何度生まれ変わっても   作:ミズアメ

4 / 42
第肆話 誇り高き梅の華

 謝花梅は擦れていた。

 

「―――すごくだるいわ」

 

 壁に背と頭を預け、窓から差し込む陽光を眺めながら、梅は呟いた。言葉通りに眼差しを気怠そうに伏せて、だらしなく四肢を投げ出している。そんな彼女の対面には、同じ遊郭に勤める禿の少女が、梅とは対照的に行儀よく座っていた。

 彼女は禿らしからぬ態度の梅を注意するでもなく、ただ曖昧な苦笑気味の微笑みを湛えている。

 

 禿の名前は椿(つばき)といった。

 

 彼女は梅よりも先に遊郭勤めを始めた先輩の禿だ。そして梅の教育係を言いつけられているのだが、何時の間にやら完全に立場が逆転しており、今では梅の事実上の子分と化していた。

 

「だるい。だるい、だるい、だるーい!」

「梅ちゃん、梅ちゃん。叫んじゃだめだよ、人が来たら怒られちゃうよ……」

「いいじゃない、別に。どうせ何してたって難癖つけられるんだから」

 

 端整な顔を嫌そうに歪めて、梅は吐き捨てた。

 彼女は小さな拳を固く握り締めた。皮膚の下で血管が盛り上がり、骨が浮き出る。

 

「ほんっと陰険で嫌になるわ、あの不細工。なぁーにが『養って貰ってる立場の癖に偉そうに』よ。店に養われてる立場で偉そうにしてんのはそっちでしょ。そもそもアタシはアンタなんかに養ってもらった覚えなんかないわよ。今だって、アタシの生活にかかってるお金は全部お兄ちゃんが出してるんだから。あんなヤツにとやかく言われる筋合いなんてないわ。本当にないわ。ほんとバッカじゃないのあの不細工ッ!」

 

 言っている内に怒りが湧いてきたのか、梅は畳を連打しながら愚痴を零す。そんな彼女を止める方法が思いつかず、椿はあわあわと両手を彷徨わせた。

 

 梅が『京極屋』に入ってきたのは、もう三年も前の出来事だ。

 

 元々は羅生門河岸にいた彼女は今まで遊女として働いたことはなく、専ら実兄である謝花妓夫太郎の稼ぎで生活していた。しかし梅は労働を拒否していた訳ではない。今まで何度も遊女として働こうとしていたが、すんでの所でいつも妓夫太郎によって止められていた。

 

 ―――お前はこんな所で遊女なんかやっちゃ駄目だ。

 ―――もっとお前に相応しい仕事場があるからなぁ。

 

 常々、彼はそう言って、生活の足しになるよう自分にも出来る仕事をしたがる梅を宥めた。

 

 妓夫太郎は十年近く貯め込んだ資金をつぎ込んで、梅を羅生門河岸から解放した。そして彼が知り得る中で最も手堅く真っ当な商売をしていた『京極屋』に妹を預けたのだ。

 梅は兄の期待に応えたかった。

 少しでも彼が良いものを食べられるようにと、幼いながらも必死で仕事に打ち込んだ。器量は元より教養や芸事の腕ですら自分に劣る遊女や楼主の言うことに従い、下働きの仕事に励んできた。

 

 しかし、そんな彼女の存在を快く思わない者がいた。

 

 とある客が遊女を一晩買った。

 二人の慎ましく知性的な逢瀬を補佐するため、部屋には二人の禿がついていた。その内の一人が梅だった。

 客は自分が買った遊女よりも梅の方に目移りし、頻繁に彼女の方へ話を振った。

 当然、そんなことがあっては買われた遊女の立場はない。遊女としてのプライドを傷つけられたと感じた彼女は、その日以降、陰湿な報復活動に精を出すようになった。

 

 梅が問題を起こしたと吹聴して回り、また、誰かが不始末を起こせばそれを梅がやったこととして楼主に報告した。

 

 虐めである。

 

 しかし、女社会の中でも殊更競争の激しい遊郭では、そう珍しくもないことだった。そもそも梅自身が前世で同じことをやっている。気に入らない娘を虐め抜き、片端から何百何千と潰したのだ。

 そういう意味では、今梅が置かれている境遇は因果応報と言えなくもない。

 

 であれば、梅も前例となった者達と同様に、虐めを苦に自殺をするのだろうか?

 答えは否だ。断じて否である。

 謝花妓夫太郎の妹・謝花梅は泣き虫だが、そんな風に壊れてしまうほど軟で可愛げのある性格はしていない。

 

「ふぅぅぅ……―――はあ、ちょっとすっきりしたわ。愚痴聞いてくれてありがと、椿」

「う――ううん、気にしないで! 私でよければ、いくらでも聞くからね、梅ちゃん!」

 

 先程までとは一転して、華のような笑みを咲かせる梅。その落差と愛嬌に戸惑いつつも絆され、椿は元気よく幾度も頷いた。

 

 梅の人柄を表す場合、(たと)えとして猫がよく挙げられる。

 

 普段は端整な見た目相応の凛々しい品格を発露し、機嫌を損ねれば誰であろうとそっぽを向いて去ってしまう。無理やりに構い過ぎれば爪を立てて引っかき、牙を剥く。そんなある種の高嶺の花の如き立ち居振る舞いを見せる一方で、些細なことでドジを踏んでしまったりする姿や、懐いた相手に直向きな親愛を以って寄り添う姿は、非常に愛嬌あるものとして人々の目に映った。

 

 美しい銀色の髪と翡翠の瞳とも相まって、彼女の在り方は正しく誇り高い猫そのものだった。

 

 そんな彼女に好意を抱く者は多い。

 実兄である謝花妓夫太郎は元より、鯉夏花魁に『京極屋』の遣手、客の男達、それに椿を初めとする同僚の禿達など、などと。謝花梅を嫌い排斥しようとする者が一定数いる一方で、彼女を好き可愛がる者も少なからず存在した。

 

「あーあ、怒ったら小腹が空いちゃった。……あっ、そういえばお兄ちゃんが鯉夏さんからもらったおはぎがあったんだった」

 

 梅は自身の着物の袖から包みを取り出すと、結び目を解いて布を解く。

 中には少し大きめのおはぎが一つあった。梅はそれを鷲掴みにすると、真っ二つに裂き割る。そしてわざと顔をそっぽ向けてから、割ったおはぎの片方を椿に差し出した。

 

「ほら、アンタもお腹空いてるでしょ? このおはぎ、大きすぎてアタシ一人じゃ食べきれないから、半分あげるわ。特別にね!」

「うん! ありがとう、梅ちゃん!」

 

 くすくすと微笑んで、椿は歓喜一杯のお礼を梅に返した。

 二人はおはぎを同時に口にする。上等な糯米と餡子を使っているのか、非常に美味かった。二人は瞬く間に甘味を胃の腑に全て納める。

 梅は指に付着した餡子を舌で舐め取る。その姿はやはり猫のようだった。

 

「あっ。梅ちゃん、口元に餡子ついてるよ。今拭くね」

 

 目を閉じて顎を上げる梅。

 椿は懐から真っ白な手拭いを取り出すと、梅の口元についた餡子をさっと拭いとる。

 

「うん、綺麗になった」

「ん、ありがと」

 

 梅は同性ですら見惚れるような、美しい微笑みを椿に向けた。

 彼女の行動や言動は幼稚な面も多いが、しかし常に上品な佇まいを崩さない。その様は十三という若さでありながら、既に吉原における至高の華――花魁の域にあった。

 

(やっぱり梅ちゃんはすごいや。他の人たちとは全然違う。憧れちゃうなぁ)

 

 椿は手拭いを丁寧に畳んで大切に仕舞いつつ、本心から梅を称賛していた。

 

「んー! 甘いものも食べたし、なんだかやる気も出てきたわ! そろそろ仕事に行きましょっか。それが終わったら、お兄ちゃんと鯉夏さんにおはぎのお礼を言いに行きましょ」

「うん!」

 

 勢いよく立ち上がって背伸びをし、梅は背筋を正してきびきびと歩き始める。椿は喜んでその後に続いた。

 梅は襖の引手に手を掛けて、開ける――直前に、何かを思い出したように止まった。

 

「そうだ、椿。一つ言っとくことがあったわ」

「……? なに?」

 

 梅は肩越しに振り返り、珍しく真剣な顔で椿に言う。

 

「しばらくはアタシから離れてた方がいいわよ。あの不細工――なんて名前だったかしら。わらびもち? わらじむし? まあそれはどうでもいいんだけど。アイツ、近い内に絶対なにか()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 巻き込まれたくなかったら、逃げなさい。いいわね?

 

 脅すような声色の忠告に気圧されてしまい、椿はただ頷く他なかった。

 

 * * *

 

 目障りだ。

 

 あの餓鬼――謝花梅。あいつはとても目障りだ。

 

 面が良いことを鼻にかけて、好き放題やっている。最初に仕事をした時にはあろうことか、私の客に色目を使いやがった。酷く下卑た厭らしい娘だ。吐き気がする。気持ちが悪い。

 

 気持ち悪いといえば――あいつの兄、謝花妓夫太郎。

 

 凄まじく醜い姿の餓鬼だ。陰険な垂れ目に濃い隈、痩せこけた頬。髪はぼさぼさに乱れて蚤が湧いている。先天性の梅毒で体の至る所に発疹があり、肉はなく痩せぎすで不気味だ。それでいて骨みたいな体をしている癖に、そこいらの男衆が束になっても敵わないくらい腕っぷしが強いもんだから、まるで死神か地獄の獄卒みたいだ。

 

 あの蟷螂野郎。あいつも気持ちが悪い。

 

 あの謝花兄妹は吉原では有名だ。それも気色が悪いことに、二人の人生はある種の美談として遊女達の間で語り草になっている。

 羅生門河岸で生まれた醜い兄と、美しい妹。兄は妹にいい暮らしをさせるために懸命に働き、見事実現させましたとさ。めでたし、めでたし――などと。反吐が出る、虫唾が走る、糞のような嘘っぱちの話だ。

 

 美談など、現実では絶対に有り得ない。

 

 あの謝花兄妹の仲の良さは傍から見ても異常だ。きっと()()()()()に違いない。わざわざ『京極屋』に妹を入れるくらいだ、裏で獣のように兄妹で交わっていることだろう。いや、そうに決まっている。私は確信していた。

 

 何故なら、私の父がそうだったからだ。

 

 父は自身の妹と同居し、二人して嫁である母をいびった。そして母がいない時は、猿のように頻繁に盛っていた。

 交わう際、父と叔母はその行為を幼い私に見せつけていた。

 そして母が心労で倒れ死んだ時に、喪に服す間もなく父は私を吉原に売り飛ばしやがったのだ。自らの手で瑕物にしてから。

 

 ―――殺してやる。

 

 殺してやる。殺してやる。殺してやる。

 父も、叔母も、あの目障りな餓鬼共も。

 

 必ず殺してやる。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。