何度生まれ変わっても   作:ミズアメ

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第捌話 飛んで炎に入る夏の虫・後編

 多数の帯が鎌首を(もた)げ、殺到する。

 俺は全身を切り刻まれた上で、(しな)る帯に腹を打たれて弾き飛ばされた。

 

 背面側――やや離れた位置にあった建物の壁に叩き付けられる。

 

 衝撃で肺臓を圧され、中の空気が全て対外へ抜ける。呼吸が乱れた。息ができない。俺はその場に膝を屈し、肩を荒く上下させた。体内に酸素を取り込もうと試みる。しかし喉から笛のような音が出るばかりで、普段の二割くらいしか空気を吸えなかった。

 

 寒気がする。

 

 怖気で全身の皮膚が粟立っていた。

 機織鬼の帯で斬られた。幸いにも致命傷は負っていないし、五体満足で手足の健も無事だ。しかし俺は今、非常に進退窮まる状況に置かれていた。

 機織鬼の血には毒がある。

 奴の血が染み込んだ帯で斬られた。つまり、今の俺は毒に侵されている訳だ。そのせいか、背筋が凍るみたいに痛くて寒気が酷い。きっと俺の顔色は普段よりももっとひどい有り様になっていることだろう。

 機織鬼の血鬼術の本命はこの毒に違いない。即死することはないようだが、このままでは死を免れないのは確実だった。

 

『やっぱり大したことなかったな、お前』

 

 機織鬼が何か言っている。

 毒が回っている影響か、感覚が鈍い。どうにか呼吸をして体に活力を入れようとするが、それも上手くいかなかった。

 

 息の仕方って、どうやるんだったっけなぁ……?

 

 思い出せない。

 思い出せねぇよ、梅。ごめんなぁ、せっかくお前が教えてくれたのになぁ。

 

『お前との戦いのお陰で血鬼術の使い方のコツは掴んだよ、有難う。お礼にお前を喰ってやる。醜いものを喰うつもりはなかったんだが、お前だけは例外だ。毒でくたばる所を見届けてから、その汚い頭から(かじ)ってやるよ。丸齧りだ。……でも、それまでの間少し暇になるねぇ』

 

 機織鬼は顎に指先を添えて、悩むように首を傾げた。鬼は四方へ視線を巡らせて、自身から随分離れた左側後方――俺とは道を挟んだ反対の側の壁に、鎌で縫い留められた梅を見る。そして酷く厭らしい、下卑た笑みを浮かべた。

 

『そうだ、健闘した褒美に順番を入れ替えてやろう。あっちから先に喰うことにする。うん、それがいい』

 

 ―――――どくりと、一際強く心臓が跳ねた。

 

 嗜虐の笑みを浮かべて、何か喚きながら立ち上がり踵を返す機織鬼。その存在を今は無視する。

 右手に視線を下ろす。鎌はまだ俺の手の中にあった。己の一部であるかのように、固く握り締めている。腕から流れ滴る血が、柄を伝い折れた刃まで紅く濡らしていた。

 

 素手では鬼に勝てない。しかし、武器は喪失した。

 

 だが、それでも勝つ。勝たなければならねぇよなぁ。

 妹は必ず護る。もう二度と、誰にも奪わせやしない。その為には武器がいる。鬼の頸を斬り落とすに足るだけの力が必要だった。

 

 それは――俺の記憶(なか)にある。

 

 俺の前世の記憶。鬼であった頃――血鬼術によって血を刃として操作していた感覚。アレを思い出せ。己の血で強靭な武器を――鎌を造れ。そうすれば戦える。そして必ず勝つ……!

 今の俺の体は人間のもの。血鬼術を使うことは不可能だ。だが鬼の血が体内に入った今なら、可能かもしれない。血を操っていたあの感覚を、思い出すことさえできれば。

 

 左手で強く右手を掴み、脳を巡らせる。

 

 思い出せ。鬼であった頃の感覚、思考、精神。俺は何度生まれ変わっても鬼になると誓った。だから今でもできる筈だ。だから思い出せ、思い出せ、思い出せ。鬼だった頃と似たような嫌な肌触りを感じた機会は最近でもあったんだ思い出せ思い出せるだろあの時―――

 

 ―――女に化けた鬼舞辻無惨を目にした瞬間の、あの血の騒めき。あの感覚を思い出せ!

 

「…………ッ!」

 

 己の鼓動以外はもう何も聞こえない。心臓が頭に引っ越してきたみたいに、脈動が鼓膜と頭蓋の中を揺さぶった。体中の血管が隆起する。視界が赤く変色する。その色はどんどん深く、濃く、重くなっていく。そして。

 

 たぶん――俺は、人間ではなくなった。

 

 体外に流れ出る血が流動する。物理法則による重力の作用ではなく、俺の意思によって。

 それそのものが生き物であるかのように動く血液。それは鎌の折れた刃に集結して、一つの形を成すべく硬化していく。そして瞬きを終える頃には――丁度折れた刃が生え変わったような形で、血の鎌が完成していた。

 

 血鬼術―――“血鎌”

 

 鬼だった頃に俺が使っていたものと比べて大きく形状が違うが――今は、そんなことを気にしている場合ではない。

 

「まだ終わってねぇぞ、鬼ィ! 喰らえ―――血鬼術“飛び血鎌”ッ!」

 

 刃を三度振るう。腕から流れ出た血が刃先から跳ね飛び、そのまま薄い刃の斬撃となって空を裂いた。

 

『なっ―――!?』

 

 迫り来る血刃を前に、機織鬼が瞠目する。完全に不意を打たれたからか、防御が遅い。俺の“飛び血鎌”は空中での軌道を操れるのだ。一つ目と二つ目は辛うじて回避できるだろうが、しかし三つ目の血刃は必ずお前の頸に喰らい付く……!

 

 血の刃が、機織鬼の頸に沈み込む。

 

 しかし――威力不足。“飛び血鎌”は頸を半ばまで切り裂いた所で、あと一歩及ばず砕け散った。

 人の身で発動した血鬼術だ、鬼だった前世の頃の“血鎌”と比べて威力が落ちるのは当然といえば当然である。なら――次はもっと、威力のある技を使うしかない。

 

『治りが遅い――これは血鬼術!? どうして人間のお前が……いや、そうか! お前稀血だかなんだかっていう、特異体質って奴だな? お前一人喰っただけで百人喰ったのと同じ力が手に入る! やっぱりお前から喰うことにするよ!』

 

 喜色と怒気を漲らせ、機織鬼が全ての帯の切っ先を俺に向ける。

 俺は満足に呼吸ができず、この場から一歩も動けない状態だ。勝負は真正面からの術の撃ち合い。ともすれば、次に俺が使う血鬼術は決まっている。

 

『血鬼術――“厩飲戦挽(きゅういんせんびき)”ッ!』

「血鬼術――“円斬旋回・飛び血鎌”!」

 

 右腕の傷口から多量の血を噴出。それを螺旋状の竜巻の如き刃として操って飛ばし、迫り来る帯の壁を悉く粉微塵に斬り裂く。

 

 一秒毎に帯の壁は分厚さを増す。

 一秒毎に血の刃を増やし続ける。

 

 勝負は完全な力対決。より強い術力を行使した方が、この戦いに勝つ―――!

 

『―――ゲェェェァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!』

「―――オォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!」

 

 気合いですら負けてたまるものかと、無理やりに雄叫びを吐き出す。血を絞り出す。あの壁を超えるべく――一滴でも多く、疾く、強く斬り裂く。

 力の拮抗は、長くは続かなかった。

 

『―――――そん、な!? 有り得ない!』

 

 帯の壁の向こうで、機織鬼が目を見開く気配がする。驚愕している臭い、音、肌触りだなぁ。鬼が使う血鬼術が人間の使う血鬼術に押し負けるのが、余程不思議であるらしい。だがこちとらは腐っても鬼、人の身に堕ちても元は上弦の陸だ! この程度はできて当然なんだよなぁああ!

 

 血の刃の颶風(ぐふう)が、紅い壁を()()く。視えた――敵影は丁度“円斬旋回”の中心にいる。回避が叶う隙間はない、回避が叶う時間など与えない。

 全ての帯が裁断される。機織鬼は手足を喪失し、再び達磨となって地に落ちる。

 

『―――――』

 

 地面に仰向けに横たわった機織鬼が、何か喚いている。なにをいっているのかわからない。だがそんなことはどうでもいい、再生する前に早く頸を斬り落とさなけ、れば―――

 

 ―――?

 

 足に力が入らない。膝を地面から離そうと踏ん張るのだが、がくがくと震えて立てなかった。

 視界が急速に色を失っていく。目の奥でばちばちと白い火花が散っている。耳鳴りが酷い。頭がぐらぐらと揺れて気持ち悪い。目の前が唐突に暗転し真っ暗になったり、逆に真っ白になったりを繰り返していて、何も見えやしない。

 これは、まさか。まさか、まさかまさかまさか。

 

 ……貧血?

 

 これだから人間の体ってやつは……ッ!

 

 激しく己の肉体を叱咤する。そんなことをしたところで状況が好転する筈もないことは百も承知だったが、罵倒せずにはいられなかった。

 鬼の感覚を取り戻し血鬼術を発動した――そこまではいい。だが肉体が人間のものであることを忘れたまま技を使ったのがそもそもの過ちだ。鬼の体ならどれほどの量の血を消費しようともそれすら再生するので問題ないが、しかし人間の体のままそんな真似をすれば出血多量で死ぬ。実に当たり前な常識だ。

 己の失策に気付いた所で後の祭り。俺はもう天地すら分からなくなって、吐き気を堪えることしかできない。

 

 これで終わりなのか。

 こんな所で死ぬのか。

 

 妹も護れないまま、こんな無様を晒して死ぬのか。駄目だ、駄目だ駄目だ駄目だ。そんなのは認められない! ふざけるなよ馬鹿野郎! 俺は前世とは違って真っ当に生きてた筈だ。他人の幸福を妬み僻むことはした、だが不当に取り立てたことは一度もねぇ! ただ精一杯、妹を育ててきただけだ! だっていうのにこんな所で、こんな奴に殺されるのか!? そんなの認められるかッ!

 

 諦めねぇからなぁあ。

 諦めねぇからなぁあ。

 諦めねぇからなぁあ。

 

 ―――――俺は絶対に諦めねぇからなぁぁああああ!

 

 まだ何かあるはずだ。脳に血を巡らせろ、頭を回転させろ!

 思い出せ。確かあった筈だ。人間でも鬼を殺せる方法が。その手段が。それを思い出せ。思い出せ、思い出せ、思い出せ、思い出せ! 鬼狩り共が()()()()()()()()()()()()()()()()()―――

 

 ―――()()()()ッ!

 

 頭の中を引っ繰り返して、全ての情報を一度に引きずり出す。走る馬の如く、前世の記憶が駆け巡る。地獄で浴びた業火の苦痛が復活する。

 息が、できない。

 熱い。痛い。熱い。痛い。熱い。痛い。熱い。痛い。

 燃えるような激痛と灼熱に襲われ、捕食される幻を見る。それが現実となるのも時間の問題だ。きっともうすぐ俺は死ぬ。そうなったら、俺は今度はどこへ行くのだろうか―――

 

 

 ―――お兄ちゃん、息をして

 

 

 瞬間、俺は暗闇の中で梅の声を聞いた。

 

 梅は遠く離れた場所で気絶しているのだ。それに俺の耳は機能を停止している。声など聞こえる筈がない。しかし、何もない闇の中で、梅の声と姿だけが鮮明だった。

 

 

 ―――胸の中に小さな炎をつくって。それを少しずつ、大きくするの。それで体のぜんぶに、血の一滴一滴までぜんぶに、火を行き渡らせるのよ。胸につくった炎と自分をおんなじものにするの。そうれば、苦しくなくなるよ、お兄ちゃん―――

 

 

 滔々と語る声は、するりと頭の中に滑り込んできた。

 瞬間、俺の意識は暗闇から現実へと引き揚げられる。

 

 俺は握ったままの鎌の柄を強く握り締めた。そして己の血――体内に残る僅かな量と、辺り一面に散った血溜まりに意識を集中させる。

 呼吸開始。

 胸に火を灯す。少しずつ大きく育てていったのでは間に合わない。最初から最大火力を用意しなければなぁ。それこそ地獄の業火――地獄からこの世へ豆粒程度の大きさの火を持ち出しただけで地上全てが吹き飛ぶような莫大な火力を、神威の炎を胸に灯せ!

 火ができたら血液を巡らせろ。

 心臓の筋力だけでは足りない。血鬼術“円斬旋回・飛び血鎌”――あれを体外に放出するのではなく、体内でやるんだ。ぐるぐるぐるぐる巡らせろ、俺は梅の兄、妓夫太郎なんだからなぁあああ!

 

 もっと体を熱くしろ―――もっと、もっともっともっともっともっともっともっと!

 

 血を燃やせ。命を燃やせ!

 

 ―――ゴォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオ

 

 口から漏れ出す呼吸音は、まるで燃え盛る炎の燃焼音のようだった。

 

 燃えている。爆ぜている。灼けている。

 

 俺の血が、()()()()()()()()()。体内の血も、体外に零れた血も。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「全集中――我流、炎の呼吸・()()()

 

 血が回る。それに従い、黒かった視界に色が付く。

 目前、やや離れた位置に機織鬼の姿を確認。手足が再生している。こちらの再起を悟ったか、既に頸を帯で覆い隠していた。

 防御は堅い――が、関係ねぇなぁ。

 右肩に鎌を担いだ構を取る。

 蹲っていた体をすかさず前方へ。種子島から撃たれる弾丸のように、足元の血の燃焼の勢いを爆裂させて己の身体を前方へ射出する。

 爆発する縮地の歩法。

 次いで轟くは、大砲の砲弾が着弾し爆裂したかの如き踏み込み。

 

 鎌の刃は血鬼術にて生成済み。俺の血でできた鎌の刃は、やはり炎を纏っていた。

 

 赫々と燃える血の刃を振り下ろす―――――!

 

「―――――血鬼術“灼血鎌(しゃっけつがま)”」

 

 奔る業火が鬼の頸を捉える。

 帯の防御など無駄だ。硬くしなやかな生地は、あっという間に炭化して燃失する。俺は――今度こそ――その頸を―――――

 

 ―――――機織鬼の頸を、断ち斬った。

 

 斬り落とされた鬼の頸が、地面に落ちる。

 その頃には俺の感覚は正常に戻っていた。呼吸も安定している。しかし失血の影響は大きく、頭は酷い船酔いを起こしたようにぐらぐらと揺れた。

 

『ギャァァアアアア! 熱い! 頚が、熱い! 傷の治りが遅い! なんなんだお前の血は!?』

 

 甲高い声が耳に障る。きんきんと響いて鬱陶しい。

 俺は意識して深く一呼吸を置いてから、鬼の頸に告げた。

 

「お前の負けだ、虫けら」

『……ッ! ハッ、馬鹿言ってんじゃないぞ、そんな火傷だらけの醜い体で! 私の傷は治る! 少し治るのが遅いが、それだけだ! 私は死なない! お前は死ぬ! 私の手で殺される!』

「いいや、終わりなんだよなぁ」

 

 天を仰ぐ。

 月は既にどこかへと消えていて、濃密な闇の帳に覆われていた夜天は深い群青色に染まっている。そして――東の空から、輝けるものが顔を出していた。

 

 日が昇る。

 

 建物の隙間を縫い陽光が差し込む。

 機織鬼は、朝日の光を全身に浴びた。

 

『死―――死ぬ! 死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ! 焼け死ぬ! 熱い! 痛い! 熱いィイ!』

 

 醜悪に顔を歪め、機織鬼が断末魔を上げた。

 鬼の弱点とは日光。太陽の日に焼かれると、骨の髄まで炭化し塵となって崩れる。骨すら残らず、跡形もなく消え去るのだ。

 

『嫌だ! 嫌だ嫌だ! まだ殺してない! まだ殺してないのに! 私はまだ、本当にこの手で殺したい奴をまだ殺してない! あの糞爺と糞婆を殺してない! だっていうのに死ぬのか!? こんな所で、醜い餓鬼に殺されるのか!? そんなのは嫌だ! 嫌だ嫌だ嫌だ、嫌だ……―――』

 

 最後まで呪いと罵詈雑言を吐き散らして、機織鬼は死んだ。

 

 ―――地獄に落ちろ。

 

 念仏など唱える筈もなく。口の中で俺もまた呪いの言葉を舌先で転がす。本当は口に出して言ってやりたかったのだが、それが出来るだけの体力が残っていない。俺の身体は限界を迎えていた。

 

 その場に膝を屈する。

 

 全身が熱い。痛い。肉が焼けている悪臭がする。

 血鬼術と全集中の呼吸の融合――“灼血神威(しゃっけつかむい)”。体内外の血が発火するほど奔り巡らせたこの状態は、こと戦闘において絶大な効果を発揮するが、その反面俺の肉体に掛かる負荷が大き過ぎる。文字通りの火達磨になるから、全身が火傷だらけになっちまう。鬼との戦闘以外では、焼身自殺くらいにしか使えねぇなぁ。

 兎にも角にも、まずは呼吸を落ち着け、回復に専念を―――

 

「―――助けてぇええええ! お兄ちゃぁぁぁあああああああああん!」

 

 大変だ、妹が俺を呼んでいる。

 

 慌てて顔を上げて周囲へ視線を巡らせる。すると――なんか、辺り一面が火の海になっている様が見えた。

 

 まさか、建物の壁に付着していた血まで燃えちまったのかなぁ?

 

 ―――少しは加減しろよ馬鹿野郎!

 

 鎌を放り捨てつつ己に激しく罵声を浴びせ、梅の下へ駆ける。火から逃れようと身を捩り泣き叫ぶ梅を抱え上げようとするが、着物ごと建物の壁に刺さった鎌が引っ掛かった。

 

 こんな時にもたついてられねぇのになぁああ! あちこちで火事を報せる怒号と足音が聞こえる。ここに留まっていられない、直ぐに逃げなければ。早くしねぇと、もっと不味いことに―――

 

「―――おい、火元に誰かいるぞ!」

 

 しまった、間に合わなかった……!

 吉原は火事が起きやすい木造の建物が多い。それ故、放火は重罪だ。もし意図しての犯行でなかったとしても、厳罰は免れない。そして言い訳をしたところで聞き入れられるとも思えない。

 

「なああああああああ糞! どうしてこうなるんだよッ!」

 

 絶叫し、強引に梅の後ろ襟を引き千切る。そして小柄な体を手早くおぶると、俺は全力で逃走を試みた。

 地を蹴って跳躍し、まだ火の移っていない家屋の屋根に移動する。そして屋根から屋根へ跳び移ることを繰り返した。

 程なくして羅生門河岸の最端――お歯黒溝に最も近い建物の屋根に辿り着く。

 ここまで来れば後は簡単だ。この屋根からお歯黒溝の対岸まで跳躍すればいい。俺は走る速度を一切緩めることなく、全力で屋根板を踏み締めた。

 

 屋根が砕ける。梅を両腕に抱えたまま、俺の身体は半ば滑空する形で空を駆けた。

 

 当然のように着地成功。吉原を脱出した。

 だが、まだ安心できない。追手がかかるはずだ。もっと遠くへ逃げなければ。

 

 ただひたすら遠くへ――その一念のみで、走る――走る――走る――走る―――――!

 

 そして。

 気が付いた時、俺達は森の中にいた。




【大正コソコソ噂話】
 蕨姫は一秒でも早く借金を返して自由になりたいがために、『京極屋』の経営理念に反して陰で体を売っていました。
 しかしそれが原因で重篤な病を患います。『ときと屋』に出入りしていたのも薬を集ってのことでした。
 病のことを本人は隠していたものの周りには見抜かれており、近い内に切見世送りになることが決まっていたのですが、それよりも前に客の連れに擬態していた鬼舞辻無惨と遭遇。血を与えられて鬼になりました。与えられた大量の血に適合するため休眠状態で寝込んでいたのを楼主と遣手に見咎められ、切見世へ移るよう言い渡されたことに逆上し、その瞬間に完全に鬼化。『京極屋』での凶行に及んだようです。

 ちなみに血鬼術“厩飲戦挽”は厩飲戦挽→蚯蚓千匹と、ミミズ千匹が元ネタです。考えた人最低だと思います。
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