初めて見る顔だった。彼のあんな表情は。
「エーデルガルトおおおおお!!!」
天帝の剣を振るい、一直線にこちらに向かってくる。
私達の学級の新任教師。私の
聖墓の中、敵味方入り乱れる戦場を同級のカスパルが抉じ開け、ベルナデッタの弓が障害を倒す。近くにいるはずのヒューベルトはリンハルトの魔法を抑えることに手を取られて私の守りには来れない。
見事な連携。彼が育てた
きっとそう、他ならぬ師が育てたのだから。みんな本当に強くなった。
私も育てられたのだ。この一年の間で自分でも驚くほどの成長を実感した。
もっと彼の下にいたい。そんな気持ちさえ生まれたくらい、師と一緒にいたかった。
──いつまでも拘るな
──もう敵になったのだから
──未練がましく師などと呼ぶな
飛び掛かってくる彼を視界の中央に捉える。剣が振り上げられ、私に向かって落ちてくる。
斧を握る手に力を籠める。
迷うな。
臆するな。
私は、負けるわけにはいかないのよ!
「ベレトおおおおお!!!」
振り上げた私の斧と、振り下ろされた彼の剣が真っ向からぶつかる。
戦場に響く甲高い音が、私達の決定的な決裂の証に思えた。
至近距離で見る彼の顔は、やはり見たことない表情。日頃はもちろん、戦場でもこんなに激する彼を知らない。無感情かと見紛うほどに薄い表情しかしない彼がこうも感情を乱したのは、父ジェラルトと死別した時、そしてその仇を討つために戦った時くらいか。
私がさせているのか。
こんな怒りとも、悲しみともつかない、苦しそうな顔を、私が?
それもいいでしょう。最後に貴方に刻めるものがあるのなら、それも悪くないわ。
この人を相手に出し惜しみする余裕はない。忌まわしい紋章の力も含めて、使える物は全て使わなければ勝てない。最大の障害となる彼を越えなければ勝利はないのだから。
斧と剣の競り合いに持ち込む。素の力に紋章による増幅を加えれば、膂力は私の方が上。押し込んで一気に主導権を握るために仕掛けようとした時、堪え切れないという風に彼が口を開いた。
「それが、君の道なのか!」
「!?」
何を……何を言うの?
「これが、君のやりたいことなのか!」
今この場で口にすることじゃないでしょう?
「この道を進んで、後悔はないのか!?」
今さらそんなこと聞かれてもどう答えればいいの?
だって私には他に道はなかった。選びようがなかったもの。あの闇の中で積み重ねられた憎悪は消えることなく私の心に刻み込まれた。ずっと聞こえるの、止まるな、許すな、って。腕を押さえる枷の感触を忘れたことは一日だってなかった。私の体を弄り回したあいつらの声はすぐにでも思い出せる。あの時の誓いを、私は絶対に忘れない。この思いが胸にある限り、私に他の道は意味を為さないの。学校に通ったのも表面上は大人しく学生をやっているように見せるだけのごっこ遊びでしかなくて。たしかに温かさは感じた。ずっとこの時が続けばいいのにと思ったりもした。でも無理なのよ。振り払おうとしても離れてくれなくて、耳を澄まさなくても聞こえてくるのは──
『エーデルガルト』
──師の声。
ああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!
うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさい!!!!!
「黙れえええ!!!」
「っ……!」
「私は歩き出した! もう止まれないの! もう戻れない! もう、あなたと、いっしょにはいられないのよ!」
斧を振るう。無我夢中だった。何も考えられない、考えたくない!
体が自然に動くままに戦う。意識するより先に彼が教えてくれた技が勝手に繰り出される。
「このためだけに力を注いできた! 何年もかけて準備してきた! 私にとって、ここから始まる戦いこそが全て! 我が覇道の前に立ち塞がる者は、誰であろうと容赦しない!」
例え貴方であっても──咆哮と共に振り下ろした斧は紙一重でかわされて聖墓の床石を砕いた。
動きを止めてはいけない。全力の一撃で私の体は流れてしまっている。この隙を見逃すような彼ではない。こんな時は大きく動いた勢いを殺さず、とにかく先に足を置いて踏み締めるのが大事だと彼が教えてくれた。
ほら、ちゃんと間に合った。彼の剣を余裕を持って防げた。そのまま柄から滑らせて剣を流し、逆にこちらから踏み込んで腹部を肘で打つ。武器を持ったままでもできる格闘術は学級の全員が教わったの。
もちろん受け止められる。でもそこからさらに踏み込んで、仰々しい鎧の肩当をぶつければ気勢を削げられる。格上と戦う時はどんな些細なやり方でもいいから主導権を奪えと教わったのを覚えてる。
当てる瞬間、嫌な予感に身を捩ったと同時に彼の膝蹴りが飛んできた。鳩尾に食らえば鎧越しでも一溜りもない。脇腹に刺さる膝に押されて距離が開くと、詰まりそうな息を無理やり吐く。ダメージを敵に見せるな。そんな弱さは教わっていない。
だめだ……何をしても、何を見ても、何を考えても、いつも彼が脳裏に浮かぶ。
刻み込まれたのは私の方。憎悪よりもっと奥、私の一番深いところに。
ずっと寄り添っているかのように。
『斧か……あんなに速く動けるなんて、すごいな』
──やめろ
『また会ったな』
『改めて、俺はベレト。これからは君達の担任だ』
──やめろやめろやめろ
『それだけ力がある君は戦闘力は問題ない』
『差し当たって身に付けるべきは戦術よりも戦略、広い視点の考え方かな』
──もうやめてこれ以上は
『エーデルガルトは頭が良いな、理解が早い』
『視点を切り替えて考えるのって難しいはずなんだけど』
『俺が父さんから教わった時は苦労したよ』
──受け止められない
『女の身で斧を使うのって珍しいよな』
『じゃあ一つ、斧の柄を握る位置をあえてずらして振ってみろ』
『普通の振り方と同じでも動きのリズムが変わって相手の虚を突けるんだ』
──思い出で胸が詰まって
『いいぞエーデルガルト、その動きだ』
『その感覚を忘れるな、今君が掴んだものは大切な力になる』
『黒鷲の学級の勝ちだ、おめでとう』
──止まってしまう
『ああ、これか? 初めての給料で茶葉を買ってみたんだ』
『エーデルガルト達貴族と話していくなら、俺も茶のことを覚えないと』
『教えてくれるのか? ありがとう、助かるよ』
──私がずっと欲しかったものを
『いつも朝早くから来て、エーデルガルトはえらいな』
『級長だとしてもえらいよ』
『当たり前だと思ってても他人には難しいことだってある、自信を持っていい』
──こんなにもくれる貴方に
『その紋章……君も俺と同じ模様を?』
『俺にエーデルガルトの気持ちが分かるとは言えないけど』
『話してくれてありがとう。それだけは言っておくよ』
──私は何も返せないのに
『エーデルガルトか。いや、食堂が閉まってて何も食べられなくてさ』
『小テストの内容を考えてたらこんな時間になってて』
『いいのか、このお菓子もらって? 助かるよ、何かお礼するから』
『あ、明日テストあることはみんなには内緒な』
──もっと欲しくなってしまうじゃない
『エーデルガルト、約束通りお礼しに来た』
『昨日言っただろ、助かったからお礼するって』
『たしかにここは教室だけど、それがどうかしたか?』
『……なんでみんな集まってるんだ?』
──ねえ、師
『ああ、エーデルガルトか……』
『父さんが、まさか死ぬなんて……』
『傭兵だった時から覚悟してたつもりだったけど、いざそうなると、な』
『君の言う通りだ。俺がするべきことを忘れちゃいけない』
『ありがとうエーデルガルト。君にはいつも助けられる』
──私が
『髪と目の色が変わっても自分では分からないな』
『だって自分では見えないし、変わった感覚もないし』
『目が強張ってるぞ。どうしたんだ?』
『どんな理由でも、力を手に入れたなら上手く使いこなしたい』
『エーデルガルトも頼ってくれていいんだからな』
──私と
『さっきの演習でカスパルにいい一撃を入れてたな、あれはよかった』
『ドロテアから茶の淹れ方を教わったんだ、君に振舞いたいけど今から時間あるかな』
『大丈夫か、フェルディナントと喧嘩していたようだけど……』
『すまない、リンハルトを見かけなかったか? 今日の昼寝は書庫じゃないみたいなんだ』
『この後はペトラと組んで騎乗練習だよな。張り切ってるから教えてあげてくれ』
『戻るついでにベルナデッタにこれを渡してくれないか? 俺ではあの子の部屋に入れないから』
『君と話す時によくヒューベルトが俺の死角に入るけど、あれは気にしない方がいいのか?』
──私を
『流石だな、エーデルガルト』
『エーデルガルトは俺をよく見てるんだな』
『エーデルガルトの担任として俺も頑張るよ』
『エーデルガルトならこれを選ぶと思った』
『俺もエーデルガルトに負けてられないな』
『エーデルガルト、ちょっといいか』
『やっぱりエーデルガルトはすごいよ』
『エーデルガルトと』
『エーデルガルトは』
『エーデルガルト』
「たすけて……せん、せい……」
「ああ、もちろんだ」
彼が
笑った気がした
気が付くと、私は倒れていた。
何があったのか覚えていない。戦いの最中だというのに意識が飛んでいたのか。
うつ伏せに倒れる私の前に彼が立っている。息は荒く、お互いの呼吸音が静かな空間に響いているのが分かる。
静かな? 戦場だった聖墓が静けさを取り戻している?
そう……私だけじゃない、帝国軍が負けたのね。士官学校の学級に正規の軍が敗北したとあっては、負けるべくして負けたということかしら。
「結局……私は、貴方に勝てないままなのね……」
思えば授業で模擬戦をする時も、私は一度も彼に勝てなかった。生徒相手だからと手加減する彼に何度挑んでも負けてばかりで。
確かに傭兵として生きてきた彼と実力差はあって当然だけど、どうして一本も取れなかったのだろう。
遊びでしかない学校生活だったけど、訓練は真面目にやってきたつもりなのに。
「初めて会った時……」
ポツリと、彼が口を開く。
「君が斧を振る姿が凄かったから、ずっと考えていたんだ」
どういうこと?
「どうすれば斧を上手く使えるか、敵になった時にどう戦えばいいか、君の姿を想像していつも頭の中で考えていたから……そのおかげだと思う」
……何よそれ。
以前ドロテアから聞いたことがある。歌劇や物語で定番の場面の一つとして、男性が女性に向けて「君のことを考えていた」と告げる展開は王道なのだと。
まるでその場面の再現みたいな言葉なのに、内容のせいでこれほどまで色気のないやり取りになってしまうなんて。
それでも、彼が私のことをいつも考えていてくれたという事実だけで、こんなにも嬉しく思ってしまう私がいる。
覇道の第一歩として挑んだ戦いに負けて、今まさに命を失おうとしている局面なのに、どうしてこんな気持ちになるのかしら。
何かを言いたくなった。返事をしなければと思った。
ズキズキと痛む体を何とか起こして彼を見上げると……近付いてくる一人の女が見える。
「よくやりましたね。流石です、ベレト」
大司教レア。セイロス教団の要にして……私の最大の敵。
まるで彼にすり寄るように、侍るように近くに立つその姿に苛立つ。
──やめろ、その目をやめなさい、そんな目で彼を見るな!
──そんな浅ましい目で、私の師を見るんじゃない!
ああ、まただ。
この期に及んで未練がましい。
何が私の師だ。そんなこと言える資格なんか私にはもうないのに。
睨む私をレアが見下ろしてくる。一瞬前とは別人のように冷たい表情。普段の慈悲深い聖女としての顔はなく、私を見る目には敵と言うより害虫を眺めるような嫌悪があった。
「残念ですよ、エーデルガルト。フレスベルグの末裔である貴女が聖教会を裏切るとは……」
抜け抜けと……! 裏切るも何も、先に教団が……神を騙る貴女達がやってきたことのせいで、私が何をされてきたか知りもしないで!
お前達のような者がいるから、フォドラは理不尽に痛みを押し付けられる人が生まれるのよ!
それでも敗北した私には何も言う権利はない。
「ベレト、エーデルガルトを斬りなさい。今すぐに」
それが私の末路。
「この者はフォドラの災厄。主は、この叛徒が生き続けることを決して許しません」
ここまで、ね……無念だわ。
ごめんなさいヒューベルト。私の道はここで終わりよ。
あんなに準備してきたのに、これからようやく始められるはずだったのに、先に逝くわ。
でも、最期に引導を渡してくれるのが彼なら、幾らか悪くない終わりかもしれない。
レアの前だというところは癪だけれど、彼の手で殺されるのなら少しは──
「主とやらじゃなくて、あんたが気に入らないだけだろ」
──え?
「勘違いしないでくれ。俺は雇われてるだけであんたの手先になった覚えはない」
そう言い放ち、彼はこちらに近付いてくる。
私のすぐ前で振り返って、まるで私を守るかのようにレアと向かい合って。
「あ……貴方は、何を……!?」
困惑したレアの声が聞こえるけど気にならない。見上げた視界いっぱいに映る彼の姿が意識を占める。
その時見た光景を、私は一生忘れない。
彼の背中を。
彼の言葉を。
彼の──
「俺はエーデルガルトの先生だ」
「先生とは、生徒を守り、教え、時に諭し、手を差し出すことが役目だ」
「その俺に彼女を斬れと言うのなら……あんたが俺の敵だ」
「俺がするべきなのはエーデルガルトを守ること。それが俺の道だ」
──師の道を。
あの戦闘と直後の選択場面での脳内イメージを表現したものがこちらになります。
風花雪月にハマりそうです。スイッチ持ってないけど他人のプレイ動画見ただけで衝動が抑え切れず書いてしまいました。内容もよく分かってないのに書いたので、ゲームと違うところがあっても許してください。
とりあえずパソコンの辞書ツールに師と書いてせんせいと読むよう登録しました。