何度生まれ変わっても   作:ミズアメ

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第弐拾陸話 心

 甲高い音を立てて、一枚の硬貨が宙を舞った。

 

 銅を材料にして造られた薄い金属片が、空中でくるくると回る。天井からぶら下がる白熱電灯の光を反射して眩く輝いた。余程大事にされているのだろう、その表面がぴかぴかに磨き上げられていることは遠目にもよく分かる。

 重力に従って、硬貨が落ちてくる。

 その様子を、謝花梅と栗花落カナヲの二人がじっと凝視していた。

 

 赤銅色の輝きがカナヲの手の甲の上に落ちる。硬貨は勢いのまま弾き飛ぼうとして、けれども寸での所で少女の手によって捕らえられた。

 さて――表か、裏か。

 開いてみるまで、結果は誰にも分からない。

 

 カナヲが手を退ける。

 硬貨が二人の視線に晒される。

 

 裏。

 

 硬貨の裏面に彫り込まれた、実に分かり易い一文字が目に入った。

 

「―――……で、なんだったの?」

 

 梅は首を傾げた。

 

 最終選別を終えた梅達六人は、藤襲山の麓に設えられた屋敷に足を運んでいた。

 下山前に童から説明があった通り、隊服の支給や階級の刻印など、鬼殺隊入隊に当たって必要な所用を済ませるためである。

 とはいったものの梅達自身がすることはあまりない。働くのは専ら『隠』の人間達だ。

 藤花彫りと採寸を終えた梅とカナヲの二人は、屋敷に入って直ぐ案内された待合室を兼用する女子専用の更衣室に居座って束の間の小休止を甘受していた。

 

 出された茶を啜りながら、数人掛けの椅子に腰掛けてまったりと寛いでいた梅。

 その隣に座るカナヲは茶に手を付けていない。全集中・常中を習得しているが故か、彼女の佇まいからは疲労の色は一切感じられなかった。

 

 そんなカナヲが不意に愛用の硬貨を弾いたのである。

 

 以前――半年ほど蝶屋敷に滞在していた梅は、アオイ達と同様にカナヲとも面識がある。しかし特別仲が良いということはなく、ただ彼女が物事に対する判断を投げた硬貨の表裏に依存している、という奇癖を持つことを知っているのみだ。

 とはいえ別段嫌っている訳ではない。むしろ仲良くなりたいと梅は考えている。物静かな彼女の佇まいは、何処となく兄に似ているし、そして今は亡き親友の姿を思い起こさせるからだ。

 

 カナヲは張り付けたような、仏像じみた笑みを浮かべて言う。

 

「うん。少し、訊きたいことがあったから」

「へぇ、珍しいわね。それで? 訊きたいことってなに?」

 

 湯呑みに口をつけ、梅は舌を湿らせる。そんな彼女の傍らで、カナヲは全く表情を変えることなく、何気なくといった様子で爆弾を落とした。

 

「妓夫太郎って、好きな人ができたのかな」

「―――――ぶほっ!?」

 

 梅が盛大にむせた。

 茶が気道に入ってしまい、何度も咳き込む。暫くして落ち着いた所で、梅は口元を拭いつつ胡乱に目を細めてカナヲを睨めつける。

 

「いきなり何を言い出すのよ、カナヲ。びっくりしたじゃない。っていうか、なんでアンタがそんなこと気にするのよ。別にお兄ちゃんのことが好きって訳じゃないんでしょ?」

「うん。これは、私が子供の頃の話なんだけど―――」

 

 そう口火を切り、カナヲは自らの過去を滔々と語った。

 上辺だけの感情。仏像じみた笑みを張り付けたまま、カナヲは告白する。

 

「私は誰にも興味が持てない。この世の全部がどうでもいいから、なにも自分で決められない。きっと死ぬまでずっとこのままなんだろうなって、漠然とそう思ってた。……でも、最近は、そうじゃないのかもって、そう思う」

「それは、どうして?」

「妓夫太郎が変わったから」

 

 全く表情を変えないまま、カナヲは言った。

 彼女の横顔に変化はない。梅は注意深くカナヲを観察する。

 

「一目で分かった。妓夫太郎はたぶん、私と近い人。きっと向こうもそう思ってる。だから不思議なの。今の妓夫太郎は、前の妓夫太郎とは別人みたいだから」

 

 実の親に愛されなかった。生まれることを望まれなかった。存在を疎まれ、虐げられた。

 それが妓夫太郎とカナヲの共通点。

 二人の違いは――愛する者の有無。己の身を犠牲にしてでも護りたい者がいるかどうかだ。カナヲは誰に対しても興味がなく、妓夫太郎は梅以外の人間は全てどうでもいいと考えている。しかし、そんな彼に変化があったのは明白だった。

 

 梅は「ふむ」と顎を撫でる。

 

 カナヲの言いたいことは分かる。梅自身もまた感じていたことだ。見ず知らずの少年を激励し、殴られそうになった女の子を庇った。どちらも以前の彼からは考えられない行動だ。

 確かに彼は変わっていた。だが別人になったという訳ではない。人として成長しているように感じられるのだ。

 

「……この銅貨を貰った時に、カナエさんが言ってた。『きっかけさえあれば人の心は花開く、好きな男の子ができれば私でも変われる』って。だから妓夫太郎もそうなのかなって思ったの」

 

 硬貨を握り締め、カナヲはぽつりと零す。

 胡蝶しのぶと、栗花落カナヲと――そして、彼女達の姉であった胡蝶カナエと。三人で過ごした時間の一欠片を。

 

「ああ、なぁるほどね。そういうこと」

 

 得心がいった、と梅は手を叩く。

 怪訝な面持ちを一転させて、梅は喜色満面の笑みを浮かべた。

 

「カナヲはさ、きっとお兄ちゃんが羨ましいのよ」

「うらやましい……?」

「そ。自分と同じだと思ってた人が変わったから、なんだか先を行かれちゃったみたいで寂しいって気持ち。それで『どうして変わったのかな? 変わることができたのかな?』って思うのは、自分も『そうなりたい』っていう想いが、心のどこかにあるから出てきた言葉だとアタシは思うわ」

 

 一旦言葉を切り、梅は椅子から立ち上がった。

 カナヲの目の前に立ち、身を屈めて目線を合わせる。対面した少女の銅貨を握る手に自らの手を重ねて、梅は言葉を続けた。

 

「それにね、カナヲ。カナヲはどうしてお兄ちゃんの変化に気付いたの? 興味が持てない、この世の全部がどうでもいい。それならそもそも最初からお兄ちゃんのことなんて目に入らなかったはずでしょ? 変わったなんて思う前に、自分と同じだなんて感じることすらないでしょうから」

 

「…………」

 

「お姉さんから貰った銅貨もそう。本当にどうでもいいのなら、投げて決めることすらしないはず。それでもアンタは自分で決めてる。銅貨の表裏でやることを決めるってことを決めてる。だからさ、アンタはアンタが思ってるほど無感情って訳じゃないと思うわ。心はきちんと生きてる。栗花落カナヲって女の子は、ちゃんとここにいる。だから大丈夫。アンタのお姉さんが言った通り、アンタだって変われるわ。頑張んなさい」

 

 正面から目を見据えて、真摯に激励する。

 カナヲは僅かに目を見開いて呆然と硬直した。けれども、やがて頷く。その様子を確と見届けて、梅は満面の笑みを浮かべた。

 

「よし! じゃ、今度は恋バナといきましょうか! お兄ちゃんに好きな人がいるかどうかは分かんないけど、それらしい人はいるかもしれないし。確か熱とか病気の治療とかの経過観察で、毎日蝶屋敷に通ってたんでしょ? カナヲは誰か心当たりある~?」

「どう、かな……そこまでは分からない……」

「そっかぁ……じゃあ誰だろ。一番ありそうなのはしのぶさんで、次いでアオイかな。あっ、カナヲだったらどうする?」

「…………よく、分からない」

 

 戸惑いがちに俯くカナヲを、チェシャ猫のようなにやにやとした笑みを浮かべて見やる。

 二人が歓談に花を咲かせていると、不意に待合室の戸がノックされた。

 梅が「どうぞ!」と答えると、二人分の隊服を抱えた女性の『隠』が入室する。

 

「失礼致します。お二人の隊服が仕上がりましたので、お持ちいたしました」

「おお、待ってた待ってた! さっ、カナヲ! 早速着てみましょ!」

 

 隊服を受け取り、梅は手渡されたシャツと詰襟を広げた。黒い布地の背中側には、鬼殺隊の証である滅の一文字が染め抜かれている。

 

「おおー。蜜璃さんから聞いてた通り、本当に小さめなのね。ボタン閉まらなさそう。スカートも短いわねぇ。……ってあれ? カナヲ、どこに行くの?」

 

 隊服を脇に抱えて待合室から出ていこうとするカナヲを呼び止める。

 カナヲは振り返るとにっこりと微笑んで、端的に告げた。

 

「師範の指示に従うだけだから。気にしないで」

 

 * * *

 

 屋敷の縁側に座り、湯呑みに口をつける。熱い緑茶が喉を滑り落ちた。

 

 最終選別を終えて正式に鬼殺隊の一員となった俺達は、隊服の採寸やらなにやらのために藤襲山を下山して麓の屋敷に落ち着いていた。今は諸々の所用を終えて、遠慮なく寛がせて貰っている。

 選別での疲労が限界にまで達しているのだろう、炭治郎と側面刈りの男は待合室で動けなくなっていた。今この場にいるのは俺――と、もう一人。

 

「妓・夫・太・郎~!」

「……気持ちの悪い呼び方をするなよなぁ」

「そんなことは言わずにさ! 仲良くしようよ、妓夫太郎~!」

 

 発火しそうな勢いで揉み手をし、肩を竦めへこへこと頭を上下させる男――我妻善逸。

 どうやら最終選別中に梅と接触を持ったのが切っ掛けであいつに執心しているようだ。実に分かり易い奴である。梅の兄である俺におべっかを使っているが、ここまで露骨だといっそ清々しい。

 

 とはいえ、邪険に扱う気はおきない。

 

 下山している最中に、こいつが梅を助けたのだと本人の口から聞いたことも理由の一つではある。しかしそれ以上に――何か、妙な懐古感が胸にしみるのだ。

 

 

 ―――へへっ、妓夫太郎の旦那!

 

 

 こちらを慕う揉み手と出っ歯が印象的な男の姿が脳裏を過る。

 

「……お前、梅を助けたんだってなぁ。そのことについては礼を言っとく」

「いやいや、そんなことないって! むしろ助けられたのは俺の方だしさ! 本当に梅ちゃんは凄いんだ! 凄かった! 俺が鬼に追われててピンチになった時、颯爽と現れてくれてさ! おかげで生き残ることができたんだ。そうじゃなきゃ、俺なんて鬼に食われて死んでただろうし……」

 

 選別中のことを思い出したのだろう、善逸は顔色を真っ青に染める。その言葉が謙遜なのか本気で言ってるのかいまいち判別できない。梅の言葉を信じるなら、こいつは間違いなくあの時上弦の陸(おれたち)の頸を斬った四人の鬼狩りの内の一人に間違いないのだろうが……よく分からない奴だなぁ。

 

 無言で茶を啜る。すると、屋敷の奥からこちらへ向かってくる足音が聞こえた。

 

「あっ、梅ちゃんだ!」

 

 全身から喜色を発して善逸が言う。

 善逸の言った通り、廊下の角からひょっこりと梅が現れた。

 

「じゃじゃーん! どう? 似合う?」

 

 軽い足取りで俺達の下までやって来ると、梅は見せびらかすように両腕を広げてくるりと回った。

 支給されたばかりの隊服に着替えた姿は随分と様になっている。

 

 ただ……なんというかなぁ……。

 

「似合ってるが、俺には寸法が合っていないように見えるなぁ」

「ううん、これで合ってるって縫製係の前田さんが言ってたわ。それにほら、蜜璃さんもこういう格好だったでしょ? だからやっぱり恋柱の継子としては揃えるべきだと思って!」

 

 魅惑的に目を細め、梅は前傾して胸を強調する。(ボタン)を止められず、布地の隙間から大きく露出した胸元が覗いた。西洋式の行燈袴の丈は異常に短く、太腿のほとんどが露出している。陽光に照らされた肌が艶やかに白く輝いていた。

 

「―――――」

 

 茹蛸のようになった善逸が硬直している。

 

「……ふぅん。まあ、別にいいけどなぁ。ところでカナヲは何やってんだ、あれ」

 

 庭を顎で指す。

 眼鏡をかけた『隠』の男を引きずって来たカナヲが、彼の目の前で隊服と思しき布の塊に油をぶっかけて火を着けている。悔し気に咽び泣く男の慟哭が空に響いていた。

 

「しのぶさんから予め油とマッチを持たされてたんだって。明らかに寸法が合ってない隊服を渡されたらああするように指示されてたらしいわ。アオイもやったって話だけど」

「そうか。お前もそうする気はないのか?」

「やぁよ、あたしこれ気に入ってるもん」

「……ならせめて、足の方はどうにかしろ。大腿部には動脈が集中してるからなぁ、怪我するとかなり出血するぞ。猪に襲われた場合なんかに致命傷になるのがその辺りだからなぁ。鬼殺隊の隊服は防具の役割も兼ねてんだ。剥き出しにするのはよくねぇよ」

「むぅ……分かった。じゃあ縫製係の人に長い靴下を作って貰うね。それならいいわよね!」

 

 まあ、妥協するしかねぇかなぁ。

 

 曖昧に頷くと、梅は嬉しそうに手を叩いて善は急げとばかりに駆け出した。しかし何か思い出した様子で立ち止まると、こちらを振り返る。

 

「ねぇ善逸!」

「は――はひっ!? なななななんでしょうかかッ!?」

「あんたはこの後どうするの? あたしとお兄ちゃんはお世話になった人に選別に合格したって報告して、それから刀鍛冶の里に行く予定なんだけど。よかったらあんたも来ない?」

「えっ、いいの? 俺なんか誘っちゃって……」

「いいわよ。命の恩人だしね。それにほら、結婚は無理だけどお茶なら付き合ったげるって言ったじゃない。丁度いいから行きましょ!」

「……っ! うん! 行く! 絶対に行く! なにがなんでも絶対に行くよ、梅ちゃん!」

 

 ぱっと顔を輝かせて善逸はぶんぶんと腕を振る。梅も笑顔でそれに答えた。

 それから梅は善逸からこちらへ視線を移す。何かを窺うように、梅は注意深く俺の顔を凝視しているようだ。

 

「…………」

「ん、どうした?」

「ううん、なんでもない。それじゃ、ちょっと行ってくるわね!」

 

 廊下の奥へ梅の姿が消える。

 俺は小首を傾げつつ、湯呑みに残った茶を啜った。

 

 * * *

 

 断末魔が轟く。

 

 異空間・無限城――血鬼術によって創られた果てのない空間の全域に、鬼の悲鳴が響き渡った。十二鬼月の証である数字の刻まれた両目を見開いて、鬼は口端から泡を吹きながら血を吐かんばかりの形相で硬直している。

 その末期の叫びを聴いているのは三人の鬼。

 

 無限城の主――鳴女。

 全ての鬼を統べる者――鬼舞辻無惨。

 

 そして―――

 

「お前は入れ替わりの血戦に勝った。今からお前が上弦の陸だ」

 

 ―――新たな上弦の陸。

 

 鬼舞辻の腕から伸びる肉腫めいた触手状の巨大な捕食器官が、かつて上弦の陸であった鬼を貪っている。その様を恍惚とした表情で鑑賞しながら、新たな上弦の陸は恭しく頭を垂れた。

 

「お前には期待している。私の役に立て。鬼狩りの柱共を殺せ。産屋敷一族の根城を突き止め皆殺しにしろ。そして――鬼を殺す毒の血を持つ、醜い容姿の鬼狩り。奴を殺せ。決して生かしておくな。それが出来たならば、お前にはもっと私の血を分けてやろう」

 

 塵を見るような、憮然とした面持ちで言う鬼舞辻。

 そんな彼に対して。うっとりと――まさに夢見心地といった様相で、上弦の陸は粛々と頷いた。




【大正コソコソ噂話】
 恋柱の系譜は鬼殺隊縫製係達の間で偶像の如く崇め奉られているという……。
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