何度生まれ変わっても   作:ミズアメ

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第拾玖話 “煉獄”

 切支丹に曰く。

 

 煉獄とは――地獄に落ちるほど罪深くはなく、けれども神の御許に至るには不純過ぎる者達の魂を清めるための、ある種の更生施設であるという。死後、いずれは天国の喜びを預かるために必要な聖性を得るべく励む浄化の炎に満ちた魂の溶鉱炉だ。

 

 この煉獄邸での修行の日々は――思い返せば、とてもそれに近いものだった。

 

 今世に生まれてからの記憶を反芻する。

 きっと、悪い人生ではなかった。確かに敵はいた。それでもその分だけ、味方もいたのだ。多くの人に支えられてきた。今ならば吉原で荒事が起こった際、それを解決した俺に礼を告げ称賛した人々や、蝶屋敷の床に臥せっていた俺の世話を焼き見舞いにきた人々の顔も鮮明に思い出せる。

 

 道徳と処世術を学び、妬みつつも他者を尊重して生きてきた。そんな生き方をする己を、弱くなったのだと思っていた。だが、それは違うのだと――今はそう思いたい。

 

 草木も眠る丑三つ時。

 

 煉獄邸は鍛錬場・絡繰屋敷。その最奥にある陰陽杉の間にて、瞑想を開始する。

 深く呼吸を繰り返しつつ、意識は自らの内と目前の御神木に全集中。己の中の陰の気と、眼前に佇む陽の気をこれまでにないほど鋭く感じ取る。

 

 やがて陰陽は反転し、厳かな神気が邪気に代わる。

 

 瞼を開く。

 目の前には一匹の悪鬼。血肉でできた鎌を両手に携えた、枯れ木の如き痩躯の怪物。

 

 (おれ)は言う。

 

『めらめらと、嫌な目だなぁ。……まあいいけどなぁ。どう足掻いたところで、所詮、お前は俺だ。誰に何を言われたってその事実は変わらねぇ。(おまえ)(おれ)に勝てる訳がねぇからなぁあ』

 

 体中を掻き毟りながら、(おれ)を見下ろす(おれ)

 俺は応えることはせず、傍らの刀を掴んで立ち上がる。そしてそれを帯に差し、左手の親指で鍔を押し上げ鯉口を切った。

 鞘から白刃を抜き放つ。

 片足を半歩後退。

 呼吸開始。

 

 ―――ゴォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオ

 

 口から漏れ出す呼吸音は、まるで燃え盛る炎の燃焼音のようだった。

 

『妬ましい。妬ましいなぁ。そんでもって目障りだなぁ。あーあぁ、一刻も早く死んでくれねぇかなぁああ!』

 

 怨念と呪詛を全開にして、鬼がその身に宿した異能を発露する。

 血鬼術・“飛び血鎌”。

 無数の血の斬撃が迫る。応じる手は―――

 

「―――炎の呼吸・伍ノ型、“炎虎”」

 

 真っ向から迎え撃つ。

 “炎虎”は敵の多段攻撃に対する迎撃技としても使用が可能だ。手数に応じて獰猛に喰らい付き、最後には噛み千切るように薙ぎ払う。

 

 最早この攻防に意味はない。

 

 敵は(おれ)。俺が最もよく知る対手――いわば俺そのものだ。そしてそれはあちらも同じこと。(おれ)の手の内は全て割れている。

 かつて俺はこの鍛錬を禅問答と喩えた。やはりそのたとえは全く以って正しい。

 勝つことに固執して挑み、強引に頸を斬ろうとさえしなければ決して負けることはないのだ。無論、そのままでは勝利することもない。戦いは膠着し、互いに千日手に陥る。

 しかし、こちらには切り札がある。

 当てることさえできればあの鬼の頸を斬ることができる技。しかし、そうと分かっていながら一度として使うことのなかった剣理。炎の呼吸最強にして、最も隙の大きい型。これを使いこなせたならば、必ずや(おれ)の意表を突き、あいつを倒すことができる―――!

 

 数百と剣戟を交わす。

 数千の血の刃を躱す。

 

 その最中に見極めるのだ――戦機を。杏寿郎師範がやっていたように―――!

 

 彼岸から飛来する、荒れ狂う血刃の嵐。通常の“飛び血鎌”と、“円斬旋回”を併用した多重弾幕。これを躱すのは容易ではなく、相手を視認することすらままならない。だがこの際だ、その方がかえって都合がいいってもんだよなぁあ!

 追尾性能があるとはいえ、“飛び血鎌”は線の攻撃だ。どんなに連発しようとも、完全に隙間をなくすことはできない。僅かでも()()が開ければそれで十分だ。

 

 そして――道は――今――開けた―――――!

 

 襲い来る“血鎌”の全てを回避しつつ、無構えの体勢から構えを変更。

 刀の柄を確と両手にて握り、右肩に担ぐ。そして更に後方へと流す。

 

 この技の根幹となる理念は壱ノ型“不知火”と同じ。“震脚”と“懸り打ち”に類似する特性を有する術理だ。然してその威力は、他の八つの型の悉くを凌駕する。刀を肩に担ぐに留まらず、腰を捻り後方にまで振り被って放つが故に。

 全身が熱い。だがまだ足りない。もっと――この身にある燃料は全て燃やせ。

 

 血を燃やせ。

 命を燃やせ。

 

 そして何より――心を燃やせ……!

 

「炎の呼吸、玖ノ型―――」

 

 見抜いた血路を駆ける。

 一秒に満たない僅かな時間しか出現しない、全くの偶然によって生じた隙の道。そこを一気に潜り抜けて、悪鬼の目前まで肉薄する。

 背後で炸裂する爆発音。

 それと同時に、踏み込んだ俺の足が地面を爆裂させて大きく陥没させる。

 

「―――“煉獄”―――――ッ!」

 

 放たれる爆速の一刀。

 紅蓮に燃える炎龍が、その巨躯によって有象無象の悉くを薙ぎ払うかのような――空から流れ堕ちたる星の衝突に近いこの斬撃は、瞬きすら許す間もなく敵の頸を刎ねる。

 

『―――――』

 

 斬撃から生じた爆音は、鬼の断末魔すら掻き消した。

 

 遥か遠くへ斬り飛ばされた鬼の頸と、一瞬だけ視線が合う。その瞳に宿る感情は、やはり嫉妬であり、そして―――

 

 ―――お前は、今度こそ、あいつを最後まで護れよなぁあ

 

 俺に対する、真摯な激励だった。

 

「…………」

 

 深く、慎重に息を吐く。

 これ以上はないというほどの緊張状態から、大技を使った反動か。体に傷はないというのに、残心を保つどころか立っているだけでやっとの有り様だった。

 

 掌で顔を覆い、眩暈を堪える。

 

 ようようと気を持ち直し、瞼を開く。すると――座禅を組んで座していた筈の俺は、何故か立っていて。手には鞘から抜き放たれた刀が握られており、そして―――

 

 ―――目の前には、地面から引き抜かれ、幹を真っ二つに両断された樹が横たわっていた。

 

 * * *

 

 その日の夜、凄まじい爆音が煉獄邸に轟いた。

 

 それは巨大な大砲が爆ぜた音のようでもあったし、あるいは火山が噴火した音にも似ていた。そして次いで訪れる大地を揺さぶる微かな激震。これらはぐっすりと寝付いていた千寿郎を起こすには十分な目覚ましとして機能した。

 

 何事かと跳び起きた千寿郎はすぐさま隣へと視線を移すが、そこに寝ている筈の弟弟子の姿はない。何かの抜け殻のように、空の布団だけが残されている。

 

(今の音は、絡繰屋敷の方から……)

 

 千寿郎は寝巻のまま部屋を出た。

 裏口から外へ出て、離れにある絡繰屋敷へ向かう。すると直ぐに、夜闇の中で提灯を携えて絡繰屋敷を眺める兄・杏寿郎の姿を認めた。

 

「兄上!」

「起きて来たか、千寿郎!」

「はい! それで、さっきの音は……妓夫太郎さんは、絡繰屋敷ですか?」

「ああ! どうやら、謝花少年は鍛錬を終えたようだ!」

 

 確信を持って頷くと、杏寿郎は絡繰屋敷に向かう。

 千寿郎は杏寿郎の後を追った。

 最奥にある陰陽杉の間へ最短で辿り着く扉を開け、二人連れだって屋敷の中に入り込む。

 

 提灯の赤い明かりが、暗い廊下を進む。

 やがて道場に辿り着くと――千寿郎は驚きで目を見張った。

 

 樹が倒れている。

 

 横から幹を真っ二つに両断されたのだろう。枝葉の茂る樹が、地面に横たわっている。しかしそれだけではない。断たれた樹の下半分――幹と、土を絡めた根が、地面から抉り抜かれたような形で転がっていた。

 地面には穴が開いている。

 根ごと樹が抜かれたことで生じた穴と、その原因の一端となったであろう地割れの如き罅が生じている。そしてその中心には、呆然と倒れた樹を眺める人影が一つ。

 

 謝花妓夫太郎。

 

 彼こそが、樹を抉り斬り倒した張本人だ。

 

「―――これが炎の呼吸の奥義だ」

 

 杏寿郎が発したその言葉は、妓夫太郎と千寿郎の両方に向けられたものだった。

 

「玖ノ型“煉獄”――元より炎の呼吸法は、強靭な踏み込みから放たれる一撃必殺の斬撃を主とした剣技を特徴とする。これはその一点のみを極め抜いた技だ。樹は、この奥義でなければ倒せない。使いこなせなければ、抉り斬ることは叶わないのだ」

 

 地割れが起きたが如き地面の断層は、斬撃の間際の踏み込みによって生じたもの。そしてそれによって生じた反動の力を刀に収斂することによって繰り出される斬撃――それは単純な暴力となって、斬る前に樹の幹を抉り吹き飛ばす。

 陥没し力をなくした大地と、幹に叩き付けられた甚大な衝撃。これによって樹は根ごと吹き飛び、一拍遅れて斬断されたのだ。

 

 ただ威力を追求した炎の呼吸最強の技。故にその型の名は“煉獄”と称される。

 

「よくやった、妓夫太郎。俺は君を一人の剣士として認める。最終選別へ挑むことを許可しよう」

「―――――……は、い」

 

 彼の中では未だに現実の理解が及んでいないのか。抜き身の刀を鞘に納めることすら忘れて、それでも妓夫太郎は師の言葉に感じ入り碧い目を潤ませ静かに涙を流す。

 

 師弟。

 杏寿郎と妓夫太郎の姿に、千寿郎は羨望の眼差しを向けた。そして―――

 

「おめでとうございます、妓夫太郎さん」

 

 嘘偽りのない賞賛の言葉を、弟弟子に贈る。

 この夜の、この瞬間。二人の人間の行くべき道が決した。それは別々の道のりであれども、決して相反することのない、隣合った戦いの方途であることは疑いようもなかった。

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