何度生まれ変わっても   作:ミズアメ

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第拾壱話 月下美人

 謝花妓夫太郎様江。

 

 

 何も告げずに突然旅立ってしまったこと、今まで鬼殺隊の剣士になるべく密かに修行をしていたこと、他にも私の口から直に貴方へ話さなければならなかった大切なことを何も説明しないまま、こうして卑怯にも手紙で報せることの非礼をお許しください。

 

 私達が鬼に襲われたあの日、私の大切な人が死にました。

 

 私と仲良くしてくれた禿の子達。心無い遊女達に悪く言われていた私のことを信じてくれた優しい楼主様。私を吉原一の花魁にしようと、本気でぶつかってくれた遣手様。他の人の目を忍んでは、私に楽しい話を幾つも聞かせてくれた旦那様。

 親友だった椿。

 貴方の武勇伝をたくさん聞かせてくれた鼠男様。

 

 皆、鬼に殺されました。

 

 そして、最愛の家族を――貴方を、手酷く傷付けられた。

 

 私には、それが許せません。

 

 鬼の非道が許せません。

 非道な鬼を造り出し、無辜の人々を襲わせている、鬼舞辻無惨が許せません。

 

 だから私は、鬼殺の剣士になろうと思います。

 

 幸いにも私には剣士としての才能があると、甘露寺蜜璃様に太鼓判を押して頂きました。私は彼女の弟子として、剣の技を磨く修行に勤しみます。

 貴方は私の身命を心配なさり、きっと鬼殺隊に入ることを認めてはくださらないでしょう。そうと分かっていても、私はどうしても、剣士になる道を進むことを止められそうにないのです。

 

 私は、私の道を進みます。

 貴方は、貴方の道を進んでください。

 

 健やかでいてください。幸せでいてください。それだけが、私の望みです。

 

 私と貴方はどこにいても繋がっている――私が何度も勇気を貰った、貴方自身のその言葉を、どうか忘れないでいてください。

 

 ご自愛専一にて精励くださいますよう、お願い申し上げます。

 

 

 謝花梅与利。

 

 * * *

 

 なほ、きよ、すみから渡された梅の手紙に目を通す。

 

 自分でも意外なことに、驚きは少なかった。実際、薄々察してはいたことだ。元より梅は他人からの影響を受けやすい、素直で染まりやすい性格をしているのだ。俺が昏睡していた半年間――鬼殺隊の下で生活していたのなら、その道を志しても不思議はない。

 

 親しい者を殺され、傷付けられたから鬼殺隊に入るという動機も、納得できる。

 

 かつて俺自身が言ったことだ。

 

 ―――悪口を言われたんなら言い返せ。殴られたなら遠慮せず殴り返せ。だが、殺すな。命までは取り立てるな。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()―――

 

 そう教えられたが故に、梅は自らの意思で鬼殺隊の門を叩いたのだ。

 

 ……梅を人として育てたのは、偏に鬼舞辻無惨による気紛れな鬼の処罰や、鬼狩りの脅威から遠ざけるためだ。

 梅が死ぬことなく――有り得たであろう、幸福な人としての生を全うできるようにと願って、俺はこの十三年間ずっとアイツを育ててきた。前世のような、無惨な最期は遂げさせない。そう決意して今まで必死でやってきた。

 

 だというのに、現実はどうだ? この結果はなんだ?

 

 鬼狩りになる? 非道な鬼を、鬼舞辻無惨を倒す?

 ―――そんなことは不可能だ! できる訳がない!

 

 鬼になるよりもなお酷い道だ。人の身で鬼に挑むなど、自殺するのとどう違う。相手は人を何百人も殺し、鬼殺隊を何十人も殺し、柱ですらをも何人も殺している怪物だぞ。そしてそもそも人よりも圧倒的に強い力を持つ鬼――上弦の鬼でさえ、鬼舞辻無惨には決して敵わないというのに!

 

 どうしてこうなった。

 どうしてこんなことになってしまったんだ。

 

 いや――原因は分かっている。

 

 アイツを『京極屋』に預けたのは俺だ。

 鼠男との接点が生まれたのは俺が原因だろう。

 鬼殺隊が吉原に来るように仕向けたのも俺だったっけなぁ。

 そもそも俺がもっと早く鬼の存在を察知して逃げ出し、上手くやり過ごしていれば、鬼殺隊に拾われることもなかっただろうなぁ。

 

 つまりは――()()()()()()()()()()

 

 俺という存在こそが、梅の人生をどうしようもなく狂わせた元凶だ。

 

「…………」

 

 いや、違う。本心からそう思っている訳じゃない。

 だが――やはり、それは()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。であるが故に、やはり、全ては自分のせいなのだと己を罵倒する方が、()()()()()()()()

 

 ―――虫けら。ぼんくら。のろまの腑抜け。役立たず。なんで生まれてきたんだお前は。

 

 みっともねぇ。

 みっともねぇなぁ。

 

 ……醜く汚い俺が自分に自信を持てたのは、偏に俺が他人よりも腕っぷしに優れていて、何より誰よりも美しい梅という妹がいたからだ。

 

 醜い容貌は、取り立ての仕事では逆に殊更役に立った。

 美しい妹の存在は、俺の劣等感を吹き飛ばしてくれた。

 

 だがここは吉原ではなく、今では自慢の妹も俺の隣にいない。

 

 蝶屋敷で荒事などある筈もなく、日がな一日寝てばかり。寝台に横たわり、他者の幸福を妬み僻み、世界を呪って過ごすばかりだ。

 

 最早俺は、ただの醜く汚くみっともない男でしかなかった。

 

 ―――梅が見舞いに来なくなってから、看護士達が病室に来る頻度が増えた。

 

 どれも皆同じ顔に見えるので、対応し辛い。なので俺は昼までは寝たふりをして過ごし、窓から差し込む日差しが強くなってくると決まって散歩と称して屋敷の物置きや庭の物陰など、誰も近寄らない所へ移動し、蹲るようになった。

 

 夜になって月が出ると、部屋から抜け出して蝶屋敷の屋根に上った。ここから飛び降りて頭から着地すれば、何かもっと楽な状態になれるのではないかと思ったが、それだけはやめておいた。

 

 梅は俺を兄と慕い、共にこの世に生きている限りはずっと一緒だと言ってくれた。

 

 その言葉は嬉しい。俺にもまだ生きる価値はあるのだと、そう思える。

 

 だがその裏で、鬼が叫ぶのだ。

 梅とそっくりの顔で、いつか聞いた台詞を繰り返すのだ。

 

 

 ―――アンタみたいに醜い奴がアタシの兄妹な訳ないわ!

 ―――アンタなんかとはきっと血も繋がってないわよ! だって全然似てないもの!

 ―――強いことしかいい所が無いのに! 何もないのに!

 ―――負けたらもう何の価値もないわ! 出来損ないの醜い奴よ!

 

 

 兄妹な訳がない――というのは、半分正しい。俺達兄妹の母親は遊女だ。十中八九、父親は別人だろう。そういう意味では、純粋な兄妹ではなかった。

 負けたら何の価値もない、出来損ないの醜い奴――それこそ否定できる要素がねぇなぁ。

 

 あの後――地獄へ落ちる直前に、梅はあれは嘘だったと、そんなこと本当は思っていないと言ってくれたけれど。今の俺にはその言葉を信じる気力も気概もない。額面通りの意味で受け取り、何度も反芻する。

 

 そして、もう一つ。鬼の声が耳を打つ。

 そいつは俺にそっくりな声をしていた。

 

 

 ―――出来損ないはお前だろうが!

 ―――お前さえいなけりゃ俺の人生はもっと違ってた! お前さえいなけりゃなあ!

 ―――お前なんて生まれてこなけりゃ良かったんだ!

 

 

 これは俺が堕姫に――妹に吐いた台詞だ。

 だがこれは嘘だ。あの額に痣のある鬼狩りのガキが言った通り、妹に対して本心でそんなことを思っていて言ったんじゃない。だが、一度も考えたこともない言葉がいきなり口から出るなんてことは絶対にないのだ。

 堕姫に言ったあの罵倒は、全て自分に向けたものだ。

 

 ……何度考えても、結局のところは同じ結論に行きつく。

 

 梅―――お前は俺の妹でいたいと言うけれど。

 俺も、ずっとお前の兄でありたかったけれど。

 

 ―――やはり俺は、お前の兄になんてなるべきじゃなかった。その資格が、なかったんだなぁ。

 

 深く溜息を吐く。

 徒に自分を傷付けることも、現実逃避の一種だ。俺はこれから己が歩むべき道と執るべき行動を、きっと心の奥底の無意識下で理解している。しかしだからこそ、その道を進むことにどうしようもない恐怖と忌避感があって、二の足を踏んでいるのだ。

 

 俺は膝を抱え、顔を埋める。何もかもが面倒だった。

 

「―――もしもし、妓夫太郎君」

「…………………………………」

「もしもーし。こんな所で寝ていると、風邪をひきますよ?」

「……はあ。じゃあ、俺はそろそろ部屋に戻りますんで」

 

 何時の間にか横に佇んでいた人物と視線を合わせぬよう注意しながら、立ち上がる。

 

 俺の容姿は醜い。殊更、女に嫌悪を抱かれる。

 それは生理的な防衛反応だ。生き物は奇形の遺伝や伝染病の感染などの脅威から己を遠ざけるため、そういったものを持つ者に対して、嫌悪感を抱くよう本能に刻まれている――と、蝶屋敷の物置きにあった蘭学の本に書かれていた。

 醜い姿で生まれた俺が悪いのだ。だから梅が生まれる前の時のように、虫のように目立たぬよう生きていかなければ。

 

「いえ、少し待ってください、妓夫太郎君。今日は月が綺麗ですから。お月見ということで、少しお喋りしていきませんか?」

 

 しのぶは屋根に腰を下ろすと、自身の隣を軽く叩いてこちらに座るよう促した。

 

 ……是非もなし。

 

 上げかけた腰を、再び下ろす。しのぶはにこやかに笑って満足気に頷いた。

 

「その後、体調の経過はどうですか? 熱は三十八度のままだと聞いていますが」

「はあ。特に変化はありませんぜ」

「ふむふむ。では、心の方はどうでしょうか。なにか悩み事があるのではないですか?」

 

 笑みを張り付けたまま、しのぶは重ねて問うてきた。

 

 ……この女といい、看護士の童女達といい、蜜璃といい、鯉夏花魁といい、何故俺に構うのだろうか。どうして他の連中のような、普通の反応と違う行動を取るんだ。意図が分からない。理解できない。何がしたいのか皆目見当もつかない。

 俺の五感は人より鋭く、相手が何を考えているか気配で分かる筈なのだが――どれだけ注意を払っても、この手の輩の考えていることが分かった(ためし)は一度もないんだよなぁ。

 

「……………………」

「では、当ててみましょう。貴方は妹さんのことを悩んでいる。彼女が鬼殺隊の剣士になろうとしている現状が心配で仕方がない――と、いったところでしょうか」

「……まあ、それも悩みの種ではありますがね。たった一人の肉親が、人喰い鬼共と戦う道を選ぶなんて馬鹿げたことを、諸手を挙げて賛同する奴なんざいる筈がねぇでしょうよ。もしいたとすれば、ソイツはどうかしてる」

 

 無意識の内に、返答は刺々しく嫌味ったらしいものになってしまった。

 しかし、謝罪する気も、改めようという気も起きない。

 

「そうですね。大切な肉親が死地に赴くことを望む人なんていません。……でも私は、どうしても梅さんの方に共感してしまうんです。彼女に頑張って欲しい。目標に向かって前に進んで欲しいと、そう思います」

「ソイツは柱としての言葉ですか。アイツが才気ある人間だから、鬼殺隊士として期待してるって?」

「いいえ。私が梅さんと同じ立場――つまり、姉妹の妹だったからです」

 

 その言葉に目を見張る。

 思わず顔を上げ、彼女の方を見た。しのぶは天を仰ぎ、月を眺めている。

 

 胡蝶しのぶは独白する。

 

「私には姉がいました。前任の柱――花柱・胡蝶カナエ。とても綺麗で、いつも笑顔で。おっとりとしていて、誰にでも優しかった、自慢の姉でした。私は姉が大好きだった。子供の頃に両親を鬼に殺され、鬼殺隊に保護されてから、私達はずっと一緒に生きてきました」

 

 幼少の頃に親を亡くし、ふたりきりの家族になった姉妹。居場所を失った二人の、新たな居場所と向かうべき先は――聞くまでもないのだろう。何故ならば、しのぶはここにいるのだから。

 

 しかし、今のしのぶの隣には、誰もいない。

 

「自分達と同じ思いを他の人にさせたくない――と、その一心で私達姉妹は、鬼殺隊の剣士になる道を選びました。……両親を殺された私は、鬼を憎み、彼等を倒すことを目的としていました。ですが姉は、鬼を哀れんでいた。『人と鬼は仲良くできる』と、そう信じていました」

 

 人と鬼は仲良くできる? そんなことは有り得ない。

 

 人間には善人と悪人がいる。

 その悪人の中でも殊更に屑の中の屑であるどうしようもない奴――そういったものが鬼になるのだ。そういう奴でなければ、鬼舞辻無惨の血など受け入れない。順応しない。奴等は必ず、悉く地獄に落ちる定めだ。かつて鬼であった俺が言うのだから間違いない。

 

「考えが顔に出ていますよ、妓夫太郎君」

「………………………申し訳ありません」

 

 言い、俺は頭に巻いた頭巾を指で引いて顔を隠す。

 蝶屋敷に運び込まれた際、不衛生過ぎるということで俺の着物は処分されていた。今着ているのは西洋式の白い寝間着で、頭巾代わりに布を頭に巻いている。

 しのぶは気分を害した様子もなく、むしろ先程までよりも笑みを親しげなものに変えて、独白を続ける。

 

「実は私も妓夫太郎君と同じ考えなんです。鬼は平気で嘘を吐き、命を奪った責任も取らず、新たな犠牲者を生む。なのに可哀そうだなんて、とてもそんな風には思えなかった。それでも姉の鬼に対する態度は一貫していました。―――今際の際の、息を引き取るその瞬間まで」

「……殺されたん、ですね。鬼に」

「はい。その時、私は現場にはいなかった。姉の下に辿り着いた時には既に夜が明けていて、戦いは終わっていた。そして致命傷を負った姉が、息を引き取る間際に言ったんです」

 

 

 ―――しのぶ、鬼殺隊を辞めなさい。

 ―――貴方は頑張っているけれど。本当に、頑張っているけれど。多分しのぶは……。

 ―――普通の女の子の幸せを手に入れて、お婆さんになるまで生きて欲しいのよ。

 

 

「……………………」

「その時に私がどう答えたかは、今の私を見て頂ければ分かりますよね」

 

 両親だけでなく、最愛の姉まで鬼によって殺められた。ならばやるべきことは一つだろう。

 ……俺とそう変わらない年齢でありながら、姉と同じ柱にまでなるほど弛まぬ努力を重ねた少女。

 しのぶは肩に掛かる蝶の翅を模した羽織の袖を、慈しむように指先で撫でる。

 

「私は姉の仇を討つことを誓いました。頭から血を被ったような姿の鬼――姉の仇の鬼を、必ずこの手で倒したい。……実は私は、こう見えて根っからの復讐者なんです。だから、梅さんの気持ちが分かります。そして、私のような思いをしないで欲しいと願わずにはいられないんです」

 

 鬼が憎い気持ちに共感を。

 そして、肉親を失う哀しい連鎖に今度こそ打ち止めを。

 

 しのぶが本心から梅を案じている気持ちが、紡がれる声から伝わってきた。

 

 ……それにしても、なんという因果なのだろう。頭から血を被ったような姿の鬼――俺はきっと、その鬼が何者なのかを知っている。

 

「……だが。それでも俺は、アンタの姉と同じようにしか考えられない。妹が――梅が鬼殺隊に入るなんて有り得ない。アイツには普通の幸せを手に入れて欲しい」

「本人がそれを望んでいなくとも、ですか?」

「―――望んでいなくてもッ! ただ、健やかに生きて欲しいと……そう願うことの、何が悪いっていうんですか。願うだけなら、思うだけならッ、何も悪くはないじゃあねぇですか」

 

 妬むこと、僻むこと。祈ること、願うこと。

 

 他者の金、体、誇りを奪わなくとも。他者の幸福を妬み、身内が少しでもその恩恵を得られるよう願うことですら、それをするだけで悪なのだと咎められるのであれば。この世にはもう、俺の居場所なんてどこにもないよなぁ。

 

「……どちらにせよ今の俺には、なぁんにもできることなんかありはしない。どんなに願ったって、妹一人止めることすらできねぇんだよなぁあ」

 

 梅は既に旅立った。いつも俺から離れることを嫌がって泣いていた、あの梅がだ。自らの意思で剣を執り、鬼を倒すべく修行を始めた。きっとその意思は堅固だ。俺の手に負えるとは思えない。

 

 その事実がひたすら受け入れ難い。

 辛い。

 耐えられない。

 どうすればいいのか。それどころか、どうしたいのかすら分からない。

 

「―――いいえ。貴方が望むなら、梅さんを止められます。きっと、明日にでも」

 

 ……今、コイツは、なんと言った?

 

「それは、どういう」

「先程、鬼殺隊の長であるお館様から使いの鴉がきたんです。お館様は、貴方と直接お話がしたいと仰られています。何時お会いになるかは貴方が決めて良いとのことです、妓夫太郎君。……お館様は優しいお方ですから、梅さんの肉親である貴方が願えば、梅さんの修行を中断するよう采配して頂けるでしょうね」

「……………………」

「だから私は、その前に貴方とお話しをしておきたかったんです。私には、梅さんの気持ちが痛いほどよく分かりますから。鬼を憎む気持ち。もうこれ以上鬼に大切なものを奪われたくない気持ち。(あに)が一人傷付いているのに、何もできないで見ていることしかできない気持ち。……いつか一人になってしまうんじゃないかと、怖くなってしまう気持ち」

 

 滔々と語るしのぶの声を聞き、あることを思い知る。

 

 ―――ああ、そうか。

 

 俺は、俺が眠っていた半年間の梅の気持ちを。それよりもずっと前――家で独り、俺の帰りを待ち続けるあいつの気持ちを、ちっとも分かっていなかったのだ。考えたことすら、なかったなぁ。

 

「ですが妓夫太郎君。貴方がどんな選択をしても、私は貴方を尊重します。貴方達二人は鬼に襲われた被害者の方ですから、この屋敷に留まることに遠慮はいりません。―――だからどうか、どの道を選んでも健やかに生きてください。そうすればきっと、私にそうであって欲しいと願ってくれた姉の想いが、少しでも報われるんじゃないかと……そう思うんです」

 

 ―――それでは。

 

 月を背景に。ほんの少しだけ苦笑交じりの微笑みを浮かべて、蝶のように軽やかに、しのぶは来た時と同じく音もなく姿を消した。

 

 俺は無言で天を仰ぐ。

 

 雲一つない夜天に収まった白い月は、これ以上ないというくらいに綺麗だった。




【大正コソコソ噂話】
 妓夫太郎は自分が先天性の梅毒に罹っていることを自覚していたため、持病を梅に移してしまうなどで彼女が何らかの大病を患ってしまった場合を想定して医学に関する様々な書物を取り寄せて必死に学んでいました。その甲斐あってか独逸語や阿蘭陀語が読めるようです。

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