一人称って書き分けが大変ですね。
文体を変えたりしなきゃだし、語彙も限られる。
Side使いの方々はよくこんなのを何本も書けるものだと、改めて感心しました。
**
毎日が生き地獄だった。
陽がのぼる前には起きて、人気のない場所を渡り歩くようにしてごはんを探す。
ごはんと言っても、ちゃんとした黒パンやシチューは望むべくもない。昼間は、ごはん屋さんの裏に捨てられたくず野菜を拾って、夜は、屋台のおじさんやおばさんが捨てて帰ったくず野菜、石畳に落ちた食べカスを口に運ぶ。もちろん、どれも生ゴミ臭い。
ほんとうにときどき、屋台の売れ残りが捨ててあることがある。とても美味しそうだけれども、わたしは食べることができない。ごはんを探しているのはわたしだけではないからだ。わたしよりずっと身体の大きな子が、そのご馳走をめぐって争うのだ。力の強い子、足の速い子だけが、ご馳走にありつくことができる。
それを、わたしは眺めているだけ。黒パンやシチューはどんな味がするのか想像しながら。
「いいなぁ……」
未練はつきないけれども、いつまでもこうしては居られない。人がやって来る前に動かないと。
昼は、なるべく目立たないようにしないといけない。
わたしのようなスラム街の子供は、大人の標的だ。鎧姿の大人は、わたしたちを見かけると意地悪をする。大人の連れて行かれた子は、ボロボロになって帰ってくるか、二度と帰ってこないかのどちらかだ。
「早くごはんを見つけなきゃ」
わたしは、頭からフードをかぶって耳を隠す。服のなかで尻尾を腰に巻き付けて。それでも、ご馳走のことが頭から離れなかった。
だからだろうか。
あの人が近付いてくるのに気づけなかったのは。
「くっくっくっ。これはこれは、ちょうど良い」
路地裏の生ゴミあさりに夢中になっていると、後ろから声がした。
男の人だ。鎧の一部をあちこちに付けた、「軽鎧」とかいう格好。つまり、乱暴でこわい大人だ。捕まると、きっと痛いことをされてしまう。
なんとか走って逃げようとするけれども、すぐに捕まってしまう。
「っ!」
「捕まえたぞ。禄に食べてない、ガリガリひょろひょろの子供の足で、俺から逃げれるとでも思ったか」
「…………!」
必死に手足で殴りかかって抵抗する。けれど、相手は身体のおおきな大人だ。拳にどっしりした、まるで木でも殴ったかのような感触が返ってきて、ああこれは逃げれないなと痛感してしまう。
そうこうしているうちに、この人はわたしをどんどん、どこかへ連れて行く。
すれ違う人たちが、ニヤニヤとわたしを見てくる。ギラギラした、怖い瞳。それをわたしは知っている。他人の不幸を悦ぶ目だ。
脳裏に、大人に連れて行かれた子たちの姿がよぎった。あの子たちはひどい乱暴を受けて死んでしまうか、そうでなくとも、もう動けないくらいボロボロになって帰ってきた。今度は、わたしがそうなる番なのだ。
そう思うと、抵抗する気力も失せて、手足から力が抜けてしまう。そんなわたしを見て、男の人は嬉しそうに笑った。
「くっくっくっ。抵抗しても無駄だ。お前はこれから、この世の地獄を見るんだ」
この日、わたしの人生は終わってしまうのだと思った。
**
男の人は、わたしを宿に連れこんだ。
受付にいた宿の人は良い顔をしなかったけど、男の人がそっとお金を握らせると、何も見なかったフリをした。
立派な宿だ。
床はキレイで、埃くさくもなければ生ゴミが落ちていたりもしない。しっかりした屋根や壁まであるので、雨風にさらされることもない。いつもわたしが寝ている路地裏とはおおちがい。
(こんなところで寝ることができたら、どんなに快適なんだろう)
なんて現実逃避していたけれど、ふと気付いてしまう。ここから逃げ出すのは難しそうだなあと。
「そうら、ここがお前の監獄だ」
ガチャリと鍵のかかる音がする。もうどこにも逃げられないと悟って、それで、はじめて部屋を見渡した。
部屋は、広かった。
物が少ないから、そう見えたのかもしれない。ベッドと机、水のはいった壷、空の桶があるだけ。
となると、イヤでも目に入るのは床だ。石造りの寒々しい床。この立派な宿のなかで、それだけが、冷たくじめじめした路地裏を思い出させる。
そこにわたしは、力なくへたりこんで、ふるえる身体をかき抱いていた。すぐにでもやってくるであろうその時を、ただただ、ふるえて待っていた。
そんなときだ。
――コツ、コツ。
とドアが叩かれる音がしたのは。
「くくく。来たか」
男の人がニヤリと笑う。
すると、ドアが開いて、店の人がにゅっと顔を出した。男の人に何かを手渡すと、ちらりとわたしをみて、そそくさと部屋を後にする。
思わず「助けて!」と叫びそうになったけど、その目を見れば、声は勝手にひっこんだ。路上のゴミを見るかのような、ひどく冷たい目だったから。
(やっぱり、そうだよね……)
分かっていた。わたしのような汚くて貧しい子供を助けてくれる人などいないのだ。ひもじい思いをして、埃とゴミにまみれながら死んでいくのだ。
男の人は、そんなわたしの前に、ガチャリとそれを置いた。シチューとパンだ。
思わず喉が鳴った。
シチューは、色とりどりの野菜が入っていて、見た目からしてキレイだ。わたしの知るシチューとはちがう。生ゴミのなかから拾ってきた野菜くず。腐りかけの肉片。それらを水で煮た、鼻の曲がるようなにおいのするものが、わたしの知っているシチューだ。
そして、パンはどういうわけか白い色をして、ふんわりと柔らかそうだ。
ふつう、パンは黒くて堅い。ガシガシと噛んで、すこしずつお腹に入れる。すべて食べおわるころには顎が疲れてそれ以上なにか食べようという気にならなくなるし、お腹の減りも遅いので、便利な食べ物だ。ところが、これは白くてふわふわしている。
そんな不思議な食べ物がパンだと分かったのは、噂に聞いたことがあったから。貴族や、おおきな商人、そして強い冒険者。そんな金持ちだけが、白いパンを食べるのだという。
そんな豪華なごはんの乗ったきれいなお盆を、男の人は、これ見よがしにわたしの前に置いたのだ。
(そっか。この人はきっと、すごい冒険者なんだ。わたしなんかとはちがうんだ……)
みじめな気持ちがじんわりと、目に滲みはじめたとき、その人はワケノワカラナイことを言った。
「くっくっくっ。どうした、驚いて声も出ないか。それがお前の
さいしょは、聞きまちがいだと思った。けれども、その人は一歩わたしから離れてじっとしていた。まるで、わたしがごはんを食べるのを待っているみたいに。
(ほんとに、いいの?)
おそるおそるスプーンを持ってみる。
それでも彼は、ただ「くっくっく」と悪者みたいに笑うばかりだったから、
「……ん!」
思いきって、スプーンを口に運んでみた。
すると、その人は笑う。
「くっくっくっ。臭い液体と不味いだけのグルテンを食べて、えずくが良い」
不味いだなんてとんでもない!
野菜でつくったスープなのに、青臭さや、腐りかけのぬるりとした臭みがない。それどころか、深い味わいと、さっぱりとした甘さがあった。
甘い! ああ、野菜って甘かったんだ。
「…………っ」
気がつくと、わたしは涙を流していた。
こんなおいしいもの――ううん、ちゃんとした料理を食べることができたのなんて、いったいいつぶりだろうか。
いちど口を動かせば、手はかってに動いた。
パンはふわふわしていて、どういうわけか甘かったし、シチューにはなんと、肉まで入っていた。
夢中になって食べた。おいしいはずなのに、あふれる涙と鼻水で、途中から味なんてわからなくなってた。あれだけシチューを飲んだはずなのに、喉がカラカラになっている。
「食べきったか。だが、それで終わりじゃあないぞ。もっと涙を流せるよう、こいつもくれてやる」
そんなわたしの心を読んだみたいに、空になった器になみなみと水を注いでくれた。
(お水だ……!)
わたしのような
噴水にはこわい大人の人がいすわっていて、お金を払わないと水を飲ませてもらえない。そんなお金なんてあるわけないから、朝早くや夜遅くにこっそり水を飲みに行く。それでも危険がないわけではない。同じように水をねらう人がやって来るからだ。
だから、ふだんは、器に雨水をためている。けれども、埃だって入るし、夏にもなると一日もたてば水は腐ってしまう。こんなキレイな水は飲んだことはもちろん、見たこともなかった。
「…………っ!」
だから夢中になって、喉を鳴らして飲んだ。
(ひょっとしてこの人、いい人なのかな)
ほうっと一息つくと、そんな考えが浮かんでくる。
(だって、おいしいご飯をくれたし、お水もくれた。怖いことを言っているけど、でも、じっさいに何か痛いことをされたわけじゃないし)
そんなことを考えたからだろうか。
(ん……眠い……)
眠気がおそってきた。瞼が降りてきて、頭がカクッと下がる。
あわてて頭を起こすけれども、手遅れだった。イライラした声が降ってきたのだ。
「おい、何を勝手に寝ようとしている。ここをどこだと思ってる」
「あっ……ごめ、ごめんなさいっ」
とっさに謝りながら、ああ、やっぱりと思う。この人も、やっぱりわたしに親切をしてくれるわけじゃないんだ。
彼は、ニヤリと悪そうに笑って、
「チッ。臭いな、ひどく臭う。鼻が曲がりそうだ。汚物は消毒しなくちゃなぁ」
「ひっ!」
ぬっと手を伸ばしてくる。
どうすることもができなかった。一日中ごはんを探して歩き回っているので、脚はいつも疲れている。いちど座りこむと、すぐには動けない。
「オラァ、その汚いボロ切れを容赦なく捨ててやる!」
あっという間にフード付きの貫頭着が剥ぎとられる。
「やめてくださいっ! これしか服がないのに――あっ」
思わず声が出た。この服は、わたしの唯一の持ち物で、きっと、最後の一線だ。どんなみすぼらしい子も、服だけは着ている。裸の人なんていない。それがなければ、動物と同じように殺されてしまうにちがいない。
なにより、わたしにとって、頭と尻尾を隠せないことが問題だった。
「ほぉ。こそこそしているとは思ってたが、猫人族か」
「ひぃっ……」
どういうわけか、この耳や尻尾を見ると、皆冷たい目をする。ひどいときには、殴ったりしてくる。
そのときのことを思い出して、身体がふるえだす。
「ほぉ。臭いと思ったら、耳と尻尾から臭っていたのか。……チッ、やはりバッチイな。触っただけで手が黒く汚れる」
「いやっ!」
浮遊間。
両脇をつかまれて、おおきな桶に放り込まれる。そこには水が張ってあって、ばしゃりと水が跳ねて床を濡らした。
彼は、空になった掌を上に向ける。
すると、なんとそこに、炎が噴き出した。
(魔法だ!)
はじめて見る魔法に、叫ぶことすらできなかった。
大人の人は皆おおきくて怖いのだけど、そんな大人すらも、魔物はかんたんに食べてしまう。そして、そんな魔物でも、魔法使いにはかなわない。
大水を出したり、嵐を呼んだり、地面を割ったり、そして太陽みたいな炎を噴いたり。そんな精霊さまみたいなことができる特別な人が、魔法使いなのだ。
「<火球>の魔法だ。どうだ、恐ろしいだろう」
男の人は、炎を見せつけてくる。ゆらゆら揺れる炎は、じゅうぶん離れているのに、ちりちり肌を刺すみたいに熱い。
(ああ、これで焼かれちゃうんだ)
ぎゅっと目をつむる。
何も見えないけれども、炎が近づいてくるのが分かる。ぶわっと汗が噴き出して、
(えっ)
けれども、それはすぐに頬を通り過ぎた。
ジュウっと音がして、おどろいて目を見開くと、桶の水がぶくぶくと泡を吹いているのが見えた。
「くっくっく。顔を焼かれるとでも思ったか? 俺はそんな単純な虐待はしないぞ。もっとじわじわとお前を苦しめてやる。ほら、水がどんどん熱くなってきた」
(ほんとだ。きもちいい)
石畳の冷たかった水が、だんだんとあたたかく、そして熱くなってくる。熱いお湯に浸るのなんてはじめだったけど、ビックリしなかった。それは彼が、わたしの身体が慣れるのを待って、ゆっくりあたためてくれたからだ。
「熱いだろう? だが、逃がしはしない。熱湯攻撃をたっぷり味わうが良い」
(こんな怖いことを言ってるけど、この人は、ほんとうはやさしい人なんだ)
そう気付いたとたんに、ふっと身体が軽くなる。肩の力がぬけて、腕をかき抱いていた手がほどけて、ぱしゃりと水面を打った拍子に、水が床にはねる。けれども、怒られることはなかった。
(このおにいさんは、やっぱりやさしい人なんだ)
すっかり安心しきったわたしに、おにいさんは、どこからか取り出した布を見せる。
(こんどは何がはじまるんだろう)
じっと見ていると、お兄さんはニヤリと笑った。
「ほぅ、気付いたか。そうだ、これは使い古しのボロ布だ。あとは捨てるしか使い道のないゴミ同然のコイツで、お前を苦しめてやる」
と言うなり、手にもった布で、ゴシゴシとわたしの身体をこすりだした。
痛いような、くすぐったいような不思議な感覚がして、思わずわたしはくすくす笑う。
「痛い、痛いよっ」
「当然だ。お前の体表の細胞組織が剥離しているのだからなァ!」
ニヤリと笑うおにいさんも楽しそうで、それが何より嬉しかった。こんなふうに、わたしのことを気にかけてくれる人や、いっしょに笑ってくれる人なんて、もうずっと長い間いなかった。
笑いつかれて、ぐったりと座りこむ。ちゃぽちゃぽ揺れる水面がお腹を撫でるのが、きもちいい。
おにいさんは、桶からわたしを引っ張りあげると、さっきのとは別の布で身体を拭いてくれる。ゴシゴシとちょっと乱暴だけど、それがいかにもおにいさんらしくて、なんだか嬉しくなった。
そうしてサッパリすると、とたんに恥ずかしくなる。水浴びなんてもうずっとしていなかったから、汗で身体がベトベトなのも、汗くさいのも、すっかり慣れっこになっていた。それが恥ずかしいし、なにより、おにいさんに裸を見られているのが恥ずかしかった。
そんなわたしの心を読んだみたいに、おにいさんは、机の上に置いていたそれを手に取った。
「見ろ、これが何だか分かるか」
「…………っ! わたしの服!」
「おっと、これを返してやるわけにはいかんな」
「……どうするの?」
おにいさんは、悪だくみをするような顔をするけれど、もう見た目どおりの悪い人ではないと、わたしは知っている。それなのに、
「なに、簡単なことだ。捨ててやるんだ。こんなふうにな」
魔法でわたしの服を燃やしてしまったときには、ほんとうにビックリしたし、裏切れたと思って「ひどい、わたしの服が……」なんて言ってしまった。
――そんなこと、あるわけないのに。
「ずいぶんと大切にしていたようだな。だが、お前にはもう服を選ぶ自由も無いと知れ。ほら、これがお前の服だ」
と言って着せてくれたのは、まっしろな、きれいな服だった。それは、わたしが着ていた服とはくらべものにならない。
そもそも、大切にしたくして、そうしていたわけじゃない。それしか着る物がなかったから、しょうがなく着ていただけだ。袖や襟はすり切れていたし、あちこち穴が空いていて冬は寒い。色だって黄ばんでいたし、あちこち汚れたしみついて変色していた。それを見るたび、悲しい思いがこみあげてきた。
そんな服を、おにいさんは燃やしてくれた。そんなの忘れちゃえって言うみたいに。
(この人は、いったいどうして、こんなに優しくしてくれるんだろう)
ふとした疑問が頭をよぎる。こんなことをして、何か得があるんだろうかって。けれども、ある顔が頭に浮かんで、そんな疑問はかき消された。
思い出したのは、お母さんの顔だ。病気になってみるみる痩せていって、起きあがれなくなってそのまま
意地悪そうにわたしを見るおにいさんの目は、どういうわけか、お母さんの瞳にそっくりなのだ。
「こんな……こんなことって……」
気がつけば、わたしは膝をついて、胸からこみあげてくる熱い何かを必死に堪えていた。それは、鼻の奥をツンとつき抜けて、あたまをじんじん痺れさせた。
涙がにじんで、視界がぼんやりかすむ。
自分が泣きそうになっているのだと気づいて、おどろいた。お母さんがいなくなってから毎日たいへんで、泣くことも忘れていたから。そうやって必死に生きていくうちに、涙なんてすっかり干上がってしまったのだと思っていたから。
「おっと、そこで寝るつもりか? それは許さん。お前なんぞ、畜生同然の寝床が似つかわしい」
おにいさんは部屋の片隅を指さした。いつのまにか――わたしが泣くのをこらえている間に準備したのだろうか――そこには藁束のベッドができていた。それがわたしの寝床だと言う。ちゃんとした寝床で寝ることができるなど、いつぶりだろう。
気が付くと、わたしは肩をしゃくりあげて泣いていた。床に座り込んで、せっかくの服が濡れるのもかまわずに、えんえんと泣いた。
「チッ、グズめ。さっさとしないか」
そんなわたしを、おにいさんは優しくベッドへ運んでくれた。藁束のベッドはふわりと身体を受け止めて、ときどきチクチクするけれども、あたたかい。
もうこれ以上出しようがないと思っていた涙が、いっそうはげしく流れ出す。
「ありがどう”……」
えぐえぐえずきながら、なんとかお礼を絞りだしたつもりだけど、ちゃんと伝わらなかったかもしれない。瞼は重くって、身体はくたくたで、今にも眠ってしまいそうだったから。
おだやかな眠りに身を任せる直前。
「くっくっく、地獄へようこそ」
そんなやさしい声が聞こえた気がした。
これにていち段落です。
お付き合い、ありがとうございました。
酷い話が増えることを願って!