意外に思われるかもしれないが、シルヴァンの朝はとても早い。
日頃から女遊びを繰り返し、ゴーティエ家の放蕩息子などと呼ばれる彼の生活態度がだらしないと評されるのは、仕方ないと言えば仕方ないことかもしれない。
そうして遊び耽る姿を幼馴染に咎められた回数は枚挙に暇がないのだが、不思議なことに士官学校における彼の成績は決して悪いものではなく、勉学や訓練に注ぐ時間が並の生徒より明らかに少ないにも関わらず常に平均以上、それどころか十分に優秀と言える結果を出していた。
それは、純粋な才能の差。
生まれついてゴーティエの紋章をその身に宿し、ファーガス有数の大貴族としての教育を受け、幼い頃から花開いた才覚を磨き続けてきた。
紛れもない彼自身の力である。
その才気煥発な能力に加えて容姿端麗と来れば、時代に名を刻む麒麟児として期待を寄せられるのは当然というもの。
シルヴァン=ジョゼ=ゴーティエにかかる重圧が減ることはなかった。
いずれは領地を治め、北方のスレンの民の侵略からフォドラと王家を守る大貴族、ゴーティエ家の当主になることは決まっている。
英雄の遺産を操って抑止力となるために紋章を持つことは不可欠だし、何より現在のゴーティエには彼の他に嫡子がいない。
士官学校を卒業して領地に帰れば、いよいよ本格的に家督を継ぐ動きが始まるだろう。
そんなシルヴァンにとって学校で過ごすこの一年間は、彼に与えられた最後の余暇と言ってもいいものだ。
余すことなく満喫したいと考えるのは当然だし、致命的な問題にさえ発展させなければある程度の『遊び』は家からは目を瞑ってもらえることになっている。
そういう確証くらいなければ、幼い頃から彼に大貴族としての厳しい教育を施してきたゴーティエ現当主である父親が、遠く離れたガルグ=マクと言えど息子の放蕩を看過するわけがない。少なくとも節に一度は実家に報告が行っているはずなのに何もないということはつまりそういうことなのだろう。
学校に向かう直前、ほんのり、遠回しに、多少のお目こぼしを願うことを匂わせる挨拶を告げたシルヴァンに、特に反対せず送り出してくれた父には感謝している。息子の放蕩ぶりを黙認してくれているのを見るに、あの人も思うところがあったのかもしれない。
話が長くなってしまったが、要するにシルヴァンにとっては士官学校で一人の生徒でいられる今の時間は羽を伸ばせる最後の期間なのだ。
そんな大切な期間を惰眠で浪費してしまうなど勿体ないにも程がある。少しくらい睡眠時間を絞ってでも思い切り遊ばなければと考えるのは自然なことだった。
(まあ、面倒臭いことから逃げるって意味合いもあると言えばあるけどさ)
音を立てないよう胸中で呟くに留めて、部屋のドアをそっと閉める。足音が響かないよう忍び足で寮の廊下を歩いた。
昨夜お邪魔した女子生徒の部屋を去る今は早朝も早朝。翠雨の節も半ばを過ぎて夜明けが早く、朝日で空が白み始める今は朝食を支度する勤め人もまだほとんど起きておらず、夜を徹して警備する衛兵くらいしかまともに動いている人はない。
先ほど退室した部屋で幸せそうに眠る女子は昨日一緒に遊んだだけの関係だ。その日限りということをお互い納得して割り切ったお付き合いができると後腐れがなくて大変ありがたい。翌日と、それ以降の生活に支障が出ない方がいいのだから。
しかしながら女子が全員そう考えるわけではなく、中にはしつこく関係を迫ってくる者もいる。恋仲になったと勘違いするくらいならまだ可愛いもので、のぼせ上がるあまりゴーティエ家と繋がりができたと吹聴された時は閉口した。
誤解を解こうと自力で処理できればいいのだが、そういう時に限ってイングリットやフェリクスには早々に気付かれてあれやこれやと小言をもらう羽目になってしまうのだ。
自分はただ、日々を楽しく過ごしたいだけなのに。
せめて自室の隣部屋のディミトリにはできる限り手を煩わせずにいさせてあげようと思い、遊ぶ時にはこうしてわざわざ相手の女の子の下に足を運ぶことにしている。何しろうちの大将と言ったら、ほら、繊細で、その……あれだ、初心だし。
それでなくても自室である二階角部屋の真下は寮の監督教師が住んでいるのだ。その真上で必要以上に物音を立てるほどシルヴァンは愚かではない。
故にこうして誰も起きていない早朝に、抜き足差し足忍び足──
「シルヴァン」
「っ!! って、先生じゃないですか。驚かさないでくださいよ」
背後からかけられた声に、思わず叫びそうになった。なんとか堪えて振り返ると、そこにいたのはベレト。
今し方考えた監督教師のお出ましであった。
「女子寮からの帰りか?」
「そんなとこです。先生、このことは……」
「分かってる、誰にも言わない。刃傷沙汰にでもならない限り他人が口出しすることではないだろう」
「やだなあ、そんな事態にはならないように気を付けてますって。他の人に迷惑をかけないなんて当たり前でしょう」
「今日はシルヴァンが怪我してなくてよかった」
「ああ、俺も含んでるんですか……でも、それで俺が殴られたりとかしたら、それは自業自得ってやつでして」
「怪我に大小の差はない。学級が違っても君は生徒で俺は教師だ。身を案じるくらいはする。この間も女子に殴られて顔が腫れてたじゃないか」
「まあ、あの時に先生がライブをかけてくれたおかげで他の奴に気付かれずに済みましたよ。ありがとうございます」
静かな廊下に響かないように普段より声を抑えてベレトと話しながら、並んで廊下を歩く。
正直なところ、シルヴァンはベレトのことが苦手だ。
自身を狙う女子は元より、
そんなところに加わってきたベレトは明らかな異物だった。
まず、全然笑わない。それどころか表情が全く変わらない。当初はまるで感情がないのではと恐れる者もいたくらいで、平坦な声色と、若さとは裏腹に泰然とした態度のせいで取っつきにくいと感じていた生徒も少なくなかった。
ほぼ同年代だとは聞いているが、本人も含めて彼の正確な歳が分からないし出自も分からない。傭兵としてフォドラ各地を転々としてきたそうだが、詳しい経歴だって不明だ。
これだけ分からないこと尽くめなくせに、人柄は誠実で、職務に対してとても真面目に取り組んでいる。個性的な生徒達から信頼を得られたのは、正面から向かい合うその姿勢が理由だろう。
特にシルヴァンが近付くのを早々に諦めたあのベルナデッタを、教師になってから一節も経たない内に授業に参加させた手腕は瞠目に値する。引き籠りの彼女に如何なる心境の変化をもたらしたのか。
また、その能力にも驚かされる。
対抗戦の劇的とも言える内容は見学位置にいたシルヴァンも見ていた。直接戦う個の戦力として見ても、軍を指揮する一団の長として見ても、彼が飛び抜けた力の持ち主なのは明らかだ。
後にセテスが公表した【壊刃】ジェラルトの息子だという背景も、聞いてすぐ納得できてしまったほどだ。周囲の不満を抑えるための後押しだとしても違和感はない。
ディミトリをああも手玉に取ったことも驚きだし、あれ以来放課後になるとフェリクスもイングリットもよくベレトに手合わせを挑んでは、その度に返り討ちに遭っているというのだから大したものである。
更に、つい先日行われたカトリーヌ相手の模擬戦は、彼の実力をより多くの人間に知らしめた。
そして肝心の指導も、これまた優秀だと判明している。
あれもこれもと手を広げたりしない質実な内容でありながら、随所に傭兵らしさを織り交ぜて飽きを感じさせない変化も含み、彼の授業の評価は高い。
ただ、その授業内容は教えてくれなかったが……顔を引きつらせて視線を彷徨わせる姿から聞き出そうとは思えなかったので詳しいことはシルヴァンも知らない。
このように、傭兵という荒くれ者の出自だとは信じられないくらい、ベレトは教師の役職に順応していた。
──まるでこのためにあつらえたかのように。
そんなベレトのことを、言葉を飾らずに言ってしまえばシルヴァンは不気味に思っているのだ。
極め付けなのは、彼が炎の紋章の持ち主(かの解放王ネメシスが持ったと言われてから他に確認されていないとハンネマンが興奮気味に語っていた)だという特別な存在であることが一番引っかかる。
紋章を持っていて、なのに紋章に縛られず自由に生きてきて、紋章に依らない力を評価されていて、紋章に関係なく一人の人間として慕われていて。
ああ……この人が紋章持ちでさえなければもう少し穏やかな目で見れたのに。
何故彼ほどの自由人に、よりにもよって紋章などという忌まわしい代物が宿っているのか。そうでありながらどうして何の因縁もなく気ままに生きてこれて、あまつさえその姿を目の当たりにしなければいけないのか。
生まれた瞬間から続くこの呪いを疎ましく思うシルヴァンにとって、ベレトの存在は複雑極まりないものだった。
優秀で。
人気者で。
紋章を持っていて。
なのにどうして俺は縛られていて、あんたはそんなにも自由なんだ。
先日怪我を治してもらった時、身勝手だと自覚していながら苛立ちと憎しみをぶつけたというのに、こうして平然とシルヴァンに話しかけてくるベレトのことが分からなくて、彼を前にするとどうしても落ち着かない気持ちになってしまう。
(この人に何か問題があるわけでもない、むしろいい人だってのは分かるんだが……ったく、本当に紋章ってやつはどうにもうっとうしいもんだぜ)
「それでシルヴァン」
「ん、ああはいはい、何ですか?」
内心でつらつらと考えながら適当に口を動かしていたシルヴァンは、ベレトが話題を変えたことを察して意識を戻した。
「話したいことがある。放課後に時間を取れないか?」
「ありゃ、話って何です? まさか女の子が苦情を申し出てきた、とかそんなんじゃないですよね。俺はローレンツの野郎とは違ってその辺の処理は気を遣ってるつもりなんですが」
「そうではない。課題のことだ」
課題──ベレトが口にした言葉に、どうしても胸がざわついた。
「それは……うちの馬鹿兄貴の件で、何かありました?」
「そのことで相談したい。だが朝はシルヴァンにもやることがあるだろう。だから放課後だ」
「放課後ですか。うーん、女の子との約束もあるし、どうかな~」
「今君と約束している女子は三人。二人は茶会を、一人は街に出かけて買い物をすることになっている。だがいつするかは誰も決めてないだろう」
「………………なんで知ってるんですか?」
「調べた。頼み事をする手前、相手の邪魔をするわけにはいかないから都合に合わせられるように事前に調査しておくのは、交渉ではよくやることだ」
(怖っ!! この人怖っ!! え、何、傭兵ってこういうことも得意なのか? こういうのも自然とできちゃうようになるものなのか!? 怖えよ先生!!)
胸のざわつきなんて一瞬で吹き飛ぶ衝撃を受けて、シルヴァンは顔を引きつらせて仰け反った。
今ベレトが言ったことは全て事実である。先ほどの部屋のとは別の女子三人と遊ぶ約束をしているが、どれも日時は定めておらず順番待ちをさせているところだ。
一体どうやって調べたのか……気にはなるがとても聞く気になれず押し黙る。
表情を変えずにこちらをじーっと見てくるベレトを見返しても状況は変わらない。彼は交渉と言ったが、まるで弱みを握られて脅迫されてる気分である。
この辺りは流石傭兵と言うべきか、目的のためなら手段は選ばない。いや、ベレトが何か非道な手を使ったとかいう証拠はないのだけれども。
イングリットやフェリクスに詰め寄られる時とは違う緊張を感じてしまう……こうなったら面倒な話はさっさと済ませてしまおう。
「……んじゃまあいいです放課後で」
「助かる。今日の授業が終わったら青獅子の学級に顔を出すよ」
了承を得られたベレトはちょうど差し掛かった階段に向かう。その背中へ向けて、シルヴァンは歩きながら感じていた疑問を投げかけた。
「そういや先生はこんなに朝早くから何やってたんですか?」
「散歩だ」
「へえ、あんたほどの色男も一人で──」
「女の子と一緒に」
「はい?」
「それじゃあシルヴァン、また放課後」
まさかの返事が来て聞き返すも、ベレトは階段を降り始めている。
背中越しに投げかけられた言葉を最後にその姿は見えなくなっていった。
「……エーデルガルトとかと会ってたってことか?」
大修道院の中でもとりわけ仲が良いと評判の生徒と、人目をはばかるように早朝に会うなどまるで逢瀬のようではないか。
いやでもベレトはそういうことをしそうな雰囲気ってないよな……あの人変に真面目だし、生徒を贔屓したり、ましてや立場を使って手を出すなんてしないだろ……そもそも女に興味あるかどうかすら怪しいし、俺の趣味も否定はしなかったけど肯定もしてないし……
(本当に、よく分かんねえ人だな)
そして時は放課後。
言った通り、青獅子の学級に顔を出したベレトに呼ばれたのでシルヴァンは彼についていく。
担任のハンネマンや学校責任者のセテスではなく、あのベレトからの呼び出しということで一時教室内に激震が走った──あなた今度は何をやらかしたの!?、お前なあ別学級の先生の手を煩わせるな、阿呆めいよいよ年貢の納め時か、お仕置き軽いといいね、頃合いを見て迎えに行きましょうか~、ええとあれってそういうことなんですかね、……俺は知らん──こともあって少々時間を取られたが、無事に出られてベレトの後を歩いた。
みんなひっでえよなあ、と暢気に笑いながらしばらく歩いて食堂近くの庭園に辿り着くと、その一角のテーブルに茶会の用意がしてあることに気付く。
迷いなく促すベレトを見るに、これは彼が予め準備してくれたものらしい。
座って、という言葉に従って席に着き、紅茶を注ぐベレトの手付きを眺める。シルヴァンの目から見てもえらく上等な茶器を使っているが、傭兵だった彼がこんなものを持っていたのだろうか。
「どうぞ」
「ありがとうございます。お、今気付いたけどこれベルガモットティーじゃないですか。俺の好みだって知ってました?」
「イングリットから聞いた。君はこの紅茶を好むのだと。俺が持っている茶葉の中にあってよかった」
「へえ、あいつから。そんな話いつしたんです?」
「放課後に訓練所で手合わせした時、合間の休憩中に少し。俺が最近紅茶の勉強中だという話になって、自分の好きな紅茶と併せて教えてくれた」
「イングリットのやつも、貴族らしい色気のある話をしてるんだな。あいつなら飯の話しかしなさそうなのに」
「よく分かったな。紅茶の話はそれだけで、いつも話すのはその日の夕飯のことだ」
「ははっ、やっぱりか。あいつは色気より食い気ですからね……最近っていうと、茶葉も茶器も買ったばかりですか。なかなか奮発しましたね。このカップとかかなりいいものでしょう」
「いや、茶葉はそうだが、茶器はエーデルガルトからの借り物だ」
「えぇ!? あの皇女様から借りて? じゃあこれ皇室の茶器か。えらいもん借りましたね先生。俺が使ってよかったのかな」
「彼女に指摘されるまで茶葉を買うことしか頭になくてな。道具は食堂から借りればいいと考えていたんだが、それではいけないと教えてくれたんだ。その時に、俺に次の給料が入って自前のを買えるまでと言って貸してくれた」
「ふーん……」
別に食堂から借りてもいいのでは、と思うシルヴァンは手に持つカップを見る。
帝国の皇女から私物であるティーセット一式を貸してもらえる傭兵……傭兵って何だっけ?
こうして茶会で使っているところを見る者が見れば傭兵だったベレトが持つには不釣り合いに思うし、話題にすれば彼も借り物だという事情を隠さず話す。自然とエーデルガルトが目にかけていることがうかがえる。
貴族階級の最上層にいると言っても過言ではないエーデルガルトが、そうまでしてベレトと繋がりを作ったのだと周囲に知らしめる目的は、恐らく牽制。
(殿下、言っちゃなんですが、先生との関係はかなり先を行かれてますよ)
将来的にはベレトを王国へ招きたい──そう語っていた幼馴染の意気込む顔を思い浮かべてシルヴァンは乾いた笑いを漏らした。
今の時点でエーデルガルトが相当なリードを奪っているこの現状、ディミトリの勝機は薄いと言わざるを得ない。
そうして言葉を交わしつつ、紅茶を二口、三口飲んだ辺りでベレトが改めて向き直る。釣られてシルヴァンも姿勢を正した。
「それで、本題に入るんだが」
「ええ。課題のことだとは聞きましたけど、俺にできることなんてあります?」
「率直に言うと、課題協力として今節は黒鷲の学級の課題に同行してほしいんだ」
「……それこそ俺にできることなんてありますかね」
黒鷲の学級が受ける今節の課題、その内容は確かにシルヴァンにも関わりがあるが、別学級の自分にできることなど思い当たらなかったのでそう返す。
英雄の遺産、破裂の槍を奪還せよ──それが黒鷲の学級に出された課題である。
ファーガス神聖王国の北方、フォドラ最北に位置する領地のゴーティエ家。そこに代々伝わる英雄の遺産が破裂の槍である。
その破裂の槍が、マイクランという賊に盗まれたのだ。
ゴーティエ家は恐らく今のフォドラで英雄の遺産を最も実用している貴族であり、その力を存分に知らしめているからこそ北の守りとして存在感を示していられる。
そのゴーティエ家に破裂の槍がないと知られたらどうなるか……無論抱えている騎士団も大貴族らしく鍛えられてはいるが、英雄の遺産の有無はそれ以上に大きな影響をもたらす。
守りの要が大きく力を減じていると明らかになれば、北方のスレン族に脅かされることになる。これは冗談抜きでフォドラの危機なのだ。
折しも西方教会の粛清のためにセイロス騎士団の主力が出払っており、ゴーティエ家から協力を要請された教団もすぐには動けなかった。英雄の遺産を相手にするということは──例えその真価を引き出せなくても──それだけ慎重にならざるを得ない事態なのである。
それでも手をこまねいているわけにはいけない。そこで白羽の矢が立ったのがベレト。破裂の槍に対抗できる武器、天帝の剣を操れると判明した彼をおいて他にない。
残している騎士団の中から選ばれた精鋭を付き添わせて、今節の黒鷲の学級の課題として賊の征討が言い渡されたのだ。
ところで青獅子の学級のシルヴァンが黒鷲の学級の課題に行けるのか、行っていいのかという疑問があるかもしれないが、問題なく行ける。士官学校には課題協力という制度があるのだ。教師と生徒の合意があれば、その節は本来の学級の課題の代わりに別の学級の課題へ参加することが認められる。
こうしてベレトが話を持ち掛けてそれに同意すれば、シルヴァンは一時的に黒鷲の学級へ加わって課題に協力することができる。できるが……この課題に、今さらシルヴァンが手を出す余地があるのだろうか。
「俺が、ゴーティエだから……ですか?」
実家の問題なのだからお前が動け、とでも言いたいのか。ゴーティエ家の跡取りなのだから尻拭いは自分でやれ、と。
薄く嗤うシルヴァンの態度に頓着せず、ベレトは表情を変えないまま言う。
「君がシルヴァンだからだ」
「……そりゃあ、どういうことです?」
「賊の頭目マイクランは君の兄だ。俺はもちろん知らないし、黒鷲の学級でもエーデルガルトや一部の生徒が名前だけ知っていたくらいだった。だが君はマイクランを直接知ってるだろう。彼がどんな人間か、性格や実力、行動の傾向が俺達より分かっている。討伐対象の情報を事前に調べるのはよくやることだ」
朝会った時にシルヴァンを説得(説得? 脅迫?)したのと同じように、事に当たる前に可能な限り情報を集めてから動こうというのか。
マイクランはゴーティエ家の元嫡子である。紋章を持たずに生まれ、後から生まれたシルヴァンが紋章を持っていたから、それまでの嫡子としての待遇も権利も全て奪われ、三年前に廃嫡された人物だ。
つまりマイクランはシルヴァンの実の兄なのである。なるほど、少なくともガルグ=マクにおいてシルヴァン以上にマイクランを知る人間はいないだろう。敵の人となり、考えの傾向、実力、知ると知らないでは対応は大きく変わる。
しかし、それなら話を聞けばいいだけで課題に付き添う必要はない。この場でシルヴァンから聞き出すだけで事足りるはずだ。
視線で促されたと感じたのか、ベレトは続けて口を開く。
「二つ目の理由として、君に行軍の補助をしてほしい。今は賊の活動領域から拠点を割り出そうと騎士団が調査しているところだが、ファーガスの東から中央部にかけて、ガラテア領とフラルダリウス領の中間に当たりを付けて調べていると報告があったそうだ。そこに行くまで道中の案内役も頼みたい」
軍事行動において、敵とぶつかる戦闘の他に、あるいはそれ以上に重要なのが目的地に辿り着くまでの過程、即ち行軍である。
戦いに勝つ以前に、そもそも戦いに臨めなければ勝ちも負けもない。できるだけ自軍を消耗させずに戦場に連れていけなければ、どれだけ戦力を備えていようが意味がないのだ。
「幸い今の季節は夏。雪中行軍の心配はしなくていいが、雨の多い今の時期に山を越えて王国に立ち入れば環境は大きく変わる。黒鷲の学級の中でもファーガスに訪れたことのある生徒は少なくて、環境の変化が与える影響は大きいだろう。そこで君のように土地勘があって慣れた者が同行してくれれば色々と助かる」
その辺の助言も頼みたい、と語ってベレトは言葉を止めた。
シルヴァンは考える。
一応、話の筋は通っていると思う。担任教師として、課題のために可能な限り事前に情報を集めること、生徒が十全に動けるように道中を補佐すること、そのために自分にできる範囲で動くベレトは立派な教師と言えよう。
──気に入らない。
まだ若く、教師の任も不慣れなことが多いだろうに、大したものである。流石はかの【壊刃】の秘蔵っ子と言うべきか。その薫陶を受けた人間は紋章に関係なく優秀だと?
英雄の遺産を下賜されたばかりで背負う期待も増しているはずだ。解放王ネメシス以来、誰も操ることの叶わなかった天帝の剣。かかる重圧は破裂の槍の比ではないだろうに。やはり無感情故に何も感じていない?
(ああ、くそっ、またこんなこと考えて……俺らしくもねえ)
胸に湧いたその苛立ちを隠すよう、努めて明るい態度を装ってシルヴァンは言う。
「すいません、協力はお断りします」
「……」
「聞きたいことがあるなら答えますけど、俺が行く理由にはなりません。道中の補佐も、遠征に慣れたセイロス騎士団が付き添うんでしょう? その中にだってファーガス出身の奴がいるでしょうし、ますます俺が行く理由がありませんよ」
黙ったままのベレトに向かって拒否を伝えた。
シルヴァンとしても気にならないわけではない。兄が王国内を騒がせている事態、その解決をベレト達他人に任せることになる現状に思うところは大有りだ。
しかし、自分が今さらマイクランと顔を合わせてどうなると言うのか。
お強い先生が解決してくれるなら俺が骨を折る理由はないでしょ、と若干捨て鉢な思考が彼の中にはあったのだ。
カップに残る紅茶を飲み干して席を立つ。するとベレトが声を発した。
「待てシルヴァン」
「何ですか、課題協力は今断ったでしょう?」
「三つ目の理由をまだ説明してない」
「……まだ他にあったんですか?」
「言葉を選んでいたら話すのが止まってしまった。すまない」
まさかの理由にシルヴァンは呆けた顔をしてしまう。それまで整然と話していたとは思えないベレトの言葉に驚き、実は彼も緊張しているのかと少し納得もした。
仕方なく、上げた腰を戻す。
「……」
「どうしました?」
「……上手く説明できるか分からないが」
「? まあとにかく聞くので、どうぞ」
「俺はいつか父さんに勝つつもりだ」
「はい?」
いきなり話が飛んだように思えてシルヴァンは困惑する。ここに来て何故ジェラルトのことが出てくるのか。
「手合わせして一本取るか、俺にしかできない何らかの証を立てるか、どういう形になるかは分からないが、いつか父さんを超えるつもりでいる。そう考えるようになったのは最近のことだが」
「それは、まあ、一般的な親孝行の一種じゃないですかね」
親の背中を超える、というのは子供にできる恩返しの一つとして定番だろう。普通の平民の場合は手に職を付けて親を安心させる人が大半だし、傭兵のベレトからすれば、父を超える強さを身に着けたのだとはっきり示すことがそれと同じに当たると予想できる。
だが、その話を今する意味とは?
「先日、騎士の間で君と話した時、俺に『頼む』と言ったな。マイクランは血を分けた家族だと」
「……ええ」
「その時から思っていたが、もしかしてシルヴァンはマイクランを助けたいと考えてないか?」
その言葉は、雷鳴の如き衝撃でシルヴァンの耳に突き刺さった。
自分の顔が強張るのが分かる。
「助けるとまでいかなくても、一度身柄を預かって対話くらいは、そんな風に考えてないか」
「っは……ははは、何言ってるんですか先生、奴はもう大罪人ですよ? そんなの無理に決まってるでしょう」
「そうだ。課題に従えば賊は捕縛せず討伐する。マイクランもその場で殺すことになるだろう。そうなればもう君に会うことはない」
淡々と言葉を連ねるベレトの向かいで、シルヴァンは頬を震わせる。
何を言っている。
何が言いたい。
この人は俺をどうしたい。
頭がくらくらするような焦燥が生まれ、知らず、拳を握り締めていた。
「紋章の必要性と、貴族の慣習については調べた。マイクランが廃嫡されるまでの経緯もおおよそ想像できた。だがシルヴァンとしては彼をそこまで嫌ってない、それよりも君の態度から推察できたのは、現状の貴族制度のせいで生まれた紋章至上主義への嫌悪と、兄に対する申し訳なさ」
「いや、いやいや、どうして先生がそんなことまで」
「あくまで俺の推察だ……が、その態度を見るとそれほど間違ってるわけではないようだな」
「っ……じゃあ何ですかい、俺にあいつを赦せって言うんですか」
「君は優しい人だ。嫌な思いをさせられてもマイクランを嫌い切れてない」
「だったら俺はどうすりゃよかったんだよ!!」
抑え切れず、シルヴァンは叫んでいた。拳を叩き付けたテーブルが揺れ、空になったカップがソーサーの上で甲高い音を響かせた。
あまりにもらしくない自分の態度への困惑、押し殺せていたはずの憎悪、内心を引きずり出したベレトへの苛立ち、ない交ぜになった感情のままに目の前を睨む。
ああそうさ。俺は嫌だったよ。紋章を持つ種馬扱いされる自分の立場が。貴族の地位欲しさに群がってくる女共が。
けど仕方ないだろ。俺は紋章を持って生まれちまった。持ってしまったなら紋章をなかったことにはできない。ゴーティエの紋章がある事実を無視できない。
じゃあ受け入れるしかないじゃないか。貴族の家に生まれて、貴族の中で生きて、そんな俺が他の道を選べるわけないじゃないか。
紋章を持って生まれた俺が、紋章を持って生まれたというだけの理由で兄上から全てを奪ってしまった俺が、今さら奴を差し置いてどの面下げて声を上げられるってんだよ。
そりゃ嫌な思いをさせられたさ。殴る蹴るの暴行は当たり前。井戸に落とされて酷い風邪を引いた。遠乗りに付き合わされたら落馬させられて馬の群れに踏まれて死にかけた。雪山に置き去りにされた時はもうだめかと思った。
それでも、俺は紋章を持っているから、仕方ないんだ。俺はそういう立場に生まれたから、仕方ないんだ。
そうやって自分に言い聞かせて。せめて少しでも楽しくやっていこうと女の子相手に軽い遊びも見つけられて。先に見えるお役目もどうにか受け入れられそうになってきたってのに。
よりにもよってあんたが。
紋章を持っていながら何にも縛られず自由に生きてきたあんたが。
そんなこと言うんじゃねえよ!
「俺に何ができたってんだ、あぁ!?」
「分からない。ゴーティエ家の事情も、君達兄弟の関係も俺は知らないから」
そんなシルヴァンの激情を受け流して、ベレトは静かな口調を変えない。
「ただ言えるのは、君がマイクランと対峙できるのは、これが最後の機会だということだ。シルヴァンが兄に対して思うことを清算できるのは、今回を逃せばこの先はないと思う」
静かな口調と目線は、ただシルヴァンに向けられている。
こちらの苛立ちに引きずられず、ずっと真摯なまま。
「大修道院に来て短いながらも俺は学んだことがある。人は人と関わることでしか変わらないし、人と交わることでしか成長できないということだ」
今までは傭兵団の中という閉じた環境しか知らず、それ以外の世界から隔絶されて生きてきたベレトは、ジェラルトの薫陶を受けて一角の戦士として成長してきたが、それは非常に偏った成長だった。
事実、人付き合いが酷く限定された生活は彼の心を育てる機会を絞り、大修道院に来たばかりの頃は感情がないのではと陰口を言われるくらい無機質な態度が目立っていた。生徒と触れ合う中で徐々に人柄が知れ渡り、当初よりもその態度はずっと柔らかいものになってきたが、それとて自然に変わったわけではなく多くの人々と積極的に交流することで起きた変化である。
拙い自分の交流ですら、こうも大きく変わることができたのだ。
シルヴァンのように才気に溢れる若者が、その捨て鉢な態度の原因となった人物と向かい合い、一部でも感情を清算することができれば、それは彼をどれほど成長させてくれるだろうか。
そしてシルヴァンのような快活な人物がここまで心に溜め込んでしまった理由。
「君は真面目な人だ」
「……っ!!」
「誰かが努めなければならない役目があって、自分にしかその資格がないと知って、放棄することができなかった。逃げようと思えば逃げられたかもしれないけど、そうすることで生じる負担を他人に背負わせることを容認できなかった。シルヴァンは、優しいんだな」
真面目……日頃のシルヴァンの生活態度を知る者からは決して出ることはなかった評価を、まさか知り合ってからさほど経たないベレトから受けるとは思わず、胸が詰まる。
落ち着け、抑えろ、感情的になるな──激する頭の隅に追いやられた冷静さがシルヴァンに語り掛けた。
怒鳴ったところでどうにもならない。ベレトに当たり散らしたところで現状は変わらない。自分は貴族で、紋章を持っていて、その血の価値をよく知っている。
そうだ、よく知っている。この上なく理解している。だからこそ慎重に振る舞ってきたんじゃないか。普段から周囲の誰もがなるほどこいつはそういう奴なのかと納得できるように『軽薄な放蕩息子』を演じてきたんだ。
それは今のところ上手くいっている。幼馴染も含めた周囲の人達はみんなシルヴァン=ジョゼ=ゴーティエのことをだらしない奴だと認識している。それでいい。立場を嫌がる無邪気さなんて自分には許されないのだから、今後も同じようにずっと……今後も?
テーブルに叩き付けた拳からはいつの間にか力が抜けていた。上げた視線とぶつかるのは、変わらずこちらを見つめるベレトの目。
(なるほどね……)
表情を変えず真っ直ぐに自分を見つめてくるベレトを見て、シルヴァンは少しだけ納得した。
ベレトは傭兵で、その職務に忠実な人だ。教師となった彼は平民だろうが貴族だろうが関係なく厳しい指導で生徒を鍛えてると聞く。誰が相手でも仕事には手を抜かない真面目な性格だ。
生徒相手であればベレトは快く指導に応える。ディミトリを始めとして、他学級であっても彼は生徒の教育をできる限り受け持とうとするのだ。
そんなベレトからすれば、賊の身に堕ちたマイクランを討つこの課題はシルヴァンの精神を成長させる絶好の機会に見えたのだ。
それはあまりにも心無い判断かもしれない。関係を詳しく知らずとも、兄弟を戦わせるような采配は非情と思われても仕方ない。だが、シルヴァンの心の内を知り、抱えた鬱屈を解消させるには普通ではない強烈な刺激が有効だと考えたのだろう。
この歪みを抱えたまま、これから先もずっと兄への蟠りを押し殺したまま卒業し、家督を継ぐことになってしまえば、自分はこの先一生『これ』を押し殺して生きていくことになる。
それは……ある種の地獄ではないか?
(いずれは清算しなきゃいけなかったことか……その機会が今やってきた、と)
もはやシルヴァン自身が認めてしまっている。
この征討、協力しない理由がない。ゴーティエ家の者としてだけでなく、シルヴァンという個人にとっても他人事ではないのだ。
「……いいですよ。課題協力、一緒に行ってあげますよ先生」
はっきりと口に出して宣言する。兄を討つこの任務に自分も参加するのだという決意表明だ。
「ああ、ありがとうシルヴァン」
「それと……さっきは大きな声を出して、すみませんでした」
「構わない。交渉の場で大声が出るのは珍しいことじゃない」
「それも傭兵としての経験則ですか?」
「そうだ。主に交渉を進めるのは父さんだったが、そういう時にも相手に釣られず落ち着いて対応するのだと学んだ」
「なるほどね。俺もこの席で学ばせてもらいましたよ」
力なく背もたれに寄りかかり空を見上げる。中庭から見える空は修道院の壁に遮られていて狭く、それでも雲の多さが雨季の到来を感じさせた。
雨が多くなればファーガスは余計に冷え込む。夏とは思えない寒さの中を行くことになるだろう。それに同行する自分を意識して、シルヴァンは覚悟を決めた。
「討伐部隊の中に俺がいるのを見たら……兄上、どんな顔するんでしょうね」
「俺はマイクランを知らないから何とも言えないが、そうだな……どうせなら、うんと驚かせてやればいい。紋章に関係なく兄を超えたのだと教えてやれ」
簡単に言うなあ、とベレトの言に笑って応える。
こうして黒鷲の学級の課題協力に参加することになったシルヴァンは、複雑な胸中を噛み殺して同行した末に兄が率いる盗賊団の征討に臨む。
その際に見たもの、経験したものは、彼の人生を大きく変える教訓としてその胸に刻まれることとなった。
「ところで先生。さっきジェラルトさんの話をしたの、あれ何だったんですか?」
「ん?」
「え?」
「……」
「……」
「……ああ、そうか。えっと、つまり、俺が父さんを超えたいと思うように、シルヴァンが兄のマイクランを超えようとするなら、本人と直接向かい合えるこの機会を逃すともうできないぞ、という話をしたかった、んだと思う」
「……その
「なかったかもしれないな」
「……」
「……」
「……」
「……すまない。余計なことを言ってややこしくしたか」
「ああいや、別に責めてるわけじゃ。先生にも苦手なことがあるんだなって」
「得意とは言えないだろう。シルヴァンのように会話上手な人は尊敬する」
「ははっ、そりゃどうも。なんなら会話の練習ついでに今度先生も一緒にナンパしに行きます? 女の子と話すと楽しいですよ」
「女の子と話すのなら、俺は普段エーデルガルトとよく話すぞ」
「……皇女様を女の子と言える先生を尊敬しますわ」
一見軽薄なお調子者でも深い闇を抱えている子って放っておけないんですよね。辛い過去に挫けず抗う子がツボですけど、シルヴァンみたいになあなあでやるしかないんだと諦めてしまった子をそんなことはないんだと励ましたい。本作ではベレトを通じて彼にも未来をよくしてほしいです。
作者の活動報告に載せた後書き