何度生まれ変わっても   作:ミズアメ

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第拾漆話 鬼の足下で藻掻く

 恐らく、千寿郎の推測は正しい。

 

 兜割りと同様、剣士の精神をこそ鍛えることを目的とした禅問答じみた修行法。それこそが杏寿郎から言い渡された最終課題の本質だ。でなければ、樹を倒せと言い渡す直前にあのような問いを投げてくるはずがない。

 

 確かに人の身でそれだけのことができるようになれば、鬼になろうなどという気の迷いを起こすこともないだろう。だがやはり――前提として、それは本当に人間にできることなのか。

 

「…………」

 

 草木も眠る丑三つ時、陰陽杉の御前で座禅を組む。

 

 これが精神修行の一環であると確信してから――俺はこうして、夜毎に寝床から抜け出して、独り瞑想に耽っていた。

 昼間は鍛錬で肺を酷使していることから、夜はゆっくりと、指先まで空気を巡らせるよう意識して深く呼吸する。全身を巡る血は炎のように熱い。相変わらず高熱が続いているので蝶屋敷の皆には心配をかけているのだが、その反面、肉体の調子は極めて快調だ。

 

 静かな夜。

 

 道場を照らすのは、壁際に等間隔に配置された燭台に灯る蝋燭の明かりのみ。

 

 目を閉じて、道場の中央に居座る神樹に意識を集中させる。そこには通常の木が発するような生物的な気配は一切存在せず、ただ厳かな神気を感じるのみだ。

 

 これが精神修行の類であると確信した理由は、千寿郎との何気ない世間話に端を発する。

 

 千寿郎に曰く、この陰陽杉という樹は本当に御神木であるらしい。

 

 元々はどこかの廃れた寺だか神社だかで祭られていた御神体で、ある種の精霊のようなものが宿っているのだと聞いている。そしてその精霊は対峙した者の心の影とでもいうべきものを現実に映し出し、なにがしかの試練を与えるという伝承があるそうだ。

 

 俄かには信じ難い話である。

 しかし――俺は、その馬鹿げた御伽噺を信じていた。

 

『―――――うぅううん』

 

 樹のあった方から、凄まじい邪気を察知する。

 瞼を開く。

 道場の内装に変化はない。ただ、陰陽杉だけが綺麗さっぱりなくなっていて。その代わりに、樹があった筈の場所に一匹の鬼が蹲っていた。

 

 二本の足で立ち上がる。腕が地に垂れるほどだらりと上体を倒したままで。

 柳の下に現れるという怪談よりも、より一層悍ましい存在。痩せ細っていながら、異様に筋肉の発達した異常な体型。幽鬼のように佇むソレの姿は、餓鬼道に堕ちた悪鬼か、あるいは地獄から這い上がった亡者の類に違いなかった。

 

 鬼が顔を上げる。

 

 その面貌は俺と全く同一。けれどその差異は如実。血を零したような斑の痣が目立つ肌を掻き毟りながら、鬼は俺を見下ろして怨念を吐く。

 

『いいなぁあ、お前。いいなぁあ』

 

 須らく死者とは生者を妬み僻むもの。その口から吐き出される呪詛など、聞くまでもなく内容が知れる。

 

『病の臭いも蚤の臭いもしねぇんだなぁ。肌には痣はあるがシミも傷もねぇんだなぁ。何より歯並びが綺麗だなぁ。それに肉付きもいいなぁ。さぞかし良いものをたらふく食ってるんだろうなぁ。俺は何喰っても太れねぇのになぁ。着てる着物も上等だなぁ。毎日洗濯して貰って、風呂に入って清潔にしてんだなぁ。おまけに寝る時はきちんと雨風凌げる場所で、暖かい布団を敷いて寝てるんだろうなぁ。それに目ん玉が真っ白いのもいいなぁ。俺の眼は膿みたいに黄色く濁ってるからなぁ。それでその()――綺麗な紅色だなぁ。あのお方にそっくりな紅梅色だ。いいなぁ、いいなぁあ。妬ましいなぁ、妬ましいなぁあ、死んでくれねぇかなぁぁあああああああ』

 

 黒ずんだ爪が皮膚を破り、血肉を掻き出す。

 尋常ではない悪意。害意。そして殺気。鬼は――(おれ)は本気で(おれ)を妬み、僻み、尽きることのない怨念を向けている。

 

 俺は傍らの刀を手に取り、腰を上げる。

 

 鬼の両手には異形の得物が一振りずつ。血鬼術“血鎌”――自らの骨を柄に、血と肉で刃を形成した猛毒の鎌だ。

 

 ……こうして対面するのは何度目だろうか。

 

 深夜に陰陽杉の前で瞑想していると、時折こうして樹と入れ替わるように現れる鬼。俺は既にコイツと何度も刃を交えていた。

 

 コイツが一体なんなのか、それは分からない。

 しかしコイツを初めて目にしたその時から、俺は誰に言われるまでもなく確信していた。

 

 ―――俺は、必ずこの(おれ)を倒さなければならない。絶対に。

 

 悪意には悪意を、害意には害意を、殺意には殺意を返す。

 刀の柄を握り、白刃を外気に晒す。月光のような刃が露わになった。俺は刀を頭上にまで持ち上げる大上段の構えを取り、名乗りやらの礼節などは一切無視して、鬼へ一気に肉薄する。

 

 炎の呼吸・蟲ノ型参ノ段――“蜘蛛(ちしゅう)”。

 

 技は、間合いを詰める疾走から始まっている。

 理念は“懸り打ち”に同じ。全速の疾駆でありながら歩幅に緩急をつけることによって、相手に間合いを誤認させて体を固めるよう仕向けるか、逆に攻撃を空振りするかさせ、先の後か後の先の勝機を取ることを目的としている。

 これで間抜けが釣れたなら万々歳。即座に斬って捨てる。しかし、そうでない場合には―――

 

『シ―――!』

 

 相手は(おれ)だ。当然、こちらの幻惑には騙されない。決して間合いを見誤ることなく、右の鎌を横薙ぎに振るう。

 しかし、その攻撃は俺には当たらない。

 歩法で相手を騙せなかった場合、俺は跳ぶ。疾走の勢いのままに相手の頭上まで跳び上がって攻撃を回避、そして空宙にて車輪の如く前転する形で、相手の後方から無防備な頸に刃を叩き込む。

 これこそが糸を使わぬ地蜘蛛の狩り技。彼の蟲の瞬発力を上回るものなど自然界には存在しない。

 

 後の先の勝機。

 獲った――という確信が、喧しい警鐘によって塗り潰される。

 

『馬鹿が。そんな大道芸で、(おれ)の頸が斬れる訳ねぇからなぁああ』

 

 相手の得物は二つ。右は空ぶっているが、しかし左が残っている。

 振り向きざまに襲いくる左の血鎌。それは技とは呼べない、まるで飛んできた虫を払うような簡素な動作だ。にも関わらず、俺の全体重を乗せた渾身の一刀は呆気なく弾かれてしまう。

 

 空中では態勢を立て直せない。

 弾かれた刃はもう振り下ろせない。

 

 物理法則に縛られ、空中で停滞する俺の肉体。一瞬でしかない短すぎる間――けれどそれは、どうしようもないほどに致命的な隙だった。

 瞬き一つの内に俺の懐まで潜り込む鬼。まだ地面が遠い。

 右の鎌が、返す刃で振るわれる。鋭い鋒が俺の(おとがい)に突き刺さった。ぞっとする怖気と灼熱が、舌を貫いて口内にまで入り込む。更に鬼が左手に持つ血鎌が、ついでとばかりに嫌な音を立てて、俺の脇腹に根元まで刺し込まれた。

 

「ぐ―――ガッ、ガァァアアアアアアア!」

 

 痛みなど知るものか、毒など知ったことか。

 顎と腹に全身全霊の力を込めて鎌を封じ込める。同時に、刀を振るための()()を確保。となれば、後は今度こそ頸を斬るべく刃を振り下ろすのみ。

 ただ気合のみを振り絞り、刀を鬼の頸に叩き付ける。斬れない。一切の負傷も、己の限界をも無視して、無理やりにでも刃を押し込む。しかし斬れない。斬れない。斬れない……!

 

『気張った所で無理に決まってっからなぁ。(おれ)の頸を斬るなんて、お前みたいな腑抜けにできる筈ねぇんだよなぁあ』

 

 顎から刃が引き抜かれる。それと同時に、胸で衝撃が爆ぜた。

 激痛で混乱する肉体を他所に、単に蹴りを入れられただけだろう、と脳の冷静な部分が状況を告げている。

 天地が分からない。ごろごろと剥き出しの土の上を転がる。

 途中で建材の柱にでもぶつかったのか。三半規管が役割を思い出し、正しい上下を知覚する。ならばすぐさま起き上がって刀を構え斬りかかるべきだ――と理解しているのだが。喉の奥から血が溢れてきて止まらず、立ち上がることができなかった。

 

 内臓が傷ついてるなぁ、と他人事のように思う。

 

『何を勘違いしてるか知らねぇけどなぁああ。お前はあの額に痣のある鬼狩りや、暑苦しい柱の野郎とは違うからなぁ。お前は虫けらだ。ボンクラ。のろまの腑抜け。妹一人護れねぇ、ただの役立たずだ。そんなお前に俺の頸が斬れる訳がねぇ。どんなに必死に挑んだって、無意味だからなぁあ』

 

 目前にまで歩み寄る悪鬼。悪意に満ちた卑しい目が、俺を見下ろしている。

 

『人間が鬼に敵う訳がねぇ。(おまえ)じゃあ、(おれ)には絶対に勝てやしねぇからなぁああ!』

 

 黙れ――黙れ、黙れ黙れ黙れ黙れ! 黙れよなぁお前ッ!

 

 最早考えることすら放棄する。俺は発条仕掛けの絡繰りのように体を跳ね起こして、勢いに任せ鬼の頸に刃を振るう。

 力が足りないのならその差を埋めろ。

 血を燃やせ。

 命を燃やせ。

 そうすれば届くはずだ。どれほど絶望的な差があったとしても、必ず届く筈だ。前世で俺の頸を斬った、あの鬼狩り共のように! それで届かないのなら、それこそ死ぬしかねぇからなぁあ!

 

 炎の呼吸・蟲ノ型陸ノ段――“雀蜂(じゃくほう)”。

 炎の呼吸・蟲ノ型肆ノ段――“蚯蚓(きゅういん)”。

 炎の呼吸・蟲ノ型参ノ段――“蜘蛛(ちしゅう)”。

 

 炎の呼吸・蟲ノ型(はじめ)ノ段――“蟷螂(とうろう)”。

 

 頸を狙った四段の連続攻撃。死角から頸を両断する筈の一刀は、しかしその(ことごと)くが皮膚の一枚すら斬れずに終わる。その一方で、返す刃で振るわれる鬼の斬撃は、俺の四肢を豆腐も同然に切り裂いた。なんて硬さだ。不公平だろうが。どうなってんだ。こんなのおかしいだろうが。なぁあ?

 

「ぐ―――」

『みっともねぇなぁ。お前、本当にみっともねぇなぁああ』

 

 目に見えないほど高速で振るわれた血鎌の一閃が、俺の頸を切り裂く。噴水みたいに、傷口から勢いよく血が噴き出した。

 急速に意識が遠くなる。無間の地獄に落ちていく。

 

 これが鬼の強さなのか。これが(おれ)の強さなのか。

 こんなに人は弱いのか。こんなに(おれ)は弱いのか。

 

 それなら――コイツの言う通り、どんなに努力したって、意味なんかないよなぁ。

 

 地面に蹲って、目の前に立つ(おれ)の姿を見上げる。

 (おれ)を見下ろす(おれ)の目は、どういう訳か――悪意でなく、憐憫に満ちていた。何故(おまえ)がそんな目で(おれ)を見るのか分からない。ただただ、その目が癪に障った。

 

 俺と同じ顔の鬼が、俺の目とは違う色をした目で俺を見下ろしている。

 

 やめろ。やめろ。やめろ。

 妹と同じ碧い色の目で、俺を見下ろしたりすんじゃねぇよなぁああ……ッ!

 

 * * *

 

 強烈な痛みで目が覚める。

 

 あまりの痛みに叫ぶことすらできず、その場に崩れ落ちる。喉と顎と腹と、それから手足の至る所が斬られたように痛んだ。

 必死で痛む箇所をまさぐる。

 出血はない。しかし、どこも手酷く腫れている。皮膚の下の血管だけが、分厚い刃物で斬られたかのように破断していた。

 

 恐らく……これは、血鬼術の暴走。

 

 瞑想中に現れる鬼。その存在は俺が生み出した幻か、それとも御神木の精霊とやらなのか、その正体は不明だ。しかしアイツから負わされた傷は、全て現実のものとして脳が処理するらしい。その結果として体内の血が暴走し、内側から血管と神経を傷つけたのだ。

 

 ……腹の傷が酷い。内臓が破れている。

 

 呼吸法と血鬼術での止血があと一秒でも遅れていたら、間違いなく死んでいた。

 

 仰向けに寝転がり、冷たい土の感触に全身を預ける。

 体内に漏れだした血液に全意識を集中。血鬼術によって操作し、一滴残らず血管へ戻す。そして破断した血管の傷口から傷口へと直接血液を渡すことで血小板と赤血球で穴を埋め、迅速な治癒を促す。

 

 休息もまた修行の一環だ。

 

 まだ夜は永い。夜明けまでに、なんとか体を復調させなければ。鍛錬は一日にして成らず。決して欠かすことは出来ない。でなければ――(おれ)を倒すなど、夢のまた夢だからなぁ。

 

 諦めねぇからなぁあ。

 諦めねぇからなぁあ。

 諦めねぇからなぁあ。

 

 ―――俺は絶対に諦めねぇからなぁああああ!

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