何度生まれ変わっても 作:ミズアメ
―――予感があった。
項の骨が軋むほどの寒気――否、怖気。これから自分は、最悪のものと遭遇するに違いないという確信。謝花梅の類稀なる直感が捉えた本能的な脅威が、知らず知らずの内に彼女の足取りを重くしていた。
一方で、目の前を走る兄の背中に迷いは見られない。
痩せぎすながらも広く大きな背中。梅は、いつもその後を追っていた。
その背中を支えたかった。
……支えに、なりたかった。
しかし――未だ。今も尚、その背中に追い付けない。触れることすら出来ていない。それ程までに二人の実力には隔たりがあった。前世の頃から変わらない関係。梅は、兄である妓夫太郎に護られてばかりだった。
先日の、狗鬼との戦いでもそうだったように。
梅は、妓夫太郎の足手纏いにしかなっていない。
(―――ッ! 戦いの前に、なにをバカなこと考えてんの! アタシは!)
心中で鎌首を
これから戦いなのだ。
無用な雑念など命取り。
自分だけでなく――それこそ、兄の身をも脅かす結果になりかねないのだ。梅は即座に思考を切り替えて、闘志のみで頭の中を満たした。
硬く均された地面を駆け抜ける。
山道は、途中から石の階段に変わった。山の中腹にある寺へと続く路。それを進む毎に、鬼の気配が強くなっていく。そして同時に、
(……誰も生き残っちゃいねぇだろうなぁ、これじゃあ)
妓夫太郎は冷静に状況を判断する。
方針を救出戦から殲滅戦へと変更。むしろその方がやり易い――そう考えてしまう己を少しばかり嫌悪しつつ。しかしそんな心中は一切面に出さず、無言で先を急いだ。
山の中腹――巨大な山門を構えた寺院に辿り着く。
木で造られた、立派な構えの門だ。その向こうから、禍々しい気配が溢れている。
妓夫太郎が刀を抜いた。
彼は無言で太刀を三度振るう。三角に切り抜かれた門を蹴り飛ばし、二人は静かに寺の中へと入り込んだ。
山門から御堂まで伸びる、広い石畳。
丁度その真ん中に、鬼がいた。
洋装の男だ。外観は人間とそう変わらない。白い
『―――ねんねんころり、こんころり。夢を見ながら死ねるなんて、幸せだよね』
歌うように、鬼が
鬼の足元には、十人以上の人間の死体が転がっている。その全員が黒い僧衣を着ていた。修行のため、寺に籍を置いている修行僧と思しい。
彼等の遺体は、全て食い荒らされていた。
一体、犯人は誰か――尋ねるまでもない。
『……あれ? 珍しいな、こんな時間にお客さんだなんて。この寺の人間に何か用事があったのかな? だとしたら、ごめんねぇ。もう俺が全部食べちゃった。……って、おやぁ?』
背中を向けていた鬼が振り返り、妓夫太郎と梅の姿を視界に映す。
それと同時に、二人もまた鬼の顔を、視た。
眠たげな眼が特徴の、中性的な顔立ち。
肌は陶器のように滑らかで、
その姿を直視した妓夫太郎は、訝し気に目を眇めた。
(オイオイオイ、嘘だろ?)
有り得ない。
そう、
鬼の
目の前の鬼から感じられる鬼舞辻無惨の気配は、確かに濃い。数多くの人間を食っていることは間違いないだろう。だが、十二鬼月と比べると格段に劣る。気配だけでそれが分かった。しかし、目の前の鬼の眼球に刻まれた数字は―――
上弦、陸。
十二鬼月の中でも選ばれし強い鬼。上弦の鬼であることの証。それが確と、鬼の両眼に刻み込まれているのが見て取れた。
鬼は、口元の血を拭いつつ、妓夫太郎の顔を遠目にまじまじと観察してから、口を開く。
『その醜い顔……もしかして、君が
ねっとりと。
耳に纏わりつくような、独特な響きのある粘ついた不快な声音。
そんな鬼の声に反応したのは、当の妓夫太郎ではなく――梅だった。
「―――――はぁ? はぁぁあああ!?」
嫌悪と憤怒に表情を染め上げて、梅は怒り足で一歩前へ踏み出る。
「誰が醜いですって!? アンタみたいな不細工が、誰に向かって口を利いてんのよッ!」
『おやおや。随分と口の悪い娘だなぁ。駄目だよ、女の子はもっと淑やかにしていなきゃ』
くすくすと、鈴を転がすように笑う鬼。
その面貌に見覚えはない。妓夫太郎の前世の記憶の中にも、該当する顔はなかった。全くの初見の鬼であることは間違いない。
(俺の知らない上弦……? 今世じゃ、上弦の陸は俺と堕姫じゃないってことか。だがそれにしても妙だなぁ。こいつ、
棒立ちのまま、無言で思考を巡らせる。
一方で、身体の動きに隙はない。いつでも鎌を抜き、刀を振れる体勢で、妓夫太郎は目の前の鬼の様子を観察していた。
あくまで冷静な妓夫太郎。
その一方で、梅は今にも爆発しかねない形相で歯軋りしている。
「―――ッ! こんのぉ……! アンタ、絶対にただじゃおかないわ! アタシのお兄ちゃんを醜いと言った罪! それにたくさんの人を傷付けて、殺めた罪! 今ここで贖わせてやる! アンタの頸は、必ずアタシが斬ってやるんだから!」
宣言し、梅は迷わず日輪刀を抜いた。
師である甘露寺蜜璃から貸与された刀。刀身を覆う帯を解き、露わになった桜色の切先を鬼に向ける。
刃を向けられた鬼は、余裕の態度を崩さない。
そもそもが二体一。数の上からして劣勢である筈だが、気にした様子もない。むしろ夢見るようにうっとりとした表情で、鬼は泰然と構えていた。
―――気味が悪い。
『ふふふ、君に出来るかな。十二鬼月――上弦の鬼である俺を。果たして、君達如きに殺せるのかな? うふふふふふふふふ!』
告げて、鬼は左手を前方へ掲げる。
その手の甲には、口があった。
「―――――」
「―――――」
敵は攻撃に意識を向けており、防御が疎かになっている。今なら頸を斬れる。脳ではなく身体がそう判断し、妓夫太郎と梅は全く同時に駆け出した。
「炎の呼吸、伍ノ型――“炎虎”!」
「恋の呼吸、壱ノ型――“初恋のわななき”!」
彼我の距離を詰めるには、ニ十歩を要する。
妓夫太郎と梅は、瞬き一つの内にその半分を埋めていた。鬼の頸に刃を叩き込むまで、あと一瞬も掛からない。しかし―――
それよりも速く、鬼の血鬼術が発動した。
『血鬼術――“強制昏倒催眠の囁き”』
『おォ
鬼の左手の甲の口が、告げる。
血を媒介として発せられる暗示。それは聴く者の鼓膜から神経へと伝播し、強烈に作用する。この技を食らったが最後――どんなに強い剣士であろうと、名の通り、強制的に眠りの奥底へと誘われてしまうのだ。
其は、眠り鬼。
今世における十二鬼月が一、上弦の陸――魘夢の血鬼術が、発動した。
* * *
雅楽の音色が厳かに響き渡る、神社の境内。
花婿と花嫁、そして列席者達が本殿へ向かってゆっくりと歩いている。
参進の義。
神前式――日本における結婚式。その工程の一つだ。
神事を司る神主を先頭に、八百万の神々へと祝詞を奉納する。先の明治時代に天皇陛下が執り行ったことを始まりとして、ここ十年の間に一般にも拡がりつつある、新たな祝言の様式である。
本殿に、入る。
従来の結婚式――いわゆる祝言は花婿の邸宅で行い、且つ列席者は基本的には親戚のみだった。しかし今回の花婿にはほとんど親類がいない。妹が一人だけだ。だがそれでは華やかさに欠けるという事で、人を呼び、更に場所を借りてお披露目を行う神前式の方を採用していた。
梅は、列席者の側から、花婿と花嫁の姿を見ていた。
花婿は兄、妓夫太郎。
花嫁は■■。
大好きな兄の晴れ舞台。猫背がちな彼も、今この場だけはぴんと背筋を伸ばしている。立派な黒と灰色の羽織袴を着た彼の姿を『馬子にも衣裳』と笑うものはいない。今の彼の姿は、それだけ凛々しくて堂々としている。
とても素敵で、誰よりも格好良い。自慢の兄だ。
その花嫁である■■の姿も美しかった。
白無垢は現代の乙女達の憧れ。夢そのものだ。それを着た彼女の姿はこれ以上ないというくらいに美しくて、梅はついつい見惚れてしまう。
(結婚おめでとう。幸せになってね、お兄ちゃん)
楽の音が響く式の最中。心の中で祝福の言葉を贈る。
けれど―――
ああ、けれど――この胸の中の、ちくりとした痛みはなんだろう?
兄に幸せになって欲しい。
梅の、その想いは本物だ。
彼は誰よりも頑張ってきた人だった。親がいない環境で、男手一つで梅を育て上げた。生活は苦しく、寂しい思いをすることもあったが、それでも梅は兄のことが大好きだった。兄のことを大切に思っていた。
誰よりも賢く、誰よりも強かった彼。
喧嘩をすることもあったし、馬鹿にされることもあった。しかし彼は優しく、いつでも目一杯の愛情を注いでくれた。そんな兄のことを、梅は心から慕っていたのだ。彼が妹に『誰よりも幸せになって欲しい』と願っていたように。梅もまた、兄の人生に一つでも多くの幸福が訪れるよう祈っていた。
その兄が――妓夫太郎が、今日、結婚する。
結婚とは、人生における代表的な祝い事だ。
喜ばしい。
幸せそうだ。
きっとこの世にこれほど幸福な花婿と花嫁は存在しないだろうと、梅はそう思う。それだけ、目の前で行われている結婚式は素晴らしかった。
けれど―――
(これからもっと幸せになるんだよね。お仕事も今よりずっと上手くいって、それから子宝にも恵まれて。生まれた子供達の結婚式にも出て、孫が産まれて、たくさんの人達に囲まれて、幸せに生きていくんだよね。だって、お兄ちゃんにはその資格があるもんね。誰よりも頑張ってきたんだから。だから……だから…………あれ……―――)
アタシ、なんで泣いてるの?
おかしなことではない。
実に目出度い祝いの席なのだ。感動のあまり、涙することもあるだろう。
けれど―――
こうも、思うのだ。
彼の隣に立っているのが自分なら、どんなに良かっただろう。そもそも結婚することで本当に幸せになれるのか。■■は妓夫太郎が選んだ花嫁だが、しかし浮気する可能性も零ではない。よくある話だ。自分なら、妓夫太郎を裏切ったりはしない。絶対に。他の男など路傍の石以下。自分なら、一生彼だけを見続ける。間違いなく。それに自分なら、間違いなく彼を幸せにすることができる。その自信があった。彼のことはなんでも知っているのだから。そう、自分なら。自分なら。自分なら自分なら自分なら
(―――――あれ?)
気が付いた時、梅の立ち位置が変わっていた。
列席者の側ではなく、妓夫太郎の隣に。入れ替わりに、■■がそちらの席にいる。彼女は嬉しそうに顔を綻ばせて、心から花婿と花嫁を祝福していた。
白無垢姿の梅が、隣の妓夫太郎を見る。
それに気付くと、妓夫太郎は、親愛の情が篭った眼差しを梅に向けた。
(ああ、そうだ。アタシ、お■ちゃんと結婚するんだ)
大好きな■との結婚。幼い頃からの夢だった。今日という日を、一体どれだけ待ち望んでいたことか。
けれども、
梅は結婚する。契りを結び、■と夫婦になるのだ。
三献の義。
花婿と花嫁の前に、三種類の盃が用意されている。これを交互に少しずつ口にすることで、夫婦の契りを結ぶ。
妓夫太郎が盃に唇をつけ、梅に差し出す。
梅は、至福の気持ちでそれを受け取った。
梅は恭しく――両手で
【令和コソコソ中の人話】
今更ですが。私は、単純な誤字脱字の修正から、整合性を取るために後から設定や描写をちょこちょこ変えたりすることが多いです。最近だとエロカフェ関連の時代考証(実際にその手の喫茶店が流行ったのは関東大震災の後らしいです。すみません。)を修正、それに蕨姫の鬼としての名前(紅帯鬼から機織鬼に変更)や、鬼舞辻無惨から与えられた血の量などの部分の設定を変えたりしました。
今後もまた無言でやると思います。何卒、どうかご容赦を……。
* * *
【大正コソコソ噂話】
謝花妓夫太郎の鎹鴉の名前は
謝花梅の鎹鴉の名前は