何度生まれ変わっても   作:ミズアメ

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第参拾捌話 本当の悪夢・後編

 血鬼術“魔像顕象”。

 

 それは夢を操る悪鬼――眠り鬼・魘夢が辿り着いた極地。術を仕掛ける対象に設定された者が『最も怖れるもの』を読み取り、現実に具現化する能力である。

 この力に目覚めてからというもの、魘夢は無敵だった。

 それもその筈だ。相手の弱点を読み取り、正確に突く。それは虫拳(ジャンケン)において、後出しで勝利するのと同義だ。勝って当たり前。負けることなど有り得ない。

 

 数え切れないほどの人間を食った。

 数え切れないほどの鬼狩りを返り討ちにし、食った。

 

 鬼殺隊最高戦力――柱すら、難なく仕留めることが出来た。

 

 そんな彼の実力は瞬く間に鬼舞辻無惨の知る所となり、十二鬼月に取り立てられるまでそう時間は掛からなかった。そして更に力を蓄え、上弦の陸へ入れ替わりの血戦を挑み――見事、勝利。晴れて、念願であった上弦の座を獲得することに成功したのだった。

 

 此度の戦いにおいても、魘夢は優位に立っていた。

 

 帯鬼。

 

 それは謝花梅の魂に刻まれた罪科の象徴。この世で最も忌むべき姿である。

 妓夫太郎と違い、梅は前世の記憶を持たない。しかし本能が、ソレと対峙することを拒む。直視することを避けさせる。目の前の存在を心の底から嫌悪し、憎悪し、厭悪し――しかし、恐怖せずにはいられなかった。

 

『震えてるじゃない。みっともないわねぇ!』

 

「……ッ!」

 

 侮蔑と嘲笑を向けられても、言い返すことすら満足にできなかった。

 

 そんな梅の様子を鼻で笑うと、帯鬼は徐に、前方へゆるりと手を掲げた。

 

 それに連動して背中から二本の帯が伸び、蛇のように鎌首を(もた)げる。

 

 その行動の意味する所を直感で理解し、戸惑う脳とは裏腹に、肉体が臨戦態勢を取る。

 

『そっちが来ないなら、こっちから行くわよ!』

 

「―――――!」

 

 空中を奔る二本の帯。

 梅は正眼に構えた刀で受け止め、弾き返した。

 

(っ、この威力! 全集中の呼吸じゃないと受け止めきれない!)

 

 柔軟な機動と見た目に反して、帯は強靭な刃物の如き強度と切れ味を有しており、防ぐのに難儀する。連続して迫り来る刃を梅は弾き、時に自ら斬り掛かって迎え撃った。

 知らない攻撃。見たこともない技。

 しかし、梅には敵の手の内が手に取るように分かった。攻撃してくる帯の数が倍に、更にその倍に増えても難なく対応できた。四方八方――あらゆる角度から同時に襲い掛かってくる帯を、全くの無傷でやり過ごしている。

 

『チッ、流石に()()()()()()()()()じゃない。じゃあ――これならどうかしらッ!』

 

 鋭く叫び、帯鬼が帯を操作する。

 その矛先は梅だけでなく――妓夫太郎の方にも向けられていた。

 

「―――! こんのォ! 調子に乗ってんじゃないわよッ!」

 

 跳躍して迫り来る帯を回避し、妓夫太郎の前に立つ。そして真っ向から敵の攻撃を受け止めた。

 

 激突する帯と刀の間で、派手に火花が散る。

 

「お兄ちゃん! 早く起きて! お兄ちゃんッ!!」

 

 執拗に繰り返される攻撃を凌ぎながら、梅が叫ぶ。しかし妓夫太郎は動かない。危機的状況であるにも関わらず、俯せで地面に倒れ伏したままだった。

 

『ハハハッ! 無駄無駄! その不細工はアタシの血鬼術に囚われてるからね。外から幾ら声を掛けたって起きはしないわよ!』

「うるっさいわね! アンタは黙ってなさい不細工!」

『誰にもの言ってんの! 同じ顔なのが分からない訳? 本ッ当に馬鹿ね、アンタは!』

 

 天に唾するも同じだと、帯鬼は嘲笑う。

 

『アンタはアタシ、アタシはアンタ! この姿はアンタの罪そのもの! 鬼になって、百年以上もの間、何百と人間を殺し続けたアンタのね! 忘れてるのなら、きっちり思い出させてあげるわ!』

「ワケの分からないことを言ってんじゃあ―――」

 

 気に障る。頭にくる。

 

 目の前の鬼の存在。その貌、その肌、その姿。口から発せられる言葉は吐瀉物よりも汚らしくて悍ましい。今すぐにでも消し去りたい。頸を斬って、終わりにしなければならない。

 

 そうでなければ、心が耐えられなかった。

 

 まさに癇癪を起こした子供そのもの。

 帯鬼――魘夢からすれば、今相対している鬼狩りの姿はまさしくソレだ。怒って、嫌悪して、泣きそうに顔を歪めている。実に無様で、醜く、みっともない。現在の梅の有り様は、腹の底から笑えるほどに滑稽だった。

 

「全集中・恋の呼吸、肆ノ型――“(まわ)(まわ)猫々恋心(ねこねここいごころ)”!」

 

 柄ではなく飾り帯を掴み、敵へ接近しつつ回転しながら三重の斬撃を放つ。

 八本の帯が粉微塵に切断された。

 

 人体の構造上、全力で回転しながら一定の方向へ進むのは難しい。しかし甘露寺蜜璃の下で鍛えられた体幹と三半規管がそれを可能にしたのだ。

 

 着地と同時に、梅は刀を引き寄せて柄を握る。

 

 そして、刀を右肩に担いだ。

 

「恋の呼吸――壱ノ型!」

 

 六本の帯は全て斬り払った。今の帯鬼は無防備。攻撃も防御もできない。

 

 今なら、頸を斬れる―――!

 

「―――“初恋のわななき”!」

 

 踏み込む。

 地面が砕けた。敵と己――彼我の距離が、一瞬にして零になる。

 振り下ろされる桜色の一閃。それは確と帯鬼の頸を捉えていた。

 

 しかし、斬れていない。

 

『ハッ――アンタなんかに、アタシの頸が斬れる筈ないでしょ?』

 

 帯鬼の頸が、柔らかい帯となって撓ることで、斬撃の威力を殺している。垂れた頸から()()()られる様を視て、梅は目を見開いた。()()()()、と。

 

「―――――?」

 

 それは、どういう意味で?

 

 攻撃を防がれたこと? それとも――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 一瞬、酷く妙な思考が脳裏を走る。だがそれは直ぐに消えた。今はそんなことを考えている場合ではないのだから。

 

『さっさと退きな、このガキ!』

「げぅ!?」

 

 帯鬼の放った蹴りが、梅の腹を打ち抜いた。

 文字通りに一蹴され、華奢な少女の身体がくの字に折れ曲がる。受け身を取ることすら出来ず、梅は地面の上をごろごろと転がった。

 

「げほっ、げほっ……おぇ」

 

 胃の腑から競り上がってくる苦いものを飲み下し、梅は必至に呼吸を整えようと試みる。

 呼吸が荒い。

 肩が勝手に上下する。

 全集中の呼吸はおろか、回復の呼吸すらままならない。

 

(どうして? いつもみたいに、動けない。さっきだって、普段なら絶対、アイツの頸を斬れたはずなのに……ちくしょう!)

 

 恋の呼吸の技は、絶大な破壊力を有するのが特徴である。

 

 剣士の単純な筋力もさることながら。女体特有の柔軟さとしなやかさ、関節の可動域の広さから振るわれる運剣の速度は凄まじい。梅が未だ未熟であることを加味しても、頸を帯に変えられた程度で威力を損なうなんて事態は到底有り得なかった。

 つまり、技にキレがない。

 心身共に強いストレスを受けて、手酷く体が強張っているからだ。

 

 肉体と精神の限界。

 

 感情に任せた技の乱発と、そして『最も怖れているもの』との対峙。それら全ての負荷が、梅の総身を苛んでいる。

 

「ぐ、うぅ……」

 

 呻きながら、どうにか体を起こす。しかし直ぐに腕から力が抜けて、地面の上に崩れ落ちた。

 いたい。つらい。たすけて。

 涙で視界が滲む。蹴られた痛みと、肉体を酷使した疲労で、まともに動けない。

 

 立ち上がれない。

 ひとりでは、立ち上がれない。

 

「お兄ちゃん、たすけて……」

 

 遂に、弱音が口から洩れた。

 そんな言葉を口にするのは何時以来だろうか。

 

 決してもう二度と兄の負担になるまいと誓った。

 

 なのに、今また、梅は兄に縋り付いている。

 

 身勝手だと分かっている。挫けてはいけないと、必死に自分を鼓舞してもいる。それでも、一度表に出てしまった感情を引っ込めることはできなかった。

 

 視界の端に映る兄に呼びかける。

 

 傍らで倒れたまま動かない兄に、必死で呼びかける。

 

「たすけてよぅ……苦しいよぅ、お兄ちゃん……。起きて……起きて、いつもみたいにアタシの頭を撫でて。それだけでいいの。そうしたら、アタシ、がんばれるから。あの鬼の頸を、必ず、斬ってやるから……だから……!」

『無駄だって言ってるでしょ、不細工』

 

 憐れな泣き虫を、悪鬼が踏みにじる。

 

『ソイツの心はもう壊れてるからねぇ。アタシは……―――いや、()()、人に幸せな夢を見せた後で、とびっきりの悪夢を見せてやるのが大好きなのさ。本当ならアンタにもとびっきりの悪夢を見せてやるつもりだったんだけど、その前に起きたからね。実に残念だわ』

「……なん、ですって?」

『精神の核は壊しちゃいない。けど、アタシが見せた悪夢でソイツの心は折れた。もう起きることはない! 二度とね! だから―――――』

 

 不意に、鬼の言葉が途切れた。

 

 疑問に思い、梅が顔を上げる。

 視てみれば、帯鬼の顔は奇妙に固く強張り、引き攣っていた。まるで理解できないものを見たような形相。その感情を形容するならば、きっと『恐怖』の二文字が相応しいに違いない。

 

 梅もまた、遅れて気付いた。

 

 妓夫太郎が、動いている。彼はゆっくりと立ち上がっていた。

 

「―――! お兄ちゃん……―――――」

 

 梅の表情が、一気に喜びに染まる。

 

 しかしそれも一瞬。梅はすぐさま顔を曇らせた。戸惑いによって。

 

「―――――お兄ちゃん?」

 

 倒れたまま、呆然と、梅は呟く。

 

 妓夫太郎は完全に立ち上がっていた。しかし俯いた顔は影で見えない。だが、彼が発している強烈な感情だけは容易く理解することが出来た。

 

 それは帯鬼も、梅も同じ。

 

 ただただ、純粋で、凄惨な―――――殺意。

 

 妓夫太郎の手から日輪刀が落ちる。

 

 彼は両手を羽織の下の背腰に回し、血のように真っ赤な色の鎌を抜いた。

 

 そこから先の彼の行動は――視え、なかった。

 

 それは帯鬼も、梅も同じ。

 

『―――えっ?』

「―――えっ?」

 

 気が付いた時には、切断された帯鬼の頸が、地面に落ちていた。

 

 * * *

 

 ―――夢を見た。

 

 どうやら、眠っていたようだ。

 

 座ったままの状態で、身体が固まっている。机に伏した無理な姿勢で寝ていたせいか、あちこちが痛んだ。

 

 上体を起こし、背筋を伸ばす。

 

 周囲を見渡すと、見慣れた内装が視界に入った。

 

 俺の部屋だ。

 

 ここは吉原にある貸座敷の一つ。俺が楼主を務める、俺の店だ。

 

 窓から差し込む日差しは、茜色に色付いている。

 

 もう夕方のようだ。

 

 店のあちこちから、仕事の支度をする女達の賑やかな声が聞こえてくる。

 

 俺は愛用の煙管を手に、部屋を出た。

 

 ゆっくりと紫煙を吸い、吐き出しながら、廊下を歩く。

 

 忙しなく動き回る遊女達は、皆、俺に気付くと足を止めて首を垂れる。今となっては当たり前の光景。だが今は、なんだか妙に感慨深く感じられた。

 

 吉原の最下層で生まれた俺達。

 

 それが今じゃこの通り、一国一城の主だ。その上随分と繁盛している。店を立ち上げてからこっち、売り上げは飛ぶ鳥を落とす勢いの右肩上がり。今となっては吉原で一、二を争う人気店だ。

 

 禍福は糾える縄の如し。

 

 生まれた時は最悪だった。勿論、苦労だって多かった。何度も苦汁を舐め、心身を苛む辛酸に耐えて来た。だがその分、今は満ち足りている。気分が良い。あれほど憎く妬ましかった他人の幸せも気にならない。らしくない言い草だが、世界の全てが輝いて視える程だ。

 

 俺は店の奥へ向かう。

 

 北側にある日の当たらない一室。店の稼ぎ頭である花魁に与えられた部屋だ。

 

 邪魔するぞ、と声を掛け、俺は襖を開く。

 

 中には予想した通りの人物がいた。

 

 この店の遣手を兼業する花魁。吉原一の美貌を持つ遊女。俺の――自慢の、妹だ。

 

 ―――おはよう、梅

 

 ―――おはよう、お兄ちゃん

 

 俺達は挨拶を交わす。

 楼主とはいえ突然の来訪に気を悪くした様子もなく、梅は朗らかに笑った。その華のような笑みを見る度に、思うのだ。

 

 ああ……―――幸せだ。

 

 まるでよく出来た夢みたいに、幸福だった。

 

 *

 

「―――身請けしたい?」

「はい。白梅花魁を――梅さんを、どうか私に身請けさせては下さいませんでしょうか」

 

 男が、深々と頭を下げる。

 

 男のことは知っていた。

 

 俺の店に足繁く通っている客の一人。特に花魁である梅と何度も逢瀬を重ねている太客だ。

 良家に生まれた金持ちで、この男自身の商売も上手くいっていると聞く。

 

「私は、一人の女性として彼女を愛しています。彼女を妻として迎え、所帯を持ちたいのです。お金に糸目は付けません。どうかどうか、お願いします」

 

 伏したまま、請い願う。

 

 俺は悩ましく眉を寄せ、手に持った煙管で一服する。

 

 ―――白状すれば、俺の考えは九割がた決まっていた。

 

 この男とは長い付き合いだ。俺が店を持つ前から、ずっと長く梅に懸想している。あいつが幼い内は弁えた交際を行っていたし、他の遊女と遊ぶこともしない誠実な男だ。当然、独り身であることも知っているし、裏も取れている。

 それに金も持っている。

 

 はっきり言って、断る理由はなかった。

 

「お願いします、妓夫太郎さん。お願いします」

 

「……………悪ぃが、今日は帰ってくれねぇか」

 

 俺は決断を保留にして、男を帰した。

 

 *

 

「梅、お前はどうお思う?」

「■さんのこと?」

 

 尋ねると、梅はとても嬉しそうにはにかんだ。

 

 頬に朱が散る。まるで夢見る乙女のような――いや、それそのものか。見ているだけで舌の根が甘酸っぱくなる表情だった。

 

「……お前、あいつのこと、好きか?」

「うん! ずっとアタシによくしてくれるし、浮気もしないし。それにお金も持ってるし? アタシは嫌いじゃないわよ」

 

 …………。

 

 俺は、先程の、男から受けた提案を梅に話した。

 

 その時の梅の貌を視て、決めた。

 

 *

 

 梅と男は祝言を挙げた。

 

 神前で行う厳かな式。白無垢を着た妹の姿は綺麗だった。

 

 醜い姿の俺が出席したのではケチがつく。俺は参列を辞退しようとしたが、男からの強い勧めを受けて、参加した。

 

 そうして、梅は嫁に行った。

 

 きっとあいつは幸せになる。

 

 今までずっと苦労してきたのだ。だから今日、この日から、あいつは報われ、幸せになるのだ。俺はそう確信していた。

 

 *

 

 俺は仕事の傍ら、梅に手紙を書いて、送った。

 

 返事は、来なかった。

 

 *

 

 俺は仕事の傍ら、梅に手紙を書いて、送った。

 

 返事は、来なかった。

 

 *

 

 俺は仕事の傍ら、梅に手紙を書いて、送った。

 

 返事は、来なかった。

 

 *

 

 俺は仕事の傍ら、梅に手紙を書いて、送った。

 

 返事は……―――

 

 *

 

 俺は仕事の傍ら、梅に手紙を書いて、送った。

 

 返事は―――

 

 *

 

 俺は仕事の傍ら、梅に手紙を書いて、送った。

 

 返事は……―――来た。

 

 *

 

 返事は、小さな包みだった。

 

 それは小さな壺で、中には白い欠片がたくさん入っていた。

 

 包みには手紙が同封されており、お悔やみを申し上げる旨が、他人事のように書かれていた。

 

 *

 

 *

 

 *

 

 *

 

 *

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 殺した。

 

 *

 

 殺した。

 

 *

 

 殺した。

 

 *

 

 皆殺しにした。

 

 *

 

 ……断片的な情報しか得られなかったが。

 

 恐らく、事の経緯は、こうだ。

 

 梅は嫁いだ先で、姑と小姑を始めとする夫の親族から嫌がらせを受けていたらしい。

 

 

 ―――■家の嫁には相応しくない

 ―――淫売が、息子をそそのかして

 ―――子供ができないのは畑が悪いからだろうね

 ―――そういえば、お前の兄のあの醜い姿はなんだい?

 

 ―――兄があれじゃあ、生まれる子供も……―――――――

 

 

 それらのいびりに対して、梅は反発することなく耐えていた。

 着の身着のまま嫁に来た身だ。そうするしかない。それにもしもやり返したならば、いびりはより陰湿に、苛烈になるだろうことは目に見えていた。それに何より、最愛の兄に門出を祝われた手前、それを台無しにすることなど絶対にできなかった。

 ただ、愛する夫と、兄のことを想って、耐えるしかなかった。

 

 夫は、自分の親族が行う妻への仕打ちに関して無関心だった。

 

 梅がさり気なく訴えても、知らん顔をする。もしくは上手くやってくれと溜息を吐く。それだけで、決して護ることをしなかった。

 

 やがて、梅が反発するまでもなく、いびりは苛烈さを増していった。

 

 姑と小姑だけでなく、舅や小姑も加わり、家の給仕達からもあからさまな態度を取られるようになった。

 

 そして……―――梅は、夫の不在時に、舅によって手籠めにされた。

 

 不貞を働いた舅を責める者はいなかった。

 むしろその矛先は、全て梅の方へと向けられた。

 

 

 ―――淫売、商売女が恩も忘れて

 ―――この女から誘ってきたのだ、卑しい雌犬よ

 ―――嫌だ嫌だ、これだから生まれが悪い娘は、恥を知れ

 ―――吉原での暮らしが忘れられなかったのか? それなら、俺の相手も……

 

 

 梅は、夫である■からも、()()()()()()、不貞を詰られた。

 

 暴力を振るわれた。

 

 こうして、梅の周りは、全てが敵になった。

 

 責められ、殴られ、犯され続けた。

 

 地獄のような日々は、()()、終わりが来る。

 

 梅は、自殺した。

 

 蔵で首を吊って、死んだ。

 

 そして、碌に葬式もせずに遺体を焼いて、骨だけ俺の許へ送ってこられたのだ。

 

 俺が出した文は、一通も梅には届かなかった。

 

 ■が、決して梅に見せぬよう、握り潰していたのだそうだ。

 

 

「―――――で?」

 

 

 俺は、訊いた。

 

 男は、震えながら答えた。

 

「は、話せることは全て話した! 助けてくれ! 悪いのはあの女だ! 私は悪くない! わるくな―――……ああああ! あっあああ! がああああああああああああああああ!!」

 

 思うよりも先に、俺の身体が動いた。

 

 男を切り刻む。執拗に。殺さないよう注意しながら、微塵切りにする。

 

 生きたまま、考え得る限り最大の苦痛を与えた。

 

 この屋敷は既に血で溢れている。

 

 侍従も給仕も含め、一族郎党、皆殺しにしていた。

 

 最後に残した、この男以外は。

 

 ……骨壺を送られたその時点で、俺はここまでやって来た。殺すために。何があろうと、絶対に殺すために。大切な妹を死に追いやった奴を殺すために。

 

 どんな事情があったのだろう、と思ってもいたが――まさか、こんな、くだらない―――

 

「おっ、おっおっ、おっ、お前が、ががが、お前がぶぼ、悪いんんだ! お前とあのばいたのなかがよすぎるから、おれ、おおおお、おれ、ばっ、いたい、いたいいたいやめてやめてやめ―――」

 

 どいつもこいつも。

 どいつも、こいつも……

 どうしてこう、どいつもこいつも……ッ!

 

 ―――――ふざけるなよなぁああああああああああああ!!!

 

 生皮を剥がした。

 腹を掻っ捌いた。

 刃で爪を裂いた。

 眼を刳り貫いた。

 

 徹底的に睾丸を潰し、切り裂き、生きたまま頭蓋を割って脳を摘まんで鏡で見せながら食わせて斬って斬って斬って斬って斬って斬ってて斬って斬って斬って斬って斬って斬ってて斬って斬って斬って斬って斬って斬ってて斬って斬って斬って斬って斬って斬ってて斬って斬って斬った。

 

 ■の家にいた奴は、みんな、捕まえて、同じように殺した。

 

 そして、俺だけが残された。

 

「…………」

 

 俺は、梅が首を吊ったという蔵へ向かった。

 

 床には血と糞尿の後がある。その上に座り、俺は、自らの腹に鎌の刃を突き立てた。

 

 鳩尾から臍まで斬り下ろす。そして刃を引き抜いてから、再び腹に刃を刺し込んで、左脇から右脇までを斬り裂いた。

 同じことを、更に二度。

 

 失血と痛みで意識が朦朧とする。だが、そんなことはどうでもよかった。

 

 何の価値がある。

 

 この行動に、何の意味がある。

 

 あいつを――梅を護れなかった俺に、何の価値がある? 今更、こんなことをして、何の意味があるってんだ。

 

 生きる事も、こうして死ぬ事すら、無意味だ。

 

 それでも、俺は―――――

 

 鎌の刃を、頸に当てる。そして……―――

 

 

 

 

 

 ―――俺の意識は、夢の底から、現実へと浮上した。




【大正コソコソ噂話】
 よくある話です。なんなら現代でもあります。

 それから妓夫太郎が行ったのは、十文字切腹と三文字切腹を複合したものです。
 十文字切腹は戦国時代で主流だった切腹の作法であり、その凄惨さから廃れました。また三文字切腹は、そのあまりの苦痛から、きちんと完遂出来た人はほとんどいないそうです。
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