何度生まれ変わっても 作:ミズアメ
その日――法螺の鳴る音を、聞いた気がした。
その日……―――――
梅は、禿として『京極屋』での仕事に従事していた。
その日は夜になるなり
梅は遣手のお三津に頼まれて、体調不良で寝ている蕨姫を呼びに行った。
階段を登り、北側の日の当たらない部屋へ向かう。
廊下を歩いている途中で、梅は違和感に気付いた。
(……?
何の気なしに、梅は開いた襖の隙間から、部屋の中を覗き込む。
明かりの落とされた暗い室内には、三つの人影があった。
一つは酷く大柄な男。豪商、山ン本
一つは黒い着物姿の、この世のものとは思えない美貌を持った女性。
そして――苦悶の形相で蹲っている蕨姫。
「―――っ! わらじむし! どうしたの!?」
咄嗟に体が動いた。梅は襖を開けて人影の横を通り、蕨姫の許へ駆ける。
激しく痙攣し、爪が剥がれるほどに畳を掻き毟っている蕨姫。明らかに尋常な様子ではない。梅は彼女を抱き起こそうとするが、振り払われるも同然に、強かに突き飛ばされてしまった。
梅の小さな体が、部屋の壁に叩き付けられる。
「が―――――っ!?」
衝撃で呼吸が止まり、灰の中の空気が全て飛び出す。あまりの苦しさに胸を押さえ、梅は激しく咳き込んだ。
豪商の男と芸妓の女は、梅はおろか、蕨姫のことも助けようという素振りを見せない。
共に、二人のことを蠅でも見るような、冷めた眼差しで見下ろしている。
『
無機質。しかし、苛立ちの滲んだ声音。
芸妓の女に問い質されると、豪商の男は申し訳なさそうに禿頭を撫でた。
『いやぁ、いやはや。なんと申し開きしたものか……面目次第も御座いませぬ。どうやら儂の詰めが甘かったようですなぁ。折角、我等の御大将様に自らご足労頂いたというのに……このような失態を晒してしまうとは。「弘法にも筆の誤り」とも言いまするが、失態は失態。この婆娑羅、穴があったら入りとう御座いまする!』
男の謝罪は丁寧ながらも気安いものだった。
芸妓の女は目を細めるが、直接咎めることはしなかった。立場は芸妓の女の方が上であるようだが、男の方は女を敬いつつも気安い態度を崩さず、女はそれを認めているようである。二人は多少なりとも気心が知れている仲のようだ。
「ごほっ、ごほ……アンタ、達……一体、何者? ソイツに、なにをしたのよ……ッ!」
キッと眉を怒らせて睨み付ける。
蕨姫は今も痙攣している。まるで狂犬病患者の末期症状のようだ。
二人は梅はおろか蕨姫にすら、碌に注意を向けていない。
『……ふん、まあいい』
言って、初めて芸妓の女が梅に視線を向けた。
明らかに人間離れしている紅梅色の瞳。怪物の双眸で流し目に睨まれ、梅の全身が本能的な恐怖心で総毛立つ。
「……ッ!」
本能的な恐怖を感じ、梅はその場から全力で逃走を図った。
捕まえようと伸びてくる男の手を搔い潜り、部屋の外へ出る。
(誰か――誰か呼んでこなきゃ―――ッ!?)
追って来てはいないだろうか、と後方を確認しながら梅は走った。誰も部屋から出てきてはいない。しかし――梅の逃走は、阻まれてしまった。
なにかにぶつかり、梅は尻餅を搗く。
前を見ると、そこには豪商の男が立っていた。
『おおっと、何処へ行こうというのかい。店の同僚を見捨てて逃げるとは感心せんのぅ』
人の好さそうな笑みを浮かべて言う、巨躯の男。
男が部屋から出たのならば気付いたはず。しかし、梅は男の接近に気付かなかった。それどころか回り込まれてしまっている。度重なる異常事態の発生に頭が混乱していた。
「……なん、なの。アンタ達は」
ただ、呆然と呟く。
男はにやりと笑みを深くして答えた。
『―――儂等は、鬼よ。仏道から外れし悪鬼羅刹よ!』
宣言と同時に、男の身体が変化した。
見上げるほどの巨体が、更に大きく膨れ上がる。肌が黒く染まり、歌舞伎役者を思わせる豪奢な衣装に相応しい、隈取を思わせる赤い痣が顔に浮かび上がった。更に額には第三の眼が現れ、三つの眼球の強膜が真っ赤に染まる。
明らかに人間ではない。
それは、鬼だった。
鬼の質量が増大し、その影響で廊下の空間が
「なに!? なんなの、これ!? 助けてお兄ちゃん!!」
梅は頭を抱えて蹲る。
異常な空間と化した廊下の中で、大笑する鬼の声だけが響き渡る―――
『―――そこまでにしておけ、婆娑羅』
芸妓の女が一声かけると、全ての異常はぴたりと止んだ。
「……?」
恐る恐る、梅は周囲を見渡す。すると、視界に入るのは普段と同じ『京極屋』の姿だった。
今のは、幻?
否、違う。
『おおっと、申し訳ありませぬ。少々、悪
『押さえていろ』
『承知! さぁて、じっとしておれよ娘御。痛いとは思うが我慢じゃ。なぁに、運が良ければすぐに済むからのぅ!』
「や――やだ! 放して! 放しなさいよ変態ッ!」
『くくく、これはとんだじゃじゃ馬じゃ! しかし、それにしてもよぅく見てみれば、これはかなりの器量良しじゃのぅ! まさに「泥中の蓮」! 勿体ないわい!』
元の大きさに戻った鬼が、梅の両手を押さえる。
梅は暴れ、噛みつき、鬼の股間に蹴りを叩き込んだが、拘束が緩むことはなかった。
「クソッ! この糞野郎! アンタ達! こんなことして、ただで済むと思わないことね! アタシのお兄ちゃんが、必ず―――」
『婆娑羅、口を塞げ。耳障りだ』
『承知!』
大きな掌が梅の口を覆い、圧迫する。
芸妓の女がどんどん近付いてくる。彼女はゆるりと右手を持ち上げると――梅の胸元に、指を突き刺した。
「―――――っ!?」
激痛。
胸を刺された痛みだけではない。それ以上の悍ましい何かが、梅の神経と細胞を苛んでいる。
痛みは鮮明に。しかし、意識は暗い闇の中へ落ちていく。
その中で。
『お前には私の血を与える。お前は、■になるのだ』
確かに、その言葉を聞いた。
* * *
『へぇ、なるほど。
くすくすと笑いながら、魘夢は言った。
その視線の先にあるのは、石畳の上に寝転がっている二人の鬼狩り。妓夫太郎と梅だ。
眠り鬼・魘夢は、人の記憶を観ることが出来る。
そもそも夢とは、動物が睡眠時に行っている記憶の整理だ。その中の断片的な情報を表層意識が繋ぎ合わせて処理した結果、夢という形で認識される。魘夢はただ、血鬼術を介してそれを覗き見ているだけだ。
(『毒の血を持つ醜い顔の鬼狩り』……彼の血は、あらゆる鬼の血鬼術を無効化し得ると
魘夢の血鬼術は神経から直接脳に作用するものだ。血液とは接触しない為、妓夫太郎にも有効である。現に彼は眠っているし、魘夢は彼の記憶をも観ることが出来ていた。
『ふふっ、素敵だなぁ。光栄だなぁ。まさか
言葉尻が、剣戟の音によって掻き消された。
「―――――!」
魘夢の血鬼術を破った梅が、跳ね起きると同時に斬り掛かっていた。
間合いまで十歩を要する距離があった筈だが、そんなものは失せていた。猫も同然の瞬発力で一気に接近し、梅は魘夢の頸に太刀を振るった。
膂力、瞬発力。そして斬り掛かるタイミングの計り。どれをとっても驚嘆に値する。
だがその程度で殺られる十二鬼月ではない。上弦ともなれば猶の事。
魘夢は左手の甲の口――そこに並ぶ歯を盾として、梅が放った逆胴の斬撃を防いだ。
「―――こンの糞野郎ッ!」
梅は、激怒していた。
最早怒っている、という表現では生温い。憎悪している。それほどまでに、梅は目の前の鬼の存在が許せなかった。
全身の血管がめきめきと音を立てて隆起し、筋肉が骨を軋ませる。
対して、怒気を向けられた魘夢の態度は、非常に暢気だった。
『あれれぇ、怒っちゃった? お兄さんとの結婚式はお気に召さなかったかなぁ? まあ、その辺りは人によって好みも分かれるしねぇ。君はあれかな。昔ながらの祝言が良かったかな? それとも、白いドレスを着て教会で式を挙げたかった? 今時の娘だもんね』
「……ッッッ!!! 乙女の純情に、土足で踏み入ってんじゃないわよッ!!」
吼え猛り、梅は連続して斬撃を放った。
刀だけでなく、鉄下駄をも駆使して攻撃を放つ。新体操の如く、全身で螺旋を描きながら放つ蹴撃。持ち前の剛力と関節の柔軟さを最大限活かした技の数々。その威力は、喩え鬼であっても内臓破裂は必至。死なないとはいえども、肉体の修復に血を消耗する。
無論、そんなもの、上弦の鬼にとってはダメージにすらならない。しかし、
左手一本では防御が間に合わない。
右手にも口を生やし、盾を増やす。
「ああもう、気持ち悪いのよその口!」
ぶつかる刃金が火の粉を散らす。
人体で最も硬いのは歯だ。エナメル化したカルシウムの堅牢さは、鉄に勝るとも劣らない。それが鬼のものともなれば、硬度は数十倍にも跳ね上がる。
「全集中――恋の呼吸、参ノ型! “恋猫しぐれ”!!」
鬼の周囲を飛び跳ねながら放つ波状攻撃。師である甘露寺蜜璃ならば、雷や音波などの非実体の血鬼術すら切り裂く程の鋭い斬撃である。
しかし―――
梅の力不足か。あるいは、怒りで刃が鈍っているのか。鬼の頸を斬るには至らなかった。
『うふふふ、そんな攻撃じゃ俺の頸は斬れないよ?』
「余裕ぶっこいてられるのも今の内よ! ―――恋の呼吸、伍ノ型! “揺らめく恋情・乱れ爪”!」
宙返りしつつ後方へ飛び退く動作。更に手から刀を放している。
『……? なにを―――』
しているの、と口にする前に。魘夢の身体がバラバラに解体された。
柄ではなく飾り帯を握り、鞭そのものとして日輪刀を振るう技。その速度と威力は通常の斬撃の比ではない。直接的な戦闘に向かないタイプの鬼であるとはいえ、上弦の陸である魘夢ですら視認するのが困難だった。
一拍遅れて血が噴き出し、六つの肉片に分割された体が崩れ落ちる。
「トドメ―――!」
刀を手元に引き戻して握り締め、梅は全力で踏み込んだ。
「恋の呼吸、壱ノ型――“初恋のわななき”―――――!」
接近すべく駆ける。
無論、それを黙って見ている魘夢ではない。
『眠れェ―――!』
再び発動する血鬼術。
梅は為す術なく入眠し、体勢を崩す――前に覚醒した。
勢いを殺すことなく、そのまま肉薄する。
『眠らない……』
『眠れェ! 眠れェ!
連続して発動する血鬼術。しかし梅は止まらない。それどころか、術を受けてか覚醒するまでの時間がどんどん短くなっていく。
梅は血鬼術を受けて、眠っていた。
その度に彼女は、眠っているという事実を素早く認識し、覚醒のための自決を行っている。
……夢の中と言えど、自決するには相当な胆力を要する。それこそ下手をすれば廃人になりかねない。だというのに、彼女は一切の躊躇なく行っていた。
(このガキ……コイツ
魘夢は、純粋に驚いていた。
一方。
梅は、魘夢の血鬼術によって悪夢を見せられていた。
眠る度に最愛の人から詰られる。
―――お前のせいだ。お前のせいで死んだ。
―――よりによって、お前なんかと友達になったから椿は死んだんだ
―――お前さえいなけりゃ、皆の人生はもっと違ってただろうなぁ
―――なんで俺がお前の尻拭いばっかしなきゃならないんだ?
―――お前なんて、生まれてこなきゃよかったんだ!
今度こそ――梅の怒りが、頂点に達した。
「―――――言う筈ないでしょ! そんなことッ! アタシのお兄ちゃんがッッッ!!!」
触れてはならないものに触れた。逆鱗を小突き、尾を踏み付けにした。
この鬼は、絶対に生かしてはおけない。
「アタシ達のことを分かった気になってんじゃないわよ――地獄に堕ちろ! この不細工ッ!」
間合いに入った。術の発動に気を取られたのか、鬼の身体はまだ再生し切っていない。
今ならば、確実に頸を斬れる。
全身全霊で以って、渾身の一撃を放つ。刃は――意外なほど呆気なく、鬼の頸を断ち切った。
(なに、この手応え。豆腐でも斬ったみたいな……まさか―――)
振り返り、梅は鬼の方を視る。
ある意味で予想通りというべきか。日輪刀で頸を斬られたにも関わらず、鬼の身体は崩れない。斬られた直後のままの状態で、石畳の上に転がっている。
血鬼術―――
『―――まさか、だねぇ。
逢った時と同じ――夢見心地な表情のまま、魘夢は囁いた。
切断された肉の断面が、爆発的に膨れ上がる。それは肉同士で絡み合い、融合し、一つに結合した。巨大な肉色の風船が出来上がる。
梅は無言で刀を構え直した。
一度で駄目ならもう一度。死ぬまで頸を斬る。夜が明けるまでずっと。その覚悟を決めた。
しかし、舌の根も乾かぬ内に、梅は驚愕に目を見開かされることになる。
「なん、ですって?」
目を疑う。
肉の風船が萎み、一つの形を取る。それは男ではなく、美しい女の姿をしていた。
装いといえば完全に色情狂のソレだ。身に着けているのは西洋式の紅い下着と靴下のみで、惜し気もなく肌を露出している。唯一、腹部には赤紫色の帯を巻いていた。
白磁の肌は文字通り陶器の如く滑らか。柔らかさと弾力とを兼ね備えた肢体は、肉の魅惑に満ちている。肉付きの良い胸と尻は大きく張り出し、対照的に腰は引っ込んでいる。男好きする体の典型――というよりも、理想形と表現すべき姿だった。
カラン、と三枚歯の下駄が高く鳴る。
簪で結い上げられた髪は艶やか。その色は、眩惑的な白銀。宝石に喩えられても遜色のない至宝である。
だが、最も目を惹くのは――貌、だろう。
その貌は美しかった。
長い歴史を紐解いても、こんなに美しい貌は二つとない。人間の美意識だけでなく、黄金比の観点から見ても完璧と言わざるをえない端整な造形美。その――誰よりもよく知る貌が、梅の目の前にあった。
これこそが、
―――“
『誰が不細工ですって? 鏡に向かってなに言ってんの、アンタ。馬鹿じゃないの? 死んだほうがいいんじゃない?』
女の背面――帯の結び目を起点に、鎌首を擡げる蛇の如く帯が伸びる。
梅は知っている。
「―――――……アタシ?」
凄まじい既視感に、眩暈がした。
もう一人の梅――帯鬼は、肯定するように嗤った。