何度生まれ変わっても   作:ミズアメ

10 / 42
 ※今回からキャラ崩壊が加速します。ご注意ください。


第拾話 蝶屋敷

 目が覚めた時、まず視界に入ったのは知らない天井だった。

 

 どうやら俺は、西洋式の白い寝台に横たえられているらしい。

 部屋の内装はありきたりな日本家屋だ。造りそのものは吉原の貸座敷と変わらない、木造の建物。しかしあちらとは比べることすらできないくらい段違いに清潔で、部屋どころか建物全体から、仄かに薬草と消毒薬の臭いがする。

 

 ここは、病院か?

 

 今のご時世、医者にかかれる人間というのは一握りだ。吉原でも医者に診て貰えるのは繁盛している店の花魁くらいのもので、一介の遊女や下働きとは一生縁のないものである筈なのだが……。

 

 そこまで思考を巡らせて、唐突に思い出す。

 

 そういえば――俺は鬼を倒し、その結果として図らずしも火事を起こしてしまったから、妹を連れて吉原から逃げたんだっけなぁ。あのままあの場に留まっていれば何をされたか分かったものではないとはいえ、よくもまあそんな暴挙に出たものだ。

 梅を背負ってお歯黒溝を飛び越え吉原から足抜けし、追手から逃れるべく一日中走り回った。そこまでは覚えているのだが、それ以降の記憶はない。

 

 俺は誰かに拾われて病院に入れられたのだろうか。

 

 それなら、梅は―――

 

「―――お兄ちゃん?」

 

 不意に、横から声を掛けられた。

 誰の声なのか――そんなのは、声の主の姿を見るまでもなく理解できた。

 

「梅? 無事か、よかっ―――」

「―――お兄ちゃぁぁああん!」

 

 泣き声に語尾を掻き消される。

 梅は半ば飛び掛かる形で寝台の上に身を乗り出し、俺にしがみついた。しゃくりを上げて胸に顔を擦り付け、よかった、よかったと繰り返している。

 

「わぁああああああっ! よかった、よかったよぉ! 半年もずっと眠ったままで、全然起きないから……! 本ッ当に心配したんだよ!? お兄ちゃぁぁぁんッ!」

「半年……? そうか、ごめんなぁ、梅。―――痛ッ!」

 

 どうやら、半年間寝ていたというのは本当らしい。関節が固まっていて、体を動かすのにひどく難儀する。それでもどうにか腕を動かして、梅の頭を撫でた。

 掌に触れる背の感触は、以前と異なっている。肉付きが良く、身長も随分と伸びたようだ。

 俺が眠っていた間――ひとりで成長した妹の半年間を想う。短いようで長い月日はこの娘をより美しく育て上げていたが、その一方で変わらないものもあった。泣き虫で我が儘な気性は、きっとこの先もずっと変わらないのだろうと、そう思う。

 梅は猫のように頭を擦り付けてくる。変わらないその姿が、堪らなく愛おしかった。

 

「―――こんにちは。目が覚めたようですね」

 

 唐突に――部屋に、一つ気配が増えた。

 半年も昏睡したことで俺の感覚も鈍ったのだろうか? 同室に誰かが入って来ているにも関わらず、声を掛けられるまでそれに気づかないとは……! 俺が鈍っているのか? それともコイツがただものではないのか!?

 

「うわぁぁぁしのぶさんんん! お兄ちゃん目が覚めたよぉ! ありがとうぅぅ!」

「いいえ、私は薬を投与しただけです。目を覚ましたのはお兄さんの意思ですから」

 

 どうやら、梅はこの女に懐いているらしい。泣きながら感謝して頭を下げている。ともすれば悪い人間ではないとは思うが……なんだろうなぁ、口調は穏やかなのに、怒っているように思えてならないのは俺の気のせいか?

 ともあれ。口振りからして、俺に治療を施したのはその人物なのだろう。

 凝り固まった首をどうにか動かして、俺は声の主の姿を確認しようと試みる。―――そして、思わず目を見張った。

 この国の女性らしい小柄且つ華奢な矮躯。黒い詰襟の洋装に、蝶の翅を思わせる美しい羽織と髪飾り。そして腰に太陽の臭いがする刀を差したその姿は、紛れもなく―――

 

「―――初めまして。私は鬼殺隊・蟲柱、胡蝶しのぶと申します。お体の具合はいかがですか、謝花妓夫太郎君?」

 

 鬼狩り――しかも柱だと!?

 

 いや待て落ち着け、今の俺は人間、人間だからなぁ。梅もコイツには敵意を持っていない。それに治療を受けているのは事実だ。無用な混乱は取っ払え。前世での因縁やら敵愾心やらは、今はどこか頭の隅に置いて閉じ込めておかなければ……!

 

「…………初めまして。痛みで関節が動かせねぇこと以外、特には」

「そうなのですか? ここに運びこまれてから半年間、ずっと三十八度の高熱が続いているのですが……頭痛や吐き気、倦怠感といったものはありませんか?」

「……別段、なんとも」

 

 むしろ普段より調子がいいように思えるなぁ。……体は動かせないが。

 

「……ふむふむ。では梅さんが仰られた通り、以前からずっと今の状態が平熱として続いているのですね?」

「はあ。普段からこのぐらいの体温だった……と、思い、ます」

「うん。お兄ちゃんはいつもこれくらい、温かいよ」

「そうですか。……まあ、そういうこともあるのでしょうね。人間にも色々な人がいますから。でも一先ずは経過観察ということで、この蝶屋敷に滞在している間は安静にしていてください」

 

 ―――いいですね?

 

 念を押すように言われる。その笑みは優し気で美しいものだったが、何故か暗に脅されているような気がしてならなかった。

 

 * * *

 

 ここは蝶屋敷――鬼殺隊隊士、蟲柱・胡蝶しのぶの邸宅であるという。

 どうやらここでは、鬼との戦闘で負傷した鬼殺隊士や、俺のような一般の医療設備では治癒が困難な、鬼の毒などに侵された民間人の治療を行っているようで。常に血と消毒液の臭いが絶えない。

 

 政府非公認の組織である鬼狩りこと鬼殺隊の活動資金は、組織の長である産屋敷一族の私財によって賄われているという。

 

 当然、この蝶屋敷での医療行為に掛かる費用も全て産屋敷が負担しているらしい。もう鬼殺隊本部がある方角には足を向けて眠れねぇなぁ。いや、巧妙にも千年間もの間鬼舞辻無惨の目から逃れ続けている産屋敷の邸宅の位置など、俺に分かる筈もないが。

 

 入院している俺とは違い、梅は別の館で寝泊まりをしているようだ。

 

 梅は午後になると、決まって看護士の少女等を引き連れて俺の病室へやってきた。

 彼女らの名はそれぞれなほ、きよ、すみといい、何故か梅の指示に従って俺に襲い掛かり、地獄の如き柔軟を施した。固まった関節を容赦なく動かされるので全身に激痛が走り、やめてくれもげる、むしろいっそそのままもいでくれと、何度も情けない悲鳴を上げそうになった。

 けれど苦痛に耐えた甲斐あってか、日常生活を送る分には不都合のないくらいまで体調が回復した。今では屋敷の敷地内でなら散歩も許されている。

 

 梅は毎日、俺に食事の世話をした。

 

 初めて梅が作った料理を食べた日。

 消化器官が弱っていた俺のために作られた梅粥は、今までに食べたどんなものとも比較にならないほど美味くて。そういえばそもそもきちんとした料理なんてものを食べたのは、前世においても今世においても、これが初めてのことなのだと思い出して。

 

 気が付いた時、俺は泣いていた。

 悲しくもないのに、何故か涙が止まらなかった。

 

 人は恐怖以外の感情でも鳥肌が立つのだと知った。

 人は悲憤以外の感情でも涙が出るのだと――初めて知った。

 

 そんな俺を見て、梅は優しく微笑みながら、俺の頭を撫で、最後まで匙を口に運んでくれた。

 

 禍福は糾える縄の如し。

 

 あの日――吉原に鬼舞辻無惨が現れた時は、どうなるかと思ったが。今の俺は幸福だった。

 良いことも悪いことも代わる代わる訪れる――これこそがこの世界のあるべき本当の姿なのだと、知ったような気がした。

 

 時折、梅と共にしのぶが俺の病室を訪れ、体の調子を尋ねてきた。

 

「謝花君の身体には原因不明の発熱の他に、先天性梅毒、それに寄生虫による病の症状が見られましたので、それらを治療する薬を眠っている間に投与しておきました。それから歯並びが悪く頭蓋骨が歪んでいて肩や腰、それに内臓にも負担が掛かっていたので、歯列矯正の外科手術も施しています。どうですか? どこか痛むところや、痒みなど、違和感のあるところはありませんか?」

「いいや、特には。…………なあ。本当に治療費は支払わなくてもいいんですかい……?」

「はい! 何度もご説明した通り、蝶屋敷での治療に医療費は発生しません! では、あとはたくさん食べて栄養を摂り、平均的な体型になるように頑張っていきましょうね、謝花君!」

「……はあ」

 

 ただほど怖いものはない、という言葉の重みが骨身に沁みて理解できた。

 

 それから暫くの期間が空いて、大変はしたない格好の女性と共に、梅が見舞いにやってきた。

 

「お兄ちゃん、この人は甘露寺蜜璃さん! 私達が山の中で鬼に襲われた時に助けてくれたの! 鬼殺隊に入ってまだ間もないんだけど、もうたくさんの鬼と十二鬼月を倒してて、次の柱合会議で正式に柱に任命される予定なんだって!」

「こんにちはぁ、妓夫太郎君! ご紹介に預かりました、甘露寺蜜璃です。よろしくね! 梅ちゃんから話は聞いてるよ~! 素敵な自慢のお兄さんで、鬼を相手に戦って勝ったんだよね!? それに全集中の呼吸とその常中まで身に着けてるって聞いてるよぉ!」

「……全集中の常中、だって? いや、ですかい?」

「うん!」

 

 元気に頷くと、蜜璃は見舞い品の桜餅が入った箱を差し出してきた。

 そういえば彼女の髪は日本人離れした桜餅に近い色合いをしているが……いや、主だった食物の色が体毛の色素に影響を及ぼすなど、そんなことは普通ありえないよなぁ。うん。

 

「私達人間が鬼に対抗するために身体能力を強化する全集中の呼吸――これを昼も夜も、寝ている時も、ずっとやるのが全集中・常中っていう技なの。これを長くやっていると、その分だけ身体能力が上昇するんだよぉ」

「柱の人はみんなその技ができるんだって! それでね、逆にこれができるようになることが柱への第一歩らしいの。お兄ちゃんはアタシが三つの時から全集中の呼吸をずっとしてるから、つまり八年も全集中・常中をやってるってことね! 流石お兄ちゃん! で、だからアタシ考えたんだけど、もしかしたらお兄ちゃんの熱が三十八度もあるのはそれが原因なんじゃないかなって―――」

「―――待て。待て、待て、待て、少し待ってくれねぇか? なぁ!?」

 

 今の会話だけで初耳な情報が多過ぎる。

 

 あの機織鬼との戦いを経て、それまでの生活で俺が鬼狩り達がやっている全集中の呼吸とやらを無意識にやっていたのはなんとなく理解している。しかしそれを寝ている間もやっているとは。しかもその技術が柱になるのに必須の技だとは。

 というか、なぜ梅が鬼だけでなく、全集中の呼吸などの鬼狩りの知識を知っている?

 

 何か、事態がよくない方向に進んでいるような気がしてならない。

 

「どうしたのお兄ちゃん、お腹痛い?」

「……………………いや、何でもない」

 

 結局、何も問うことはできず。後の時間は、当たり障りのない世間話をして過ごした。

 

 蜜璃は五人姉弟の長女であること。

 蜜璃は脅し文句や怪談の才能が絶無であること。

 その反面、しのぶは怪談が得意で語るのが趣味らしいこと。

 鬼の実在を知って以降、梅はその手の話が大の苦手になってしまったこと。

 

 俺が眠っている間――半年もの空白の期間を埋めるように、梅と蜜璃、それから途中から現れたしのぶ、なほ、きよ、すみ、アオイを交えて、彼女達は俺の知らないことを沢山話してくれた。

 

 それを見て俺は、世界は順調に、良い方に回っていると――そう錯覚していた。

 

 日が暮れるまで談話に花を咲かせていた。けれど一人、また一人と用事ができて会話の輪から去っていく。そして最後に、俺と梅だけが病室に残された。

 

「ねぇ、お兄ちゃん」

「なんだ、梅」

「アタシ達はずっと一緒だよ。お兄ちゃんは今この世にいて、アタシも今この世に生きてる。心が繋がっていて、確かな絆がある。アタシはいつもお兄ちゃんのことを想っていて、お兄ちゃんはいつもアタシのことを想ってくれる。だからアタシとお兄ちゃんは、いつも一緒」

 

 何時だったか――それは確か、俺が梅に語って聞かせた言葉だ。

 だがどんな時にそれを聞かせたのか……思い出せない。いや、正確には思い出したくないのか。

 

「梅、お前―――」

「―――今日の面会時間はここまで! じゃあまたね、お兄ちゃん!」

 

 踵を返し、梅が病室から去って行く。

 その姿が扉に遮られるその瞬間まで、梅はずっと最後まで朗らかな笑みを湛えていた。

 

 * * *

 

 それから、件の柱合会議があるという日。

 この日、甘露寺蜜璃は鬼殺隊を支える柱の一人――恋柱となり。梅は彼女の継子候補の弟子として迎えられ、共に旅立ったことを事後に知らされた。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。