったのは、数多の刃物。無数の肉片。引き摺られたように入り口に線を描く多量の血痕。

 

 

 

そして置き去りにされた少女の生首だけだった。

 

 

 

 




・ギガイアス こうあつポケモン(いわ)
食用不可。無理やり飲み込んだ場合は命に関わるので直ぐに病院へ。

今後の展開

  • 本編を早く進めて欲しい
  • 番外編を進めて欲しい
  • ソラが主役の話が読みたい
  • 新キャラを沢山出して欲しい

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