何度生まれ変わっても   作:ミズアメ

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第参拾参話 居塗守家の一族・後編

 妓夫太郎は言う。

 鬼になるような人間は屑だ。そうでなければ、最初から鬼にはならない。

 

 これは暴論だ。

 

 経験則に基づいた理屈ではあるが、それだけだ。たとえ善人であろうと、鬼舞辻無惨の血を注入されれば鬼になる。鬼になれば飢餓状態となり、人を襲う。理性が戻ったとしても一度(たが)が外れてしまったが為に、戻ることが出来なくなる。

 

 そういう、虚しく、悲しい生き物なのだ。

 

 無論、妓夫太郎が言った通りの鬼も実在する。彼がそうであったように。

 しかし、その全てが度し難い悪鬼なのではない。きっとどこかに人を傷つけない良い鬼がいる筈なのだと――梅は、信じていた。

 

 どうしてそう思うのかは分からない。

 

 その存在を、魂が識っているからか。

 それとも、自分達の恩人であるしのぶの言葉を真に受けているのか。

 

 梅には分からない。

 

 けれども考えずにはいられないのだ。

 

 もし――あの時。

 

 鬼にされたのが蕨姫ではなく、椿だったら。鯉夏花魁だったら。兄だったら。今の自分は有り得ないのではないか――と、そんな風に思う。

 

 そして、今も。

 

 目の前にいる鬼があまりにも無害に見えたものだから――ほんの少しだけ、殺すのは可哀そうだと思ってしまった。それは鬼殺隊士にあるまじき軟弱さだ。だがその一方で、問われ続けなければならない問題でもある。

 

 殺していいのか。

 

 殺されるから殺す。殺すから殺す。それでいいのか。その行動は、人として正しいのか。

 

 たとえば害獣駆除。あるいは猟。

 何時の時代でも言われたことだ。

 

 殺すのは、可哀そうだ。

 

 全く以ってその通りである。

 殺生はいけない――釈迦はそう説く。他の宗教においても、似たような思想を掲げるものは少なくない。神も仏も人も獣も、誰も殺されることなど望んでいないのだ。

 

 それが元人間となれば猶更だ。

 

 鬼殺隊が秘密裏に鬼を狩る理由の一つがそれである。

 鬼の存在は社会に無用な混乱を招く。もしもその存在が人々に知れ渡れば、安易に『殺す』という手段を取ることが困難になることは明らかだ。基本的人権の何たるかを説き、治療しようと試みる動きが主流となるだろう。殺処分や駆除は間違いなく嫌厭される。

 そうなれば、どうなるか。

 鬼化した人間の捕縛と隔離・医療施設への輸送、そして生命の維持と人格の尊重。それ等に消費される金銭及び人的資源の損失は計り知れない。それだけでなく、鬼化していない人間を鬼でないかと疑い、誹謗中傷する者も現れるだろう。逆に鬼の人権を訴え、庇うことで徒に鬼の被害を増やす人間の登場も十分に考えられる。

 

 端的に言って、現実的ではないのだ。

 

 どれだけ金と人員があっても足りない。にも拘らず犠牲者は減らせない。そういう意味でも、鬼殺隊は隠れた掃除屋でなければならない。そうでなければ成り立たないのだ。

 

 鬼は存在そのものが害悪なのだと決めつけ、片端から殺さなければ立ち行かない。

 

 だが――本当に、それでいいのか。

 

 話は最初に戻る。

 全ての鬼が、鬼になるべき人非人なのではない。むしろ『鬼舞辻無惨によって鬼にされてしまった憐れな犠牲者』の方が多いだろう。彼等は罪のない人達だ。―――誰か。罪のない人を殺めてしまう、その瞬間までは。

 

 梅は思う。

 

 鬼とは、人殺しだ。人を殺すものこそが鬼なのだ。

 

 ―――悪口を言われたんなら言い返せ。殴られたなら遠慮せず殴り返せ。だが、殺すな。命までは取り立てるな。もしも殺してもいい奴がいるとすれば、それは誰かの命を奪った奴だけだ―――

 

 それは、かつての兄の言葉。梅にとっての、絶対の成文律。

 

 だから鬼は殺さなければならない。

 それが己の意思であろうとなかろうと、飢餓状態の暴走故の過ちであろうと。誰かを殺したのなら、その罪は清算されるべきだ。故に鬼殺隊が鬼の頸を刎ねる。

 

 それが鬼殺隊の職責。存在意義。

 

 鬼を裁けぬ司法に代わり、鬼を処刑する首斬り役人。それこそが鬼殺の剣士だ。

 

 だから―――

 

(殺してないなら、殺すべきじゃない。……この()はきっと、まだ間に合う)

 

 固く唇を結び、梅は知らず知らずの内に歯を噛み締める。

 

 人を殺したのは全て狗鬼だ。人肉に口を付けはしたものの、この鬼はまだ明確に殺人を犯した訳ではない。もしも人間に戻ることが出来れば、あるいは―――

 

 その考えは間違いではない。

 ただ、致命的に()()()()()

 

 梅の気分は際限なく落ち込んでいく。

 

 考えれば考える程にむかむかと胃が荒れ、胸が悪くなる。前提からして間違えてしまっているような。何か――重要なことを見落としている気がしてならないのだ。

 だが、梅の頭ではそれが何なのか分からなかった。

 

「……お兄ちゃんなら、分かるかな」

 

 思わずひとりごちる。

 すると、思いがけない答えがあった。

 

『はい。兄なら、わかると思います。兄はなんでもしっていますから』

「―――うわっ!? びっくりした!」

 

 らしくなく難しいことを考えていたせいか、梅は思わず素っ頓狂な悲鳴を上げてしまう。

 

「ちょっと、いきなり話しかけないでくれる? びっくりしたじゃない!」

『それは……ごめんなさい……すみません……』

「それから、アタシのお兄ちゃんとアンタのお兄ちゃんを一緒になんかしないでよね! アタシのお兄ちゃんは本ッ当にものすごいんだから! なんでも知ってるし、とっても強いもの! もしアタシが鬼になったとしても、お兄ちゃんがいれば自殺なんて考えたりしないわ!」

『……仲が良いんですね』

 

 やや気後れした風な鬼の言葉に、梅は「まあね!」と胸を張った。半ば露出した乳房が揺れる。

 

 そんな梅を、鬼は羨ましそうに見ていた。

 

『ぼくの兄も、悪いひとじゃないんです。きっと、悪いのはぼくだ。なんとなくわかるんです』

「なんでよ! まだアンタは誰も殺してないし、それどころか誰かを手に掛けてしまう前に自分で死のうとすらしたんでしょ!? それなら、アンタは悪くないじゃない!」

 

 沸騰した薬缶の如く気を吹く梅。

 感情的に怒る一方で、彼女の冷めた部分が告げる。

 

 一体、何をムキになっているのか。

 

『…………』

「ちょっと、黙らないでよ……」

『すみません……』

 

 委縮する鬼に毒気を抜かれ、梅は脱力した。

 

 この鬼が『変わっている』のは間違いない。しかし、その善し悪しがまるで判断できない。類稀な鋭い直感を持つ梅にとって、初めての経験だった。

 

『むかし……』

「ん?」

『むかしは、兄とよく遊びました。にんげんだった頃のことです。ほとんど思いだせませんが、ふたりで遊んでいたことは確かです。……ふたりで遊んでいるときは、たのしかった』

「なんだ、ちゃんと思い出があるんじゃない。良いお兄さんの、ね」

『はい……』

 

 目を細めて、朧げな記憶をじっくりと振り返る鬼。その様子を梅は微笑みを湛えて見ていたが、不意に表情が凍った。

 

「…………」

『…………』

 

 無言の、間。

 

 その間にも、鬼は自分の人間だった頃の記憶を思い出そうと頭を捻っている。そこに冷や水を浴びせるよう意図して、梅は硬い声で言った。

 

「―――アタシ達は、アンタのお兄ちゃんを殺すわ」

 

 確定した事項を、冷酷に、淡々と宣告する。

 

 鬼は―――

 

『はい。しかたがないことだと、思います。ぼくも、もう、覚悟はできていますから』

 

 鬼は、穏やかだった。

 

 * * *

 

 この家は狂っている。

 

 昔、居塗守家はこの辺り一帯を治める豪農だった。しかしある時、先祖は『鬼』を食ったことで人ならざる力を得たという。それから居塗守家は人を呪い、運命を占う()()を始めた。

 これが中々に上手くいった、らしい。

 効くのかどうかも分からぬというのに、呪いを依頼する者は絶えず。財産は何倍にも膨れ上がった。

 更に居塗守家は周囲に金を配り、近くの村落を訪れた余所者を屋敷へ誘導するよう仕向ける。そしてのこのこと訪れた余所者を殺し、奪った金品で更に富を肥やした。まさしく人の道を外れた外道の所業だった。

 

 だから、であろうか。

 

 時々――この家では、獣が産まれる。

 

 呪われた者や殺された者の怨念の仕業か、あるいは閉鎖的な環境故に近親婚を繰り返さざる得なかったことによる弊害か。これが実に判別し難い。私は後者だと考えるが、前者であれっても実にいい気味だとも思うのだ。

 

 獣は人肉を嗜好する。

 

 元々、それは居塗守家の人間が代々患ってきた疾患だ。獣以外にも、食人癖を持っていた者がいた例は数多く記録されている。恐らくは特定の栄養素の失調によるものだろう。

 当然、その嗜好は忌み嫌われた。

 だが獣が多く産まれるようになって、方針を転換せざるを得なくなる。

 居塗守家は、獣や自分達が持つその性質を呪術的なものと解釈し、神聖視することにした。以来、この家の人間は人の身でありながら人の肉を堂々と食らう。村を訪れた余所者を殺し、金品を奪い、肉を食む。何百年もの間、ずっとそうしてきたのだ。

 

 正気の沙汰ではない。

 

 獣は、たいそう大事に育てられる。

 

 産まれた子供が人か、あるいは獣か。その判別は一目見れば()()と分かる。

 

 私は人だった。

 そして、私の弟は獣だった。

 

 理性がなく、知性もない。

 ただただ、無邪気な生き物だった。

 

 幼い頃は弟のことをそれなりに可愛がったものだ。この家に子供はいない。そして外には出られない。ならば兄弟で遊ぶしかない。

 一方で、私は、弟のことが苦手だった。疎ましく思っていた。

 弟は無邪気だったが、力の加減が致命的に下手だった。更には異常な噛み癖があり、そのせいで怪我を負った使用人が多く、私自身も生傷が絶えなかった。それでも遊び相手が弟しかいなかったので、私は弟と遊んだ。

 

 それから時が経ち―――

 

 弟は、齢が十を過ぎても、頭の中は獣のままだった。

 

 弟は――否、この家はおかしい。

 

 この国が開国し、他国と交易する中で文明開化が起きた。呪いなどという胡乱なものでは飯は食えなくなる。世相の移り変わりを敏感に悟った居塗守家は、勉学に励むよう私に強いた。その影響で本を読むようになった私は、私が生まれ育った環境が如何に歪で奇怪であるか、急速に理解していった。

 私は父が興した事業を継ぐと、以来、家に寄り付くことはほとんどなくなった。

 親族の集会などには出席するよう強要されたが、それ以外は職場や宿で夜を明かした。絶対に帰りたくなかった。あんな狂人の巣窟で息をするなど虫唾が走る。

 

 私は、家庭を持つ気はなかった。

 

 この薄汚れた血を残す気にはなれない。なにより――万が一、弟のような獣が産まれてしまったら。その時私は、何をしでかすか、自分でも分からなかったからだ。

 

 それでも周囲の声を完全に無視することはできず、結婚してしまった。

 

 見合い婚だった。

 それほど血筋の離れていない、親戚の年下の娘。それ以外のことは知らない相手だった。もっとも、それはあちらも同じだっただろうが。

 

 望まない結婚だったが、これがやってみると楽しかった。

 

 妻は木石のような女だったが、それは表面上の繕った態度であり、実際はとても聡明であることに気付くのに時間は掛からなかった。

 

 彼女は職業婦人としてよく働いた。

 私の公私において、彼女はなくてはならない存在だった。

 

 暫くして、妻は妊娠した。

 

 身重の女は安静にしてやらねばならない。仕事を続けさせるなどもっての外だ。彼女と産まれてくる子供のことを想えば、養生させるのが最善だ。

 

 しかし、妻を実家――つまりは、私達の家である居塗守家の屋敷に送ることには甚だ抵抗があった。

 結局、彼女は家に帰ることを選んだ。

 女の心情か。妻は生家で子を産むことに拘っていた。私は渋々ながらそれを認め、彼女を里帰り出産の為に実家へ送り出した。

 

 ……この選択を、私は酷く後悔している。

 

 妻が殺された。

 

 妊婦だった妻は。弟の手で、惨たらしく殺された。腹の子諸共に。

 

 なぜだ。どうしてだ。

 

 理解できない。

 

 気が狂いそうだった。

 

 ただ、それでもやるべきことははっきりしていた。

 

 復讐だ。

 

 許せないのだ。許せないのだ。絶対に、許してはおけぬのだ。

 だから妻の為に子の為に私の為に、やらなければならぬのだ。

 

 そうだ、絶対に許してなるものか。

 

 簡単に死なせてなどやりはしない。楽に死ねると思うな。苦しめ。私は終生を必ずお前への復讐に費やす。絶対にお前を許さない。お前のような屑はそもそも産まれるべきではなかったのだどうして殺した、私の妻と子を返せ、この獣が狗畜生が絶対に許さない何度生まれ変わっても私はお前を絶対にゆるさない必ず報いを受けさせてやる

 

 許さない

 

 許さない

 

 許さない

 

 妻を死に追いやった全てのものを、私は、絶対に許さない

 

 * * *

 

「―――――」

 

 決着は、一瞬だった。

 

 真正面から横薙ぎに振るった太刀の一閃。それが、実に呆気なく狗鬼の頸を刎ねたのだ。

 

 妓夫太郎の血により、狗鬼は弱っていた。

 

 戦闘力を削がれていたのは確実だ。だが、あまりにも呆気なさすぎる。

 

『―――グ、ォォオ』

 

 日輪刀によって頸を断たれた鬼の体は、燃え尽きた灰のように崩れ落ちていく。狗鬼も例外ではない。力無く倒れた胴体は既に三分の一が崩壊し、頭もこの世から消え去ろうとしている。

 

『―――オ、オ、ォォオオオ』

 

 妄執に取り憑かれた鬼が唸る。

 

 しかしその体は、見る見る内に塵となって消えていた。

 

 狗鬼の顔から毛皮と肉が剥がれ、中から人の顔が覗く。恐らくはそれが狗鬼の本来の顔なのだろう。

 鬼は死の間際、人だった頃のことを思い出す者が多い。妓夫太郎もそうだった。

 であれば恨めしい顔をするだろうと思えば、これが違う。狗鬼は――何故か、憑き物が落ちたような、安堵した微笑みを浮かべていた。

 

「……チッ。なんて顔で死にやがる」

 

 納刀し、苛立ちを隠しもせず妓夫太郎は吐き捨てる。

 

 ―――炎の呼吸・捌ノ型“焔摩天(えんまてん)(とが)め”

 

 狗鬼に止めを刺した技だ。

 それは水の呼吸・伍ノ型“干天の慈雨”と同様の理念の術理。死を望む鬼に対して振るわれる、介錯の一刀である。

 

「萎えちまった」

 

 苦々しく眉根を寄せて、妓夫太郎は歩き出す。

 手には『居塗守雅幸』の日記。残る鬼を滅殺すべく、彼は再び屋敷の地下牢へと降りて行った。

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