何度生まれ変わっても 作:ミズアメ
結局――最終選抜まで半月ほど時間が余った。
兎も角――時間ができたのは良いことだ。
後は俺の血について。
図らずしも、この一年で人の身で血鬼術を使うのにも随分と慣れた。
……相変わらず“飛び血鎌”の威力は低いままだが、しかし単に血を動かすだけなら鬼であった頃と同じ精度で操れる。更に血の毒。これが鬼に対しある程度有効であることは紅帯鬼との戦いで確認済みだ。これを有効に使わない手はないよなぁ。
それに術式を新しく組み上げられることも立証が済んでいる。
まずは必要なものを用意しよう。
血鬼術――“円斬旋回・飛び血鎌”。そして土壇場で編み上げた新しい術式“
―――……よし、できた。
* * *
「妓夫太郎さーん!」
部屋で茶を啜っていると、玄関の方から千寿郎の元気な声が聞こえてきた。彼は小走りでここまでやってきて、襖を開ける。その手には小さな木箱が抱えられていた。
「お届け物です。妓夫太郎さん宛に小包が届いていますよ」
「んんん? ああ――それはお手数をおかけしましたなぁ。恐らく、数日前に職人に注文した品物が届いたんでしょう。ありがとうございます」
頭を下げると、千寿郎は「いいえ」とにこやかに頭を振った。
「あの、何をご注文したのか訊いてもよろしいですか?」
「そうですね……ではこの場で開封いたしましょうか。共に検分願えますかね、千寿郎殿」
「はい、僕でよければ!」
頷きを返し、木箱を受け取る。
蓋を外すと綿や新聞紙といった緩衝材が覗いた。その中を探ると、すぐに硬くつるりとした感触が指先に当たる。
中に入っていたのは、梅の花を模した硝子細工の首飾りだった。
大きさは掌ほど。背景が透き通って見える透明な花弁が、慎ましくも艶やかに輝いている。
「わあ、綺麗ですね! もしかして誰かへの贈り物ですか?」
「はい」
「そうなんですね。……あの、よろしければ誰にお贈りになるのか訊いてもいいでしょうか? もしかして、その、蝶屋敷のどなたかにお渡しを!?」
何故かいつになくわくわくした様子で声を弾ませる兄弟子・千寿郎殿。
妙な勘違いをされているような気がしてならないので、俺はすかさず頭を振って否定する。
「いいえ、妹の梅に贈るつもりです」
「あ……そうなのですか。すみません、誰か意中の方への贈り物なのかと、早とちりしてしまって……」
少しだけ顔を紅潮させて頬を掻く煉獄千寿郎少年十三歳。まあ、そういった方面にも興味が出てくる年頃であろうことを鑑みれば至極健全な反応だ。微笑ましくすらある。
梅は最終選別に挑む前日に、蜜璃と共に俺に顔を見せにくる予定であるらしい。
あいつと文通しているなほ、きよ、すみ等から予め聞かされた情報だ。なのでその日までに間に合うようにと、とある工房にこの首飾りの制作を依頼していたのである。
最終選別を含め、今後梅は単独で鬼と対峙することになるだろう。
当然、戦いは過酷なものとなる。決して楽観はできない。それでもあいつには生き残って欲しい。だからこそ――気休めではあるのだが。御守りくらいは渡しておきたかった。
俺達は二人で一つ。
その絆の証として。
「……いよいよ最終選抜ですね」
どこかしみじみとした様子で、千寿郎が呟いた。
「妓夫太郎さんなら必ず生き残ることができると思います。そしていずれは兄の後を継ぎ、次代の炎柱になれる、と……―――」
千寿郎の語尾が曖昧に濁る。
視線を上げると、千寿郎は目尻に涙を貯めていた。彼は膝の上で、固く拳を握り締めている。
「……千寿郎殿?」
「すみません。炎の呼吸の奥義にまで至った妓夫太郎さんが、兄弟子として誇らしいというのも、貴方なら兄のような立派な柱になれると、そう思っているのも、本当のことです。ですがやはり、どうにも悔しいという思いが拭いきれなくて」
手で目を擦り、千寿郎は告解する。
……今まで、そのことについて考えなかった日はなかった。自身よりも新参である弟子が、容易く己の力量を追い抜き、僅か一年半で奥義まで開眼した。千寿郎からしてみれば、到底快く思えることではない。
しかし、そのことには触れずに、俺は弟弟子としての礼を尽くすのみに留め続けた。
それが残酷なことだと理解してた。けれども、そうしなければ俺自身がこの一年、立ちいかなかっただろうからなぁ―――
「ですがその一方で、安堵している面もあるんです」
千寿郎の唇が、弧を描く。泣き腫らした目で微笑む。
それは嘘偽りのない、泣き笑いの表情だった。
「本来なら、兄の弟である僕が継子となり、柱の控えとして実績を積まなければならなかった。でも僕の日輪刀は色が変わりませんでした」
鬼殺隊の象徴――色変わりの刀、日輪刀。
その刀は持ち主の適正に合わせてその刀身の色を変化させることで知られている。しかし誰もが日輪刀の色を変化させられる訳ではなく、持ち主に一定以上の力量がなければ色が変わることはないらしい。
「どんなに稽古をつけて貰っても、僕は駄目だった。―――私は、剣士になるのは諦めます。それ以外の形で人の役に立てることをしようと思います」
なにか――彼のその言葉は、自分の何処かを貫いたように感じた。
他人を妬み、僻むことしか能のない俺だ。その気持ちを押し殺すことがどれだけの難行であるかは知っている。それでも彼の決心はそれだけではないはずだ。千寿郎の宣誓に込められた思いがどれほどのものか――きっと、俺には想像すらできない。
「……この一年半の修業は、俺にとって酷く苦しいものでした」
気が付けば、言葉が口から洩れていた。
「特に杏寿郎師範から樹を倒せと命じられてからの一年は、先の見えない無間地獄の只中にいるかのようだった。以前の俺なら、早々に投げ出して日陰で蹲って一歩も動けなくなっていた。それでも最後までやり遂げることができたのは、千寿郎殿が隣にいてくれたからです。……兄弟子の導きがなければ、到底耐えられなかった」
無意味とすら思えた鍛錬を毎日続けることができたのは、一緒に励む者がいたからだ。俺が樹を倒すための一歩を踏み出すことができたのは、千寿郎の助言があったからこそだ。彼がいなければ、俺は未だに鬼のままだった。
「貴方は兄の杏寿郎殿にそっくりだ。俺は、貴方達兄弟の弟子となれたことを誇りに思っています。人の役に立つことを目指すというのなら、既に俺を導いた貴方ならば、何であろうと必ずできます。どうか千寿郎殿、貴方は貴方が正しいと思う道を進んでください」
「―――……ありがとう、ございます」
今度こそ、千寿郎は涙を流した。
幾筋もの雫が頬を伝い落ちる。
温かなものが胸中に満ちる。
お館様と逢った時、彼を父のようだと感じた。今でも彼を慕う気持ちは変わらない。お館様は鬼殺隊の隊士を自らの子と呼ぶ。叶うのであれば――俺も、一人の子供として彼の下に在りたいと、そう願わずにはいられない。
そして――今ならば他にも、家族のように想える人がいる。
胡蝶しのぶ。煉獄杏寿郎。煉獄千寿郎。俺のような醜くみっともない人間に好かれたところで気色悪いだけだろうが――叶うならば、彼等のことを、姉であり、兄であり、そして弟のようだと、心の内で慕うことくらいは許されたいと、そう思う。
……本当に、随分と変わったなぁ、俺は。
「名残惜しいですが、そろそろ時間です。俺は槇寿郎殿にご挨拶をしてから蝶屋敷へ向かいます。―――千寿郎殿。この一年と半年間、ありがとうございました」
「はいっ! こちらこそ、ありがとうございました!」
礼をし、襖を開けて退室する。
行き先は先程告げた通り、煉獄槇寿郎の居室だ。
「失礼いたします」
元より返事は期待していない。障子を開けると、直ぐに見慣れたようでその実あまり見慣れない印象の強い背中を発見する。
向かいの障子は開け放たれ、槇寿郎は縁側から庭を一望できる部屋に胡坐をかいて座している。傍らには酒の入った徳利が置かれていた。
「……何の用だ」
「本日付けで最終選別が行われる藤襲山へ出立いたしますので、そのご挨拶に上がりました。今日まで居候としてお世話になったこと、誠に感謝申し上げます」
「フン、全ては杏寿郎が勝手にやったこどだ。俺はお前など知らん。それはお前とて同じだろう、ええ?」
こちらを振り返ることすらなく、槇寿郎は酒を呷りながら嫌味を吐く。
概ね事実なので、座したまま聞き流すことにした。
「鬼殺隊に入るからなんだというのだ。そもそも大した才能もないのに剣士になぞなってどうする。下らん……お前も杏寿郎も愚か者だ。有象無象の塵芥が足掻いたところでどうにもならん。無駄だ、無駄だ無駄だ。どうせ大したものにはなれんのだからな」
……個人的な所感は兎も角として。言いたいことは分からないでもない。
そもそも、俺自身がずっと思い続けてきたことだからなぁ。人間が鬼に敵う訳がない。どれだけ鍛えたところで、差が埋まることはない。今もきっと心のどこかではそう思っている自分がいる。
しかし、それでも。
俺達は前に進み続けなければならない。
決して鬼に堕ちることなく、人としての道を邁進する――それ以外に生きていく術を持たないのだから。
「憚りながら。俺や杏寿郎殿は『大したもの』になりたいのではありません。ただ、大切なものを護りたいだけなのです。家族が平穏無事に暮らせるのであれば、それでいい。己の命すら惜しくはありません。俺は妹のために。杏寿郎殿は――護るべき無辜の人々と。弟と、そして父である貴方のために剣を執るのだと、そう言っておられました」
「―――――」
「杏寿郎殿は貴方のことを心より敬愛しておられます。……どうか、そのことだけはお心に留めてくださいませ。お耳汚しをしました。失礼いたします」
障子を閉め、立ち上がる。
俺に言えることは言った。無論、こんな言葉一つでそうそう人が変わるはずもないことは十分に承知している。それでも――長くこの家に厄介になっていた身として、言っておかねば気が済まなかったのだ。
使用人の方々にも挨拶回りをし、玄関で草履を履いて屋敷の外へ出る。
立派な門を潜り、敷居を跨いで外へ。数歩進んだところで踵を返すと、俺は一年と半年間世話になった家に向かって深く頭を下げた。
* * *
蝶屋敷の庭に佇む。
傍らには日輪刀。最終選別に際し、杏寿郎師範から借り受けたものだ。
立ち並ぶ木の影の下に座り込み、俺は何をするでもなく待ち人の姿を想っていた。……吉原を出てから二年。この歳月は、あいつをどのような人間に育てたのだろうか。
ぼんやりと日向を眺めながら、ふと今になって改めて思い知る。
ああ――俺達は、吉原の外にいるのだ。一生あの外界と隔絶された籠の中で過ごすものと思っていたというのに。思えば、随分と遠くへきたもんだなぁ。
奇妙な感慨に胸を締め付けられた。
今生きていることが奇跡のように思えてくる。それと同時に、吉原で出会った者達の顔が脳裏を過った。鯉夏花魁や馴染みの仕事仲間達。そして『京極屋』で死んだ遣手や楼主、梅と同様に俺にも好意を以って接してくれた禿や遊女の姉御方。そして―――鼠男。
今になって、彼等の存在の重さを知る。そして、もう二度と会えない事実を受け止める。
―――許せない。許さない。
奪われたのだから、取り立てなければならないよなぁ。
かつて鬼として悪逆を働いた俺が言えたことではないことは分かっている。それでも、俺は非道を働く鬼が許せない。鬼舞辻無惨が許せない。そして妹が――梅が安心して暮らせるような、平和な世にしたい。故に、必ず奴の頸に刃を振るわなければならないのだと、そう思う。
我ながら遅すぎる誓いだ。
そして同時にこう思う。あいつも今の俺と同じ気持ちであるのなら――なるほど。止められるはずはないよなぁ。
暫くして、誰かが庭に現れた。
着物の上に西洋風の外套を羽織った和洋折衷の出で立ちに身を包んだ少女。年の頃は十五だろうか。しなやかに伸びた長い手足は、野生の猫科動物のように鍛えられている。めりはりのついた体は女らしく艶めかしい。
背の半ばまで伸びた銀色の髪が、陽光を反射して輝いている。
陶器のように艶やかな白い肌が眩しい。その双眸に収まった翡翠の瞳は、正しく宝石のようだ。
彼女は何かを探すように周囲へと視線を走らせる。そして、こちらを見つけるとぱっと顔を輝かせた。華のような笑顔を咲かせて、手を振りながら少女が駆け寄ってくる。
「―――――お兄ちゃぁぁぁああああああん!」
胸に飛び込んでくる梅を、俺は確と受け止めた。
両腕で抱きしめ、首筋に顔を埋める。その存在を確かめるように、俺は幾度も強く頬を擦り鼻を鳴らした。
「会いたかった。ずっと会いたかったぞ、梅。ったく、相談もなしに出ていくなよなぁ……!」
「う、うん……ごめん。お兄ちゃん。でも、鬼殺隊に入るって言ったら反対されそうだったから」
「当たり前だ。本当に頭が足りねぇよなぁ、お前は。……ほら」
抱擁を解き、懐から梅の花の首飾りを取り出す。
硝子細工が陽光を透かし、紅い色を地面に映す。
紅潮している梅の首に、首飾りを掛ける。丁度胸元の辺りで、真っ赤な梅の花が咲いた。
「御守りだ。なぁ、約束を覚えてるか?」
「うん……! アタシ達は二人なら最強だって。ずっと一緒、絶対に離れない」
「ああ。この御守りはその証だ。鬼殺隊の任務は単独でこなさなきゃならない時もあるからなぁ。そういう時でも、必ずこれがお前を護ってくれる」
「―――! うんっ! お兄ちゃん大好き! アタシ、もうなんにも怖くないよ!」
照れてはにかみつつも、嬉し気に言って梅は俺の腕に抱き着いた。
梅は俺の手を引く。
「さ、一緒に行こお兄ちゃん! カナヲがもう一人で行っちゃいそうだから、急がなきゃ!」
「ん? お前、俺も最終選抜を受けるのを知ってたのか?」
「うん! 実はなほ達からこっそり手紙で教えてもらってたの。……最初はね、どうしてそうなっちゃうんだろうって思ったんだけど、やっぱりアタシはお兄ちゃんと一緒の方がいいんだって、そう思っちゃったから。だからね、今すっごく嬉しいの」
胸元の首飾りにそっと手を添えて、梅は愛しげにはにかんだ。
「……そうか」
「うん、そうそう! だから早く行こ! アタシ達は二人で一つ、二人なら最強なんだから! 向かうところ敵なし! 十二鬼月の討伐だって、お茶の子さいさいよ!」
「ああ、そうだなぁ」
弾む梅の声に頷き、共に歩を踏み出す。
二人で一つ。二人なら最強。その言葉を確かにこの胸に抱いて、俺達は同じ道を歩み出した。
今回で第一部・完な感じです。
次は今の時点での妓夫太郎と梅の人物紹介のようなものを上げてから、引き続き二十一話を更新していきたいと考えております。今後とも今作をよろしくお願いいたします!