何度生まれ変わっても   作:ミズアメ

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第参拾壱話 狗鬼

 鬼の姿を確認した妓夫太郎と梅は、同時に動き出した。

 

『―――ッ!』

 

 村へ侵入しようとする鬼の行く手を遮る形で、二人は路上に姿を晒す。

 白い月光の下、躍り出た二つの人影。一方は幽鬼、一方は天女。常人ならば腰を抜かしてもおかしくない不意打ちだ。しかし相手は鬼。そんなことで意表を突けるような相手ではない。

 

 そもそも、それ以前に―――

 

 ―――グルルルルルルルルル

 

 その鬼は、明らかに正気ではなかった。

 

 血走った紅い眼は完全に裏返っている。余程飢えているのか――鬼になった者は人間だった時分の記憶を失うものだが、あの様子ではそもそも理性や知性すら碌に残ってはいまい。

 

 姿といえば完全な異形。

 

 体躯は一般的な成人男性程度。姿勢は大きく前傾しており、四つん這いに近い。

 大まかな印象は西洋でいう所の狼男だ。一糸纏わぬ姿で、全身が分厚い毛皮に覆われている。そして頭部と下半身は完全に獣のものへと変わっていた。

 前方に大きく突き出した顎には鋭く尖った牙がずらりと並び、固く食い縛った隙間から涎と荒い息が漏れている。

 前肢――腕の構造はほとんど人間のままだが、指先には長い鉤爪が備わっていた。

 後肢は完全に獣だ。膝下が短く変形し、代わりに爪先と踵の感覚が異常に長くなっている。大腿は太く発達しており、強靭な脚力を有していることを伺わせる。腰と臀部の付け根には、身の丈ほどの長さの太い尻尾が生えていた。

 

 狗鬼。

 

 それは間違いなく、鬼舞辻無惨の手によって生み出された怪物だった。

 

 ―――グルルルォォオオオオオオ!

 

 先手を打ったのは狗鬼だった。

 

 完全な刀の間合いの外。尻尾の毛を逆立てて、大きく横薙ぎに振るう。すると、針の如く尖った体毛が弾丸のように射出された。

 

 ―――血鬼術“病益針(やませばり)

 

 狗鬼の体毛と爪牙には毒がある。

 正確にはウイルスだ。もしも狗鬼の攻撃を受けて傷を負ったならば、その身にたちまち重篤な狂犬病の症状が発現する。その病の致死率は実に百パーセント。遠い百年後の未来においても治療法が確立されていない、不治の病だ。

 

「炎の呼吸、肆ノ型――“盛炎のうねり”」

 

 梅を庇う形で前に出て、抜刀と同時に技を繰り出す妓夫太郎。

 

 振るわれる紅刀が、全ての毛針を弾く。

 

「全集中――恋の呼吸、壱ノ型―――――!」

 

 右肩に桜色の刀を担ぐ上段の構え。

 梅の全身の筋肉がはち切れんばかりに張り詰める。蓄えられた力は脱力と同時に解放され、少女の身体を弾丸も同然に撃ち出すのだ。

 

 狗鬼との彼我の距離を詰めるには二十歩を要する。

 しかし梅は一秒と掛からずにその距離を零にした。

 

「―――“初恋のわななき”!」

 

 擦れ違い様の一閃。

 桜色の剣閃は、確と狗鬼の頸を捉えていた。しかし、切り落とすには至っていない。

 

 多数の人間を食った鬼の頸は、並大抵の斬撃では斬れぬほど硬い。今の梅の力量では両断するにまで至れなかった。

 理由はそれだけではない。鋭い刃物は生物の命脈を容易に断つが、これが獣の毛皮となると途端に話が変わる。分厚い皮と剛毛、そして脂によって、あっという間に切れ味が落ちてしまうのだ。

 

 更に加えて―――

 

(こいつ! 咄嗟に尻尾を間に挟んで、斬撃の瞬間をずらしたわね! なんてこしゃく!)

 

 梅の分析の通りである。

 頸を断つ斬撃を、己の尾を犠牲にして防いだ。しかし無傷だった訳ではない。武器である尻尾は半ばほど喪失し、頸もほとんど皮一枚で繋がっている状態だった。

 

 次で殺せる。

 

 梅は即座に返す刀で二の太刀を放つ。今度こそ必殺の斬撃。

 

 しかし、それは虚しく空を斬るのみだった。

 

 日輪刀によって斬られるよりも前に、狗鬼が自らの頸を引き千切ったのである。

 

「―――――」

 

 敵の予想外の一手に、梅の頭が真っ白になる。

 鬼は日輪刀で頸を断たなければ殺せない。しかし、今目の前の鬼には断つべき頸がない。()()()()()()()()。梅にはどうすればいいのか分からなかった。

 そしてそれは、どうしようもなく隙である。

 狗鬼は頸を持っているのとは反対の腕を振り上げる。今にも鉤爪が振り下ろされようという瞬間。絶体絶命の危機。

 

(ったく。あいつは本当に頭が足りねぇなぁ)

 

 静観していた妓夫太郎が動く。

 

 妓夫太郎は腰の後ろに手を回し、鎌の柄を握った。そして柄の根元にある剃刀のような出っ張りに親指を押し当てる。すると肌が裂け、傷口から血が溢れ出た。

 革の鞘から抜き放たれた刃が、使い手の血で濡れる。

 毛細管現象によって、刃に掘られた二筋の樋が瞬く間に血で満たされた。

 

 妓夫太郎は鎌を振り被り、投擲した。

 

 全集中の呼吸によって繰り出される渾身の一投。それは狗鬼が鉤爪を振り下ろすよりも疾く、鬼の脇腹に突き刺さった。

 

 ―――ガウッ!?

 

 爪を振り上げたまま仰け反り、狗鬼の動きが縫い止められる。

 その原因は、不意の痛みと衝撃だけではなかった。

 

「炎の呼吸・鬼ノ型、“血鎌”」

 

 血鬼術である。

 

 謝花妓夫太郎の血鬼術とは彼の血液そのもの。妓夫太郎の血は、鬼にとって強烈な毒として作用する。稀血の対極――いうなれば毒血だ。

 体内で荒れ狂う毒。

 それは進入路である脇腹を起点にして全身に巡り、鬼の細胞を攻撃する。その痛み。その苦しみ。それはまるで死病か、あるいは内側から蟲に食われているかのようだった。

 

「心臓だ! 心臓を真っ二つにすればそいつは殺せる! 肩口からぶった斬れ―――!」

「…………!」

 

 兄の怒声に活を入れられ、硬直していた梅が活動を再開する。

 頭は真っ白なまま。しかし指示を忠実にこなすだけならば問題はない。梅は刀を上段に振り上げ、斬りかかる。

 

 妓夫太郎も突っ立って見ているだけで事を終える心算はなかった。

 

 彼は脇構えの体勢から狗鬼に向かって突進し、下段から斬り上げようと試みる。

 

 しかし、一歩及ばなかった。

 

 ―――グルルルァァアアアアアアアアアアア!

 

 狗鬼が咆哮する。

 彼は全力で地面を蹴り――その場から逃走を図った。

 

「あっ! 逃げた!」

「チッ―――!」

 

 道路を横断し、墓の方へ駆けて行く。その挙動と進路に迷いは一切ない。

 

 狗鬼は脇腹に刺さった鎌を引き抜くと、そこらへ抛り捨て、倒れた墓石の影にあった穴の中へとその姿を消してしまった。

 

「…………」

 

 注意深く穴に近付く妓夫太郎。

 

 鬼の気配が消えていることを確認してから、穴を覗き込む。随分と深い穴だ。月が出ていて明るいとはいえ、無闇に近付くのは躊躇われる。

 

「流石に、こいつは手が出せねぇなぁ」

 

 刀を鞘に納め、妓夫太郎は頭を掻いた。

 

 穴の傍らには『居塗守家之墓』と書かれた巨大な墓石。雨風に晒されて半ば朽ちたソレを見下ろして、妓夫太郎は溜息を吐く。

 

 慌てて後を追ってきた梅は、状況を察したのだろう、肩を落として俯く。

 

「…………ごめんなさい、お兄ちゃん。アタシのせいで逃げられちゃった……」

「お前が謝るこたぁねぇからなぁ。……と言いてぇところだが、戦闘中にボサっとするのはやめろよなぁ、お前なぁ」

「ううっ……反省します……。次は絶対、こんなことはないようにがんばるから!」

「おう。期待してっからなぁ」

 

 梅の頭をわしゃわしゃと撫でてから、妓夫太郎は落ちた鎌を拾い、鞘に仕舞う。

 

 大儀そうに背筋を伸ばす兄に、梅はおずおずと話しかけた。

 

「……それで、その。お兄ちゃん。これからどうするの?」

「今日のところは仕方がねぇ。まずは日が昇るのを待って、それからこの穴ん中に潜って調べてみるしかねぇなぁ」

 

 見る限り、これはただの墓穴ではない。どこかに続く抜け穴になっていると妓夫太郎は見ていた。どこと繋がっているのかもおおよその見当がつくが、しかし確証はない。

 

(灯りが要るなぁ。懐中電灯がありゃ便利だが、流石にこの村にはねぇよなぁ。精々が提灯くらいだろうしなぁ。……ったく、面倒ったらないぜ)

 

 文明が発展したことで夜の闇は薄まったが、払拭するには至らない。人食いの鬼達が潜み、獲物を物色している。それが大正時代という日本の現実だった。

 

 * * *

 

 提灯を手に、俺と梅は穴の中を進む。

 

 やはりあの『居塗守家之墓』の墓穴は通路になっていた。なだらかな坂道が続いている。それは山がある北側に向かって伸びていた。

 

 概ね、予想通りではある。

 

 昔の城や屋敷にはこういった隠し通路が備わっているものだと聞いたことがあった。故にコレもそういった類のものかと当りをつけていたのだが、正解だったらしい。

 

 十中八九、この穴はあの山の屋敷――居塗守家に通じている。

 

 ……いつ襲い掛かってこられても迎撃できるよう、左手に提灯を持ったまま、右手は腰の刀に添えている。梅も同様に常在戦場の構えだ。

 今は昼だが、この場所に太陽の光は決して届かない。鬼が奇襲を仕掛けてくる可能性は高かった。

 しかし警戒しながらの進行は牛歩そのもの。遅々として辿り着かない。

 どこまでも続く穴に苛立ちが募る。緊張で張り詰めた空気が息苦しい。閉塞感で頭がおかしくなりそうだ。このまま何処にも辿り着くことが出来ず、その上引き返すこともままならず。一生この穴の中で過ごすしかないのではないか――などと。そんな妄想にすら取り憑かれてしまう。

 

 馬鹿なことを考えるのは止せ。

 

 風が流れているのを肌で感じる。血の臭いが奥から漂ってくる。この穴に果てがあるのは明らかだ。強く己を保たなければ――と、心に活を入れた。

 

 妹がいるんだ。俺がしっかりしねぇとなぁ。

 

「…………」

「…………」

 

 無言で進み続ける。

 

 どれだけの時間が経過しただろうか。一刻も経っていないような気がするし、あるいはもう一晩明けたような気もする。その果てに――ようやく、通路の終わりが見えた。

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