何度生まれ変わっても 作:ミズアメ
目が覚めた時、視界に入ったのは見慣れた天井だった。
半年間世話になった煉獄邸――千寿郎と共同で寝起きしている一室。どうやら俺は、そこに寝かされているようだった。
朝ではない。
襖の向こうから感じる気配は午後の熱気。当に昼餉の時間は過ぎていると思しい。
「あ――目が覚められましたか、妓夫太郎さん」
こちらを覗き込む千寿郎。気弱な性質でありながら、兄同様にその目力は凄まじい。
おはようございます、と間の抜けた返事をしかけた所で、唐突に俺は気を失う直前の出来事を思い出した。
腕を使い、上体を起こす。体の節々が酷く痛んだ。
「痛……気絶、してたのか」
ひとりごちると、千寿郎が頷いた。
「はい。妓夫太郎さんは兄と木剣での稽古をしていて、顎を打たれた際に脳震盪を起こしたのだと思います。他にも全身打撲だらけですから、今日は安静にしているようにと、兄が」
「……分かった。承知いたしましたよ、と」
まだ体を動かし足りないのだが、師範からの指示であれば是非もないよなぁ。
再び布団に横たわり、枕に頭を預ける。
全身の傷に意識を集中し、呼吸法にて腫れた部分の血の巡りを落ち着ける。血管が破れ内出血を起こしている箇所は血鬼術で対処、血液が破断した血管から漏れないように操作する。休むこともまた鍛錬――杏寿郎師範の教えだ。
「…………」
「…………」
互いに無言のまま時が過ぎる。
聞こえるものといえば、俺の呼吸音のみ。
……なんか気まずいなぁ。
沈黙が痛い。こっそりと千寿郎の様子を盗み見てみると、俺の隣に正座した状態のまま不動を貫いていた。俯き気味で、こちらからではその表情は伺えない。
「あの、妓夫太郎さんは……」
不意に、千寿郎が口を開いた。
千寿郎は何かを言おうと苦心している様子だったが、しかし、結局それが形になることはなく。俺の腹の虫が蠕動する音によって掻き消される形で、会話の機は霧散した。
穴があったら入りてぇなぁ。
誰か埋めてくれねぇかなぁ。
「……申し訳ありません」
「いえ。とても激しい稽古でしたから、しょうがないですよ。握り飯とお茶を用意してきますから、少し待っていてください」
普段通りの気弱な、けれどもそれ以上に心優しい笑みを湛えて、千寿郎は部屋を出る。その後ろ姿を見送ってから、俺は全身から力を抜いた。
深く息を吐き出し、気絶する前のことを客観的に分析する。
こちらは本気で挑んでいたというのに、結局俺は一本も取ることができなかった。しかも俺は炎の呼吸法の剣技――その動きや杏寿郎の癖を予め知っていたにも関わらずだ。
俺よりも現役の柱である杏寿郎の方が強いのは当たり前だ。けれどもこの屋敷に来て鍛錬を始めてから、身体能力や戦術眼の差は日に日に縮まっている。あと一歩の所まで来ているという確信があった。なのにこちらの攻撃は完全に防がれ、勝つどころか一本も取れない。
鬼だった頃――前世で俺が殺した柱は十五、堕姫が七、合計で二十二。
最後に戦った柱を加えれば刃を交えた柱の数は二十三。あの派手な柱、アイツはそれまでに戦ったどの柱よりも強かった。それ故に選ばれし才能があると妬んだが、当人はそんな筈があるかと吐き捨てた。
今ならば分かる。
まだ全ての柱と会った訳ではないが――今代の柱は皆強い。その中でも、特に煉獄杏寿郎には抜きんでたものがあるように思える。鬼だとか人だとか、そういう理屈というか次元を超えた何かがあるような気がしてならないのだ。
それがなんなのか、俺には全く分からない。
「くそ――悔しいなぁ」
右手を顔の上に置き、呟きと共に溜息を零す。
俺には、既に――己の力の限界が見えつつあった。
* * *
翌日――修業は最終段階に入ることを告げられた。
絡繰屋敷の最奥――道場を思わせる広々とした空間。板張りの床は一畳分の縁を残して四角く切り取られており、その下の地面が剥き出しになっている。
道場の真ん中には、脈絡なく一本の杉の樹が生えている。
杉の樹は成木だがやや小振り。土の状態からして、他の地である程度成長したものを極最近ここに移したと思しい。神木なのか、青々と茂る枝葉の影になった幹には、紙垂のついた注連縄が巻かれている。
俺と杏寿郎は杉の樹の下、正座で向かい合っている。
今日は千寿郎の姿はない。
杏寿郎は普段通りに太陽のような眼を見開いて、
「謝花少年――この半年間で君は見違えるほど成長した! こと炎の呼吸に関しては、俺が教えることはもう何もない! 君ならば問題なく最終選別を突破できるだろう! しかし――君の師として、俺はまだ君に最終選別へ挑む許可を出すことは出来ない!」
「そいつは、一体どういう意味ですかい、杏寿郎師範」
「うむ、では単刀直入に言おう! 謝花少年――もし君の目の前に上弦の鬼や鬼舞辻無惨が現れたとして、奴等に鬼になれと誘われた場合。君はどう答える?」
………………………………………………………………。
「即断即答が出来ない時点で、君を鬼殺の剣士として送り出すような采配を下すことは出来ない。俺自身の腹を切ることは惜しくはない。だが、君が無辜の人々を手に掛けてしまう可能性があるのなら、その芽は摘まねばならない。俺の言っていることは解るな、謝花少年」
「……はい」
俺は妹を護り、幸福にできるのならそれでいい。それが俺の目的だ。だが、逆を言うのなら――もしも上弦の鬼や鬼舞辻無惨から、それが叶うだけの力を与えた上で、例外的に妹を傍に置き続けてもいい、という措置を取ると言われたなら。その時にどんな選択をするか、俺には分からない。
無論、素直に頷くはずもない。飢餓状態に陥った鬼は平気で身内を喰い殺すのだ。それを理解していて鬼になろうという気は毛頭ない。それでも―――
もしも、というのは有り得る。
己の命は惜しくはない。どうなろうとどうでもいい。しかし妹の命は別だ。梅の生殺与奪の権を握られている状態での交換条件――あるいはそれに類する状況であれば、頷かざるをえない。
もっとも、鬼側にとって俺にそれほどの価値があるのなら、の話ではあるが。
どちらにせよ、絶対に頷かない、とまでは言えない。それほどの自信は、俺にはない。
「君は人でありながら、鬼の道を進もうとしている。力を渇望すること――それ自体は剣士として恥ずべきことではない。しかし、鬼になってはいけない。そのままでは、君の望む強さは得られない。君は人の道を歩み、人のまま強くなるべきだ、謝花少年」
言い切ると、杏寿郎は立ち上がった。
神木の下、一切の曇りなき眼で杏寿郎は俺を見下ろして告げる。
「この樹は
力強く杏寿郎は宣言する。それは激励であったのだろうが、あまりにも荷が勝ち過ぎていた。
俯いたまま硬直する。
気が付けば、杏寿郎は目の前にいなかった。余程長い時を呆けていたらしい。
俺は傍らの刀を掴み、無言で立ち上がった。
鯉口を切り、鞘から白刃を晒す。抜いた刀の刃渡りは二尺四寸。理論上はあの樹の幹を両断できるだろう。しかし根ごと斬り抉るというのは不可能だ。刀でできることではないし、人間に可能なことでもない。それこそ鬼にならなければできる筈がない。
俺は片足を半歩退げ、右肩に刀を担ぐ上段の構えを取る。
陰陽杉を前にして、刀を構えたまま固まる。ぴくりとも動けない。まるで彫像にでもなったような気分だ。
結局――挑むことすらできず、俺は刀を下した。
* * *
千寿郎と二人、無心で鍛錬を繰り返す。
現在、杏寿郎師範は煉獄邸にいない。
鬼殺隊本部から鬼狩りの指令が下ったため、「鍛錬は一日にして成らず! 俺がいない間も千寿郎と共に励むといい、謝花少年!」と言って颯爽と任務に行ってしまった。
千寿郎と手合わせの稽古をしたことはない。
恐らくは――そんなことをしても互いに得るものはないだろうという、漠然とした共通の認識があるからだ。
きっと俺と千寿郎は同じものが足りていない。
だからこそ、剣を交えることにも意味がない。
意味もなく月日が過ぎていく。
この状況を打開しようと、千寿郎と共に足掻いたこともあった。歴代の炎柱が遺したという手記や、いつか杏寿郎が読んだと言っていた、炎の呼吸の指南書を読めば活路を見出せるのではないかと期待した。けれど、それも徒労に終わった。
炎柱の手記は破かれていて読めなかった。
炎の呼吸の指南書は読める状態だったが、その内容は『闘気』という単語で定義された謎の概念に纏わる内容が多分を占めており、はっきり言って理解できなかった。徒に杏寿郎師範の偉大さを思い知らされただけに終わった。
最早、これまでに教わった鍛錬法を繰り返す以外になにをすればいいのか分からなかった。
―――そんなある日。
「兜割り、という修行法があるそうなのですが、妓夫太郎さんはご存じでしょうか?」
歴代炎柱の手記を修復する過程でなんらかの知識を拾ってきたのだろう。やや唐突に、千寿郎は水を向けてきた。
「いいえ。刀で兜を両断する修行なんですかい? そいつは」
千寿郎と共同で使用している部屋で茶を啜りつつ、尋ねる。
兜は刀で斬れるものではない。
そもそも頭部への攻撃を防ぐための代物なのだ。鋼で編まれた鎧を真っ向から斬り裂ける者など存在しない。もしもそんな者が実在するとすれば、やはりそれはもう人間ではないだろう。
「名目上はそうなのですが、聞いた話によると、ある種の精神修行に近いものだと思います。この鍛錬の真の目的は『自分はただの人間に過ぎない』ことを自覚させることにあるのだとか。なので師に不可能であることを自分から認めると、それで達成したことになるそうですよ」
「……なるほどなぁ」
千寿郎と共にお茶請けを口にしながら渋い茶を啜り、頷く。
蝶屋敷で薬湯ばかり飲んでいたからか。甘い玉露よりも、こちらの煎茶の方が個人的に好みだ。これが餡子などの甘味をより一層引き立てて、とても合うんだよなぁ。
「だけどなぁ、やはり杏寿郎師範の場合は、実際に樹を抉り斬らない限り認められないかと思いますぜ」
「……ですよ、ね。自分で話を振っておいてなんなのですが、僕もそう思います」
鍛錬の間に挟んだ、穏やかな休息の一時。
そんな時に茶菓子を食べながらこんな話に興じるとは、以前の俺では考えられなかったことだ。人並みの道徳や処世術を身に着ける度に、やはり俺は弱くなっている。
結局――どうすればいいのか答えを出せないまま、一年が経とうとしている。
梅が最終選抜に挑む期日が、間もなくまで迫っていた。