何度生まれ変わっても 作:ミズアメ
通路の果ては縦穴になっていた。
唐突に地面が途切れ、下には奈落が広がっている。異常に深い穴で、底までどれほどの距離があるのか到底分かりそうもない。
どうやらこれは古井戸か、もしくはそれを利用した塵捨て場の類のようだ。
断崖には丁度、手足を引っ掻けられる窪みがある。当然、自然にできたものではなく人工的に用意されたものだ。俺達が通ってきた通路は本当に抜け道の類だったらしい。
肩に乗っていた鎹鴉に上を見に行かせ、安全を確認。
梅に提灯を持たせて背負い、壁を登る。
辺りの空気は澱んだ湿り気を帯びている。呼吸の度に
程なくして、危なげなく登り切ることが出来た。
「お兄ちゃん、お疲れ様!」
労ってくれる梅に「おう」と答えて、改めて気を引き締める。
提灯の明かりを頼りに周囲を観察する。
周りを囲むのは硬い岩の壁。ここは未だに地下らしい。
察するに、件の居塗守家の屋敷の地下牢か。目の前にある一本道の両側には、分厚い木の格子が嵌め込まれた牢屋が幾つもある。倉庫も兼ねているのか、何やら曰く有り気な物々が乱雑に放り込まれているのが窺えた。
ずらりと並ぶ牢。
その内の一つに――何か、妙な気配がある。
『―――すみません。そこに、だれかいるんですか?』
一番奥――恐らくは最も出口に近い位置の牢――から声が聞こえた。
俺と梅は無言で目を合わせる。
それだけで意思の疎通は十分に計れた。俺達は臨戦態勢で通路を進む。
そして件の牢の前にまで来た時――俺達は当惑させられる羽目になった。
「なんだ、お前は?」
思わず目を眇める。
発した声の調子も、尋ねた、というよりもうっかり漏れた感じだ。
そこにいたのは鬼だった。
見た目はほとんど人間と変わらない。精々が額に短い角が生えているくらいだ。青っ白い痩せ型の男で、顔はどことなく鼠に似た生理的な嫌悪感を感じる造形をしている。俺と同じで、何らかの先天的な疾患があるのかもしれない。
着ている服は仕立て自体は上等だが、長い間着替えていないのか汚れや解れが目立つ。
状況からして、閉じ込められているようだ。
「お兄ちゃん。この鬼、昨日のやつじゃない」
「…………」
否定も肯定もせず、黙考する。
梅が言った通り、この鬼は昨日の狗鬼とは明らかに別の個体だ。異能はおろか、肉体を異形化できるほどの力がない。人間を大して食っていないのが分かる。
恐らく、この鬼には牢を破るだけの力すらない。
鬼は、座敷牢の真ん中で、ぽつんと取り残されたように正座している。
……牢は他と同じく、分厚い木で出来ている。
更に近年に増設したと思しい鉄製の格子が、檻の中と外を隔絶させていた。
鍵は南京錠と閂の二段構え。どちらも外側からでなければ開けられないし、掛けられない。
「おい、お前。なんで檻の中にいる」
『ぼくは、鬼です』
「答えになってねぇ」
『ぼくは鬼です。人を食わなければ、生きていけない。だから死のうとしました。そうしたら、兄に、この牢に閉じ込められたのです』
淡々と。理路整然とした口調で、鬼が答えた。
「兄……? あの狗鬼のこと?」
『そうです。ぼくの兄は、狗のような姿に変わってしまいました。かれはひとを殺して食らい、そして、ぼくに肉を食わせるのです……』
目尻に滲んだ涙を拭い、鬼は震える声で語る。
無言でいると、梅が話しかけた。
「……さっき、死のうとした、って言ったわよね。本当に?」
『はい。ぼくは、ひとを食ってまで生きたいとは思いません。そんな資格は、ぼくにはない。兄にも、これいじょう罪をかさねるべきではないと、うったえましたが、かれには、ぼくのことばが届かないようです』
無念そうに鬼は言う。
梅の様子からして、この鬼の言葉に嘘はないらしい。だがその事実が酷く受け入れ難かった。
―――これは、なんだ?
理解できない。
「アンタはこの家の人?」
『はい。ぼくは居塗守家の生まれです。この家で育ちました。……ひとだった頃のことは、なにも思い出せないのですが』
それ自体は鬼ならばよくあることだ――が。
この鬼の場合は、何か違う意味があるのではないかと直感した。
『むかしからずっと、ぼくはこの牢にいました。それだけはわかります』
「人だった頃から? どうして!? そんなの酷いじゃない!」
『分かりません。愚鈍なぼくには、なにもわからないのです……』
梅が義憤すると、鬼は申し訳なさそうに項垂れた。
「人だった頃から……か」
村人から聞いた居塗守家の風聞を思い出す。
おおよその事情は見当がついた。
無論、確証はない。根拠も証拠もない。ただの邪推だ。だがそれだけにこの鬼の兄弟の事情の真を突いているのではないかと確信する。
「……あの。お兄ちゃん。言い辛いんだけど……」
俺の羽織の袖を摘まみ、おずおずと、上目遣いに梅が言う。
言いたいことは分かり切っていた。
「こいつのことは任せろって?」
「……うん。しのぶさんが言ってた。正確には、しのぶさんのお姉さんの言葉なんだけど。『人と鬼は仲良くできる』ってやつ。アタシ、この鬼は悪い鬼じゃないと思う。人も殺してないのもきっと本当。だからね―――」
「いいぞ」
「―――えっ、うそ」
「なにが嘘だ。自分から言い出したんだろうが、お前なぁ」
呆けた梅の額を指先で軽く小突く。
「いや、だって、ぜったい反対されると思ったから」
「反対に決まってんだろうが。鬼は皆殺しだ。一匹たりとも逃がさねぇ。例外はねぇからなぁ」
『ぼくとしても、そのほうがありがたいのですが……』
「お前は黙ってろよなぁ!」
怒声を浴びせて鬼を黙らせる。
「殺してやりてぇのは山々だが、鍵がねぇ。刀で鉄の牢を斬るのは難儀だからなぁ。さっきの話が本当なら、鍵はあの狗鬼が持ってんだろ。だがこいつ自身が鍵を持ってない保証はどこにもねぇからなぁ。だからこっからは別行動だ。俺はあの狗鬼を探しに行く。お前はその間、こいつを見張ってろ。―――いいな?」
「? は、はいっ!」
首を傾げつつも頷く梅。やはり素直だ。
何かあったら鎹鴉を飛ばすように指示を出してから、俺は出口の方へ向かう。
岩盤が途切れ、木枠で固められた土壁に切り替わる。人の手で造られた屋敷だ。吉原の家屋と同様か、あるいはそれ以上に古い。
漆で塗られた木の階段が上へ伸びている。
細心の注意を払いつつ、そっと階段を上っていく。
途中で、密やかに肩の鎹鴉が耳打ちした。
《良イノデスカ?》
「別に構いやしねぇよ。俺の妹はちと頭は足りねぇが、寝首を掻かれるほど間抜けじゃねぇからなぁ」
《ソウデハナク。情ガ移ルト、後々面倒ナ事ニナルノデハナイカト》
「その時は俺があの鬼の頸を斬る。それで構わねぇだろが。なぁ」
《……ソレデ、良イノデスカ?》
更に念を押してくる鎹鴉。
気を使っているのだろう。仲睦まじい鬼の兄弟と、鬼狩りの兄妹。事情を知ればやり辛くなるのは必定だ。だからこそ――馬鹿馬鹿しくて仕方がない。
「―――ひ、ひひ」
思わず口端が歪む。
慣れた感慨だ。吉原にいた時の頃を思い出す。反吐が出るような、人間のどす黒い悪意。その懐かしい肌触りが心地よかった。
俺は醜い。
どんなに鍛えられても本質は変わらねぇ。心鉄はぶれねぇ。他人の不幸って奴が愉快で堪らねぇんだよなぁ、俺は。
なにせそれだけ取り立て甲斐が増す。
悪党の化けの皮が剥がれる瞬間ってのは最高だ。
その『鬼』が不幸を振り撒いた分だけ、きっちりと取り立ててやらねぇといけねぇよなぁ。
俺の想像が正しければ、あの鬼の兄弟は―――
「―――ハッ! 呆けてんじゃねぇよ、鎹鴉。鬼なんてのは屑だ。屑じゃなきゃ、そもそも鬼になんてなりゃしねぇ。『良い鬼』なんている訳がねぇ。
くつくつと、陰鬱な嗤いが零れる。
階段を上り切ると、立派な造りの和式住居に出迎えられた。
鬼殺隊本部の産屋敷邸と比べても遜色ない。
警戒しつつ、屋敷内部を探索する。
「―――ああ、あった」
別に探していた訳ではないが。見られるなら見てみたいと思っていたものを発見した。
ソレは台所にあった。
干乾びた犬の頭が、戸棚に仕舞ってあった。
両隣には、蒼褪めた色の奇妙な薔薇の花が活けてある。
《コレハマタ、面妖ナ!》
「そうでもねぇよ。特にこっち――関西や四国の方じゃよくあるって話だからなぁ。村の連中だって言ってただろ。『居塗守家は獣憑きの憑き物筋だ』ってなぁ」
犬神という呪いである。
蠱毒と呼ばれる生き物を使った呪詛の一種だ。古くは中国の方から伝来してきたもので、生きた犬を材料にして呪物を造り、それを祭ることで富を得たり、憎い相手を呪い殺すのだと聞く。この呪いを実行した者や呪われた者、あるいはその二者の親類を指す名称が憑き物筋だ。
憑き物筋は差別される。この居塗守家と同様に、村八分にされるのだ。
四国――特に伊予や讃岐辺りでは、今でも憑き物の伝承が色濃く残っていて、婚姻時には相手が憑き物筋ではないか調べるのが習わしだとかなんとか。
まあ、そんなことはどうでもいい。
この家の人間が、自他共に『呪われた家』として振る舞い、そのように扱われていたという事実が知れればそれで十分。
あとはあの兄弟について。
日記でもあれば話は早いんだが……―――
「―――あった」
見つけてしまった。
意図して探していた訳ではない。書庫で狗鬼を探していたら偶々目についただけだ。
新しい装丁の和書が、机の上に無造作に置かれている。書かれた筆の後が新しい。表紙には『居塗守
《任務優先! 任務優先! 悪鬼滅殺ヲ、最優先ニスベキデアリマス!》
「そう喚くなようるせぇなぁ。狗鬼には俺の血を撃ち込んである。屋内とはいえ、陽が出てる内は動けねぇよ」
鎹鴉の嘴を掴み、放り投げる。
日記と家系図に書かれた文字は達筆だったが、十分に読める範囲だ。
家系図に書かれた年号は明治まで。最近まで続いていたようだ。家系は『居塗守雅幸』と『居塗守
―――で、これがその兄の日記な訳だが。
読んでいると非常に気分が悪くなった。胸糞悪いにも程がある。それと同時に、俺の推測は正しかったという裏付けが取れた。
この屋敷に住む、あの鬼の兄弟。
弟が死のうとした時、兄は身を挺して救った。
弟が飢えて死にそうになっていれば、兄は肉を獲って来て食わせた。
一見すれば仲睦まじい兄弟のように見えるだろう。兄の行動に、美しくも麗しい兄弟愛を見出せるかもしれない。だが――そんな事実はない。
狗鬼だけではない。
あの鬼――否、あの
しかし―――
「そっちから来たなら、話は別だよなぁ。なぁ、おい。雅幸さんよ」
日記を閉じて机に置き、後ろに声を掛ける。
―――グルルルルルルルル
振り返ると、狗鬼がいた。
頸は繋がり、尻尾は再生し、血も止まっている。しかし狗鬼は気怠げに四肢を突き、半ば這いずっていた。どうやら俺の血の影響のようだが……想定していたよりも効きが悪いように見える。効き目には個体差があるのか? だとすればその明暗を分けるのはなんだ?
思考は一旦棚に置き、俺は刀を抜いた。
第参拾参話と第参拾肆話は連続更新する予定です。