公式に先を越されるとは……おのれスマブラ。さすがスマブラ。
『というわけで、今節の課題に協力してくれることになった、
『みなさんどうもー、シルヴァン=ジョゼ=ゴーティエでーす。よろしくー』
そう言っていつもの無表情で紹介するベレトと、正反対に朗らかな笑顔で挨拶するシルヴァン。並ぶ二人を見て、
既に生徒達に知れ渡っているように、課題の征討で狙う相手はシルヴァンの兄マイクランであり、その課題によりにもよって実の弟であるシルヴァンを同行させるというえげつない判断をしたベレトへの戦慄だったり。
肉親と戦うという辛い状況にも挫けず貴族としての責務を果たさんと、むしろ肉親だからこそけじめをつけようと名乗り出たシルヴァンへの尊敬だったり。
ベレトの狙いを察し、協力してくれるシルヴァンのおかげで、この課題に良い成果を出せそうだと思う期待だったり。
まあ、様々である。
今節はシルヴァンがこちらの課題に協力するということで、青獅子の学級の担任であるハンネマンに断りの挨拶をしに行くと、ベレトならば問題なかろうと、そしてシルヴァンにも後悔がないように動きたまえと激励をくれた。
同じく青獅子の学級の生徒達にも話を通しておこうと二人連れ立って教室に訪れると、ベレトが誘い出した時とは打って変わってみんながシルヴァンを案じてくれた。最終的にはシルヴァンが自分で決めたのだという意思が伝わり、その背中を押してくれた。みんな良い子だね。
さて、こうして黒鷲の学級に協力することになったシルヴァンだが、いつものように女の子と仲良くなろうとかする暇もなくすぐに課題に向けて動くこととなった。
何しろ本当に時間がないのである。
多忙で動けないゴーティエ辺境伯に代わり、フラルダリウス家の当主ロドリグがガルグ=マクを訪れた。件の賊、マイクランの根城がフラルダリウス領にあると突き止められたので、ゴーティエ家だけの問題ではないとして領主である彼自らが英雄の遺産奪還の依頼をしに来たのだ。
ロドリグによってもたらされた情報を元にして派兵の編成が始まる。セイロス騎士団の部隊もそうだが、中心となる黒鷲の学級も急き立てられて動いた。生徒が動員されることはロドリグもここで初めて知ったようだが。
そんなわけで、その少ない時間で黒鷲の学級と一緒になって動くシルヴァンは、戦闘時の動きを確認し合ったり対マイクラン戦を見越して相談する他、市場で香辛料、それも辛い味付けに使うものを人数分買っておくように助言した。
食料品の手配などは騎士団に頼めばいいのでは、という疑問にシルヴァンが笑いながら教えたのは、なんとその香辛料を靴の中に仕込むことだった。
ガルグ=マクを出発して、ファーガス神聖王国に向かう一行。
季節は夏真っ盛りのはずなのに、分厚い雲が日差しを遮り、雨に濡れた地面を進む道中は奇妙なほど寒く、山を下りて王国に立ち入ってからもその行程は体を冷やすものだった。
しっかりと上着に身を包む生徒達の歩みも寒さのせいで鈍る……かと思われたが、その足取りは軽快で騎士団の人達を驚かせた。
シルヴァンの助言に従って靴の中に香辛料を仕込んだおかげで、足元からポカポカと温まったのだ。足先がかじかんだりしなければ歩みは快調そのもので、彼らの行軍は極めて順調なものとなっていた。
軽快な歩行によって行軍は順調に進み、目標である賊の根城コナン塔には予想してあった日付よりも丸一日早く辿り着いたのである。
一体これは何なのか。
何を見せられているのか。
先ほどからシルヴァンは目を疑う思いだった。
「カスパル、フェルディナント、合図があるまで前進!! リンハルト、回復魔法準備!!」
「いくぜいくぜいくぜえええええ!!」
「貴族の力を思い知るがいい!」
「はいはい、準備しますよ」
コナン塔に乗り込んだ一行はそこに巣食う盗賊団と会敵し、戦闘に入った。
生徒が中心になって動き、それを補佐する騎士団の助けもあって次々に打ち破り、ついには最も高い塔の上層部まで敵を追い詰めることができた。
「ペトラ、ベルナデッタ、正面の敵後方にメイジが複数、曲射の間合いに入り次第撃て!!」
「了解、撃ちます!」
「ぴゃあああああこっち来ないでええええ!!」
当初ぶつかった盗賊は騎士団の想定以上に手強く、地の利を生かして騎士団を足止めしてくるなど賢しさも垣間見せる動きが特徴だった。
そこで入れ替わって黒鷲の学級──ベレトが指揮する生徒達が前に出たことで戦況は一変。敵の動き方を先読みしたような彼の采配と、十全に応える生徒の戦闘で盗賊団を見る見るうちに追い詰めていく。
「ドロテア、正面向かって右側上方の高台、潜んでる敵アーチャーに向けてサンダーを、十二秒後!!」
「は、はい!」
相手方の布陣、次の動き方、伏兵が潜む位置、何もかもがベレトの目には詳らかなのか。それを可能とするのは数多の戦闘経験、鍛えられた感覚、さながら慧眼とでも呼ぶべき洞察力か。
シルヴァンとて戦場に出た経験はある。侵攻してくるスレン族を撃退する父の出兵に付き添ったこともある身としては、経験があるからこそベレトの指揮は異常なほど的確だと感じた。
「ヒューベルト、今フェルディナントが戦っている位置へスライムβを撃ち込む準備を!! 三十秒以内に合図する!!」
「望むところですよ……!」
言うなれば、戦場の支配。
ベレトは難しいことを言っているのではない。生徒の力量に合わせた、無理のないレベルの行動を指示している。おかしいのは指示の内容が詳し過ぎることと余裕があり過ぎることだ。
いや、余裕があること自体はいい。余裕を持って動き出せればそれだけ動きの質は上がる。心構えもできるし、咄嗟の反撃にも対応しやすくなるだろう。
だが彼の指示は余裕があり過ぎる。指示を出すのが早過ぎるのではと思うのだが、敵が型に嵌ったように動いてベレトの指示に従う生徒と示し合わせたみたいにぶつかるのだ。
「エーデルガルト、傭兵団を二つに分けて左右から進撃!! 退いた前衛を追う敵を挟撃して乱戦に持ち込め!!」
「分かったわ! レンバス殿は左から、私は右から行きます!」
「おうよ! 野郎共、お嬢に続けえ!」
「「「おおおお!!」」」
中には少し込み入った指示もあって、ベレトが生徒を平坦に見ているわけではないと分かるし、彼が場に即した判断をしているのも理解できる。
ベレトに付く副官の立場で参戦するシルヴァンはそういった光景を引いた位置から見えていたので、尚更その指揮の異常さが感じ取れた。
こと戦闘における機微を読む力、先読みの感覚はもはや未来視と言っても過言ではなく、ベレトの指揮官としての知謀を感じたシルヴァンは密かに背筋を震わせた。
敵の間合いの把握、攻撃の予兆の察知、それらに合わせた自軍の動かし方、どれを取っても真似できる者はフォドラにはいまい。
いるとすれば、彼の父であり師である【壊刃】ジェラルトくらいか。
進軍に食らいつき、後衛に迫ろうとする討ち漏らしを倒すシルヴァンは感心が止まらなかった。
しかし、そんな巧みな指揮を以てしても、塔の上層まで追い込めてからの彼らの進軍は遅々としたものだった。
「っ! ギルベルト殿、防御!!」
「はい! みなの者、生徒を守れ!」
危険を察知したベレトの指示により、セイロス騎士団の精鋭ギルベルトの配下である盾兵が進み出て生徒達を上から覆うように大盾を構えた。
直後、降り注ぐ矢の雨。大量の矢が盾と床石に当たる硬質な音が響き、勢いづこうとした進軍を止めたのだ。
これは何度か繰り返された光景である。
(兄上も流石だな。地の利を生かしてる)
こちらが勢いづいて一気に進軍しようとしたちょうどその時に、狙いすましたように高台から弓矢の一斉射が襲い掛かるのだ。盗賊側の指揮官が自軍の劣勢を察し、敵側が調子づこうとする機先を制する見事な采配で足を止めてくるのである。
そんな指示を出せるのは盗賊の頭目、曲がりなりにも大貴族としての教育を受けて育ち、これだけの規模の盗賊団をまとめ上げたマイクランを置いて他はない。
元は異民族の侵略に向けて建造されたこのコナン塔は要塞としては特殊な造りをしている。内部は例え侵入されても守り切るための独特の設計になっているのだ。
敵に優位を保つため、塔の中にまた塔が建つように大きな高台があり、螺旋状の坂道を上ることでしか最上層まで攻め入れない。高台は急角度の絶壁によって守られていて、坂道を進む敵を上から一方的に弓で攻撃できる。
侵略してくる異民族相手でも最後の最後まで戦い、フォドラを守る決意を形にした特殊な砦は、今やフォドラの内患を抱える病巣にも等しくなったのは皮肉なものである。
このままでは進軍が覚束ない。防衛の際はこうして矢の雨を降らせると決めて、そのための訓練などもしていたのだろう敵の動きは慣れたものであり、いずれ綻びが出るとかの隙は望めそうにない。
いくら防御に優れたギルベルトの部隊がいるとは言え、長く脅威に晒されていれば綻びが出るのはこちらだ。上空から一方的に撃たれるがままでは駆け引きのしようもない。
故に。
その脅威を排除しようとベレトが考えるのは自然な流れだった。
「……エーデルガルト!」
「何、
「しばらく離れる!」
「了解!」
指揮官でもある担任教師が戦いの最中に場を離れることを一方的に告げられ、説明もないのに反論もなく一瞬で了解を返す級長。
二人のやり取りにシルヴァンは目を剥いた。ベレトは何をするつもりなのか。
ヒューベルトら他の生徒にも指示を出し終えたベレトは素早く駆け寄ってくる。その手にはいつの間にか天帝の剣が握られていた。
ついに彼が直接動くのか。だが、まだ敵の本陣が見えないこの場で英雄の遺産を抜く意味が分からず、シルヴァンは訝しげな目を向ける。
「シルヴァン、君は右翼の警戒に当たれ。側面の伏兵からドロテアを守るんだ」
「分かりましたけど、先生はどうするんです? 離れるって言ってましたけど……」
「上を少し片付けてくる」
「はい?」
ちょっとそこまで、とばかりに軽く言われた内容をすぐには飲み込めず聞き返したシルヴァンに背を向けると、ベレトは高速で走り出した。
その向かう先を見て思わず静止の声をかけたシルヴァンはおかしくないだろう。
「ちょ、どこ行くんですかあんた!」
ベレトが向かったのは高台、そのそびえ立つ絶壁。
まさか……あの壁を駆け上がる気か? どれだけの高さがあると思ってる? よじ登るにしても途中で矢の雨に撃たれるに決まってるじゃないか!
驚愕したシルヴァンの前で壁に辿り着いたベレトは勢いのままに壁を駆け上がる。本当にそのまま上り始めた姿に唖然としてしまうが、すぐに勢いは弱まって進めなくなった。
そこから落下するようなことにはならず、体が完全に止まってしまう前にベレトは壁を蹴って飛ぶと、空中で天帝の剣を構え──振り上げた。
「……なんだありゃあ」
呆けたように言葉を漏らすシルヴァンが見たものは、彼の人生観を変える光景だったのだ。
天帝の剣は、英雄の遺産の中でも群を抜いて強力なもの──そうレアから説明されて実際にどんなものか試しはしたものの、使えば使うほど、振れば振るほど、天帝の剣や英雄の遺産のことを知れば知るほど、とてもではないがこの剣がそんなにも強大な力を持っているとはベレトにはどうしても思えなかった。
幸いにも英雄の遺産は世に広く知られた武具であり、調べようと思えばどんなものなのかは調べることができた。こういう時、大修道院の豊富な蔵書がありがたい。
そうして調べていけば、どの英雄の遺産にもその武勇に相応しい逸話が多数あると知れた。
例えば、ファーガス王家が受け継ぐアラドヴァル。
今は亡きランベール王によって振るわれたその魔槍は、ブレーダッドの紋章による剛力も相まって絶大な威力を発揮したという。
戦場で一度その穂先が輝けば、大地は穿たれ、巨岩をも断ち割り、一振りされただけで敵の一部隊が丸ごと薙ぎ払われたという話まである。
純粋な攻撃力を比べれば、天帝の剣では到底敵うまい。
例えば、リーガン家が保有するフェイルノート。
弦を引けばつがえた矢を光で包み、放たれた閃光が遥か彼方を討つ魔弓。担い手に風の加護を与え、迫る脅威の悉くを狂わせ逸らしてしまう、さながら気ままに虚空を舞う悪戯な妖精の如し。
遠方からでも届かせる攻撃性能は言うに及ばず、使うだけで防御にも不足無しと、その利便性も天帝の剣の上を行くと言えよう。
カトリーヌが使う雷霆。ゴーティエ家が管理する破裂の槍。調べられたり直接見てきた英雄の遺産を思えば、どれもこれも攻撃力は明らかに天帝の剣を越えている。
さて、これは一体どういうことか?
レアがああも断言するからには何かしらの根拠があっての発言なのだろうが……
秘めたる力があって唯振るだけでは不足、ということならもはや考えようがない。捕れぬ鹿の角算用、狩れぬ熊は肉も無し、である。ないものねだりする趣味はない。
となれば、剣の使い方に問題があるのか。一介の傭兵として生きてきたベレトは、傭兵ならではの型に捉われない発想で自分なりに使い方を模索した。
天帝の剣という初めて手にした英雄の遺産。
蛇腹剣という初めて知った武器。
先入観はむしろ邪魔になるとばかりに、天帝の剣を剣ではない一個の装置として認識し、至った答えが──
ベレトがまず思ったのは反省。
(飛び過ぎた)
天井に足を着けるという平常ならざる体勢で、見上げる形で見下ろす彼の目には唖然としてこちらを見てくる賊の面々が映る。
その一角に向けて、ベレトは天井を蹴って飛び込んだ。
墜落と称してもよい速度で落下したベレトは着地と同時に二人の弓兵を斬り捨てると、迷いなく敵の只中を縦横無尽に駆け回った。
「な、何だこいつ!?」
「くそ、殺せ! たった一人だぞ!」
「は、はや、ぐぁ!」
「ちくしょ、来る、っがぁ!」
遥か崖下から単独で、文字通り飛んできた悪魔によって、盗賊団は一気に混乱させられた。
有利な状況で始まった戦闘。セイロス騎士団相手にも優位を保ち、自分達の力は通用している、フォドラ最強と名高い騎士団と渡り合えているのだと手応えを感じかけた矢先である。
一際若い部隊が踊り出たかと思えばじりじりと戦線を押し上げてきた。苛立って矢を浴びせかけたというのに効果は薄く、焦りが顔を覗かせたその時。
黒い影が、空を舞った。
圧倒的優位の理由である絶壁を一息で飛び越え、塔の天井にまで舞い上がったその影が盗賊達にもたらしたのは恐怖の二文字。
空を飛ぶという人の身ならざる動きを見せたベレトの姿は、盗賊の目には人のものとは映らなかったのだ。
「っふ!」
己が呼気すらも置き去りにして、高台を駆けるベレトは疾風と化した。
僅かな踏み出しで最高速に達する急加速。慣性の法則に逆らう鋭角の方向転換。高速移動を一足で抑える急停止。そのどれもを可能とする強靭な肉体が、敵の攻撃を悉く回避せしめる奇跡の体捌きを実現する。
それだけなら驚異的であっても人間の動きだが、そこに加えられた一つの要素が彼を人外の挙動へと至らせた。
敵の攻撃をかわしつつ、ベレトは手に持つ天帝の剣を思い切り石畳に叩きつけた。鈍らな得物ならそれだけで折れてしまいそうな衝撃に天帝の剣はその蛇腹の刀身をたわませると、紋章の力が剣としての形を支えようとする効果によって生まれた反発力で持ち手の体を空高く打ち上げた。
それは跳躍ではなく飛翔。家屋さえも飛び越えられそうな高みへ身を踊らせ、彼は次なる動きへと繋げる。
遠く離れた床に向けて天帝の剣を振るう。蛇腹剣の本領でもある刀身が伸びて剣先が床に突き刺さると、元の剣に戻ろうと縮むワイヤーに従って柄を握るベレトの体は空を飛んだ。滑空するその速さは彼自身の疾駆を超え、一筋の流星となって戦場を両断した。
英雄の遺産はただの武器に非ず。秘めたる強大な力は攻撃のためだけに非ず。
生まれる火力を反発力へと変え、担い手に超速の移動力を与える加速装置として。
さらには天帝の剣という蛇腹剣のワイヤーを活用して、縦方向の移動力を加味。
本人の卓越した身体能力を土台とすることで、ベレトは彼以外に為し得ない三次元的な立体機動戦闘を実現したのである。
──この時代、この世界において、一握りを除いて知る者はいない。同じ天帝の剣を握った解放王が、同じ戦法を用いて戦い大陸に覇を唱えんとしたことを。ある意味ではネメシスの再来とも言える光景が繰り広げられていることを。
今やベレトの高速移動に追いつける者は賊の中には一人もいなかった。防御は回避するに任せて、手に持つ得物は攻撃に専念させる。
天帝の剣は移動にも使うのでこれだけに頼っては手数に欠ける。そこで活躍するのはもう一つ。以前の死神騎士との戦いで折れた鉄の剣に代わり、新調した鋼の剣が逆の手で振り回される。
鉄製では持て余し気味だったベレトの力を乗せ、踊るような軽やかさとは裏腹に、鋼の重さを以て振るわれる新たな相棒が次々と敵を斬り払った。
(いい剣だな。父さんには感謝だ)
愛用していた鉄の剣が折れたことをジェラルトに相談したら、都合をつけて一振りを融通してくれたのだ。支給品だそうだが流石は天下のセイロス騎士団、良質な鋼で鍛えられた文句なしの逸品である。
鈍色と橙色。二条の剣閃が走る度に、ならず者は次々と倒れ、吹き飛ばされる。
両手の剣を止めることなく振り回して暴れ回るベレトは、戦場を蹂躙する人間大の小さな台風。
それは人為など及びようもない自然の脅威。傲慢な人間に罰を下すべく、神が遣わせた天の暴力を思わせた。
しかし、ベレトがここまで先行した目的は戦闘ではない。彼は障害を排除するために来たのだ。
高台を走り回りながら目標を捕捉。床に落ちた物。倒れた手に握られたままの物。今も自分に向けられている物。認識できた数だけでも十分だと判断したベレトは動き出す。
一際高く飛び上がった彼は虚空より高台を見渡す。天帝の剣の刀身を伸ばして振り被り、狙いを定めて振り回した。
「──破天」
呟きは言霊となって剣に力を宿らせる。
赤い残像を描く蛇腹剣は、無数の閃きとなって戦場を埋め、狙う目標──その場にある弓という弓を破壊し尽くした。
そもそもベレトが単独で高台に来たのは、生徒達の進軍を邪魔する敵の弓攻撃を何とかするためである。
弓兵を倒したところで弓そのものが残ったままでは別の敵が代わりを務めるだけ。ならば敵の武器こそ潰すべき。高台まで先行し、走り回って弓の数を確認したベレトはその全てを破壊すると決めた。
敵の数を減らしたのはあくまでついで。上空からの弓攻撃という障害を排除して、生徒の進軍を助けるためにこそベレトは一人先行したのだ。
そして、その目的を遂げたならこの場に留まる意味はない。
着地したベレトは即座に離脱を決めて走り出す。高台の縁から勢いよく空中へと飛び出して、天帝の剣を伸ばして剣先を壁に突き刺すと伸びたワイヤーで振り子のように移動しながら、下で進軍している生徒達と合流しに行った。
敗北。そんな言葉が彼らの脳裏を過ぎる。
たった一人の敵によって散々に蹂躙された盗賊達は、高台で右往左往するばかり。
指示を出すべき頭目も、今し方見せつけられた光景に呆然としてしまっていた。
「何なんだあれは……くそ!」
「か、頭、どうすんだよ。騎士団が……」
「うるせえ! ぼさっとしてんな! 動ける奴を集めて陣形を立て直すんだよ!」
すっかり怯えた部下に檄を飛ばす。
数分にも満たない僅かな時間で戦局が一変させられたことを、マイクランは理解せざるを得なかった。
高所という地の利を無視して高台に飛び込んできたあの戦士……黒い外套を翻して暴れ回るあの男の手に握られていたのは間違いなく英雄の遺産だ。あの剣が纏う光の色はよく知っている。忌々しい紋章の力、その発露の証。
だが、あのような剣の英雄の遺産はマイクランの知識になかった。セイロス騎士団所属の聖騎士だとは思えなかったが、奴は教団が秘蔵していた遺産を操る隠された戦力なのか。
戦いながら奴が浮かべていたのは紋章だ。見たことない模様だったが、そういう紋章に対応する遺産を持っているとしたらやはり教団だろう。
あの男は崖から姿を消したが、本隊に合流したならもう一度やってくる。その時こそ自分が相手をしなくては。英雄の遺産には、同じ英雄の遺産でなければ対抗できない。こういう時のために手にした力だ。
(そうだ。俺がやるんだ……勝って、生きる、生き延びてやる! こんなところで終わらねえぞ。俺の人生はようやく始まったんだ!)
手に持つ破裂の槍を握りしめる。
紋章が何だと言うのか。
そんなものがなかろうと、自分はこうして力を手に入れたのだ。
仲間を集め、配下を従え、遺産という強力な武器まで揃えられた。こんなところで終わらせてたまるか!
そうして意気を上げるマイクランに部下の一人が駆け寄ってくる。
「頭ぁ!」
「今度は何だ!」
「騎士団の奴ら、もう来やがった! 先頭のガキ共に高台まで押し込まれる!」
「あぁ!?」
報告内容に目を剥いた。
崖下の騎士団はまだ距離があったはずだ。あの男が高台を去ってから大して時間は経っていない。いくら何でも敵の進軍が速過ぎる!
まさか今までの戦闘は力を抑えていた? こちらを油断させるために、あえて進軍を遅らせて、高台にあの男を送り込んだ隙に一気に進めてきたのか。
(舐めやがって……!!)
マイクランは知らない。ベレトが高台へ飛び上がってすぐに、指揮を託されたエーデルガルトが即決で動き出したことを。
ベレトの動きを見て、彼が高台からの脅威である弓の一斉射を何とかしてくれると察したエーデルガルトは、この機を逃してはならないと学級の生徒達に全速前進を指示。上空からの足止めがなくなったことで一気に戦線を押し上げたのだ。
生徒達は比較的身軽だったこともあり、鈍重な盾兵のギルベルト達を振り切る速度で猛進した結果、戻ったベレトと合流した時には高台の目前まで坂道を進められていたのである。
そしてついに高台まで押し込まれた盗賊は生徒達と向かい合う。非常に若い集団に追い詰められたことに彼らは焦りを隠せずにいたが、そんな反応を置き去りにして再び事態は動かされる。
先ほど散々に引っ掻き回してきた黒衣の男、ベレトによって。
またも高く飛び上がったベレトが盗賊達の真上まで来ると、今度は自陣に向かって天帝の剣を伸ばす。そこから一人の生徒に巻き付かせて引っ張り上げて、なんと盗賊達の後ろ、高台の奥の方へぶん投げたのである。
「っだは!」
落とされた赤毛の生徒が転がる横で、ベレトが靴底を滑らせながら危なげなく着地する。そこは盗賊が構えた陣形の真後ろ、固めた守りを文字通り飛び越えて敵将の目の前に踊り出たのだ。
引き戻し、という技法がある。自分と隣り合う味方を、自分の立つ位置を中心にして反対方向へ移動させる戦技だ。
本来は混戦の中でも味方同士で立ち位置を調整させて次の連携に繋げるためのものだが、ベレトはこれを純粋な移動技として、それも前衛の盗賊という壁を飛び越えさせるための省略技として用いたのである。
自陣から敵の真上へと飛び出し、そこを基点にして伸ばした天帝の剣で味方を拾い上げ、自分と一緒になって敵を飛び越えて一気に陣深くまで侵入する。
こんな豪快な引き戻しの使い方など、フォドラの誰も見たことがない。
「っててて……先生、今のは流石にあんまりなんじゃ……」
「立てシルヴァン」
「あ、はい、そうですね」
荷物のような扱いに思わずといった調子で零れた文句に耳を貸さずベレトは振り返り、今し方飛び越えた盗賊達へ向き直る。せっかく構えた陣を無視されてしまい泡を食ってこちらに来る敵を留めるため。
「邪魔はさせない。後は君次第だ。行ってこい」
「はいはい……やってやりますよ」
そう言ってベレトと背中合わせになり、マイクランへと向かい合う赤毛の生徒、シルヴァンは鉄の槍を片手に構えを取る。
兄と弟。実に三年ぶりの邂逅であった。
「どうも、お久しぶりですね兄上」
「……何しに来やがった。紋章持ちの『お嬢さん』がよう……!」
「破裂の槍を取り戻しに来たのさ。尻拭いをさせられるこっちの身にもなってくれ」
苦々しく唸るマイクランに向けて、軽い調子でシルヴァンは言い返す。その顔に、廃嫡された兄に思う色は見えない。
お嬢さん。生まれた時から大切に扱われ、守られ、育てられてきた彼を貴族の令嬢に見立てて揶揄する蔑称を向けられても、反応することはなかった。
意外にも、シルヴァンは冷静だった。
こうして実際に顔を会わせても、自身の心が思ったほど波立たないことに驚いたくらいだ。
兄の声を聞いて胸に嫌な気持ちでも湧いてくるかと思いきや、脳裏に過去の思い出が過ぎるだけで心は十分落ち着いている。
マイクランを見る。目の前にいる兄。表情を歪め、弟を睨む目付き。顔に走る傷痕はスレン族撃退の任に追従した時の戦闘で負ったもの。かつては触れることすら許されなかった破裂の槍を手にした兄がいる。
(変わってねえな、この人……)
顔を見ることも足取りを追うこともできなかったマイクランを三年ぶりに見て、今から戦おうとしているにも関わらず、シルヴァンが抱いたのは安心にも近い感情だった。
対して自分はどうだろうか、と振り返る。
マイクランが廃嫡されて以降、シルヴァンにかかる重圧はさらに増し、教育も鍛錬も厳しくなっていった。手間がかかる『問題児』がいなくなったおかげでこちらに向かう期待が増えたのだろう。
そういった重圧も大変ではあったが、幼馴染達がいると思えば心の支えにもなって乗り切れた。マイクランによる隠れた虐待がなくなった分、体にも心にも余裕ができて健やかな成長ができたと言ってもいい。
紋章という形として分かりやすい才能もあったが、才能があった上に本人の努力も重なり、客観的に考えても周囲の期待に応えられるだけの力を身に付けたのは間違いない。
では、と己に問いかける──自分はマイクランをどう思っている?
ベレトに課題協力を持ち掛けられた時から、コナン塔に向かう道中も、シルヴァンはずっと考えていた。
幼少の頃から自分を虐げてきた嫌味な兄?
紋章などという理不尽な生まれの差によって人生を狂わされたことを思えば、マイクランはむしろ被害者だ。
ゴーティエ家の裏切り者?
嫡子として高度な教育を施しておきながら用済みと分かった途端冷遇されたのだから、この点でも彼は理不尽に見舞われている。
ああそうだ。どう考えようが、俺もあんたも紋章による被害者さ。生まれついた要素一つで振り回されて、周りから好き勝手言われて、散々な思いをさせられたよな。そういう意味では俺もあんたも同類だよ。あんたは絶対に認めないだろうけど。
「消えろよ……消えちまえよ! 貴様なんかがいるから、俺はぁ……!」
「いいかげん、その手の言葉は聞き飽きたぜ。ツケを払う時が来たんだよ」
互いに槍を構える。
殺意を露わにするマイクランと、明確な敵意を向けるシルヴァン。同じゴーティエの家に生まれ、最初に同じ環境で教えを受けたからか、二人の姿は非常に似通っていた。
兄弟らしい顔立ちはマイクランの大きな傷でも隠せないくらい似ており、髪の色も相まって、年齢差がなければ瓜二つだっただろう。
破裂の槍と鉄の槍という違いこそあれ、構えた槍の角度も、足にかける重心も、矛先を向ける姿は鏡写しのようだった。
そして二人は激突する。
「死ねよおお!!」
「兄上えええ!!」
突き込み。薙ぎ払い。かざして防御。脇を走り抜けて切り返し。
二人の槍を用いた戦いは、似通うが故に互角の様相だった。
破裂の槍は紋章を持たない人間にとっては仰々しいだけの槍である。マイクランが握っても力を発揮することはできず、逆に重く扱いづらい厄介な得物だ。しかし彼の鍛えられた槍術はその扱いづらい槍をものともせず、十全に振り回す技術は積み上げた確かな努力の証を思わせた。
対するシルヴァンはセイロス騎士団支給の鉄の槍を振るう。丈夫さはもちろん、軽く扱いやすい槍を使って立ち向かう彼は、何度衝突しても素早く構えを崩さず戦う。それは、士官学校の訓練をサボりがちでも薄れないほど鍛えた技が体に叩き込まれている証左だった。
それでも勢いで言えばマイクランが優勢か。苛立ち。憎しみ。負の感情を容赦なく叩き付けられるシルヴァンがじわりじわりと押されていく。
「貴様なんかがいるから悪いんだよ!!」
「づっ……!」
「俺が手にするはずだった全てを奪っておいて、どの面下げて生きてきた!! この悪魔が……! 貴様のせいで俺の人生は狂わされっぱなしだ、死んじまえよ!!」
止まない罵倒と攻撃をぶつけられてシルヴァンは顔を歪ませた。鍔迫り合いのように合わせた槍の柄で押され、徐々に立ち位置が下がっていく。
確かに、シルヴァンが生まれたことでマイクランの人生は狂っただろう。弟が生まれなければ、紋章を持った後継がいなければ、順当に成長した彼がゴーティエ家の当主となっていたはずだ。
その立場を奪った形になるシルヴァンを厭う気持ちは間違ったものではない。紋章というたった一つの要素で、それまでの全てを奪われたと感じるのはおかしくない。
そう思ったからこそシルヴァンも否定はしなかった。兄の怒りは正しいものだと思うから、彼からの虐待も罵声も受け入れてきた。仕方ないことだと。
だが──それはそれ、これはこれ、という言葉がある。
憎むのも責めるのもいい。それならそれでこっちも言いたいことがあるのだ。
「いつまでも、勝手なこと言ってんじゃねえ!!」
「っごぉ!?」
反転させた槍の柄尻でマイクランの横面を殴り払う。
「何が『狂わされた』だ!! 苦労したのが自分だけだとでも思ってるのか!? 俺だってなあ、あの家で大変だったんだぞ!!」
まさか口でも反撃されるとは思ってなかったのか、マイクランの動きが鈍り、今度はシルヴァンが逆に押し込んでいく。
溜め込んできた想いを、やり場のない気持ちを抱えてきたのは、お前だけではないのだと。
「紋章を持たないあんたには分からないだろうよ! 紋章を持つってのがどんな意味か、生まれついて何を背負わされるか、分からないよな! どうせ考えたこともないんだろ!」
「何を……」
「期待も、重圧も、責務も、大変なことを考えようともしないで、羨ましいことばかり気にして、担うべき責任に見向きもしなかったあんたが! 好き勝手言うな!!」
それはシルヴァンがずっと抱えてきたもの。
誰にも……幼馴染にさえ打ち明けられなかった、彼の鬱屈。
これをぶつけられるのは、同じ家に生まれ、同じ環境で育ち、たった一つの要素しか違いがない兄しかいないのだ。
「あんたは間違った! 戻れないところまで来ちまったんだよ! 覚悟しやがれ!」
「俺が間違ったと、貴様が言うか!? 全ての元凶である貴様が!!」
「ああ言うね! 言わせてもらうぜ! 俺に責任負っかぶせて逃げたあんたにゃ似合いの表現だろうが!」
「ふざけるなよ!! 散々家に守られて、ぬくぬくと甘やかされて育った貴様が! 俺が逃げたと言うのか!? 何もしないでされるがままだった貴様と違って、俺は自力で強くなった! 自分で生きる道を切り開いてきたんだ!!」
「それがお笑い種なんだよ! そんなに嫌ならさっさと出て行きゃよかったものを、ゴーティエに居座り続けたのはどこの誰だ!? 自分が守られてなかったとでも思ってんのか!? 人のせいにしてんじゃねえ、全部あんたが決めたことだろうが!!」
売り言葉に買い言葉。戦いに釣られて口でのやり取りも激化していった。
そもそもの話、どちらもゴーティエに拘り過ぎていたのだ。
ベレトが指摘したように、逃げようと思えば逃げられた。出奔し、貴族の責務を放棄して、紋章も何も関係ない平民のように生きる道だってあったはずだ。
シルヴァンは、それができなかった。一言「嫌だ」と言うこともしないで、お役目だからと受け入れて、真面目にこなしてしまった。
だがマイクランなら? 紋章を持たず、ゴーティエに囚われる理由なんてなかった兄なら、シルヴァンには選べなかった自由な生き方を選べたのではないか。
子供だった自分を庇護してもらえたシルヴァンならともかく、明らかな冷遇を受けて権利まで取り上げられたマイクランの場合、ゴーティエ家に居座り続ける義理などなかったはずだ。
シルヴァンが生まれた途端、それまで厚遇してきたマイクランを切り捨て冷遇してきた家を、逆にマイクランの方が切り捨てる選択もあっただろうに。
「それに、今さらあんたにかけてやれる温情なんてないぜ! あんたはもうやっちゃいけないことをやり過ぎた!」
続けて怒鳴りつけるのは、マイクランと盗賊団が引き起こした罪について。
ファーガスに生きる者なら一層痛ましく感じることを仕出かしてくれたのだから。
大修道院からの道中、コナン塔に辿り着くまでに近くの村を通り過ぎた。
酷い有様だった。家屋は倒れ、畑は荒らされ、惨劇に見舞われた村はとても満足に生活できる状態ではなかった。セイロス騎士団が通り過ぎたというのに村人は碌な反応も示さず、力ない眼差しで見送るだけ。盗賊団に襲われたことは明白である。
少し見れば分かる。夏の今あんな様子では、今年の冬は越せない。ディミトリが見たらさぞかし胸を痛めるであろう光景だった。
あんな真似をしておきながら被害者面して喚くなど、笑止千万。
マイクランがゴーティエ家の元嫡子ではなく、
ゴーティエを襲い、ファーガスを悩ませ、フォドラに危機を呼び込む逆賊相手に何故こんな考えになるのか、理由に気付いたシルヴァンは初めて自身の奥底にあった想いを知った。
──俺は、あんたのこと、嫌いじゃなかったよ。
──どこか、関係ないところでもいいから、生きていてほしかったんだよ。
それが己の偽らざる本心だったのだと。
「ガキの分際で、やるじゃあないか……!」
「そりゃどうも! 兄上こそ、結構なお手前で……!」
互いが槍を弾いた勢いで飛び退ると、にやりと笑うマイクランに向けてシルヴァンもにやりと笑い返す。
その顔は、言いたいことを言い合い、文句も不満も出し尽くして、さながら殴り合いの末に相手を認めて笑みを交わすような、奇妙な清々しさがある表情だった。
それは二人が初めてやった兄弟喧嘩という全力のぶつかり合いの果てに得られた、確かな絆だったのかもしれない。
この瞬間、今この時だけは、二人はただの兄弟だった。
血の繋がった者同士の戦いの最中であっても生まれて初めて真正面から向かい合えた気がして、シルヴァンは嬉しかった。
マイクランの方がどう思っていたか分からないが、表情を見る限りでは以前のような憎しみに染まった雰囲気はなく、この場だけは紋章による因縁を忘れられたように見えた、と思うのは願望が強すぎただろうか。
しかし、兄弟の決着を待たずして事態は動く。
「……っぐ!」
「兄上?」
「何だ……う、うわっ……!」
「槍が……?」
マイクランが握る破裂の槍が輝きを放つ。紋章を持たない彼の手の中で赤く輝き、嵌められた紋章石から溢れる『何か』が持ち主を襲う。
「く、くそ、何だよこれは! ぐ……あああああ!!」
「兄上!?」
手を覆い、腕を伝い、体を纏っていく『何か』に呑まれるマイクラン。
絶叫する兄を前にして困惑するシルヴァン。
悲劇が起こる。
* * *
あの後のことは、あえて詳しくは語るまい。
破裂の槍を使い続けたマイクランは紋章の力に侵食され、魔獣へと成り果てた。
その様子に怖れて逃げ惑う盗賊達を蹴散らした黒鷲の学級がベレトと合流し、困惑するシルヴァンと並んで戦って魔獣を撃破すると、力尽きて霧散した魔獣の中から現れたマイクランの死体と破裂の槍の前で一同はしばし立ち尽くす。
遅れて追いついたセイロス騎士団も遠くから見えていたようで、年嵩のギルベルトも初めて目の当たりにした事実──魔獣が人間から変じた存在だということ──に立ち往生するしかない中、破裂の槍を拾い上げたベレトによってようやく彼らは動き出すことができた。
その後、ガルグ=マクへと帰還したベレトは槍を持って謁見の間へ、レアの下へ向かう。教師として、担当学級の課題の報告のため。
「無事に帰りましたね、ベレト」
「ただ今戻りました」
「難しい課題を達成し、見事、英雄の遺産を取り戻してくれたこと、感謝します」
「生徒がいればこそです。特に
「ええ、生徒達の活躍もギルベルトを通じて聞き及んでおります。ですが貴方も、私の期待した以上に天帝の剣を使いこなしているようですね。ふふふ……」
目をかけているベレトの働きぶりが嬉しいのか、レアは上機嫌で労いの言葉をかける。
ちなみにベレトがいつものより畏まった話し方をしているのは、余人の目がないとは言え、今は契約相手への成果報告という仕事の最中なのできちんとしなくては、という意識が彼の中にあるからだ。
レアとしてはもっと砕けた態度でいてほしいようだが、ベレトが仕事に誠実な性格だということも分かっているので特に態度に出すことはなかった。
後に雑談できる程度に仲良くなっていくことで、ベレトの話し方もちょっとずつ砕けたものに変わっていくのだが、それはまだしばらく先の話である。
続けてレアは語る。
マイクランが魔獣へと変じたのは、女神が下す罰であると。
フォドラに混乱を広げないためにも、今回のことは口外してはならないと。
ベレトからすれば、情報統制にしては甘い措置だと感じないでもなかったが、徒に不安を広めることもないのは同意できたので頷いた。
上司に当たるレアの願いに反対する理由がなければ、ベレトに否やはない。
ただし──
「破裂の槍は、教団からゴーティエ家へと返還しましょう。さあベレト、槍をこちらへ……」
「お断りします」
──賛成できないことは、ベレトはきっぱり反対する人間である。
「……」
「……」
「……ベレト?」
「はい」
「槍は、教団から正式にゴーティエ家へ返還します。こちらに渡しなさい」
「お断りします」
「っ!?」
聞き間違いではなかった。破裂の槍を受け取ろうとレアが伸ばした手を無視して、ベレトは槍を持ったまま動こうとしない。
一介の傭兵が、雇われ教師が、大司教たるレアの言葉に真っ向から反対したのだ。
「……どういうことですかベレト。私の言うことが聞けないのですか」
「今節、
「っ!?」
若干の威圧を込めて問いかけるも、臆した様子もなくすらすらと話すベレトに驚いてしまう。
「本来ならコナン塔での戦いが終わった後、ガルグ=マクに戻らず北上してゴーティエ領まで足を延ばして、ゴーティエ辺境伯へ直接槍を届けるつもりでした。しかし盗賊団との戦闘に加えてマイクランが魔獣になったことで予定外の消耗があり、疲弊した生徒達に無理をさせるわけにはいかなかったので、大修道院への帰還を優先することにしました」
「それでは、貴方はこの後……」
「はい、破裂の槍をゴーティエ領へ届けに行きます。級長を始め、動けそうな生徒を何人か伴わせて今度こそ槍を返還しに。つきましては俺が大修道院を離れて次の授業を行えない間、残っている黒鷲の学級の生徒の面倒をハンネマン先生とマヌエラ先生に頼む許可をください。本人へは出立前に俺から話をします」
「ま、待ちなさい!」
整然とこれからの予定を語るベレトに思わず静止の声を放つレアだが、何を言えばいいのか分からなかった。
面と向かって自分を拒絶する。そんな人間に会うのは、レアは初めてだった。
セイロス教団の大司教という、ある意味ではフォドラの頂点に立つと言っても過言ではない存在の彼女にとって、自身の言葉をこうもきっぱりと拒む人間は想像の埒外なのである。
しかもその相手が、自分が取り立てて散々目をかけて優遇してきたベレトである事実がレアの心をぐらつかせた。
なんでなんで? どうして? 何が気に入らないの?
私、何かしてしまいましたか? 貴方を怒らせるようなことをしましたか?
どうして私の言うことを聞いてくれないの? 何が理由なの?
考えても分からないレアは焦るあまりベレトの拒絶そのものしか頭になかった。
(
念のために言っておくが、ベレトが徹頭徹尾従っているのは仕事として交わされた契約である。教師として、今回言い渡された学級課題を最後まで全うしようと本人は至って真面目に話しているだけで、そこにレアへの隔意はない。
強いて言えば、契約主たるレアに対しては一定の敬意を忘れずに向き合わなければと考え、その信用を損なわないように背筋を伸ばして仕事するのだと張り切ってすらいた。
つまりこの状況は、レアが一方的に抱く友愛と、ベレトが向ける敬意がものの見事に食い違ってしまったものだと言える。ベレトはレア本人を拒絶したのではなく仕事上の判断で彼女の提案に反対しただけで、そもそも拒絶と言えるほど拒んだわけではない。
目をかけてきた部下と仲良くなれたと勝手に思い込んだ上司が、その部下からは仕事上の付き合いで一緒にいただけですと告げられて困惑させられた……とまで表現してしまうのは、流石に気の毒というものだろうか。
そんな感じで頭が真っ白になってしまったレアと、予定を伝えて返事を待つベレトの二人が棒立ちのまま、空気ごと固まる謁見の間。
下手をすれば秒どころか分単位で固まり動けなかったであろう二人の空気を動かしたのは、乱入してきた第三者であった。
「失礼します!」
けたたましく扉を開いて謁見の間に現れたのはシルヴァン。緊張の色でその顔を染め、大股で近付いてくる姿を見てレアは我に返る。
ベレトと二人きりの場に飛び込んできた部外者だが、そのおかげで幾らか正気に戻ることができた。
「レア様、我がゴーティエ家の英雄の遺産を取り戻してくださったこと、感謝致します」
「……ええ、貴方達の奮闘によってフォドラの安寧がまた一つ守られました」
「それで、その、どうかその槍を、私に授けてはいただけませんか!」
ベレトの隣まで進み出てきて、頭を下げて頼み込むシルヴァン。
二人きりの状況を部外者に邪魔されたと微かに感じていたレアだったが、彼の発言を聞いて素早く頭を巡らせた。
これはある種のチャンスである、と。
破裂の槍を一度教団の管理下に置いた上でゴーティエ家に返還する。そういう工程を経ることで『奪われた英雄の遺産を教団が再び貴族へ下賜した』という事実を仕立て、教団が各地に意思を届かせていること、貴族に力を与える慈悲深さを改めてフォドラに広めることができる。これがレアの狙いだった。
ところが、槍を取り戻したベレトがレアに渡すことを拒み、彼が直接ゴーティエ家に届けに行くとなれば全く別の結果になってしまう。レアが取り立てたとは言え、士官学校の教師が課題に従って英雄の遺産を届けたとなれば、それはあくまでも学校内の功績に留まるのだ。これではセイロス教団の影響はほとんどないに等しい。
そこへ現れたシルヴァンの嘆願。
彼は紛れもないゴーティエ家の者である。紋章を持ち、生まれた時からそのための教育を受け、破裂の槍を持つに相応しい人間だ。
そのシルヴァンから頭を下げられて、廃嫡された兄から槍を取り戻すという家の恥を雪ぐ功を上げた彼に、大司教である自身の前で英雄の遺産を授ける……こういった筋書きであれば大義名分はギリギリ成り立つ。
「破裂の槍を受け継ぐことの意味を、分かっていますか?」
「はい」
「次代のゴーティエ家当主として……二度とこのような不祥事を起こさぬと、誓えますか?」
「家名と、兄の命にかけて、必ず!」
「……いいでしょう。ですが一つだけ、貴方以外の者にその槍を振るわせてはなりませんよ。その禁を破った者の末路は、貴方の兄がしかと見せてくれたでしょう」
「はい。肝に銘じます」
力強く言い切るシルヴァンへ頷きを返すと、横で成り行きを見ていたベレトへ声をかける。
「ではベレト。この場でシルヴァン=ジョゼ=ゴーティエを一時的にゴーティエ家当主代行として認めます。彼に槍をお渡しなさい。それならば貴方の言う課題の内容にも沿うでしょう」
「分かりました」
あれだけ拒んでいたくせに今度はすんなり従うベレトへ、ちょっとだけモヤっと感じるものがないわけではなかったが、彼の声がいつも通り平坦なことに内心安堵したレアは何も言わなかった。
「シルヴァン、これを」
「はい。ありがとうございます先生」
そんなレアの目の前で、特に気負った様子もなく破裂の槍を差し出すベレトと、槍を両手で恭しく受け取るシルヴァン。
こうして黒鷲の学級の課題は無事決着を迎えたのであった。
「いやー、何とかなりましたね。お疲れ様です」
「お疲れ様。槍を取り上げられずに済んでよかったな」
「先生を巻き込む形にしちゃってすみません。俺だけがお願いしたってレア様は聞き入れてくれなかったでしょうし……あの人、あんたにかなり甘いみたいですから」
「それは分からないが、俺は仕事をしただけだ。最初に結んだ契約内容が後になって不利になると判明しても、一度決めた以上やり終えるまでは契約に従って行動するものだ」
「それも傭兵の流儀ってやつですか?」
「いや、俺個人の信条だ。少なくとも内容に不備がない限りは契約を順守することにしている」
誰もいない修道院の廊下で、シルヴァントはベレトと並んで息を吐いていた。
先ほど退室した謁見の間での緊張した雰囲気はなく、予定調和とでも言うべき安心感があった。
それもそのはず。ここまでの流れは打ち合わせた通りの展開なのだから。
コナン塔での戦闘が終わった後。
魔獣戦のどさくさに紛れて散り散りに逃げ出した盗賊をすぐ追跡するのは難しいと判断して、大修道院への帰還を決めた一行は後始末と撤収に動いた。
少数の怪我人の手当てを済ませてから塔を出ると、帰途に就く道すがら、シルヴァンがベレトに話しかけてきたのだ。
あんな結果になってしまったが、それでも兄と言葉を交わせてよかったこと。
この課題に誘ってもらえなければ自分は燻ぶったままだっただろうこと。
そうしてベレトに感謝を伝えたシルヴァンだったが、併せて一つ不安があると口にした。
曰く、このままでは教団に槍を没収されるかもしれない、とのこと。
前述したように、ファーガスにおいてゴーティエ家が担う役割は大きい。北の守りとして存在感を誇示していなければスレン族を調子づかせるし、貴族としての権威が揺らいでしまえば民を不安がらせてしまう。
その要となる破裂の槍を、このままでは管理不行き届きと見なされてセイロス教団の管理下に置かれてしまう恐れがある、と言うのだ。
ただでさえ貧しい土地のファーガスに、破裂の槍の管理を名目にして教団の息がかかった者が居座り、ゴーティエ家の権威を揺らがせてしまうかもしれない……行き過ぎた考えかもしれないが、そんな可能性が見えてしまっている。
そこでシルヴァンはベレトに協力してもらって一芝居打つことにした。
破裂の槍を【
些か面倒な工程ではあるが、こういう筋書きがあったのだと示せば両者の顔を立てられて、糾弾があったとしても回避できるという寸法である。
「貴族社会は大変なんだな」
「まったくです。あちらを立てればこちらが立たず。どっちも立てようとするなら、予めあちこちに根回しするしかない。まあそれでも、多少の面倒を呑み込めば事が済むってんなら苦労の甲斐があるってものですよ」
肩をすくめるシルヴァンは手に持った破裂の槍を見つめる。
これのために……こんな物のために、自分達は振り回されてきた。
この槍のおかげでゴーティエ家がスレン族に対して有利でいられたのは分かっている。それでも感謝の気持ちが湧いてくることはなく、シルヴァンにとっては相変わらず忌々しい代物だ。
だが、それも昔ほどではない。短い間だったとは言え、兄も使った武器をこれからは自分が使うのだと思えば印象は変わる。
マイクランと幾らか言葉を交わし、多少なりとも蟠りを解消することはできた。
貴族に生まれた以上、紋章によって人生を左右されるのはある程度は仕方ないことだと思えた。その上で自分は兄を憎く思っていても、それ以上に尊敬と親愛の情を抱いているのだと自覚できたのだから、いい。
この先の憂鬱なお役目にも、先ほどレアに宣言したように、死んだ兄に恥じない姿勢で臨もうと意気込む理由が得られたのだ。
まあそれはそれとして今までのように軽い女遊びはやりたいけど──などと頭の隅で考えているところは安定のシルヴァンと言えるが。
そしてもう一つ、あの戦いでベレトが身を以て示してくれたことがある。
天帝の剣は、英雄の遺産はあくまで道具であるということ。武器として振るうのは使い方の一つであり、持つ者次第で幾らでも使い道がある道具でしかない。
破裂の槍も同じだ。ゴーティエ家が抱える英雄の遺産。異民族からの守りの要。何かと重要な武器ではあるが、数ある道具の内の一つでしかない。そう考えると、この槍に対して複雑な思いを抱いていること自体が馬鹿馬鹿しくなってきたのだ。
これからはもう少し平坦な気持ちでこの槍とも向き合えるだろう。
そうやってあれこれ考えながら廊下を歩いていると、隣からベレトの気配を感じない。振り返ってみると彼が何やら考え込んだまま立ち止まってる姿が見える。
「先生? 何かありました?」
釣られてシルヴァンも立ち止まる。今し方まで平然とした表情でいたのに、急にどうしたのか?
いつの間にかベレトの表情の違いが分かるくらい彼のことを理解できるようになっていた。無表情でもその目には生徒への思いやりがあることをシルヴァンは分かっている。
「シルヴァン、君は以前、俺に言ったな。自由な生き方なんてとっくに諦めた、と」
「ええ……俺のような奴に自由はない。あんたと違ってね」
以前、町で会った時の会話を蒸し返そうというのか。
あの時はちょうど女の子に頬を張られて、出くわしたベレトが徐に回復魔法をかけてきた姿に苛立って一方的に感情をぶつけてしまったので、シルヴァンとしては気まずいのだが。
ベレトの真意が分からず、相槌を打つに留める。
「行き先も、進む道も、全て生まれつき決められていると言った君にも、一つの自由がある」
「……何のことですか?」
「速さだ」
その一言は不思議とシルヴァンの胸にストンと納まった。
「人生は旅路に例えられる。普通の人は進む道を自分で考えて、調べたり試したりして進路を決める。選択肢は少なくても自分の意志で。俺は傭兵をやっていたが、もしかすると父さんについていかず傭兵にならない道もあったかもしれない。想像は……できないが」
「先生は、なんか、器用に生きていけそうですしね」
「かもしれない。そしてシルヴァンの場合、そうした選択ができなくて一本道しか許されなかったんだろう。だが、その一本道をどんな速さで進むかという自由は君にもあるはずだ」
「進む速さ……」
「歩くか、駆け抜けるか、道草を食いながらか。もちろん周囲に急き立てられることもあるだろうが、それでも君の足取りを決めるのは君だ」
傭兵として生きてきたベレトが貴族の役割や重要性に疎いのは仕方ないことだ。彼とてその手の観念に理解が浅いのは自覚していよう。その上で教師として生徒を導くために、自分にできる範囲で言葉を連ねようとしているのだ。
「俺は、立ち止まらないでほしいと思う。ゆっくりでいいから歩き続けて、君に成長してほしい」
相変わらず感情が見えない無表情。その何を考えているのか分からない目線は、決して相手から逸れることがない。
「進む道が一つしかないなら、他に目移りせず一つに集中できるということだ。何らかの目標を据えて、それを終わらせてしまえ」
「……たはは、簡単に言ってくれますね」
思わず笑ってしまったシルヴァンだが、もう分かっている。ベレトはいいかげんな気持ちでこういうことを言う人間ではない。
きっとベレトはいつだって本心で話している。遊びのない無骨な態度は、ともすれば無機質と思われるかもしれないが、その中に常に生徒への思いやりがあることが感じられた。
貴族社会の迂遠な言い回しは好まないシルヴァンにとって、飾らずそのままに言ってくれることが心地よい。
フェリクスの剣のように鋭く、イングリットの声のように遠慮がなく、ディミトリの目のように慈しみがあり……流石に持ち上げ過ぎか?
(そうか、俺が好きなものをたくさん向けてくれるから、俺はこの人を嫌いになれないんだ)
彼のことを不気味だと感じていたはずなのに、いつの間にか彼と向き合うのに抵抗がなくなっている自分に気付く。
羨ましいという気持ちは今でも変わりない。何もかもを投げ出して出奔してしまえばベレトのように自由に生きることができたかも、という憧れは消えないだろう。
もちろん彼が指摘したように、シルヴァンがその道を選ぶことはない。ただ……意識が変わったのは間違いない。そういう生き方があるのだと知り、その上で自分の意志で今の道を選んだと自負してこれからは生きていくのだ。
この意識を教えて、いや、気付かせてくれたのは目の前の新任教師。
無表情でこちらを見てくるベレトを、シルヴァンはもうすっかり気に入ってしまっていた。
「シルヴァン?」
「……あーあ! 本っ当に、あんたって不思議な人ですよ、先生」
衝動のままにベレトと肩を組む。不思議そうにこちらを見てくる無表情がおかしくて、顔が緩むのが止まらない。
殿下が先生を上手いこと引っ張ってくれれば将来おもしろそうなのにな──そんな未来予想図を膨らませながら、シルヴァンは肩を組んだままベレトと並び歩いた。
ここで言っておきますと本作ではスカウトみたいに学級を移って授業を受ける生徒はいません。シルヴァンも青獅子の学級に在籍したまま第二部へ進みます。
それでも彼がここで知ったことは未来に確かな影響を与えるでしょう。
作者の活動報告に載せた後書き