何度生まれ変わっても   作:ミズアメ

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第拾弐話 蟷螂の斧を胸に抱く

 千年前――政府非公認の鬼狩り組織である鬼殺隊を結成した一族、産屋敷。

 

 当然ながらその存在は鬼舞辻無惨にとって目障りでしかなく、不老不死の霊薬である『青い彼岸花』の捜索に加え、産屋敷一族の住処の探索及び根絶は上弦の鬼に課せられた至上命令だった。

 しかし前世においても、今世においても、この千年間――産屋敷の在り処を発見した鬼はいない。鬼殺隊は何度も壊滅の間際まで追い詰められてきたが、けれど決して滅びることなく、その度に次代へと技と想いを繋ぎ続けている。

 

 その刃は、百年間不動だった上弦の月を欠けさせるにまで至った。

 

 十二鬼月の一角、上弦の陸。

 前世において人を辞め鬼と化した俺と梅――上弦の鬼・妓夫太郎と堕姫を、奴等鬼狩りはたった四人だけの手勢で打ち倒したのだ。

 力の差は歴然であったにも関わらず、決して諦めず果敢に戦い、妓夫太郎(おれ)堕姫(いもうと)の頸を斬り落とした。

 

 弱くみっともない人間のどこにそんな力があったのか、今でも俺には分からない。

 

 けれど――もしかしたら。

 今日、それが分かるのではないだろうか。

 

 俺は『隠』に連れられ、鬼殺隊本部を訪れていた。

 蝶屋敷も立派な館だったが、この屋敷は更に輪をかけて立派だ。広い庭には隙間なく玉砂利が敷かれ、枝葉を手入れされた立派な樹木が並んでいる。鬼除けのためだろう、見える範囲にはないようだが、どうやら屋敷の至る所で藤の花が咲いているようだ。

 

 庭を一望できる陽光の差す部屋に通され、暫しの間正座して待つ。

 

 無礼のないよう、着物は新品と換えてあった。肌触りがよく、素人目にも上等な織物であることがよくわかる。まさかこんな代物に袖を通す機会がくるとは思わなかったなぁ。

 愛用の頭巾付きの羽織も新調してある。

 背中に黒い丸が六つ――星梅鉢と呼ばれる梅の花の紋が染め抜かれた、鮮やかな赤色の羽織。その下には輪っか状の濃い紅の飾り帯を、首に一本、両の二の腕に二本、両手首に一本ずつ絡ませた出で立ち。これが今の俺の一張羅だった。

 ……上等な着物を着た己の姿を鏡で見た時はの気持ちは、とても形容できない心地だった。そしてあの鬼の血の毒を受けた後遺症なのか、妹と揃いだった()の色が変わっているのに驚いた。返す返すも忌々しい鬼だったなぁ、あいつは。

 

 ―――それは兎も角。

 

 静かな足音が聞こえる。

 

 成人男性と、成人女性、それから童が二人。察するに、この男が鬼殺隊の当主だろう。覚束ないがそのこと自体に慣れている足音――なんらかの病で目、それに身体を悪くしているのか?

 この臭い。この足音。不思議な気配の肌触り。

 なんだ……なにか、覚えのある気配だ。確か蝶屋敷で寝ていた時に、ほとんど毎日のように屋敷を訪れていた誰か――それと同じ気配がする。同一人物か?

 

 気配はすぐそこまで――襖を隔てた向こう側までやってくる。

 

「お館様の―――」

「―――お成りです」

 

 まずよく似た童二人が襖を開けて、この屋敷の主の登場を告げた。

 俺は面を下げて平伏する。

 やはり目を悪くしているのか、男は御内儀と思しき女に連れ添われて入室した。童が襖を閉める。男は俺の対面に腰を下ろし、続いてそこから三歩離れた斜め後ろの位置に童と御内儀が座した。

 

 鬼殺隊九十七代目当主――産屋敷耀哉。

 

 鬼舞辻無惨が憎悪してならない敵が、目の前にいる。

 俺は平伏した姿勢のまま、そっと目の前の男の姿を盗み見る。そしてその瞬間――俺は驚愕に目を見張った。

 

 男の顔は、上半分の肌が火傷のように爛れている。眼も光を宿していない。屍に近い、仄かな死臭が漂っていた。如何にも死病を患った、死に体の男だ。

 だが、俺は、鬼殺隊の長が余命幾許もなさ気な病人であることに驚いたのではない。

 驚くべきはその面貌。恐らくは――もしこの男の顔に病による傷がない状態であれば、そこにある顔の造形は、鬼舞辻無惨と双子のように瓜二つだったのではないだろうか……?

 

「初めまして、妓夫太郎。私が鬼殺隊九十七代目当主、産屋敷耀哉。剣士(こども)達にお館様と呼ばれている者だ。もしよければ、君にもそう呼んで貰えると嬉しい」

「……は、あ。承知いたしました、お館様」

 

 呆けていた己を叱咤しつつ、慌てて頭を下げる。

 気分を害した様子もなく、産屋敷耀哉は仏のような笑みを口元に湛えたまま、口を開いた。

 

「君のことはしのぶから聞いているよ、妓夫太郎。私に頼みたいことがあるそうだね。私も君に聞きたいことがあるのだけれど、そちらはきっと直ぐに終わるだろうから。君の話を先に聞かせてはくれないかな。……私にできる範囲でのことならいいんだが」

 

 奇妙な感覚だ。

 この人の声を聞いていると、頭の芯が痺れて熱くなる。

 

「……では、憚りながら。甘露寺蜜璃様の下にいる俺の妹――謝花梅の修行を、即刻取りやめるよう便宜を計って頂きたいのですが」

「大切な肉親を鬼に傷付けられ、奪われることを怖れているんだね、妓夫太郎。分かった。では出来るだけ早く梅が君の下へ戻ってこられるよう、蜜璃に使いの鴉を送ろうか。そして君達兄妹が蝶屋敷で暮らすことも容認しよう。―――……ただね、妓夫太郎」

 

 最後に諭すような語調で名を呼ばれ、すかさず拍子抜けしそうになった心を締め直す。

 何か無理難題を言われるのだろうか。

 妹の安全の代価のため、代わりに俺が鬼殺隊の剣士にならなければならない――という条件を提示されるのであれば、まあ受け入れられるが。

 

 しかし産屋敷が告げたのは、どうしようもない()()だった。

 

「必ずしもここが安全とは限らない。鬼舞辻は絶えず私の命を狙い、居場所を探っている。それでなくとも、彼はこの国の各地で今も鬼を増やし続けているからね。……本当の意味で鬼の脅威に晒されない場所や隠れ家というものは、何処にも存在しないんだよ、妓夫太郎」

 

 そうだ。その通りだ。

 

 産屋敷の言葉を切っ掛けに、直視を避けていた事実が頭に浮かぶ。

 俺達兄妹は、前世においては鬼舞辻無惨に助けられた。けれどその果てに鬼狩りによって頸を断たれたことで、鬼になったところで幸福な未来など有り得ないのだと身を以って知った。

 

 そして――今世では、どうだ?

 

 他人を妬む性根はそのままに、けれど無用に取り立てることはしなかった。敵もいたが、その分だけ味方もいた。俺にできる努力は全てやった。その結果として梅を上等な貸座敷に入れるという念願が叶い、アイツは真っ当な花魁として生きその天寿を全うする――その筈だった。

 

 その未来を壊したのはなんだ?

 

 あの遊女――蕨姫。あいつは梅を嫌い虐げていたが、しかし俺の妹はその程度の障害でへこたれたりしない。にも関わらず、梅の真っ当な花魁としての未来は、あの女によって閉ざされた。

 今までは、それが全て俺のせいなのだと思っていた。いや、必死に言い聞かせていたのだ。

 

 だが、その本当の原因は―――

 

「―――鬼舞辻無惨。彼を倒さない限り、この国に平穏は有り得ない。君の妹も含め、誰もが皆、鬼に襲われその犠牲となってしまう可能性を持っているんだ」

 

 その宣告は、死刑を告げられたに等しいものとして俺の骨身に沁みた。

 固く拳を握り締める。

 鬼舞辻無惨。前世では俺と梅の命を救い、上弦の鬼にまで取り立てて下さったあの方が――今世では、妹の未来を踏み躙るのか。ただの有り触れた幸福すら、夢に見ることも叶わないのか。

 

 ……………………。

 

「私が君に会いに来て貰ったのはね、君に聞きたいことがあるからなんだ」

 

 平伏したまま黙していると、産屋敷が穏やかに言った。

 そういえば最初にそんなことを言っていたような気がする。だがどうでもよかった。これからのことを考えるだけで頭痛がする。吐き気がする。梅をどうするのが最善なのだろう。鬼殺隊で戦う方法を学べばそれだけ鬼に殺され難くはなるが、しかしどれだけ鍛えた所で鬼には――十二鬼月や鬼舞辻無惨に敵う筈が―――

 

「―――君は、鬼舞辻無惨と遭遇しているね。そして、彼の擬態を見分ける何らかの能力を持っている」

「なぜそれを……ッ!」

 

 反射的に面を上げ、口から驚愕が突いて出た。

 遅れて己の失策を悟る。今のは肯定するべきではなかった。いや何故そう思うんだ、俺は鬼殺隊の厄介になっている身だ役に立つ情報を喋ることは悪いことでは、しかしそんなことを喋ってしまっては無惨様に―――――いや、いやいやいや、落ち着けよなぁ俺!

 

「混乱しているようだね。それじゃあ、なぜ私が君が鬼舞辻の擬態を見分けることが出来ると確信したのか。そのことについて、順を追って説明しよう」

 

 産屋敷の、光を宿さぬ双眸から目を離せない。

 彼の声は魔力のようなものを伴って、俺の耳にするりと入ってくる。

 

「吉原に人喰い鬼が現れ、行方不明者が発生しているという噂を耳にした。

 でも、その時点では失踪者はおらず、鬼の存在も確認できなかった。けれどそれ自体はよくあることなんだ。鬼の話は狂言や怪談などにうってつけだからね。けれど本当にいないのかどうかを調べるのも我々鬼殺隊の仕事だから、私は吉原に子供達を派遣した。―――そして、丁度その直後に『京極屋』の虐殺と、羅生門河岸での火事。つまり、鬼による事件が二件発生したとの報告を受けた。その時、私は確信した。吉原の内外に流れた人喰い鬼の噂は、我々鬼殺隊に助けを求める声だったのだと」

 

 産屋敷は続ける。

 

「そしてそれを裏付けるように、『隠』の子から火事の現場から逃げる、身体能力の高い子供を目撃したとの報告があった。その子達は吉原で有名な兄妹で、特に兄の方は、鬼の事件が起こるよりも前に、自分の部下達に人喰い鬼の噂を流行らせるよう指示を出し、自身は妹と共に自宅に籠城していたという証言があった。私はその二人の子供を必ず保護しなければならないと判断し、柱である杏寿郎と蜜璃を吉原に派遣した」

 

 一旦言葉を切ってから、産屋敷は優し気に――仏像の如き柔らかな笑みを湛えて尋ねる。

 

「―――だから妓夫太郎、聞かせてはくれないかな。君はどうして鬼の出現を予期できたのかを。もしかして君は、鬼舞辻無惨が何かの目的で吉原を訪れたことを、知っていたのではないかい?」

 

 その時――訳の分からないことを叫び出したい衝動に駆られた。

 

 怖い。

 

 鬼舞辻無惨のそれとも、胡蝶しのぶのそれとも異なる怖ろしさを感じる。俺の行動が浅慮且つ迂闊であったことを加味しても、この男は間違いなくただものではない。

 

 これが産屋敷耀哉――お館様なのか。

 

 気が付けば、俺は全てを喋っていた。

 

 鬼舞辻無惨のこと。

 十二鬼月――特に上弦の鬼のこと。

 

 前世でのろくでもない人生のこと。

 当時の上弦の陸と出会い、血を与えられて妹共々延命できたこと。

 後に鬼舞辻無惨と引き合わされ、正式に鬼になったこと。

 たくさんの人間を殺して喰ったこと。

 たくさんの鬼殺隊士を殺して喰ったこと。

 たくさんの柱を殺して喰らい、上弦の陸に数えられたこと。

 四人の鬼殺隊士と一人の鬼によって、頸を斬られ死んだこと。

 地獄に落ち、数えられないほど永い間業火に焼かれる苦痛を耐え続けたこと。

 

 そして――輪廻転生によって、この大正の時代に生を受けたこと。

 

 ……馬鹿なことをしていると、自分でも思う。こんな話、きっと誰も信じないだろう。与太話だと思う筈だ。むしろ狂人の戯言だと一蹴された方が楽になるかもしれない。

 

 しかし、産屋敷は真摯に頷いた。

 

「やはり鬼舞辻無惨は永遠を望んでいるんだね。そのために『青い彼岸花』という薬を探している。それに十二鬼月とは別枠の鬼舞辻の側近・琵琶鬼と、その血鬼術“無限城”の存在。そして後に上弦の鬼を倒すことになる、鬼になった妹を連れた鬼殺隊士か。これは、我々鬼殺隊にとってとても有益な情報だ。ありがとう、妓夫太郎」

 

 ―――全く疑っていない。

 

 産屋敷は、本当に俺の言葉を信じていた。

 この男はずっと、慈愛に満ちた表情をこちらに向けている。その面貌に(かげ)りはなく、また偽りもない。それこそ我が子を見守るような面持ちで、産屋敷は俺の言葉を聞いていた。

 

「……何故。何故、信じられんだ。こんな話を。話している俺自身ですら、与太話としか思えないってのになぁ」

 

 問わずにはいられなかった。取り繕うことすら忘れていた。

 対して産屋敷は、やはり仏の如き穏やかな微笑みを湛えて口を開く。

 

「君の話は、私が知り得る鬼舞辻無惨と、十二鬼月の情報と符合するものが多いからね。特に先代の柱であったカナエの仇である上弦の鬼の証言は、ぴたりと一致する。……それに、私達産屋敷の家系は代々信心深いから。産屋敷の一族から鬼が――鬼舞辻無惨を世に出したことによってこの血は祟られ、体が弱く大病を患う子供が生まれるようになった。神主の助言で代々神職の妻を娶るようになったが、それでも三十年と生きられない。そして私自身、余命幾許もない。だからこそ、この身が死を迎えた時、その魂は既に亡くなった鬼殺隊(こども)達と同じ黄泉の国へ逝くと私は信じている」

 

 胸に手を当て、産屋敷は言う。その顔は正しく仏――死人の顔だった。

 

「―――……なら、俺が鬼だったことはどう考えてんだ。俺は他人の幸福を妬み、許さず、鬼と化してからは数えきれないほどの人間を喰らってきた。その中には、アンタの言う所の子供達も含まれてる! 俺は百年間、鬼狩りを何百人と殺して喰ってきた。柱だって十五人は喰った! だっていうのに、何故、そんな顔を俺に向けることができるんだ! なあッ!?」

 

 喉から出る声は最早悲鳴に近い。

 答えを知りたいと切望しつつも、その一方でこのお方に拒絶されることに対し強烈な恐怖を覚える。梅以外に何もない俺には、初めての感情だった。

 しかしそんな俺の内心の心配など知らぬまま、産屋敷は、恐らくは俺が最も望んでいただろう答えを口にする。

 

「君は地獄に落ち、業火に焼かれてその罪を(あがな)った。そして地獄から解き放たれ、輪廻を巡り、この世に人として生まれた。ということは、君の罪は赦されたのだと私は思う。だから君に対する憎しみは、私の中にはない。それに、まだ少し話をしただけだけれど、私は君のことをとても好ましいと感じているからね」

 

 ―――私の子供達同様、本当の子供のように愛おしく思っているよ、妓夫太郎。

 

 そう優しく語りかけられた瞬間、俺は泣いた。

 嗚咽は漏れず、鼻水も出ない。ただ、次から次へと頬を涙が伝い落ちていった。初めて梅の手料理を食べた時と同じ感情が胸の中で渦を巻いて、決して止まらず涙となって溢れ出る。

 

 梅以外の人間から好意を伝えられたのは、これが初めてのことだった。

 

 普通の家庭で育ったなら誰もが知っているもの。生まれる前から何度も殺されかけ、生まれた後も何度も殺されかかった俺には、決して知る由もなかった想い。

 

 愛される喜び。

 ああ――これが親か。父というものなのか。

 

 この時、俺の歩むべき道は決まった。

 ―――いつかと同じ誓いを立てる。

 俺は妓夫だ。人の命を奪う鬼共を滅殺し、その命で以って代価を取り立て悪鬼羅刹を地獄に落とす。地獄の獄卒・()頭鬼の如き――名前通りの()()太郎になる。

 

「―――お館様、先程の無礼をお許しください。そして梅の修行を中断させたいという願い、これを取り止めさせて貰えやしませんか。そして叶うことなら、俺に誰か、育手をご紹介賜りたく願います」

「それは鬼殺の剣士になりたい、ということかな」

「はい。俺は必ずや育手の下で鬼殺の技を修得し、最終選抜を突破して鬼殺隊に入隊してみせます。そして鬼を、十二鬼月を――鬼舞辻無惨を、この手で地獄へ叩き落とす」

 

 固く拳を握り締めて、力強く宣言する。

 産屋敷――お館様は、変わらぬ慈愛に満ちた微笑みで頷いて下さった。

 

「分かった。丁度君に会いたがっている子がいるから、その子の下で修業に励めるよう取り計らおう。期待しているよ、妓夫太郎」

「―――――はい!」

 

 再び平伏して力強く応答する。

 

 この方の下で戦おう。梅と共に剣を振るい、最も身近な所でその身を護ろう。そして鬼舞辻無惨を倒し、今度こそあいつが人としての幸福を得られるように尽力しよう。

 

 この方の下でならきっとできると――そう願う。

 

 童と御内儀に支えられ、付き添われ、お館様が退室する。俺は頭を下げたまま、彼を見送った。

 襖が閉ざされる直前に、お館様が告げる。

 

「―――最後に一つ。妓夫太郎、高熱が続いているという君の体調と、そして顔と体の痣。君はそれを嫌っているようだけれど。もしかしたらそれは、鬼殺隊にとっての吉兆なのかもしれないよ」

 

 その言葉の意味は、全く分からなかった。




【大正コソコソ噂話】
 この時点で妓夫太郎のお館様に対する忠誠心は柱並みらしいです。

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