何度生まれ変わっても 作:ミズアメ
この最終選別において肝要なのは『如何に生き残るか』――その一点である。
極端な話、鬼を討伐する必要はないのだ。しかし逆をいえば、幾ら鬼を斬ったところで生存できなければ意味がない。総じて重要なのは食料や水を確保すること、そして敵地でもなお冷静さを保ち続ける常在戦場の意気と七日の間それを保ち続ける精神力であるといえるだろう。
最終選抜に挑む者達の思惑は大抵同じ。
最も早く朝日が差す場所――山の東を目指し陣取ること。
鬼の巣窟で生き残るためには必要なことだ。しかしそれよりも優先すべき事柄は、まずはこの夜を乗り切ることである。
月明りのみを頼りとした状況で徒に山の中を動き回ってはならない。さもなくば遭難は免れず、運が悪ければ足を滑らせるなどして事故死する場合もあるだろう。
しかし山中の探索は必要だ。
人は塩と水さえあれば七日生存できるが、しかし水分を摂ることができなければ三日ともたずに死ぬ。水源の確保は急務だ。しかし焦って夜間に闇雲に動いたりすれば逆に己の命を失うこととなる。故に今は探索を後回しにして、日が昇るまでは鬼の奇襲に備えるべきだった。
梅はその定石を押さえている。
絶えず周囲に気を配りつつ、自身にとって不利な地形を避けて徐々に東へと移動する。
右手は常に、腰に差した刀の柄に置いていた。
日輪刀――この世で唯一、鬼を滅殺することができる武器。
師である甘露寺蜜璃から貸与されたその刀は鞘に納められておらず、代わりに柄頭に設えられた桜色の長い飾り帯を巻き付けることで白刃を覆い隠している。抜刀や居合の技には不向きな装備だが、梅はあえてそれを良しとした。
そもそも――梅が蜜璃から学んだ技は、まともな剣術と称せるものではなかったから。
元々は煉獄杏寿郎の下で、彼の継子として炎の呼吸法を学んでいたという蜜璃。しかし彼女はあまりにも高い独創性を有していたが故に、炎の呼吸を基にして己に最も合った独自の戦闘技術を編み上げたという経緯がある。それこそが恋の呼吸――梅が学んだ、鬼と戦うための術だ。
(この嫌な感じ――近くに鬼がいる。こっちにきてるわね)
梅は持ち前の優れた第六感によって、鬼の接近を察知した。
足を止め、帯留め用に腰に巻いた白い革ベルトに提げた、専用のホルスターから日輪刀を引き抜く。そして刀身を覆う飾り帯を解いた。刃の色は濃い桜色。元々の所有者である、甘露寺蜜璃の特性を表した色である。
通常――普通の刀で、蜜璃の恋の呼吸法の剣技を再現することはできない。
そもそも彼女が所有しているのは、蜜璃の特性に合わせて打たれたこの世に二つとない専用の業物だ。それに対して、梅が所持しているのは飾り帯以外は通常の日輪刀とそう大差がない造りである。しかし、それでも恋の呼吸法を行使することは可能であった。
開けた場所にて、前方から鬼が迫る。
『―――ヒャッハー! 人間だァ!』
『活きのいい人肉いただき―――!』
現れた鬼は二体。
敵の打った手は時間差で左右に回り込む個別の攻撃。二体一の状況では厄介な一手だ。けれど群れない鬼に戦略などというものは頭になく、これはただ単に先に獲物を見つけた方がその場から真っ先に駆けてきただけのことである。
「全集中・恋の呼吸―――」
深い呼吸によって、肺胞に限界まで空気を取り込む。多量の酸素が血液に溶け込み、全身の筋肉を漲らせる。
腰を沈め地を蹴り、梅は大きく後方へと跳び上がった。
巧みな体重移動によって空中で身を捻る見事な宙返り。その時、柔い握りの掌からするりと刀が抜け落ちる。
飾り帯の端を掴み、梅は空中で固く握った拳を振り上げる。
「伍ノ型――“揺らめく恋情・乱れ爪”!」
二転。空中で身を捻り、更に腕を振るう動作。それを受けて帯が強烈に撓り、生じた遠心力によって先端に括り付けられた日輪刀が翻る。宙を奔る刃は手近な位置にいた方――右側より接近する鬼の頸を呆気なく刎ねた。
三転――更に梅は身を捻って空中で態勢を立て直し、刀を手元まで引き寄せる。
飾り帯と入れ違いになる形で、日輪刀は梅の左手の掌中に収まった。そしてそれと同時に、今度は右手で柄の根元の帯を掴んで振るう。
飾り帯は鞭のように撓り、残るもう一体の鬼へ襲い掛かる。
まるで生きた蛇のような動きで、帯は鬼の足首に絡みついた。卓越した鞭術によって、梅はまんまと鬼を捉える。
「ハァ―――――ッ!」
右腕を引き、腕力に任せて帯を手繰り鬼を釣り上げる。
空中にて肉薄する両者。
梅は無防備な鬼の頸を狙い、左手に持った日輪刀を振り下ろす。刃は正確に鬼の頸を捉え、見事これを両断してみせた。
瞬き一つの間の出来事である。
二つの鬼の亡骸は宙に浮いたまま、跡形もなく塵と化して骨すら残らず消えた。
猫のように軽やかに着地し、梅は深く息を吐く。
(できた――ちゃんと、できた……!)
胸の奥から湧き上がってくる感慨が喉に閊え、梅は目を潤ませた。
成長している。
二年前――鬼に襲われても何もできず、誰も護れず。ただ蜜璃や妓夫太郎が戦っている姿を後ろで見ていることしかできなかった頃の弱い自分とは違う。鍛錬を経て得たこの力があれば、非道な鬼を倒し無辜の人々の命を救うことができる。
そして何より――これなら、兄と並んで戦える。
己の非力を恥じることなく。ずっと一緒に、彼の隣に立って戦える。そのことが何よりも嬉しかった。
(……ううん、浸るのは後にしなきゃ。まだ最終選別は始まったばかりだもの。しっかりと七日間生き抜かないと!)
ふるふると頭を振り、頬を張って気合を入れる。
藤襲山に放り込まれている鬼の総数は不明だが、しかし先程の二体で終わりなんてことは絶対にありえないのだ。鬼はまだこの山に掃いて捨てるほどいるに違いない。少しでも気を抜いたなら、それは命を脅かす絶大な隙となるだろう。
必ず生き残る。そう約束したのだから。
七日後に――兄と再会するまでが最終選別である。
心意気を新たに打ち立てて、梅は固く拳を握り締めた。
さて、と一息吐いて刀を構え直す。
梅の剣技はその特性上、遮蔽物が多い環境では本領を発揮できない。故に今宵限りはこの開けた場に留まることにしたのだ。
夜目の利かない梅にとって、夜の山を探索することはそれ自体が死を意味する。そのことを理解しているが故に食料や飲み水、寝床の確保は夜が明けてからに回し、それまでは自分にとって有利な地形であるこの場に陣取り鬼の襲撃に備える腹積もりだ。
―――だが。
「イヤ―――ッ! 死ぬぅ―――ッ! 誰か助けてぇ―――――ッ!!」
不意に、汚い高音の絶叫が藤襲山に木霊した。
恐怖に駆られ凄まじく怯えた声。それを耳にした瞬間、梅は直感した。この叫び声の主は、鬼に襲われて窮地に陥っている。
(どうしよう……)
梅は逡巡する。
本音を言えば助けに行きたい。だが自身にとって有利な地形を捨てて、見ず知らずの人のために命を懸けて戦うのか、という戦略的な判断。そして藤襲山にいるのは最終選別に挑む鬼殺の剣士であるという認識。この二つが梅の足を止めさせていた。
そもそも梅が兄・妓夫太郎と別れて行動しているのは、これが最終選別――つまりは剣士としての最後の試練であるからである。独力で達成し乗り越えねばならない。そうでなければ意味がないのだ。
けれど―――
「……困っている人を助けられないようじゃ、剣士失格よね!」
迷いを振り払い、梅は走り出した。
* * *
我妻善逸は全力で駆けていた。
藤襲山は観光地として整備された山ではない。増してや今は夜だ。当然、常人であれば走るのはおろか歩くのですら困難な環境である。
そんな中を走り続ける善逸。決して速力を落とすことなく――それどころか尚も加速し続ける、凄まじい脚力と体幹。その見事と評する外にない早駆けは、彼が内に秘めたる優れた剣士としての才能の一端の発露であるといえるだろう。
ただし、目下逃走中である点を鑑みなければの話ではあるが。
「―――いや無理! 絶対無理! 無理に決まってるでしょ常識的に考えてさぁあ!? だってさ相手人喰い鬼だよ!? 勝てる訳ないじゃん! 絶対勝てる訳ないじゃん! むしろ勝てる方がどうかしてるよ人間じゃねぇよやだもぅ怖い! あぁぁああああああ、怖い怖い怖い! 助けて爺ちゃん! 爺ちゃぁぁあん! ……って爺ちゃんが無理やり俺をここに放り込みやがったんだったわ! 俺が今鬼に追われて死にかけてんのも爺ちゃんのせいだったわ! いやまあさ! 全く修行の成果を発揮できずに逃げてる俺が一番悪いんだけどね!? それでもやっぱさあ、鬼が怖過ぎるんだって! ほんと無理! いやマジでほんと無理! 誰かを助けられるような一人前の剣士になれれば本望だって思ってやってきたけど! 今も思ってるけど! なりたいけど! でもやっぱ実際問題、無理なものは無理ぃぃぃいいいいいいいいいっ!!」
あまりの恐怖からか声が裏返り、善逸の絶叫は完全な奇声として山中に響き渡った。
それを聞き、善逸を追っていた鬼は焦る。
人間を食おうと狙っている鬼はこの山に腐るほどいるのだ。ともすれば、今の叫び声を聞いた他の鬼達が寄ってくる可能性が高い。獲物を独占するためには、早急に仕留める必要があった。
しかし、追いつけない。
まだそれほど人を喰っていない鬼であるために、追いかける鬼の身体能力が低いことも一因ではある。しかしそれ以上に、善逸の足が速いのだ。本人が思っているよりも圧倒的に。
地獄のような鍛錬に耐えた末に獲得した、強靭な足とそれを活かす歩法。それこそが我妻善逸が有する鬼殺の剣士としての最大の武器なのだ。ただし、正しく運用されているとは言い難いのが現状であるが。
『クソ、いい加減にしやがれ―――!』
「―――ぶっ!?」
罵倒と同時に、鬼は足元に転がっていた石を蹴った。
剛力によって射出された石が、善逸の背中に突き刺さる。逃走に専念していたために、回避動作が間に合わなかったのだ。
衝撃に圧され、善逸は派手に躓く。
漸く獲物が見せた絶好の隙に鬼は舌なめずりをすると、口を限界まで開けて飛び掛かり―――
―――突如現れた女の回し蹴りを食らい、吹き飛ばされた。
『ぐぼっ!?』
間の抜けた悲鳴を上げて鬼が吹き飛び、離れた位置に生えた大木に激突する。
善逸は恐る恐るといった様子で、震えながら視線を上げる。そして自分を助けた何者かの姿を認めるや否や、途端に鉄砲で胸を撃ち抜かれたような衝撃に打ちのめされた。
現れたのは少女であった。
それも可憐な美少女だ。年の頃は善逸に程近い、十代の半ばほど。黒い着物と西洋風の外套を纏い、花柄が特徴的な赤紫色の帯を腰に巻いた猫のような出で立ち。蹴りを放ったことで乱れた着物の裾を一撫でで直してみせた手際はひたすらに鮮やかで、ある種の品格を感じさせた。
女性にしては身長が高く、鉄製の分厚い吉原下駄を履いていることもあって上背は善逸とほとんど同じ。
そしてその顔立ちは極めて端整だ。
背の半ばまで伸びる銀色の髪に縁取られた顔貌の造形は、人間離れしていると称するに値するほど美しい。何よりその双眸に収まる瞳の色――磨き上げられた翡翠の宝石のような碧い瞳が、その印象に拍車をかけていた。
謝花梅は、日輪刀を右肩に担ぐ上段の構えを取る。
全集中の呼吸により、全身の筋肉が膨張する。踏み締めた地面が圧力によって陥没する。
相手に態勢を立て直す間はやらない。一刀で以って、敵の頸を落とす。
「恋の呼吸・壱ノ型――“初恋のわななき”!」
放たれた超速の斬撃を、しかし善逸は確とその目に捉えていた。
それは、見惚れるほどに鮮やかな一刀だった。
斬られた鬼は、断末魔すら残さずに塵と化して消えていく。鬼殺の剣士を名乗るに相応しい技量と手際の良さ。そして人助けの心。どれをとっても完璧で、荒を探したくとも探しようがないほどであった。
「ふぅ……」
残心のまま一息吐き、梅は後方で蹲ったままの善逸に向き直る。
「アンタ大丈夫? 一応、怪我はないみたいだけど。ほら、そのままだと危ないわよ。早く立ちなさい」
相手は鬼に襲われ怯えているものと判断し、梅は努めて優しく語りかけて手を差し伸べた。
その姿を呆然と見上げる。
華のように可憐な少女。鬼をものともせずに人助けを成した、誇り高き少女。月明りを背負った彼女の姿を見る善逸の胸の内では、強烈な炎が燃え盛っていた。
「けっ―――」
「け?」
「結婚してくだしゃぁぁあああ――がはっ!?」
差し伸ばされた手に縋りつかんと身を跳ね起こした善逸の顎を、梅は半ば反射的に蹴り上げた。