何度生まれ変わっても   作:ミズアメ

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第玖話 恋華

「―――ひでぇなこりゃ」

「ああ……鬼の被害にあった現場は大抵酷いが、これは輪を掛けて酷い」

 

 職務に追われる全身黒尽くめの男二人が、凄惨たる有り様を前に呻いた。

 

 遊郭の街並みを形成する貸座敷の一つ――『京極屋』。女の体ではなく芸を売ることを特色としていた品格ある華やかな店で知られたその場所は、今や完全に地獄と化していた。

 死屍累々であった。

 大型の獣に喰い散らかされたかの如き、原形を留めぬ死体。あるいは何か鋭い凶器で全身を斬り刻まれたと思しき死体。泡を吹いて白目を剥き、体の至る所に紫の斑点が浮き上がっている死体。目につくものは血と臓物と死体、死体、死体、死体―――美しき遊女の城は、屍の山と血の河で構築された、殺意と悪意の坩堝そのものとなっていた。

 

 その現場である『京極屋』を封鎖状態にし、事後処理を進めている者達がいる。

 

 警察ではない。

 黒子のような恰好をした彼等は、鬼殺隊が有する非戦闘部隊『隠』の隊士である。そしてその『隠』を指揮しているのは―――

 

「状況を報告いたします、炎柱様。貸座敷『京極屋』に生存者はおらず、鬼が潜んでいる様子も確認できませんでした」

「―――そうか、分かった! 俺と甘露寺はこれより鬼の探索を開始する。この場は君達に任せよう! 行くぞ、甘露寺! 鬼に殺された人々の無念を晴らすため! そしてこれ以上、この街で無辜の民の血が流されることがないように!」

「はっ、はい! 煉獄さん!」

 

 踵を返し、颯爽と『京極屋』を後にする煉獄杏寿郎と甘露寺蜜璃。

 杏寿郎の後を追う蜜璃の顔色は悪い。鬼殺隊に入隊したばかりである彼女は、惨殺現場を見慣れておらず耐性がついていないのだ。普段なら毅然と職務に当たる杏寿郎の姿にときめくところだが、流石に不謹慎である上に、そんな精神的余裕もない。

 

「……それで、煉獄さん。これからどこを探索するんですか?」

「うむ、良い質問だな甘露寺! まずは三日前に火事があったという地区――羅生門河岸に向かうぞ! 虐殺と火事! 鬼が活動した日の同じ夜に起きた二つの事件! 事件発生の連続性からして、そこには恐らく『京極屋』を襲撃した鬼に関する手掛かりがある筈だ!」

「な、なるほど……承知しました!」

 

 溌溂(はつらつ)と、且つ明瞭に考えを述べる杏寿郎。蜜璃はそれに納得して頷き、鬼殺隊の制服である詰襟の懐から取り出した覚書に筆を走らせる。

 

 ―――此度の事件のあらましはこうだ。

 

 鬼殺隊の諜報部が吉原にて鬼が出現し、人が消えているとの情報を入手した。これに伴い鬼殺隊本部は、鎹鴉を経由して、たまたま現場近くにいた隊士と『隠』の部隊を現地に派遣する。しかし彼等が現地に到着した時点で時既に遅く、二つの事件が発生した後だった。

 

 一つは『京極屋』での虐殺。

 一つは羅生門河岸での火事。

 

 火事は発生して間もない時分であったために、現地の消防隊と連携して『隠』が対応。事態を最小限の被害で納めることが叶い、死傷者もいない。反対に、鬼に襲撃されたと思しき『京極屋』に関しては、従業員はおろかその場に居合わせただけの客ですら皆殺しの憂き目に遭っていた。

 また、火事発生時に消火活動に当たっていた『隠』の一人が、火元となった場所から遊郭の外へ逃げていく二人の幼い子供の姿を発見しているが、詳細は不明である。

 

(順当に考えれば、その二人の子供が怪しいけど……日が昇っても日陰に移動する素振りを見せなかったそうだし、それどころか東側の方に逃げているから……鬼ではないのかなぁ?)

 

 顎に手を添え、首を傾げる蜜璃。

 

 考え事に没頭しているために気付いていないが、洋装をした二人――特に蜜璃は周囲から多大な視線を集めていた。

 彼女の隊服は前田まさお(ゲスメガネ)という男が縫製したもので、胸元のボタンが閉まらないようになっており、尚且つスカートの丈が異様に短い仕様になっている。後の世ならそれなりに有り触れた服装だが、しかし大正時代である現代においては、女性が肌を晒すのは大変はしたないという風潮が根強いため、彼女の格好はひどく悪目立ちしていた。

 無論、最も目を引いているのは彼女の奇異な髪の色だろうが。

 

 ―――それは兎も角。

 

 火事の現場に着くなり、杏寿郎は周囲の検分を始めた。後学のため、蜜璃はその様子を(つぶさ)に観察している。

 一通り終えた所で、杏寿郎は力強く頷いた。

 

「―――うむ! どうやら『京極屋』を襲った鬼は、既に死んでいるようだな!」

「えええええええええええ!? どうしてですか!?」

「うむ! これを見ろ甘露寺! 地面や建物の焼け跡に、幾つもの巨大な剃刀を突き刺したような傷跡が残っている! これは十中八九、鬼の血鬼術によるものだろう! しかしそれとは異なる刃物の深い傷! そして強烈な踏み込みによる陥没! この地面を抉るような形は、俺と同じ炎の全集中の呼吸による斬撃の残滓に違いあるまい!」

「え~……でも、吉原に派遣された鬼殺隊の子は鬼と遭遇してなかったって報告が……」

「うむ! 故にこの鬼を倒したのは吉原の住人だろう! 丁度火元から逃げて行った二人の子供の目撃情報もある! 俺にはこれが偶然とは思えん!」

 

 晴天を思わせる曇りなき眼で、杏寿郎は推測を続ける。

 

「恐らく今回『京極屋』を襲撃した鬼は、その店にいた何者か! そしてその場に居合わせたものを虐殺し喰らった後、兼ねてより目をつけていた獲物――つまり件の子供二人に襲い掛かった! しかしその子供は我流で全集中の呼吸を身に着けていたために鬼を撃退! 鬼の再生を遅らせるために火計を行い、結果として羅生門河岸の火事に繋がった! 鬼を倒すためとはいえ放火は重罪、よって子供二人は逃げ出した! ―――こう考えれば辻褄は合う!」

「な、なるほど……! そういわれると、確かにそうとしか思えないです!」

 

 筋道の立った論理に心底から納得し、蜜璃は拳を握って頷いた。

 

(強いだけじゃなくて頭脳も明晰で勘も鋭い……煉獄さん素敵!)

 

 心中には、些か不純な想いもありはしたが。

 

 蜜璃の胸中は兎も角として、杏寿郎の推測は概ね正しいものだった。

 火事が発生した原因については多少の食い違いがありはしたが、しかし本筋においては何も間違っていない。むしろ現場証拠だけでそこまで推測できた観察力は驚嘆に値する。それもその筈、彼は鬼殺隊の最高位――柱に名を連ねる者であるのだから、その実力は疑う余地もない。

 

「しかしこの吉原に巣食っている鬼が一体だけとは限らん! 俺は吉原に留まり他に鬼の気配がないか探る! ―――甘露寺! お前は『隠』の部隊を率いて件の子供二人の捜索に当たれ! 子供でありながら我流で全集中の呼吸を身に着けた逸材だ、鬼殺隊の重要な戦力となり得る! 是非とも俺の継子にしたい!」

「はい! 甘露寺蜜璃、承知いたしました!」

 

 * * *

 

 鬼との戦闘を終えてから間もなく、梅を背負った状態で全速力で吉原から逃亡した妓夫太郎は、完全に力尽きていた。

 

 日が暮れるまで走り続け、人気のない山の中に入り込んだ所で漸く彼は足を止めた。そして近くにあった河原にまで行くと、背中の梅を優しく下ろし、即座に四肢を突いて川に顔を沈め、犬のように勢いよく水を飲み始めた。

 一切の水分補給なしに走り続けたのだから当然だろう。梅は労いの言葉を掛けつつ、兄の背中を摩り続けた。

 

 そして暫くして、妓夫太郎は気絶した。

 

 顔を川に沈めたまま糸が切れた人形のようにへたり込んだものだから、梅は慌てて兄を水面から引きずり上げた。

 妓夫太郎の身体は火傷が酷く、出血は少ないものの深い切り傷が多い。

 どこか影になる涼しい場所で休ませる必要があった。

 梅は妓夫太郎をおぶり、目ぼしい場所がないかと辺りを四望しながら、上流へ向かって河原に沿って歩いた。兄の身体は異常なまでに軽くて、その軽さに泣きそうになったが、どうにか涙を堪えて歩き続けた。

 

 そして山小屋を見つけた。

 

 幼心に何か嫌な感じのする小屋だったが、しかし背に腹は代えられない。梅は小屋の戸を叩き、小屋が無人であることを確認すると、中に入り込んだ。

 小屋は物置きを兼ねているのか、鉈や鎌、桶などの山仕事の道具が沢山あった。そして布団や衣服が仕舞われた箪笥もある。どれも薄く埃を被っていて、最近は使われていないようだった。

 

 梅は床に布団を敷き妓夫太郎を寝かせると、桶を手に外へ出た。

 

 川の水で桶を洗って埃を取り、冷たい清流を汲む。そしてそれを持って小屋に戻ると、甲斐甲斐しく妓夫太郎の看病に勤しんだ。

 濡らした手拭いで全身を拭いた後、箪笥にあった衣服を裂いて包帯代わりに傷を圧迫する。

 額に冷や水で湿らせた手拭いを乗せ、定期的に交換することを繰り返した。その傍らで小屋を家探しし、竹細工の水筒を見つけたので川で洗浄した後水を汲み、定期的に妓夫太郎に飲ませた。そして桶の水が温くなれば、小屋と川を往復し水を冷たいものと替えた。

 

 梅の献身的な看病の甲斐もなく、日を跨いでも妓夫太郎は目を覚まさなかった。

 

「お兄ちゃん、起きてよ……死なないでよ……二人一緒に暮らせても、これじゃ嬉しくないよぉ」

 

 看護の合間に、時折目尻に涙を溜めて梅は妓夫太郎に縋りついたが、妓夫太郎が目を覚ますことはなかった。

 

 鬼との戦闘があった日から、三日経った。

 

 梅は小屋の近辺に実っていた野苺などを摘んで空腹を凌いでいたので、別段問題なかったが、しかし妓夫太郎は生命が危ぶまれる瀬戸際まできていた。

 

(どうしよう……このまま目を覚まさないでなんにも食べないままじゃ、本当に死んじゃう……)

 

 足抜けしてから三日目の深夜。梅は膝を抱えて項垂れる。

 

(……それにこの小屋、嫌な感じがする。箪笥の中の服は、綺麗なのと血が付いたのとで分けてあったし、それに壁や床に黒い染みがあるし……これって血?)

 

 床板に薄く斑に染み込んだ色を指先で撫で、梅はぶるりと体を震わせた。

 梅の懸念は正しい。小屋は埃で汚れているが、しかし完全に人の出入りが絶えている様子ではなく、少なくとも、二人以外にもこの小屋を使用している者がいたのは確かだ。

 

(血……血……人の、血。まさか、ここは人喰い鬼のすみかなの?)

 

 不安感から、最悪の事態を想像する。その瞬間―――

 

 ―――ドンッ

 

 何者かが戸を叩く音が轟いた。

 

「―――誰ッ! 入ってこないで! 入ってきたら殺すわよ!」

 

 小屋にあった鎌を手にし、梅は妓夫太郎を庇うように戸から離れた位置に立つ。

 戸には予めつっかえ棒がしてあった。開く様子はなく、けれど頼りなさげに震えている。

 

(戸の向こうから話し声がする……でも、なんて言ってるのかはわからない……鬼ってそんなにいっぱいいるの?)

 

 鎌を握る両手が震える。膝が笑い、今にも力が抜けて座り込みそうだ。

 開かない戸に業を煮やしたのか、何者かは戸に体当たりを繰り返している。そして遂に戸が破られた。

 

「どわっ!?」

 

 戸を破った勢いで、黒い人影が転がり込んでくる。

 それは人間だった。

 黒子のような、真っ黒い服と覆面で全身を覆っている。どう見ても不審者だが、しかし害意は感じられなかった。

 

「ああ、いた! 君達が吉原から逃げた子供か! 随分と心配―――」

「―――足抜けしたアタシたちを捕まえに来た追手なの!?」

「ちっ、違う違う! 俺達は鬼に襲われた君達を保護しにきたんだ!」

 

 手を掲げて制止を促し、全力で首を横に振る黒尽くめ――『隠』の隊士二人。

 彼等が言っていることは嘘ではないと直感し、梅はその場にへたり込んだ。そしてぼろぼろと涙を零す。

 

「たすけ……?」

「そう! 助けに来た! 二人共だ! 今はまだ君達は吉原に戻れないから、お館様が事を収めるまでは我々鬼殺隊で保護するからな! もう心配はいらないぞぅ!」

「でも、でも……! 鬼と戦ったお兄ちゃんが、ずっと目を覚まさなくて……! このままじゃ死んじゃう!」

「大丈夫だ! 鬼殺隊にはそこらの医者よりも医療に秀でた隊士もいるし、設備も万全だから! きっと治る! 大丈夫!」

「でも、お医者様にかかるにはお金が―――」

「―――医療費はこちらで全額負担するから問題なし! さあ、早く行こう!」

「……うん!」

 

『隠』二人の必死な説得に頷き、梅は漸く鎌を下ろした。

 彼等は鎹鴉の脚に手紙を結び付けて放すと、それぞれが妓夫太郎と梅を背負い、河原に沿って下山を始めた。

 

「凄い熱だ。早く蝶屋敷に連れて行かないと不味い」

 

 妓夫太郎を背負った『隠』隊士が、声色に焦燥を滲ませて呟く。

 梅は『隠』隊士の肩を抱く腕の力を強めた。兄への心配を煽られたから――()()()()。目の前に迫る危機を察知して。

 

『おぉっと、逃がさねぇよ』

 

 目の前に鬼がいた。

 人とそう変わらない姿をした、男の鬼だ。まだそれほど人を喰っていないようで、ほとんど異形化していない。しかし非戦闘部隊である『隠』の隊士では太刀打ちできない災厄そのものである。

 

「鬼!?」

「どうしてここに鬼が……」

『そりゃお前、お前達がさっき無断で入り込んだ小屋が俺の狩場だからさ。この山には幾つか小屋があってな、俺は夜毎そこを回って、小屋に逗留してる間抜けな旅人や吉原から足抜けしてきた奴を喰ってるんだよ。―――まあそういう訳だから、いっちょ死んでくれや』

 

 短く告げ、鬼は『隠』に向けて貫手を放つ。

『隠』は剣才に恵まれなかった鬼殺隊士が入る非戦闘部隊。しかし最低限の訓練は受けているので、雑魚鬼の攻撃なら回避は可能だ。間一髪ではあったが。

 

『ちょこまかすんなよ!』

「ふざけんな! 殺されてたまるか!」

「こちとら文字通り可愛い兄妹の命を背負ってんだよ! 絶対に死なねーぞ!」

「でも逃げてるだけじゃ埒が明かないわよ!? アンタ達鬼狩りの鬼殺隊なんでしょ、戦えないの!?」

「ごめんそれは無理!」

「―――じゃあアンタ達は退がってて!」

 

 言うや否や、梅は『隠』隊士の背中から飛び降りた。

 そして素早く着物の帯を解き、二つ折りになるように握って振るい、川の水に浸す。着物が開け肌が晒されるが、当人に頓着する様子はない。

 

「なっ―――駄目だ嬢ちゃん、人間じゃ鬼に勝てない!」

「アタシのお兄ちゃんは鬼――あのわらじむしに勝ったわよ! アタシだって勝てるわ! なんていったってお兄ちゃんの自慢の妹なんだもん! いいからアンタ達はお兄ちゃんを護ることに集中して!」

『……へぇ、面白れぇ。どれだけやれるか見てやるよ、ガキ!』

 

 三人を庇うよう前に出る梅に向かって、鬼が迫る。

 迫る鬼。もうじき爪が梅の柔肉を間合いに捉える――その直前に、鬼は派手に転倒した。

 

『な―――!?』

 

 驚愕は、鬼だけのものではなかった。

 三人の視線が梅に釘付けになっている。妓夫太郎ですら、もしも意識があったならば目を見張ったことだろう。

 梅が振るった帯の一閃が、鞭のように鬼の足を捉えて転ばせたのだ。

 しかも帯が当たった箇所――鬼の頑強な肌が、赤く腫れている。

 

「『京極屋』で働いてた時、よく話しかけてくれてた客が言ってたわ。濡らした布は武器になる。そこらの手拭いですら西瓜を真っ二つにできるってね―――!」

 

 言うや否や、立て続けに梅は帯を振るった。

 多大な遠心力で以って振るわれる布が、鬼の顔を、腕を、胸を、腹を、足を正確に且つ強かに叩く。優れた直感によって鬼の動きを事前に察知した梅は、何度も何度も鬼の出鼻を挫く。

 

「シ―――――ッ!」

 

 鋭く息を吐き、梅は帯を振るった。

 帯は鬼の腕に巻き付き、絡め取る。

 

 梅は全力で河原の砂利を踏み締めて踏ん張ると、帯を撓らせて鬼を天高く吊り上げそのまま遠くに投げ飛ばした。

 

「すげぇ……」

「この兄妹、鬼殺隊の剣士になれるんじゃね?」

 

『隠』の隊士が呆然と呟く。

 しかしこのまま事が決着するほど、現実は甘くはない。

 

『舐めてんじゃねぇぞ!』

 

 振るわれる帯を躱し、鬼は爪によって帯を両断した。

 

「しまっ―――!」

『油断したな! これで終わりだ!』

 

 一気呵成に、鬼が迫る。もう駄目かと思考が諦観に包まれる寸前――梅は、川の向こうから凄まじい速度で駆け付ける者の姿を見た。

 

 胸元と足を露出した黒い洋装に、白い羽織に袖を通した女性。可愛らしい顔立ちと髪の色に反して、腰には刀を差している。

 その女性は僅か一歩での跳躍で、半ば滑空する形で広い川を飛び越えると、梅の前に着地した。

 

「か――甘露寺様!」

「遅れてごめんね、みんな! この鬼は私が倒すから安心して!」

 

 腰に提げた差料の鯉口を切り、甘露寺蜜璃は抜刀する。

 その刀は異常だった。

 鞘の長さは平均的な太刀と同等であるにも関わらず、その刃渡りは野太刀を倍以上も上回るほどに長大であった。更には鋼でありながら布のようであり、帯の如く柔らかく薄く撓っている。どう見ても刀であるとは言いかねる代物だった。

 蜜璃はその刀を右肩に担ぐようにして構え、全集中の呼吸法によって全身の筋肉を限界まで漲らせる。

 

「恋の呼吸――壱ノ型」

 

 全身を鞭のように撓らせて、柔らかく――それでいて大胆且つ火薬の爆裂の如き踏み込み。それによって一気に間合いを詰め、蜜璃は刃を振るう。

 

「―――“初恋のわななき”!」

 

 その瞬間、梅は心が燃え上がるような熱い恋情の炎を幻視した。

 

 擦れ違いざまの一閃。いや、そもそもそれは本当に一閃であったのか。

 砂利を滑る蜜璃は既に鬼の後方。薄い刃は血で汚れていない。にも関わらず――鬼の身体は、頸を含めて四肢と胴体、全てがバラバラに崩れ落ちた。


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