何度生まれ変わっても   作:ミズアメ

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第漆話 飛んで炎に入る夏の虫・中編

 ―――弱過ぎる。

 

 はっきり言って、この鬼はかなり弱かった。それはもう、相手が鬼というだけで体を竦ませていた、さっきまでの自分を本気で(くび)り殺してやりたくなるくらいにコイツは弱かった。

 

 気取った登場をして大見得を切った割に、俺に一発も攻撃を当てられやしない。しかも肉は豆腐みたいに手応えがなくて、すんなり刃が入った。

 爪の突き、薙ぎ払い、蹴り。全て躱し、返す刀で肉を断つ。やや浅い。

 

 鬼は苦痛で悲鳴を上げた。

 

『な―――なんなんだお前、どうしてそんな鈍ら鎌で鬼が斬れる! 鬼狩りでもない癖になんだその動きは! 人間じゃないのか!?』

「お前がのろまなだけだ、ボンクラ」

 

 吐き捨て、同時に敵の懐へ潜り込む。

 向こうの方が俺よりも頭一つ分背が高い。

 白い(おとがい)が目の前にある。それに引っ掛けるように、鎌の(きっさき)を添えた。そして身体全体を(しな)らせて刃を真上に振り上げる。

 

 鬼の頭が唐竹割りに裂けた。

 

『がぼぼぼぼぼぼぼぼ……っ』

 

 割れた口の奥から血の泡が噴き出ている。苦痛に慣れていないのか、鬼は目を裏返らせて無様に痙攣(けいれん)した。

 

 戦闘が始まって既に四半刻。

 

 五回ほど頸を斬り落としてから無意味と気付く。そういえば鬼は鬼狩りの刀――日輪刀とやらで頸を斬り落とさなければ死なないのだ。ただの鎌では意味がない。

 ともすれば、後は持久戦だ。

 夜明けまであと一刻。太陽が昇るまで、こいつを徹底的に細切れにし続けてやる。

 

 ―――鬼は、人間とは比べ物にならない強い力を持つ。

 

 四肢の突きは胴を貫き、強靭な顎は堅牢な頭蓋を容易く砕く。そしてその肉体に至ってはほぼ不死身。太陽の光を浴びるか、鬼狩りの刀で頸を落とされない限り決して死ぬことはない。故に、人間は鬼によって一方的に殺されるしかないのだ。

 

 だが、俺は死なねぇ。こんな奴に殺される筈がねぇよなぁ。

 

 そも俺は元十二鬼月が一角、上弦の陸だ。たとえ地獄に落ち、生まれ変わって人の身体に産まれようとも、こんな雑魚にやられる訳にはいかねぇ。

 それに身体の調子もいい。絶好調だ。随分昔――七つぐらいの時だったか。梅に教えられた呼吸のコツで日常的に息をするようになってから、体力と身体能力は日を追うごとに向上している。鬼舞辻無惨に血を与えられてからまだ数日と経っていない、大して力のない鬼に負ける気はしない。

 

 お前のお望み通り、梅が起きるまで――朝が来るまでこのまま戯れてやるからなぁあああああ!

 

 繰り出される爪を躱し、低く身を屈めて一閃。腿の辺りから両足を斬り落とす。

 返す刀で敵が振り抜いた腕を切断し、ついでに反対の手も落として達磨にする。

 

「これでもう手も足も出せねぇなぁ、どうする虫けら!」

『―――ッ! 調子に乗るなよ糞餓鬼がァァアアアア!』

 

 瞬間――己の項の骨が軋む音を錯覚した。

 

 鬼の背面から、強烈な腐った血の臭いが爆ぜる。

 一旦攻撃を打ち切り、強引に後方へ飛ぶ。すると先程まで俺が立っていた位置の地面がぱっくりと割られた。

 手足を失くした鬼の背中から、幾枚もの何かが伸びている。俺は、()()()()()()()()()()

 

 帯だ。

 

 機織り機のように。鬼の血の毒に染まった真っ赤な帯が、背中から何枚も幾重に生え、触手のように中空でざわざわと(うごめ)いている。たっぷりと血を含んだ帯からは、絶えず雫が滴り落ちていた。

 血鬼術。

 そういえばコイツ、鼠男を「血鬼術で殺した」って言ってたっけなぁ。だがこれは――まさかコイツがその術を獲得するとは、一体どういう因果だ。

 見た目は堕姫に。血の毒の性質は、前世の俺の血鬼術に酷似してやがるなぁ。

 鬼は失くした手足から帯を生やし、蛸みたいに体を持ち上げる。夜天を背負ったその姿は、かつての兄妹(おのれ)と重なった。

 

『……鬼狩りとかいう連中の刀でもない、ただの鈍らな鎌でどんなに斬られたって、どうせ死にゃあしないんだからお前のお遊びに付き合ってやってたけど――それももう終わりだ、蟷螂野郎! 必ず殺してやる! 私の帯で細切れにしてやるッ! 血の毒で苦しんで死ねッ! アハハハハハ! ゲェァアアアアハハハハハハッ!』

 

 紅い目をより血走らせて。

 異形と化した異能の鬼――機織(はたおり)鬼は、実に分かり易く残虐に嗤った。

 

 * * *

 

 全く同じ実力を持つ者同士が戦う場合、その趨勢(すうせい)を決めるのは数だ。

 

 相手よりも人数をより多く増やした方が戦いに勝つ。

 相手よりも手数をより多く増やした方が戦いに勝つ。

 

 戦争ではいつも人口――つまりは、兵隊と兵站が豊富な国が勝った。現代じゃ、鉄砲は一度に一発切りしか撃てねぇ種子島はとっくの昔に廃れて、もっと多くの弾を連続して打てる銃砲火器の方が使われている。何時だって勝るのは相手を数で圧倒する者。(すべか)らく、それが人の世の道理だ。

 

 鬼はその道理を容易く覆す。

 

 俺と機織鬼の身体能力はほぼ同格。にも関わらず戦況が一方的だったのは、偏に相手が元々は戦闘どころか喧嘩すらろくにしたことのない遊女だったからだ。だが――状況が変わった。

 

 血鬼術――鬼の体内を巡る鬼舞辻無惨の血が可能とする、ただの人間には再現不可能な術力。

 

 通常、この能力を発現できる鬼は限られている。多くの人間を喰った鬼か、あるいは鬼舞辻無惨の血を多量に注入された鬼のみだ。

 

 この機織鬼は――恐らくは、後者。

 

 コイツが喰った人間の数といえば、『京極屋』の働き手と居合わせた客のみで、しかも獲物の見目に拘って偏食している。甘く見積もっても精々が三十かそこらだろう。故に血鬼術が使えるというのは口先のみで、異能など持たないと高を括っていた。

 だが、それが間違いだった。

 

 前世で上弦の鬼であった俺は、当時の記憶を有するが故に本能で理解している。

 

 血鬼術――その実態は、鬼が人を喰らうことにより体内の鬼舞辻無惨の細胞が活性化し、個体の性質に合わせて独自の進化を遂げたが故に発現する、変異的な生態機能だ。その成り立ちと仕組み故に、鬼舞辻無惨は鬼の細胞を自らに取り込むことで、同一の能力と体質を獲得できる。

 恐らく、蕨姫は鬼舞辻無惨の血と親和性の高い先天的な体質を有していたのだろう。鬼化の完了までに時間を要したものの、大量の血を与えられても死なず、直後に血鬼術を行使できるほどに。

 

 戦況は膠着(こうちゃく)していた。

 

 ……いや、虚勢張ってる場合じゃねぇなぁ。明らかに俺の方が劣勢だ。

 

『ハハハッ! まだ満足できない! 甚振り足りない! だからさあ――死ぬ気で躱せよ虫けら、死ぬな死ぬな、死んだら許さない殺す絶対に殺してやるぞ!』

 

 鬼化の影響か、かなり錯乱しているらしい。滅茶苦茶なことを叫びながら、機織鬼は無数の攻撃を繰り出した。

 

 無数――最早、数えるのが面倒という数の攻撃。

 

 背面と四肢の切断面から大量に生えた血染めの帯が、俺を目掛けて一目散に殺到する。その軌道を見切り全て回避したが、肝は冷えていた。

 

 帯が発揮する力と速度は堕姫の血鬼術と比べて圧倒的に劣るが、その反面数が多い。点ではない面攻撃。視界の全てを紅い帯が埋め尽くしている。まるでたっぷりときしめんが入った丼の中に叩き落された気分だった。……いや、実物のきしめんを見たことは一度もないんだが―――なぁ!

 

 どうしても回避できないと直感した攻撃だけ鎌で捌く。

 

 鎌は既にぼろぼろだ。鬼を斬り続けたがために血と脂で切れ味は落ち、帯を弾く度に刃毀れが生じている。

 これは鎌が鈍らであるとか、俺の技量が悪いとか、そういう問題ではない。そもそも鎌とは頸を刈るものではなく草を刈るもの。武器ではなく農具として造られたものなのだから、こればっかりは仕方がない。こんな使い方をしていれば壊れるのは当たり前だった。

 

 夜明けまであと半刻。

 

 持久戦では勝機がない。故に、一か八かの賭けに出る必要があった。

 鬼は急所である頸を斬り落とされた場合、その力が半減する。機織鬼の場合は操作できる帯の数が減り、動作性と耐久性が凄まじく衰える筈。そうすれば後は太陽が昇るまで頸を蹴鞠代わりにして適当に遊んでいればいい。それで勝てる。

 

 ―――次の一撃で、必ず敵の頸を斬り落とす。

 

 臍の下――丹田の辺りに力を貯める。

 片足を半歩後退させ、普段よりも力強く一呼一吸。全身に巡る血をより疾く奔らせて――俺は鎌の柄を両手に持ち、右肩に担ぐようにして上段に構えた。

 戦いとは理論だ。

 その全てを理屈で語ることができる。故に必殺の技、というものは絶対に存在しない。しかし人間は長い闘争の歴史の中で、それに近い技術を幾つか形成していた。

 

 これから俺が用いる理論は二つ。

 

 海を越えた国の空拳武術――八極拳。

 

 八極拳士に曰く、拳とは腕力のみで振るうものではない。

 人体の構造的観点から導き出された、最も破壊力を発揮するのに適した動作。己の全体重を相手に叩き付ける重心移動法、そして一挙手一投足に連動する筋肉の運動。更にはそれだけでなく、強く踏み込む技――“震脚(しんきゃく)”によって生じる地面からの反動をも利用する。

 この武術を極めた拳士が放った攻撃は、相手の頭部を胴体にめり込ませたという。牽制の一打撃のみで対手を殺傷せしめたというその特徴を指して、その武闘家の技は「二の打ち要らず、一つあれば事足りる」とまで謳われた。

 

 そして日本最強の剣の一つと名高い剣術――薩摩藩が御家流派、示現流。

 

 特に“蜻蛉(トンボ)(かまえ)”という、刀を右肩に担ぐような姿勢――そのまま敵へと疾走し、勢いのままに放つ袈裟斬りの一刀“(かか)()ち”は、幕末維新の世を震撼させた。日本史上空前の大動乱の最中、薩摩藩の下級武士等によって振るわれたその剣は、他流の剣客を悉く薙ぎ倒し、日本全土の剣士は彼の地の者共に畏敬の念を抱いたという。

 術理そのものは単純。しかし、効果は極めて絶大。

 猿叫(えんきょう)を上げて迫り来る薩摩隼人を目前にした時、大抵の剣士は肝を潰して硬直する。あるいは間合いを見誤り、敵が間合いの外にいる状態で刃を振り空振りする。その隙を突く形で、薩摩武士は敵を肩口から両断するのだ。

 

 ……無論、どちらも習った技ではない。生まれも育ちも吉原である俺が、上二つの技を専門家から教授を得ることは不可能だからなぁ。長々と語った理屈は、結局の所、本で得た俄か知識と、客と遊女が話しているのを小耳に挟んだ程度の情報でしかねぇ。

 しかしこの二つの理論と技術を用いて繰り出される刃は、必ず敵を殺すだろう。その確信があった。

 

 この二つの術理で以って、俺はあの鬼の頸を断つ―――!

 

 踏み込む。奔る。前へ、前へ、前へ――帯を躱して敵の前へ!

 一歩で彼我の距離を絶無にする。鬼の顔が目の前に現れたその瞬間に、俺は背後で何かが爆発したような轟音を聞いた。それが己の足が地面を踏み割った音なのだと気付くよりも前に、俺は右足を地面に叩き付ける。

 ―――“震脚”の実演。

 再度爆音が轟く。大地の反動が体を突き抜け、上段に構えた鎌に収斂(しゅうれん)される。

 

「オオオオォォォオオオオオオオオオオオオオオオッ!」

 

 雄叫びと同時に、袈裟懸けの斬撃を振り下ろす。刃は一切過つことなく、機織鬼の頸を捉えた。

 力一杯、全力を投じて振り抜く。その瞬間―――何かが、砕けた音がした。

 

 ―――バキン

 

 甲高い、耳に障る金属音。その出所を求めるように、自然と視線が下へ向かう。

 俺の鎌が折れていた。根元の辺りから割砕していて、刃は一寸も残っていない。

 

 再び視線を上げる。目の前にある鬼の頸を見る。

 

 頸は帯で覆われていた。血染めの紅い帯が幾重も巻き付いて頸を覆い隠しており、堅牢に防御している。

 更に視線を上げる。

 機織鬼の表情が視界に入る。

 そいつの紅い唇は――明らかな、悪意ある嘲笑の形に歪んでいた。


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