何度生まれ変わっても   作:ミズアメ

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第拾捌話 悔悛の秘蹟

 俺は焦っていた。

 

 日ごとの定期健診の為に蝶屋敷を訪れる度に、なほ、きよ、すみが菓子と茶を出して持て成してくれる。更に三人は梅と文通しているらしく、アイツから届いた手紙でのやり取りを和やかに語ってくれた。

 

 こちらの修行状況とは対照に、この一年半で梅は順当に強くなっているようだった。

 

 蜜璃は人に教えるのが致命的に下手だが、しかし梅は持ち前の優れた直感で、師の言いたいことや伝えたいことを正確に理解できる。そして先天的な体質の怪力と体の柔さが恋の呼吸法と合致したこともあり、あっという間にコツを掴み、既に一人前の剣士となっているそうだ。

 最近では単独で鬼を相手取って戦い、見事頸を斬り落としたらしい。当然ながら蜜璃の監督下での討伐ではあるものの、その成長速度は目を見張るものがあった。

 そして現在、梅は呼吸法の全集中・常中の訓練中であるという。

 

 数日置きに届く次の文。

 紙面上を楽し気に踊る文字を目で追うごとに、俺は言いようのない焦燥感に取り憑かれた。

 

 樹を倒す。その根ごと抉り斬る。つまりは――あの(おれ)の頸を、必ず斬り落としてみせる。

 

 けれど―――

 

 どれほど体を鍛えれば、それが可能になるのだろう。

 どれほど技を鍛えれば、それが可能になるのだろう。

 

 答えを求めて、ただ無心で今までに行ってきた鍛錬を繰り返す。

 それ以外に何をするべきなのか分からない。今の自分に何かが足りていないことは理解している。しかしそれが一体なんなのか見当もつかない。そして仮にそれを補うことができたとして、果たして()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()―――

 

 考えても仕方がないと、思考に蓋をする。

 

「そうだ、妓夫太郎さん。今日は久し振りに兄が帰ってくるそうですよ。つい先程、鎹鴉から連絡がありました。今は本部でお館様に任務の報告をなさっていらっしゃるとか」

「……そうですか」

 

 いつものように鍛錬の合間に茶を啜っていると、千寿郎が言った。

 嬉し気に弾んだ声に頷いて答えると、俺は腰を上げた。そして刀架に掛けた刀を掴み、部屋を出て、玄関へ向かう。

 玄関から外へ出た先で目に入るのは、外界と敷地とを区切る門戸。

 煉獄の屋敷を背に、煉獄杏寿郎の帰還を待つ。

 背後で千寿郎がなにか言いたげにこちらを見上げているが、あえて黙殺する。

 

 暫くして――見慣れた人影が敷居を跨ぎ、現れた。

 

「ただいま戻った! 久し振りだな、千寿郎、謝花少年! わざわざ出迎えに来てくれたのか! 嬉しいぞ!」

 

 炎柱・煉獄杏寿郎。

 俺の育手。俺の師。俺の知り得る人間の中で最も強い、単独で前世の(おれ)を打倒し得るであろう男。

 

 師弟の礼を尽くし出迎えの挨拶を口にする。千寿郎がそれに追随した。しかし彼の言葉も、俺自身が吐いた言葉も、耳に入らない。認識しない。極めてどうでもいい。重要なのはこの後だ。

 

「―――ところで謝花少年。なぜ帯刀している? 俺の知り得る常識の限りにおいては、出迎えに刀は不要だと思うのだが。それに徒に殺気立つのもよくないぞ!」

「ああ。無礼のほどは平にご容赦を。しかし一秒の間も惜しいんで、これよりこの場で師範に()()をつけて頂きたく願いたいんですが、如何に」

「なっ、妓夫太郎さん……! 真剣での稽古なんて、そんな―――」

「……うむ、いいだろう! 君がまさかそこまで思い詰めているとは思わなかった。弟子を導くのは師としての責務! こうすることでしか君が前に進めないというのなら、俺はそれに応えるのみ! 幾らでも相手をしよう!」

 

 宣言し、杏寿郎はゆるりと腰の差料を抜いた。

 俺も同様に鞘から刀を抜き放つ。

 煉獄杏寿郎はこちらの意図を正確に汲み取ってくれたようだ。であるならば、一切の遠慮を排するべきだろう。無論、最初からそのつもりであったのだが――それでも、これが合意の上であるという事実によって幾分か心持ちを軽くできた。

 

 ―――白状しよう。

 俺は、自棄を起こし、挙句師に八つ当たりをしようとしている。

 

 * * *

 

 遠慮なく刃を振るう。

 

 当然、それが意味することは()()()()()()()()()()()()()()ということだ。寸止めなどする気はない。受け身など取らせない。そういう心算で斬撃を浴びせる。

 

 しかし――防がれる。悉くを阻まれる。

 

 回避ではなく防御。刀を損なうことなく、俺が放つ攻撃の全てを杏寿郎は凌いでいた。

 通常、刀での防御は至難を極める。

 戦国の時代には上段から振り下ろされる斬撃を咄嗟に防ごうとして頭上に刀を掲げ、しかし衝撃を殺し切れずに相手の剣ではなく自らの刀の鍔を頭蓋に減り込ませて死んだ剣客がいたという。非常に極端な事例ではあるものの、それは紛れもなく防ぐことの難しさを端的に表した嘘偽りのない訓話であった。

 

 杏寿郎はその難行を成している。

 

 それだけでなく、斬り返すことすらしている。自ら率先して四種の勝機を取り、何度も俺に斬撃を浴びせていた。

 にも関わらず俺は無傷。

 俺が五体無事で怪我の一つもしていないのは偏に、杏寿郎が剣士の礼に則り斬りつける直前に刃を止めているからである。

 

 一体、何度頸を落とされただろうか――怖気が酷くて到底数えられない。

 

 なぜだ。

 どうなってる。

 おかしいだろうが、なぁ?

 

 この差はなんだ。何が足りない。力量か? 熱量か? この一年半――これ以上は不可能というくらい、何度も何度も体を鍛え、技を磨いた。単純な戦闘能力だけでいえば、今の俺なら下弦の鬼を相手取っても負けることはないだろう。その程度の力はある。

 無論、相手は柱だ。勝てないのがおかしいとはいわない。だが一本も取れない――否、()()()()()()()()()というのはどういうことだ!?

 杏寿郎の手の内は全て分かっている。

 彼から直々に炎の呼吸の剣技――九つある型を習ったのだ。更には木剣を交えた経験から、型以外の動作の癖もほぼ全て把握している。無論それはあっちも同じだろう。だが、()()()()()、こうも一方的に完封される状況になんてなるはずがねぇ! 納得いかねぇんだよなぁあ……!

 

 何が原因だ。どうして、どうすれば、俺は……―――!

 

「―――炎の呼吸、■ノ型」

 

 杏寿郎が右肩に刀を担ぐ。

 彼我の距離は七から八歩程度。ならば壱ノ型か――いや、あの体勢は違う。腰を捻って左半身を前に出し、刀そのものを大きく後方へ流したあの構え。炎の呼吸法の剣技の中でも、最も破壊力を発揮する悪鬼滅殺の技だ。

 そんな大技を食らうものか――いや、そもそも打たせやしねぇからなぁ!

 

 技が放たれる前に是を制す。先の勝機を―――

 

「―――ここまでだ、謝花少年」

 

 ()()()()()()()()()と、確信した。

 無意識に喉に手を当てる。首は繋がっている。その事実が信じられない。

 気が付けば目の前には杏寿郎の姿があり。師の刃は、俺の首の一寸手前で静止している。そして俺の手にあった筈の刀はなくなっていて、遠くに転がっていた。

 両手の感覚がない。痺れている。偶然、杏寿郎の技に掠ったが故に、弾き飛ばされたと思しい。

 

「……なぜ、だ」

 

 気が付けば、呟きが漏れていた。

 

「今までの俺の鍛錬は、全て無駄だったのか」

「そんなことはない。君の体は強くなった。技も冴えている。力量でいえば、今の君に勝る鬼殺隊士はそうはいないだろう」

「なら、どうしてこうも一方的に負ける! アンタが俺より強いことは承知してるさ、絶対に勝てやしないことだって理解してる! それでもこの結果はおかしいだろうが! アンタがやってるのは、俺以上に俺のことを理解でもしてなきゃできない芸当だ! 納得できねぇよ、なぁあ!」

 

 無様に、みっともなく叫ぶ。恥も外聞も、今まで装い続けていた道徳や処世術も、全てかなぐり捨てて。

 杏寿郎の眼差しはいつもと変わらず真摯だ。

 しかし、その視線に乗る感情は憐憫に近い。痛ましいものを見るように俺を見下ろしている。それが余計に癪に障る。

 

「ああ。君の言う通り、俺はその太刀筋をよく知っている。君よりも理解している。君の剣技は全て人を殺すための技だ。……どんなに取り繕うとも、武術とは殺生の技だ。だがそれにしても、君の剣技は鬼のやり方に酷似し過ぎている。それそのものだと錯覚してしまうほどに」

 

「―――――」

 

「……以前、任務で上弦の鬼を追っていた時に、奴の手で鬼にされてしまった鬼殺隊士を斬ったことがある。極度の飢餓状態に陥っていた彼とは会話も成立せず、戦うしかなかった。その時に彼が振るっていた剣と、君の剣は同じものだ。―――他人(にんげん)に対する嫉妬と憎しみで満ちている」

 

 その言葉は、俺という存在の中心に突き刺さり、貫通した。

 それと同時に納得する。なるほど、だから俺――(おれ)の剣は届かなかったのか。そりゃ、柱に通用する筈がないよなぁ。

 

「謝花少年。君は、才気ある人間だ。生まれ付いて人より優れた才能を持つ人間が、どうして生まれるのか――その理由は、自分よりも弱き人々を護るためだ。俺は母上からそう教わった。君も斯く在る人間だと俺は信じている!」

「―――そんな訳があるかッ!!」

 

 気が付けば、俺は絶叫していた。

 今まで抑えていたものが溢れ出す。もう歯止めが利かない。

 

「ああそうだ、俺は腕っぷしだけが自慢の妓夫太郎だ! 鬼と怖れられた、吉原一の取り立て屋だ! だが最初からそうだった訳じゃねぇ! アンタは随分と良い母親を持ったようだが、俺は違うッ! アイツには産まれる前から何度も殺されそうになったし、産まれてからだって何度も殺されそうになったからなぁあ! 人から好かれたことなんか一度だってない! 母も、他の連中も、揃って俺のことを殴り、罵倒し、石を投げやがった! 虫けら、ボンクラ、のろまの腑抜け、役立たず、どうして生まれてきたんだお前は、死ねばいいのに、ってなぁぁああああああああ!」

 

 頭巾を下ろし、汚く醜い顔を露わにする。

 

「人間なんてのはみんな屑だ! 寄って集って弱者を排斥する、それが連中の掲げる正義ってやつだ! 悪事を見て見ぬ振りをする善人と、平気な顔で悪事を働く塵みてぇな悪人しかいねぇ! どいつもこいつも鬼とそう大差なんかありゃしないだろうが!」

 

 人間は全て屑だ。

 

 鬼なんてものがいるからそのことを失念する。分かり易い目先の脅威にしか目が向かない。そもそも鬼なんてものは、人間が変じたものだ。鬼舞辻無惨ですら元は人間だったのだから。悪いのは全て人間だ。その人間を憎んで何が悪い―――!

 

 繰り返す。人間は全て屑だ。その中でも、俺は一等みっともない塵だ。

 

「―――ああ分かった。アンタが、俺が鬼になりかねないと懸念した理由がよく分かった。俺は他人の幸福が嫌いだ。見てるだけで虫唾が走る! 憎らしい! 奪ってやりたくて仕方がない! そんな俺が弱き人々を護るなんて、そんなことできる筈がねぇよなぁあ!」

 

 最初から向いていなかったのだ。

 戦う才能はあっても、人のために戦う才能はない。それが現実。俺という人間の根幹に居座る、悪しき鬼の正体。

 何度生まれ変わっても鬼になる。

 俺は変わっていない。当たり前だ。変わろうとすらしていないのだから。

 

 だっていうのに―――

 

「―――いいや。それでも君は正しき人間だ」

 

 どうして、そんな風に言えるんだ。信頼の全幅を寄せた目で。一切の疑いを排した、信じ切った声音で。

 

「俺では、君の苦痛に共感することはできない。君の言う通り、俺は良き母と良き父を生まれ持った人間だからだ。殊更に人から虐げられたこともない。だが、それでも君は、人として正しき想いと情熱を心に燃やす善き人間だと確信している。何故なら君には――正しき妹がいるからだ。俺と同じように、誇るべき兄弟がいるからだ!」

 

「―――――な」

 

「俺は謝花妹と面識がある! 彼女は前向きな、誇り高き少女だった! そんな彼女の兄である君が、悪い人間である筈がない! 事実、君は彼女を護るために命を賭して人喰い鬼と戦った! 謝花妹は君のことを、立派な自慢の兄だと誇らし気に語っていた! その君が悪しき人間である訳がない! だから俺は君を継子として育てた! 今の君はただ、危うい迷いを抱えているだけだ! その迷いを取り払った時――君は真なる鬼殺の剣士として羽化するのだと、俺は確信している!」

 

 晴天の如き曇りなき眼。陽光を思わせる溌溂とした声。

 からからとした夏の日の日差しを浴びた時のように、強い眩暈がした。

 

 目の前が曖昧に濁る。

 

 脳裏に沢山の顔が浮かぶ。鼠男。鯉夏花魁。椿。『京極屋』の遣手と楼主。しのぶ。なほ。きよ。すみ。アオイ。蜜璃。お館様。杏寿郎。千寿郎。―――そして、梅。

 他にも世話になった人達の顔が、瞼の裏に次々と浮かんでくる。

 彼女達はどうだっただろうか。

 俺に悪意を向けていただろうか。殴っただろうか。罵倒しただろうか。石を投げてきただろうか。彼女達は――俺の言うような、屑だっただろうか。

 

 

 ―――お兄ちゃんの悪口を言うやつは許さないから!

 

 

 そんな風に庇われたことが、一体何度あっただろう。俺は……―――

 

「心を燃やせ、謝花少年。―――君のことを悪く言う者がいるのなら、俺は徹底して訂正を求める。必ず取り消させる。何度でも言う。君は正しき人間だ。君の師になれたことを誇りに思う!」

 

 固く拳を握り締め、俯く。

 視界が滲む。次々と涙が零れた。

 胸が、苦しい。息ができない。

 熱い。痛い。熱い。痛い。熱い。痛い。熱い。痛い。

 

「……参りました」

 

 深く頭を下げて、師に礼を尽くす。

 進むべき道は開けた。今夜――俺は、必ずあの(おれ)を倒す。


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