何度生まれ変わっても 作:ミズアメ
ぼくは、兄のことが好きでした。
兄がぼくのことを嫌っていたのは、なんとなくわかっていました。それでもぼくは、兄のことが好きでした。
ぼくには兄しかいなかった。
だから、好きだったのではありません。兄はぼくのことを人として扱ってくれました。せまい牢屋に閉じこめたり、見世物のように嘲笑ったり、人でなしと蔑んだり崇めたりしません。兄はひとりの人間として、ぼくのことを見てくれます。
獣ではなく人として、ぼくと遊んでくれます。
あくまでも人として、ぼくを嫌ってくれます。
それが、たまらなく嬉しかったのです。
彼がぼくのことを好ましく思っていなかったとしても。その事実に気づいてしまった時も、悲しくはありましたが、気にはなりませんでした。
あのひろい屋敷の中で――ぼくの居場所は、兄のところしかありませんでした。
でも、それは決して不幸なことではありませんでした。
ぼくは兄が大好きでした。
兄がぼくを嫌っていたとしても、ぼくは、兄のことが大好きでした。
だから、取られたくなかったのです。
兄が、ほかの誰かのものになるのが耐えられなかったのです。
ある時、兄は屋敷からでていきました。
ぼくはひとりになりました。
ぼくは兄を探しました。邪魔なものをかたはしから退かして、探し続けました。そうしたら、部屋をうつされました。もとからせまくかたい部屋だったのが、もっとせまくかたい部屋になったのです。
あたらしい部屋は、地面の下にありました。
木と鉄の戸があって、それが邪魔で、ぼくは兄を探しにいくことができなくなりました。
それから、長い年月がたったとおもいます。
ぼくはずっと、兄のことをかんがえながら、寝て、糞をして、生きていました。
ぼくは、獣として飼われていました。
くらい穴のなかで、ずっとずっと、ひとりぼっちでした。
ずっとくらいところに、ひとりでいると、おかしくなります。元からおかしかった、ぼくのあたまは、更にこわれていきました。
牢のなかでは、兄との思い出だけがぼくのすべてでした。
兄はどうしているだろう。
どこに行ってしまったのだろう。
兄にあいたい。
兄にあいたい。
兄にあいたい。
たすけてほしい。
いつしか、ぼくは、それ以外のことが、かんがえられなくなりました。
それからでした。
兄が結婚しました。
めでたいことだと思いました。
みんながそう言っていたから、そうなのだと思ったのです。
結婚式の日は、ぼくも外にでることができました。
立派な着物を着た兄と、真っ白いきれいな服を着た女の人。ふたりの姿を見たとき、ぼくはうれしくて興奮しました。ふたりはとってもお似合いでした。きっと、しあわせな夫婦になるのだと、ぼくは思いました。
式のあと、ひさしぶりに兄と遊びました。
兄と結婚した女の人ともいっしょに遊びました。
たのしかったです。
それからぼくは、牢屋に戻されました。
でも苦ではありませんでした。ぼくには、あたらしい思い出があったからです。それをなんども、なんども、思いかえせば、それだけでたのしかったのです。
……しかし、ぼくは、よくない話をきいてしまいました。
家の人達がはなしていたのです。
兄といっしょになった女の人は、ろくでなしだと。
女なのに男のしごとに口をはさみ、家にもかえらない。はしたない。みっともない。髪をきって、男のようなかっこうをする。はじさらし。うまずめ。きっと兄も迷惑に思っているにちがいない。
それを聞いて、ぼくは不安になりました。
兄はぼくとは違います。立派な人です。
幸せになってほしいのです。
でも、もしかしたら、今は幸せではないのかもしれない。そう思うと、いてもたってもいられませんでした。
ぼくは、あの女の人にあいたいと思いました。
あって話がしたかった。
どうして兄を幸せにしてくれないのか、聞きたかったのです。
牢の鍵はあいていました。
女の人は、家にいました。
ぼくは、あの女の人にあいに行きました。
それで―――……気がついたとき、あの女の人は死んでいました。
よくわかりませんでした。
家の人達からは、やりすぎだ、と怒られました。
兄からは殺されそうになりました。
いいえ、兄は、本当にぼくのことを殺すつもりだったのだと思います。しかし、その寸前で家の人達が兄をとりおさえたので、ぼくは助かりました。
それから、また、部屋が変わりました。
ぼくの部屋はひろくなりました。
代わりに、兄は地下の牢に入れられてしまいました。
ぼくは毎日、兄のところへ通いましたが、兄には拒絶されました。
兄は、それまでとは人が変わっていました。
まるで獣のようでした。
けれど、少したつと、兄はもとの人間にもどりました。
兄はふたたび、家をでました。
そして、しばらくして――帰ってきました。
すっかり陽の落ちた夜に。黒い、女の人をつれて。
それから―――
そう、それから、ぼくの世界が変わりました。
今までは分からなかったことが、全て分かるようになりました。家のこと。村のこと。兄のこと。ぼくが今までしてきたこと。僕が今まで食べていたもの。それが意味すること。その全ての事柄が、急速に、頭の中に入ってきたのです。そして、しっかりとその事実を理解できるようになりました。
ぼくは、人殺しです。
ぼくの家族は、人殺しです。
ぼくが住んでいる村の人達は、みんな、人殺しです。
今ならば分かります。
ぼくは、生きていてはいけない、どうしようもない、屑です。
だから、死のうとしました。
しかし、兄に阻まれました。
陽の光に当たろうとした時には、兄自身の身体が焼けるのにも構わずに、無理やり引き摺り戻されました。
飢えて死のうとすれば、肉を口に詰め込まれました。
人間の肉です。
家族の肉です。
他にも、色んな人の肉を食わされました。
兄自身の肉も食いました。
兄が掘り起こした、兄の大切だった人達の肉も、食いました。
ぼくは頭がおかしくなりました。
もう、どうやって死ぬか、それしか考えることができなくなりました。
その内、ぼくは自分が人だった頃のことが分からなくなりました。
それから……―――随分と長い間、恥を晒してきたと思います。
思い出しました。
すべて、思い出しました。
ぼくは、屑です。
生きていてはいけない、屑です。
産まれてくるべきではなかった畜生です。
どうか、ぼくを殺してください。死なせてください。
お願いします。
……ああ、ありがとうございます。優しい人。
これで、ぼくは、人として死ぬことができます。
死を以って、罪を償うことができます。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
さようなら。
* * *
鬼の頸を刎ねたのは、梅だった。
供養したいと言い出したのも、梅だった。
鬼が着ていた服や、日記。犬の呪物。梅はこれらを一つ一つを、この屋敷に来た時に通った塵捨て場の穴に落としていった。
梅は合掌し、冥福を祈っている。蒼褪めた色の奇妙な薔薇と、野の花の花束を抱えて。
付き合う気にはならなかった。
岩の壁に背中を預け、呆と梅の背中を眺めている。
「……お兄ちゃん」
「なんだ」
「……アタシ達はさ、正しいことをしたんだよね?」
よりにもよって、そんなことを聞いてくる。
俺は無言で後ろから梅に近付いた。そして梅の頭に手を置き、わしゃわしゃと、わざと乱暴に掻き回す。
正しいか、正しくないのか。どちらかといえば、
鬼を野放しにはしておけない。
誰かの命が不当に奪われることを阻止しなければならない。鬼の頸に刃を振るい、命を奪った罪を、その命で以って償わせる。その為に鬼殺隊は存在する。
ただ今回は――善と悪、救うべきものと救われるべきものがちぐはぐだった。
……かつての己を思い出す。
鬼だった俺に正否の判断はできない。どうしても狗鬼の方に心情が寄る。
狗鬼。
あいつは誰よりも“人”だったが故に“鬼”になった。自分の大切なものを壊した奴が許せず、そしてそれ以上に大切なものを護れなかった自分が許せなかった。だからきっとあいつは、死に際にあんなにも穏やかな顔をしたのだろう。
対して、弟の方は本当にどうしようもない。別けても、俺の主観では。
獣。先天的な遺伝子の欠陥により、そういう人間が産まれることはままある。大抵の場合、そういった赤子は産婆がその場で絞め殺すものだ。俺自身そうなっていてもおかしくはなかったし、実際に何度となく殺されかけた。
……一説によれば。
知性がなく、善悪の判断ができない人間。
切支丹はこれを穢れなき存在と解釈する。
神の楽園に住む原初の人間は、蛇に唆され、知恵の実を食べたことで罪人となった。それによって知性を得た人間は、己の意思と知識で善悪を判断するようになる。しかし神はそれを罪とした。自ら物事の善悪を決定して良いのは唯一絶対の神だけであるが故に。人がその領域を侵したことこそが原罪なのだという。
原罪を背負う前の穢れなきもの。つまりは獣。無邪気という意味では、なるほど、確かに罪はないだろう。
実際、鬼になる前、あの男は自分が罪人だなどと思ったこともないに違いない。
鬼にされたもの――特になり立てで飢餓状態のもの――は人間だった頃の記憶や理性、知性といった『人間らしさ』を失う。だが皮肉なことに、あの男は鬼になったことで脳の処理能力が飛躍的に向上し、ようやく人並みの知性を得られた。その結果、御伽噺のように罪を背負った。
喩え罪のない存在であろうと、悪行を為したなら立派な罪人である。決して許されない。男はかつての己が働いた暴虐と、人を食わなければならない今後を悲観し、壊れた。
悲劇だ。
それも、かなり滑稽な。
鬼舞辻の思惑は分からない。この屋敷に来たのは確かだが、わざわざ狗鬼の復讐に手を貸したとは考え難い。むしろ、何も考えず、素質があったからという理由だけであの兄弟を鬼にしたのかもしれない。
ともあれ、何もかもが最悪だったのは間違いなかった。
……もし今回の件、杏寿郎ならどうしただろうか。
狗鬼と弟の鬼の頸を斬った上で、不正を摘発すべく動いただろうか。あるいはそれは鬼殺隊の仕事ではないとして事後の処理はお館様の手に委ね、早々に次の任務へ向かうだろうか。
しのぶや蜜璃ならどうしただろうか。
炭治郎や、善逸、伊之助はどう行動するだろう。
考えても分からねぇし、そもそもそんなこと考えても仕方がない。
「正しいか正しくないか、その辺りのことはあえて置いとく。だがな、今の俺達は組織に属する身だ。規律と命令は必ず守らなきゃいけねぇ。悪人を罰するのは司法の仕事だ。俺達鬼殺隊の仕事は、鬼の頸を斬ることだからなぁ。なぁ、そうだろうが」
それだけは正しい筈だ。
護るためでも、仇を討つためでも、結果は同じ。
鬼殺隊の一員として、鬼は殺さなければならない。
「なんにしたって、ここにはお前の考えるような『良い鬼』はいなかった。それだけの話だ。ただ……―――」
「ただ?」
「もし地獄でしっかりと罪を償って、生まれ変わることができたら、そん時はあいつ等も『良い人』にはなれるかもしれねぇなぁあ」
「―――――」
ぽかんとした表情で、梅が見上げている。
いたたまれず、俺は目を逸らした。
暫しの間。
梅が、小さく噴き出した。
「なにそれ。慰めようとしてくれてるのはわかるけど、なんか変」
「うるせぇなぁあ」
唇を尖らせてそっぽを向く。そんな反応が面白かったのか、梅は意地の悪い顔をしてこちらの脇腹を指先でつついてきた。
そして、自分の顔を強かに叩く。
「―――うん! アタシ、悩むのはやめる! 正しいか正しくないかとか、良いヤツか悪いヤツかなんて、それこそ会ってみなきゃわからないことだし! もしも『良い鬼』がいて、ソイツに会うことがあったなら、またその時に考えればいいわよね!」
朗々と宣言し、梅は目の前の穴に向かって花束を手向けた。
再び合掌し、祈りを捧げる。
……地獄で罪を償えば、か。
その時は真っ当な家に、真っ当な人として生まれることができればいいなぁ。
不覚にも、そんなことを思ってしまった。
【大正コソコソ噂話】
狗鬼こと居塗守雅幸の妻・
彼女はおっとりとした気の弱い娘として知られていましたが、その実、聡明で頭が良く、勉学や仕事がとても出来ました。本人も先進的な考えを持っており、仕事が生き甲斐でしたが、古い男尊女卑的な考えを持つ居塗守家の人間はそんな彼女を異端視し、嫁いびりなどの嫌がらせが行われていました。
徳子は居塗守家から生まれる獣の正体が遺伝子の異常によるものであることを知っており、夫である雅幸との間に子供を設ける気はありませんでした。それ以前に彼女は夫のことを『家の外に出る為の道具』としか見ておらず、愛していた訳ではありませんでした。
しかし日増しに酷くなる親戚達からの『子供を産め』という催促と誹謗中傷、そしてそれ等から庇ってくれない夫に嫌気が差し、密かに仕事先の同僚と関係を持ち妊娠します。
臨月の手前で里帰りし出産に備えていた時、居塗守家の人達は、嫌がらせの一環として獣である正信を彼女にけしかけます。
獣と見下していた正信に拙い言葉で罵られた徳子は腹を立て、自分が居塗守家全体を見下しており、特に獣である正信とその兄である雅幸を侮蔑していることを口汚く告白しました。それを聞き逆上した正信は衝動的に徳子の首を締めてしまいます。
結果として徳子とお腹の子供は死んでしまいました。
その後、家への憎悪に囚われた雅幸は、仕事の取引先の人間に化けた鬼舞辻無惨と遭遇。意気投合し、財産とコネクションの全てを彼に譲った見返りとして、自分と弟を鬼にして貰い、復讐を始めました。
* * *
【中高一貫☆キメツ学園物語!!】
《
キメツ学園の卒業生。サラリーマンを経て、現在は動物園の飼育員。離婚歴有り。
裕福だったが変な宗教に被れていた実家を嫌い、地元の学校を卒業して直ぐに上京。そこで出会った徳子と結婚するが、しばらくして子供が生まれる直前に彼女の浮気が発覚。子供も雅幸の子ではなかったために慰謝料を請求し、三行半を叩き付けた。
その後は地元に帰り、アパートに部屋を借りる。ひょんなことから隣室に暮らしていた赤の他人の正信と親しくなり、発起。飼育員として動物園で働き始めた。
《
キメツ学園の卒業生。現在は大学に通っている。
謝花兄弟と同じ施設育ちの少年。また、蜜璃と同じ大学に籍を置く。風邪一つひいたことのない健康な体が自慢。成績は普通。ペットの鼠を可愛がっている。
隣室に越してきた雅幸がべろべろに酔った状態で部屋の前で倒れていたのを介抱したのが切っ掛けで、二人は仲良くなった。特に正信の『動物園の飼育員になりたい』という夢が雅幸を再起させる原動力になったようである。
現在は雅幸が働く動物園への就職を目指して頑張っている。