何度生まれ変わっても   作:ミズアメ

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第弐拾肆話 猪突猛進

 肉を喰う。

 

 柔らかな肌に歯を突き立て、噛み千切り。録に咀嚼もせずに飲み下す。傷口から滴り落ちる血を啜る。硬い骨を噛み砕くのにも苦心はしない。普通の鬼は食わない胃や腸も内容物を避けて食らい、必死で貪った。

 

 腹が減っているのだ。

 

 今までもずっと飢えていた。そもそも生まれてこの方、俺は腹一杯まで飯を食ったことなんて一度もなかったからだ。

 しかし、今は違う。

 食い物は腐るほどある。味に関しては、生来から頓着したことなどないからどうでもいい。だから貪る。満たされるまで喰い続ける。

 きっと――満たされることなどないのだと、薄々と察していつつも。

 

 俺は肉を食らう。

 俺は屍を食らう。

 

 俺は――人を殺して、その屍の肉を喰らう。

 

 腹の虫はいつでも喧しく泣き喚いている。

 この飢餓感が絶えたことは一度もない。だから俺は本能に忠実に、腹の虫に餌をやり続けた。

 爪を噛み割り、目玉を呑み、髪を啜り、歯の一本一本すら丹念に舐る。

 

 俺は、数え切れないほど沢山の人間を喰った。

 それでも俺の飢えは一向に治まる気配がない。

 

 どんなに喰っても決して満たされることはない。そんな今の俺の姿は、まるで――餓鬼にでもなったかのようだ。

 そしてそれは錯覚などではなく、単なる事実である。

 

 ―――あの日。

 

 空気の冷たい、体の凍てつく深い夜。雪の降る日。

 人によって家族を奪われた俺は、鬼によって救われた。奴等の血を与えられたことで人でない生物へと変貌し、人を食らう化け物になったのだ。

 気分が良かった。

 この世の中は全部糞ったれだ。その中でも俺が生まれた場所――吉原は一等酷い掃き溜めだ。

 売り物にされる女と、欲望を発散させることしか頭にない獣共。そしてそんな屑からさえも爪弾きにされた塵。それが俺であり、妹だった。

 

 この苦しみを――この憎しみを、なんといおう。

 

 俺のことはどうでもいい。醜い者は排斥されるのが道理だというのなら――幾らでも甘んじて受け入れてやる。なんたって事実だからなぁ。

 

 だっていうのに――妹が何をした。

 

 梅が何をした。

 あいつは俺なんかとは違ってた。器量もいいし、覚えも早い。頭の回りはちと鈍いが、それは愛嬌だ。なんにも欠点なんてありはしない。

 だっていうのに、なんであんな目に合わなきゃならねぇんだ。なぁあ?

 

 許せねぇよなぁあ。

 許せねぇよなぁあ。

 許せねぇよなぁあ。

 

 殺してやる。殺してやる。殺してやる。

 妹の人生を台無しにした奴も。虐げられているのを素知らぬ振りで素通りしていった奴も。幸せな人生を送っている奴も。神も仏も、全部全部、俺が殺してやる。殺して喰ってやる。

 

 俺にあるのは逆恨みの怨念とみっともない嫉妬。

 

 自分達が不幸だった分を、自分達よりも幸福な人間から奪い取って帳尻を合わせる。そうでなきゃ取り返せねぇ。そうしなければ生きられねぇ。だから俺は取り立てる。それが俺の――妓夫太郎の生き方だ。文句や言いがかりをつけてくる奴は誰であろうと皆殺しだからなぁあ。

 

 だが、それでも。もしかしたらと、思うことがある。

 

 恨みも、妬みも。俺が全てを捨てて、真っ当に生きたのなら。あいつは……あいつだけは。幸せにしてやることが、できたのだろうか―――――?

 

 * * *

 

「―――――う、……ぐぉっ」

 

 唐突に胃がひっくり返り、中身が逆流する。俺は咄嗟に寝転がっていた体を起こし、地面に向かって反吐をぶち撒けた。

 胃液の苦い酸味が気持ち悪い。だがそれ以上に、俺は口の中に残った血の味を嫌悪する。

 吐瀉物のほとんどが血と肉だった。

 それは俺の血ではないし、当然人のものでもない。仮眠を取る前に腹ごしらえとして生の蛇を食ったものだから、それを吐き戻してしまっただけだ。

 

 最終選別が始まってから既に六日。

 

 藤襲山で行われる鬼殺隊入隊を掛けたこの試験も、遂に終盤へと差し掛かっていた。東の空は暗く、最後の夜が始まろうとしている。

 

 ―――最悪の目覚めだ。

 

 毒づき、汚れた口元を乱暴に拭う。懐から竹を加工した水筒を取り出して栓を抜き、呷った。

 口内の気色悪い感触をどうにか一新し、一息吐く。

 

 夢を見るのは珍しいことじゃない。

 今までにも何度も前世の記憶を――鬼だった頃の時分や、地獄で焼かれている時のことを度々見せつけられてきた。だが食ったものが悪かったのか、今日の夢はいつにもまして鮮明で、だからこそ耐えられない。

 

「……修行が足りねぇなぁ」

 

 苛立ち交じりにひとりごちる。

 水筒を仕舞い、立ち上がる。そして腰に差した刀を抜き、歩き出した。

 そろそろ鬼も活動を始める頃だろう。この山にいる鬼は大して人を喰っていない雑魚ばかりだが、だからといって不遜に構えていては死を招く。油断こそが大敵であると肝に銘じて、辺りを警戒しつつゆるりと歩を進めた。

 夜明けと同時に試験場の入り口に戻るくらいの速度を意識して、山道を行く。

 

 すると程なくして――妙な気配がこちらへと接近してきた。

 

 知っている気配だ。

 この慌ただしいというか荒々しい足音。獣のような呼吸音。この特徴を他の者と違えることはない。最終選別が始まってから一日目の夜――不運にも遭遇してしまって以降、俺に付きまとっている妖怪もどきの気配だ。

 

「猪突猛進! 猪突猛進―――――ッ!」

 

 雄叫びを上げながら、横合いの茂みから飛び出してくる猪頭。

 それが何なのかと問われれば―――俺が訊きたいと答えたい。

 

 年の頃は梅に程近い。上背はそこまで高くないものの、しかしその骨身を鎧う筋肉は一目で分かるほどに強靭に発達している。そんな恵まれた肉体を惜し気もなく晒し、獣の皮で造ったと思しい穿き物で下半身のみを覆い、尚且つ頭に猪の剥製を被った姿は紛れもなく異常者だ。

 そして腰には二本の刀。柄と刃を晒で覆い隠した二振りの得物を、左右に一本ずつぶら提げている。そしてその手には――何故か巨大な蛇がのた打ち回っている。

 

「ハッハァ―――ン! ほらどうだ、これを見ろ! 枯れ尾花のかずのこ九太郎! お前が捕まえた蛇よりも、俺が捕まえた蛇の方が大きいぜ! 俺様の勝ちだな! フッハハハハハハハハハハハ!」

「そうかよかったなぁ。……食わねぇんなら、元の場所に捨ててこいよなぁ」

「ムキ―――ッ! 気に食わねぇ! なんだか無性に気に食わねぇぜお前―――――!」

 

 邪険に手で払う動作をすると、途端に怒気を漲らせて絶叫する猪頭。

 

 五日前に遭遇して以来、こいつは俺に付きまとい事あるごとに突っかかってくる。しかし馬鹿正直に応えるのも面倒なので毎回適当に流しているのだが、その度に逆上して余計にこちらを目の敵にしてくるものだから手に負えない。

 そしてこんな奴と前世から因縁があるのだと思うとひどく気が滅入る。なるほど、夢見も悪くなる訳だなぁ。

 

 この怪人・猪頭――嘴平伊之助のことを、俺は知っている。

 

 炭治郎と同じく、前世で最後に俺が戦った四人の鬼狩りの内の一人。黄色い頭のガキと共に堕姫の頸を斬った男だ。間違いない。こんな奇怪な格好の奴がこの国に何人もいる筈がねぇからなぁ。

 

「やっぱテメェとはこいつで決着をつけなきゃならねぇみたいだな……! さあ――刀を抜いて構えろ九太郎! 今日こそテメェを倒し! 俺が最強であることを証明してやるぜッ!!」

 

 刀に巻き付けた布を一気に引き剥がし、白刃を外気に晒す。

 伊之助の二刀は刃毀れが酷く、一見した限りでは武器としてまともに機能するようには見えない。しかし「千切り裂くような切れ味が自慢」と豪語するだけのことはあり、事実として一刀の下に鬼の頸を斬る場面を何度も目にしている。

 

「いいぜ。今日も付き合ってやるよ」

 

 我ながら随分と軽薄にうそぶくものだと感心しつつ、刀を抜く。

 左手には草刈鎌。何かの役に立つだろう思い、持ってきておいたものだ。

 

 突っかかってくるのは面倒だが、それは些事に限った場合の話だ。こと剣での勝負であれば断る理由はない。むしろ雑魚鬼の相手に飽きていた身としては、望む所というものだ。

 

 剣戟を交わす。

 

 相手の得物は二本。けれどその剣技は二刀流の常識を逸脱している。

 一概に言えるものではないが――二刀流とは本来、攻撃ではなく防御にこそ重きを置くもの。両手で振るう太刀を片手のみで扱うのだから、どうしても一刀流と比べて一撃の威力が落ちるのだから仕方がない。

 しかし目の前の男はその道理を超越する。

 荒々しく振るわれる二刀の動きは直線的且つ単調であるが、その一方で速力が尋常ではなく極めて一撃が重い。人間も大型の獣ではあるが、それ以上の力と獰猛さだ。更には人間離れした関節の柔さを持っており、それを最大限に利用してこちらの想像を上回る予想外の一手を打ってくることも多い。実に厄介だ。

 しかしそれはこちらも似たようなもの。

 相手は獣の狩りを模した動きをしているのに対して。こちらが模しているのは虫の狩猟だ。力と勢いでこちらを圧倒するというのなら、技と手数で以って天秤を覆す。

 

 こちらもまた二刀流。刀と鎌を組み合わせて、獣の爪と牙を捌く。

 

「強ぇ――強ぇ、強ぇ、強ぇぜ! 今までに相手にしてきた奴等の中でも一番強ぇ! この山ん中の鬼共なんざ比べ物になんねぇ! だからこそ俺はテメェを倒すぜ、この手で! そして正真正銘! 完全無欠に! 俺が最強であることを知らしめてやるッ!」

 

 俺と遭遇して以降――伊之助は四日間ずっとこの調子だ。その熱気に中てられたか、こちらもついつい剣を振るう腕に熱を込めてしまう。

 自然と口端が釣り上がる。

 猪頭に覆われていて見えないが、きっとこいつも笑っていることだろう。わかるぜ。楽しい。楽しくて仕方がない。気骨ある相手との仕合は、面白くってしようがないよなぁあ―――!

 

「獣の呼吸――参ノ牙! “喰い裂き”ッ!」

「炎の呼吸――蟲ノ型(はじめ)ノ段、“蟷螂(とうろう)”!」

 

 ぶつかり合う刃金と刃金が、闇夜に火花を散らす。

 ふと気が付けば、日は完全に落ちていた。

 時間を忘れるほどに没頭していたらしい。そういえば、途中に何度か鬼を斬ったような気がする。勝負の邪魔だと、叩っ斬った筈だ。それは伊之助も同じ。俺達は互いに鬼など眼中になく、互いの剣を高めることしか頭にない。

 

 剣を合わせる毎に、伊之助は目に見えてより強くなる。

 

 これはまだ伸びるなぁ。妬ましいほどの才気だ。そして僻むと同時に、奇妙な喜びが胸中に沸く。新鮮な感慨だ。

 俺の稽古をつけていた時、杏寿郎もこんな心地だったのだろうかと想う。

 相手の伸びしろに戦慄し、同時により高みへと至る己の剣に歓喜する。もしも自分がそういう弟子であったのなら光栄だと、そんな風に振り返りながら――応じる剣に力を込める。

 

「―――ッ!」

 

 押される伊之助。こちらの追撃を、満足に捌き躱すことが困難であるように見える。

 

 俺と伊之助の力量は互角ではない。

 どうやら伊之助は全集中・常中ができないらしく、基礎体力の面で俺とは明確な差があった。

 こいつはその差を埋めようと必死だが、しかし一朝一夕で覆るようなものでもない。その結果として――丸々一晩が経過した今。俺は呼吸一つ乱れていないのに対して、伊之助は疲労によって荒く肩で息をしている。

 

 もうじき日が昇る。そろそろ潮時だ。

 

「テメェ――なんで刀を鞘に納めやがる! まだ勝負はついてねぇぞ!」

「それよりも空を見ろ。七日経って最終選別は終わったからなぁ。そろそろ山を降りる頃合いだ」

「なるほど、そういうことか! だったら俺が誰よりも先に山を降りてやるぜ―――――!」

 

 納得するや否や、伊之助は刀を手にしたまま全力で走り出した。凄まじい速度で山を駆け下りていく。その背中を見送ってから、俺も同じ方角へ歩を向けた。


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