何度生まれ変わっても   作:ミズアメ

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 ―――魔剣の話をしよう。
 魔剣とは、理論的に構築され、論理的に行使されなければならない。


第弐拾参話 雷鳴の如く

 梅は困惑していた。

 

「けっ、結婚、結婚してくだしゃい! たぶん俺は今日死ぬから! だからッ! だから、結婚して欲しいという訳で! お願いします、お願いしますぅ!」

 

 恥も外聞もなく、号泣しながら平伏する黄色い頭の少年。よくよく見れば、その姿には見覚えがあった。二十数名いた最終選別の挑戦者の中でも抜きんでたものを感じた四人の内の一人だ。

 そして、それ以上に因縁のある相手でもある。

 彼こそは前世において鬼であった梅――上弦の陸・堕姫の頸を斬った剣士達の一人であり。あの時吉原に訪れていた鬼狩り達の中で、最も初めに遭遇した人物だ。しかし前世の記憶を有していない梅にとっては、目の前の男からは妙な既視感以外に感じるものは特にない。

 

 もっとも、その醜態からひどい情けなさを感じてはいるのだが。

 

「助けてもらったこの恩は忘れないよぉお! 一生をかけて君に報いる報いてみせます必ず! だからッ! 俺とッ! 結婚してくださいぃいいいいい!」

「あーもう、鬱陶しいわね! いい加減にしなさいよこのタンポポ頭が!」

「タンポポ頭なんて呼ばないでおくれよぉ! 俺の名前は我妻善逸っていうんだ!」

「ああそう、私は謝花梅よ! わかったからさっさと離れなさい善逸!」

「わあ! 俺なんかの名前を憶えてくれた上に、自分の名前まで教えてくれるんだね! それに俺の名前を呼んでくれるなんて――嬉しい! すごい愛しい! 結婚して梅ちゃぁぁあああん!」

「は、な、れ、な、さ、い―――ッ!」

 

 足に縋りつく善逸の頭を掴み、全力で引き剥がす。そして頭を鷲掴みにしたまま梅は一喝した。

 

「アンタ剣士でしょ! どういう事情があるかは知らないけど、育手の人に見出されて最終選抜に挑む許可を与えられるまで鍛えたのは事実なんでしょ!? なのになんでそんなに恥を晒すの! 初対面の女の子相手に縋りついたりして――お世話になった人達に申し訳ないと思わないの!?」

「申し訳ないと思ってるよ! 爺ちゃんにも兄弟子にも! 今こうして迷惑をかけている君にも! できることなら助けられるよりも助けたいよ俺だってさぁあ! でも無理なんだ! 俺は戦えない! びっくりするほど弱いから! ほんとにびっくりするほど弱いんだ俺ってやつは! 雷の呼吸だって一つの技しかできたことないしね! だからきっと生きたまま腹を裂かれて内臓とか軟骨を貪り喰われちゃう! ああぁぁあああああ怖い! 怖い怖い怖い! 七日間生き残るなんて絶対無理! だからせめて俺に最期の思い出を頂戴! ください! 結婚してぇぇええええええッ!」

 

 しゃくりを上げながら咽び泣く善逸。その姿は最早、女々しいという領域を通り越していて非常にみっともなかった。

 善逸の有り様があまりにもひどいので、梅は自分の勘が鈍ったのかと訝しむ。

 しかしだからこそ放ってはおけない。一度助けた手前、ここで見捨ててしまっては梅自身の矜持と美意識に反する。何よりこのまま見殺しにしてしまうのはとても寝覚めが悪い。

 

 梅は諦めの溜息を吐いた。

 

「はあ……まあ、これも何かの縁だし。ぜったい結婚はしないけど、最終選別の間だけは面倒見てあげるわ」

 

 鬼殺隊に入ったならば、一般人を守りながら鬼と戦う機会もあるだろう。今回の経験も、いずれは何かの役に立つかもしれない。梅はそう考えた。

 

「ほんと!? 結婚してくれるのッ!?」

「結婚はしないって言ってるでしょ! なにを聞いてたのよアンタは! いいから泣くのはやめて、さっさと黙って立つ! それで早く移動するわよ。ずいぶん騒いだからね、このままじゃ鬼が寄ってくる―――」

 

 言いかけた言葉を飲み込み、梅はその場で半身を翻し僅かに腰を落とす。

 毛を逆立てて威嚇する猫のように、梅は周囲へ強い警戒を向ける。

 

 複数の鬼が、この場に集まりつつある。

 

「梅ちゃん――お、おお、俺が囮になるから……君は、逃げて……」

「バカ言ってんじゃないわよ。ここで見捨てるくらいなら、最初から助けたりなんてしないわ。いいからアンタはアタシの後ろで黙ってしゃがんでなさい。いいわね?」

 

 声を低くして言い聞かせる。善逸は逡巡するが、しかし言いつけられた通りに縮こまった。

 大木に背を預け、敵襲に備える。

 周囲は太い木が乱立する地形。刀を振るうことはできるが、しかし動き回りながらとなると厳しい。特に恋の呼吸法を用いた飛んだり跳ねたりしながらの斬撃は不可能であった。

 

 けれども――負けない。絶対に。

 

 元より恋の呼吸は炎の呼吸より派生したもの。それそのものを習得してはいないが、剣技の基礎となる理念は学習している。そしてこの藤襲山にいるのは、精々がほんの少し肉体が異形化している程度の弱い鬼ばかりなのだ。やってやれないはずがない。

 

(そうだ――アタシならやれる。だってお兄ちゃんの妹なんだから!)

 

 己を鼓舞し、逆手に持った刀の柄を固く握り締める。

 左手は柄頭から伸びる飾り帯を撫でるようにして手繰り、半ばの辺りで手を止め端を掴んで二重になるように折った。その態勢のまま、鬼の気配を探る。

 

 最も近いのは――左方から接近する一体。

 

『キェァアアアア!』

 

 最早人の言葉すら発することなく、奇声を上げて襲いくる鬼。そちらへ向けて、梅は飾り帯を振るった。

 優れた鞭術によって、帯は鬼の頸に絡みつく。

 同時に、梅は全身に力を漲らせた。酸素を得て膨張した筋肉が、女子の細腕にあるまじき怪力を発揮する。

 踏み込み、上体の捻りを加えて得物を全力で引く。瞬間――鬼の頸が千切れた。

 

 梅の日輪刀に設えられた飾り帯は、刃金と同じ材料で作られている。

 猩々緋鉱石と猩々緋砂鉄を原料とした繊維状の極めて細い針金を織って編まれたものだ。それ故に布でありながらもそれ自体が鋭い切れ味を持つという万化の得物である。

 

 頸をもがれた鬼の死骸が黒く変色し、塵となって崩れ落ちる。

 

 同胞の骸が消滅し終えるのを待つなどということもなく、間を置かずに新手が出現する。

 此度は三体同時。

 間合いに入ったと認めるや否や、刀を一閃。刃は最も右側の鬼の頸を捉え両断するが、しかし二体を討ち漏らした。

 鬼の攻撃を、僅かな動作で全て躱す。そして刀を振るって二体目の鬼を牽制、更に帯を使って三体目の鬼の足をむしり取る。そして地面に転がった頭を全力で蹴飛ばし、遠くへと放った。

 次ぎの斬撃で二体目の鬼の頸を斬る。

 そして三体目に止めをくれてやろうと踏み込んだところで、足を止めた。

 

 ―――囲まれている。

 

 気配は六つ。都合六体もの鬼がこの場に集い、二人を取り囲んでいた。

 全方位から食欲に満ちた悍ましい視線を浴びせられ、梅の肌が泡立つ。

 

(なんて数……)

 

 もし仮に――先程の広く開けた地形であっても苦戦を強いられるであろう物量。当然、この場で一斉に襲いかかられたらひとたまりもない。

 絶望的な状況だが、それでも一縷の望みはある。

 鬼達は獲物を独占したいが為に、互いに牽制し合っているのだ。少なくとも、直ぐに全ての鬼が襲撃を仕掛けるということはない。しかしそれも時間の問題。空腹に耐えかねた者が現れ、そいつを迎え撃つべく攻撃に転じたならば、その隙を突くべく他の鬼達が殺到するだろう。

 

「……先に謝っとくわね、善逸。アタシの力不足で助からないかもだから」

 

 声に震えはない。しかし梅の脳裏に過るのは、この窮地に颯爽と兄が現れて助けてくれるという実に都合のいい妄想であった。

 それでも内心の恐怖を決しておくびにも出さず、最後まで誇り高く在ろうとする。

 そんな少女の背中を見上げて。気丈に振舞う音を耳にして。この気高い娘を護りたいと、善逸は心の底から思った。

 

 ―――諦めるな!

 

 恩師の激励を思い出す。

 目の前の少女の背中から読み取れる音は、彼と同じ想いで溢れていた。

 

(そうだ――こんなところで諦めるな。これは全部俺のせいだ。俺が不用意に騒いだからこんなことになったんだから、俺がなんとかしなくちゃいけないんだ)

 

 震える膝を叩き、善逸は何とか重い腰を上げる。

 

(爺ちゃんと一緒に、今まで必死に修行してきたんじゃないか。足手まといになんてなっちゃ駄目だ……! 鬼を倒すことができなくても、それでも自分の身は自分で守れ! 爺ちゃんが教えてくれたことは――今まで俺にかけてくれた時間は無駄じゃないって、証明するんだ!)

 

 己を卑下しつつも、それでも前を向く。

 及び腰でありつつも左手で鞘を掴み、右手を柄に添える。それは居合いの構え。鞘の存在によって敵に間合いを誤認させ、その上で抜き打ち様に斬撃する奇襲の技。刀を用いた戦闘術における、最も最適に近い剣技。

 準備は不十分。調子は不完全。それでもやらなければならないのだと、決意する。

 

 しかし―――

 

『―――こいつらを喰うのは俺だ、失せろ!』

『いいや俺だ! 腹を裂いて内臓を貪り喰ってやるんだ!』

『この野郎を喰うのは俺だぜー! 軟骨がうめーんだよ、軟骨がァ―――――ッ!』

 

 

「―――ひっ!?」

 

 決意した瞬間。

 鬼共の悍ましい台詞が耳朶に流れ込んできたことによって、恐怖と責任感が限界を突破した善逸は気絶した。

 

『よくもやってくれたな、女! 死ねぇ!』

 

 膠着した状況に一石を投じたのは、梅によって足を千切られた鬼だった。

 動ける程度まで回復した足で大地を蹴り、少女の柔肉を丸齧りにしようと大口を開けて飛来する。他の鬼の出方が気になって仕方のない梅は、満足に鬼を迎撃できない。

 鬼の牙が迫る。

 好機と見て、他の鬼達が一斉に動き出す。

 

(ごめんなさい、お兄ちゃん……!)

 

 攻撃を迎え撃つ姿勢を取ったまま、しかし梅は約束を破ってしまう結末となったことを心の内で兄に詫びた。

 

 しかし―――――

 

 

「―――――雷の呼吸・壱ノ型、“霹靂一閃”」

 

 

 訪れる死は、梅ではなく鬼の命を刈り取った。

 何が起こったのか、分からない。

 もう目の前まで迫っていたはずの鬼の姿は喪失していて、入れ違う形で黄色い少年の背中が佇んでいる。ただ彼の足元に転がる塵の塊だけが、そこに鬼が実在したという現実を訴えていた。そして遅れて聞こえた鞘鳴りの残響――それこそが怪異の正体であると、梅は直感する。

 

 今のは居合い。

 

 それも目で追えないほどの速さによって繰り出される抜刀術などという、御伽噺の中でしかありえない馬鹿馬鹿しいほどの絶技なのだと。

 

 ―――シィィィイイイイイイイイイイイイイイイイイイ

 

 落雷の直撃を受け、水分が沸騰し蒸気が噴き出すかのような独特な呼吸音。

 全集中の呼吸。鬼と戦うべく、彼等と同等以上の身体能力を発揮するために人間が編み出した秘術の一つ。雷の呼吸法。その剣技は名の如く、あらゆる悪鬼を瞬く間の内に滅殺する。

 

 決して力まず、徹底して脱力。

 片足を大きく後方へと下げ、前傾姿勢を取る。それはただ抜刀する――その一事にのみ全力を注いだ戦型。歴史上にも多数存在した居合使い、その中の最先端。この世でただ一人、我妻善逸のみが辿り着いた究極の剣。

 

 決して誰にも真似できない、継承の能わぬ一代限りの剣理。

 

 魔剣。

 魔剣に近い居合い。

 

 

「雷の呼吸、壱ノ型―――――」

 

 

 空気が揺れる。大地が震える。

 それは弛まぬ修練の果てに成した強靭な心肺機能によって、大気が急激に増減を繰り返しているからだ。それは鍛え抜かれた強剛な足に踏み締められたことで、地面が震撼しているからだ。味方である筈の梅ですら総身が粟立つほどの圧力を、目の前の少年が発している。

 

 森を駆け、六体の鬼が迫る。

 

 潮騒が高まる。鞘に掛けた善逸の左手が、鯉口を切る。夜闇に映える黄色い刃。その刃金の煌めきはこの世で一等に美しく、けれどだからこそ決して見ることは叶わない。

 

 

「―――――“霹靂一閃・六連”」

 

 

 放たれる雷速の居合い。

 斬撃の数は都合六度。この場に集った鬼の頸を、瞬き一つの間に全て斬り落とす。その間に鞘から抜かれたはずの刀身を見た者は誰一人として存在せず、梅だけが稲妻の如く直線を駆ける少年の黄色い軌跡のみを捉えていた。

 稲光の後、一泊遅れて轟く踏み込みの足音。

 それは雷鳴の如く、藤襲山に響き渡る。神鳴りに撃たれた六体の鬼の骸は、当たり前のように黒く焼け焦げてこの世から消え去った。

 

「んがっ!?」

 

 唐突に、善逸が間抜けな声を上げる。

 鼻提灯が弾けたことで意識が現実へと再浮上したのだ。意識を失っていた間の出来事を何一つ覚えていない善逸は、恐る恐る周囲を見回す。あれだけいた鬼はもういない。この近辺にはもう一匹もいないのだと、音で分かる。

 

(まさか、俺が気絶してる間に梅ちゃんが―――)

 

 感極まって涙を零しかけたところで、しかし善逸は完全に予想外な衝撃を食らった。

 

「―――凄いじゃない善逸!」

「うひゃぁっ!?」

 

 梅に抱き着かれ、善逸は自分の口から心臓がまろび出る様を錯覚した。

 初めて触れる女性の柔らかな感触。そして甘い匂いに鼻腔をくすぐられ、善逸は緊張と戸惑いから全身を朱に染めて硬直する。

 

「なによもう、謙遜しちゃってさ。それだけの実力があるならそこらの雑魚鬼なんていくら来てもへっちゃらじゃない! 今度ばかりは本当に助かっちゃった! ありがとね、善逸!」

「え、えぇ……?」

「最初は選別終了までアタシが守るつもりだったけど。でも、そんなに強いのならその必要もないか。むしろ一緒にいちゃダメよね。だって試験の意味ないもの。うん、お互いあと七日間がんばりましょうね、善逸!」

「いや、ちょっと待って梅ちゃん!?」

 

 にこにこと上機嫌な様子で、梅が去っていく。その背中に向かって善逸は腕を伸ばすが届かない。その構図は、人懐っこい野良猫と、それを追いかけようとする人間そのものだった。

 

 それもそのはず。

 

 善逸が、自身が眠っている間に戦っていることを知らぬように。梅は善逸が気絶した状態で戦っていたことに気付いていないのである。

 

 既に遠く、夜闇に紛れて小さくなっていく少女の背中。

 

「じゃあまたね、善逸! また七日後に会いましょ! 結婚は無理だけど、その時にはお茶くらいなら付き合ってあげるわ!」

 

 一度だけ振り返り、「またねー!」と元気よく手を振る梅。その姿は、あっという間に木々に紛れて見えなくなった。

 

 見捨てられ、置いて行かれてしまったのだろうかと、善逸は自問する。

 

 しかし、即座に否と頭を振った。優れた聴覚を持つ善逸は、心音や呼吸音などによってその人の考えていることを読むことができる。

 梅の言葉に嘘はなかった。唯の一つも。

 彼女は本心から善逸の強さを認めていたし、何より――七日後の再会を楽しみにしていた。

 

(戦えるのかな……俺も。あの子が言うのなら、もしかして、本当に……)

 

 そんな風に思う。

 自分のことは信じられないけれど。それでも、彼女の言った言葉は信じたい。嘘にしてはいけないのだと、善逸は思う。

 

「―――よし。俺は必ずこの最終選別を生き残る! そして梅ちゃんとお茶、を……?」

 

 決意を新たに――仕掛けたところで、不意に語尾が濁る。

 

 がさがさと、足元の茂みが揺れる。そして青々とした枝葉の隙間から、鬼がひょっこりと顔を出した。

 

 血走った眼と、視線が合う。

 

「いやぁああ! やっぱ無理ィ―――――ッ!」

 

 絶叫を撒き散らし、善逸は逃げ出した。

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