風花雪月場面切抜短編   作:飛天無縫

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 注意。ベレトがキャラ崩壊を起こしているように見えますが、ちゃんとベレトです。
 後、かつてないほど過激な描写があります。脳内にイメージする時はご注意ください。


悪魔の暴虐、変貌の末に

 【灰色の悪魔】。

 それはベレト=アイスナーが傭兵として活動していた時、その実力と、あまりにも変化のない表情への畏怖と揶揄が込められた異名である。

 

 幼い頃から戦場で生き、眉一つ動かすことなく敵を屠る様は悪魔の所業。

 いつからか決まって羽織るようになった黒い外套はさながら悪魔の翼。

 立ち居振る舞い全てが、彼を常人ならざる存在なのだと示していた。

 

 そんな彼が士官学校の教師となり、多くの人と触れ合うことが契機となったのか、その心は花開く。

 微笑みを浮かべて喜びを。

 一瞬目を見開いて驚きを。

 静かに眉を下げて悲しみを。

 無表情を常としながら折々に小さくも確かに表情を変える彼の中で、着実に情緒が育っていた。

 

 まるで心を知らなかったかのように。

 はたまた元から心がなかったかのように。

 真相は不明である。

 

 人として生まれながら人の心を持たないなどあるわけがない。彼はたまたま育つのが遅れただけで、これからは遅れを取り戻すように感情豊かになるだろう。

 ガルグ=マク大修道院での生活を通してベレトの人柄が知れ渡るにつれ、周囲はそう評するようになった。人々と積極的に関わるようになった本人の人徳のなせる業なのか、その評価はおおむね好意的で期待の声が多い。

 

 ベレトとしても自身の中に生まれたものを初めて感じ取り、探り、時には扱いに困り、それでも受け入れて一つ一つ確かめて向き合う日々は充実していた。

 ソティスに見守られて。

 エーデルガルトら生徒を指導して。

 レア達教団の膝元で生活して。

 そんな毎日の中で目覚めたばかりの心が経験することはどれも新鮮で、知らないそれら全てが彼を成長させてくれる糧である。

 

 故に、

 

「うぜーんだよ、おっさん」

 

 ベレトは知らなかった。

 

 怒りとは、これほどまでに抑えの利かない感情だということを。

 視野を狭め、自制を無くし、人を狂わせる激情だということを。

 

 彼は知らなかったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

     * * *

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 深い、深い、森の奥で。

 封じられた森という仰々しい名前で呼ばれる、本来なら人が立ち入ることのない領域にて、彼らが対峙するのは未知の敵。

 各学級の生徒と、それを率いるベレトの前に姿を現したのは、黒衣に身を包む謎の勢力と、

 

「あっはははは、来た来た! ようこそ、死の森へ! なーんちゃって」

 

 その一団の中央で嗤うモニカだった。

 かつてフレン誘拐事件の解決と同時に発見され、黒鷲の学級(アドラークラッセ)へと編入された生徒が、誰にも見せたことがない顔で一行を迎える。

 

 いや……一人だけ、その顔を見たことがあった。

 見下す目を。

 嘲笑う口元を。

 それまで見せてきたものとは別人の表情を彼は知っていた。

 父を殺した、あの時の顔を。

 

「そうそう、言ってなかったね。あたしの名はクロニエ。この弱っちい女の体は仮の姿なのよ?」

 

 そこまで言うと、如何なる方法か、一度宙返りしてみせた時には彼女の姿は全く別のものへと変わっていた。

 

「きゃははは! 見たぁ? これがあたしのホントの姿よ!」

 

 以前、調査に赴いたルミール村で、大修道院の書庫番であるトマシュが闇の魔導士ソロンとしての正体を明かした時と同じ変貌。モニカという仮の身を捨て、クロニエと名乗って本性を現した姿に生徒達は驚愕と敵意の目を向ける。

 

「それじゃあ……そこのケモノさん達ぃ! あたしが相手してあ・げ・る! みーんな殺してあげるからぁ、逃げたりしないでね? きゃっはははは!」

 

 けたたましい笑い声を契機にして敵勢が動き出す。森の奥から追加で何人もの黒衣の影が表れ、木々を払って魔獣までもが姿を見せてきた。

 

 大量の敵の出現に生徒達の表情が緊張に染まる。

 それでも油断なく各々の武器を構え、指揮官からの指示を待つ。これ見よがしに迎え撃つ敵の態勢からして、罠が待ち受けていることは明白。いつもの冴え渡る指揮の下、難敵を打ち破らなくてはいけないのだと戦意を高めていた。

 

 ところが、すぐに訝しく思い視線を向ける。

 肝心の指揮官が動かず、固まったままなのだ。

 

「……先生?」

「おい、どうしたよ先生」

 

 ディミトリが、クロードが、不思議に思った生徒の声がかけられてもベレトは反応しない。

 まるで呆けたように、前方を見つめたまま。

 

(せんせい)、指示を! もう戦闘は始まって……師?」

 

 エーデルガルトが呼びかけ、その時になってようやく彼の異常に気付く。

 

 震えていた。腕が、肩が、唇が、小さくも確かに。

 怯えている? ありえない。彼ほどの戦士が今さら戦場で臆するはずがない。

 目の前にいるのは父の仇。誰よりも戦う理由がある。現に手に持つ天帝の剣を、柄を潰さんとばかりに強過ぎる力で握り締めて──

 

 ハッとして見た横顔から、限界まで開かれた目がただ一点を見つめていることが分かった。

 日頃から焦らず戦おうと口にするベレトが。

 戦場に立ちながら、他の全てを忘れたようにたった一つに囚われて固まっている。

 その姿は否応なしにエーデルガルトの不安を掻き立てた。

 

 突如、爆炎が舞う。

 視界に満ちた炎熱に目が眩み、思わず後退りして見直した時にはそこにベレトの姿はなかった。

 

 数瞬見失うも、一歩引いた位置にいたシルヴァンの叫びで察する。

 

「待て先生!!」

 

 彼の視線の先を追うと、凄まじい勢いで敵に向かって突撃するベレトがいた。

 

 すぐに思い当たるのは、彼がコンスタンツェと共同で開発したという新しい魔法の使い方。通常は手から放つ魔法を足から放つことを思い付き、両手に武器を持ったままでも関係なく魔法を使えるようになる、そんな奇天烈な手段を形にしてしまった。

 足の裏から放ったファイアーを地面に炸裂させ、爆発の衝撃を利用することで身体だけではできない超加速を実現したのである。

 

 爆速とも称せる速度で迫るベレトに、敵の先頭にいた魔獣が襲い掛かった。愚かにも一人で飛び出してきた人間を叩き潰すべく、唸り声を上げて迎え撃つ。

 しかし、愚かなのはどちらだったのか。

 この時のベレトの目に映ったその魔獣は彼にとって脅威を感じさせる敵などではなく……言葉にすれば、ただの障害物でしかなかった。

 

 天帝の剣を伸ばして剣先を魔獣の前足に絡ませたベレトに足を止める気配はなく、ただでさえ高速移動している身でさらにファイアーで爆発を起こし、追加で加速。

 絡ませた足を支点にして魔獣の周囲を一周。あまりにも速く動くベレトを見失ったのか、立ち止まってしまった魔獣の顎の下を通過すると力強く跳躍した。

 高速移動もあって空高く跳び上がると、天帝の剣のワイヤーを一気に引き絞る。絡んでいた刀身が収縮することで魔獣の四本足を切り裂き、引かれたベレトは体が墜落する勢いを乗せた鋼の剣で魔獣の首を一刀の下に両断した。

 

 人間とは比べ物にならない生命力を持つ魔獣。

 巨大な体。途方もない力。纏う障壁。多くの数を束ねて立ち向かわなくてはならない強大な敵。

 そんな魔獣を、たった一人であっさりと倒してしまったベレトへ向けられた目は、畏怖の色一色に染まっていた。

 

 慄く敵にも、背後の味方にも、一顧だにしないままベレトは森へと飛び込む。

 振り返ることは、なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「すげえ……!」

 

 誰が溢したか、ひりつく興奮が隠し切れない声が聞こえた。

 目の当たりにした、戦闘と呼ぶことも憚られる一方的な蹂躙は、大きすぎる衝撃となって生徒を震わせたのだ。

 

 人間より大きく、強く、災害となりうる脅威、それが魔獣である。この世界では人一人で挑んでいいものではなく、騎士団を率いるなどして多くの人と力を合わせて立ち向かうべき巨大な敵。

 その魔獣をたった一人で打ち倒すなど、まるで物語に登場する英雄の如き所業ではないか。そういう場合ではないと頭で分かっていても、若き少年少女達は戦慄と感銘を覚え、思わず体も頭も動きを止めてしまう。

 

 そんな彼らの中でも現状の逼迫を察し、焦る者もいた。

 

「おいおい何やってんだよあの人! やばいぞあれじゃあ!」

 

 最初に口に出したのはクロードだった。焦燥を隠せていない声はいつもの彼らしくなく、周囲の注目を呼ぶ。

 

「どうしたのクロード君? 先生すごいじゃん。そりゃあたし達も追いかけないといけないけど」

 

 ヒルダが反応するが、振り返ったクロードの表情は普段の飄々としたものとはかけ離れたものだった。

 

「馬鹿野郎! お前ら、先生から何を教わったか忘れたか? あの人はいつだって身を守ることを教えてくれたじゃないか! どんな時でも防御ありきって! 今の先生の戦い方じゃあ攻撃一辺倒で防御なんかどこにもないだろ! 死ぬぞあれじゃ!」

 

 焦りに満ちたクロードの怒声を聞いて、全員がようやく理解する。

 

 少し考えれば分かることだ。今のベレトは到底平常心とは言えないと。

 常日頃から戦場を広く見るようにと生徒に教えてきた彼が、合図の一つもなく特攻を仕掛けた時点で異常事態だったのだ。

 

 あれは言わば捨て身だ。防御をかなぐり捨て、ただひたすら攻撃に全力を注ぐ姿勢は確かに一点突破の火力はあるだろうが、身の守りが完全に疎かになる。

 そんなものが長続きするわけがない。必要があればああやって飛び込む果断さは惜しんではいけないのかもしれないが、ならば尚更味方から離れて単独の身で突撃をしてはいけないはず。なのに退く様子がないことから明らかに我を忘れている。

 皮肉なことに、そんな捨て身の戦い方でも一人で何とかできてしまうほどにベレトの実力が飛び抜けていることが、彼を一人で先走らせてしまう状況を作ってしまったのである。

 

 即座に判断して動き出したのは、同行していたジェラルト傭兵団の面々。

 

「お前ら! 俺達はレト坊を追いかける! そっちは陣形を整えて後から来い!」

 

 生徒に指示を飛ばすレンバスを尻目に他の団員は走り出していた。ベレトに引けを取らない快速で次々に森の奥へ向かっていく。

 

「待ってください! 俺達も一緒に──」

「邪魔だ! お前らの足じゃついてこれねえ! 自分のことだけ考えてろ!」

「っ!!」

 

 追いかけようとしたディミトリを一喝して黙らせると、レンバスを最後尾にして傭兵団は全員森に飛び込んでいってしまった。

 止めようとする暇もなかった。

 

 敵陣の只中を突っ切ることになるのだ。立体機動を駆使するベレトに追いつこうとするなら、いくらジェラルト傭兵団と言えど生徒を守りながら進む余裕はないのだろう。

 投げかけられた言葉が互いの関係を端的に示している。

 ベレトと彼らにとって、生徒は足手纏いになるという現実がそこにあった。

 

 屈辱に誰もが歯を食いしばる中、エーデルガルトは素早く頭を働かせる。

 ベレトが不在の今、全体を指揮する役目は自分が負わねばならないと考えて。

 三つの学級それぞれから名乗り出て参戦した生徒達の中心で、若き皇女は一歩前へと踏み出す。

 

 一人突撃したベレトと追いかける傭兵達によって敵の陣営は散々に乱されている。始まったばかりの戦闘でも今こそ好機。

 味方の陣営を脳裏に並べ、戦力を適切に割り振れ。

 地形に合わせた攻め方を構築して、最適な采配をしろ。

 教わってきたものを今こそ生かせ。そのために私は彼の指導を受けてきた!

 

「切り替えなさい!! 横陣を作り、敵を追い詰めるわ!!」」

 

 声を張り上げたエーデルガルトに注目が集まる。彼らの止まってしまった思考を突き動かすために殊更大きく吼える。

 

「ここは戦場! 臆せば死、逃せば敗北! 我らの勝利のため、武器を取り、戦いなさい! 敵は先手を打たれて乱されている! このまま一気に終わらせるのよ!」

 

 力強い声に鼓舞されて生徒達の目の色が変わる。戦場に来たならば立ち止まっていられる理由などないことを思い出したのだ。

 

 危急の事態により今節の学級課題が取り止めになってしまい、敵の捜索をセイロス騎士団に任せるしかない状況を誰もが歯痒く思っていたところ、齎された出撃の報に彼らは大きく湧き上がっていた。

 ジェラルトを殺した敵の討伐に、自分も参加できる!──そう考えた生徒が次々に名乗り出た。

 悪を討たんとする責任感と義侠心から武器を取る者。

 【壊刃】の敵討ちとなれば是が非でもと望む者。

 純粋にベレトの力になりたいと願う者。

 理由は様々でも、その意志は一つだった。

 

 黒鷲。

 青獅子。

 金鹿。

 三つの学級がぶつからず、肩を並べて戦うという稀有なる陣営がここに実現したのである。

 彼がこの場にいないことだけが悔やまれた。

 

「右翼!」

 

 右手で示されたのは、まばらに生える木々が広がる林。

 

「カスパル、ペトラ、ラファエルを前衛へ! 木々の間を素早く駆け抜けて、敵を一人残らず打ち倒しなさい! リンハルト、フレンを後衛へ! 常に回復魔法の準備をして前衛を支えるのよ!」

「っしゃあ、やったるぜえ!」

「森、駆ける、敵、逃がしません!」

「うおおおお! オデの筋肉でぶっ飛ばしてやるぞお!」

「僕は回復と攻撃を半々くらいでやるから、フレンは回復主体でよろしく」

「はい、分かりましたわ!」

 

 指示された生徒が陣の右手側に集まり、意気を高める。

 

「左翼!」

 

 左手で示されたのは、比較的開かれた平らな地形。

 

「フェルディナント、ローレンツ、シルヴァンの騎馬隊を展開! 魔獣を取り囲んで抑えなさい! メルセデス、アネットは遠間から攻撃魔法で削って支援を! 森から出る敵も見逃さないで!」

「いいだろう! こちらは我々に任せたまえ!」

「魔獣とあれば相手にとって不足無しだな。諸君、僕に続きたまえ!」

「でかぶつ担当か……こりゃ気合い入れないとな」

「アン、回復は私に任せて、あなたは前を見てて!」

「分かったよメーチェ! 魔法いっぱい撃つからね!」

 

 駆け出した騎馬隊に続き、魔法使い達も走り出す。

 

「正面!」

 

 前方に広がるのはベレトが飛び込んでいった森。草木が密集して奥が見えないが、蹂躙される敵の悲鳴がここまで聞こえている。

 

「ディミトリ、ドゥドゥー、フェリクス、レオニーで突撃! 師が乱して傭兵団が切り開いた進軍路を確保しなさい! 後詰としてヒューベルトとリシテアが同行! 今は細かい技より魔力量による力押しで抉じ開けるのよ!」

「任せろ! 畜生共を叩き潰してやる!」

「御供いたします殿下!」

「ちっ、猪と共闘か……まあ斬れれば何でもいいがな」

「早く先生を追いかけるんだ! 師匠の仇も逃がしちゃダメだ!」

「エーデルガルト様の指示とあれば、如何様にも……」

「私達が道を作ります。ちゃんと後からついてきてくださいね!」

 

 即席でも突破力のある編成で行かせて、確実な進軍への足掛かりにする。

 

「後陣!」

 

 三方に向かう者達の中央に位置する陣営。

 

「クロードは前進しつつ全体を俯瞰! 戦況の変化を読み取って、次の作戦を組み立てることに集中して! 私とアッシュは彼の護衛役! 次の動きへの伝令役を、左翼側がイングリット! 右翼側をヒルダが務めなさい!」

「よし分かった! 護衛よろしくな!」

「頑張りましょう! 僕達にできる最善を尽くすんです!」

「空の抑えもお任せください!」

「そういう役ね。試験受けたの早まったかな……戦わない役なのは助かるけどさ」

 

 散開する他の面子を見送り、ペガサス(イングリット)ドラゴン(ヒルダ)が飛び上がるのを見届けるとエーデルガルトも前進を始める。

 形としては自身が指示したようにクロードの護衛役として彼の前衛を務めることになり、アッシュと協力して守りながら戦線を上げていかなくてはならない。

 

 本当は、自分の隣には彼がいるはずだった。

 出撃前の冷静な様子から、ジェラルトの仇を前にしても普段のように指揮官として生徒を導いてくれると期待していたのだが、現実にはそうならなかった。別人のように突撃していった後ろ姿が脳裏から離れない。

 嫌な予感が止まらなくて追いかけたくても、今の自分では……自分達では追いすがることすらできない。確かに成長したはずなのに彼に並び立つこともできない至らなさが悔しくてたまらない。

 

(師……どうか無事でいて!)

 

 動きながらエーデルガルトはベレトの身を想った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──父は偉大な男だった。

 

 記憶にある幼少の頃から見上げるほど大きく、周囲の誰よりも存在感があるジェラルトを世界の中心と見立てるのはベレトにとって自然なことだった。

 子供の時は今に輪をかけて無感情で何も考えずただジッと見つめていると、見られていることに気付いた彼が手を伸ばして頭をわしゃわしゃ撫で回したり、抱え上げて肩に乗せてくれたりした。

 

『どうしたベレト、ボーっとして』

 

 口に出さずともそういった触れ合いを通してジェラルトが自分を大切に思っているということが伝わり、それを言葉として表現する術を持たない身でも、自分が嬉しいと感じていたのが分かったのはずっと後になってからだった。

 

 ──父は偉大な男だった。

 

 無感情ではあっても無思考ではなかったベレトは、ジェラルトの姿を目で追う内に傭兵という生業について知るようになり、周囲の人間が傭兵団の仲間であること、彼らを率いる父が戦って自分を守っていることを理解した。

 誰に何を言われたわけでもなく、ベレトは自然とその手助けをしたいと思うようになった。

 

『お前みたいなガキが気にしてんじゃねえ。あ、おい、剣に触るな、危ねえだろ』

 

 窘められても突き放されても意志を曲げないベレトに根負けしてジェラルトが息子を鍛える運びになった当時は、傭兵団の団員を始めとして周囲の人間が何かと目をかけ、手を貸してくれたものである。

 大の大人でも逃げ出したくなりそうな厳しい鍛錬を受けるベレトは辛いと感じる心がなく、無感情故の素直さで【壊刃】の教えを一から十まで余さず学び、その末に団の中でも指折りの戦士へと成長した。

 肉親の情に流されることなく手を緩めない厳しさで鍛えてくれた父をベレトは自然と尊敬するようになった。

 

 ──父は偉大な男だった。

 

 ジェラルトは何も完璧超人だったわけではない。傭兵団を率いて活動する中で失敗や不手際をやらかした時だってある。

 例えば彼は金勘定を苦手としており、酒代を払えずツケにしたことも多かった。だがそれを補填しようと稼ぎを得られるまで切り詰めている間、他の団員、特に若い連中を優先して食わせるために彼は自分の食事はいつも後回しにしていた。

 

『しっかり食えよ。あ? 俺はいいんだよ。酒飲んでりゃ十分さ』

 

 そういって瓶を呷りながら一人席を外す背中を目で追ったことが何度かある。酒代を払えてないくせに酒を飲むとは是如何(これいか)にと不思議に思ったベレトが調べてみたところ、ジェラルトが呷った瓶の中身はただの水だったことが判明した。

 自分だって空腹のはずなのにそれを少しも感じさせず、ジードやダンダ、そしてベレトのような若者を食べさせてくれたジェラルトの後ろ姿は、胸に感謝の念を刻むものだった。

 

 ──父は偉大な男だった。

 

 目の前でジェラルトが背中を刺され、腕の中で息絶える時、ベレトの心に生まれたのは強い後悔の念だった。

 どうしてもっと話せなかったのか。どうしてもっと伝えなかったのか。大好きと、尊敬していると、愛していると、口に出して言えたはずなのに。

 頭の中がぐちゃぐちゃになって何も言うことができなかった。いや、喉が震えて言葉を出すこともできなかった。

 

『初めて見るお前の涙が、俺への手向けとは……嬉しいやら……悲しいやら……』

 

 違う。こんなものを見せたかったわけじゃない。もっと父を喜ばせてあげられるような、幸せになれるものを見せたかった。自分にはそれができたはずだった。

 こんなところで死んでいい人じゃなかった。自分だけじゃない、もっとたくさんの人から愛を受けて、もっと生きるべき人だった。

 あんな死に方で終わっていい人じゃなかったのに。

 

 ──父は、偉大な男だったのだ。

 

 それを……

 それをよくも……!

 よくもよくもよくもよくもよくも!

 

「おおおおまあああああええええはあああああああああ!!!」

 

 地面スレスレを滑空し、時には跳ね飛びながら片手で鋼の剣を振り回すこと四度。一閃一殺。進路上にいた黒衣の敵を四人、瞬く間に斬り捨ててベレトは飛ぶ。邪魔な障害物を蹴散らして、その先にいる仇に向かって。

 

 超速の低空飛行で飛び掛かるベレトの剣を、クロニエは際どく構えるのが間に合った剣で防いだ。

 

「っづう! うっざいなあもう!」

 

 手勢を盾にして距離を取ろうと同じことを繰り返しているのだが、何度やってもベレトを止めることができず一瞬で突破されてしまう。数秒の時間稼ぎすらできない駒にクロニエは苛立ち、次いでしつこく特攻を仕掛けるベレトをうっとうしく思った。

 

 戦闘開始時に見せていた余裕はもうない。始めはあの程度の挑発とも呼べない煽りであっさり釣れたベレトを見下していたのだが、手駒だけでなく魔獣でさえ鎧袖一触とばかりに容易く蹴散らしていく強さに、警戒の度合いは最大限に高まっていた。

 凌ぐばかりでは戦況は変わらないと分かっているのだが、馬鹿みたいに攻めてくるベレトは立体機動を止めず力尽くの一撃離脱を延々と続けてくるので、反撃の糸口が掴めない状況だ。

 

 クロニエは手段を選ぶ性格ではない。使えるのならどんな手でも使う。侮蔑だろうが挑発だろうが少しでもこちらに流れを向けられればいい、と。

 

「なんだい先生!? 敵の不意打ちを受けたら気が抜けてたってことじゃん! あんたが教えてくれたんだよ、授業でさあ!」

 

 故に煽る。以前、生徒だった自分にベレトが教えた心得。敵から不意打ちされるとしたら、それは相手が卑怯なのではなく自身が油断していたせいである。そんな戦場の心得を教えてくれたではないか。

 

「だったら、あのおっさんが間抜けだっただけの話でしょうが! なーに怒ってんだよ馬っ鹿じゃねーの!!」

 

 授業で教えたということは、ベレト自身もジェラルトから教わったことであるはずだ。ならば、その心得は【壊刃】自身のもの。そんなことすら忘れて突っ立っていたのはジェラルトの落ち度だろうに、何をそんなに怒っているのか。

 クロニエとしてはそんな皮肉を飛ばしたつもりだった。

 火に油だった。

 

 ズシリと、それまでよりもさらに重い殺意がクロニエに向けられる。

 全身にのしかかる圧力。身の奥まで巨大な刃が刺し込まれるような怖気。

 言うまでもなくベレトが発した殺気である。ただでさえ怒り狂う彼がさらに殺意を上乗せするほど、その発言は彼をキレさせた。

 

 直後、予感に従って強引に横へ転がったクロニエのいた位置に雷が落ちる。

 

「っだあもう! あの野郎また……!」

 

 魔力が動いた気配を探り、今度は別方向から飛んできた火球を横っ飛びで回避。

 木の根元に当たって爆散する火の粉を背にして身構えると、さらに別の方向から襲い掛かるベレトの剣をまたも際どいところで防いだ。

 

「父さんは、()()()()()()で死んだんじゃない!!」

「こん、のぉ……っ!」

()()()()()()で殺されたんだ!!!」

 

 強引に剣を振り切ってクロニエを弾き飛ばしたベレトは駄目押しとばかりに足から火球を撃つ。まともに狙いも定めず放たれた追撃は地面に当たり、爆発で両者の間合いを空けた。

 急いで体勢を整えたクロニエが再び走り出し、勢いで跳び上がったベレトは木の幹を蹴ると再び立体機動に移った。

 

 戦いに生きる者ならば、いつかは敵の刃に討たれて死ぬ。実力と幸運によって生き延びられた者であろうとその運命は誰にでも等しく訪れて、人の生死を秤にかける。

 そんな戦場の不文律くらいベレトとて分かっている。ジェラルトがどんなに強かろうと、戦いの中で敵に不意を打たれて死んだのならばまだ理解はできた。

 

 だが、あれは違う。あんな死は納得できない。あんな終わりは認められない。

 あれは不意打ちではなく裏切りである──それがベレトの怒りの根幹だった。

 

 人は信頼によって繋がっている。ジェラルトはそう言っていた。

 傭兵という仕事は報酬次第で付く側をころころ変える卑賎な生き方、そんな風に見下す者もいるがそれは違う。金の多寡に関わらず、何よりも信頼の下に契約は結ばれるのだ。信頼がなければ如何なる報酬もその価値が通じることはないのだから。

 これは傭兵に限った話ではない。

 仕事上の繋がりを始めとして、隣人との協力、仲間との連携、見知らぬ他人であっても手を取り合うため。人の世にある最も大きな力、結束を生む要となるもの。

 それこそが信頼。人が持ちうる何よりも尊い力だ。

 信頼があるからこそ契約は結ばれ、金は流れ、次の繋がりを持てる。信頼があるからこそ、人々は繋がり、未来に向けて発展してきた。

 この教えはベレトが傭兵を志すにあたってジェラルトが最初に言い聞かせたものである。

 

 だからこそ、ベレトは許さない。

 

 前節の課題にて、郊外の荒れ果てた礼拝堂跡に突如現れた魔獣の群れを片付けた直後、保護できたと思った生徒の中からはぐれていたのを装って姿を見せたモニカ。

 少なくとも、あの時点でのモニカは守られるべき味方だった。ジェラルトが保護するべき学校の生徒だった。だから背を見せた。守る対象だと思って後ろへ通した。

 そのジェラルトの背を、保護する相手へ向けた信頼をモニカは裏切った。クロニエとして不意を打ったのとは断じて違う。味方面しておきながら背中を刺した。

 

 許さない。認めない。偉大な男からの信頼を裏切って、その手にかけて、あまつさえせせら笑うこの性根を前にして、どうして我慢ができようか。

 

 今までも冷静だったわけではない。ベレトはずっと分かっていなかったのだ。父の死を前にして自分の心がどんなにかき乱されたか、至った結論がどれほど怒りを呼ぶのか、仇を目にした自分がどんな行動を取るか、何も分かっていなかった。

 

 未成熟な心に生まれた赫怒は普段の冷静さを押し流し、唯一つの念に従って体を突き動かす。

 仇を許さない。あんな結末を認めない。父の信頼を裏切ったお前を──

 

(──許すものか!!!)

 

 天帝の剣で立体機動を続け、鋼の剣を振り回し、足から火球と落雷を生みながら、ベレトは止まらない。

 クロニエに贖わせる。彼の頭にはそれしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【止まれベレト! 止まらんか! こらー!】

 

 呼びかけながら空を飛ぶソティスは置き去りにされていた。誰にも見えない彼女の動きは邪魔されることはないのだが、それでも追いつけないほどの速さで森の中を飛び回るベレトに振り切られてしまったのだ。

 

 ベレトを追いかけて森の奥へ飛んだソティスが見たのは、彼の手で壊滅的な被害を受ける敵の姿だった。魔獣を倒した時と同じように、たった一人の手によって薙ぎ払われる様はまさに虐殺と呼ぶに相応しい有様だ。

 木々に遮られる視界でも辛うじてチラチラと遠くに見えるベレトは、今も高速で飛び回って敵を次々に斬り払いながらクロニエへと迫っている。

 

 飛び出す直前のベレトを思い出す。モニカの姿を捉えた瞬間、視線は固まり、体を震わせていた彼に初めて危うさを感じた。

 出撃前までの落ち着いた様子は何だったのか。ジェラルトの死後、騎士団長室に籠って彼の仇を討つと誓ったベレトを見てはいたが、あの時はここまで狂的な意思は感じ取れなかったのに。

 

【おのれ~、わしの声も聞こえておらんのか。あのうつけ者め!】

 

 モニカ、いや、クロニエと名乗った敵の女が言っていたが、あれでは本当に獣ではないか。脇目も振らず突撃する様は猪と変わらない……青獅子の剣士小僧が王子のことを猪と呼んでいたことを考えると、今のベレトはそれにも劣る無思慮である。

 自身の見る目の無さをソティスは悔やんだ。

 

 生徒とは違い、ベレトの保護者を気取るソティスとしても、今の状況はすこぶる不本意なものである。ずっと一緒に行動していた自分を放置されて矜持が傷付いたし、彼の中にこんな激情が秘められていると見抜けなかったことも不甲斐ない。

 それほどまでジェラルトの存在はベレトの中で大きなものだったということ。そこに割って入ることは誰にもできないのだと教えられたようだ。

 

【わしの声は、おぬしに届かぬのか……?】

 

 つい弱気が漏れそうになるが、いやいやそんなことはないと自分に言い聞かせる。

 

 あの姿を見れば分かるように、ベレトには導きが必要なのだ。ただでさえ経験の浅い若造のくせに、生徒を指導する教師になって何かと負担も大きいはず。まだ若い彼自身にも導きはあって然るべきだ。

 現にああやって心を乱されてしまった時、誰がベレトの側にいてやれるのか。

 ジェラルトはもういない。

 生徒はまだまだ頼りない。

 ならば、例え神たる力を使えなくとも、唯一彼と(よすが)を結ぶ自分こそが支えにならなくてはいけないのだ。

 

 そう思って、枝葉にぶつからないように急ぐのだが、立体機動であっちこっちに飛び回るベレトにはやはり追いつけず焦燥が募る。

 進行方向を大きく変えたりしてクロニエを追う彼にソティスは難儀していた。

 

 おまけに、

 

「レト坊ー! 戻ってこーい!」

「止まれレト坊ー!」

「いいかげんにしろよてめえー!」

 

 ソティスの下辺りには追いかけてきたジェラルト傭兵団がいた。あの状況から一早く飛び出してベレトを追い、敵のはびこる森を突き進んでここまで来たのだ。

 

 敵から見つからず空を飛べるソティスと違って、森という動きにくい地形で出くわす敵を全て蹴散らしながら彼らは進軍している。ジェラルトに鍛えられた精鋭の傭兵団は流石と言える速度で進んできているのだが、それでもベレトには追いつけない。

 

「くっそがぁ! 大司教様もうちの坊にめんどくせえ玩具寄こしてくれやがって!」

 

 不服を隠さずレンバスが怒鳴った。遭遇する敵を打ち払いながらだとその進軍速度は納得できるものではないのだろう。

 

 体一つ、腕前一つで身を立てる傭兵にとって、個人が手にするには余りある力をもたらす英雄の遺産は有力な手段と言うより厄介事の種なのだ。一人の強さが突出しすぎると味方との連携も取りにくくなってしまうのだから。

 現に今、ベレトが単独で飛び出してしまう事態を実現させてしまった。天帝の剣がなければこんなことにはならなかったのに。

 

 これまでは例え天帝の剣を使って戦ったとしてもベレトは冷静に立ち回れていた。本人にも生徒に手本を見せるという意識が常にあったのだろう、一人で全てを負わず広い視野で戦場を見据えて味方との連携も考えた上で戦えた。

 それができたのは、彼にそれだけの資質があったからだ。英雄の遺産に振り回されないだけの土台が叩き込まれていたからこそ天帝の剣を手にする前と変わらない調子でいられたのだ。

 だが、今のベレトにはそれがない。味方のことも、自身の戦士としての土台も、何もかも忘れてただ力に溺れて暴れる姿は、皆が知るベレト=アイスナーとはとても言えない。

 

 あんなのは俺達のレト坊じゃない──ジェラルト傭兵団の面々が、ジェラルトの意思を知る自分達があいつを守り支えてやらなければ、取り返しがつかないことになってしまう。

 ベレトを一人にしてはいけない! そう思い、こうして飛び回る彼を追いかけているのだが……精鋭の彼らを以てしても森を駆ける『ついで』で相手をするには、黒衣の敵勢は手強い存在だった。

 

「おいジード! 俺とお前の足の速さなら抜けられる! 突破して行くぞ!」

「だめだ、待ってくださいヨニック!」

「焦んな馬鹿たれ! お前らがやられちまうだろうが!」

「けどレンバスさん! 早くしねえとレト坊を見失っちまう!」

「わぁってんだよ! いいから離れ過ぎんな!」

「レンバスー! ガロテがやられたー!」

「くっそ! ダンダ、ここまでガロテを引っ張ってこい!」

「あいよー!」

「ドナイ、生徒達がどうしてるか見えたか!?」

「上手いことばらけて戦ってる。たぶんお嬢が指揮役になって指示を出してるんだ。何人かの生徒も俺達を追って森に来てるし、思ったよりやれてるよあいつら」

「じゃあそっちはお嬢に任せりゃいいな……ダンダからガロテを受け取ったら俺についてこい! 急いで戦線を上げるぞ!」

「了解!」

 

 やかましくやり取りしながらも彼らは止まらない。強引に前進を続ける戦い方では無理も大きいようで、焦りのせいか無用なダメージを負う者もいたが止まる様子はなかった。

 全てはベレトに追いつくため、彼の下で支えるため、ジェラルト傭兵団は走り続ける。仲間のために戦っている。

 

 その戦いぶりを上から見るソティスはやり切れない声色で呟いた。

 

【ベレト……おぬしの身を案じる者がこんなにいるのだぞ。それを振り払って突き進む価値があるとは、わしにはどうしても思えぬ……おぬしはこの者らのところにいるべきなのじゃ!】

 

 眼下から前へと向き直るソティスの視界に、うっすらとだがベレトの背中が映る。薄暗い森の中でも天帝の剣が纏う光のせいでその動きは非常に目立ち、おかげで距離はあっても捉えられる。

 見逃しはしない。他の誰が追いすがれなくても、わしは共にいてやるぞ。いつか誰かが隣に立てるようになる時まで。

 

【わしがおぬしを守ってやろう! だから、戻れべレト! この大馬鹿者ー!】

 

 それまで以上に加速して飛ぶソティスは何にも邪魔されずベレトの下へ急ぐ。

 胸に溢れる嫌な予感を振り切るように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 侮っていたつもりはなかったが、考えを改めなければいけない。

 ベレトの猛攻を凌ぎ続けるクロニエは、挑発的な態度を保ちつつ内心で反省する。

 

 少なくとも森に誘い込んだのは完全に失策だった。深い森は身を潜めるにも敵の足を乱すにも好都合だが、天帝の剣を駆使した立体機動で戦うベレトにとっては絶好の環境だったようだ。

 一人で特攻を仕掛けてきた時は馬鹿な奴と舌なめずりして迎え撃ったものの、こうして押し込まれていては認めざるを得ない。

 ベレトは強い。それも圧倒的に強い。まともに戦っては勝ち目がないくらいに。

 

「ケモノの分際で……! 本気のあたしが、こんなやつに……!」

 

 数え切れない突撃をやり過ごし、足を止めないままクロニエは忌々しそうに呟く。襲い掛かるベレトの攻撃は防ぐだけで手一杯で、逃げ続けることに苛立つばかりだ。

 屈辱を噛み殺して逃げに徹するのは、ベレトの強さが自分より格上だと認めたからであり、それがまた一層腹立たしい。

 

 走りながら魔力の迫る気配を感じ取り、急な方向転換で落雷を回避する。一方的に敵の間合いに捉えられている事態に歯噛みした。

 

(間違いない、奴はエピタフだ!)

 

 続けて迫る火球を転がるように避けて駆けながらクロニエは睨み上げる。

 あんなめちゃくちゃな動きをしながら敵を捉えて、武器を振るうだけでなく魔法まで駆使した戦闘を行うベレトに思わず畏怖の念を抱いてしまいそうになった。

 

 そも、魔法とは何か。

 

 この世界における魔法とは、魔力を糧に発動させる超常現象のことを指す。

 火無き所に炎を生み、水から離れて氷を作り、凪の空気に風を放ち、雲無き虚空に雷を落とす。

 その手で癒し、その手で壊し、あるいは呼び寄せ、あるいは送り届け、攻守の他も万事に通ず。

 自然の法則からは有り得ない現象を、魔力を以てこの世に顕現せしめる術。黒と白に大別され、常人の身では望めない神秘を操る技法、それが魔法である。

 そのような秘技を戦闘に用いることができる水準まで身に付けた者だけが魔法使いと呼ばれるのだ。

 

 基本的に魔法の行使には深い集中が求められる。ただでさえ自身の肉体の外側への作用であり、意図した狙いから逸れることのないよう魔力という体以外のものを操作しなくてはならないので、普通なら他に手を付ける余裕はない。

 だからこそ、魔法を使う兵種は通常は魔法を使うことのみを考え、そうではない兵種は肉体的な力だけを振るうように考える。一つの軍の中に組み込まれる時、そういった役割をきっちり分けることで指揮をしやすくなり、他者との連携も取れるようになるのだ。

 

 ただし、何事にも例外はあるもの。

 初級から上級まではそうしてはっきり分けられていても、最上級の極まった兵種ともなれば一部はその慣例から外れる。

 ダークナイトとホーリーナイト。共に行軍は騎馬に任せて自身は戦闘に専念することで、攻撃面は武器と魔法を兼ね備えることに成功した魔法騎士。

 そしてそれ以外に、エピタフと呼ばれる兵種がある。剣と黒魔法、どちらも達人と称せるレベルで熟達させ、その身一つで戦場に立つ魔法剣士だ。鍛え方を誤れば器用貧乏になりかねない危うさはあるが、その難を乗り越えた時、彼らの強みは活きる。

 人は身体を鍛えれば魔法攻撃が苦手になり、魔法を鍛えれば物理攻撃が苦手になるものである。相手に合わせて攻撃方法を切り換えられる手数の広さは生半な兵には望めない。

 そして騎馬に頼らず自前の脚で戦場に立つエピタフは、周囲の歩兵と足並み揃えて連携もできれば、敵陣に突入して単独行動もできる万能さが売りである。

 

 だが今のベレトのように飛び回って戦うエピタフは彼以外いないだろう。

 天帝の剣を使えるのが彼しかいないという意味でもそうだが、エピタフと言えど武器で戦う時は接近して、魔法で戦う時は敵と距離を取るなどして間合いに応じて使い分けるものだ。

 ベレトのように敵に飛び掛かりながら武器と魔法を併用する戦い方など、思い付いたとしても普通はやらないしできない。

 これがどれだけ無茶なことか!

 言うなれば、片手で剣を握って戦いながらもう片方の手でペンを握って文字を書くという、まるで異なる動作を並列させているようなものである。

 況してや彼は天帝の剣による立体機動という人外の挙動で戦っている。ジェラルト傭兵団のお家芸たる三次元戦闘(ジャングルファイト)を進化させたこの戦法。筆舌に尽くしがたい思考と集中力だった。

 

 そんな特異な戦い方を実現してしまえるベレトを相手にするならば、彼専用の対策が必要になる。ただ森におびき出して大量の手勢で迎え撃つだけでは、相手だけが好きに動ける状況で手数まで上回られてしまう。

 当然、今から新しい作戦など立てられるはずもなく、現状のまま何とかするしかなかった。

 

 しかしながら、英雄の遺産という超常の力を手にした戦力を相手にするクロニエが辛くも生き延びているという事実も同じくある。

 

(ふん……だんだん分かってきたよ)

 

 立体機動で上方から襲い掛かるベレトの剣と魔法を捌きながら、クロニエは油断なくタイミングを計る。

 先ほどから探っていたが、相手の攻撃は勢いは凄まじくてもかなり単調なのだ。

 

 木々の間を縦横無尽に飛び回ってはいるものの、地面にいるクロニエを狙うので攻撃は必ず上側からやってくる。剣による突撃も距離を置いての魔法も上の動きに気を配っていればいい。

 森の中を走り回るクロニエの機動力に難儀しているのか、戦いが始まってからこれまでベレトが追いかけ続けるという位置関係は変わっておらず、先回りされることもない。

 使う魔法もファイアーとサンダーの二種類だけ。ガルグ=マクに来てから魔法を学び始め、教師の仕事の合間くらいにしか鍛錬できなかったなら、魔法を用いた戦闘にまだ慣れていないと見た。

 

 所詮はケモノ。小賢しく考えようと、力を身に付けようと、いざ動けば単純な突撃の繰り返しとは片腹痛い。

 どれだけ強大な力を持っていようと、無作為に振り回すだけのケモノなぞ恐れるに足らず。

 

「ふ、はっ」

 

 笑いが漏れる。

 強敵と認めた相手を打ち破れる算段ができて、つい頬が釣り上がる。

 

 凶星──組織の同志がベレトをそう呼んでいた。

 かつて天帝の剣を操る人間がいた。解放王と称されたその人間、ネメシスは人為的に宿した紋章と天帝の剣を使い、フォドラに覇を唱えんと戦った。絶大な力を手にしたネメシスは剣を振るい、憎たらしい神の眷属を次々に破ったと言うが、最後には惜しくも生き残った眷属に討たれてしまう。

 ネメシスが多くの敵を打ち倒せたのは、天帝の剣と紋章の力があったからこそである。その天帝の剣を操ってみせるベレトを、材料となった神祖になぞらえて凶星と呼ぶのだ。まるで神祖の再来のように力を──炎の紋章を宿していることから注目し、警戒を強めている。

 

 今、そのベレトを、自分が討つ。

 憎き神の眷属。忌々しいケモノ。力を手にして力に溺れる愚か者。

 奴を殺せばどれほどの栄誉が得られるだろうか。敬愛する組織の首領からはどれほど褒めてもらえるだろうか。

 未来を想像して思わず笑みが浮かんだ。

 

(来やがれ、ケモノちゃん)

 

 逆手に握る剣に力を込める。互いの位置関係を調整して、速度差、角度、諸々の上に成り立つのは、相手の一撃を回避するのと同時にこちらが一撃を与えられる完璧なカウンター。

 

 程なくしてその時は訪れる。魔法をかわし続けるこちらに業を煮やしたのか、振り子運動を加速させて一気に飛び掛かってくるベレト。

 

(ここだ!)

 

 落ちてくるベレトの体を見据え、完全に把握した挙動に合わせて動き出す。

 終わるのは一瞬だ。交錯の結果、斬り飛ばされて転がる頭が目視できそうなほど明確なイメージをなぞるように踏み込む。

 

 さあ来い。

 一瞬だ。

 一瞬で決めてやる。

 何が【灰色の悪魔】だ、いい気になりやがって。

 お前など、ただ突っ込むだけの猪ではないか。

 粋がって調子に乗るから痛い目に遭う、まさにケモノ。

 一振りで終わらせてやる。

 ほら、来いよ。

 早く斬らせろ。

 一発で首を落としてやるからさ。

 どうした、早く来い。

 斬り落としてやるから、おい、早く──

 

 極度の集中のせいなのか、思考だけが逸って目に映るものの動きが遅く感じる中、クロニエはふと気付く。

 ──来ない?

 落ちてくるはずのベレトが、振り被った自分の剣が斬るはずの首が、遠い。

 

 タイミングは完璧だった。首に届くはずだ。計り間違ってなどいない。

 なのに、何故それが遠い? 何故届かない? 何故狙い通りに落ちてこない?

 

 時間が延びたように遅く見える動き。自分も相手も、イメージした通りに交錯するはずが、気付けば動いているのは自分だけだった。

 ベレトは止まっていた。空中で。

 

(は?)

 

 おかしいだろ。

 何でそこで止まるんだよ。

 来いよ。

 落ちろよ。

 自分から飛び込んで斬られろよ。

 じゃないと、あたしは──

 

(だめだ……!)

 

 ──止まれない!

 

 腕が動いてしまう。剣が振り切られてしまう。体が流れてしまう。

 イメージは消え去り、カウンターに失敗したクロニエは敵の眼前で無防備な隙を晒してしまう。

 

 そんな死に体をベレトが見逃すはずもなく。

 捻った体を解き放ち、全身を作用させて生む回転力の全てを乗せた渾身の回し蹴りがクロニエの顔面に叩き込まれた。

 

 減り込む足が鼻骨を潰し、首を捩じ切りそうな力が彼女の体を吹き飛ばす。

 枝葉を突き破って木の幹に激突した時には見るも無残な有様になっていた。

 

「ぼぇっ……がは、げふ……っ!」

 

 間欠泉のように溢れる鼻血が口元を染め、喉奥を満たす血に呼吸を遮られてしまい思わず咽る。

 甚大なダメージを受けてしまった。狙っていたカウンターの拍子を抜かされ、逆に無防備なところにカウンターを食らうという最悪の展開。意識を失っていないことが奇跡だ。

 

 交錯の瞬間、クロニエは見た。

 蹴りを繰り出すためにベレトが捻った体、その後ろへ向いた腕と、そこから伸びる天帝の剣を。

 伸ばされた刀身が彼の背後にある木に絡むことで、空中という踏ん張りの効かないところでも彼の立体機動を抑制してみせたのだ。

 

 クロニエはアサシンである。上級職としての戦闘力と敵地に潜り込む手腕、工作員として選ばれた彼女が優れた戦士であることは間違いない。

 そのクロニエの感覚が訴えていた──こいつはケモノなんかじゃない。

 あれだけ怒り、味方も置き去りにする短慮を起こすほど我を失ったと思えば、単調な攻撃を繰り返して敵にカウンターを誘発させて、逆に隙を突く強かさを隠していたのだ。

 そんな奴が、愚かなケモノであるはずがない。

 

 普段の落ち着きぶりをかなぐり捨てるほど激昂しておきながら、鍛え上げた戦闘技術を維持するくらいには冷静。

 動と静。狂乱と冷徹。相反する精神状態を同居させるその心の内は──

 

(こいつは──)

 

 不意に、うずくまるクロニエの耳に地を擦る靴音が届く。慌てて顔を跳ね上げようとした彼女の顎をベレトは蹴り飛ばした。体全体を高く浮かせる衝撃を口内に受け、意図に反して自ら噛み切った舌の先端が零れ落ちた。

 

 激痛に重なる激痛に気絶することもできず、受け身も取れないまま地面に転がるクロニエに追撃がかかる。

 倒れる体の腹を蹴られた。

 立ち上がろうとして足に体重を乗せた瞬間、狙ったようにその足を払われた。

 転がって距離を取ってから何とか立ち上がって剣を振ると、片手で受け流されて剣の柄で殴られた。

 膝蹴りを鳩尾に叩き込まれ。剣を握ったままの拳でこめかみを殴られ。足の甲に肘を落とされ。脇の下を爪先で撃ち抜かれ。脳天に踵を落とされ。

 

 止めを刺そうとすることもなく、何をやっても通じないのだと、相手に無力感を沁み込ませるかのような戦い方は明らかにベレトの本来の姿ではない。

 嬲っているのだ。圧倒的な実力差に物を言わせ、全ての反抗を叩き潰し、絶望を味わわせ、ズタボロに弄んでから殺してやる。そんな意志を感じた。

 

 冗談じゃない。もう分かったから。何もしないから。もうやめて。痛いのはやだ。

 血と涙で歪む顔を背けて、体を引きずるようにノロノロと走り出す。鍛えられたアサシンの面影もない無様な後ろ姿は、常人なら憐れみを誘うものだったのだろうが、当然ながら彼の胸を打つことはなく。

 

 眼前に落とされた雷の音と光にクロニエは身を竦ませてしまい足を止める。その胴体に絡むワイヤーが腕ごと巻き取って彼女を高く持ち上げた。

 滲む視界の中、首を捻って辛うじて見えたベレトの顔は先刻のような猛る獣のそれとは違って静かな、それでいて目だけは爛々と変わらず殺意に満ちて、凶相とでも呼ぶべき禍々しい──

 

(──バケモノだ!!)

 

 無造作に振り上げられた天帝の剣に従い、クロニエの体も振り回される。

 そのまま地面に、あるいは木にぶつけられ、十度を超える激突の後に放り出された体は放物線を描いて森を飛び出して石畳の上を転がった。

 

 そこは深い森に似つかわしくない人工的な舞台。明らかに何かが行われるであろう場所は、偶然にもベレトを誘い込もうとしていた所だった。

 

 血痕を残しながら転がるクロニエは石の硬さに痛めつけられ、それでも辛うじて動く体を捩って立ち上がる。傷付いていないところはなく、恐怖と痛みで全身がガクガクと震えていた。

 完全に心が折れていた。血に塗れた体は痛々しく、涙で歪む顔は悲壮感に満ちていて、戦闘が始まった時の高慢さはどこにもない。

 

 森から現れたベレトを見て一層体を震わせる。焦る様子もなく歩いて近付く姿はやはり静かなものだが、漂う雰囲気が少しも変わっていないことが分かった。

 目を見れば分かる。終わらせるつもりなんてない。まだ痛めつけるつもりだ。あれがまだ続くのか。痛いのはもうやだ。怖い! 怖い! 怖い!

 

「苦戦しておるようじゃのクロニエ……」

 

 震えるばかりで動けずにいたクロニエに、背後から声がかかった。

 いつの間に現れたのか、協力者であるソロンがそこにいた。罠を仕込むために別行動していたのだが、戦闘が始まってから今の今までどこに行っていたのか。

 

「ゾロ゙ン゙……だずげで……!」

 

 絞り出した声は酷いものだったがクロニエはなりふり構っていられなかった。あのベレトに立ち向かおうとする気概が全く湧いてこない。気に食わないソロンに縋り付くほど身も心も追い詰められていた。

 

 それがまともに口にできた最期の言葉になるとも知らず。

 

 振り向く余裕もないクロニエの背にソロンの手が伸ばされる。近付いてくるベレトを無視できない彼女の背中に、闇の魔力を伴う手が突き込まれた。

 

「ごぁ……!」

「案ずるなクロニエ。お前の働きは無駄にはならん。その命は世の礎となるのだよ」

「あ゙ん゙……だぁ……!?」

 

 背中に突き込んだ手を抜いたソロンは即座に距離を取り、クロニエから取り出した物を掲げてみせる。途端、滲み出る闇のオーラが石畳に広がり、舞台に倒れたクロニエと歩み寄るベレトを取り囲んだ。

 舞台の中央まで足を進めていたベレトの手足に這いよる闇が絡みつく。捕らえられて動きを止めたベレトを見据え、ソロンは素早く仕上げにかかった。

 

「ザラスの禁呪よ、その顎を開くがよい!」

 

 掲げた手で握り潰した物が弾けると、それまでとは比較にならない量の闇が溢れ、舞台のベレトに殺到していく。

 このままではまずいと誰の目にも分かる状況。

 

 そこに、追いかけてきたソティスがついに姿を現す。

 

【いかん! ベレトよ、天刻の拍動を使え! 戻るのじゃ!】

 

 森から出た勢いを緩めずベレトに向かって飛びながら叫んだ。

 彼を包み込もうとする闇はどう見ても普通ではない。黒魔法とも闇魔法とも違う、忌まわしい気配が濃密に香る呪術を思わせる。受けてしまえばただでは済むまい。

 

 今ならまだ間に合う。天刻の拍動で時を戻し、一人だけ知り得た未来を基に行動を変えれば回避は容易。然る後に適切な対応で改めて敵を追い詰めればいい。

 いつものベレトなら言われるまでもなく対処している。本人の強さもあってこの力を戦場で使った回数こそ少ないが、お茶会での話題選びに失敗したと察した瞬間に時を戻してみせるほど気軽にやり直すくらい使うことに慣れている。

 いつもなら問題なかった。敵の前でも、ソティスの焦る声を聞いても、変わらず冷静に動けただろう。いつもなら。

 

 しかし、今の彼はいつもの彼とは全く違う。

 迫る脅威を前にしてもベレトの目が捉えているのはたった一つだけだった。

 

 己の獲物から目を放さないまま、押さえられた手で握る天帝の剣を手首だけで振るう。意思に従い飛ぶ剣先が狙うのは倒れたクロニエ。

 そう、この期に及んで尚ベレトは暴挙を止めなかったのだ。身を守ることもせず、怒りのままに力を振るったのである。

 

【ベレトぉー!!】

 

 絡む闇に手足を囚われたベレト。体当たりする勢いで飛びつくソティス。倒れたクロニエ。

 広がる昏いオーラが石畳全体を覆い、舞台にいた者達を包み込む。役目を終えた闇が溶けるように薄れ消えた時、そこには誰も……何も残っていなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そこからは概ね読者諸兄の知る流れの通りである。

 

 ベレトを追って来たジェラルト傭兵団とディミトリを先頭にして先行した生徒チームが、彼が禁呪に呑まれた場面を目の当たりにする。

 間に合わなかった。彼を一人で危険に晒してしまった。驚愕と自責の念に囚われる一行に向けてソロンは得意げに語る。あの者は次元を超えた闇の中へ送り込まれた、出口のない無明の闇の中でいずれ死ぬのだと。

 それを聞いた一行の目に力が戻る。死んでいないのなら希望はある。ベレトなら、きっと。

 

 その様子が気に入らないと憤るソロンの前に、別方面からやってきた生徒達が次々に集結する。

 ベレトの姿が見えないことへの疑問にはディミトリが、先生は生きて戻ってくる、今は敵を殺すことを考えろ、と伝えた。流石にそれだけで状況が理解できたわけではなかったが、彼がそう言うなら希望はあるのだろうと信じて各々が武器を構えた。

 希望を捨てない一行を見て、死出の旅路に加えてやると意気込むソロン。

 

 そんな彼らの前で奇跡が起こる。

 突如、空間を切り裂く刃が現れ、虚空から神々しい光が溢れた。その切り開かれた空間の奥から一人の人間が飛び出した。

 

 飛び出した人間とは、皆がよく知る人物であり、同時に知らない姿。

 夜闇を思わせる濃い青緑の髪と瞳は、目も覚めるような明るい薄緑の髪と翠眼に。

 手に握る剣が纏う淡い光は、赤々と燃え上がるような力強い輝きに。

 闇に囚われたはずのベレトが、別人のような姿に変わり帰還したのである。

 

 傭兵団は驚き、生徒達は歓喜し、ソロンは驚愕した。

 それぞれの反応を見せる前でベレトは素早く味方に近寄ると、静かな、いつもの口調で言った。すまなかった、一緒に戦おう、と。

 いつもの先生が戻ってきたんだ! 姿が変わってもそこにいるのはいつものベレトなのだと理解できた者達が湧き立つ。彼がいてくれれば怖れるものなど何もない。

 

 怒りと焦り、そして小さな恐怖を滲ませるソロンが新たに呼び出した手勢も、最高潮に士気を高められた彼らには通用せず。

 ベレトの指揮で動く生徒達に押し切られ、最後にはソロン自身も傭兵団に追い込まれた末にベレトの手で討たれた。

 封じられた森の掃討戦は決着を迎えたのである。

 

 場面はその後。引き上げるための後処理の最中、やや離れた位置でベレトと級長ら三人が向かい合うところまで飛ぶ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやー、勝った勝った。よかったよ先生。あんたが消えたって聞いた時は正直肝を冷やしたぜ」

「そうだな、無事でよかった、先生……大きな怪我もないようで、本当に」

 

 快活に笑うクロードに続いてディミトリも安堵の笑みを見せる。かつてない緊張感に満ちた戦いが終わったことに気も緩んだのだろう。

 エーデルガルトも含む三人の級長の前に立つベレトは、その出で立ちを除けば特に変わった様子はない。感情の見えない無表情で脱力した自然体という、大修道院で会う時と同じいつもの彼だ。

 狂乱するベレトを見たばかりなこともあって、彼の平常な様子は生徒を安心させてくれた。

 

「ところで、ジェラルト殿の仇は……」

「俺が殺した」

「そうか、よくやった先生! 他ならぬお前の手で仇を討てたなら何よりだな! 力を貸すと言っておきながら、お前の復讐に最後までついていけなかったことは少し歯がゆい思いだが……ともあれ、おめでとう先生」

 

 質問に返されたベレトの端的な答えにディミトリは破顔する。朗らかに笑って見事に仇討ちを果たしたベレトを言祝いだ。

 

 それを横で見るクロードは苦笑を浮かべるが、すぐに表情を引き締めて向き直る。

 聞かなければならないことがあるのだ。

 

「それで、だ……戦ってる最中は後回しにしてたけど、終わったからには吐いてもらうぜ」

 

 二人の間の空気感を押しやり、やや強引にだが割り込む。ベレトを見据える視線は彼らしくもなく強く、持ち前の好奇心だけではない使命感のようなものがあった。

 

「その髪、その姿、その力! 一体全体何がどうなってるのか、話してもらおうか」

「俺もそれは気になっている。先生、話してくれないか?」

 

 詰問するクロードに釣られてディミトリも尋ねた。

 

 今の今まで後回しにされていただけであり、気にならなかった者は一人もいない。

 虚空を切り裂いて戻ってくるというだけでも人間業とは思えないのに、髪も瞳も色が変わるという人間離れとしか言えない所業を見せたのだ。

 三人の級長だけが話に来たのも、本当ならみんなして押し寄せて囲んで質問攻めにしたかった生徒達を代表しただけで、今も離れたところからチラチラと視線が向けられているのを感じるくらいベレトの変貌が気になって仕方ないのである。

 

 ベレトの方も、聞かれるだろうと予想はしていたのか、戸惑うことなく頷く。

 

「ああ、話はする。だがその前に……」

 

 一度言葉を切ると、ベレトは勢いよく頭を下げた。

 

「みんな、すまなかった」

「どうした先生?」

「あー、もしかして一人で飛び出したことについてか?」

「そうだ。力を貸してくれた君達を置き去りにして俺は一人だけで先に行ってしまった。こんなこと、あってはならないことだ。そのせいで敵の罠にまんまと誘われてしまって……心配をかけて、本当に申し訳ない」

 

 無事だったからと流してしまっていいことではない。名乗り出てまで協力してくれた生徒達を蔑ろにして、挙句の果てに罠に誘い込まれてしまったのだ。これは間違いなくベレトの失態である。

 

 闇から脱出して、その後の戦いの最中もベレトはずっと悔やんでいた。自分の暴走のせいで仲間に多大な迷惑をかけたこと。そして……一人の少女が失われる事態にしてしまった己の行いを。

 

「さっきも言ったように、先生が無事に戻ってきてくれたなら俺はそれでいいさ。仇討ちも果たせたという戦果もあるし、俺から何か言うつもりはない」

「まあ、そうだな。先生も人並に動揺するってことが分かったから、そこは得るものがあったと思えばいいんじゃないか? 軍の足並みを乱したことは反省してほしいけど、戦果を思えばケチをつけられるような奴はいないって」

 

 ディミトリもクロードも穏やかに謝罪を受け入れた。いつものベレトなら、失態を犯してもきちんと反省して次に活かす性格だと彼らは分かっているのだ。

 

「で、先生。話を戻してさ」

「ああ」

 

 促すクロードに頷きを返して、ベレトは話すことにした。

 これまで彼がずっと誰にも言わずにいた真実を。

 

「ソティスが俺を助けてくれたんだ」

「ソティス? ……セイロス教に伝わる女神の名前と同じだが」

「教団が崇める神様なのに、何故かみだりに口にしちゃいけない名前なんだっけ? 変な慣わしだよな……その女神サマが降臨でもなさったのか?」

「いや、ずっと一緒にいた女の子が助けてくれた」

「「はあ?」」

「つまり、その──」

 

 話がごちゃごちゃしそうだと察して一度言葉を止めると、ベレトは自分なりに噛み砕いて説明してみた。

 

 ソティス。そう名乗る少女がずっと自分の傍にいた。

 誰の目にも見えず、声も届かない彼女を、自分だけは認識することができた。

 子供らしい容姿でありながら、たまに老齢さを感じさせる不思議な子。

 のじゃ口調。一人称はわし。

 ある日突然見えるようになったその子は、まるで妹か姉か、はたまた母のようで。

 そんな近しい距離感の少女と共に過ごしていた。

 闇に飲み込まれた時も彼女と一緒だった。

 何もないと思った闇の中でソティスにこっぴどく叱られた。

 そんなソティスの力を使えばこの闇を脱出することができると言う。

 忘れていた記憶を取り戻した彼女は、セイロス教が崇める神祖の心そのもの。

 神としての力を使うには心を納める器、肉体が必要となる。

 自分とソティスが融合すれば力を使えて闇から出られる。

 しかし、そうすれば心でしかないソティスの意識は消えてしまう。

 悩む自分の背中を押してソティスは融合してくれた。

 そして得た力を行使して──その先は皆も知る通りである。

 

「つまり、あんたの中にはずっと前から女神を名乗る女の子がいて……」

「その子がくれた力を使って戻ってこれた、と」

「そういうことだ」

 

 少々長くなってしまったが、ベレトの話(一部関係ない情報を含む)を聞き終え、は~っと溜息が漏れた。

 

「俄かには信じがたい話だが……今のあんたの姿を見ちまったら、信じるしかないよなあ」

「まるで神話の再現だな。だが、空を切り裂いて現れた先生を目の当たりにして信じないわけにはいかないだろう」

「神話の再現?」

 

 しみじみと言うディミトリにベレトが首を傾げる。

 

「ああ。女神の啓示を受け、力を授かった聖者セイロスの神話だ」

「俺と同じなのか」

「かつて女神はセイロスを遣わして、力に溺れた邪悪な王を討たせたんだ。邪悪を討たんとする先生の姿に、その女神の少女はセイロスと同じものを見たのだろうな」

「そういう雰囲気はなかったと思うが……ん? その邪悪な王って、解放王ネメシスのことか?」

「神話によるとそうだが」

「炎の紋章を持つ邪悪な王を討ったのがセイロスということなら、俺は討たれる側になる。現についさっきまで力に溺れて見境がなくなっていたのだし、神話の通りになるなら俺はセイロスの紋章を持つ者に討たれるのか?」

「それはないだろう。先生はきちんと自分を取り戻して、俺達のところへ戻ってきたじゃないか。力に溺れてなんかいないさ」

 

 不安なのか疑問を口にしたベレトへ、きっぱりとディミトリは言い切った。

 

「そうそう。セイロスの血筋はアドラステア帝国の皇室に伝わっていて、今だとセイロスの紋章が発現したのはエーデルガルトだろ? 先生を討つなんてするわけないって。なあ?」

 

 続けてクロードが笑い飛ばす。ベレトが珍しく見せた不安を払拭するためなのか、殊更軽い口調でありえないだろうと言うように。

 あの先生大好きっ子(エーデルガルト)がベレトと敵対するなんて万に一つもあるはずない。

 その発言と、当の彼女に目を向けて──そこで三人は気付いた。

 

 先ほどから、離れたこの場所に来てから、エーデルガルトが一度も口を開いていない。

 

「エーデルガルト?」

 

 ベレトの呼びかけが聞こえていないはずがないのに、返事もせずベレトを見つめるその目は彼女らしくもなく険しい。

 

「お、おーい、皇女様? なんか怖いぞ?」

「どうしたんだエーデルガルト?」

 

 クロードもディミトリも、見たことない姿に困惑した。

 エーデルガルトが人に鋭い視線を向けるのは珍しいことではない。自他共に厳しい彼女が求める水準に満たない者に対してきつい眼差しを向けるのはよくあることだ。帝国を担う皇女として、優しさはあっても甘くはない。

 

 しかし、今ここでベレトを睨む──そう、明らかに睨んでいる──エーデルガルトは、皇女の気高さや級長の姿勢など普段の彼女らしさが見えない。まるでただの少女のように、心から湧いた激情を隠すことなく突き刺すような視線を向けている。

 

「…………よかったわね、(せんせい)

 

 ややあって、辛うじて絞り出せたような声がエーデルガルトの口から発された。

 

「天帝の剣といい、その姿といい、貴方は女神に愛されているのでしょう。まるで、かつての聖者セイロスと同じように……」

 

 髪も瞳も、誰かさんにそっくりね──吐き捨てるような声色は強張っており、何かを堪え、押し殺しているように固いものだった。

 やはり見たことないエーデルガルトの態度に三人は驚き言葉を失う。

 

 私情に染まった声色に込められているのは、明らかな敵意。そしてそれは他ならぬエーデルガルト自身が感じており、己の中から湧き上がるこの感情が嫉妬という極めて身勝手なものであることを自覚していた。

 向けられたベレトが困惑するのも当然である。こんな感情、彼にとっては身に覚えのない見当外れなものでしかない。

 それでもエーデルガルトにとって、ベレトの身に宿った祝福とも言える女神の加護は、かつての彼女が何よりも欲したものだったのだ。

 焦がれる想いと、手にした彼への妬ましさが膨れ上がるのは止められなかった。

 

 ふぅ、と小さく息を吐いて一度目を閉じる。

 感情を制御するよう声には出さず己に言い聞かせて、改めてベレトを見据えた。

 

「聞いてもいいかしら師」

「何だ?」

「その力を、貴方は何のために使うのかしら。教団のため? または、世のため人のため?」

 

 問いを発するエーデルガルトの胸にあるのは何なのか。彼女自身にもよく分かっていなかった。

 これまでベレトに向けてきた期待も、敬意も、密かな思慕も、もはや許されないものなのかもしれないという恐怖があった。彼の答え如何によっては全てを断ち切らなくてはいけない。

 いや……もしやそれさえも甘えであり、目に見える形で変わってしまったベレトが今さら何を言おうと決裂は確定されたことではないか。

 

「何のため……」

 

 問われたベレトは考える。新しく手にした力を何のために使うか。

 何故そんな質問を、とは考えない。エーデルガルトは無駄な問答を嫌う性格だ。その彼女が向ける問いかけは、きっと意味があることだとベレトは知っている。

 父の死後、騎士団長室で失意に沈む自分を叱咤し、手を差し出してくれた彼女にベレトは報いたかった。

 

 エーデルガルトの声色に気圧されたのか、ディミトリとクロードが何も言えずにいる間も自分を見つめる彼女を見て、答えは自然と出てくる。

 

「生徒のために使いたい」

「それは……私達のため、ということ?」

「そうだ」

「なら、もし世の中が、あるいは生徒達が真っ二つに分かれて争うことになったとしたらどうするのかしら? どちらについても生徒のためよね」

「先のことは分からない。だから今はエーデルガルトのために使いたい」

「うぇっ?」

 

 サラリと出てきたベレトの言葉でエーデルガルトの険しい顔が崩れる。なんか変な声が出た。

 流れ変わったな──察したクロードが空気を読んで、ディミトリの袖を小さく引いた。

 

「何だクロード?」

「しーっ……何も聞くな。ちょっとでいいから動け。こっち」

「あ、ああ?」

 

 それとなく二人が距離を取り、残ったベレトとエーデルガルトは見つめ合う。

 

 たった一言で少女の表層を貫いた彼は、その心に響く声で続けた。

 

「君がそうやって顔を曇らせているのが俺は嫌だ。エーデルガルトには笑っていてほしい。いつでも君に元気でいてほしいんだ」

「師……」

「いつも俺を助けてくれてありがとう。だから君が困っていたら助けたい。エーデルガルトの力になれるなら、俺は何でもしてやりたい」

「わ、私は……」

 

 ベレトの告白を聞いて、エーデルガルトの険しい顔はとっくに崩れていた。

 覚悟はしていた。そんな彼女の覚悟を、ベレトはあっさり飛び越えてしまった。

 

 見た目が変わっても、ベレトはベレトのままなのだ。

 それで変わってしまったのはエーデルガルトが彼を見る目だ。覚悟なんて高尚なものじゃない、壁を作っていたのは自分の方だった。

 そんなちっぽけなものを彼は容易く越えてしまう。まっすぐな言葉で、眼差しで、いつだって彼はてらいなく向き合ってくれる。

 

 どうして彼はいつもいつも、自分の欲しいものをくれるのか。

 知らなかった自分を見つけて、心を開く言葉をかけてくれるのか。

 ベレトを慕うこの気持ちに、いずれは区切りをつけなくてはいけないのに……

 

 足元が不確かになったように後退るエーデルガルトに向けて、ベレトは微笑み、手を差し出す。

 

「俺に、君を助けさせてくれ」

「せん、せい……」

 

 思わず俯いてしまう。何を言えばいいか分からなかった。エーデルガルトの中で暴れる感情が心臓を締め付け、息が詰まりそうだった。

 

 笑っていてほしい。

 困っていたら助けたい。

 君を助けさせてくれ。

 それは、エーデルガルトが『あの時』に何よりも求めていたもので。

 きっと今でも、目の前にあれば手を伸ばしてしまう光の言葉。

 

 と、その時。

 エーデルガルトの俯いて下を向いた視界に、ばたりと音を立てて倒れ込むベレトの姿が映った。

 

「な……師!?」

「どうした先生!」

「急に何だよ今度は!」

 

 慌てて駆け寄るエーデルガルトに続いて、流石に傍観はできなかったディミトリとクロードも近付く。さっきの今でベレトに異変が起こっては焦りもすると言うもの。

 しかし彼を抱き起して様子を見れば、何とも緊張感が抜けてしまう。

 

 エーデルガルトに手を差し出した姿勢のまま前のめりに倒れ、顔面から地面にぶつかった衝撃も何のその。

 スヤスヤと、穏やかな寝息を立ててベレトは眠っていたのである。

 

「おいおい、あそこまで熱烈な告白かましといて寝るなよな先生」

「な! ちょっとクロード! さっきの師はそういう意味で言ったんじゃ!」

「そうかあ? 傍から見てても熱かったぜ。こんな時でも仲いいねぇ」

「そういうこと言ってる場合じゃないでしょう!」

「だな。女神の力のせいなんだろうけど、どうすんだこの状態」

「倒れて起きないということはすぐには目を覚まさないだろう。早く誰かに見せなければ」

 

 仕方ないので担いで運ぼうとディミトリがベレトの体に手を回す。クロードも運んでくれるなら任せようと何も言わずに見守ろうとした。

 そこへ、エーデルガルトが制止をかけた。

 

「待ちなさい。私が連れていくわ」

「え……しかしエーデルガルト、君より俺の方が……」

「いいから寄こしてちょうだい。彼一人くらい運べるわ」

 

 動きを止めたディミトリの手から強引に引き出し、ベレトの体を背負う。脱力した人間の体は意外と重いものなのだが、普段から斧を振り回すエーデルガルトにとっては問題ない重さだった。

 そうして歩き出すエーデルガルトに何も言えず、ディミトリもクロードも仕方なく後を追って他の生徒達と合流した。話している間に撤収の準備は済んでしまったようで、そのまま帰途に着くことになった。

 

「エーデルガルト様、遠目に見ておりましたが先生の様子は……」

「眠ったまま起きないの。師はこのまま私が連れていくから、口出し無用よ」

「畏まりました。他の生徒にもそのように伝えます」

「ええ、お願いね」

 

 早速近付いてきたヒューベルトに告げて、ベレトを背負い直して歩く。

 自分より身長の高い男性を背負っていても歩く足取りは確かであり、これもベレトが鍛えてくれたおかげかと思うと、彼の脚を抱える腕に力が入った。

 

 しかし、エーデルガルトの心は曇ったままだった。

 

 離れたくないと思ってしまった。少しでも彼に触れていたいと思ってしまった。

 そうしてやや強硬に背負うことにしてしまったが……失敗だったかもしれない。

 

 ベレトを背負って歩いていると、脱力した彼の頭がエーデルガルトの肩に乗る形になる。すると自分の頬のすぐ近くに彼の顔が寄るのだが、その事実に緊張してしまうよりも、彼の髪が否応なく視界にちらつくのだ。

 明るい緑色が目に障る。あの女と同じ色の髪が彼にもあると思うと、どうしても胸がざわつく。

 閉じたまぶたの奥にも同じ色がある。今後は彼と向き合う時、あの女と同じ色の瞳が向けられると思うと、憂鬱だった。

 

 それでも前を見て歩けと自分に言い聞かせた。

 変わってしまったものは戻らない。飲み下して、進み続ける義務が自分にはある。

 ベレトの変貌もその一つに過ぎないのだ。いつもと同じように変化の一つとして受け流して、ここから先に進む材料にして、踏み越えていく道の一部と考えて──

 

(──できないわよ!)

 

 無理だ。いつもと同じになんてできるわけがない。

 だって……彼はベレトなのだから。エーデルガルトが欲しかったものをこんなにもくれる人を、自分にとってのたった一人を、どうして他と同じように流してしまえると言うのか。

 

 エーデルガルト=フォン=フレスベルグの心に刻まれた、数え切れないほどの想いが忘れることを許さない。

 ベレトという人間との出会いを。

 彼に教えを受けた日々を。

 胸に芽生えた気持ちを。

 忘れることなど、他ならぬ自分自身が認められない。

 

 ならば……抱えていくだけならいいだろうか。

 後悔も、未練も、全てを置き去りにして進み続けると誓った身でも、密かな想いを抱えていくことくらいなら許されるだろうか。

 足を止めたりはしない。いずれ懐かしむことはあろうと振り返りはしない。

 だから、せめて……これだけは……

 

 ベレトを背負い歩きながら、他の生徒との間に立って視線を遮る壁役になって歩くヒューベルトの陰に隠れて、俯くエーデルガルトの目から落ちた一滴の涙は森に紛れてしまい誰も気付くことはなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 (せんせい)

 貴方は変わったけど、変わらないのね。

 その体が神の眷属に連なるものになっても、心は貴方のままなのね。

 ずっと怖かったの。

 いつか師が、私の知る師ではなくなる時が。

 女神の加護に染まった貴方が、私より教団を選ぶことが。

 でも、どんなに姿が変わっても、何を身に付けても、貴方は変わらない。

 私が……好きになった人、ベレト=アイスナーのまま。

 だから、変わるべきなのは私の方。

 私は皇帝になるわ。

 血塗られた道を歩き、多くの屍の山を築く、そんな皇帝になる。

 その道に、師を巻き込んだりはしない。

 手に持っていくのは、貴方がくれた言葉と想いだけで充分過ぎる。

 だから、師。

 貴方はそのままでいて。

 私が、好きになった貴方のままで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ところでこの後の話だが。

 ガルグ=マクへ帰還して、レアの膝の上で目を覚ましたベレトは、直後に待ち構えていたジェラルト傭兵団の面々によって取り押さえられた。

 

 話をするのは生徒を優先させて、大司教への報告など仕事もさせてやって、さあ邪魔するものは何もないぞと我慢を解いた彼らは手付きも雰囲気も些かどころではなく剣呑であり、その怒りの程がうかがえた。

 

『一人だけで先走りやがって』

『ジェラルトさんの仇を討ちたいのが自分だけだと思ったのかよ』

『生徒の面倒を見る仕事まで放り出してそれでも教師か』

 

 叱りつける仲間達の言葉はどれもこれも反論できないものばかりで、ベレト自身も思うところがあったのだろう、彼らの折檻を甘んじて受けることにした。

 傭兵式の荒っぽいけじめという名の袋叩きを食らったことで、今回の出撃に関わった者の中ではベレトが一番の重傷者となってしまったのだ。

 

 慌てたのは目の前でいきなり暴行を始められたレアである。

 止めようとはしたのだが、傭兵達の言い分も聞いてみれば決して間違ったものではなく、行き過ぎに思える仕置きも彼らが心配したからこそのものだと分かるから口も挟めず。

 

『あの、やりすぎないで……いえ、気持ちは分かりますけど、ベレトも反省しているでしょうし、貴方方ももう少し穏やかに……』

『『『『『『何か?』』』』』』

『あ、いえ』

 

 迫力に気圧されてしまい、彼らが落ち着くまで止めることができなかった。

 

 この件により、いざとなれば大司教の静止さえも無視して押し通る戦闘集団、束になればあのベレトすら叩きのめしてしまう彼の身内、等々、ジェラルト傭兵団はただ強いだけでなくやべー奴らだという認識が広まったのだった。

 

 しかしこの一件により、ベレトへの印象が良い方向に変わる。

 今回の戦闘でベレトの大暴れを見て、普段優しい人ほど怒ると怖い、先生を怒らせないようにしなくては、と感じて距離を取ろうと思った生徒もいたのだが、ボコボコにされた彼を見て思い直したのだ。

 彼も等身大の人間であり、反省して罰を粛々と受け入れる姿勢は見習わなくてはと生徒達は考えたのである。

 ベレトと彼らの距離感が変わらずにいられたのは幸運だったのかもしれない。




 好きに切り抜いて好きに書きました。
 活動報告に僕の私見を載せてあるのでよかったらそちらも読んでください。

作者の活動報告に載せた後書き
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