何度生まれ変わっても   作:ミズアメ

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第参拾漆話 本当の悪夢・前編

 その日――法螺の鳴る音を、聞いた気がした。

 

 

 その日……―――――

 

 

 梅は、禿として『京極屋』での仕事に従事していた。

 その日は夜になるなり()()(もと)という旧家の豪商が店を訪れており、派手に遊んでいた。更に夜が更けてきた頃には『大口の客』が黒い着物を着た芸妓の女性等を伴って入店してきたこともあり、随分と忙しかった。

 

 梅は遣手のお三津に頼まれて、体調不良で寝ている蕨姫を呼びに行った。

 

 階段を登り、北側の日の当たらない部屋へ向かう。

 廊下を歩いている途中で、梅は違和感に気付いた。

 

(……? (ふすま)が開いてる? 誰か来てるのかしら?)

 

 何の気なしに、梅は開いた襖の隙間から、部屋の中を覗き込む。

 

 明かりの落とされた暗い室内には、三つの人影があった。

 

 一つは酷く大柄な男。豪商、山ン本五郎(ごろう)()()(もん)

 

 一つは黒い着物姿の、この世のものとは思えない美貌を持った女性。

 

 そして――苦悶の形相で蹲っている蕨姫。

 

「―――っ! わらじむし! どうしたの!?」

 

 咄嗟に体が動いた。梅は襖を開けて人影の横を通り、蕨姫の許へ駆ける。

 激しく痙攣し、爪が剥がれるほどに畳を掻き毟っている蕨姫。明らかに尋常な様子ではない。梅は彼女を抱き起こそうとするが、振り払われるも同然に、強かに突き飛ばされてしまった。

 

 梅の小さな体が、部屋の壁に叩き付けられる。

 

「が―――――っ!?」

 

 衝撃で呼吸が止まり、灰の中の空気が全て飛び出す。あまりの苦しさに胸を押さえ、梅は激しく咳き込んだ。

 

 豪商の男と芸妓の女は、梅はおろか、蕨姫のことも助けようという素振りを見せない。

 共に、二人のことを蠅でも見るような、冷めた眼差しで見下ろしている。

 

婆娑羅(ばさら)。人払いはお前に任せた筈だが? なんだ、これは?』

 

 無機質。しかし、苛立ちの滲んだ声音。

 芸妓の女に問い質されると、豪商の男は申し訳なさそうに禿頭を撫でた。

 

『いやぁ、いやはや。なんと申し開きしたものか……面目次第も御座いませぬ。どうやら儂の詰めが甘かったようですなぁ。折角、我等の御大将様に自らご足労頂いたというのに……このような失態を晒してしまうとは。「弘法にも筆の誤り」とも言いまするが、失態は失態。この婆娑羅、穴があったら入りとう御座いまする!』

 

 男の謝罪は丁寧ながらも気安いものだった。

 芸妓の女は目を細めるが、直接咎めることはしなかった。立場は芸妓の女の方が上であるようだが、男の方は女を敬いつつも気安い態度を崩さず、女はそれを認めているようである。二人は多少なりとも気心が知れている仲のようだ。

 

「ごほっ、ごほ……アンタ、達……一体、何者? ソイツに、なにをしたのよ……ッ!」

 

 キッと眉を怒らせて睨み付ける。

 

 蕨姫は今も痙攣している。まるで狂犬病患者の末期症状のようだ。

 

 二人は梅はおろか蕨姫にすら、碌に注意を向けていない。

 

『……ふん、まあいい』

 

 言って、初めて芸妓の女が梅に視線を向けた。

 

 明らかに人間離れしている紅梅色の瞳。怪物の双眸で流し目に睨まれ、梅の全身が本能的な恐怖心で総毛立つ。

 

「……ッ!」

 

 本能的な恐怖を感じ、梅はその場から全力で逃走を図った。

 捕まえようと伸びてくる男の手を搔い潜り、部屋の外へ出る。

 

(誰か――誰か呼んでこなきゃ―――ッ!?)

 

 追って来てはいないだろうか、と後方を確認しながら梅は走った。誰も部屋から出てきてはいない。しかし――梅の逃走は、阻まれてしまった。

 

 なにかにぶつかり、梅は尻餅を搗く。

 

 前を見ると、そこには豪商の男が立っていた。

 

『おおっと、何処へ行こうというのかい。店の同僚を見捨てて逃げるとは感心せんのぅ』

 

 人の好さそうな笑みを浮かべて言う、巨躯の男。

 男が部屋から出たのならば気付いたはず。しかし、梅は男の接近に気付かなかった。それどころか回り込まれてしまっている。度重なる異常事態の発生に頭が混乱していた。

 

「……なん、なの。アンタ達は」

 

 ただ、呆然と呟く。

 

 男はにやりと笑みを深くして答えた。

 

『―――儂等は、鬼よ。仏道から外れし悪鬼羅刹よ!』

 

 宣言と同時に、男の身体が変化した。

 見上げるほどの巨体が、更に大きく膨れ上がる。肌が黒く染まり、歌舞伎役者を思わせる豪奢な衣装に相応しい、隈取を思わせる赤い痣が顔に浮かび上がった。更に額には第三の眼が現れ、三つの眼球の強膜が真っ赤に染まる。

 

 明らかに人間ではない。

 

 それは、鬼だった。

 

 鬼の質量が増大し、その影響で廊下の空間が(たわ)んでいく。揺れていない筈なのに床が揺れ、砕けていない筈なのに壁が砕け、落ちていない筈の天井が空に向かって落ちていった。

 

「なに!? なんなの、これ!? 助けてお兄ちゃん!!」

 

 梅は頭を抱えて蹲る。

 

 異常な空間と化した廊下の中で、大笑する鬼の声だけが響き渡る―――

 

『―――そこまでにしておけ、婆娑羅』

 

 芸妓の女が一声かけると、全ての異常はぴたりと止んだ。

 

「……?」

 

 恐る恐る、梅は周囲を見渡す。すると、視界に入るのは普段と同じ『京極屋』の姿だった。

 

 今のは、幻?

 

 否、違う。()()()()()と、梅の直感が訴えている。

 

『おおっと、申し訳ありませぬ。少々、悪巫山戯(ふざけ)が過ぎ申した』

『押さえていろ』

『承知! さぁて、じっとしておれよ娘御。痛いとは思うが我慢じゃ。なぁに、運が良ければすぐに済むからのぅ!』

「や――やだ! 放して! 放しなさいよ変態ッ!」

『くくく、これはとんだじゃじゃ馬じゃ! しかし、それにしてもよぅく見てみれば、これはかなりの器量良しじゃのぅ! まさに「泥中の蓮」! 勿体ないわい!』

 

 元の大きさに戻った鬼が、梅の両手を押さえる。

 梅は暴れ、噛みつき、鬼の股間に蹴りを叩き込んだが、拘束が緩むことはなかった。

 

「クソッ! この糞野郎! アンタ達! こんなことして、ただで済むと思わないことね! アタシのお兄ちゃんが、必ず―――」

『婆娑羅、口を塞げ。耳障りだ』

『承知!』

 

 大きな掌が梅の口を覆い、圧迫する。

 

 芸妓の女がどんどん近付いてくる。彼女はゆるりと右手を持ち上げると――梅の胸元に、指を突き刺した。

 

「―――――っ!?」

 

 激痛。

 

 胸を刺された痛みだけではない。それ以上の悍ましい何かが、梅の神経と細胞を苛んでいる。

 

 痛みは鮮明に。しかし、意識は暗い闇の中へ落ちていく。

 

 その中で。

 

『お前には私の血を与える。お前は、■になるのだ』

 

 確かに、その言葉を聞いた。

 

 * * *

 

『へぇ、なるほど。()()()の血を頂いたのに、君は鬼になれなかったんだねぇ。たまにそういう人がいるって話には聞いたことがあったけれど。……不運な子だなぁ』

 

 くすくすと笑いながら、魘夢は言った。

 

 その視線の先にあるのは、石畳の上に寝転がっている二人の鬼狩り。妓夫太郎と梅だ。

 

 眠り鬼・魘夢は、人の記憶を観ることが出来る。

 

 そもそも夢とは、動物が睡眠時に行っている記憶の整理だ。その中の断片的な情報を表層意識が繋ぎ合わせて処理した結果、夢という形で認識される。魘夢はただ、血鬼術を介してそれを覗き見ているだけだ。

 

(『毒の血を持つ醜い顔の鬼狩り』……彼の血は、あらゆる鬼の血鬼術を無効化し得ると()()()は予想していたけれど。どうやら俺の術は効くみたいだね)

 

 魘夢の血鬼術は神経から直接脳に作用するものだ。血液とは接触しない為、妓夫太郎にも有効である。現に彼は眠っているし、魘夢は彼の記憶をも観ることが出来ていた。

 

『ふふっ、素敵だなぁ。光栄だなぁ。まさか()()に会えるとは、俺も思ってなかった―――』

 

 言葉尻が、剣戟の音によって掻き消された。

 

「―――――!」

 

 魘夢の血鬼術を破った梅が、跳ね起きると同時に斬り掛かっていた。

 間合いまで十歩を要する距離があった筈だが、そんなものは失せていた。猫も同然の瞬発力で一気に接近し、梅は魘夢の頸に太刀を振るった。

 

 膂力、瞬発力。そして斬り掛かるタイミングの計り。どれをとっても驚嘆に値する。

 

 だがその程度で殺られる十二鬼月ではない。上弦ともなれば猶の事。

 魘夢は左手の甲の口――そこに並ぶ歯を盾として、梅が放った逆胴の斬撃を防いだ。

 

「―――こンの糞野郎ッ!」

 

 梅は、激怒していた。

 

 最早怒っている、という表現では生温い。憎悪している。それほどまでに、梅は目の前の鬼の存在が許せなかった。

 全身の血管がめきめきと音を立てて隆起し、筋肉が骨を軋ませる。

 

 対して、怒気を向けられた魘夢の態度は、非常に暢気だった。

 

『あれれぇ、怒っちゃった? お兄さんとの結婚式はお気に召さなかったかなぁ? まあ、その辺りは人によって好みも分かれるしねぇ。君はあれかな。昔ながらの祝言が良かったかな? それとも、白いドレスを着て教会で式を挙げたかった? 今時の娘だもんね』

「……ッッッ!!! 乙女の純情に、土足で踏み入ってんじゃないわよッ!!」

 

 吼え猛り、梅は連続して斬撃を放った。

 刀だけでなく、鉄下駄をも駆使して攻撃を放つ。新体操の如く、全身で螺旋を描きながら放つ蹴撃。持ち前の剛力と関節の柔軟さを最大限活かした技の数々。その威力は、喩え鬼であっても内臓破裂は必至。死なないとはいえども、肉体の修復に血を消耗する。

 無論、そんなもの、上弦の鬼にとってはダメージにすらならない。しかし、()()()()()()有効だった。

 

 左手一本では防御が間に合わない。

 右手にも口を生やし、盾を増やす。

 

「ああもう、気持ち悪いのよその口!」

 

 ぶつかる刃金が火の粉を散らす。

 人体で最も硬いのは歯だ。エナメル化したカルシウムの堅牢さは、鉄に勝るとも劣らない。それが鬼のものともなれば、硬度は数十倍にも跳ね上がる。

 

「全集中――恋の呼吸、参ノ型! “恋猫しぐれ”!!」

 

 鬼の周囲を飛び跳ねながら放つ波状攻撃。師である甘露寺蜜璃ならば、雷や音波などの非実体の血鬼術すら切り裂く程の鋭い斬撃である。

 しかし―――

 梅の力不足か。あるいは、怒りで刃が鈍っているのか。鬼の頸を斬るには至らなかった。

 

『うふふふ、そんな攻撃じゃ俺の頸は斬れないよ?』

「余裕ぶっこいてられるのも今の内よ! ―――恋の呼吸、伍ノ型! “揺らめく恋情・乱れ爪”!」

 

 宙返りしつつ後方へ飛び退く動作。更に手から刀を放している。

 

『……? なにを―――』

 

 しているの、と口にする前に。魘夢の身体がバラバラに解体された。

 

 柄ではなく飾り帯を握り、鞭そのものとして日輪刀を振るう技。その速度と威力は通常の斬撃の比ではない。直接的な戦闘に向かないタイプの鬼であるとはいえ、上弦の陸である魘夢ですら視認するのが困難だった。

 一拍遅れて血が噴き出し、六つの肉片に分割された体が崩れ落ちる。

 

「トドメ―――!」

 

 刀を手元に引き戻して握り締め、梅は全力で踏み込んだ。

 

「恋の呼吸、壱ノ型――“初恋のわななき”―――――!」

 

 接近すべく駆ける。

 無論、それを黙って見ている魘夢ではない。

 

『眠れェ―――!』

 

 再び発動する血鬼術。

 梅は為す術なく入眠し、体勢を崩す――前に覚醒した。

 

 勢いを殺すことなく、そのまま肉薄する。

 

『眠らない……』

『眠れェ! 眠れェ! ()ェむゥれェェエエエ!』

 

 連続して発動する血鬼術。しかし梅は止まらない。それどころか、術を受けてか覚醒するまでの時間がどんどん短くなっていく。

 

 梅は血鬼術を受けて、眠っていた。

 

 その度に彼女は、眠っているという事実を素早く認識し、覚醒のための自決を行っている。

 

 ……夢の中と言えど、自決するには相当な胆力を要する。それこそ下手をすれば廃人になりかねない。だというのに、彼女は一切の躊躇なく行っていた。

 

(このガキ……コイツ()、まともじゃない!)

 

 魘夢は、純粋に驚いていた。

 

 一方。

 

 梅は、魘夢の血鬼術によって悪夢を見せられていた。

 眠る度に最愛の人から詰られる。

 

 

 ―――お前のせいだ。お前のせいで死んだ。

 ―――よりによって、お前なんかと友達になったから椿は死んだんだ

 ―――お前さえいなけりゃ、皆の人生はもっと違ってただろうなぁ

 ―――なんで俺がお前の尻拭いばっかしなきゃならないんだ?

 

 ―――お前なんて、生まれてこなきゃよかったんだ!

 

 

 今度こそ――梅の怒りが、頂点に達した。

 

「―――――言う筈ないでしょ! そんなことッ! アタシのお兄ちゃんがッッッ!!!」

 

 触れてはならないものに触れた。逆鱗を小突き、尾を踏み付けにした。

 

 この鬼は、絶対に生かしてはおけない。

 

「アタシ達のことを分かった気になってんじゃないわよ――地獄に堕ちろ! この不細工ッ!」

 

 間合いに入った。術の発動に気を取られたのか、鬼の身体はまだ再生し切っていない。

 

 今ならば、確実に頸を斬れる。

 

 全身全霊で以って、渾身の一撃を放つ。刃は――意外なほど呆気なく、鬼の頸を断ち切った。

 

(なに、この手応え。豆腐でも斬ったみたいな……まさか―――)

 

 振り返り、梅は鬼の方を視る。

 

 ある意味で予想通りというべきか。日輪刀で頸を斬られたにも関わらず、鬼の身体は崩れない。斬られた直後のままの状態で、石畳の上に転がっている。

 

 血鬼術―――

 

『―――まさか、だねぇ。()()()のような、頭のおかしい鬼狩りが他にもいるとは思わなかった。びっくりしたよ』

 

 逢った時と同じ――夢見心地な表情のまま、魘夢は囁いた。

 

 切断された肉の断面が、爆発的に膨れ上がる。それは肉同士で絡み合い、融合し、一つに結合した。巨大な肉色の風船が出来上がる。

 

 梅は無言で刀を構え直した。

 

 一度で駄目ならもう一度。死ぬまで頸を斬る。夜が明けるまでずっと。その覚悟を決めた。

 

 しかし、舌の根も乾かぬ内に、梅は驚愕に目を見開かされることになる。

 

「なん、ですって?」

 

 目を疑う。

 

 肉の風船が萎み、一つの形を取る。それは男ではなく、美しい女の姿をしていた。

 装いといえば完全に色情狂のソレだ。身に着けているのは西洋式の紅い下着と靴下のみで、惜し気もなく肌を露出している。唯一、腹部には赤紫色の帯を巻いていた。

 白磁の肌は文字通り陶器の如く滑らか。柔らかさと弾力とを兼ね備えた肢体は、肉の魅惑に満ちている。肉付きの良い胸と尻は大きく張り出し、対照的に腰は引っ込んでいる。男好きする体の典型――というよりも、理想形と表現すべき姿だった。

 

 カラン、と三枚歯の下駄が高く鳴る。

 

 簪で結い上げられた髪は艶やか。その色は、眩惑的な白銀。宝石に喩えられても遜色のない至宝である。

 

 だが、最も目を惹くのは――貌、だろう。

 

 その貌は美しかった。

 長い歴史を紐解いても、こんなに美しい貌は二つとない。人間の美意識だけでなく、黄金比の観点から見ても完璧と言わざるをえない端整な造形美。その――誰よりもよく知る貌が、梅の目の前にあった。

 

 これこそが、()()()()()魘夢の血鬼術。

 

 ―――“魔像顕象(まぞうけんしょう)

 

『誰が不細工ですって? 鏡に向かってなに言ってんの、アンタ。馬鹿じゃないの? 死んだほうがいいんじゃない?』

 

 女の背面――帯の結び目を起点に、鎌首を擡げる蛇の如く帯が伸びる。

 

 梅は知っている。()()()()()()()()()()。あの帯は武器だ。伸ばすも曲げるも変幻自在であり、同時に強靭な刃物として使役される万化の得物。幾多の人間の命を奪ってきた罪業の結晶。少女が地獄に置いてきた筈の、もう一人の自分自身。

 

「―――――……アタシ?」

 

 凄まじい既視感に、眩暈がした。

 

 もう一人の梅――帯鬼は、肯定するように嗤った。

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